フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/08/10 Fri  17:45:57» E d i t
 » 浜口京子さんに思うこと 
 生まれながらにして、他を圧倒する特別な能力を授かって生まれて来る人たちが、ほんの一握りだが存在する。

 そういう人たちが然るべき出会いをして、然るべき鍛錬を経た結果、伊調馨さんや、吉田沙保里さんみたいな超人が世に出るのだと思う。オリンピックレスリング3連覇は数字の上ではあのアレクサンダー・カレリンと並ぶ、人類でも類をみない偉業。
 本人たちの努力、コーチの良さ、環境整備・・・日本のレスリングの環境が他の競技に比べて優遇されているとは思えないが・・・そういうものを全て我が身に受け止め、それを然るべき時に吐き出せるだけの能力を、持って生まれてきた、そして巡り合うべき競技と巡り合ったのだと受け止めざるを得ないほど、その強さには驚嘆する。

 翻ってロンドンオリンピック、レスリング女子72㎏級代表 浜口京子さんは、プロレスラーの娘として生まれたというだけの普通の女性だと思う。彼女を見る度に、いつも思う。
 アニマル浜口というプロレスラーも、そのキャラ通りセンスやテクニックよりも「気合い」で人気を博したレスラーだが、その独自の理論で多くのプロレスラーを輩出しているトレーニングジム・アニマル浜口ジムで男性に向けて指導する教育論そのままの手法で我が娘を育てた結果、京子さんは普通の人が頑張ることができる限界を超えた場所に立てるレスラーに成長したのだと思う。

 誠に申し訳ないが勝手に思う。京子さんは気持ちが優しい父親思いの娘。そして、父の期待に真っ直ぐに応えようと努力に努力を重ね、父は父で真っ直ぐな娘の姿勢に気圧されて、尊敬の念さえ抱きつつ父の理想を押しつけ続ける。努力、努力、努力。
 今流行りの結果から逆算の努力ではない。
 積み上げられるところまで、とにかく積み上げて行く努力。
 青天井の努力。


 だから、彼女には伊調さんや吉田さんのような威圧感がない。
 どちらかと言えばいつも悲壮感のようなものを漂わせている。


 そして、彼女はそこが素晴らしいのだ。


 偶然に、別階級にいるキラ星のような超人と同じ時間を共有できる世代に生まれたという彼女はキン肉マンで言えばジェロニモのような存在だと言える。ジェロニモは人間でありながら、超人に憧れ、超人と互角に戦えるまでに鍛錬し、キン肉マンたち正義超人と共に戦う戦士となる。

 その切なさ、その心の強さに少年時代の私たちは憧れ、そして人間であるが故の心の弱さというものをジェロニモから教わった。


 実は、私たちにより多くの教訓を教えてくれるのは、言葉なく舞台から去りゆく者なのではないか。 


 浜口京子さんは、本当に素晴らしい、素直で可愛らしい人だとテレビに出る度、言葉を聞くたびに思う。
 誰と比較されようとも、注目されようとも、されずとも、心揺れ動きながらも向かうべきステージに向かって行く。

 この勇敢なるすばらしき「人間」に、賞賛と祝福を。

 
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2012/08/10 Fri  17:16:31» E d i t
 » なでしこJAPANに思うこと 
 「金メダルと銅メダルというのは勝つことで手に入れるものなんですよ。銀メダルだけは唯一、負けて送られるメダルなんです」

 と、いつか誰かが言っていた。


 「金メダルじゃなきゃ、2位でもビリでも同じです」みたいなことを言う人がいる。

 じゃ、その人たちは何かで一等賞を取ったことがあるんですか?と問われれば、おそらく答えに窮するだろう。その一等賞を取り続ける事で、この国の代表としてオリンピックに出場しているんですよ。あの人たちは。あなた、あの人たちに到達できずにどこかの時点で敗北してるでしょ?

 同じなワケないじゃん。


 なでしこJAPANがロンドンオリンピックの女子サッカー決勝でアメリカに敗れた。

 昨年、ワールドカップで優勝した際には恐らく、日本のチームはそんなにマークされていたわけじゃなくラッキーやフロックという要素も強く影響したはずだった。

 ところが、今回は各国が徹底的になでしこJAPANを研究して、対策を講じて来た中での準優勝。


 テレビで見てて思いましたよ。

 「ブラジル?勝てるわけねーじゃん」
 「うわ。フランス?せいぜい良くて銅メダルだな・・・」
 「アメリカつえー。カナダつえー。こんなでかいのに勝てるわけねー」


 いつだって、そういう気持ちが半分以上ありながら、それでもそういう気持ちがあるからこそサッカーに限らず日本人競技者を応援するんですよ。


 圧倒的な身体能力差を埋めるために一生懸命考えて練習して、機動力と体力とガッツと絆で立ち向かって行く。闘志が前面に出ていようと、飄々として内側に秘めていようと関係ないんです。あの人たちは、私たちが立つことができないステージで、私たちの代表として私たちの誇りを世界に示している。


 今朝も、仕事しながらラジオで決勝戦の様子を聞いていましたよ。

 8万人の大観衆が地鳴りのような歓声をあげ、実況が聞えない。

 そんな状況を両チームともに何度も何度も作り出しながら、試合は進み、そしてなでしこJAPANは銀メダルを勝ち取った。



 彼女たちが素晴らしいのは試合中だけではなく、そのあらゆるインタビューに於いても女子サッカー界を盛り上げるためにどうしたらいいか?何ができるのかを常に念頭に置きながら話をしているということだ。

 
 国民栄誉賞チーム・なでしこJAPAN。


 この人たちが我が国の代表であることを心から誇りに思う。

 
2012/08/10 Fri  16:59:37» E d i t
 » 愛ちゃんに思うこと 
 子どもの頃から大多数の人たちに好奇の目で見られて、たくさんの人たちに見守られて、よくぞ真っ直ぐに卓球を続けながら成長したものだと感心する。

 福原愛。

 卓球の天才少女と騒がれてワイドショーに出てきたのがもう20年も前のことなんだそうだ。
 当時、愛ちゃん3歳。


 子どもの頃に天才ナントカと騒がれても成長したら「あの人は今」な人たちが圧倒的に多い中、そうして目立つポジションにいることによって与えられるであろう環境をやっかむ連中が心ないバッシングを続ける中、勝つことが当たり前であるかのように言われる中で思うような結果が出る時も出ない時も、お構いなしで報道され続け、注目を浴び続けた。


 そして、彼女が切り拓いた道の中から石川佳澄みたいな超新星も現れた。


 福原愛は、日本の女子卓球界を変えた人である。


 幼い頃から、大人に負けて悔しくて泣いて、泣いて泣いて泣き虫愛ちゃんと呼ばれた愛ちゃんが、オリンピック女子団体戦で銀メダルを獲得し喜びの涙を流した今、彼女のファイターとしての精神力や自分の道から逃げない姿勢を何度でも賞賛したいのだ。

 
 おめでとう、愛ちゃん。
 ありがとう、愛ちゃん。
2012/08/08 Wed  08:44:22» E d i t
 » 風は吹かせられる 
 テレビを見る度に♪風が吹~いている~ と聞える昨今ですが、オリンピック代表になれなかった、あるいは敢えてならなかった「寝不足JAPAN」の皆様、おはようございます。

 こちら、ちょっと前の30℃オーバーの日々から一転、急に夜中の最低気温15℃から昼間の最高気温22℃くらいまで下がってしまって、涼しいを通り越して寒ささえ感じてしまう夏なのか秋なのかもうすでに分からない状態の北海道です。
 ・・・立秋すぎたんで秋でしょう。

 ビアガーデン的な地域イベントも真夏に合わせて開催したはずが、完全に夏休み最終週的な気候のおかげで、盛り上りはするものの、主戦力であるビールの売れ行きがはかばかしくなくて実入りの少ない状態になったりするありさまです。
 とりあえず井上陽水の「少年時代」でも聞いときますか。
 夏が過ぎ風あざみ。 



 田舎町でもさらにローカルな域内で、みんなが自分たちの仕事を持っている中で、それとは全く別なイベントを運営しようというのだから、たくさんの人たちに対して営利目的でやっている大きなイベントと同列に語ることができるわけがないのです。

 それでも車に乗ってわざわざ出かけて行って、なけなしの金と小さな満足感を交換してわざわざ車で戻ってくるのに慣れてしまっている中で、自分を含めて周囲の人たちが楽しめるようなイベントを自分たちでやって行こうとする動きが出て来たのはとても素晴らしいことだと思うのです。



 私がブログを書き始めた20代の終盤には、私自身、出身地に住んでいながら地域社会との繋がりが実に希薄でした。ブログを熱心に更新し続けたのは自分という存在の危うさに危機感を覚えていたからという部分は偽らざる本音です。
 同じような寂寥感や孤独感、迷いながらも夢を追いかけて同じ時代を共に生きて行く仲間たちとブログを通じてお互いに偽名同士で交流する中で、私はこの時代に自分の本音をアジャストメント(適化)させて行く方法論を学んで行きました。

 つまり、フクフク丸というネット上の存在が、現実の「私」を成長させ、その「私」をデフォルメしたフクフク丸をネットという空間に解き放つことによって、また新しい仲間や知恵や知識を得るという「二面性の蜜月」的な流れの中で自分の世界を広げることができています。

 ひとえに、皆様のおかげで成長させていただいております。

 そして、おかげさまで実生活に於いても私の前後10歳圏内の仲間が増えました。

 
 上にも下にも、年齢順で物事を考える事はあまり好きではないのですが、前後10歳圏内(もっと絞れば自分±5歳)の人たちというのは、だいたい人生における大きな出来事が似通った時期に訪れるんですよね。

 だから、10歳年上の人たちの話を聞けば自分の道を誤る確率が減り、10歳年下の人たちの話を聞けば自分が歩んだ後から来る人たちのためにもあまり情けない真似はできないと気が引き締まります。そういう、一緒に歳を取って行く「ひとカタマリ」ができると、今度はそのさらに25~30年ほど年下にまたひとカタマリができるんですね。

 そう、子どもたち世代です。


 そう考えると、たくさんのカタマリの中で自分が生きていて、生かされているということが実感できるワケです。自分ひとりでは到底できなかったこと、やろうとさえ思わなかったことが、カタマリになるとできるようになる、やるようになるという発見は、私の中では革命的な出来事でした。


 そんな「普通のできごと」の中に、改めて「自分の中の小さな革命」を見出すことができる能力というのは、間違いなくフクフク丸を継続するために磨いた観察眼や、ネタ化のチカラです。そしてそれは、ごくごく「当たり前の集まり」を「特別なカタマリ」に変化させるチカラになり得ることを実感しております。

 
 そう。私たちはこの閉塞の時代に一塵の風を吹かせることができる。


 おかげさまで、さまざまな行事に楽しみながら参加し、かなり失敗しながら、たまに上手く行きながらみんなで笑いながら生きてます。これからも、風を吹かせて行きましょう!

 
 

 ※現実側にいる仲間たちには新たに「フクフク丸」にリンクしようとは思いわないのですが、フクフク丸側にいる皆さんにも仲間として「現実の私」にリンクしていただけるような何かが無いものかと考えておりましたが、今年の春に友人に誘われてfacebookを始めました。

 当初は実名登録での交流に戸惑うこともありましたが、なんだ始めてみれば結構、偽名登録あるじゃんか(笑)。まぁ、それはそれで、登録して繋がっておけば私の更新する記事も見られますのでそちらも是非。
 みんな「繋がり」を求めていて、そして繋がる事でつまらないと思っていたそれまでの日常が少しでもきらめくのであれば、それが良いのだろうと思います。
 私は、さらにその繋がりで何をできるのかを模索しているところです。

 よろしければ、facebookでも交流しませんか?
 鍵コメでも頂ければ、速攻で友達申請しちゃいますので(笑)。
 
 
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