フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2006/04/05 Wed  05:37:25» E d i t
 入学シーズンですね~。

 本州では卒業とか入学の時期に桜が咲くというなんともロマンチックな演出が自然にその風景を彩るのでしょうけれど、北海道では溶け始めた道路脇の雪が埃で薄汚れてて何とも言えない時期です。

 みなさんは自分が今の自分を見つけてくるまで、どんな道を通ってきましたか?
 意識しないでここまで来たり、辛い自分と向き合いながら自分を作ってきたり、色んな事があったと思います。

 今日は、春休みも終盤に差し掛かったであろう、新しい環境に向かう学生の皆さんに、私の辛かった日々の思い出をお届けします。


 ●ボクは「出来る子」なんだ。 

 私は中学の頃サッカー部でした。他の部よりも全員が一生懸命で、学校内のどの部活よりも遅い時間まで(って言っても所詮中学生だからせいぜい6時頃)毎日グラウンドを走り回ってるような部でした。

 田舎の中学校ですから1学年100人くらいでしたが、それでもテストするたびに上位成績者と呼ばれる部類の所にはいました。
 部活をしないで塾に通っている同級生よりもハッキリ言って上の成績順でした。
 
 「重要なのはその集団の中での順位ではなくて、勉強したことがどれだけ活かせるかなんだ」

 これは父が私に言い続けた言葉です。
 他の親がテストの度に「10番以内に入ったらPCエンジン買ってやる」とか言ってる中で、平然と10番以内に入り続けている私はそんな事を言われ続けていました。

 他人と比較され、明かに順位がついて自分が上にいるということほど優越感を感じる事はありませんよね。逆に下になれば劣等感さえ感じる。

 いじめ の話でも書きましたが、人間はそういう動物です。

 社会全体が比較礼讃だからなのか、教育の場が比較を教えるからなのか、どっち先だか分かんないけど私たちが目にする多くの物は数字による比較で語られて「順位が上だったり、数字が大きい方が正義」みたいな物の捉え方をされますよね。
 発行部数、販売成績、売り上げランキング、レンタルランキング・・・多くの人が支持するからこれが良い物なんだ!とは限らないのにね。

 中学生の頃ってなぜかなぜだか、学力的に似通った人たちがグループを形成して仲良くなるんですよね。不思議なことに。
 私は特にそうでもなくて面白さや尊敬できる部分を基準として人を好きになるので、今でも中学・高校時代の友人は結構多いですよ。
 たまに会う同級生たちに羨ましがられたりしますね。あの頃は「友達少ないよな~」とか私自身が思ってましたが。

 
 ●ボクは一体なんなんだ・・・??というカルチャーショック  

 そんなこんなで地区で一番の進学校と言われる高校に入学しました。
 ここら辺では「C高に行けば、大学進学確実だね」と言われるような進学校であり、そう言われるって事はこの辺一体ではちょっとしたブランド高ですよね。

 でも、私には将来の夢なんて分からなかった。

 中学までは「C高に行ければ、勝手に大学に行けて普通に公務員にでもなって・・・」くらいに思ってました。
 だって、中学の時点で何になりたいなんて明確な目的を持っている人の方が少ないでしょうし、点数と言うつまらない価値基準で比較されてしまって、せっかく持っている夢だって叶わないって思い込まされてしまう人たちの方が多いでしょう。もったいない話です。

 「ボクは何になりたい」と言う「夢」の部分が正直、ボンヤリし過ぎでした。

 C高に合格した春休み、私は中学時代の友人たちと毎日毎日晩まで遊びふけりました。それまでの入試に向けての勉強からの開放感と、合格したという達成感で、そこまでのボクは一旦燃え尽きたんです。
 
 C高では己を磨く学問ではなく、大学入試のときにどれだけ点数を取れるかを主眼に置いた授業が延々と展開されました。私が面食らったのはそれがあたかも当たり前のようにみんなが黙々と勉強していること。
 
 そして私は高校入学後初の実力テストで、1学年450人の中425番という輝かしい成績を収めるに至りました。

 今にして思えば、地域中の学力トップクラスの人たちが集まってきてその中で競争させるんだから1番の人間がいれば450番の人間がいるのも当然な話なんですが、そこに集まっている多くの人たちは「中学では自分は常に確実に10番以内に入っていた」という人たちの集まりなんですよね。だから、そんな番号が自分に振り分けられるなんて想定の範囲外なんですよ。

 ボクは落ちこぼれたんだな・・・。

 春休みに遊びまくったツケなのか、ただ単に自分がバカだったのか、ぬくぬくと育って来たのにいきなり現実という物の厳しさにぶち当たり、ボクはどうして良いのか分からなくなってしまった。

 勉強を基礎からやりたくても、授業のスピードが進学校のそれの場合立ち止まってはくれない。自分なりに四苦八苦してるんだけど、授業のスピードに自分とがドンドン離されて行く。
 クラスのみんなは、休み時間でも勉強している。
 ボクもそのひとりにならなきゃいけない空気に流されて、からっきし楽しくも無い勉強を続けた。
 
 ココハ一体何ナンダ・・・?
 学校ッテ、高校ッテ、何ナンダ・・・?
 ボクハ一体、何ナンダ???
 
 考えが巡ります。
 中学時代ニ戻リタイ。中学時代ハ良カッタ。
 アノ頃ハ・・・アノ頃ハ・・・

 過去にばかり目が行きます。

 ほどなくして私は学校に行くのが辛くなりました。
 下痢や吐き気を催すほどに・・・


 ●「自分」や「現実」と向き合う時そこに差す「光」。

 それでもすでにラグビー部の部活は始まっていて、先輩との体力差にも愕然としたりしながらも「ここだけはボクの居場所だ」と確信してました。クラスではあまり馴染めなかったけど、部活に出て来る仲間とは気軽に話もできましたから。

 とにかく色んな事が重なったある日、自分の不注意で腕を骨折しました。

 入院せず通院でなんとかなる物でした。
 が、その通院している間に私は完全に授業スピードに置いていかれました。

 逆に言えばその1週間なり数日間の学校から離れる事ができた時間が「私にとっての正常な呼吸」を取り戻す良い時間になったんですよね。
 世の中上には上がいて、上にのぼりたがっているヤツもワンサカいる。ボクにはボクの生き方があって、学力で比べられない自分になれば良いんだな・・・って。

 少し離れて見た時に、ちょっと落ち着けたんですよ。

 あるがままの自分に向き合う事がツラい事があります。
 ボクはそれから逃げ切れないって事に気がついたんですね。 

 あるがままの社会に向き合う事がツラい事があります。
 ボクが変わって行けばきっといつか変えて行けるんじゃないかなって思うようになりました。

 そう思ったら、自分の周りで無理をしているクラスメイトのその「無理」や辛さも見えてきたし、逆に本当に勉強が出来るヤツの本当の凄みも見えてきて、前者には私みたいにノイローゼみたくなってるヤツもいたからそっと話しかけ、後者には尊敬の念を正直に伝えて勉強のしかたを真似させてもらった。

 少ないなりに深い友達が増えた・・・って思ってます。

 いつの間にか成績なんて気にしなくなったけど、順位はちゃんと中間より上に位置していたし、教科によってはトップを取れるような教科さえも出てきたんです。
 不思議な物で、全部を取ろうと思っていた時期は何も手につかなかったのに、好きな教科や好きな先生が出てきた瞬間に気持ち良いくらい理解が深まるんですよ。私。

 成績表なんて、一方で最高成績がありながら一方で赤点もあるというすばらしく個性的な物でした。「好きな物は好き、嫌いな物は嫌い」で良いんじゃないですかね学校の勉強って。

 社会に出てから必要な物(知識・考え方)を取りに戻る事だっていつでもできますから。

 確かに点数を取らなければ留年とか退学とか言うけど、数学も英語も赤点取りまくってた私でもなんとかなりましたし、私よりも赤点ばかりだったヤツもちゃんと卒業しましたよ。不思議にも。


 ●挫けた時。達成した時。そこからがスタートさ。

 「今」が駄目だと思う人に言いたいのは、それは仕方ないんです。
 それまでの道のりがそこに至るような道のりだったんだから。
 でも、自分に向き合うことができて、今の自分を受け入れられたらきっと、少しずつでも自分の行きたい方に向いて歩いていけますよ。
 呼吸のリズムが戻ったら、どれだけ優しい光が自分に注いでいるかに気がつきますよ。

 「自分はひとりじゃない!」 

 私はそうやって歩いて来ました。

 それでも強迫観念にも似た「ボクは何でも上手くできるんだ」という深層心理はあります。
 「優等生」でありたくて他人を見下しているような自分は確かに存在しています。今でも。

 そんな時はちゃんとみんなと同じことをやってみるんです。
 案外上手くできない自分がいます。そんな自分を笑いとばして「続ける事でできるようになるさ」って思える強い自分が今の私なんです。

 昔は「なんでオレはこんな事もできねえんだよ!」って自分や他人を責めてそこで止めてしまう事が多かったんですが、高校のあの時を経てからは
 「みんな最初からできたわけじゃないよな。できるようになることもひとつのゴールだよな」
って思えるようになりました。

 だから、物事が上手く行っても失敗しても目標を見失わずそこからコツコツやれるという事に自信を持っていますし、そういう遠大な目標と、小さなハードル設定を人生にしていると勝手に自分では思っています。

 失敗しても挫けない人は多くても、成功した時に見失わない人は少ないでしょ?成功の落とし穴ってあると思いますよ。その後も人生は続いて行くんですから。


 まずもって、春休みな学生さんでもなければこんな長~い文章は読まないだろうし、大概途中で飽きちゃってここまで到達しないでしょうけれども、もし、同じような事で悩んだ時にでも誰かが検索して見てくれれば良いかな。
 誰にも相談できなかったら、ここにコメント入れてみてよ。
 
 根本的な解決は自分でするしかないけど、そういう気持ちをフォローしたいと私は思っていますよ。
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コメント
この記事へのコメント
きっとみんな必死なんだよね。
 今にして思うのは、きっとみんな「落ちこぼれになんかなりたくねえ」って必死だったんでしょうね。
 「先生の言うとおりにしてればちゃんとできるようになって、誰もがみんな上手く行く」って、進学校と呼ばれる所に行けば行くほどそういう誰かに対する依存も大きいのかもしれない。
 だって、小さい頃から「点数を多く取った方が勝ち」って教えられてくるんだから、それ以外の価値観なんてその時点で芽生えてるワケ無いもん。学習面に関しては。

 人生に於いて学校時代の成績なんて何の役にも立たなくて、学校では評価の対象になんかならない、点数で評価できないいろんな経験こそが生きて行く上で役に立つことなんだというトリックを最初は見破れずに、誰もがきっと迷うんだと思う。
 
 社会に出ても学生気分が抜けず・・・なんてのもその一部で、誰かが点数を付けてくれてその点数が平均点以上だったら一安心ってな感じになるでしょ?

 でも、仕事ってそうじゃないもんね。
 誰のために自分がどうすれば良いのか、どういう状況になれば良いのか、そうなっているのか、だから自分はご飯を食って行けるのだ!という部分には自分で気が付くしかないもん。

 それが自信の基でしょ。
 きっと、みんな必死なんだよね。
2006/04/10 Mon 06:22:30
URL | フクフク丸:to メイ 様 #- Edit 
僕も、当たり前のように勉強して、進学してと繰り返してきました。
ほかの事は何も考えず、ただ周りに追従していくだけの自分。
一度、レートから外れて脱線したときに、
改めて自分自身と周りの環境を見つける機会ができたときに
「自分自身」と「人間」を分けることができ、徐々に個性というものを重視するようになりました。
気づくのが遅すぎたので、今もまだその最中ですが
一息いれて、世界を達観する時間も必要なんですね。
丸さんが「昔の自分と似ている」といった意味が
この文章で、理解することができましたw

2006/04/09 Sun 12:28:47
URL | メイ #j.d64WD2 Edit 
じゃ、私たちの教科書を開いてみますか。
 ※まず最初に※
 ジョジョ話とか奇面組話を全開で使える相手が登場して本気で嬉しいです。なんて骨体。
 
 じゃ、私のホーリー・バイブル「ジョジョの奇妙な冒険」第59巻・111ページより「今にも落ちてきそうな空の下で」を開いてください。
 レオーネ・アバッキオが死ぬ間際に見た風景の描写があります。
 「大切なのは『真実に向かおうとする意志』なんだと思っている。」

 「向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしても
 いつかはたどり着くだろう?
 向かっているわけだからな・・・違うかい?」

 小難しい哲学書よりもよっぽど哲学的問いかけであります。私はすでに社会人になっていましたが、疑問に思うことが多すぎて、そのくせ何もしていない自分に気付かせてくれた素晴らしいストーリーだったんです。
 
 続きましてきすけ殿の拝殿に鎮座まします埋蔵経・「3年奇面組」の第一巻より「学校とはなんぞや?」を開いてください。

 学校とはなんぞや?
 「我々が職に就くまでの憩いのオアシスです」
 「配給(給食)を待つための待合所です」
 「直立原人養成所」という素晴らしい答えが返ってきております。

 そこら辺の三遊亭好楽よりも気の利いた答えです。
 この奇面組の1巻に、私は何度も救われました。笑いの中に思想がある「3年」は大好きです。

 自分が思っていた自分の虚像が壊れて、そこから自分が恐れていた場所にまで堕ちて行く時の、自分自身に対する失望感とそこから生まれる脱力感、無気力。
 
 現実と夢の区別くらいはちゃんとついてるハズだった・・・って誰もが思ってるんですがね。 

 でも、最初に居た位置が「虚像」に過ぎなくて現実はいつだって自分が直面している現在の方なんだと知る事が「目を覚ます」という事なんだと思います。

 目が覚めても、心が冷めるワケじゃありません。目が覚めたら逆に心は燃え上がる物です。

 多分、多くの人たちが現実に失望して、虚像の自分を自分だと思い込んで「自分探し」なんぞをしている現状を見たら多くの人が多かれ少なかれ抱えている問題なのでしょうね。

 あと、成功や勝利もそれは一時的なものに過ぎず、それを継続するためには絶えず反省や学習が必要となるでしょうから「勝ってカブトの緒を締めよ」という言葉の意味は、成功による燃え尽き状態を経験した者にしか本当の意味を味わえない言葉なのかもしれませんね。

 こうして腹を割って話をすると、ハラワタがドロロと溢れ出ますね。この熱さや痛みがまた快感な私はドMなんでしょう。いまさら否定もしますまい。

 青春は皆、シグルイなり。
2006/04/07 Fri 08:33:55
URL | フクフク丸:to シグルイきすけ 殿 #- Edit 
高く飛ぼうと思うほど。
 誰だってきっと「自分はもっとできるんだ」って思ってる。
 
 そう思っていながらそうなるような努力・・・というか意思や行動の継続をしていない。多分、私たちが青春時代に味わった最初の挫折の正体は、根拠の無い自信を、人生をナメている事によって現実に跳ね返され、それまでの自分を打ち砕かれたことに起因するのだろう。

 「なりたいと強く思ったらそうなれる」という言葉の解釈は「なりたいと強く思うのならば、その程度の山坂は越えて行ける」という事だと思う。

 高く飛ぼうと思うほど、毎日の鍛錬が必要なんだし、それを楽しめるような人間でありたい。
 でも、鍛錬が楽しいのではなくて、鍛錬して向上して行く自分が楽しいのだ。

 挫折 だって知ってるだけじゃ強くなんてなれません。挫折から屈折して行く人たちだっていますから。
 「挫折という経験」をしたところから「立ち直った経験」とその両方を「忘れない気持ち」が強さや濃さなんだと思います。

 青春時代の真ん中は道に迷っているばかりなんですね。みんな。
2006/04/07 Fri 06:27:36
URL | フクフク丸:to ま~姐 様 #- Edit 
ん~、なんていうのか。
 良いでしょ?良いでしょう!レンゲ姐さん!!前の職場でも今の職場でも「姐さん」と呼ばれる姐さん!!

 こんな体験を思い出すだけでも、その当時の記憶が蘇って来て嫌な気持ちに支配される方もいるのでしょうけれども、そんな過去さえも引き出しから出して来て日の光に当ててみたら宝物になるんじゃないのかな?って考えている変態です。
 
 成績なんて人間の価値には関係無いって後から気付くとしても、学生時代にそういうことに気が付いてしまうと自分の存在すら見失いかねません。
 そして、見失ったのがこの記事の時期でした。
 
 ダメな自分をも受け止める余裕が出来るまでは辛いんですよね。それまで自分が足を踏み入れることのなかった過不足の無い自分の現状を目の当たりにするんですから。

 その余裕がタチムカウ事で出来るものなのか、一歩引くことで見えるものなのか、その場その場で各人が置かれている状況にもよるのでしょうけれど、まあ、こんなことでも書いて置けば誰かの役にはたつでしょう。

 実際に今、同じような気持ちで、無理矢理笑顔作って学校に行ってる人たちだってきっとたくさんいると思いますから。
2006/04/07 Fri 06:03:15
URL | フクフク丸:to レンゲ姐 様 #- Edit 
時を忘れ読みふけってしまいましたよ。
僕も中学までは一応できる部類に入ってたんですが、高校に行ったら一気に何かが解放されてしまい、勉強に関してはとんでもない事になりました。気付いた時にはホント下から数えた方が早いと言う事態に遭遇していましたね。不思議な事に、何とか大学には入れましたが。
成功したり、勝利した時よりも挫折した時や失敗したときの方が学べる事は沢山あると思うし、どういう行動をとった結果失敗してしまったのかじっくり考える事が出来ますよね。
んで、次はこうしてみたらどうかな・・・と。
今現在ある状況ってのは、誰のせいでもなく自分が選んで歩んで来た結果が「今」だと言う考えは超賛同です。
結果を見失わなければ、そこに行き着く過程が見えて来るモンだと思います。でも、過程が見えてもそこを歩む努力を怠れば到達出来ない。フクフク丸さんの父上の「勉強した事がどれだけ活かせるか」というお言葉は世の中を生きて行く上での名言だと思います。
2006/04/06 Thu 13:56:05
URL | きすけ #- Edit 
私と丸ちゃんがどこまで似ているのかは分かりませんが・多分似たような経験をしているんでしょうね。
どこどこの高校を出ているというだけその人のランク付けがなされます。
県内では上位の高校に入りました。
ただ・・私の場合滑り止めのはずの私学2校を滑ってました。
両親は家から近いK高に行ってほしかったみたいですが、私はもともとI高希望だったんですね~私学に合格したらK高を受けるということだったんだけど・・
それでI高の英文科を受けたんです
私が高校生だった当時にすれば公立で英文科コースがあるのは珍しく県内から英語のできる奴ばかりが終結。結局英文科はだめで普通科だったんですが、普通科にはには私と同じく英語の出来る奴がわんさか流れてきてる。そこで私は英語・・落ちこぼれでした。
英語だけは県内トップレベルだったのでいつも赤ギリギリ
でも・・私としてはI高よかったな~
のびのびしていてクラブも出来て。
挫折を知っているものは強いと思いますよ~それも出来るだけ若いうちに挫折を味わったほうが人間としては濃いものが出来上がるんじゃないでしょうか?
それは勉強も友達関係もですが・・
今の私が形成されたのは高校時代とOL時代のおかげでだと思ってます
2006/04/06 Thu 08:51:46
URL | ま~ちゃん #64owOXpE Edit 
またもやブラボー!
いいよ、いいです!丸ちゃん!
まさにそれですよ。あたしは丸ちゃんと違って貧乏から抜け出したくて大学も行かずに就職したけど、まるで自分の事のようですよ。たまたま公務員試験に受かってしまい、貧乏だったからさっさと働きたくて公務員になったが、なりたいなんて全く思わなかった。成績はトップクラスだったので何故進学しないのかと先生方にも言われたけど、とりあえずお金が欲しかったw。数学が赤点だらけだったので、他教科の平均点を極端に下げていた者ですが、なんとかなったよ。成績なんて無問題・・・とまでは言いませんが、人間の価値には関係ない。そして人間として一度挫折を味わった人間の方が絶対強いと思うよ。そして数字上ではなく人間としての本当の魅力に目を向けられる人。それが見えないといい人間関係は作れないし、人生楽しくないよね。
ああ、今日もいい話だったわ~。さんきゅー。
2006/04/05 Wed 19:25:17
URL | レンゲ #CIo.SJik Edit 
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