フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2005/06/30 Thu  05:49:28» E d i t
 超個人的なことを書きます。
 かなり長いです。そして実に精神的です。
 時間のある方、この世の真理について考えたい方、宗教にはまってて抜け出したい方に特にオススメします。

 かと言って、時間の無い方にも斜め読みで良いので読んで頂きたいと思います。
 

 とあるブログ巡礼先のマスターが、精神世界の修行のために出家されて、突如ブログが終了してしまいました。ビックリしたぁ。
 そこで繰り広げられていた意見交換が熱を帯びていた途中でしたので、何としても誰かにこの話のオチを考えて頂きたく、更新の無期限中断になったそのブログから、勝手にこちらに引用しますので、読んでみて皆様の思うところをコメント頂きたいと思います。

 
ではまず、丸コメントから。

懺悔室
 キリスト教の教会には、神父様が告白者の顔を見られないようにした空間で、迷える子羊たちの告白を黙って聞き、心の咎を取り除くための精神救護施設・懺悔室があります。
 
 信仰告白、悔い改めというシステムは良くできたシステムだと思います。言えばスッキリすることはたくさんありますからね。

 王様の耳はロバの耳!!



 「言いたい事を言ったら、気持ちが楽になる事があるよね」という内容の記事に関する私のコメントです。
 悔い改めというシステムは、基本的にイエスは罪を許す「愛の神」として人々の心に存在するので、その憐憫にすがる思いで自らの罪を告白し、神に許しを請うというものです。
 
 心の中に滞っている嫌な感情を、それこそ匿名の環境(顔の見えない、神父と二人だけの空間)で吐露し、神父はそれをただ黙って聞くだけ。

 それで救われた気持ちになるのです。



これに対するブログマスター・M氏の論考が・・・

悔い改め論考
 悔い改めという言葉がでてきたので、私の論点を一つご紹介しましょう。

 2000年前、パレスティナに於いて平和の君すなはちイエスが受肉し、キリスト芸術が展開されました。
 彼によって既に最高水準の教えが説かれたはずだったのですが、人類意識の総意は恐怖による歴史のもう一回転を選択しました。

 イエスは明らかに既成概念の破壊者であり、「悔い改め」ではなく、「悔いを改めなさい」つまり悔いるということを改めなさいと教えたのです。

 世界宗教になることを前提として種まかれたキリストの芸術は、イエスの教えが曲解されずに広められる限りにおいて、ユートピアが構築されていくシナリオが用意されていたのであり、イエスは実際にメシアだったのです。
 「御国は近づいた」という言葉が示す通り、当時楽園はすぐ近くまできており、それを選択することも可能でした。
 
 恐怖の集積が権力の生みの親です。

 結局、従来どおりの依存的傾向が好まれて主体性が放棄され、従来どおりの「悔い改め」が選択されたことによって、現在に持ち越されてきました。
 我々は今世界政府の実現に向かっているようですが、この「悔い改め」が「悔いを改めること」自虐をやめる事だと理解されない限り、いくら制度を一つにまとめても、強大な恐怖政治が行われるだけで、ユートピアは実現できません。
 
 まさに選択の岐路に今立っています



 キリストの愛の本質を鋭く捉えた論考だと思いますが、私は総合的に見た時に、宗教と言うものは個人の心を縛り、社会という現実に上手に人間を帰属させるための心理的ツールという側面を持っていると考えています。
 その宗教の本質を時の権力者達は上手く利用し、今日に至っているわけですから、今日、我々が目にする宗教は本筋から大いに外れて形骸化した宗教の姿だと思います。

 鰯の頭も信心から。なんて言われるように、別に何を信じてようと構わないんですけどね。
 
  自虐をやめて、一つの神を崇める事ではなくて「認め合って調和する事」が愛(真理)であり、その愛こそがユートピアへと向かう道だと思います。

 つまり「全ての過去を受け入れた上での調和」=「愛(真理)」=「ユートピアへの鍵」

 人間は恨みと恐怖の連鎖によって、ユートピアという異端思想を破壊したのです。それはキリスト降臨から2000年という月日を経た今もなお、人類が勢力争いを続けていることからも明らかです。
  
 

 上記コメントに触発されての丸コメントがコチラ・・・

キリスト教 論  
 今までの罪悪を悔いて、これからの生活を改めるということを現在の「キリスト教」は「悔い改め」と表現していますよね。
 
 私も、偉大な宗教家がその駆け出しの思想を、権力・欲望・権益などによって曲げられる事無く伝播させられる事ができたのならばユートピアには至れると思います。Mさんのイエス=メシア論にある「悔いることを改める」という発想はユートピア思想であったでしょうが、敵対する者(当時の権力者)に敵愾心を持たれたことによって、歴史はその時点でそれを突っぱねたということですよね。つまり、人類はそれを受容する段階に入っていなかったと。
 その後、キリストの教えの美味しい部分だけが権力者によって都合良く使われてきたということでしょうか。

 また、その後にはマホメットが現れ、大天使の言葉を伝えたりしたわけですが、これも時代の権力者によって道具として使われ、今や世界は同じ神様から伝えられた言葉を別の解釈と別の名前を冠した事により争いの無限連鎖に陥っていますよね。

 キリストの「悔いること」を「改める」ということは「悔いを捨てなさい」=全てをあるがままに受け入れ、神の導きを待つということでしょうか?
 
 感情の放棄?超越?をユートピアへの絶対条件とするならば、そこでは幸福感さえも感じられなくなると思うのですが・・・選択の岐路とは「人間が人間である事」と「人間以外の何かになる事」の選択の岐路でしょうか?

 いやあ、考えればキリがない。
 答えはすでに出てるのに、答えの中に包まれているから見えなくて、ずっと探してる見たいな感じですね。

 でも、考えたり、感じたりする事は楽しいです。
 また、それを表現できることも幸せです。

 もう、自分のところで記事にしたいくらい長文になっちゃいました。
 あはは。



 で、この返事が頂けぬままMさんは俗世を離れて出家されてしまったわけであります。私は容赦なく、自分のところで記事にしてしまってます。
 
 感情の放棄を絶対条件とするならば、私は人間の次の段階を見られなくても良いと思います。人間は喜怒哀楽があってこそ面白い。
 全てが調和した世界には「全ての憎しみや悲しみが終了する」とユートピア思想は提示しますがそれに続く「暖かい愛や希望に満ちた世界です」というのは嘘だと思います。

 前述したようにここで言う所の「愛」=「大いなる調和」ですから、調和の世界はプラスマイナス0の世界だと思います。
 
 平穏であるが故に退屈であり、人間は目的を見失った世界だと。しかし、人間が人間以外の何かになるのならば、目的すらも要らない世界になるのかも知れません。

 歴史が何を選択するかは常に自由であり、思いの先に向かって流れて行くものだと考えます。愛(真理)の力に気付いて愛の力の一部を利用できるようになればその人間は大きな力を発揮して、歴史を動かすのだと思います。
 ただ、その力に浸ってしまい、自分を見失った時に人間は悪魔になるのだと。

 人間はその「愛(真理)」によって神と悪魔、どちらにもなれる実にあやふやで面白い存在なのだと私は考えております。


 身は俗世にありながら仏道に入ることを出家と呼びますが、Mさんが涅槃(ニルヴァーナ)へ到達できる事を祈っております。
 是非、禅問答ライブやって下さい!!





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コメント
この記事へのコメント
宗教・お返事:出人氏へ
 悔い改めの言葉の解釈ですが、ユートピア思想は時の為政者にとって脅威だったと思います。
 しかし、キリストの時代には十分な教育も情報伝達も発達していなかった時代ですから、キリストの真意の伝播は遅かった。
 為政者は情報収集があって初めて政権を維持できるのですから、キリストが布教している時点で情報を収集し、分析し、自分達を脅かす「危険思想」だと結論付けたと思います。

 それは、キリスト教が日本に入ってきた時もそうでしたよね。キリシタン大名なんかもいた反面、島原の乱に至るまでキリシタンは為政者に徹底的に弾圧されましたから。
 
 悔い改めに関しては、誤解釈ではなくて、意図的に言葉の意味を変えて為政者に有利なようにキリスト教という看板を出しながら、民衆を扇動してきたのだとも邪推できなくも無い気がします。

 現在、アメリカがそうしているように。
2005/07/01 Fri 10:08:04
URL | フクフク丸 #- Edit 
宗教・お返事:にょにょ様
 私は特定の宗教を信じる者ではありません。広く浅く、いろんな事を考えるに当たって、宗教は切っても切れないモノなので、それなりに勉強しとります。
 
 私はオカルト的なモノは有っても無くても良いですし、有ったらファンタスティックだな~くらいに思ってます。
 恨みつらみ、怨念だけでなくて大事なものを守ったり、見守る心ももっとテレビとかでやったら良いのに。
2005/07/01 Fri 09:57:40
URL | フクフク丸 #- Edit 
本当の意味合いはわかりませんが……。
「悔い改めなさい」と「悔いを改めなさい」とでは全く意味が違うし、真意はどっちであるかということは、なんだろう、その道の専門家なら、わりあいと簡単にわかることだと思います。わたしにはわかりませんが(笑)

少なくとも「悔い改めなさい」という日本語の普通の解釈としては「悔いて改めなさい」もしくは「悔いかつ改めなさい」というもので、「悔いる」ことを肯定というか、推奨しています。

日本語として「悔い改めなさい」が「悔いを改めなさい」だなんて解釈できないと思いますよ。唯一の道は、そもそも「悔いを改めなさい」というべきところを誤って「悔い改めなさい」としてしまった……と解説できる場合にのみ、この解釈は成り立つと思います。
2005/07/01 Fri 03:15:05
URL | 出人 #- Edit 
宗教・・か。
宗教問題は難しいやね・・。それを信じている者たちに外部の人が何言っても無駄なんだなぁ・・。ちなみに私は『神』は信じてませんが、この世の不思議な世界や残留志念、『場』などオカルトチックな世界は信じてますぞ。この世にゃ説明できない事実もあるわけだ。・・たぶん。
2005/06/30 Thu 21:16:20
URL | にょにょ #- Edit 
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