フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2006/11/18 Sat  07:00:03» E d i t
 » 負けんな若者!2006② 
●人間は変わって行く。可能性の塊
 
 社会はいろんな人がいて成り立っています。
 誰しもが「ここが好きだ」「居心地良い」と思える場所で過ごせるわけではありません。
 学校もまた、社会の縮図です。

 私がこれまで生きてきて分かった事を先に書きます。

 大人であろうと、子供であろうと、いじめは無くなりません。
 
 これはもう、絶対的な真実です。
 自分がいて、他人がいる。私はアナタではない。
 私とアナタは違う。
 その差異をどうやって受け取るか・・・なのですよ。

 
 自分より凄い能力を持っている人・何かを成し遂げた人を羨ましく思う。
 そういう人に抱く感情は「憧憬(あこがれ)」もしくは「嫉妬(やきもち)」でしょう。

 一方で、自分よりも劣っている人を疎ましく思う。
 そういう人に抱く感情は「侮蔑(さげすみ)」もしくは「憐れみ(同情)」だと思います。


 自分が中心にいて、それを主軸として比較すべき他人がいる。
 若い頃の自分が何かに直面した時にどう感じ、何を思い、どうやって考えたのかを、年を経るごとに人は忘れていってしまうのです。

 マイナスの感情とされる自分の中のそれらの心の動きを認めて、始めて、そこから生まれてくる 尊敬 や 愛情 を享受できるのだと言う事も先に書いておきます。 


 
 例え話をします。

 自分がそれなりに勉強ができて、周囲の信頼を集めるような立場だったところに、ぶっちぎりで勉強ができて、スポーツ万能で、ルックスもイケメンな転校生が突如として現れ、周囲の視線もそっちに行ってしまう。
  「うお、コイツ、なまらスゲェ」(あこがれ)とか思いながらも「周りの奴ら、アイツを持ち上げやがって・・・面白くねえ」(やきもち)とか一方で思っている。

 ああ、私の経験ですとも。

 例えば、自分が体がそこそこ大きくて何となく社会人のラグビーでもレギュラーを取れる程度の能力を持ってて、たまたま合同練習に行った先の高校生を見て「ああ、残念だけどコイツは線も細いし怪我が多くて、さらに下手で全然ダメだな」(さげすみ)と思ってて、練習の度に怪我しちゃってて「可哀想だな。もうやめたら良いのに」(同情)とか思ってた。口に出して言わないけど、態度には出てしまってたと思う。

 ええ、私の経験ですとも。

 嫉妬するくらい憧れる人間とは、お互いの折り合いが付けば親友になる。友人を友人たらしめている根拠は、私は相互間の「尊敬」だと思っています。私と彼は考え方の方向性が似通っていたんです。嫉妬を超えて、話をしてみると、同じように悩んで、同じように感じていることに気付いたんですね。
 かくして、前者の“転校生”とは今でも親友です。

 一方、ラグビーの彼は・・・
 当時の私たちの彼に対する「腫れ物に触るような接し方」が悔しかったらしいですね。自分の好きなことをやっているのに、思うようにできない歯痒さをいつも感じていて、それを未来の自分への糧にしたんです。
 今や、私が所属してるチームなど眼中に入らないような強い社会人チームのキャプテンを立派に勤め上げています。
 
 今や、彼は私の憧れの対象ですから。 


 人間は誰でも自己中心主義には違いないのです。

 今は自分には手の届かない対象でも、10年後にはそこを超えられるかもしれない。今は明らかに自分より劣っているアイツも何年間か頑張り続ければ、自分を超えてしまうかもしれない。

 人間は可能性の塊なのです。

 そういうことに気付けない。
 気付けなかった時代が私にもある。
 そういう中で悩んできたから、この年になってこんなことを書けるようになったんです。



 ●自分の存在すら見失う時

 誰しもが、自分の存在を肯定して欲しいと願っています。
 それは本能と言えるのかもしれません。

 小さな子供を見てるとよく分かります。
 「おと~さん、コレ、見てー」
 「おか~さん、あのねー・・・」
 自分のやっていること、自分が思っていること、それを表現したい。
 そして、それに評価が欲しい。できれば褒めて欲しい。
 自分を確認するために。自分を肯定されるために。

 (それが長じて、私もここでこうして意見を述べているのですが)
 

 それも、大変厄介な事にそこに自分のほかに100人の人がいたとして「自分を肯定して欲しいたった1人」に肯定してもらわなければ、「残りの99人全員」が自分を肯定してくれていても満足できないようにできていると思えます。


 幾分哲学的な言い回しになりますが、自分以外の誰かに自分の存在を容認してもらってこそ 間柄的存在 としての自分の存在であることは真理なのですが、その自分の存在を自分自身が肯定できなければいつまでたっても迷路の中で迷い続けなければならないのだと思うのですよ。

 とはいえ、自分自身を見つめるだけの自我が発達していない時期の子供達にそれを言うのは酷であろうと思えます。いろんなことを経て、自分が自分自身を肯定して行けるようになるのが理想ではあるのですが、誰もがそこに至れるわけではないでしょう。


 
 う~ん。 自分で読んでても分かりにくい・・・

 例えば、こういうことです。学校時代にありがちな話で考えてみましょう。

 自分とすごく気の合う仲間達がいて、その仲間達がいるから自分は他のどんなことにも耐えていける。(自分という存在の肯定)(相手という存在の肯定
 
 でも、ある時何かがキッカケでケンカして収集がつかなくなって、その仲間と離れなければならなくなってしまう。(孤独・孤立

 場合によっては、自分以外の仲間が結託して自分を徹底的に無視しようとするかもしれない。(存在の黙殺=無視

 あるいは、相容れない考え方の排除対象として何らかの攻撃をしかけてくるかもしれない。(存在の否定=いじめ



 程度の大小はあっても、こういうことはきっと誰もが子供の頃から何度か経験してきたことでしょう。集団側、孤立側、どちらの経験も私もしてきました。

 ぶっちゃけ、クラスの大半が自分にとっては どうでもいい ただのクラスメート みたいな感じなのでそういうヤツらが何を言っていても大して気にもならないのですけど、自分にとって「心の拠り所」ともいえるような かけがえのない仲間 だと思っていたヤツらにそれをされると、一気に自分の居場所が無くなったように感じます。

 それまでの 自分の人生=過去 を全否定された上に、これからその人生の延長線上にあると思い込んでいた 昨日によく似たそれなりに過ごしやすい今日 が唐突に終わりを告げるのですから。

 
 誰も味方がいない。
 ひとりぼっち。
 学校という限られた世界の中、その年頃の子供達に「もっと周りを見なさい」と言ったところで、一体彼らがどれだけのことができるというのか。

 ここに分かれ道ができるんだと思います。

 ・集団に属していたいがために、相手におもねる。
 ・誰にも迷惑を掛けたくないから自分ひとりで抱え込む。
 ・親や教師、あるいは兄弟、べつの友達など、誰かに相談してみる。

 
   

 今、ことさらに問題になっている いじめ自殺問題 ですが、こんな風に言葉にして整理しなくても子供は本能的にこういうことを知っています。
 そんなことを誰も教えていなくても、集団で生活していれば能力の差異が見えてきて、いろんな感情が沸きあがってくるのは当然なのです。それが全て良い感情であろうはずもない。

 まだ、自我が確立しきっていない段階で、自分の存在肯定を他人との関係性にのみ依存しなければならない時期に、他人から存在を黙殺されること、否定される事の痛みは計り知れなかった。

 自分の存在を見失う時。
 子供にとってそれは、自分を肯定してくれる人が皆無のとき。
 皆無だと思い込んでしまうとき。


 子供の頃、自分の世界は・・・狭かった。



 我が家のパソコンは ワイヤレス接続 だったりなんかするのですが、これがまた調子悪く、繋がったり切断されたり、かと思ったらまた繋がったりと、実にきまぐれオレンジ☆ロードだったりします。
 
 あ、鮎川~!! ひ、ひかるちゃぁぁぁん!!

 え?私ですか?
 双子の妹、春日まなみ 萌えですけど。

 あれ?いや、そういう話じゃなくて・・・まあそんなことで、このお話は続きます。
 いや、 きまぐれオレンジ☆ロード じゃなくて、「負けんな若者!2006」が続くってことですよ~
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コメント
この記事へのコメント
存在の肯定
 いじめられてる子供達って、必死で隠そうとするんですよね。親に迷惑を掛けたらいけないと思って。

 多分、そこまでの段階で両親も直接は言わなくても 「オマエの面倒事を俺達にまで背負わせるな!」 というメッセージを無意識のうちに子供達に伝えちゃってると思うんですよね。

 本当は家族の安寧のために働いて給料貰ってるハズなのに、いつの間にか (それこそマスコミが煽り立てるような都会的な)ある程度の生活レベル にしがみつく為に働いている状況になってしまって、家族を振り返る余裕もなかったりするんじゃないでしょうかね?

 あるいは一部の親は、家族で一緒に何かをして感動を分け合おうとするよりも、自分だけの快楽を追及する方向に流されていたりしますよね。きっと。
 それに伴う生活的な苦労は家族に背負わせるくせに、快楽は独り占めしようとしたり。
 
 何かに金をかけるとか、どこかに行くとかそういうことばかりじゃなくて、妻(夫)や子供とゆっくり話をするとか、一緒にご飯を食べるとか、楽しい時間の共有が無ければ、子供だって大人を信用しなくなっちゃう。

 以前書いた 自由と自律http://happy2you.blog6.fc2.com/blog-entry-34.html というテーマの時に掘り下げたのでその辺は詳述しませんけれども、そういう親もいるということですよね。

 子育てに自信が無いなら、子供なんて産むな! みたいな極論は私は大嫌いなんです。

 それを言うのは、たまたま偶然健康で性格の穏やかな子供が生まれて育った家庭の親か、あるいは子育ての経験の無い人だろうと思います。

 子育て真っ最中には、いろんなことが起こります。全く物事の分からないところから人間をひとり、育てて行くことは予期せぬ事だらけですから、イヤになる事もあります。
 自分の思いどおりにならなくて、イラつく事も多々あります。
 相手は何をしてくるのか予想不可能なのですから。

 そんな中で、自分の人生 と 子育て を天秤に載せてしまうような考え方をする親も出て来るという事実を見逃してはいけないと思うのです。
 
 自己実現という言葉の「自己」の中に、自分の守るべき存在が内包されていないという事が実にむなしいことだと思うのです。

 どこまでが 自己 なのかという問題にもなっていくのですけれど、自分が関わり合えて何かを変えて行けそうな範囲を「自己」として、それを思うべき明るい未来に導く道こそが自己実現であり、その道を歩み続けることこそが実は最高の自己実現であり、そこにしか 自信 は存在していないような気がするのです。
 
 私は、親や教師達、大人たち自身にも欠点ばかりではなくて、長所がたくさんあることに気付いて欲しい。そして、それに自信を持って欲しいと思うのです。

 そう思えない世の中だから、いつまでも年寄りが幅を利かせ続けるんですよね。
 
 頑張れ若者!って書いてきましたけれど、もちろん、自分たちやその上の世代も意識して書いてます。

 あれ?論点がズレまくりですみません。
 片目が ものもらい の為、眼帯しているもので、焦点がズレてしまうのです・・・とか言い訳しておきま~す(笑)
2006/11/26 Sun 09:33:02
URL | フクフク丸: to 野神氏 #nEGNSUhE Edit 
そうですよね~。日々。
 ホント、世界は広いですわ。
 でも、決してそれは 自分の世界が狭い という事とは違うのだと思うのですよ。

 周囲を見渡せば、敵になってる人間もいれば、味方だっていっぱいいる。よく見てみないと気がつかないところで自分を支えてくれている人がたくさんいる。

 自分に繋がってる世界は決して狭い物ではないですよね(笑)?

 そうですね。
 私も、昨今のいろんな話を聞くにつけ 友達には恵まれていたのだと実感してます。
 そうして もらった大切なもの をいかにして自分が 広げて行けるか も友情人情の大切な部分だと思います。

 大切なもの を守るとき、できることなら他のものを傷つけたりせずに守っていけたらいいな って思ってます。

 ま、都合いい話ですけどもね(笑)
 信じて、それに向かってりゃ可能性はゼロじゃないっしょ。
2006/11/26 Sun 07:41:30
URL | フクフク丸: to ころん様 #oKAhFFW. Edit 
若者というよりも馬鹿者ですが。
 え~と、やたらと文字を書いている割にはなかなか伝えたい文章にならなくて、書いては捨てて、書いては切り取って貼り付けて、そのうちに同じようなテーマの新聞記事とかテレビを見ては考えがごちゃ混ぜになり、そんな繰り返しで本日、2本の記事をアップしたバカ野郎な私です。

 はい。コメントも、コメント返しすると考えが分散されてしまうのでこんな遅くなってます。

 >憧れや尊敬を抱けるような人が少ないだろう

 いろんな事を覚めた目で見てくることに慣れすぎた世代なのでしょうね。私達くらいの年代だと昭和50年代というまだ 伸びしろ の残っていた時代を体験してきましたけど、平成に入ってからは 伸びきったゴムが収縮 していくようなむなしさ が漂った時代でしたからね。

 でもね、育ってきた時代はたとえどうだったとしても、未来を拓いて行くのは官僚とか政治家(ってのも表向きはそうなんだけどさ)じゃなくて、今ここにいる自分なんだって気付いて欲しいんですよね。

 若いのにも、若くない方々にも。

 諦めんな!と。
 まあ、しょうがないから、私に憧れたり尊敬を抱いたりしても一向に構いませんが、ジョンレノンみたいに熱狂的なファンに射殺されたりするのは好みませんので悪しからずご了承願います。

 >5~60年くらい前には普通だったような、そんな光景なら、命の大切さなんて教えなくても身につくことだと思う。

 まったくその通りだと思うし、戦争という 命の物語 の前後最中には人間性の発露が最も華々しく現れると思います。
 暮らしが安定した世の中だから、新しい価値基準を求めてみんな迷っている最中なのでしょうね。
 
 時代はこうなってしまったんだから、この先どうして行きたいか、どうなりたいか、そのためにはどうするのか、なにができるのか、それをテーマに新章を展開したいと思ってますが、相変わらず文章がダラダラと流れ出てくるだけでまとまりません。

 助けてくれても一向に構いませんので、その辺はよしなに
 
2006/11/25 Sat 06:00:29
URL | フクフク丸: to レンゲ姐様 #oKAhFFW. Edit 
子供の存在肯定を最もしなきゃいけないのは・・・
ズバリ、”親”です! その親がおかしくなっちゃったから子供も自分に自信が持てないまま彷徨い続け、自信を持っている子友達の”迫害”を受けるようになり、更に自分の殻に閉じこもってしまう。そして、最終的に選択してしまう方法が”死”という事になってしまっているんですよね。でも、その事にいち早く気付いて、いち早く止めなければいけないのも親なんです。でも、今の大人たちも”自己中心”になっている人が多いでしょうから、結局は”子供の自殺”は”親の無責任”にあると思います。

親も教師も子供達の”欠点”ばかりを攻め立てるだけじゃなくて、”長所”をもっと引き出してあげなかったら、子供達だって自分に”自信”が持てなくなります。されど、文部省や教育委員会が敷いた”教育システム”は残念ながら”前者”の方でした。その付けが、”自殺予告”と、更には”被害者側”による文部科学省への”損害賠償請求”にもつながっているのでしょう。全ての”火種”は連中にもあるわけですからね。

まぁ、安倍内閣は”教育基本法の改定”を決定したようですが、只その”法律”を変えるだけじゃなくて、根本的な”システム”というか、それ以前に”教育”というものの”概念”をそもそも考え直す必要があるのではないでしょうか。人間はそれぞれ違った”個性”があって、それぞれが持って生まれた”気質”、”才能”を持っています。ですから、それらを一つの”型枠”に押し込めようとしたらおかしくなるのは当たり前。それが、そもそも”いじめ”の原因にもなっているわけですから。

まず、人間は”製品”ではありません。ですから、全てが”良品”というわけじゃないんです。”良品”もあれば”欠陥品”もあります。でもそれら全てひっくるめて”人間”なんですよ。でも、明らかに他人に”危害”を加える人間には”罰”を与える必要があります。しかし、そうではない”欠点”をいちいち攻撃してたら、そんな人は即”鬱病”にかかって、やがて”自殺”しちゃいますよ。まず、人間にとって最も大事な事、それは”飴”と”鞭”の使い分けだと思います。
2006/11/19 Sun 16:21:09
URL | スーパーpsy野神 #- Edit 
難しいよ~(子供口調
>子供の頃、自分の世界は・・・狭かった。

今でも日々自分の世界は狭いと思い知らされます。
色々な人が居て、また、NETサーフィンしてると、つくづく思います。

「少年よ大志を抱け」と、自分に思っちゃいます。

いじめは、周りにも大きな責任があります。
それは、止めることをしない人も最低な人だと思いますね。
私なんか、幼少期にクラスメイトに荷物を隠され荷物は隠した子の前で友に手で渡されてました。
それぐらいの友情人情合ってしかるべきだとおもいますね。
うんうん、
ではでは^-^ノシ☆
2006/11/18 Sat 17:19:45
URL | ころん #SFo5/nok Edit 
①も読み、何か言わなきゃと思いつつ、どうコメントしたら良いのかわからなかった脳タリンです。( ´_ゝ`)

若者よ、しっかりすれ!って言いたいのはもちろんなんですが、それ以前にその若者の手本となるべき世代の中に(もちろん自分を含めて)、憧れや尊敬を抱けるような人が少ないだろうし、それが大変気の毒な事でもありますね。

「どうしたら陰湿ないじめを無くせるか」についてはワタシなんかの頭じゃ考えつきませんが、根本は全ての人間関係が希薄になっているってことじゃないかな。
ネットやゲームも悪くないけど。
核家族も悪くないけど。
セキュリティ万全マンションも悪くないけど。
結局時代が進化していけば行くほど、心は退化していくのではないか・・・?
近所の大人も子供も一緒になってお茶を飲んだり話したり・・子供は年寄りの仕事をを手伝ったり・・・
5~60年くらい前には普通だったような、そんな光景なら、命の大切さなんて教えなくても身につくことだと思う。
だいたい後進国にいじめ自殺なんてあんの?先進国ほど鬱病が多いってのも聞いた事がある。

ああ~あ。思った通り、やっぱり話がまとまらないや。ごめん!
2006/11/18 Sat 09:17:33
URL | レンゲ #CIo.SJik Edit 
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