フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2006/04/29 Sat  05:55:12» E d i t
 存在は・・・
 どこから来て どこへ行くのか

 人間は古今東西このテーマを延々と追い続ける。
 自然科学が現在カヴァー出来ているのは、発生から死までのメカニズムである。

 哲学がフォロー出来ているのは、ここにいる間をどう生きるかであり、宗教がイメージさせるのは地獄極楽ありきの世界観であり、それもまた今生を全うするための知恵の結集だと考える。宗教から派生したものと捉えるべきなのか別枠で捉えるべきなのか、科学では証明されないゆえにオカルトなんてのもある。

 宗教にも哲学にも科学にもさらにオカルトにも興味があり、上辺くらいは舐めてきた。
 何も知らずに物事を語っても誰にも伝わらないし、
 どこかに傾倒しすぎて他を否定する事も無いんじゃないって思う。
 (その叡智を誤認・曲解し、他を排斥するような「行動」は断固として否定するが)

 だって、全てが人類の叡智・発想の結晶なんだから。
 最近、そのどれにもまたがっていて、別な考え方として「スピリチュアル」という物が流行っているようだ。
 根源的な問いかけに対しての直接的な答えの仮説としての「生まれ変わり」・・・というか存在としての変遷・・・は、哲学の初期に現れた

 「万物は流転する」ヘラクレイトス
と言う言葉が科学によって「細胞の生成消滅」「質量保存の法則」で説明が付くようになった以上、それが「魂・精神~スピリット~」に適用されるという仮説もあっていい。

 私も、その考え方は生きて行く上で心を穏やかにすると思うし、嫌いではない。妄信もしないけど。
 →「ソウルメイト!」

 ただ、もしかしたらその流転する魂や精神の正体は「知恵・知識・習慣・作法・生活様式」に内包されて伝えられる物だとも考えられる。
 色んな角度から物事を見ることは楽しい。

 大切なのは知った上でどうするかなのだが。
 自分が常に自分の中心でいられることが前提なのだが。 
 知った上で考えれば考えるほど深遠で、興味深く、面白い。

 「知る=情報を得る」ということは「考えるための素材を獲得する」と言うことなのだから。     
 

 で、どこから来てどこへ行くのか?

 先日、3歳のウチの娘が寝る前、しきりに聞く。

 弟が生まれた時にはまだ疑問にさえ思わなかったのが、最近、私の友人に子供が生まれ、その赤ちゃんを見て不思議に思ったり、私の祖母が亡くなった時の記憶が残っていたりで考えたのだろう。
 
 「どうやって生まれてきたの?」
 「死んだらどうなるの?」

 小さい頃、同じように考えて・・・考えるだけの知識も素材も無くてワケが分からなくなって・・・布団の中でひとりで泣いた事がある。
 しかし、その経験があったお陰で知識欲が芽生えたような気もする。

 その種の質問に対し、だから私の方も準備を怠ってはいなかった。しかし、いざ直面すると・・・何と答えた物か・・・

 「お父さんとお母さん、そしてお前になる前からずっときっとお前は居たんだよ。お父さんとお母さんはお前をずっと待ってて、お前もここに来たいと思ったからここに来たんだよ。どこから来たのかは分からない。でも、ずっとここに居たんだと思う。」

 「大きいバアちゃんが死んだ時みたいに、死んだらそこに居なくなるように思うけれど、お前が大きいバアちゃんを覚えてるように、今度は心の中に行くんだよ。」
  
 「多くの人の心の中に、深く行けるように、みんないっぱい生きてるんだよ」

 ま、そんな事を喋ってる間に娘は寝てましたがね。
 悩んだんでしょうね。
 寝てる娘の頬に涙が伝ってましたよ。

 色んな事を考える切っ掛けに、なれば良いなあ。
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コメント
この記事へのコメント
思いは巡る
 いろんな思いや考えや精神が巡り巡って蓄積されて、私たちの目の前に現れます。
 時代によって表現の手段や広く知らしめる技術が進歩してますから、私のこの考え方や物事の捉え方も、何かの折に偶然ココのページを検索したという方にも届きます。

 私が今の私になってくる過程で多くの先人たちの思索や模索、言葉たちが私の道を切り開いて来ました。
 それは、お堅い文の中にも漫画の中にも好きな歌手の歌詞や絵画、さらには娯楽映画の中や、ネットでのやり取りの中にもあるんです。気が付くかどうかの違いなんです。

 時間・空間を越えて、私を歩ませてくれる何かが確かに存在しているんです。五感で捕らえられる「形」になっているだけで、それはその製作者の時空を越えて私に届いた魂なんですよ。きっと。

 出来上がったモノそれ自体ではなくて、その裏側にある意思や魂がありがたいのだと思っています。

 その部分を少しでも伝えられたら、何世代分もの新しい知識や思索が加えられていって、もしかしたら何世代も後に、世界のどこかで私と似通った考え方をした人間が出てくるかもしれない。

 それを輪廻転生と呼んだって私は一向に構わないのです。
2006/04/30 Sun 07:15:39
URL | フクフク丸:to くーにゃん様 #- Edit 
だいじょぶだぁ~
 いや、今回はだいじょうぶだぁ~。
 たまたま時間の都合がつかなくて中途半端になっちゃって、そこに新しいカキコが入って来たという塩梅であります。

 それにしてもこの文字量。

 肩が痛い。
 でも、燃える!
2006/04/30 Sun 06:31:38
URL | フクフク丸:to 21:32:24 様 #- Edit 
指が・・脳が・・・痛い!!
 燃えスレですね。良いですね~。
 ワクワクします。

 「仮説」をあたかも真実であるかのように教育・報道している事に気が付かないのは、情報に頼りすぎている人間の盲点だと思います。
 また、私たちはテストで100点を取るためにはそれを真実として受け止めるしかないワケですからね。
 成長の途上に於いてそうなってしまうとそこから抜け出せないのは洗脳みたいなものでしょうか。

 ダーウィンを裏付けるために人間とサルの中間生物を発掘する考古学者がいて、あるいは世間の科学にとって都合の悪い発見は隠されているかもしれません。
 そんな邪推・類推が小説の元になったりして娯楽を生むのですからそれはそれで良いんです。
 「真実を知りたいという欲望」が人間たちを成長させるのであり、そこへのアプローチの仕方は様々。
 
 アダムとイブを見た人がいないように、人間とサルの中間生物を見た人もいない。
 だから「仮説」なんですよね。
 
 聖書の中のバベルの塔と思われる巨塔の痕跡がアラビアのどこだかにあったり、ヒマラヤの麓にノアの箱舟と思しき残骸がみつかったり、大洪水の後なのか隆起したのか、説明の付けようが無い地層が突然発見されたり・・・世の中には不思議な情報がたくさんあるのに、科学的な信憑性が無いと報道しないなんてのはこれは作為的な情報操作ですね。
 
 でも以前、NHKのニュースで未確認飛行物体の映像が流れたこともあったんですよ・・・なんだか流星の異常なんちゃらとかいう強引な説明で片付けられた気がするんですが・・・
 正体が宇宙人の乗り物でも、アメリカ軍の秘密兵器でも一向に構わない。
 でも、その発光体が目撃されたという事実は事実なんですから。映像もあるんだし。
 
 科学の恩恵に浴して生活していることには感謝です。しかし、その科学が説明をつけられない事を隠蔽して行くという事はナンセンスだと思ってます。
 そういう情報と、完全に創作の情報をまぜこぜにしてしまうからオカルトは十把一絡で科学信奉社会に色物扱いされるんですよね・・・。

 オカルトだって、それなりに歴史を越えてきたんだから何がしかの真実を含んでいると思うんですが。

 科学が証明してきた事は正しいけれど、科学そのものが正しいというのは妄信・迷信だと私は思っています。 
 もっともらしい仮説なのか客観性のある真実なのか・・・科学だって何のことはない、まぜこぜなんですよね。
2006/04/30 Sun 06:27:31
URL | フクフク丸:to 野神氏 #- Edit 
誇り高き驕り高き人間の証明
 まったく前回がサイダーの話だとは思えないブログです。
 返事が遅れたのは昨日は子供を連れて銭湯に行っていたからです。
 だって、このコメントツリー・・・文字だらけなんだもん。
 時間的に追いつかなくてすみません。

 さて、おはようございます。メイさん。
 ああ、良いですねえ。
 高邁の精神ですね。

>まだまだ「科学」に疎い時代、よくこれだけの思想体系を築いてきたなぁ~と感心してしまいます。

 私は人間の想像力に限界は無いと思うんですね。科学が発達して、それを伝達する「手段=活版印刷・電話・電線・電波・受信機」が後に続いて、様々な考え方が世の中に行き渡りやすい環境が出来たんだと思うんです。
 故に、それを現実だと思い込んでしまえばより深い思索の旅は終わってしまうし、実際に科学が飛躍的に発展した19世紀以降は科学者の時代であって、思想家や哲学者が活躍したとは言えない時代ですものね。
 科学が発達し、哲学も一応の到達点を見たと思い込んでしまえば、それ以上には手を伸ばさなくなってしまうんでしょうか?
 そうではなくて、思索する人間が合理主義に押し負けているだけなんだと思いますね。

 ただ、偶然にも昨晩「世界一受けたい授業」で見たのですが、電話を使ったことのない人間は全人口の70%だそうですよ。

 奴隷と呼ばれる人間が2700万人もいるそうですよ。子供兵士が30万人もいるんだそうです。

 我々の哲学思想はギリシア・ローマ・春秋戦国時代・・・ルネサンス・帝国主義時代ヨーロッパ・近代日本という平和のうちに築き上げられた言わば「暇人たちの思想体系」なのかもしれません。生きるために必死にならなくて済む状況故に考えることができるのですからね。
 
そう考えると、
 >「人間は生まれながらにして知を欲する」というのは文化的恩恵に浴している人間の傲慢だと思います。
 知を欲してもなお、そういった環境が無ければそれに気が付くことさえも無く、ただ殺人マシーンや地雷捜査・欲望を満たすための道具として一生を終える人間だって多いはず。
 (んん、もっとも、アリストテレスの時代にゃ奴隷制度があって、奴隷や女性は「人間」の定義に含まれていなかったのかも知れませんけど)

 宗教は、危機的状況の中で魂の救済を目的に発生します。こんな酷い世の中だからせめて心は救わねばというところが発信地になる物です。
 世界三大宗教も戦乱・貧困のさなかに生まれていますよね。

 教育システムが普及したこの国で、教育の内容が問われるように、人間の物の見方や考え方は簡単に情報によって左右されるものですよね。
 宗教と言うのはある意味、別情報の遮断と、教義への信仰が世襲されるものであり、その時代時代に適応した形に宗派が生まれてくるのも当然で、同じ源流を持つ宗教の中でも全く違う意見が見られたりするのも興味深いですね。時代の流れが生みだした亜流が本流を駆逐した例も探せばあることでしょう。
 それが紛争を呼んだりするんだから、「他の情報の遮断」は恐ろしいんです。
 東西冷戦時に於けるソ連・東欧諸国もまたその「情報の波」によって崩壊したのですから。
 

 滅び行こうとしている(ように見える)哲学と、科学を否定したがる宗教と、カオスをコスモスへ導こうとする科学との微妙な接点の宗教寄りのものが「スピリチュアル」であり、科学寄りのものがその「アストロ球団・・・じゃなくてあすとろばいおろじー?」だと思います。 
 
 そんな小難しい屁理屈をゴネた上で私が思うに、肝心なのは「正解」ではなくて、自分が心落ち着けて、更に周囲を現在・未来に渡って円満にできる考え方だと思ってます。
 私は現世利益最優先です。

 向こうさんが「真理」だと押し付けてきても、それが私および私の周辺の生活を脅かす真理ならそんなもんいりません。
 時代の流れをちゃんと把握し、その中で生きているという前提を忘れて「人間いかに善く生くるべきか」だけで世間から置き去りを喰らうのなんてナンセンスだと考えます。
 
 だから、どんな問いかけされても「この時代を誇りを持って、どんな事でも最終的な楽しさに変えられるように、頑張ろうよ」という私の思想結論にこじつける方向に持っていく「詭弁」は得意ですよ。

 メイさん、一年位前のアナタのブログの記事を読んでごらん。
 そして、あらためてこのコメントを読んでごらん。
 
 人生は楽しいさ。
 超長文で失礼しました。
2006/04/30 Sun 05:57:13
URL | フクフク丸:to メイ 様 #- Edit 
なんて素敵な答えでしょう。
「ずっとここに居たんだと思う。」 この答えとっても、深くて愛情深いのでしょうか。お父さんにこういわれて安心の涙だったのでしょうか。それともばあちゃんを思っての涙だったのでしょうか。いずれにしても、魂はずっとつながっている、物質世界にいる人間は時間軸や3次元的空間でものことをとらえるわけですが、魂はずっとここにいるんだと思います。だから、思いを寄せるだけですっと近づける。亡くなっても心のなかにいるっていうのはそういうこと。

わたしも小さいときにこの気持っていうのが死んだらプッツリなくなってしまうのかと思うととっても怖かったです。でも、今は絶対そんなことはないと信じています。そして、魂っていうのはみんなつながっている、ひいては宇宙ともつながっていると思うのです。それが実感できたときに至福の歓びになるのでしょうが、それはこの物質世界で精一杯生きなければ得られないのでしょうね。(頑張りすぎるのとは違いますが)充分、自分を愛して、まわりを愛して誇り高くいきること・・・

飯田先生の「ツインソウル」をちょうど読み終わったところです。
2006/04/29 Sat 21:45:33
URL | くーにゃん #- Edit 
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006/04/29 Sat 21:32:24
| # Edit 
ダーウィンの過ち
確かに、科学の”定義”とされるものはそこに”普遍性”があっていかなる状態においてもその”条件”を満たしているものが”科学”なのでしょうから、そうなると単なる”独断”ではないのでしょう。

しかし、ダーウィンの「進化論」ですが、一つの種の生物が住む”環境”によって姿形を微妙に変える事が出来たからといって、全く別の種のものが別の生物に”進化”する、といったような定義は正直”仮説”を通り越して”こじつけ”にもなりかねないような危険な説のようにも思えるんです。ここまでくると”人間の独断”という表現を使わざるを得ない僕は思うんですよ。

宇宙の誕生、それから地球の誕生に関してだって、現時点での”定説”を完全に証明する物証なんておそらく無いでしょうし(”激変論”というものを考えた場合は)、”聖書”を完全な”創作神話”と証明する物証だって無い訳です(”創造論”や”ノアの大洪水実在説”もあるため)。まぁ、そういった意味で、これらの多くの説が”仮説”という事なのでしょうけどね(笑)

結局は「勝てば官軍」じゃないけど、正当な”科学者”が支持した”仮説”のみが”正論”とみなされ、それ以外を認めないという姿勢こそが”人間の独断”なんです。”宗教”の話も出ましたけど、ある一つの”宗教”以外の宗教を信じるものは”人”にあらず、といった概念と同じだと思います。

結局は”魂”、”精神”みたいなものは”物欲”さらには”権力”によって狂わされてしまうようなデリケートなものだ、という事なのでしょうね(悲)
2006/04/29 Sat 19:50:16
URL | スーパーpsy野神 #- Edit 
単純かつ深遠かつ壮大な疑問
 死んだらどうなるのか。
 死んだらいなくなるんだ。
 何かしたいと思っても、もうなにもできなくなる。手を動かそうにも動かない。歩きたくても歩けない。
 おいしい物を食べる事も、悲しくて泣く事もない。

 全てが「ない」世界がそこにある。

 それは極楽なのかもしれない。
 苦も悲しみも無い、代わりに楽しさも喜びも無い。
 何も無い状態が「解脱」であり、極楽なのかも知れない。

 私は思う。
 ここは極楽じゃない。
 だから良い。
 辛い事や悲しい事もあるけど、楽しい事や嬉しいこともたくさんある。
 
 死ぬことと生きる事は「対」だから、どうしても「死後」を問われた時に「生」を答える。
 これは答えにはなってない、詭弁なのかもしれない。

 死後の答えなんて誰にも分からない。何をどの程度信じてるかはその人の自由だし、私は私が都合良く心地良く生きられるような物の見方をしたい。

 辛いと思いながら物事を見れば果てしなく辛くなる。
 だからそれを分かった上で、辛さも悲しさも人生のスパイスだって思えたら良いな。

 こんな考え方がいつか何かの拍子にここを見た誰かに芽吹けば、ちゃっかり自分の意見は広まった事になるしね。
 その人が今度はこれに味付けして新しい考え方をすればいい。

 ネットという表現手段はそういうモンだとちょっとくらいは思ってる。
 だから、多くの人に見て考えて欲しいんだ。

 情報を得る事には従順だけど、考える事には慣れてない時代だからね。
2006/04/29 Sat 17:42:57
URL | フクフク丸:to ま~姐 様 #- Edit 
自然科学
>、”科学”なんてものはその”根本定義”は人間が独断で決めたもの

 自然科学とは人間が「自然」を克服するために積み重ねてきた叡智であり、ある条件を確定した場面に於いて普遍性を持った結果が出るという証明できるものを「科学」と呼ぶのであり、決して人間の独断では無いと思います。

 ただし、科学は万能ではありません。科学信奉者はここを勘違いしています。
 「世の中に科学で証明できない事など無い。」とはまさに人間の思い上がりであり、地球上で起こっている様々な現象に対する仮説が次々に出て来るのを見て分かるとおり、現代科学の多くは「もっともらしい仮説」に過ぎないんだと考えています。

 ダーウィンの進化論も、いざなぎ・いざなみもアダムとイブも「仮説」という事では同列です。
 ただ、もっともらしい説明がついてるのがダーウィンだというだけ。

 だから多くの仮説が面白いと感じていますし、どこかに傾倒しないバランスを保っているとは自分では思っています。

 あ、え~地獄極楽の話ですね。すいません。
 地獄極楽の世界観は道徳心を植えつける最高の知恵ですよね。単純明快かつ証明不可能な生き方の「知恵」です。

 宗教が大切にしてきた死後観というのは、生きるための規範を説く前段階として存在する前説ですからね。

 天国へ行きたいなら、殺すな、感謝しろ、許しを乞え・・・その全てが生活を統制するための規範になっていますから。
 それがどうした物か曲解されて、人殺しを正当化させる道具になってしまうのは悲しいですね。
 
 もっとも我が神を崇めぬ者(異教徒)を人間とみなさないからそうなるんでしょうけど・・・

 私も霊魂があっても良いと思っていますし、その状態になった時、現世の今の私の考え方や思い出は無くて、時空を超えて転生したら良いなって思います。
 考え方や魂、精神は残された者が引き継いでくれれば良いし、思いという物を残したいなら引き継いでもらえるような生き方をすれば良いと思いますし、結局の所、「死に様」を語る際には「生き様」に至るのが今の私です。

 今、生きている事を大事に思っています。 
2006/04/29 Sat 17:28:03
URL | フクフク丸:to 野神氏 #- Edit 
魂は流転する・・・か!?
 スピリチュアル。もう何年も前からその手の話題を語る本があって、今、江原某という方がボコボコ稼いでいる「スピリチュアル」。
 
 エドガー・ケイシーとかノストラダムスとかが大好きな国民ですからね。日本人は。
 ちょっと不安をくすぐられるのが好きだし、それはさておき「心が落ち着くような仮説」を唱えるのであれば、私は何の文句もありません。
 むしろ、スピリチュアルを後押ししたいくらいです。

 それが、「カルマを浄化するために高額な壷を買え」とか、「穢れたる魂の浄化のためにポアしろ」とか、「グッズを買え」だの、「何代前の先祖の供養をするから供養費」だのと、見えない物への不安を煽って人の心をかどわかすのがムカつくだけ。
 今の所、江原某はそういうの無さそうですが。

 ロマンチックで素晴らしい「仮説」だと思います。
 でもそれに満足して今生きている自分を大切にできなければ何の意味も無いと、これは心に刻み付けています。
2006/04/29 Sat 17:01:21
URL | フクフク丸:to にょにょ 様 #- Edit 
「死」という最終定点から「生」を想う。
 多分、人間は「何かを為すべきためにこの世に存在している」を自らを定義付けたいのだろうと思う。自分で自分を「役に立たない人間」だと自嘲する人でさえも、役に立てるなら立ちたいという発想から逆算するから自分を役立たないと自嘲する。
 別にそういう人がいるというだけで、それを批判するつもりも無い。

 なにかテーマを持って、必死になってそれを追い続けた時に初めてその「為すべきこと」を実感できるハズなのに、情報化社会では誰かがその答えを提示してくれるはずだと思ったり、もっともらしい事を言うことを商売にしている人さえもいる。
 
 答えは自分の中にしかなくて、それは日々を、そして日々の積み重ねである「時間」を自分がいかに「うわ、俺すげ~。俺、カッコイイ~」って思いながら生きるかだと思う。
 それが、多くの人に認められたら最高だし、後世に残ったりしたらしめた物だ。

 「死」を考える事と、「生」を考えることは対である。
 どちらか片方では不安や疑問に埋没してしまう。

 その「生」も自分の生と、周囲の生を思うとき自ずから「自分は何をしたいのか」という答えは出ると思う。

 「死」への恐怖に捕われず「生」の持つ意味を、希望を、伝えたかったのだ。
2006/04/29 Sat 16:46:45
URL | フクフク丸:to レンゲ姐 様 #- Edit 
永遠のテーゼ
「人間はどこからきてどこへいくのか・・」人類が誕生してから問い続けている永遠のテーマですね。僕も非常に興味があります。

アプローチの仕方によって、答えが違ってきます。哲学や宗教的アプローチ(観念など)で考えるか、科学など実証的アプローチ(実験など)で考えるのか・・。

歴史に名を連ねる哲学者の見解によると、丸さんがブログでもおっしゃっているように、「パンタ・レイ」(万物流転)やニーチェの「永遠回帰」などがあります。まだまだ「科学」に疎い時代、よくこれだけの思想体系を築いてきたなぁ~と感心してしまいます。仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教も然りです。価値観は環境や生まれによって千差万別ですね。最近の世の中は、身の回りに科学が蔓延り、「哲学」的な考え方は減少傾向にあるようですが・・。

科学的アプローチでは、最近「アストロバイオロジー」なる学問が注目されているようです。「我々はどこから来たのか」「我々はどこへいくのか」「我々は宇宙で孤独な存在か」を主なテーマに、「文明」「地球の成り立ち」「生命の普遍性」「太陽系起源」「系外惑星系」など非常に広範囲な学問領域を統合して分析する学問のようです。まだまだ、人間が知りえていないモノ(ダークマターなど)がたくさんあるので、最終的判断は個人の裁量に委ねられますが・・。最も、科学的アプローチでも普遍的な「答え」は出せないと思いますけどね。

アリストテレスは「人間は生まれながらにして知を欲する」といったようですが、まさしくそのとおりですよね。特に、丸さんの娘さんのような年頃は好奇心が非常に旺盛で、なんでも知りたがります。時には答え「難い」問いもありますが・・w今回のテーマもそうでしたね。

娘さんの問いに対して、丸さんの言った答えは、非常に暖かいものを感じました。理屈うんぬんではなく、人と人との繋がりの大切さを小さいときに教えるというのは非常に大事なことですね。「三つ子の魂百までも」というし・・。これから益々の成長を期待し、暖かく見守ります!

長文駄文失礼しました(笑。

2006/04/29 Sat 14:03:15
URL | メイ #j.d64WD2 Edit 
私は・・・
おばあちゃん子でした。死んだらどうなるのか・・それが怖くて泣いた記憶があります。大好きなおばあちゃんが死んだらどうなるのか?

私は宗教がどうこうではなくって・・ただただ「輪廻転生」を信じてます
今私に関わっている人は全て前世からのつながりある人で会うように組み込まれていたと思っています。
(そう思うほうが・・ドラマチックかい?)

そして・・死んだらどこに行くか・・
それはわが子も聞きました。
姿かたちが見えなくてもいつもいつも見守り、間違いを起こさないように・・辛い思いをしないように見守り導いてくれていると答えました。
宗教はわかりません・・だけど自分が今ここに存在できるのはやはり先祖があってからこそと思うので・・そのことには感謝できるようにと思ってます
2006/04/29 Sat 10:37:32
URL | ま~ちゃん #64owOXpE Edit 
人は死んだらどうなるのか?
僕が幼い頃には「人は死んだら”魂”になって”天国”に行くんだよ。でも、”悪い事”をした人は”地獄”に落とされるから、絶対悪い事はしちゃ駄目だよ。」と教わりました。それが一番”無難”な答えであると同時に、そこに”道徳心”を植えつける意味合いもあると思うので、こういった部分は必ず生まれ来る子供達に対して必ず伝えていかなければならない事だと思うんです。それをしないから、今の”若者”たちは平気で”犯罪”を犯す訳ですからね。

そういった意味で、僕は人間が死んだら”魂(もしくは霊)”になるのが普通だと考えてきましたので、そこに「霊なんて存在しない!」なんていう”科学者”が現れた時にはそちらの方が何か”違和感”を感じたのは確かですね。でも、だんだん”大人”になるにつれ”霊否定論”を唱えた方が”知的”であり”常識的”である、という事にだんだん気付いてしまった訳ですが、それでも僕はこんな”世間体”に屈することなく今でも”霊(魂)の存在”は信じています。

大体、”科学”なんてものはその”根本定義”は人間が独断で決めたものですから、それを持ってして”科学万能”を鵜呑みにする方が実は”間違い”だと思っていますので(笑) それに”科学=超常現象否定”という概念もまた”大きな間違い”だと思いますから。こんなの単に”学者”達の”自己保身”の産物でしかないですからね(呆)

それと、”霊”ではなく”魂”、”精神”と捉えた場合はフクフク丸氏が仰るとおり”知恵・知識・習慣・作法・生活様式”に内包される部分もあると思います。特に”~の精神”、”~道”、”~魂”というものはまさにこういったものから派生したものですからね。まぁ、とにもかくにも”肉体”とは別の”内面的部分(”霊体”のような”根源的エネルギー?”と”叡智”から派生した”精神性”など)”の総称が”魂”と言われるものである事は確かなのでしょう。人間は、もっともっとこういった部分を”重視”し、日々”磨き”をかけなければいけないのだと思います。
2006/04/29 Sat 09:24:16
URL | スーパーpsy野神 #- Edit 
私が好きそうな話題キターー!
怖がりのくせに心霊番組が好きな私です。スピリチュアル番組この前見ましてとても興味深いお話をば。
魂はあの世ではグループソウルといって集合体で私たちはその魂のひとつにしかすぎないんだと。ちなみにこの前のゲストの東野こうじの奥さんは前世は母親だったそうな。・・・ほんとだったら面白い。魂が惹かれあった・・ということなんだもんね。
前世で因縁があった人と今生も何かしら縁があるなんてロマンチックー♪
・・・て、全然記事の内容と離れてしまいましたね。スマヌ。
2006/04/29 Sat 08:58:46
URL | にょにょ #- Edit 
わかんないから
わかんないから面白いし、興味が尽きないよね、この世界。
思春期の頃、やっぱり死後の世界とか霊界とかにめちゃめちゃ興味持ちました。「天国と地獄はあるのか?」「死んだら三途の川を渡るのか?」とかね。そして物凄く死への恐怖が強くてしょっちゅう怯えてた時期もあったなぁ・・・。「なんで人は死ぬの?」「死んだらどうなるの?」って、誰でも一度は親に聞くよね。うちの親は何て答えたんだったかなあ?「死は、死んだらどうなるんだという事がわからないから怖いのだし、残された者が哀しみや苦しみと戦うものであって、死んだ者は恐怖を感じる事すらない。だから死自体が怖いという物ではないんだ。」と言われた気がする。本当の答えはどこにもないですね・・・。
ぴっこもいっぱい悩んで大きくなってね。
2006/04/29 Sat 08:55:15
URL | レンゲ #CIo.SJik Edit 
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