フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/03/14 Wed  01:24:05» E d i t
 » 君ニ 未来ヲ 夢見タ。 
 基本的に自分の限界とかだらしなさを自認、自覚し、受け止めながら生きている私は、他人にも多くを期待していないタイプだと思っている。思っていた。


 ところがヤツは有り余る才能を持て余すかの如く私の前に登場。親の事情によって大金持ちからドラマのような大転落を経験し、普通であればしなくても良いような苦労をしながら、それでもたくさんの経験と失敗と、屈辱の中からたくさんの得難い成果を積み上げて来た。
 私よりも10歳も若いその青年のそのたくましさに、私は間違いなく未来を夢見たのだ。期待したのだ。


 彼は私にこう言った。
 「世の中、勝ちパターンがあるんですよ。ルール(法律)を知って、自分の立ち位置を知って、様々な角度から考えて、粘って粘ってやり抜けば、絶対に勝てるんですよ。」


 また、こうも言った。
 「丸さん。俺、普通の大人になりたいんですよ。ちゃんと家庭持って、ちゃんと子供育てて。当たり前の大人になりたい。丸さんみたいに。」


 概ね、彼の「問わず語り」に微笑みながら相槌を打つのが私と彼の関係性だった。
  


 
 10年前の自分と、今の彼が出会ったとしたら絶対に打ち解けることは不可能だっただろう。私は「思い」だけが一丁前の、世の中と戦う手段を持たないただの若造会社員だった。常に周囲からは期待をかけられ、期待される割には何の結果も残せず、結果を残せない自分の存在価値など無いに等しいとさえ思っていた。そう思いこんだが最後、やる前から負けるタイプ。負けるからやらない。やらないからできない。そのまま。
 「結果が出ないのはやり方が良くないから」「では、どんなやり方なら良い結果に繋がるのか?」そんな考え方をできる余裕など無かったし。
 
 あぁ、若い人がこれ読んでくれてるなら、私なんて偉そうなこといろいろ書いててもそんなもんですから。
 
 
 彼は10年前の私が欲しがっていた「成功や失敗のたくさんの経験」をすでに持っていてそれがしっかりとした土台を作り上げているように見えたし、実際に私よりも世の中の辛酸をなめて来た分、多くの事を知っていたし、それに起因するのか気持ちの弱さや常につきまとう諦めのようなものが垣間見えたりもした。
 この先、実は私は彼を人生のライバル、親友としながら一緒に過ごして行く時間を思い、この出会いにとても感謝した。感謝していたのだ。


 
 彼が「当たり前の大人」と表現してくれた私になることができたのは、それは恐らく他人からの期待に応えられない自分を自覚し、それに応えようとしない自分になったからなのだろうと思う。

 頭で考えることは大切なことだと思うが、学校で習って来たことや学歴だとか出身校とかがそのまま世の中のためになることなどない。要するにそれは道具で、道具は使い方を知らなかったり、使えるだけの能力が自分に備わってなければただのゴミ同然。
 大切な「道具」を一旦「ゴミ」だと割り切るのに、ちょっとした覚悟は必要だ。身軽になった自分にとって、おそらく最高の道具となるのは「無知の認識」だ。「分からないことは分からない。知らないことは勉強させてください」と素直に言えることだ。 

「期待されても一足飛びにアナタ方が立っているそのステージには立てませんよ、僕は僕の回り道を行ってみますのでよろしければ待っていてくださいね。」という感じで、10年前の私に絶対的に不足していた「成功や失敗のたくさんの経験」を得るために世の中に飛び込んで「何が欲しくて、何がいらないのか」「何を手に入れる事が出来て、何が今は無理なのか」「欲しいものを手にするためにはどうするか」ということを考えて、よしんばその時に手に入らなくても次に向かって行くために仕掛けを作れるような自分になって来たから「当たり前の大人」に見えるようになったのだろうと。

 まぁ、単純に腹がポッコリ出て来て貫禄がついたのもあるんだろうけど。


 そうするうちに、あの時一旦「ゴミ」としてそこに置いてきたいろいろな「道具」を使いこなせる体力がついていたり、道具を使ううちに思ってもみなかった場所に辿り着いてみたり。いろいろ。ホント、いろいろ経験して。


 
 そんなことで、10年経た私と彼は巡り合ったのだった。


 彼の大胆な発想は私の自由な考え方と大いにマッチしたし、それでいて繊細な計画立案は息を飲むほどのものだった。しかし、物事が計画通りに進まない時に別の選択肢を用意しない彼には、逃げ道が無くなるという致命的な弱点もあった。結局のところ、自分の思うがままにならない部分を埋め合わせるために平気で嘘や誇張で周囲を困惑させるし、都合が良くないことに出くわすとまずは自己防衛を優先し、仲間にさえ牙を剥いた。その態度は自然と仲間が遠ざかって行くものだった。


 「俺の力を使って、みんなで良くして行きましょう。」
 「これ、良い考えでしょ?これで上手く行く。」
 
 「一生懸命にやっているのに、どうしてみんな分かってくれないんだ?」
 「こんなに完璧な計画なのに、なぜ上手く行かないんだ?」

 「お前がちゃんとやらないからだろ?」
 「どうせみんな俺の計画なんてヤル気ないんだろ?」

 「上手く行かないならやめちまおう」 

 
 彼の言う事には一理ある。一理どころか、私から見れば全くごもっともな計画であり、全く真っ当な意見にさえ感じられる。しかし、実行実現のための方法論は間違っている。
 考えを誰かに伝えるということが実は一番難しいことなのだ。
 その難関を上手く越えられたとしても、その誰かから協力を得ると言う事はさらに難しい。

 私は愚鈍な自分も今なお持ち合わせているために、彼の言動も分かるが彼についていけない、…ついていかなくなる多くの人間の感情もよく分かる。 
 
 
 「時間を掛けて何度も何度も繰り返す。何度衝突しても目的地は変えない。ただ、ルートは変えても良い。」
 
 おそらく彼が私を指して「当たり前の大人」と評したのはそういう、今の彼が持ち合わせていないのであろう「方法論」のことを言っていたのであろう。 
 

 
 やがて、彼は何かに追い詰められるかのように私たちから離れて行ってしまう。


 そして、“知らせ”は届いた。
 彼がどうやら“法を犯した”のだと。

 彼はその才覚を良い方向に生かすこともしていたが、多くの人にとって好ましくない方向にも活用していたらしい。彼は、自分の計画が正しいものであることを証明し、みんなに自分の才覚を正当に評価してもらいたかった。彼にとっては、みんなの成功という目的よりも「自分が評価される事」が重要なことだったのかもしれない。

 だから、きっと。

 自分を評価してくれる人たちのために、きっと一生懸命にその才能や知識や経験を発揮してしまったのだろう。その人たちが、彼を利用しているという感覚すら持たないままに…。



 私よりも10歳も若いその青年のそのたくましさに、間違いなく未来を夢見た、期待した私は、だからなおのこと、彼が彼自身を見つめ直して、他人や自分を甘やかすことではなく、許すと言うことを見つけて欲しい。
 結局、ずっと遠回りになったとしても、彼との再会に期待を抱き続け、そして私は私の道を歩み続けて行く。


 オマエ、頑張れよ。
 俺も、頑張るから。
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コメント
この記事へのコメント
それではこちらも長くなりますがすみません。3
 ただでさえ長いコメント返しなのに、翌日に持ち越しというスーパープレイが炸裂しました!画期的です。


 そう。ただ褒めて欲しい。認めて欲しい。そのためならば「なんでもやる」。
 彼は自分が存在する意味を他人の評価に委ねてしまった。

 
 だから。
 最短距離を直線で突っ走るように、周りのペースに乱される事なく定められた目標を達成する。達成する過程で何かを味方につけたり、積み上げて行くのが理想だろうに、彼は敵を増やし、様々なものを切り捨てながら自分だけが進む。

 そうやって手にした新しい物を次から次へと自分で捨てて行く。 
  

 テツ師匠が書かれている「そうなってからも人生は続く」のです。

 私も同じように感じています。そう。人生は続くのです。達成しても挫折しても、それは人生の一場面でしかない。

 栄光を頂点だとすればその他は転落ということになるし、挫折のどん底を知れば100点満点中の1点でも希望の一歩となる。
 
 栄光を掴んで“その付近で終わる人生”を若い頃は夢見ます。熱く生きて、熱が冷めぬままに死ぬ。しかし、世の中はそう上手い具合にはできていません。

 坂本龍馬や新撰組のように、短い命を己の信じた道に捧げ、燃やし尽すような生き様に共鳴すればこそそういう勘違いが生まれるのですが、現実はそこからも人生が続きます。

 人生は血沸き肉躍るような物語が継続して行く訳がありません。ごくごく普通の日々を紡いで行って、積み重ねて行って、たくさんの人々の思いが渦巻きながら集まって、大きな流れが生まれ、それが時代の流れに即した時にそこに「物語」が生まれるのだと思います。

 そして「物語」が終わっても、人生は続く。鬼退治が終わった後の桃太郎が聖人君子のようになったのかどうか、誰も分からない。金太郎が坂田金時という武士になったと言って、熊をぶん投げてた子供の頃の方ばかりが「物語」になってる。

 
  件の彼に話を戻せば、小さな目標に到達しても物語が終わらなかったように、今は逮捕されてどこにいるのか分かりませんが、そこで終わりでもない。

 自分のなりたい自分。

 それを探して欲しい。そして「自分より大きな自分の影を追いかけて、いつまでも絶対辿り着くことなんてできない・・・」(橘いずみ「永遠のパズル」)この歌詞の次に「悲しいけれど」と続くのですが、それを「楽しめる」自分になって欲しいと思うのです。



 強くも弱くもない、強くて弱い、あるがままの自分を受け入れ、なりたい自分になるために、少なくてもできることを続けて行く。


 おそらく、彼が私を指して「あたりまえの大人」と言ったのはそういうことなんだろうと思います。


 そう評価してくれた彼に恥じぬ自分でありたい。そう強く思うのです。

 長々とお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
2012/03/21 Wed 09:00:34
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit 
それではこちらも長くなりますがすみません。2
 ヒョ-ドル(60億分の1の男。総合格闘技界最強と呼ばれたロシア人)が最盛期の頃、「ヒョ-ドルに勝つにはどうしたら良いか」を話し合ったことがあります。

 私の答えは「100%ではないが、勝率を上げる方法はある」で、クイズでも何でもないので引っ張ることもせずに答えを書きますが「じゃんけんで戦えば良い」という答えを出しました。
 「総合格闘技で勝つためには」という問題じゃないんだけど、みんな一生懸命に「総合格闘技で戦うこと」を考えるんですね。で、不可能だと言うことになる。

 その時、「彼」の出した答えは「あぁ、100m走だったら勝てるかもしれません」でした。
 自分がイーブンに戦える土俵に引っ張り込むことができさえすれば、勝つ確率はゼロではなくなる。そんな当たり前のことを当たり前に発想できる人は実はそんなに多くはありません。

 
 スタートラインからゴールまでの距離が平等であることは、学校を出た後の人生では、そういう競技でも継続しない限りはほとんど有り得ません。それどころか、「よーい、ドン」の合図も無ければ、誰かが整地され、しっかり線引きされたグラウンドを走っているところを、他の誰かは草木生い茂る密林をさまよって泥沼に足を取られているかもしれない。それでも、後者の方が最終的にゴールらしいゴールに辿り着いちゃうかもしれない。

 それが人生だと思うのです。


 自分がどのフィールドなら力を発揮できて、逆に相手の得意なフィールドはどこで、どのくらいの力を出せるのかを知ることは大切なことで、自分の得意なフィールドで戦うために相手をおびき寄せる工夫をしたり、あるいは、自分の能力をさらに磨いておくことは孫子の兵法にもあるとおり、戦術の基礎です。


  「よーい、ドン」を待っていて、「いつか合図が有りさえすれば俺はスゴイことできるんだ!」って勘違いしてる人たちより「お前それ、それでホントに良いのか?」と誰かに言われても自分で考えて行動している人でありたいと私は思っていて、彼もまたそういう発想の人間だったことが私にとっては嬉しいことだったのです。

   
 ただ、私が「増長することによって、周囲から孤立する」という経験を通して、独力の限界を知り周囲の協力を引き出すためにどうするのかを考えるようになったのに対して、彼は孤立を厭わず、ただ目の前の目標達成のためだけに周囲を傷つけ、己が傷まみれになってでも自分の主張を通すことに固執していました。


  己を活かし、周囲を生かすのではなく、そこにあるのは「滅びゆく潔さ」のような片道切符の特攻精神でした。

 
 トレーニングで例えれば強くて太くて美しい筋肉を目指して始めたのに、本来であれば運動と栄養と休養のバランスと長い時間の積み重ねによって歩み続ける「道」のようなものを、全く無視してひたすらステロイドとトレーニングを繰り返し、誰かの意見に耳を貸しているフリして全く聞かず、筋肉が疲労で痩せて骨がスカスカになってもなお動いている自分を、誰かが褒めてくれるのを待っているような感じです。


 褒めて欲しい。

 きっと、彼が求めているのはそれだけ。
2012/03/20 Tue 18:14:26
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit 
それではこちらも長くなりますがすみません。1
 効率化は良いことなのかも知れません。確かに。

 そして文章内に出て来る彼はまさに効率化や合理化を人生の指標としていたところもあります。また、社会全体がそういう風潮にあるのは疑いようのない事実です。

 社会における効率化や合理化というものが行われる背景には、経済競争における競争の激化とその相手の変遷と対応、建前だけ整い過ぎた社会基盤を実際に維持して行くに当たってこれまで日本人が「善」として来た制度やシステムが成り立たなくなり、「見知らぬ他人を守るために自分が働いた分の給料から税金を天引きされて、本来守るべき自分の身の回りの者たちにお金が回って来ない」ようなジレンマが発生。

 企業側から見れば手慣れた熟練者を育てる余裕も無くなり、即戦力をその場その場で継ぎ足すように派遣会社から「人材」ではなく「能力」を買って、その場しのぎを続けて行く有様。

 その場しのぎができるのも体力があるうちで、そのうち蓄積しないノウハウと、入れ替わるクルーへの教育不足とでもがくことさえできなくなってしまう悪循環。


 政治経済に効率化や合理化が持ち込まれ、そこで生き抜こうとするサラリーマンが身につける武器も、使用目的という基礎の基礎の時点にそれがまとわりつき、究極は「成果主義」という形に結実。


 いわゆる「成果」のためならドーピングも辞さない構えで目に見える結果、数字だけを追いかけるような欧米系ビジネススタイルみたいなものがもてはやされた時期もありました。

 今もそうなのかもしれませんが、少し見直されて来たような感じもあります。


 彼はそんな「今」を象徴しているのだと、私はそう見てました。

 
  「成果達成の向こう側にいる自分をイメージできていない。」彼を良く知る、彼の上司はいつもそう私につぶやいていました。

 目標までは最短距離を考えて、万難を排して到達しようとするが、いざ到達したら何をするのか見失ってしまう。だから、少しずつ目標を釣り上げて彼の能力を最大限に引き出したいというのがその上司の考えだったようです。


 直属の部下である「彼」を、彼の上司は大いに目を掛け、大いに可愛がり、時間を掛けてゆっくりと育てて行くその途中、「彼」は直接その上司に実害を与えた訳ではありませんが裏切るような形で姿を消しました。

 そして、逮捕の連絡が届きました。

 
  
2012/03/20 Tue 16:22:26
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit 
長くてすみません3
そう言う人を押し退けて優勝してしまった後ろめたさでしょうか?それともあまりの達成感の低さからでしょうか?

ボディビル競技をやめ、ジムもやめ、トレーニングさえやめてしまう人が多いです。

そう言う人が、後悔を背負いながら生きて行くのか、継続して周りも自分をも欺いて生きて行くのか?私にはわかりません。

しかし、そうなってからも人生は続くのですよ。

先に人生は思ったより短いと述べたましたが、同時にそうなってからも思ったより人生は長いのです。

実は、普通に、当たり前に真っ当に生きて行く事が、最も大変で最も尊い事だと私は思います。

彼もその事に気づいているなら、必ず帰って来るでしょう。

若くして経験を積んでいたとしても、それは人生の全てを語るにはあまりに未熟だったのです。

『熱物に懲りてナマスを吹く』様に、彼は父の失敗から、逆に効率を求める事ねみに捕らわれてしまったのだと思います。


まあ、件の彼はいいとして、先シーズン私をところてん方式で入賞から押し出したステロイドユーザーは絶対許しませんが…(笑)。
2012/03/17 Sat 01:58:13
URL | テツ(肉体改造家) #- Edit 
長くてすみません2
ドーピングがいかにフェアでないかを示す例として、昔陸上100mで記録を出したものの、ドーピングで記録剥奪になったベン・ジョンソンと言う選手がいました。
当時彼がベンチプレス150キロ挙げると言うのを聞いてスゲーと思っていたのですが、私もいつしか150キロ挙げられる様になっていました。
『な~んだ。黒人じゃなくても、ステロイドなんて使わなくても、挙がるじゃん!』と思ったのですが、よく考えてみれば、私はベンチ150キロ挙がる様になるのに、その時点で既に10年の歳月を費やしていたのです。
オリンピック選手だったら、とっくに選手生命終わってますよね?
時間と言う取り返しのつかないものを努力を積み重ねて来た人間から奪うと言う意味でも、ドーピングはフェアではないのです。

私の所属している日本ボディビル連盟では抜き打ちでドーピング検査が行われているものの、実際には巧妙に仕組まれたドーピングに対処するすべを持ちません。

資金もないので、これは露骨に怪しいと言う選手をピックアップして尿検査を行うだけ。

これだと、アナボリックステロイドなどは検出出来ますが、成長ホルモンは検出出来ません。
成長ホルモンのドーピングチェックには血液検査が必要で、3ヶ月ステロイドを抜いて尿検査に引っ掛からなくして、その間の筋肉の維持に成長ホルモンを使うと言う手法を取られると対処出来ないのです。

しかし、心底疑問に思うのは、何故にそうまでして勝ちたいと思うのか?です。
あくまでアマチュア競技ですよ。
賞金が出る訳ではありません。
皆あくまで自分の満足のため、積み重ねて来た努力の成果を順位として結実させるために競技に臨むのです。
言ってみれば完全な自己満足の世界。

ズルをして、

『やった!優勝!!』

なんて訳がわかりません(笑)。

皆は騙せても、自分は騙せないと思うんですが…。

あるいは、そうまでしてでも、皆に凄い奴だと評価してもらいたいんでしょうか?

ただ、そう言う選手の特徴として、彗星のごとく現れたかと思うと、もう翌年には出て来ません。

本来ならば、盆栽の様に年月を積み重ねて作って来る筋肉なので、人によっては今年優勝を逃したら、ピークを過ぎてしまい来年は無い…と言う覚悟で臨んで来る場合もあります。

2012/03/17 Sat 01:55:05
URL | テツ(肉体改造家) #- Edit 
長くてすみません
効率を求める事は悪い事ではない。
しかし、効率ばかりを求める者は足元をすくわれる。
例えば筋肉。
トレーニングと言う破壊と食事と休息の繰り返しで少しつづ作られて行くのが筋肉。
単なる体重増加でなく、純粋な筋肉量の増加はトレーニングを開始した当初ならまだしも、ある程度まで行くと年に2キロがやっと。
しかも、毎回毎回、前回と同じ程度の強度でやっていたのでは、その僅かな進歩どころか後退しかねない。
スロートレ、加圧、…etc.etc…様々なトレーニング方法がセンセーショナルに取り上げられ消えて行く。

何故なら、どんなトレーニング方法でもキツクてとんでもなく根気がいる事に変わりはないのだから…。

筋肉をつけるのに効果があるトレーニングは効率的であっても、楽なトレーニングでは決してない。

効率的である=楽な事では決してないのですよ。

丸さんの後輩?の言う必勝法と言うのは、もしかしたらあるのかも知れない。

しかし、それは強いて言えば『勝つまで勝負を止めない事』以外には無いように私には思えます。

人生は思ったより短いので、効率を求める事は非常に大事です。

いつかなったらいいな…程度だと、絶対に到達出来ない類いの夢もある事は確かですし…。

ただ忘れてならないのは、そう言う夢を実現させるには、どんなに効率的で最短距離の絵が描けていたとしても、それにはとんでもない労力と当然失敗と言うリスクがついてまわると言う事です。

それを甘んじて受ける覚悟はお前にはあるのか?と。
映画マトリックスの中で、レジスタンスのリーダー、モーフィアスも言ってるじゃないですか…

『道を知っているのと、歩くのは違う。』



話を筋肉に戻しますが、ネチネチ、コツコツと三歩進んで二歩下がる様な肉体改造ですが、ほんとに効率的に楽に筋肉をつける必勝法があります。

それはドーピングです。
上手くやれば、10年掛かってようやく到達出来る成果を1年で得る事が出来ます。
2012/03/17 Sat 01:52:44
URL | テツ(肉体改造家) #- Edit 
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