フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2007/10/17 Wed  06:27:23» E d i t
 » まとまらない考え 
 「死なない覚悟は・・・おありですか」(ONE PIECE 23巻より)
 
 王国乗っ取りの陰謀の真相と首謀者を探る為に、手掛かりとなる犯罪組織に潜入する王女に侍従頭が言うセリフが上のセリフである。
 
 「死なない覚悟。」

 ふと、考える。
 3ヶ月前に私は右手の薬指のツメをぶつけてその部分を剥がざるを得ない状況になり、身体の数%にしか満たないその部分が不具合になったというだけで、かなり生活に支障をきたした。
 薬指一本それもツメが剥がれただけで「できない事」を探している自分がそこにいた。

 それと同時に、五体満足であることのありがたみも実感した。

 ツメはやがて再生し、いびつな形がツメの先の方に残ってはいるものの、あと数週間で元通りの姿になり、ツメの剥がれた後の沁みる痛みも、その部位が何かに接触するたびに顔をしかめていた都合の悪さも忘れてしまうだろう。

 先日、レンゲ姐さんのブログで両腕を失ってから画家になった人の話題(→「R」 あ~る指定。「大野勝彦という生き方」)を読んだ。
 全ての事を受け入れて前向きに対処して行く生き方になる前に、人間はその運命の全てを受け入れるために絶望をするはずなのだ。

 今、私が両腕・・・いや、片腕でも・・・を失った・・・失わないまでも固定必須の怪我などした場合に考えられる不都合は衣食住はもちろん、様々な面で計り知れない。

 例えば、このブログ。
 両手が揃って初めて、スムーズに文章を書くことができる。
 私の場合は、書くリズムのようなものがあって、これが片手だったとしたら考えていることを文章に書き残す前に頭の中から文章が消えてしまうだろう。短くて抽象的な文章ならば大丈夫だが、ウダウダと何の得にもならないような屁理屈をこねている今回の記事みたいな文章は書きにくくなるだろうなぁ。

 それを想像するだけでも「やりたいのにできなくなること・やりにくくなること」がひとつ増える。 
 誰もが「今までできていたのに、できなくなる事」を数えて、その数が圧倒的になると絶望するはずなのだ。ともすると絶望に沈んだままの人だって数え切れないほどいるだろう。ともすると自分の境遇を呪い、ひねくれてしまう人も数多いるだろう。

 全てを受け入れて前向きに対処して生きて行く生き方 なんて、そうそう滅多なことじゃ辿りつけない。

 長い時間を掛けて作り上げて来たものが多ければ多い人ほど、今までどおりの生活が送れない上に、それまでの長い苦難を乗り越えた末に手に入れた僅かな甘美な時間と引き換えに自分に訪れた激痛やいつ果てるとも知れぬ暗黒の不安感の中で「いっそ死んじまった方がマシだ」との思いを深めるだろう。

 それでも全ての未来が閉ざされたわけではない。
 行きたかった、あるいは行けるはずだった方向に行きにくくなってしまった ということなのだ。
 
 いずれにしても、人は生きていかなくてはいけない。
 そして、人生は続いて行く。

 ・・・

 「ハラキリ」をもって償いを果たすとする無責任思想が美徳として語られるこの国に於いて、「死なない覚悟」を考えたことさえ無かった。栄光の時期を経てその後「醜態(と誰かが呼ぶような生き方)」を晒しながら生きながらえて天寿を全うした歴史上の人物を、多くの人たちは崇拝しないし、物語にさえならない。それどころか小バカにしたような鼻で笑うような扱いさえする。でも、最後まで信念を持って何かを求めて生き続けたその生き様こそが真に美しいものなのではないだろうか。

 私自身、挫折を味わい、未来が見えなかった夜「このまま死んじまいたい」と思ったことはあったし、そこまで落ちたから逆に見えたものがあった。
 人生は続いて行く。
 境遇はどうあれ、自分には自分の意思で動かせる手足がある。見える目がある、聞こえる耳がある、嗅げる鼻がある、まだ生きている。
  

 人間の身体は壊れやすい。でも、なかなか死なないようにできている。
 事故・怪我・病気・・・私たちはいつそういうものに遭遇するか分からない中で生きている。だからと言って、それを恐れて何もしないというのは本末転倒も甚だしい。

 だから今、自分に残っているもので出来る時に出来ることをやって行けば良いし、逆に言えばそれが生きているということの真髄だと思う。それしか考えつかない。誰かに美しいと評価されなくとも、自分が信じた道を行く姿は自分で死ぬ間際に自分を省みたときに輝きを放つだろう。

 もちろん、私自身そんなモチベーションがいつでも継続してるワケじゃなくてこんな小難しくてまとまりもしないような頭の中の錯綜は次の朝にはもう忘れて、今日一日ぶんの宿題を前に逃げ出したい気分になったりもするのだが。 

 「死んでしまいたい」のに「死ねない」ことは多くても、何らかのハンディを負いながらの「死なない覚悟」=「生き抜く覚悟」には信念が必要だと思う。

 その柱となる信念とは一体何なのか?

 生きる ということの核心はそこに集約されているはずだ。きっと。
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コメント
この記事へのコメント
あいかわらずまとまらない考え
 「道端で乞食が倒れていた。何も食べることができなかった苦しみを先生も知っている。」
 「一緒に走って逃げていた列の同級生が機銃掃射で打ち抜かれて、あらぬ方向に5メートルほど走って倒れてそのまま死んだ」
 「焼けて死んだ人たちの死体の転がる中を泣きながら歩いた」
 「背中から腹にかけて銃弾の抜けた跡がある」

 以上、小学2年生の時の担任の先生が話してくれた幼児体験。
 「そうして、生きたいのに生きられない人たちを先生はたくさん見てきた。だから、先生は一生懸命に生きようと思ったし、お前らにも一生懸命に生きて欲しい」というようなことを言ったのだと思う。
 なにしろ小学2年生相手にそんなこと話しても、覚えていろという方が難しいのだけれど、あの時教室で話を聞いていた三十何人かの児童のうちの一人でもこうして今、その話を思い出してこうして誰かに(又聞きだとしても)伝えようとしている。
 
 先生のような究極の体験ではないにせよ、生の対極にある「死」を目の当たりにする機会は減ったことで生命の尊さを実感するために必要不可欠な「死」という要素を考慮に入れず、、輝ける「若さ」の対極としての「老い」を不自然に遠ざけ、あるいは「希望」の対極にある「絶望」というものから目をそむけることが人生を楽しく生きるコツだという考え方を紹介するメディアが増えているような気がする。生きてるうちが全てだから、気楽にやりましょうや!みたいな。
 プラスマイナスのその全ての要素が本来ならば自分の回りを取り囲んでいて、周りを見渡せば該当する誰かがそこにいるはずなのに、なぜかテレビの言うことや本に書いてることを探してしまう。それを「正解」に感じてしまう。もしかしたら、私も誰かが発信する「正解」を求めてしまっているのかもしれない。
 そして、その「まやかし」がどうやら現代人を不安にさせている原因であるらしいことに何となく私は気付いたらしい。逃げようとも隠そうとも、目を背けようとも、現実は現実としてそこにある。なのにそれに向き合わないから不安が蔓延する。
 テレビが言っていることや、新聞・雑誌に書いてあることが「全ての人にとって真実」だと思い込まされているから、不安の根源に気付けない。

 私は、様々な運命を受け入れる覚悟なんてできてませんし、また、できません。したくもありません。
 なりたいようになれるように、なりたくないようにならないように生きてます。
 今あるものに執着してます。これからやりたいと思っている事に情熱燃やしてます。積み上げてきたものに誇りを持ってます。
 
 だから、それを失ったら絶望するでしょう。
 それでも生きるでしょう。そこに大袈裟な「覚悟」だとか「決意」はなくとも。カッコつけなくても。カッコ悪くても。
 
 自分でもこうやってああでもない、こうでもないって考えるのが「面倒臭い人間だなぁ・・・」って思います。
 万人に通じるような結論なんて出ないでしょう。どっか適当なところで自分に折り合いつけて、自分で納得したところが自分の答えであり、私は、それで良いと思ってます。

 カッコ悪いの分かってるから、カッコつけて生きたい。そういうのかもしれないです。
2007/10/22 Mon 06:41:20
URL | フクフク丸:to レンゲ姐 様 #oKAhFFW. Edit 
生きぬく覚悟
大野氏の記事、ご紹介ありがとうございます。
覚悟。「失敗したら死ぬ覚悟で」とか言いますけど、「死ぬ覚悟」よりも「死なない覚悟」、さらに「生きぬく覚悟」が大切なのだと思います。
自分を含めてですが、本気で「生きぬく覚悟」を持って生きている人間がどれくらいいるんだろう。
全てのことを受け入れそこに感謝できる要素を見出していくこと・・・それが出来たら、今後与えられるどんな人生をも、生き抜く覚悟を持って生きられるのでしょうね。
そうした信念がどこから湧いてくるのか。恐らく、何かしらのきっかけで、自分の価値観が大きく揺らいだ時~大野さんの場合なら両腕を失った時~人生に対しての向き合い方は変わるでしょうね。
また私事になりますが、丸ちゃんも既読の「生きがいの創造」などを読みままして、死んだら終わりではないことや、中間生や生まれ変わりの考え方を受け入れていくと、自分で決めて生まれてきた今の命を、きちんと生ききろうという前向きな気持にはなってきますね。
2007/10/20 Sat 10:11:49
URL | レンゲ #CIo.SJik Edit 
おいそがしい所どうもすみませんでしたぁ
 「死なない覚悟」だなんて、そんな大層なことなんて全然考えないですよね。マンガの方では「卑怯」でも「無様」でも「周囲を裏切っても」生き延びる覚悟があるか?という問いかけだったのですが、独立した言葉として頭の中に悶々と残り続けていて、それが今回まとまりもせずにここに出てきたという形です。

 実際は病気や怪我をした時に、周囲の人たちが自分に対していろいろフォローしてくれることに対する“ありがたみと同居する心苦しさ”とか金銭的な部分なども無視して考えるわけにも行きませんし、思い通りに動けなくなって行くであろう自分に対する苛立ちや不安、思考の行き詰まりがあるでしょうし。

 結局は行き詰った末に、辿りつくであろう結論はこれです。
 
 でも、生きてる間は生きてる。
 動ける間は動ける。

 そうやって「残されていること、できること」をひとつずつ見つけて、「あたりまえ」だと思っていたことを見直して、感謝して前向きに暮らしてれば、明日という日が希望と一緒にやってくる文字通りの明るい日になりますよね。
 なにか残したいから、なにか伝えたいから、届けたいからこうして思うことを表現してる私ですし、これからもできることはどんどんやって行くことでそうなれれば良いなと思ってます。  

 ツメは9割まで回復してます。もうあと2週間もすればアルペジオも可能になることでしょうv-221。   
2007/10/18 Thu 06:48:10
URL | フクフク丸:to エレクトラ仁子 様 #oKAhFFW. Edit 
全くその通りです。
人間って勝手なもので、元気な時は病気や怪我の事なんて何にも感じていません。
病気や怪我をして、改めて普通の生活(あたりまえの事) が、どんなにありがたいものかと言う事。

>人間の身体は壊れやすい。でも、なかなか死なないようにできている
その通りです。だから、毎日悔いのない人生を送りたいと思います。

頑張って生きていかなければ。
せっかく、生まれてきたんだものね。
美味しいものを食べて、好きなものを見て、幸せを実感して。

フクフク丸さんのツメは、その後どうですか? 私も小3の頃、指を挟めて見事に剥がれました。でも痛みは、かすかに覚えているものの、不自由さは、全く覚えていません。きっと母が、髪を洗ってくれたり、ご飯を作ってくれていたからですよね。
親に感謝です。
2007/10/17 Wed 11:26:12
URL | 仁子 #- Edit 
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