フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/04/26 Thu  03:33:26» E d i t
 » かくれんぼ その3 
 期せずして始まった「かくれんぼ」。

 隠れているのが小学5年生の自分だとしたら、その自分は世の中を歩んで行くにはあまりにも弱くて簡単に騙されて、折られて潰されちゃうくらいだろう。

 「素」にあるものがどれだけ面白くても、生きていけないくらいの純粋と世間知らずは同義。生活に余裕のある人が認めてくれるほどの才能があるんだったら飯を食うに事欠かないくらいにはなれるかもしれないが、自分が思うような未来を獲得して行けるくらいの常識や通念を覚えることと、社会と折り合いをつけるくらいの調整力をつけることは必要なことだ。いやむしろ、それらを学ぶために実践しながら失敗しながら今を生きていると言っても過言ではないような気さえする。 


 だから一旦、自分が身につけた背伸びや虚飾や抜け殻みたいなものでかくれんぼするのは実は正解なのかも知れない。弱い者は自分よりも弱い者を見つけるのが得意で、見つけたら必ずいじめるようにできている。ピュアな自分を守るための最善の手段はもしかしたら、背伸びや虚飾でガードすることなのかもしれない。

 
 「誰かに評価されるための努力」「何かに合格するための勉強」そんなものに意味は無いと、大人になってから出会う書物にはそんなことがよく書かれていて、若い頃には妙にそれに納得したりもする。しかし、飯を食って行くためにはそんなキレイゴトは通用しない。努力は目に見える結果を伴って始めて評価を受けるし、勉強は実を結んでこそ意味を為す。
 どんなに努力しててもそれが自分を含め周囲の誰にも安らぎや富をもたらさない物事は好評価は得難い。そして好評価というものは期待値すなわち応援されやすさを表すから、生きて行くためにという理由から努力には必然的に優先順位がつけられる。


 いわゆる「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」ってヤツだ。

 
 「やらなきゃいけないこと」の中に実は「やりたいこと」がかくれんぼしている場合もある。だけど基本的に「やらなきゃいけないこと」は自分にとっては縛りに感じてしまうから、本来的には優先すべき事柄なのに面倒臭がってやらないから「やりたいこと」にまで辿り着かない。


 本質的に「自分を伸ばして行くもの」と「窮屈に締めつけるもの」とは相反するように見えながらも混在していて、窮屈な締めつけの中で自由を求めて足掻きもがくから自分が大きく育って行けるという真理はあるはずだ。 
 

 「他人にどう見られているか?」「他人からの評価はどうか?」というのを必要以上に怖れる必要は、実はない。ないんだけれども、自分の価値判断の尺度や達成度として「他人の満足」というものが含まれている事実も否定できないものだから臆病になる。

 他人の顔色をうかがうようになる。



 「もっと自信を持て」と良く言われる年頃になると、ますます自分が何をして良いのか分からなくなる。自分がやりたいことをやれば良いと言うが、まずもって「自分がやりたい事」が何なのか分からない。 


 自意識という、凄く高くて立派な割には比較的脆くてすぐにヒビが入る壁の中に閉じ込めてしまった自分がやりたかったことは、壁を作る作業に夢中になっているうちに忘れてしまうから。もう一度、あの日の自分に出会えるかどうか・・・というのは、運によるのかもしれないし運命なのかもしれない。


 「もういいよ」が聞えたら、耳を澄ませて。

 


 
 
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コメント
この記事へのコメント
どうぞどうぞ
思いのまま書き付ける。思いほとばしる。良いじゃないですか。すばらしい。


かくれんぼの文章を収束しようとしながら、ちょっと思案してます。


そうですねぇ。どうだろう。これは誰かが見つけてくれるんじゃなくて、自分でみつけるしかないんじゃないかなって思ってます。誰かの声に呼応した、自分の中の自分を見つけるのは。


たくさんの人が似たような違和感を抱きながら、それでも真面目に現実に流されながら生きてますよね。


そういうのに疲れて立ち止まった時、何かを思い出すキッカケにでもなれたら、オジサンは嬉しいですよ!


続きかくぞーおー!
2012/04/29 Sun 18:09:02
URL | フクフク丸:to めい 様 #oKAhFFW. Edit 
道を探して
たくさんの険しく高い山脈が聳え立つ一方で、底が見えない深い無数の亀裂が足元にあるという「情報」ばかりを獲得し、「じゃぁ俺はどこにいるんだ?」という平衡感覚を完全に失ってしまっていた。
自分より下であろうという弱い奴らを見つけてはなんとか踏み止まり、資格や学歴を追い求めて山に登るためのテクニックを習得することばかりに眼が眩む。

「あれ、なんでこの山登ってるんだっけ・・」
内なる声に耳を傾けることなく、誰かが作った足跡をトレースするだけの日々。

テンプレートな回答、出来合いの物語。
自分で考えることもなく、大人たちが作った「答え」を疑うことなく信じていた。

社会にでて、息苦しいほどの競争社会の中で、教え込まれた「情報」は残酷なほど正しかったのだと理解した。
正しいから「真理」なのだと思いこまされた。

精神をすり減らしながら戦う中、ついに刀折れ、矢尽き茫然自失の中で、戦場を眺めていたとき、ふと一つの疑念が頭をよぎる。

「前提としてきたルールそのものが間違ってるんじゃないのか・・?」

なんでこんなに後味悪く、意地汚く、利己的に振る舞って生きていかなければいけないのか。
それは残酷だけど生きていくための必要な戦術なんかではなく、弱くてみじめな自分を少しでも派手な色で塗り固め、立派に生きていると見せかけるための体のいい虚飾にすぎないんじゃないか?

底に埋もれていた「良心」。
干乾び荒廃した大地から、吹けば消えそうな頼りなさで芽吹くのを感じはじめた。

エゴという怪物が闊歩する現実の中、何度も何度も踏みつぶされながらも、決して枯れはさせまい、摘ませはせまいと寸でのところで死守する。

心の奥の奥の方で眠っていた「素直な気持ち」から、「もういいよ」という声が聞こえた。
それは諦めの声ではなく、かっこばかりつけてた自分に対する真っ直ぐなエール。

「もう」そんな見栄ばっかりはらなくて「いいよ」。
ちっぽけな勇気だけど、尊厳だけど、守っていかなければいけない何かが見えてきた気がする。


意味不明なコメントですいません。丸さんの素敵な日記にインスパイヤーされて思うが儘に綴ってみましたw
2012/04/26 Thu 13:45:03
URL | めい #j.d64WD2 Edit 
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