フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/04/14 Sat  18:06:18» E d i t
 » かくれんぼ その1 
 「自分が今の自分らしくなってきたのはいつだっただろうか?」


 誰かと話している時にテンションが上がって来ると、自分の中心に一体何歳の自分がいるだろうか?

 小学5年生くらいの自分だと思う。

 それはおそらく「自意識の芽生え」前後だった頃だろう。やがて過剰なまでに膨らんで来る「自意識」に埋もれてしまう以前の自分がそこにいる。一生懸命に笑って泣いて頑張ったりサボったりしていた少年は少年のままで自分の中に隠れていて、いつか誰かに見つかる事をワクワクしながら待っている。まるでかくれんぼ。


 その年頃に自分が自分の世界を変えてしまったのは女の子が急に「女性」へと変化していったからのように思う。その頃から友達との話題に上がり始めるモテるモテないは、今、この年齢になっても男女の関心事のトップ3みたいな扱いで週刊誌やらテレビ番組やらでやいのやいのとはやし立てるが、そうして「外側から見える自分」を意識して様々な背伸びや虚飾を始め、中学辺りから突如として登場する「競争意識」も手伝っていつの間にか、かくれんぼしている少年はそのままそこに忘れ去られたままになって、どんどんと埋もれてしまう。


 背伸びは間違いなく新しい自分へのステップではあるが、虚飾はその言葉の通り「虚ろな飾り」であり、虚ろな飾りを重ねるごとに自分が自分から離れてしまう感覚も同時に増えて行く。増えて行くのだが、それに慣れても行く。馴染んでしまえば虚飾も虚ろでは無くなる。

 
 私には馴染まなかったんだと思う。



 きっと、ずっと。窮屈だった。
 でも、その窮屈さに顔をしかめながら生きているのがカッコよさだと思っていた。
 


 尾崎豊が歌っていた「本当の自分に辿り着くために繰り返される」はずの「卒業」の答えみたいなものは、実はすでに自分自身の中にずっといて「もういいよ」「もういいよ」って繰り返し叫んでいた。その悲痛なまでの叫びが実は原因不明で自分自身を締めつけて来た、自分の心の痛みの正体。


 
 子供が生まれて、育って、自由にさまざまなものを感じ取りながら成長して行くのを眺めていて、私の中で虚飾に埋もれてしまった少年のかすかな呼び声に気付いた。


  探した。
 「考えるのではなく、感じるんだ。」大好きな映画の大好きなセリフが自分の背中を後押しする。心の声に耳を傾ける・・・そう。心の耳を澄ますんだ。


 
 
 つづく
  
 
 
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