フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
09 « 2017 / 10 » 11
 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15. 16. 17. 18. 19. 20. 21. 22. 23. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.
--/--/-- --  --:--:--» E d i t
 » スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 *  TB: --  *  CM: --

top △ 
2006/11/22 Wed  05:36:15» E d i t
 » 負けんな若者! 2006③ 
●子供の頃、自分の世界は狭かった。

 私が育ってきた環境は、両親と子供達で生活するという典型的な核家族でした。ただ、父親の実家が近所でしたし、母親の実家もさほど離れていなかったので、祖父母との往来は頻繁でした。

 ほとんどの場合、生まれてきて最初にできる世界は「家族」でしょう。
 
 次に両親、祖父母、あるいは親戚などの「縦の繋がり」と彼らの持っている友人や知り合い、近隣の人たちといった彼らの「横の繋がり」の世界へ組み込まれて行きます。
 
 やがて公園で遊ぶようになったり、幼稚園に行く頃には初めて誰かに組み込まれるのではない、自分自身が作り出す「横の繋がり」と呼べるような集団ができます。

 前項でも述べたように、人はその多くの繋がりの中で存在を肯定されたり、ある部分で否定し合ったりしながら自分という存在を確立して行くのだと思います。

 
 さて、私達が子供の頃、自分を取り囲んでいた世界の中に絶対的な自分の味方はどの辺に存在したのでしょうか?
 
 
 いじめられた時、相談できるような相手がどこにいたのでしょう?
 

 私の事を例に挙げるとするならば・・・

 

両親は弟や妹の世話に忙しそうにしてた。
 私は第一子なので、それを見て疎外感を感じていた。

 両親の血縁関係では従兄弟で自分より年上なのは、すべて女の子であり、私は初めての男孫だったので、必要以上に男女の差異を意識せざるを得ないような育ち方をした。ここでも疎外感を感じていた。

 両親も親戚もそんなつもりじゃないのは分かっている。
 自分が親になれば、そういうのも分かる。
 とはいえ、私は今にして思えば 疎外感 を感じてしまっていたのだ。これは事実なのだから仕方が無い。

 自分の目線まで降りてきて、その疎外感を共有してくれる大人が一人だけいた。私は、きっとその人に憧れて、その人のようになりたかった。
 滅多に会えない 東京のオジサン は幼少期の私にとっての ウルトラマン だった。
 
 でも、東京のオジサン への連絡手段なんて電話くらいしか無かったもの。しかも、通話料はバカみたいに高かった時代ですし、子供がおいそれと電話を使うような時代じゃなかったし。
 私の心が目指すべき方向を 東京のオジサン は示してくれたけれど、物理的距離からいって実生活に於いて緊急時に自分を助けてくれる存在とは言えなかった。

 
 
 大人の方ではきっといつでも「子供のための出撃準備」は整っているのだと思うのです。けれど、子供がそれに気付けずにいることが多いような気がするんですね。あるいは私みたいに 疎外感 ゆえに(完全にではないにせよ)周囲にに対して心を閉ざしてしまっている場合もある。

 「自分の殻に閉じこもってないで、オジサンに話してごらん」
 こんなこと言われても、他人においそれと話なんてできない子供でしたから。私は。多分、担任の先生に対してでも無理でした。
 
 「君はそう言うけれど、○×君はこう言っていたよ。××ちゃんに聞いてもこうだった。だから、君が言っていることは嘘だろう(完全否定)?」

 それを自分自身が言われた当事者でないにしろ、そういう会話を担任の先生が口にするところを目の当たりにしてしまったんですね。小学校3年生の頃。
 たとえそれが 大人側の正論 であったとしても、子供はほとんどの大人を信用しなくなります。
 だって、狭い世界にあっては 担任の先生 = 両親以外の大多数の大人代表 なのですから。
 

 「ああ、この人には何を言ってもダメだ。○×君と××ちゃんが可愛いだけなんだ」って、すぐ分かっちゃう。

 普段は良いこと言ってても、なんだ結局ソレかよ・・・ってね。
  




 例えば、現代なら「いじめ電話相談」みたいなのも「ネット相談」みたいなのもあるのでしょうけれど、アレは良いですよね。子供も大人もそうなのですけれど、本当は 裁きや対策を求めてるのではなく、自分の訴状を誰かに聞いて欲しい のですから。自分を肯定して欲しいのですから。
 であれば、相談員さんは自分の身の回りのややこしい人間関係を見ずに、自分の目線で考えてくれるのでありがたい存在ですよね。
 間違っても 「○×君はこう言っていたよ。××ちゃんに聞いてもこうだった。だから、君が言っていることは嘘だろう?」 なんて事は言わないし。
 聞いてもらえるだけで一安心する。
 その上で、誰かが一緒になって考えてくれるという安堵感だけで、新しい解決の道が自分で拓けたりする場合もありますものね。
 

 ただ・・・大人からの子供に対するそういった呼びかけはどこまで届いているのでしょうか?


 大人は新聞を読んだりニュースを見たりする中で、そういう情報をキャッチできる確率が高いですけど、いじめが問題となっている年頃の子供たちがそういうことをするでしょうか?
 私は、僭越ながら新聞と言うものに目を通す事を覚え始めたのは、高校生の頃ですけど?しかもスポーツ新聞のプロレス・芸能欄・・・もちろんネットなんてありませんでしたしね。


 それでも、手を差し伸べ続けるべきでしょう。
 それで救える命が、確実に、ある。


 ・・・ひとつの命を救うのは 無限の未来を救うこと・・・

 (え?はい。↑救急戦隊ゴーゴーファイブですよ。)

 
  私は いじめは絶対になくならない と前項で断言しました。


 では、なくならないのであれば具体的にせめて自分の身の回りの子供達を いじめ自殺 などの最悪のケースから遠ざけるために何が必要なのかを探っていきたいと思います。

 情熱を誰かに届ける方法は、きっとある。
 

   



 私は、こんな目立たない場所にこうしてゴチャゴチャと書いているだけだけど、きっといつか誰かに届く って信じてる。

 今、若い君達は、何かの検索結果やこの表題を目にしてこの文章を読んでくれたのかもしれない。
 途中まで読んで寝てしまった人もいるだろう。

 読んでみたら、あまりにも周りの大人が言っていることと食い違っていたり、普通の大人が言葉にして出さないようなことが書いてあって、嫌悪感を感じたりもするだろう。
 また、自分が漠然と思っていることが言葉になっていて、物事を考えるきっかけになるかもしれない。

 その嫌悪感や親近感とともに、ここのこの文章を覚えていて欲しいんだ。
 
 いつか守りたい人ができた時、本気で自分を見つめなおそうと思った時、もう一度この文章を思い出して、読んでみてくれたら嬉しいよ。

 私は、現在の君達はもちろん、未来の君達に向けてもこの文章を書いているよ。
 だから、負けんな!若者。

 いつか、その時にでもコメントでも残して行ってね。

 まだまだ続く(かも知れない・・・笑)。
スポンサーサイト

テーマ:大丈夫だから♪ - ジャンル:心と身体

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://happy2you.blog6.fc2.com/tb.php/491-5791d077
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。