フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2010/01/27 Wed  17:57:26» E d i t
 » 朝青龍のライバル、去る。 
 世の中には誰が聞いても真っ当な意見なのに、なぜかそれを主張している方が「悪役」になってしまうような場面が多々ある。ルールや守るべき様式が必ずしもその時代に生きる人々の感情までを律しきれないという好例と言えるのだろうし、現実的に自分の立場を計算に入れずに大局的に見た場合、中立の立場から物事を判断して発言できる人間は少ないから、「数の論理で彼らが悪役を押し着せられてしまう」と表現すべきなのか。

 日本人はとかく曖昧であると言われるが、おそらくこれは欧米と比較した場合にそう言われるのだろうが、海外生活の経験の無い私が自分自身や周囲を観察して感じる事は、この国に住む人たちは「明文化されたルールよりも暗黙の了解のモラルを大切にしてきた社会」で生きて来て、シビアな線引きが心理的に苦手だという部分だ。

 最近流行りの「いかがなものか」という言葉など、相手の内面に訴えかけて「それどうなのよ?ちょっと考えた方が良いんじゃない?」と反省を要求するような柔らかな表現でのらりくらりと時間をかけて相手に自分(たち)の考え方を馴染ませて行くのが好まれているような気がするのだ。

 時折、性急に自分の望む結論に周囲を到達させるために誰かを指差して事の是非を直接的表現でする人間がいると、そういう人は煙たがられる。なぜかと言えば、多くの場合そういう人たちは「真っ当だと自分が思っている、自分だけの正当性」のみを主張して相手や周囲の主張を聞き入れる姿勢を持たないからだろう。

 これに反論してお互いに感情をぶつけ、罵り合うような場面を私たちは本能的に回避したがる。おそらくはそこに何の建設性も感じられないからだろう。あるいは、子どもの頃に散々やって来て、それがガキのケンカだと言うことに気づいてしまったからか。


 しかし。

 自分の正当性だけをヒステリックに声高に主張されたのではたまらないが、ルールや様式という観点に照らし合わせてそこから著しく逸脱する者を諌めたり、叱ったり、あるいは何らかの通告を出す中立の人たちは大人と呼ばれる。

 我々は彼らにさえも苦手意識を持ち、十把一絡げに毛嫌いしがちである。いわゆる「上から目線が鼻につく」ってやつである。しかし、この人の場合は自らが煙たがられる立場に敢えて立つことによって世間の目を意識しながら、話題なき相撲界を必死で盛り上げて来た立役者だと私は敬意を表する。


 内舘牧子さんが横綱審議委員会を退任する。

 横綱審議委員会ってなにさ?ってことで言うと、要するに色んなジャンルの「有識者」と呼ばれる人たちが集まって、横綱になれそうな成績を上げた大関を横綱に推薦するかどうか決める人たちで、ウィキペディアによると横綱に推挙する基準は以下の通りらしい。

 横綱審議委員会における横綱推薦基準は次の通りで、いずれも出席委員の3分の2以上の多数決によって決議すると内規で定めている。

   1 品格、力量が抜群であること
   2 大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする
   3 2場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することができる

                  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)横綱審議委員会より』



 横綱審議委員会と言うだけあって、横綱の推挙人でありお目付け役であると考えれば良いのだろう。


 土俵上の人気では朝青龍と肩を並べる力士は栃東、琴欧洲、白鵬と移り変わりはするものの、土俵を下りた場合の知名度、話題性の高さという点に於いては朝青龍に比肩する現役力士は皆無である。今や角界一の問題児が角界の象徴たる最強横綱であるという、実にプロレスファンとしては面白すぎる状況下にあって、朝青龍が起こす問題を野放しにしておくとマスコミが勝手に騒いで雨散霧消して行く様々な話題に対して、相撲界側からのアンチテーゼという「見方・考え方」を整理して、私たちに伝える役目をしていたのが内舘さんなのである。
 話題を提供する側と、それによって何がどうなるからこれはいけないのだと説明する役割との二重構造でマスコミを使ってファンを抱き込んでしまえば、ただ通り過ぎる使い捨ての情報としてではなくて「考える素材」としての情報になる。考えてみれば恐ろしく単純な構造だが、人間は元来、どうでも良いことをああでもないこうでもないと考えているのが好きなはずで、朝青龍が起こした事件に対して内舘さんが何か発言するたびに興味がそそられて、普段は見ない相撲を見たりした人たちは少なくはないはずなのだ。

 モンゴルの人が日本の国技の頂点にいて、それに対抗できる日本人がいなくて盛り上がらないという土俵の現実をカバーしてなおお釣りの来るほどの功績だったと私は思う。
 土俵を下りた朝青龍の好敵手は内舘牧子である。

 内舘さんは相撲を愛するが故に、長い歴史を持つ大相撲の伝統を理解すべく勉強し、実際に他の横審や相撲協会の方々よりも相撲というものに対して深い造詣を持っているのだろうと感じさせつつも、ガツガツと他の横審メンバーを押しのけて前に出て発言するでもなく、ただ、朝青龍という稀代のキャラクターを世間に、たとえ悪役としてであれ定着させることが相撲の人気の回復に絶対繋がると言う確信のもとでこれまでの発言を続けてきたと私は見る。

 
 
 ともすればいたずら坊主を叱り飛ばすPTA会長さんみたいな役割を、多分おそらく、相撲を盛り上げるアングルとして筋書きを描いて彼女はその準主役として内心喜々として引き受けていたに違いない。そして、体調の限界という理由はあるが、ついに最後まで朝青龍との邂逅を世間に見せることなく横審を去ろうとしている。見事だ。

 内舘さんの偉大さにきちんと気付いて敬意を払っているのは誰よりも朝青龍だったりするから、なおのこと面白い関係だった。何年間にも渡って、時事問題を絡めながら朝青龍を壮大な大河ドラマに仕立て上げた辺りはさすが脚本家だ。全く敬服する。

  
 後はやくみつるさんに任せろ!彼もまた、一コマの中に物語を詰め込める、天才だから。

 
 
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

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