フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2011/10/06 Thu  17:57:36» E d i t
 先日遊びに来た友人と話している時に、彼がポツリと言った一言。


 「せめて、よしんばこの職場を辞めたとしても、次の職場に行った時に恥ずかしい思いをしない程度の心構えくらいは若いバイトにも教えておきたいんだわ」


 
 自分が抱え込んだ仕事を後輩に分け与えて行く事は、実はそんなに簡単なことではない。


 怠けていて手が回らないのではなくて、自分では手が回らないほど次から次へと仕事が回って来るような現在に至るまでに、自分がどれだけの思いでどんな道のりを歩んで来たのかを思い出してみれば分かる。

 そんなに好きでもなかったはずの仕事なのに、実は自分がそんなに頑張っててもあまり世の中の方は変わるワケでもないのに、いつの間にか周囲からの「ある程度の期待感、ある程度の必要性」を伴って、自分の立場というものが形成されて行く。そして、そこに現在立っているのは後輩ではなくて、自分なんだから。

 それでも自分が次のステップに進んで行くために、今現在やっている仕事を継続しながら時間なり密度なりを増す事によって自分のキャパを越えるほどに抱え込んで「自分の潜在的な成長力、爆発力」ってヤツに期待するか、あるいは誰かに委任して自分の身を軽くする工夫が必要になって来る。前者は最終的にスーパーサイヤ人にでもなれれば全て片付くだろうけれども、爆発しすぎてると心身ともにボロボロになるので、後者の能力が必要になる。


 いわゆる、教育、人を育てる、組織づくりというヤツだ。流行りの言葉で言えば「マネジメント」とかいうものの一部になるヤツだ。「もしドラ」は読んでないけどドラッガーの言ってる事くらいはちょっと知ってる。自分も友人も、もうすでにそういう立場の世代になっているということだ。



 ぶっちゃけ、俺ら以前の世代の人たちはいざ知らず、俺らを含むそれより若い世代は「教えてもらって当たり前」くらいに思っている。何でも。それも、丁寧に教えてもらってもなお、分からなくて、できないのは教え方が悪いとばかりに文句を言うことが当然くらいに思い込んでる場合が多い。「世の中をナメている」という言葉が実にしっくり来る。別に自分をこんな風にしてしまった学校教育に今さら責任転嫁もしないけど、低姿勢で謙虚に学ぶ姿勢というものを改めて身につけるまでには、それまで積み重ねて来た勘違いプライドがギッタンギッタンのボロボロに打ちのめされる経験が必要になる。あぁ何という遠回り。

 №1にならなくても良い、もともと特別なオンリーワン。でも、そのオンリーワンだって周りと比較しなきゃ、何がオンリーワンなのか良く分からない。良く分からないのに世の中に通用しない自分をおかしく正当化してしまえばお山の大将どころか、住人がたった一人の自分の世界の王様になってオンリーワンだとふんぞり返ることになってしまう。オンリーワンになりたいなら、№1を目指して競争してみて自分が何者かを知る必要がある。ああ、この矛盾。

 
 謙虚に学ぶ姿勢、できなかったことをできるようにするために誰かに教えを請うということが少ないような気がする。「教えを請う」ことに金銭が発生している場合など、「お金を払ったらそれでできるようになって当然」くらいな勘違いなんだろう。だからこの前も書いたけど、努力と根性が絶滅危惧種になっちゃう。師匠や先生と呼べる人たちに出会える人たちは誠に幸運なこの時代だ。


 自分を省みてもそんな塩梅なんだから、今の自分が自分自身に何かを教えてやろうと思えるだろうか?と考えてみれば良く分かる。

 教えたくないよ。そんなヤツに。
 面倒臭ぇ。

 それでも教えて、育てて行かなきゃならない。だって、そうしないと自分が行き詰ることが大体目に見えてるんだから。俺たちはスーパーサイヤ人ではない。おおよそ365に分割された地球の公転軌道に名付けられた「1日」を、さらに24分割された「時間」という制約の中で営まれている社会の中で自分の役割を見つけ出して請け負っているからには、他の人たちとの時間と自分の時間を交差させる必要があるのだから。好き勝手に暴れ回って、好き勝手にぶっ倒れて、好き勝手に寝て起きれば強くなってるなんて、それは相当の実力が周囲から認められている場合以外は不可能。

 だから、教えて、育てていかなきゃならない。つまりは、相手が謙虚に学ぶ姿勢を持っている場合は別として、そうじゃない場合には相手の持ってる間違ったプライドをギッタンギッタンのボロッボロに打ち砕く側に立たなきゃいけないんだ。

 そんなに強いのか?俺??
 そんなに偉いのか?俺???


 強くなくても、偉くなくても、別にそんなの関係ないんだよ。
 「この世界(業界)で飯食って行きたいなら、このくらいのことできるようになれよ」って、ただそういう事を伝えるのが教育なんだから。言い方としては「ギッタンギッタンのボロッボロ」という乱暴な言葉になるかもしれないけれども、実際にやっていることは、相手のその勘違いという重い荷物を外すのを手伝って、新しいスタートを切る事ができるフラットな状態に持って行くということから始めなきゃならん。

 それが面倒臭ぇ。

 当然、思うように相手は動きはしないだろう。だって、俺はアイツじゃないんだから、どうやって教えられたら動くようになるかなんて分からん。だから、もう、しつこく徹底的に毎日毎日同じことをくり返しくり返し指導して行くしかない。

 なぜそれをすることが必要なのか相手がそれを悟るだけの器量がないのであれば、そいつをしつこく言い続けてやるしかないでしょ。煙たがられても、嫌がられても、別にそんなの関係ないんだよ。

 性格の合う合わないとか、相性だってあるんだから、途中で相手は逃げ出すかもしれないけど、それでもさぁ、自分が指導した事に間違いがなければさ、絶対に将来のどこかで相手は気付くんだよ。

 「あぁ、あの時あの人、このこと言ってたのか」って。


 人を育てるのは面倒臭ぇけれども、その面倒臭さは、自分でいろいろと抱え込んで耐えきれなくなった自分が病気になったり手が回らなくなって立ち行かなくなることで予想される被害と、その解決のための労力の面倒臭さに比べれば、恐らくずっと楽だろう。


 「いやー、バイトさ、入って来ても、すぐ辞めるんだわ。この前なんて親が出て来たからね・・・ウチの子の残業時間がどう・・・とかって、時間ちょっきりに迎えに来るのさ。仕事なんてさ、段取りと片付け含めてのもんだろ?そいつが自分でそれをできてないだけだってのにさ。二十歳過ぎて、親が迎えに来るんだぜ?そんなヤツら相手にしなきゃならないんだよ??」




 ・・・


 あぁ、なんじゃこの世の中は・・・


 あー、面倒クセぇ・・・(泣)   
 
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