フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2009/06/21 Sun  12:07:48» E d i t
 » 「死」に左右されぬ「志」① 
 三沢が死んで一週間が経った。

 私は普段からあちらこちらでプロレスファンを公言して歩いているし、今回のニュースの後でも誰かに顔を合わせる度にその話題をこちらから振っていった。たまたま会議の多い週だったこともあり、相手がプロレスを知っていなくてもお構いナシに会議の始まる前や雑談の時間にこの話題をバンバン振った。
 そして、ひとつ。
 共通して相手に対して私が無意識にフォローしていることがあるという点に、自ら気付いた。

 「死に様」ばかりがクローズアップされるけれども、死に様は「懸命に生き抜いた末の結果」なんですよね・・・的なことを言っている自分がそこにいた。

 
 やはりこういう事が起こると、嫌でも自らを省みずにはいられない。

 三沢の死は残念な事ではあるが、自分の信じた道に殉ずるということは男として嫉妬を覚えずにはいられない死でもある。
 「プロレスをどこに出しても恥ずかしくない、馬鹿にされないところまで持って行く」「もっとメジャーなものにして行く」という信念が三沢のプロレスには凝縮されていた。良く目にするようなレスラー達が言うような大言壮語を好まず、レスラーはリングで勝負を展開し、それを見た人が色んな事を感じ取ってくれれば良いという、その「旧全日本プロレス」の気風や気質が私には合っていた。

 時代が「良いものを良い・悪い物も良い」と、過剰にすら思えるほどのアピールでより多くの人たちの目を引いて売り上げを上げれば「勝ち組」だという風潮の中で、それに安易に迎合せずにただ自分の信じた道に邁進し、時には不器用すぎると誰もが思うような義理や筋をしっかり通しながら物事を進めて行く三沢光晴という「男」は、この時代を生きる「本物の英雄」なのだ。

 おそらく、生きているうちに「英雄」だと評価される人間なんてそう多くはないだろう。

 いつの時代でも一時的に時代の趨勢で誰かが「英雄」に祭り上げられたとしても、すぐに群がる亡者達が足元に絡みついては引きずり落として骨の髄までむしゃぶり尽くすような反作用が蔓延る人の世だ。 「時代の寵児」はちょくちょく現れても、英雄はそうは現れない。
 英雄という存在は何かを信じ、それを心から愛し、そして貫いて生きる存在だ。
 そして、その生き様が多くの人たちの心に何らかの作用を与え、多くの人たちはその心の変化の作用を与えてくれた偉大な存在に対して敬意を超えた思いを抱き、やがて英雄は語られ、物語となり、伝説となる。「英雄」とはその存在から何かを受け取った側の多くの者たちが用意した最大最高の称号だ。
 
 すでに物語となった英雄達は、私たちの前に「不眠不休、利害無視、信念貫徹・・・」そんなガチガチな完成された姿で現れてくる。文献・書籍で目にする英雄達はすでに人間ではない状態、だが崇高であり偉大な存在=神として認識される。

 およそ他人が欲しがるような多くの才能と、それを発揮できるような巡り合わせの中に生きられる運の強さを持ち合わせ、強い意志を持ち、何かを成し遂げる。すでに完成された物語の中に出て来る英雄たちは一部の隙も無いような人間として描かれ、語り継がれる物語は時の経過と共に英雄を神格化させて行く。誰もが憧れるような脚色が加えられ、多くの人たちが疑いもなくそのフィクションを現実だと信じ、その虚構の英雄に憧れて自らを奮い立たせたり、あるいは比較して矮小な自分を嘆いてみたりする。

 プロレスとプロレスファンの関係は、伝説を作り出していく構造に良く似ている。

 「強く、大きくなりたい!」という本能的な願望を具現化した人間達がリングで繰り広げられる、言葉の無い神話。それがプロレスなのだ。ならば、その神話の語りべとして私はこう言おう。
 
 三沢はリング上で本当の神へと生まれ変わったのだ。

 生きた三沢は英雄だったが、リングで死んで神になった。
 

 
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コメント
この記事へのコメント
覚悟と成就
 「決死」「必死」・・・誰しもが追い込まれた時にはそういう覚悟を経験したことがあると思います。
 それまで特別に意識することも無く、何もしなくても自分を取り囲んでくれていた状況が崩れ去ろうとした時に、大事な何かを守るために身体を突き動かすのが覚悟です。

 三沢はプロレスを守るために戦い続けてくれました。

 誰のために?
 それは三沢本人が信じ、愛したプロレスのために。
 それは、言うまでも無く私たちファンのためにということと直結しています。

 プロ格闘技との明確な比較として、本流のプロレスの世界が揺らぐ以前から三沢のプロレスはずっとずっと覚悟のプロレスでした。
 
 選手・ファン・・・みんなで守って行きましょうよ。
 烈士・三沢光晴が愛したプロレスを。
2009/06/27 Sat 06:09:57
URL | フクフク丸:to 野神 氏 #oKAhFFW. Edit 
真の英雄
三沢は確かに誰かに担がれて“英雄”になったのではなく、自らの信じた“道”をひたすら突き進み、そして“死”をもってそれを全うした事によって、はじめて“英雄”になれたのだと思います。そういった意味では、“某カリスマ”とは正反対ですね(笑)

正直な話、三沢は橋本や武藤と比べれば若干魅力に欠けるようにも感じます。されど、観客に訴える“思い”“信念”は橋本や武藤以上だったのでしょう。“サービス精神”よりもあくまでも“試合内容”を重視していたレスラーなんだと思います。

プロレスが“低迷期”に陥り、“格闘技ブーム”に時代が染まった頃に、三沢率いるNOAHだけがプロレスの“真髄”を極め、それを多くのファンに訴えてきたんです!

そういった意味でも、三沢の“死”は決して無駄な死ではなかったのだと思います。
2009/06/23 Tue 07:02:34
URL | スーパーpsy野神(携帯) #5FAMoxZ6 Edit 
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