フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2006/11/25 Sat  05:37:37» E d i t
 » 自信持とうぜ、大人! ① 
 ●まずは、大人になる君達へ

 うんと若い人たちは、大人が言ってることが正しいと思うでしょう。
 
 あるいは大人になりかけの時期には、大人の虚勢と実際の顔の矛盾に気付いて「キタネェ大人になんかなりたかねえ!」と反発することでしょう。

 でもね、いつか気付いて欲しいんですよ。
 大人もみんな、君達と同じ年頃を通過したのだということを。

 少なからず、同じように考えて同じように苦悩したのです。

 大人は「自分の頃とは違う」「なぜそこまで?理解に苦しむ」といつの時代もそう言います。それは時代の流れを 他人事のように傍観 してしまっているから出て来る言葉なのだと思うのです。「キタネェ大人になんかなりたかねぇ!」って思ってたのにね。・・・いつの間にかなってる。
 
 でもね、もう「あの時代」じゃないんですよね。

 その「良かった子供時代」を作ってくれてたのはいつだってその時代の大人たちなのですから。
 今の子供達が「良かった」と思えるような時代を作って行くべき責任は、誰にあるんでしょうかね?
 今の時代の大人たちにあるのではないでしょうかね?

 どこに歪(ゆがみ・ひずみ)が発生して、問題の多発する世の中になったのかの原因・犯人探しもその糾弾も大切なことです。原因を発見しなければ対策も立てられないのですから。

 ただ日本人の特徴として、原因を発見したらそれで納得してしまう部分があって「アイツが犯人だった」「アイツのせいでこんなことに」「責任を取ってもらおう」これで全部が解決すると勘違いしてるフシが見受けられるんですよね。

 すでにこうして流れてきてしまった時代を良いと思われる方向に変えて行くのは、自分たち一人ひとりなのだということに気付いてはいるのかもしれませんけれど、どこかで「時代の流れには勝てない」と、諦めてしまう・・・。

 勝つとか負けるっていう話じゃないのにね。

 まず、結果を求めてしまうんですよね。それも自他共に浸れるほどの理想的な結果を。大きな理想を掲げる割には、そうなるように生きてない。だから 夢 が 夢のまま置き去りにされて行く。

 結果は 目標に向かって進む道の上で、ひとつひとつの小さな継続の過程で獲得して行くもの なのだと思うのです。

 ね?

 大人も迷ってるんですよ。
 時代の流れ= 集団 に流されながらでも、長い物に巻かれながらでもしたたかに、自分に誇りを持って自分の人生に納得しながら生き抜くことがね、理想だけが高すぎる故にヘタクソなんですよね。きっと。 
 
 私もそんな大人の一人ですから、その辺はよく分かる。



 ●自分の経験や感情に嘘をつかないこと

 いじめている側の心情を理解できない大人の皆さん、胸に手を当てて周りを良く見て考えてみてください。
 世の中は 差別 の温床です。
 
 何かを基準(この基準が誰かに決められて、マスコミが煽り立てる平均的な数字による場合が非常に多い)に考えて、敗北感や劣等感を持ったり、より劣っていると感じられる何かとそれよりは幾分マシなところにいる自分とを比較して優越感を感じたりしますものね。

 ああ、私なんてモロありますよ。

 思い出してみりゃ学生時代なんてその真っ只中だった・・・。

 テスト返されて学年の平均点が発表される。
 その平均点から何点マイナスだったら赤点だとか。
 だから、平均点より上だってだけでなんと安堵したことか。隣のヤツの点数と見比べてどれだけホッとしたことか。

 テストという物は、学習の達成・習熟度を測るためのシステムのはずなのに、点数を取る事のみが優先されるし、点数を取れば良いという考え方が教員にも、社会システム自体にも大いに組み込まれていますからね。

 今にして思えば、平均点なんて全然まったくマルッとサラッと関係ない話ですよね。
 だって、平均点が高ければ それだけ教師の教え方が上手かった というだけのことだし、平均点が低ければ 逆に教え方が下手だった という指標になるだけの話ですから。

 自分の理解度を図る上で、平均点との比較なんて全然まったくマルッとサラッと関係ない。

 そんなカラクリに踊らされて、平均点との比較が大好きなまま相変わらずマスコミに上手い事操作されてる気がするんですよね。
 団塊世代~団塊ジュニア世代の人たちって。

 幸福度は自分が感じるものですから誰かとの比較の中で優位になることで幸福感が得られるのであれば、自分が上に行けるように努力すれば良いと思うんですね。
 ところが、自分が上に行くための努力よりも、自分よりも劣っているものを探すため、自分が安心感を得るために自分の優越感をかき立ててくれるような、自分よりも弱っちい存在を見つけることへの努力(これを努力と呼んで良いのか?)の方が先に来てしまってる場合が多いと感じるんですよ。
   
 世の中全体が。
 これって いじめ の元凶だと思うんですね。私は。 
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コメント
この記事へのコメント
絶対価値基準・自分2
 多分、どこかで同じ絶対価値基準・自分というタイトルでコメントしたのをうろ覚えしているのでその2です。
 
>自分自身で”物事の価値”を決められなくなってるんですからね(哀)

 いやあ、これなんですよ。
 すべてはこれなんですね。
 だからもう、右から風吹きゃ左になびき、左から風吹きゃ右になびく。
 いや、もしかしたら世論は全然なびいてないのかもしれません。なびいているように見えるようにマスコミに操作されているだけなのかもしれません。

 またマスコミュニケーション=大衆伝達の話になっちゃいますから、それは割愛しますけれど、おおざっぱな情報の渦の中にあって、どれが真実、どれが嘘なんてのは実は無いのかもしれませんよね。
 
 有象無象の情報の中でどれを真実だと自分が信じるか、信じるに足るだけの根拠がそこにあるか。その根拠を得る手段は一方的な大衆伝達ではなくて双方向的なコミュニケーションの中にこそあるべきだと思うのですね。
 
 誰かとの会話、対話、議論、そういう中でこそ絶対価値基準としての自分が磨かれてくるのだと思っています。 

 お互いに引き出し合う。
 んんん~、まさに人生はプロレスですね。

 現実の世界でそれが希薄になったならネットでも良いですしね。

 自分磨きとは自分の中の価値観を磨くことであり、その真髄はコミュニケーションの中にこそあると思うんですね。
 それに付帯する形で知識の吸収とか情報の収集があるわけで。今は、知識・情報を知ることにのみ、重点が置かれてしまっているから誰かが作った数字に振り回されてしまうのでしょうね。
 
 引き出し合う相手、もっともっと集まったら良いですよね。
 文字数多すぎて、我々だと敬遠されちゃいますかね(笑)?
2006/12/03 Sun 08:44:20
URL | フクフク丸:to 野神氏 #oKAhFFW. Edit 
当たり前田のクラッカーよ!
 私にとって当たり前のことを当たり前に書いてるだけなのに、なんだか真理っぽい。う~ん、教祖向き。そういや、占いの本に適職:宗教家なんて書いてたなあ・・・よっしゃ、ここはひとつ宗教法人立ち上げてガッポガポと・・・うおほん!

 比較するから優越感だったり劣等感だったりを感じるんですよね。
 誰だって持ってるんだからそれを忌み嫌えば自分を嫌いになっちゃうだけだもんね?

 だから、それ自体は乗り越えられぬ人間の本質なのだからそこに対策立てても無駄なんですよね。

 自分の中の差別心をまずちゃんと認めた上で、相手を知ろう・認めようという好奇心や尊敬が必要なのだと私は思うのですね。

 人間の本質自体を捻じ曲げようとするような意見を 理想 だと勘違いするから結局はどこへも進めないまま思考停止するんだと思わない?
 理想は理想で良いんだけど、じゃあ今、こうなってしまってる現実はどうするのさ?こっちの手当てが大事な事なんでないの?ってことですね。ハイ。

 「足は遅いけど、勉強はできる」とか「足も遅いし、勉強もイマイチだけど絵が上手い」とか「何やらせても人並み以下だけどやさしい」とか「集中力がある」とか「良くない結果に挫けないで努力を続けられる」とか、ナンボでも人間の特性で褒めるべきところはあるですよ。

 自分が褒められたらなまらウレシイべ?・・・ってことですよね。じゃあ、他の人のことも褒めたらその人もウレシイんでないの?って単純にそういうことですよね。

 逆にけなされたらどう思う?って。

 単純な仕組みだと思うのですよ。
2006/12/03 Sun 08:25:13
URL | フクフク丸:to めい氏 #oKAhFFW. Edit 
その通り!
自分が”努力”する事より、自分より”劣る人間”を見つけて、そういう人を馬鹿にする事で”憂さ晴らし”をする。それは僕にもありますし、実際今でもやってます(汗) でもね、そこにはちゃんと”ルール”があって、これをやったら洒落にならないようなか弱い人を相手にはやらず、むしろ、こういうことを言われても平然としている人間に対して言うのが”鉄則”ですからね(笑) でも、今の子供達、いや大人達さえもそこら辺の”境界線”がわからなくなっているのでしょう。

そして、何でもかんでも”点数”が付けられ、多くの人達はそれに左右されてしまう。でも、一昔前なら”テレビ視聴率”とか”レコード売上ランキング”なんかを見ても、その”上位”にあるものとその”内容”がほぼ一致していたから納得していた部分は僕にはあったんです。でも、いつしかそれらに”ズレ”が生じてしまいました。そして、僕自身はその”ズレ”に気付いていつしかそういったものを信用しなくなりました。でも、今の多くの人達はそういったものにでも左右されてしまってるのが悲しいんですよね。もはや、自分自身で”物事の価値”を決められなくなってるんですからね(哀)

やはり、あらゆる物事に”基準”があるのだとすれば、まずは”自分”なんですよね。自分の価値観をまず”基準”とすれば、そこに自分なりの”価値観””思考”が生まれます。でも、そればかりを”正当化”してもダメです。周囲と比較しながら自分なりの”軌道修正”をしていけばいいんです。要するに、”平均値”は学校やマスコミが決めるんじゃなくて結局はそれも”自分自身”で決められなければならないのではないでしょうか? それが出来て、初めて”物事の基準”というものが定まると思うんですよ。”何者か”があらかじめ提示した”平均値”なんて所詮は”嘘っぱち”なんです。本来なら”物事の基準”なんて周囲を見渡せば自ずと「これが基準!」というのが自分の頭の中に浮かんだはずなんですけど、今や”メディア”最優先になってしまってるのが非常に悲しい限りです(泣)

とにかく、もはや人間は”原点”に立つべし! 「自分は今○○をしたい!」、「自分には××という考え方がある!」それらを全面的に主張した上で、最終的に周囲との”帳尻合わせ”をしていく事こそ、本来人間が生きるために備わった”人の道”ではないでしょうか。
2006/11/27 Mon 23:24:56
URL | スーパーpsy野神 #- Edit 
いやぁ~、丸さんの最後のコメントには激しく同意見だったので、思わず「シンクロニシティか!?」と思っちゃいました。

彼我との差を求める・・つまり優越感こそが、人間と人間との軋轢を生むものです。人種差別問題も、いじめ問題も、スケールの違いこそあれど、本質は同じなんですね。
僕は、人間である限り、この問題は無くならないんじゃないかなと思っています。だからといって、無視できるわけではなく、「少しくらい劣ってたっていいじゃない」と寛容な心を育む教育と環境を、大人が率先して導いていくことが大事なのではないかなと思います。
人が集まれば「差」が生まれるのは当然で、僕だって回りに比べたら劣っている部分がわんさかあるし・・。
「気にするな」といっても無理なので、「気にしすぎるな!」と言ってやりたいですね。
2006/11/25 Sat 19:39:29
URL | めい #j.d64WD2 Edit 
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