フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2009/06/22 Mon  06:49:37» E d i t
 » 「死」に左右されぬ「志」② 
 三沢は英雄だったが孤高では無かった。三沢が死んで以降、スポーツ紙やネット、あるいはワイドショーなどでも、プロレスラーとしてではなく、リングを降りた人間・三沢の顔を特集している。

 弱いものを助け強いものをくじき、義理人情に厚く、さらにオチャメで常に周囲に気を配り、親分肌で・・・と、良いことばかりが並べ立てられる。私もずっとプロレス関連の情報にはさまざまなものに目を通して来たが、確かに三沢には悪く書かれた記事がない。

 「プロレスでは凄いかもしれないが、人間としては最低だ。」とか、「大風呂敷を広げるだけ広げてみんなに迷惑掛けて、失敗したら一番に逃げ出して後は知らん顔。」とか、「外人レスラーを厚遇して、日本人レスラーのギャラはすずめの涙ほどだ」とか、「利己的で自分のものをまず取ってから下に回すからトップにいられない」とか、「未だに、タニマチに泣きつけば食うには困らない程度の金銭意識しか持っていない」・・・とか、とにかく社会的に疑問符がつくようなレスラー経営者達への悪口は結構出て来るものだ。
 なのに、こと三沢の性格やNOAHの経営内容を批判的に書いたものは皆無に近い。業界的にタブーなのか、あるいは本当にそういう部分が無いような団体なのかは分からないが、三沢に対する悪口と言えば高山が三沢を呼ぶ「エロ社長」くらいしか思いつかない。

 
 上の者からは信頼され、下の者からは尊敬され、仲間からは慕われる。

 もちろん、すべての人間と上手くやって来たワケではないだろうが、一般社会とは違った構造の社会に於いて常識・良識の点に於いて悪く書かれないというのは、やはりジャイアント馬場さんの影響だろう。馬場さんは「特殊な世界ですけど、常識を持った人間を育てたい」と言っていた。
 いくらプロレスが特殊な世界だと言っても、それは一般社会に支えられて成り立っているものであり、そういう人たちから協力を頂くことを考えなければプロレスに明日はないし、また、プロレスを引退した後の人生に於いて必要なのは 「一般常識」 であるとして教育してきたのが結実した存在が三沢光晴という人間だったのだろう。

 また、そういう実直さゆえに「プロレスラー的な豪放磊落さに欠ける」とか「バカじゃないからつまらない」という見方もされるだろうけれど、独立した団体を起こしたレスラーでは同じように義理人情に厚かったが豪放磊落で鳴らした天龍や橋本は根回しをせずに飛ぶタイプだから男から見ればその生き様は魅力的ではあったけれども、成功したとは言い難い。

 三沢には仲田龍という鋭利な懐刀がついていたということも特筆すべきことだろう。
 仲田は関係各方面に細かくネットを張り巡らせてチャンスを探す天才で、そのネットに掛かったチャンスを自分たちが最大有利な態勢で捕獲しに行く天才が三沢であり、それを次のチャンスにつなげるのがリング上で戦うレスラーたちであり・・・という循環で、目に見える部分にダークな部分を残さずに水面下では激しく動いていて、その性格や能力に応じた適切な役割分担が奇跡的なバランスでNOAHを支えて来たのであろうことは想像に堅くない。

 そういう人たちの協力を引き出せるだけの人間的魅力と器が三沢にはあっただろうし、生き馬の目を抜くプロレス界にあって裏方に徹し、また野心や私欲に振り回されることなく着実にできる事よりちょっと背伸びをする循環で、地に足のついた状態でファンの心に根を張るという仲田の戦略は三沢の株を大きく上げた。
 それはちょうど、過激な言葉で世間を掌で転がし続けざるを得なくなって、いまだに同じことを繰り返しては浮き沈みの激しい人生を送るアントニオ猪木への、ジャイアント馬場時代からの長きにわたるアンチテーゼだとも言えるかもしれない。

 
 派手な打ち上げ花火的な猪木。
 着実に心に根を張る馬場。

 
 今は、猪木的なものはUWF等の亜流の進化を遂げてK-1や総合格闘技という形になった。 
 となると、相対的にみるとプロレス全体がそれに対して馬場的保守感を醸し出す形になって、そういう時代の流れの中心に三沢がいた。だから、何かプロレス界で統一的な物事をしようという時には、三沢が代表だったり中心メンバーになったりすることが多かった。
   
 猪木は既存のプロレスを破壊することでプロレスのカリスマになったが、その破壊力は別のジャンルを生み出したし、もうそれは猪木では抑えられずに暴走している。
 その暴走を止められるのはプロレスだけだという気持ちは、おそらく猪木の中にも少なからずある。
 「面白れーことをやれよ!」と猪木は言うが、暴走させた張本人でも全くのお手上げ状態で責任放棄と誰かに転嫁するしかない発言が目立つのが猪木的だ。猪木は生き神に祭り上げられたが、彼個人だけでは何かを動かすような才能は無い。
 だから、プロレス界は時代遅れの猪木発言を「神託」のように過剰に受け止めて反応するのはもうやめたら良い。

 三沢が常に全力ファイトで戦って来た相手は、世間の目を通した「時代の流れ」だったのだ。
 積み上げてきたモノを根こそぎ蹴り倒す、いまだに神通力を持ったアントニオ猪木という過去の幻影を打ち破るための新時代への戦いだったのだ。

 三沢の志が、魂が、私たちの中で死という現象ごときに左右されないように、プロレスよ不動たれ!
 
 どんな形になって行くのか、どうして行きたいのか、どうなるべきなのか。
 三沢がやったように信念を明確にして、そこに向かって一直線に突っ走れ。



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コメント
この記事へのコメント
「歴女」ってっヤツですね!
 戦国武将ブームって・・・事実の検証が不可能であるが故に想像力でいくらでも仮説を立てることができる世界であればこそ、色濃い個性が際立つ戦国や幕末の人気が高いのは分かりますが・・・それにしても、ブームって・・・。

 信長が本能寺で生き残っていたとしたら、信長の家臣たちおよび諸大名はそれまでの信長と同じように信長を主と仰いだり、恐れたりしたでしょうか?

 一度大々的に失ってしまった威光は二度と取り戻せないと私は思っています。

 昔の猪木ファンだったという「元プロレスファン」は今のプロレスを線で見続けてる訳じゃなくて、ビッグマッチを点で見ているくらいなので、猪木がプロレスを格闘技の食い物にしたA級戦犯だということを知りません。
 彼らの中では猪木はトッププロレスラーで、プロレスラーがプロレスの敵であるわけがないだろ?という位置づけに猪木がいます。
 
 猪木はボクサーと闘う時、ボクシングのルールでやったかい?空手のルールで戦ったかい?柔道のルールでやったのかい?
 総合格闘技のルールでやったかい?

 じゃ、異種格闘技でロープブレイクに逃げたことはないのかい?

 
 猪木がやって来たのは、格闘ロマンとしての「格闘技寄りのプロレス」です。確かにガチでも強いかもしれないけど、当時何よりも強かったのはルールをプロレスに持って来ることができた新日本プロレスの政治力です。
 
 信長がながらえたとしたら、日本の開国が200年進んだであろうというアホな意見がありますが、信長は不世出の天才だから覇業の先に開国があったとしても、周囲がついて行けなかったでしょうし、信長には自由の気質はあっても平和統治の資質が弱いので、信長死後に跡目争いが起こったでしょうしそうなればオランダや中国だってそれに加担しなかったとも限りません。

 そう考えると猪木は「本能寺の後で生きながらえた信長」なのかもしれませんね。


 馬場はそれに対比してよく家康に例えられます。豪快なレスラーの集団ではなくて社会に通用する会社を目指していて、社会人としての人間教育を重視していたので鶴田が全日本に入団した時に「僕は全日本プロレスに就職します」と言ったその言葉にえらく感激したと何かのインタビューで読みました。

 家康は周囲との調和を図りながら、時が来るのを待って勝負するタイプですから、個の力を組み合わせて強固な集団を作り、情に厚いと見せ掛けて実は秩序を乱す者には徹底的に処罰を与え、二度と許さないという非常な面も持ち合わせている辺りも馬場さんを想起させます。

 
 三沢はそれを間近で体感し引き継いで、さらに義理人情に厚く、戦えば鬼神と化し、己の信じた道を一歩も引かず、さらに後進達の育成にもきちんと気を回す。
 戦略的には一か八かは絶対せずに勝てる条件が整った時に一気に勝負を掛ける戦上手で、さらにスーパー参謀が付いている辺りは、家康エキスの謙信+信玄 ・・・ちょっと欲張り過ぎかな・・・ という印象です。

 
 猪木は格闘技の怖さを知った上で、「リングに上がってくるには交渉のテーブルがあるだろ?」くらいの昭和40~50年代感覚で、「21世紀の総合格闘技と新日本プロレスの戦い」の幕開けに臨んだきたんだと思います。「その交渉段階でプロレスが勝てば問題ないだろ?」くらいに思っていたのでしょう。
 もちろん「交渉」と言っても八百長とかじゃなくて、自身がやってきたように相手をプロレスルールと所属選手でリングを取り囲む等でがんじがらめにして、有利な状態で相手を追い込んで戦うたの交渉であり、新日本プロレスという団体の圧力(カネ)と、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったK-1やPRIDEの圧力の差を見誤った結果、猪木自身が広げた大風呂敷を収集不可能になってしまって、現場に下駄を預けた形でいの一番、まっ先に格闘技側に寝返りましたからね。

 落ちても汚れても神は神。

 世間一般の猪木の人気は衰えませんね。
 それだけ、かつては時代の中心にいたということですよね。
2009/06/27 Sat 07:06:20
URL | フクフク丸:to 野神 氏 #oKAhFFW. Edit 
三沢”謙信”VS猪木”信長”
今、巷の若い女性の間で”戦国ブーム”が起こっているようですが、三沢を”戦国武将”に例えれば、やはり”義”に生きた武将、上杉謙信になると思います。(但し、ここで言う謙信はあくまでも”男性”、”謙信女性説”は”プロレス八百長論”と一緒だ!) 三沢は、”ビジネス”には走らず、あくまでもお客さんの納得できる”試合内容”に重点を置き、多くのファンの心を掴んで来ました。”恩師”ジャイアント馬場が死に、その”夫人”である元子氏が”欲”に目がくらむと、三沢は元子夫人と”決別”。プロレスの”義”のためにNOAHを旗揚げし、理想の”プロレス”を確立しました。

そして、三沢は時に”毘沙門天”が乗り移ったかのように”鬼の形相”を見せる事がしばしばありました。三沢がこうなった時、もはや誰も止められない。あの三沢より一回り大きな高山でさえも”エルボー一発”で”病院送り”になりました。そこに、三沢の”真の強さ”、”真の怖さ”を多くのファンは感じたのだと思います。

でもって、体がいくら”ボロボロ”になっても、最後までお客さんを裏切らず、全身を張って最善を尽くして試合に挑み、そして散っていきました。まさに”プロレスラーの鏡”。プロレスの”義”に従って死んでいったのだと思います。

それに対して、アントニオ猪木は”古い格式”をぶち壊し、”新時代”を築いた織田信長に匹敵するでしょう。”日プロ時代”のマンネリ化したプロレスに嫌気が差し、もっと”格闘技然”としたプロレスを目指して”新日本プロレス”を設立。そこで、当時のレスラーが誰もやらなかった”異種格闘技戦”を敢行して大きな話題を呼び、また、長州ら”維新軍団”との”軍団抗争”も話題を呼びました。

しかし、信長が”比叡山焼き討ち”や”本願寺焼き討ち”をしたように、猪木もまた、自分が設立した新日本プロレスを、当時プロレスに変わって一気に”ブーム”にのし上がった”総合格闘技”に肩入れし、そしてそれを用いて攻撃し、それによって当時の新日本の事実上の”看板選手”だった橋本や武藤が相次いで離脱。ゆえに、その後の新日本は大きく”低迷”してしまいました。

”神仏”を敵に回した信長が、神仏を信仰していた家臣・明智光秀に本能寺で討たれたように、かつては猪木を崇拝していた多くの”プロレスファン”を敵に回し、そして見切りをつけられました。”義”よりも”野望”を重視した信長と猪木は、まさにその”野望”の前に散った、と言えるでしょう。

”他人”を信じるか? それとも”己”を信じるか? それによって”天国”と”地獄”に分かれます。馬場や三沢が悪く言われないのは、まさに”他人”を信じたからではないでしょうか。それに対して、猪木は”自分”としか目を向き合っていなかった。それが現在の”転落”にもつながっているのだと思います。
2009/06/23 Tue 23:46:57
URL | スーパーpsy野神 #5FAMoxZ6 Edit 
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