フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/02/25 Mon  17:47:34» E d i t
 敵味方に別れながらも、互いに全力を尽くして戦い合った者同士として通い合う奇妙な友情がある。
 ただ勝つために、相手を打ち負かすために全力で戦い、結果はどうあれ戦い抜いた末に訪れる互いを讃え合い、尊敬できる瞬間。
 ラグビーでは試合終了のことを「ノーサイド」と呼ぶ。
 ノーサイド。敵も味方も無くなって。ただただ真っ直ぐに戦った自分、そして同じように死力を尽くして戦った相手を讃える笛。

 ひとつの時間に区切りを付け、その場にいた者たちに新しい時間を開く笛。

 
 事実としては私たちが生まれてくるずっと前に終わっていた。けれど、人の心はそんな簡単に割り切れるデジタル仕様じゃない。心の中にノーサイドの笛が鳴っていない人たちがいる。まだまだたくさんいて、ずっと長い間重たい過去を背負って泣いている。

 
 かつて太平洋戦争で戦ったアメリカと日本の元兵士たちが、ハワイで野球で対戦するという企画のドキュメント番組(NHKプライム10)を見た。

 「命を懸けてアメリカを倒して御国を守るように教えられて育った。」
 「死んで行った戦友たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。」

 太平洋の激戦区、トラック島で多くの戦友が飢えと渇き、伝染病で死んで行った。その頭上をアメリカの戦闘機が機銃掃射で駆け抜けて行く。

 「今なお、自分の心の中で折り合いがつかないんだ」
 「特攻隊だったが、次は自分だと言う時に終戦を迎え、死に場所を失った。」
 「特攻隊は神様、兵隊は英雄だった世論が、180度変わった。自分たちは居場所を失った。しゃべりたい事はいっぱいあるけど、聞いてもらえない。」

 アメリカの空母に突っ込んで戦果をあげても二度と戻らぬ戦友に「明日は俺も行く」と腹を括ったのに、散る道さえも断たれ世間に糾弾され、17~18で散って行った戦友を思いながら孤独を背負い続けた日本の老人たち。

 「たった一機の戦闘機が、私たちの運命を変えた」
 「私の載っていた空母に戦闘機が突っ込んできて、一瞬で90人の仲間の命を奪った」
 「生きるために戦うはずなのに、なぜ自分の命を捨てて攻撃してくるのか」
 

 平和・平和・平和で洗脳されて来た私たち世代は、平和であるがゆえに平和の尊さを知らない。忘れているのではなくて知らないのだ。
 奇しくも本日(2月25日)、私のブログのブログパーツの「コトバ」には植木等の「戦争というものは集団殺人だ」という言葉が載っている。現実を知らない者、知ろうとしない者が過去の凄惨な体験に蓋をするために決めつけた言葉なのか、体験ゆえに反動で語った言葉なのか。
 いずれにせよ、「守られて生き残った者たち」のこうした言葉が「国を守るために戦った兵士達」の心を傷つけ、戦場の真実の多くは語られる事なく私たちは危うげな平和を享受している。
 
 情報も教育もいつも一方通行で、自分の視点と相手の視点で現実を捉えた上で真実を浮かび上がらせるというタテマエは、すでに子供の頃から崩れていると薄々ながら感じて来た。私が育って来る中で、教科書は戦争に行った爺様方は「悪」だと教えていた。原爆を落としたアメリカも「悪」だった。いや、教科書はそう書いていなかったけれど教師の教え方はそっち寄りだった。
 いつの頃からか、昭和前半の日本という国全体が「悪」だということになった。司馬遼太郎がそう言ったからだとか何とか言うけれど、世論はとかく流れるものだ。
 原爆落として戦争終わらせたアメリカは「正義」だという考え方も伝わってきた。
 非戦闘員を瞬時に何十万人も虐殺する正義などあり得ない。
 けれど、それを正義だと信じる者にとっては正義なのだ。

 何が現実で、何が嘘で、何が情報操作なのか混乱する。
 混乱するし、実際、こんな事を思い悩む必要なんて何も無いのだ。今を生きる上でそんな事を知っておかなくても何の影響もない。

 それでも人は自分が悪ではないと信じたい。
 信じる者のためにこそ、命を懸けることができる。命を懸けて国を守った人たちは英雄だろう。守ってくれた人たちから引き継いだこの国をここまで引っ張ってくれた人たちもまた英雄だろう。誰もが望むような論功行賞が行われなくても、私はそういう気持ちでありたい。

 確かに集団殺人であり、それは現在の視点から見れば悪そのものだ。
 だが大切な物を守るためにそれをせざるを得なかった時代もあり、抗いようがない時代のうねりに翻弄された世代の人々の悲しみを、その思いこそを私たちは知るべきなのだと思う。
 どんな数字よりも、どんな文章よりも、その人たちの心が見た風景を。
 


 →日米スーパーシニア親善野球試合公式HP
  
 
 「75歳以上であること」これが入団条件となっているアメリカの野球チームがある。
 彼らは言った。
 「心の中の戦争が終わったわけじゃない。日本にも俺たちと同じように思っている人たちがいるなら、野球で戦おうじゃないか」

 お互いが苦い思いを噛み締めながら生きて来た。
 死にたい思いを背負いながら生きて来た。
 それを背負わせたのは、爆弾の向こう側にいた憎い敵なんだ。そう信じてきた。
 そう信じることで自分を奮い立たせてきた。

 
 心の折り合いがつかない・・・・


 本当は、気付いていたのだろう。自分たちにそれを背負わせてきたのが相手ではないということを。背負わなくても良いかもしれないのに、無理に背負ってきたことを。でも、それを置き去りにすることができないということを。


 日本にもまだ、それを語れる人たちが残っている。
 そして、このアメリカの爺さん達の心意気に呼応して日本全国から続々と名乗りが上がり、平均年齢80歳の野球チーム「OVER THE RAINBOWs」が誕生。

 それぞれの心に折り合いをつけるためにとは言え背負ってきた物・背負い続けた時間の重たさを考えた時、その一歩をお互いに踏み出せるその勇気に涙が溢れた。

 
 運命の地・ハワイを対決の場に選び、親善交流とは言え、一種独特のムードの中で野球の試合だけではなく日米双方の選手達が交流する場が設けられていて、お互いの思いを直接語り合う。

 アメリカ兵は日本の食糧事情が逼迫していた現状を知らされていなかった。

 「そんなに食料が不足していたのならば、来てくれれば良かったのに。私達の母艦にはたくさんの食料があったのに。」
 「今だから。今だから。そのお気持ちはありがたいですけど、当時にそれはできなかったよ」


 心の折り合いをつけるために来たはずなのに、どうしても上手く心を開けない人もいる。
 が、野球の試合でお互いが全力でぶつかり合った後、思いのたけを語り合う。

 「私は特攻隊の生き残りです。命に代えてもお国を守るのが私の使命でした」
 「私の船は特攻隊に沈められました。一瞬で90人の戦友たちを失ったのです。私はあの時のことを一日たりとも忘れたことがありません。お互いが使命のために戦った。私達は許し合うことができるのです。」

 「お互いに生きてて良かったねぇ。生きてて、お会いすることができて本当に良かった」
 
 手を握り合って、目に涙を溜めて、ノーサイドは訪れた。
 遠い、遠いノーサイドが。
 生きて来た意味を掴むことができたのだ。この人たちは。
 背負った過去の重さは消すことはできないけれど、あの日、散った命の向こう側で自分と同じように恐怖し、誇りを掛けて戦った人間の姿がそこにあったのだから。

 この番組で取り上げられた、この野球爺さんたちは幸せモンだと思う。
 こうして心の折り合いをつけることができずに、生き地獄の中を彷徨っている人たちは多いはずだ。その人たちにノーサイドが訪れる日はいつなのだろう・・・。


 この親善の中に、太平洋戦争開戦の火蓋を切った真珠湾攻撃の慰霊碑を訪ねる場面があって、その時に大きな虹がそこに掛かっていた。


 現実は霧。
 光は真っ直ぐに差してきても捻じ曲げられ、時として悲劇を呼ぶ。
 時として、虹を写す。
 時代が捻じ曲げて写した暗い虹の向こう側に鏡写しの自分を見つけて
 信念のために戦ったその戦友たちとの邂逅があった。

 こういう、人の心を描いたテレビ番組をもっともっと作って欲しいと心から願う。
    
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コメント
この記事へのコメント
本懐を遂げる
 この日米野球参加者で一連の交流を終えてアメリカに帰国当日亡くなった爺様がいました。彼は妻にこう語ったそうです。

  「全てが最高だった」

 誰もが、一番胸の奥に引っ掛かっている後悔や後悔に似た「あの時こうしていれば」という悔いが残っていて、生きているうちにその問題自体はやり直せなくても、本質的にそれと似たような状況は繰り返し訪れて、悔いを改めるためのチャンスもそれに追随して訪れているのだと思うのです。
 要するに 自分が自分を許せない 状態が一番辛いことなんですよね。

 それに気付くか気付かないかは本人の姿勢次第なのですけれども、結局、この爺様方は年取っても野球を続けていたという、何のつながりも感じられない一点で奇跡的につながって、邂逅し、自分を許すことができたのでしょうね。
 番組でも「死んで行った戦友たちも笑っている気がします」みたいなこと言っていました(ような都合の良い記憶が私にはあります)し。

 本当は戦友たちに許してもらうのではなくて、自分自身に許して欲しかったんですよね。お互いに。

 現代の多くの人が抱えている心の問題もきっと、答えは自分自身との折り合いをつけることだと私は感じています。    
2008/02/28 Thu 06:37:51
URL | フクフク丸:to くーにゃん 様 #oKAhFFW. Edit 
人生の中で「ノーサイド」にできていないことをかかえて生きている人がいるんだということに改めて気づかされました。

頭でわかっているけど、折り合いがつかない。

どう折り合いをつけるか。。

そんなことだらけの世の中だと思います。

語り合う場があって、少しずつ折り合いをつけていけるんでしょうね。

昨日カウンセリングの研修会で「声にだす」ことの大切さを学んだので、切に思うのでしょうか。。(

この番組は見逃してしまったので、読んでいて、ジーンとしてしまいました。





2008/02/26 Tue 11:24:54
URL | くーにゃn #- Edit 
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