フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/03/07 Wed  06:40:18» E d i t
 私の父は何かにつけよく怒鳴る父親だ。いまだに。

 
 幼少の頃は怖い父親であり、思春期にはうざったい父親であり、そして今では愛すべき父親である。
 よく「尊敬」という言葉を用いることで父親に対する思いを表現したがる人たちを見掛けるが、私からみた場合「尊敬」ではなく「愛すべき」という表現がしっくり来るのだ。ちなみに尊敬という言葉を辞書で引くと、


 そん‐けい【尊敬】
[名](スル)

1 その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。「互いに―の念を抱く」「―する人物」 そん‐けい【尊敬】
[名](スル)

1 その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。「互いに―の念を抱く」「―する人物」

2 文法で、聞き手や話題の主、また、その動作・状態などを高めて待遇する言い方。→尊敬語

大辞泉




 と、出てくるのだが、当然そういう思いを片側に抱きつつ、言葉は悪いが時には「軽蔑」に近いような感覚を抱くような部分にも出くわす。ちなみに軽蔑を辞書でひくと、


けい‐べつ【軽蔑】
[名](スル)いやしいもの、劣ったものなどとみなして、ばかにすること。さげすむこと。「―に値する振る舞い」「いかにも―した笑い方」  大辞泉



 
 と、出てくる。

 “「軽蔑」に近いような感覚”と表現したのは、それに近いのだけれど何か少し別な感覚ということだ。

 浮き沈みの激しい世の中をしっかりと渡り歩いて生きて来た父親の言動というものが、全て世の中の正鵠を射ているかのように思えて、そんな父親に憧れと敬意を抱く。それが息子(・・・や娘、私は「息子」なので女性が受ける印象は分かりかねるが)を縛り付ける時期があり、息子がその精神的束縛状態の中から自らの足で世の中を歩み始め、友人や恋人や先輩や後輩や様々な人たちと出会って、いろいろな経験をして挫折を繰り返しながらそれでも歩き続ける中で「自分なりの感覚」というものを得た時にその縛りが緩んで行くのを感じる。
 縛りが緩んで行くのを感じ自らの思索の旅が始まり世界の広がりを実感すると、今まで自分を「束縛状態」にしていた父親の言動というものに疑問や反感を覚え始める。

 そしてやがて自らも親になり、子供の成長を目の当たりにし、経験を積み思索の熟成を経る中で、気付く。
 「あれは“束縛状態”なんかじゃなかったのだ」ということに。

 単純に、幼少期や少年期における学習能力や他人や社会とのコミュニケーションスキルが備わっていない段階に於いて、自らの生活の中心は「家庭」であり、その中心に位置していたのが「父親」であったというだけの話で、他人の考え方や物の見方や思想や思索方法を知らなかったから、父親の言うもっともらしいことが正鵠を射てきたかのように感じられていただけのことだったのだ。
 
 「学ぶ」ということは自由を手にすることだと、つくづく感じる。学ぶと言うことは答えを探すということなのだろう。答えを探すためにはたくさんの選択肢を見つけ出さねばならなくて、しかもそのほとんどが「スカ」。面白いほどに「スカ」連発で、それでも自らの意思でまた新しい選択肢を探し出す。そのうち「スカ」だったものが溜まり溜まってそれが正解に変化したりするもんだから学ぶことは面白くてやめられなくなる。
 「思索する」ということは手にした自由という強大な道具で、自分の人生を切り拓いて行くことだと感じる。思索すると言う事は自分の疑問に対する自分なりの答えを探す「精神の旅」なのだろう。旅に目的地はあるが、この思索の旅には終点という者はおそらく存在しない。だから永遠に彷徨う前提で、彷徨ってる自分を楽しめば良いのだ。


 自らが迷いと不安と、それを克服するために学ぶことをくり返すようになった時、思い至る。


 正鵠を射続けて来たかのように感じ続けて来た父親の言動が、実は彼自身の迷いと不安と挫折と勉強の繰り返しの中で、自らや周囲を奮い立たせるために続けられているものであったのだと。
 大人になって父親になった自分と、自分の父親の影を重ね合わせて「愛すべき」という表現が出現する。

 
 不可思議な表現になるが、自らの一部に父親の一部が重なり合った感覚とでもいうべきか。



 日本人は儒教の影響なのだろうけれども「尊敬」という言葉をやたらと使いたがるし、また、その言葉を使われた側も使った側も、それによって無用な「壁」を築き上げてしまう癖があるような気がする。別にそれはそれで美徳として扱われても構わないのだが、歳をとったり、功なり名を為したりしたというだけで別にその人の人生はそこで終わるわけではないのだ。
 「尊敬」という壁の向こう側にそうした人たちを閉じ込めて崇め奉るのもそれはそれで良いことなのかもしれないけれども、本来的には歳をとるのは生きられれば誰もが為し得る自然なこと、功なり名を為すのは努力が実り、運が良かっただけのことと割り切って、次の自分を生きる人生の方が楽しいんじゃないだろうか?という気がする。


 そういう意味では本人は意識してやっているわけでは無いのだろうけれども、「尊敬」という壁を作らない、作ってもぶっ壊す生き方の手本として私の父親は観察しているととても面白い。 


 だから、偉そうに腕組みしてへの字口でふんぞり返ってる父親も、孫をからかって本気で泣かせてる父親も、自分の言いたいことが相手に伝わってないだけで逆ギレしてる父親も、超絶に美味いお好み焼きを作ってみんなに褒められてるのに「当たり前だ」みたいな顔してテレビを見てる父親も、その全てが「愛すべき」という表現になってしまうのだ。




 私はなにかにつけすぐに怒鳴る父親を見ながら育って来る中で「自分が親になったら、何かあっても怒鳴ったりせずにしっかりと子供の心に訴えかけて、教え諭す父親になろう」と決意したのを覚えている。



 覚えていながら実行せずにいる。



 ルールや約束を守らなかった時には別に誰の前だろうと関係なく子供たちを怒鳴り散らすし、自分の感性に照らし合わせて許しがたい場面では手も上げる。


 おそらく、世の中の多くの親は子供の躾がなっていないのは自分のせいだと思い、子供が何かをしでかした場合、自らの教育方針だとか躾の仕方が間違っていたとか、ああすればこうだったとか、自分がもっとこうしていれば、とか悩んで子供自身がやったことの責任を“自ら進んで取りたがる”のだろう。


 それはきっと本質的には正解だと思うが、私は私自身の子供時代の記憶から辿るにこう思う。 
 「何かをしでかすのが、子供なのだ。」 と。だって、私は父親でも、母親でもない、私なんだから。


 善悪の判断などはいくら教え込んでも子供にとっては「選択肢」に過ぎないのだ。その選択肢の中から何を選んでどんな経験を積んで、何を感じて、何を得るのかはその子供の「選択」であり、それがすなわちその子供の「人生」だと思う。
 「自分の人生なんだから自分で考えて、自分で生きろ」は基本なのだろうけれど、そんなことを今の大人に言ってもそうそう通用するものじゃないのに、まして子供に言ったところで通用するはずが無い。それが通用するような共通のベースをまだ築けていない状態なのだから。だから、考え方のベースを押しつける必要があり、それは我が家では父親である私の義務であり、特権だと思っている。
 だから、その押し付けるルールや約束から外れることは叱る。叱って分からない時は怒鳴る。
 ルールはシンプル。
 「挨拶しなさい」「ハキハキと話しなさい」「兄弟仲良くしなさい」「片付けなさい」「宿題とドリルをやりなさい」「日記をつけなさい」そこに「お手伝いをしなさい」が加わって、全部できたらマンガ読むなりゲームするなりして良いよとなる。
 
 それだけのことを言うからには私が父親らしく率先して何事もやっているかと言えば、別にそんなこともない。気難しい顔して新聞読んだり、何が何でもニュースばかり見てたりするのではなく、子供たちと一緒になってゴロゴロとマンガを見たり、ゲームをやったり、テキトーに家事を手伝ったり手伝わなかったり、そりゃもう気楽なもんだ。気楽な父親だけど、ルールを守らないことは叱る。理不尽。別にどこから見てもパーフェクトな親である必要なんてないのだ。親も人間だ。
 そして「世の中は理不尽である」ということをまずもって最初の最初に感覚として覚えておくことはおそらく何よりも大切なことだ。 
 


 別に私が押し付けるこんなもんが正解じゃなくたって良いんだよ。お前たちが悩んで迷った末に出した答えがお前たちにとってベストだと思えるような人生を送って欲しい。



 「お前の人生をお前が考えて、お前がやりたいように生きて行くために勉強があるんだよ。」

 「お前が生きてく中で、たくさんの嬉しいことや悲しいことがあってさ、それを分けあったり一緒に感じたりして、協力して生きて行くために、お父さんやお母さん、じいちゃんばあちゃん、兄弟、先生、友達がいるんだよ。だから大切にしなきゃならないんだ。」
 
 


 学びなさい。
 父親の押しつけるベースから飛び立つために。

 悩みなさい。
 いつかたくさんの人たちを「愛すべき」存在だと思えるように。




 「子をもって知る親の恩」とはまさにこのことなり。 
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コメント
この記事へのコメント
尊敬と敬意と
 タイガー・ジェット・シンを尊敬の対象とするのは相当レベルの高いプロレスファンだと思います。プロフェッショナルとは何であるのかを深く追求した末に導き出される実に哲学的・・・あぁ、危ない。いつもの脱線コースじゃないですか(笑)。


 ただの人間だってことですよね。大概の場合は物の見方、考え方の基礎が作られる幼少期~少年期に於いて、子供たちの一番近くにいる大人の男性が父親だという、ただそれだけのことで。

 親としては子供に受け取ってもらいたい事がたくさんあって、それを受け取るのも受け取らないのもそれは子供たちの選択の自由だから大人になったら考えれば良いとして。

 とりあえず「絶対正義」のような口ぶりで自分の親から自分が子供の頃に大上段から押し付けられて嫌だった事でも、時を経て自分が親になればそれがもしかしたら本当に「絶対正義」だったかもしれないと気付くこともあって、それはやっぱり自分の子供たちに、時には大上段から、時には機に触れて気持ちに沁みるように伝えることが大切なことだと私は思うのです。

 心に沁みる機会に、この伝えるべき思いをきちんと言葉や行動として示せるように、私は自分の思いを言葉にする鍛錬を行ってきたように思います。このブログやコメントでのやり取りもその一環です。

 
 愛すべき「リアルで不完全な」存在。
 すごくしっくり来る響きです。やっぱりオヤジは、カッコいいこと言った直後に、屁の一発でも喰らわせるような存在であるべきだと思うのです。

 私にとって理想の父親は、小学校5年生の頃に見た「あまいぞ!男吾」というマンガ(コロコロコミック)に出て来る男吾の父親、金時の「おまえが正しいと思ったことを、胸はってやれ!」という一言に集約されます。
 
 小5の時の思いがそのまま生きてます。 
 
 立ちはだかり乗り越えるべき壁でもあり、同じ目的に向かうパートナーでもあり、背中を押す順風でもある。
 自分自身に対する自分自身の位置づけも、その辺りで良いような気がしているのです。
2012/03/12 Mon 17:32:49
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit 
尊敬とは違う何か
漫画『はとのおよめさん』で、主人公のハトヨメが面接を受けます。


面接官「尊敬する人物は?」

ハトヨメ「タイガージェット・シン!」

ブブー

面接官「不合格です。」




…では、私は…と考えたのですが、やはり『父』と言う答えは出て来ません。


あまりに一貫性がなく、理不尽でマイペースで人の言う事を全く聞いてない忘れっぽい父。

何でも物事を面白くしようとくだらない事ばかり言っている父。

そんな中でも、世の中は公平でなければならない、フェアでなければならない、弱い者は守らなければならないと言い続けて来た父。

身近にいるこのあまりに人間臭い善意に満ちた不完全な存在を『尊敬』で片付けるには、やはり違和感がありますね。


父に対する不平や不満と言うものは、子供ならば当然あり、自分の子供には自分が受けた嫌な思いはさせたくないと心掛けて来たつもりですが、実際振り返って見ると、父が当たり前の様に私に与えてくれた事を私は子供には与えてやれず(つまりウザイくらいいつも一緒にいてやると言う事)、それを認識する度に父の存在の有り難みを改めて感じます。

『尊敬』と言うのはリアルな人格に、功績なり偉業なり、なし得た事のフィルターをかけると言うかレッテルをつけると言うか、人間らしい不完全さを排除した時に発生して来る抽象的な感情の様に思えます。

だから丸さんの言う様に、父と言う愛すべきリアルで不完全な存在には『尊敬』と言う言葉は似つかわしくないのだと思います。


元妻との合意で、私は3週間に一度子供達との時間を過ごしていますが、共有出来る時間が少ない分、無意識のうちに『尊敬出来る父』を目指していたかも知れません。
でも、実際には子供は成長して親のアラはドンドン見えて来るし、父として『尊敬』を勝ち得ようというのは無理がありますよね(笑)。


でも、自分は子供達が更に成長した時に、カッコいい父であるために、と~ちゃん無理してたんだなぁ…と今してる無理が愛すべきものに変わって行ってくれる事を実は期待しております。


2012/03/07 Wed 23:05:41
URL | テツ(肉体改造家)  #- Edit 
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