- 2008/11/17 ベタ名作映画 ロッキー4炎の友情
2008/11/17 Mon 05:01:57 » E d i t
イタリアの種馬「ロッキー・バルボア」と出会ったのは一体、いつの頃だっただろう。
多分、小学生の頃か?
ボクシングは父親が見ていたテレビでやってるタイトルマッチくらいは一緒に見ていただろうけれど、本当に観るようになったのは多分あの試合がキッカケだったに違いない。
思い出した。
あれは当時冷戦中だった、アメリカとソ連の代理戦争としての映画の中ボクシングの試合「ロッキーvsドラコ」だった。後から知ったがそれは「ロッキー4 炎の友情」
おそらく、この作品が後のクリエイターに与えた影響は著しいと思う。
この作品に描かれている戦いのインパクトは、ビデオゲームの格闘ゲームに辿り着いただろうし、また、ボクシングらしからぬボクシングのシーンはやがてK−1とかで現実化されて行っているような気がする。
ロッキーがロッキーらしさを取り戻したと評価された作品だったらしい。
ロッキー4が1985年の作品だったことを考えると、当時私は9歳。・・・あれ?この前見た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も1985年だったなぁ・・・で、テレビの日曜洋画劇場で放送されたのは多分小学校5〜6年生の頃だっただろう。
映画なんて興味無かったけど、北斗の拳みたいなカラダの男たちが実在してて、熱い戦いをしているその映画に目を奪われた。
我が家にビデオプレーヤーがお目見えしたのは随分と一般家庭にビデオを見る風習が浸透した後のことだったから、もちろんレンタルビデオなんて知らなくて、たとえ知っていたとしても再生する手段がないんだからどうしようもなくて。
ロッキーシリーズは「初代」と「4」は結構テレビに登場するが、「2」「3」「5」はカラッキシ出てこない。
その意味は、学生時代にまとめて借りて来て見たからよく分かった。
単純に面白くないから。こっぴどい目を見てからの大逆転という、チープでありがちで、それでいて世界共通の共感を呼ぶようなカタストロフィーが足りないから。
「5」は中学3年生の時に好きだった女の子と観に行ったけど内容は覚えていなかったから、ビデオで見直したら・・・ortナンジャコリャ。デートで見る映画じゃねぇヨ・・・
とにかく、ロッキー4である。
話の内容自体がパーフェクトに少年ジャンプ的なので当時の空気で育って来た私としては文句のつけようなど一切無いのだが、それ以上に男としてシビレるのは、特訓シーンだ。
初代ロッキーが肉屋の冷蔵庫で吊るされた肉をぶっ叩いたり、フィラデルフィア美術館前庭の階段をダッシュで上るシーンなどはロッキーを好きじゃなくても、一度見ていたら言われれば絶対に思い出すほど鮮烈なシーンだ。
またもや余談だが、「ロッキー・ザ・ファイナル」のエンドロールの映像では何組もの観光客たちが、フィラデルフィア美術館の階段を駆け上ってロッキーのポーズで記念撮影している映像が流れる。きっと今日もまた絶対に5組以上の観光客があの階段を駆け上ることだろう。それほどのインパクトだ。ローマの休日の「真実の口」と同等、それ以上かもしれない。
で、ロッキー4である。
ソ連の当時のスポーツ科学の最先端の設備で人間の限界を超えたトレーニングを続けるドラコ。これを見ると、ロシアのオリンピック選手達の平均年齢が30代だという意味が分かる。おそろしや。
いやぁ、このドルフ・ラングレンがまたカッコイイんだわ。まさにハイパー・バトル・サイボーグだから。
スポーツにおいても科学分野においてもソ連のアメリカに対する優位性を主張し、証明するためにボクシングに文字通り殴り込みをかけるあたりが素晴らしい。
結果としてドラコに殴り殺されてしまうことになるロッキーのライバル・アポロの入場シーンのジェームズ・ブラウンがまたイケてる。一番良かった頃のアメリカがそこに凝縮されている。
ロッキーは金持ちになって妙ちくりんなロボットを息子にプレゼントしてしまうほど幸せな暮らしをしてるのに、アポロが無残にマットに沈んでしまったのを見て血の滾りを抑えられなくなる。男くせぇ〜!こ・の・血・の・滾・り・こ・そ・が・ロッキーの醍醐味なんだァァァ!!!
これが今の風潮だったらアポロが沈んだ時、駆け込んだリングで涙を流しながら得体の知れない特殊拳法とかCGとかワイヤーアクションとかでドラコをやっつけて終わりみたいな話になってしまうだろう。
私は、なんだかそういうものがしっくり来ないのだ。
普通の人間が出せる能力には限界が設定されていて、しかも、肉体的限界ばかりではなくて心理的限界というものがあると思う。最初、ほとんどの人の心理的限界は限りなく低く設定されていて、誰かと一緒になって心理的限界を超えた時には快哉を叫ぶほどの快感が待っている。やがて肉体的限界に近づいてくると意識は遠のくのだが、何度も何度もトレーニングを繰り返すと肉体的限界のキャパは広がるし、心理的限界の壁は突破して行けるようになる。とにかく、時間は掛かるものだ。
そういうのをぶっ飛ばして、誰でも追い込まれれば簡単にスーパーサイヤ人にでもなれるかのような錯覚は好きではない。孫悟空だって、特訓に特訓を重ねて界王拳を身につけたり、さらに瀕死に瀕死を重ね、死んで生き返ってスーパーサイヤ人になれてるんだ。
だから、もっと頑張らなきゃ・・・って、一体どこまで話が逸れて行くんだぁぁぁ
ロッキー4なのである。
ドラコが圧倒的な破壊力で衆人環視の中で好敵手アポロを殴り殺したのをリングサイドで見ていたロッキー。血生臭い。
本人を含む、ロッキーサイドの全ての人々がドラコとの戦いは危険すぎると負け犬ムードになる。そう。この葛藤が人間くさい。
結局、血の滾りに押し切られるあたりが男くさい。
そして、汗くさい特訓が始まる!
「くさい映画」なのだ。ニオイがある映画。だからシビレる。だから共感できる。
現代は、ニオイを忌避する風潮がある。なんでもかんでも消してしまえ!ニオイなんて全て悪だ!というほどに忌避しまくりで。ところが、ニオイのしない生活なんてあり得ない。ニオイのしない人間なんていない。くさいことがどれだけ大事な事なのかを思い知らせてくれる映画だ。
雪深い山奥の山小屋に篭って、積雪の中をものすごい速さで走りこんでドラコ側の偵察の車をまいてみたり山小屋のロフトから上半身だけを乗り出して腹筋してみたり、そこに手を掛けて懸垂してみたり、マキを割ったり、丸太で作った道具でスクワットみたいなのをやったり。今の私の知識と経験で言えば「そのトレーニングでそのカラダはできねぇだろ?ボクシング強くなれんの?」となるが、そんなことは二の次だ!勢いは説得力を生む!説得力は迫力だ!!迫力は満点だ!!!
そのシーンと対比するように、ドラコが当時の最新技術でトレーニングする風景が割り込んできたりして、とにかく燃える。
雪山を登りきって 「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」 とロッキーが叫ぶ頃には世界中の全ての男子は完全にロッキーと一体化を果たしているのだ。
中学生の頃、真似して雪山を走った。
ズボッと足が埋まって、強引に次の一歩を踏み出そうとしたら埋まった長靴が抜けなくて、しかも靴下は長靴の中で脱げてしまっていて裸足で次の一歩が雪に埋もれたという輝かしい記憶がある。
情けない格好で、長靴を掘り起こして冷たい足で鼻水たらしながら帰ったっけなぁ。
当時の我が家の物置の二階がロフトみたくなってたから、懸垂しようとしたら木がトゲだらけでエライ目にあったどころか、普通の懸垂も10回もできないくせに自分の体重を手で支えきれるはずもなくてあえなく尻から落ちてダブルで酷い目にあったという痛みも。
スキー授業でリフトで山の天辺に行った時には吹雪の中で友達と叫びましたけどね。
「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」その後、プルークボーゲン(へっぴり腰でハの字滑り)でおっかなびっくりコースを滑ったり。
激しい特訓の末に今の私に辿り着いているんだなぁ。感慨深い。
その根底にはやっぱりロッキー4が絶対根深くある。
スクールウォーズと同じくらい、私の起源だ。
そうして全世界の男子と一体化を果たした野生主義者ロッキーが、科学至上主義の権化ドラコと壮絶な血と汗の集大成ともいえるボクシングを展開するロッキー4。
そんな素敵なロッキー4。
あなたも私もロッキー4。
さあ、今週の週末にはロッキー4を、もういちど。そして、熱き魂を揺さぶりおこせ!全国の男子たちよ!!世界不況になんか負けるなぁ!
「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」
多分、小学生の頃か?
ボクシングは父親が見ていたテレビでやってるタイトルマッチくらいは一緒に見ていただろうけれど、本当に観るようになったのは多分あの試合がキッカケだったに違いない。
思い出した。
あれは当時冷戦中だった、アメリカとソ連の代理戦争としての映画の中ボクシングの試合「ロッキーvsドラコ」だった。後から知ったがそれは「ロッキー4 炎の友情」
![]() | ロッキー4 DTSエディション (2007/04/06) シルベスター・スタローンドルフ・ラングレン 商品詳細を見る 戦いを終えたロッキーが観衆に語りかけるセリフは、いつの時代どこの国にでも共通の真理だ!肉体ひとつで戦い抜いた者だからこそ染み渡るようなこのセリフが生きてくる! |
おそらく、この作品が後のクリエイターに与えた影響は著しいと思う。
この作品に描かれている戦いのインパクトは、ビデオゲームの格闘ゲームに辿り着いただろうし、また、ボクシングらしからぬボクシングのシーンはやがてK−1とかで現実化されて行っているような気がする。
ロッキーがロッキーらしさを取り戻したと評価された作品だったらしい。
ロッキー4が1985年の作品だったことを考えると、当時私は9歳。・・・あれ?この前見た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も1985年だったなぁ・・・で、テレビの日曜洋画劇場で放送されたのは多分小学校5〜6年生の頃だっただろう。
映画なんて興味無かったけど、北斗の拳みたいなカラダの男たちが実在してて、熱い戦いをしているその映画に目を奪われた。
我が家にビデオプレーヤーがお目見えしたのは随分と一般家庭にビデオを見る風習が浸透した後のことだったから、もちろんレンタルビデオなんて知らなくて、たとえ知っていたとしても再生する手段がないんだからどうしようもなくて。
ロッキーシリーズは「初代」と「4」は結構テレビに登場するが、「2」「3」「5」はカラッキシ出てこない。
その意味は、学生時代にまとめて借りて来て見たからよく分かった。
単純に面白くないから。こっぴどい目を見てからの大逆転という、チープでありがちで、それでいて世界共通の共感を呼ぶようなカタストロフィーが足りないから。
「5」は中学3年生の時に好きだった女の子と観に行ったけど内容は覚えていなかったから、ビデオで見直したら・・・ortナンジャコリャ。デートで見る映画じゃねぇヨ・・・
とにかく、ロッキー4である。
話の内容自体がパーフェクトに少年ジャンプ的なので当時の空気で育って来た私としては文句のつけようなど一切無いのだが、それ以上に男としてシビレるのは、特訓シーンだ。
初代ロッキーが肉屋の冷蔵庫で吊るされた肉をぶっ叩いたり、フィラデルフィア美術館前庭の階段をダッシュで上るシーンなどはロッキーを好きじゃなくても、一度見ていたら言われれば絶対に思い出すほど鮮烈なシーンだ。
またもや余談だが、「ロッキー・ザ・ファイナル」のエンドロールの映像では何組もの観光客たちが、フィラデルフィア美術館の階段を駆け上ってロッキーのポーズで記念撮影している映像が流れる。きっと今日もまた絶対に5組以上の観光客があの階段を駆け上ることだろう。それほどのインパクトだ。ローマの休日の「真実の口」と同等、それ以上かもしれない。
で、ロッキー4である。
ソ連の当時のスポーツ科学の最先端の設備で人間の限界を超えたトレーニングを続けるドラコ。これを見ると、ロシアのオリンピック選手達の平均年齢が30代だという意味が分かる。おそろしや。
いやぁ、このドルフ・ラングレンがまたカッコイイんだわ。まさにハイパー・バトル・サイボーグだから。
スポーツにおいても科学分野においてもソ連のアメリカに対する優位性を主張し、証明するためにボクシングに文字通り殴り込みをかけるあたりが素晴らしい。
結果としてドラコに殴り殺されてしまうことになるロッキーのライバル・アポロの入場シーンのジェームズ・ブラウンがまたイケてる。一番良かった頃のアメリカがそこに凝縮されている。
ロッキーは金持ちになって妙ちくりんなロボットを息子にプレゼントしてしまうほど幸せな暮らしをしてるのに、アポロが無残にマットに沈んでしまったのを見て血の滾りを抑えられなくなる。男くせぇ〜!こ・の・血・の・滾・り・こ・そ・が・ロッキーの醍醐味なんだァァァ!!!
これが今の風潮だったらアポロが沈んだ時、駆け込んだリングで涙を流しながら得体の知れない特殊拳法とかCGとかワイヤーアクションとかでドラコをやっつけて終わりみたいな話になってしまうだろう。
私は、なんだかそういうものがしっくり来ないのだ。
普通の人間が出せる能力には限界が設定されていて、しかも、肉体的限界ばかりではなくて心理的限界というものがあると思う。最初、ほとんどの人の心理的限界は限りなく低く設定されていて、誰かと一緒になって心理的限界を超えた時には快哉を叫ぶほどの快感が待っている。やがて肉体的限界に近づいてくると意識は遠のくのだが、何度も何度もトレーニングを繰り返すと肉体的限界のキャパは広がるし、心理的限界の壁は突破して行けるようになる。とにかく、時間は掛かるものだ。
そういうのをぶっ飛ばして、誰でも追い込まれれば簡単にスーパーサイヤ人にでもなれるかのような錯覚は好きではない。孫悟空だって、特訓に特訓を重ねて界王拳を身につけたり、さらに瀕死に瀕死を重ね、死んで生き返ってスーパーサイヤ人になれてるんだ。
だから、もっと頑張らなきゃ・・・って、一体どこまで話が逸れて行くんだぁぁぁ
ロッキー4なのである。
ドラコが圧倒的な破壊力で衆人環視の中で好敵手アポロを殴り殺したのをリングサイドで見ていたロッキー。血生臭い。
本人を含む、ロッキーサイドの全ての人々がドラコとの戦いは危険すぎると負け犬ムードになる。そう。この葛藤が人間くさい。
結局、血の滾りに押し切られるあたりが男くさい。
そして、汗くさい特訓が始まる!
「くさい映画」なのだ。ニオイがある映画。だからシビレる。だから共感できる。
現代は、ニオイを忌避する風潮がある。なんでもかんでも消してしまえ!ニオイなんて全て悪だ!というほどに忌避しまくりで。ところが、ニオイのしない生活なんてあり得ない。ニオイのしない人間なんていない。くさいことがどれだけ大事な事なのかを思い知らせてくれる映画だ。
雪深い山奥の山小屋に篭って、積雪の中をものすごい速さで走りこんでドラコ側の偵察の車をまいてみたり山小屋のロフトから上半身だけを乗り出して腹筋してみたり、そこに手を掛けて懸垂してみたり、マキを割ったり、丸太で作った道具でスクワットみたいなのをやったり。今の私の知識と経験で言えば「そのトレーニングでそのカラダはできねぇだろ?ボクシング強くなれんの?」となるが、そんなことは二の次だ!勢いは説得力を生む!説得力は迫力だ!!迫力は満点だ!!!
そのシーンと対比するように、ドラコが当時の最新技術でトレーニングする風景が割り込んできたりして、とにかく燃える。
雪山を登りきって 「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」 とロッキーが叫ぶ頃には世界中の全ての男子は完全にロッキーと一体化を果たしているのだ。
中学生の頃、真似して雪山を走った。
ズボッと足が埋まって、強引に次の一歩を踏み出そうとしたら埋まった長靴が抜けなくて、しかも靴下は長靴の中で脱げてしまっていて裸足で次の一歩が雪に埋もれたという輝かしい記憶がある。
情けない格好で、長靴を掘り起こして冷たい足で鼻水たらしながら帰ったっけなぁ。
当時の我が家の物置の二階がロフトみたくなってたから、懸垂しようとしたら木がトゲだらけでエライ目にあったどころか、普通の懸垂も10回もできないくせに自分の体重を手で支えきれるはずもなくてあえなく尻から落ちてダブルで酷い目にあったという痛みも。
スキー授業でリフトで山の天辺に行った時には吹雪の中で友達と叫びましたけどね。
「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」その後、プルークボーゲン(へっぴり腰でハの字滑り)でおっかなびっくりコースを滑ったり。
激しい特訓の末に今の私に辿り着いているんだなぁ。感慨深い。
その根底にはやっぱりロッキー4が絶対根深くある。
スクールウォーズと同じくらい、私の起源だ。
そうして全世界の男子と一体化を果たした野生主義者ロッキーが、科学至上主義の権化ドラコと壮絶な血と汗の集大成ともいえるボクシングを展開するロッキー4。
そんな素敵なロッキー4。
あなたも私もロッキー4。
さあ、今週の週末にはロッキー4を、もういちど。そして、熱き魂を揺さぶりおこせ!全国の男子たちよ!!世界不況になんか負けるなぁ!
「ドラコォォォォォォォォヲヲヲヲヲ!!!」
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