フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/03/19 Wed  20:48:20» E d i t
 ●僕らは守られてきた。無理を「無理」と言えない体質に。

 もうずっと前から危ない綱渡りが続いて来た状況なんですけれど、無理な事を無理だと言わない、言えない日本人的体質とこの底知れない継続的不況感がもたらす強迫観念と結びつくように大量生産・大量消費・大量廃棄時代が継続してきたのですが、生産あるいは流通の仕事に携わる人間かあるいはよほど興味のある生活者の方々を除く一般消費者の方々は、スーパーに行くと当然のように安価で当然のように毎日当然のように棚にビッシリ並んでいる商品に何の疑問も抱く事も無く生活を送り続けてきたわけです。
 要するに大袈裟に言うと、守られてきたわけです。
 当然のように守られている中では、守られているという意識も実感も無く、ただただ生産者・販売者の文字通り身を削るような誠意と強迫観念によって食生活が成り立ってきた経緯があります。
 
 誠意とは、食べてもらう人が少しでも幸せな気分になれるようにできることはやるという誠意。

 脅迫観念とは、入札時点で競り負けるとライバルメーカーにその座を奪われ、二度とその座に着かせてもらえないという脅迫観念。
 安売り過当競争のこの時代、品質よりも安さが問われ、その結果品質での差別化は困難になります。が、量販店の魅力は一度取引決定となると、大量に商品が売れるというメリットがあると言う事です。
 それはすなわち、企業の仕事量の安定を意味します。
 仕事の安定を得る為に、商品を原価スレスレで安く売る。原価を落とす為に工夫をする(リストラ)。

 無駄の削ぎ落としと同時に、消費者・販売者の要望に応える努力をして行かなければなりません。
 
 

 ●消費者の声

 消費者の声は生産者に届いています。だから、スーパーに並ぶ商品の裏には神経質なほどに表示項目が増やされ、次から次へと包装資材・包装形態は変化を遂げ、それどころか農産物に至っては生産者の顔まで写真入で紹介されていたりします。

 トレーサビリティーという言葉をご存知でしょうか?
 情報公開という一時の流行で、神経質もここに至れりというシステムを構築しました。
 

 でも、生産者の悲鳴は消費者に届いていますか?スーパーに並ぶ価格での生産は本来は不可能なんですよ。それでも、スーパーしか販売してくれそうな場所が見当たらない。

 大量生産・大量消費・大量廃棄の流れが構築してしまった経済循環に沿って展開した時代ですから、よっぽど新しい流通経路を思いつかない限りはその流れに身を任せるしかないんですよね。
 流れの先のすぐそこが果てなく落ちる滝だと分かっていても、激流の中で為す術も無いという。



 ●なぜ生産者の悲鳴は届かないのですか? 

 安心・安全は無料奉仕だと思いますか?

 国が法律を定めて、表示項目をひとつ増やすたびに今までの包装資材を廃棄し、新たに作り変えて、基準をクリアして初めて店頭に並ぶんですけれど、何か事件が起こる度に神経質なシステムが増え、それに対応するための浪費の繰り返しで生産者の側はどんどん疲弊しています。

 思い起こせば、O-157と言う当時耳慣れなかった食中毒菌がこの問題の走りだったのでしょう。
 イクラの製造メーカーが消費期限切れの商品を再度出荷したのが原因でした。カイワレ大根やモヤシもその飛び火で大炎上しました。これは、全くの事実無根だったのですが。
 その後、雪印牛乳がやはり消費期限切れ牛乳を使い回し、黄色ブドウ球菌による食中毒が発生。
 
 それまで食中毒と言えばナマモノですとか、珍味などというさほど身近でもないモノに付帯した症状だったのが、一気に身近な食品・飲料にその危険性が近づいてきました。これは、明らかにメーカー側の落ち度だったわけですが、その一部の大手企業の落ち度が「安心・安全」システム登場のキッカケでした。

 量販店は納入品に細菌検査を義務付けます。
 商品納入までの温度管理も義務付けます。
 消費者のためという口実、本音は自分のところで売るものにクレームが発生しないように必死に。
 

 どんなにチェック項目を増やしても、システムが増えているだけで魂が篭っていないんですね。
 販売店側で抜き打ちで細菌検査でもしようものなら、販売店は加熱商品以外は何も置けなるでしょう。
 余程殺菌されたもの以外は。
 例えば生野菜。全てが細菌検査にクリアしていたとしたら、殺菌はどのように行われたのでしょうか・・・

 生産者側から見てもチェックシステムが増えるのは良いことなのでしょう。それをクリアすることで自社のブランドが確立して行くようなものですから。
 ただ、それが売価に反映されて行かないんですね。販売者である量販店同士の過当競争によって、販売価格が先にありきでそれに合わせて商品を作るという時代ですから。
 安心・安全 をボランティアで提供しているようなものです。

 食パン1袋 100円で販売されていたら、チェックシステムが1段階増えてコストが増加しても売価は100円のままです。誰もが納得せざるを得ない「輸入小麦の価格が3割増しになる」という理由が無ければ値上げなんてできなかったのですから。


 仏作って魂入れず。いくらチェックシステムを増やしても、製造工程を機械に任せても、本質はこれです「人間が作った(あるいは獲った)モノを人間が消費する」

 まとめてみましょう。

 ・企業は利潤を追求する団体です。
 ・従業員はその経営によって生活を賄っています。
 ・いくら清廉潔白な商品作りをしていたとしても、食品は期限内に売れなければゴミになります。
 ・ゴミだって処分費用が掛かる時代です。ゴミを製造するようなシステムでは経営は立ち行きません。 
 
 ・苦渋の選択です。
   A・守って来た製品の品質を落とす →  廉価販売の過当競争に巻き込まれる
   B・品質を守って、販売数を落とす → 業務の縮小 → リストラ
   C・時代が受け入れてくれないなら廃業する→  失業者の増加
   D・何してもバレなきゃOK。従業員の生活もあるから負けられない→ 偽装表示問題
 
 偽装表示問題は社会悪ですが、全てが経営者の私腹を肥やすためだけに行われたと考えるのはいささか短絡的であると私は思います。


 消費者の感覚では、量販店の棚揃えを見ていれば商品なんていくらでも湧いて出て来るような感覚に慣らされています。
 しかし、人間が生産あるいは捕獲し、人間が加工したモノを、人間が販売して、人間が消費しているという大前提を忘れてはいけません。
 
 「システムや法律で縛って行けば世の中は良くなる」と勘違いしている学者さんが多いのでしょうか。人間は血の通った生き物であるという大前提無くして法律もシステムも意味を成すことはないのではないでしょうか?

 弱肉強食の世の中で、勝ち残れない企業は淘汰されて行けば良いのでしょうか?
 本当に安心・安全のモノづくりに長けていて、廉価販売に向かえないメーカーが次々に消えて行きます。
 
 誰が本当の意味での安心・安全・・・それに伴う生産者の誇りを破壊したのか?
 価格と一緒に破壊してしまったものは、大きかった。

 
 その代わりに台頭してきたのが、廉価商品の大量生産・安定供給に長けた 食料危機迫る?①で述べた中国の加工場です。
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