フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2010/12/29 Wed  18:13:12» E d i t
 あ、どーも。今日から35歳の私です。

 ウキウキのハッピバースデーは、例年、年末の残務整理やら、雪かきやら、年賀状書きやら、雪かきやら、コンビニ弁当やら、雪かきやら、また年賀状書きやら・・・


 まぁ、そんな感じで過ぎ去ります。



 師走だけにみんな突っ走っているので、さすがに35回目ともなるとみんなが忙しくて誕生日なんぞに構っちゃいられないことにいちいち落ち込んだりするのにも耐性がつこうってなもんです。



 四捨五入したら40歳でんがな。



 努力の甲斐もあってか、30代なりかけの頃にカッコいいおじさんの指標としていた「アゴが割れている」に近づいてきています。あとは、ヒゲだな。そして、丸い眼鏡だな。


 
 相変わらず、そんな12月29日。
 


 朝から「ゲゲゲの女房」の総集編が放送されていて、嬉しかった誕生日。

 

 こんな短い更新だけど、みなさんにありがとうって伝えたくて(笑)。
  



 
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2010/12/28 Tue  18:07:22» E d i t
 » さらば!二度目の17歳 
 私は、職業柄、自分よりも年上どころか、自分の親よりも年上の人たちと対話する機会に多く恵まれていると思う。

 数は多い訳ではないけれども、その分繰り返しお会いすることができ、さまざまな話を伺うことができる。

 若い頃には年上の言っている事を「なんだウルセェな」とか思いながら渋々聞いているどころか、それが顔に出ちゃっている人が多いらしいが、私は・・・確かに「クドいよ~」とか思いながらもそれを顔に出さずに聞くので、10代の頃から年長者の皆さまと子供にはモテモテである。いわゆる「如才ない」というヤツなんだろう。
 おそらく、それはいちいち軽口やカラ返事をしないで、ちゃんと聞いて、時には自分の視点から意見らしきものを言うからなんだろうとは感じてきた。



 先輩方は・・・いや、どんな人でもおそらくは自分の経験や考え方を誰かに伝えたがっている。自分が生きて来た「証」としてのそれらを他の誰かに全て引き受けろとは誰も思っていないだろうけれども、その存在を他人との関わり合いの中で確たるものにしたいという本能なのかもしれない。そうして自分語りをすることは、自ら「自分」という存在を確認することにも繋がる。
 時には過去の恨み節や愚痴の類も聞いたが、必ずと言って良いほど誰かに話しているとマイナスな感情が底をついて思考がプラスに転じるポイントがあるようで、その置かれている時代という要素はさて置き、人生のどのくらいの地点で、どういう風に体力が変化して行き、どんな感情がその状況を変えて、どんな風に視界が変わり、どうやってそれに備えるべきか・・・ということに話が巡って行く。



 
 私たちは、本に書いてある事やテレビの言っていること、新聞に書いてあること、偉い学者さんが言っている事が正しいことであるかのように感じるが、それは「そう感じてもらった方が都合の良い人たちによってそう育てられてきただけ」であって、この世の中に絶対に「誰が見ても正しいこと」など存在しない。
 難問を前にして考え込むのが好きな人が多くなったのは、それが頭が良いことだと勘違いしているから。それもやっぱりメディアとか教育の影響で「みんなが考えてるんだからあんたも考えなさいよ」的なことは間違いなく、小学校の頃から言われて育ったはず。そうしたかしなかったかは別として。

 「みんなで考えてる事が反映されていない今のこの状況」をどうにかしようと考えている人が少ないのは、それはやっぱり「そう感じてもらった方が都合の良い人たち」がいつかきっとこのダメな世の中をどうにかしてくれると心のどこかで信じているからで、おそらくはそういう「いつかきっと」は絶対にやってこないし、「どうにかしてくれる」の「どうにか」とは、良くなるということを指しているワケではない。


 
 おそらく、みんな自分が間違っていると思ってしまいながらもそんな自分を許そうとして、許してくれる誰かを探しているんだろう。


 そもそも「誰が見ても正しいこと」が存在しないのであれば「間違い」だって存在しないのに、それでもなお、その狭間で人は彷徨って、救いを求め続けている。もっと良くしようと、もっと真っ当に生きようとすればこそもがき苦しむ。
 苦しくて、見苦しくて。

 それが生きているってことなんだろう。

 
 

 
 

 話をいろいろと伺う中で、似たような経験をしても「今後、いかにして生きるべきか」という自問に対して導き出された答えが、人によっては似て来たり全く正反対だったりするのは何でだろう?って考えて、その時置かれていた状況や、身の回りの環境とかを聞いて、どうしてそう考えたのかに思いを巡らせる。




 34歳が終わる。


 
 とにもかくにも、4日連続で大雪が降って、朝、普通の生活をスタートさせる以前に雪かきで体力を使い果たすような有様。

 猛吹雪の視界ゼロの中で車が路外に逸脱したり、タイヤがスリップして雪山に突っ込んだり、屋根の雪下ろしで雪と一緒に屋根から落ちたりと、まぁとにかく気ぜわしい限りの毎日の中でまたひとつ歳をとる。



 二度目の17歳は、青春してた。


 
 自分を歩ませるものは何なのか、共に歩んでくれるものは何なのか、随分と考えた年だったし、そういうものの多くが見えた年だった。


 実り多き34歳、二度と再び巡り来ること無き34歳。



 
 そんな34歳を過ごさせてくださった皆さんに、ありがとう。


 
2010/12/24 Fri  11:45:24» E d i t
 » 寒・幻・橋 
 寒空に舞うカモメたちが
  哀しげに歌うのは
 
 そこにそれが見えていながら
  決してそれを掴むことはできないから




冬の橋


  決してそれを掴むことができないから
   それはいつでも僕らに夢をくれる

 
 哀しげに舞うカモメたちが
  寒空に歌うのは
 
   
   それでもそれを掴もうとする
    哀れな僕らの心を揺らす

 
   幻の鎮魂歌


 
       

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2010/12/17 Fri  17:41:10» E d i t
 » 現状 
 
 長靴の中まで 沁みるような痛みが
 冷たさを通り越して
 刺さる

 
 ひゃっこさが 心まで凍らしてしまいそうで
 白い息を こすり合わせた手に絡め
 ポケットに急いで心を仕舞い込む



2010 冬


 
 首をセーターの襟元にすぼめて
 アゴを引いて濁り空を睨みつける


 
 現状


 
 前に出たくても次から次へと降り積もる雪

 自分が来た道行く道全てを覆い隠すが如く
 冷徹に降り積もる 降り続く 雪

 
 ひとしきり途方に暮れたら
 また歩き出すしかない


 「しかない」をつけなきゃ
 進もうとも思えない しかたない
 それでもまだ 痛み を感じている両の足


 


 

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2010/12/14 Tue  05:56:54» E d i t
 » 火曜一言 
 もっと悔しがったらいい。

 もっと張り合ったらいい。

 もっともっと突っ張ったらいい。


 
 良い子にしてたらだれかが幸せを運んでくれるなんて、ない。

 だから感情さらけ出して、泥にまみれて、それでいい。それがいい。
 

  
2010/12/12 Sun  09:07:02» E d i t
 » Aerts The Rock 'n' Roller 
 またピーターアーツに泣かされた。

 ここ数年バダ・ハリの活躍とアリスター・オーフレイムの台頭、および絶対退屈王者セーム・シュルトの安泰によってボブ・サップが傷つけてしまったk-1の格闘技としての信頼感を回復しつつある中で、今年のGPはかつての名優と現在第一線級の選手たちとこれからの数年間を託せる様な新勢力とが混在、それぞれの個性が見えやすく対戦カードの組み合わせもとても分かりやすくて興奮した。そして泣いた。


 この準々決勝になぜマイティー・モーがいるのか?そこだけがちょっと引っ掛かるけど、良い。
 
 結果(アーツに1RKO負け)オーライ。
 

 今年のトーナメントの主役は間違いなくピーター・アーツ。


 20世紀最後の暴君として1990年代の黎明期~加熱期のK-1で絶対的な強さを誇ったアーツ。私にしてみれば、青春時代を共に歩んだヒーローの一人ですよ。
 いかにも「練習してませんけど強くてゴメンネ」みたいな体つき(体つきがそうだったっていうだけで、ドージョー・チャクリキでハードな練習はしてたに決まってる)で、立ち技格闘技に必要な才能がパンツとグローブをつけてリングを席巻する様子は、努力根性勝利信奉者の私にしてみれば完全に「異教の神」という感じで、アンチアーツでいつでもフグとかベルナルドとかバンナとか筋肉ストイックな選手を応援してた。

 けど、アーツは強くてどうしようもなかった。だって暴君だもの。
 暴君と、ホーストが火事場のクソ力で21世紀初頭までK-1のリングを引っ張った。


 もう本当ならとっくに引退して、隠居して、トレーナーでもやっててもおかしくないんだ。



 今年のGPは「ストップ・ザ・シュルト」がテーマだった。


 準々決勝でシュルトと戦った日本代表の京太郎は、練習してきた通りの攻略法を最初から最後までやり抜いて、結局判定で敗れはしたが、見事な戦いを見せた。打撃のパワーやスピードでは人種的にすでにハンディを持っている日本人でも、相手を徹底的に研究して弱点を見つけ、自分の得意技を磨いて、それをもって相手の弱点にぶつけ通すことができれば、勝利の光明を見出すことはできるのだということを身を持って示したその勇気と戦略と、それを可能にした努力を称賛。

 アーツはモーをあっさり下し、準決勝でシュルトと当たることになる。

 
 グーカン・サキは小柄ながらそのスピードを武器に準々決勝まで上がって来たが、この選手の動きにはどうもステファン・レコを思い出す。ダニエル・ギタは新しいタイプの選手で、こういう雰囲気を持った選手に活躍してもらいたいと思う。スピーディーな接戦をサキが制したが、延長ラウンドまで戦っての判定だったので、消耗が激しい。


 シュルトを止める急先鋒としてアリスター・オーフレイムが大きく宣伝されていたが、ホーストの愛弟子であるタイロン・スポーンにまさかの大苦戦。ホーストが冷静にオーフレイムを研究し、若きタイロンに攻略法を伝授。「k-1選手のレベルに達していない」「ヤツはただのボディービルダーだ」等の名言が飛び出した、意外な好勝負も、体格に勝るオーフレイムが終盤押し勝って判定勝ち。



 準決勝、アーツはシュルトをとにかく攻める攻める攻める。
 シュルトもシュルトで意外にも前に出て戦うが、普段は相手の攻撃が届かない2m越えの大巨人の顔面もローで崩されて、ガンガン前に出て来るアーツの圧力の前に打ち抜かれる回数が増える増える増える!
 アーツはアーツで、40歳の動きとは到底思えないような詰めでシュルトを叩く叩く叩く!!

 シュルトは前の試合で3Rまで長引いてスタミナをロス、アーツは1RKOでスタミナを温存できたという要因を差し引いても、アーツの戦いは前に出て前に出て前に出まくる突貫拳闘!何が彼をそこまで動かすのか?何が彼をそうさせるのか?

 
 最近のすっかり目が肥えて技術論を語りたがる割にはハートが冷えてしまった観客も、アーツコールを発さずにはいられない!
 
 
 背負っている。

 この人たちの思いを背負っている。憧れを背負っている。背負って立っている。
 背負って立ち向かって行く。
 背負って前に出る。
 背負って打ち続ける。

 だからだ。だから動くのだ、だからそうできるのだ!


 アーツのハートに見ている者の心がリンク。
 涙無しでは見ていられない壮絶な戦い。
 アーツの背中に、グッドシェープされた肉体に努力根性勝利の神を見た!

 そしてアーツの勝利!
 
 

 
 一方の準決勝でサキは前の試合で体力を使い果たしているにもかかわらず、豪快なスピンキックを二度アリスターにぶち込んでふらつかせるが、アリスターのミドルキックを一回戦で痛めていた右肘にもらい試合続行不可能。

 
 
 満身創痍のアーツと、余力を残したアリスターでは勝負は見えていたものの、決勝戦でもアーツは立ち向かう姿勢を貫く貫く貫く!
 アリスターの重爆パンチの集中砲火を喰らってレフェリーがスタンディングダウンを取って、しゃがみ込むもなお立ち上がるアーツ。
 しかし、レフェリーは続行不可能と判断し試合をストップ。


 優勝はアリスターだが、シュルトをストップさせたのはアーツ。


 
 そして、私はアーツから大切な物をまた教わった。
 ゲスト解説の長嶋一茂が相変わらずまとまりのないコメントで言っていた「まだやれる!そんな勇気を僕らにくれました」みたいなことを、本当に同感しながら聞いた。  
 
 アーツは己と向き合い、老いによる衰えを受け入れたのだろう。
 そして「目に見えない自分自身」と戦っている姿、それを観客の側が自然と感じとってしまうほどの存在になったのだ。
 嗚呼、まさに努力根性勝利至上主義の神となったアーツ。
 
 

 
 く~、泣けた。


 
  

 
  
2010/12/08 Wed  06:11:05» E d i t
 » おとうさんのぼり 
 おとうさんのぼり という遊びをご存じですか?

 ぼのぼの というマンガの主人公のラッコ・ぼのぼの が すわっているお父さんにのぼって、すべって落っこちて、またのぼって・・・と単純におとうさんをのぼるという男塾名物のような遊びです。


 ぼのぼの は、私が中学生の頃に集め始めたマンガですが、普段から「ジョジョ」だ「奇面組」だ、果ては「あまいぞ!男吾」だ「うっちゃれ!五所瓦」だのと言ってる私が自分を語る上であまりにも似つかわしく無さすぎるので自分自身すっかり忘れていましたが、先日、実家の物置に入った際に並んでいるのを発見して思い出しました。
 かわいい動物キャラクターたちが繰り広げる日常風景がゆったりと4コマで描かれていて、時折なんだか急に哲学的になったりもする素敵な漫画です。

 
 
 えー、ちなみに当時の我が家には四コマ漫画では「江戸むらさき特急」「伝染るんです。」「激烈バカ」等、コアなタイトルが列挙しておりましたが、ええ。すべて私の所有物でした。・・・あれ、どこ行ったろう・・・


 
 当時、中学生から高校生くらいだった私が密かに決意したこと。
 それは

 「子供が生まれたら、絶対“おとうさんのぼり"をさせよう!」


 子供が3歳半くらいになって、ある程度自分の手足の力加減を覚えてきたら、父親が座った姿勢での「お父さんのぼり」が可能になります。ルールは簡単。肩車の状態になったらゴール。あとは自由にのぼりなさいと。
 ただ、子供たちは無謀なことに挑戦して危険な姿勢で落ちたりするので、そこは父親のフォローが必要です。
 
 まぁ、プロレスごっこ歴が3歳から始まっている私にしてみれば変な落ち方をサポートするくらい造作もないことですが、まぁ まるもい は随分と背中から落っこちて息がつまる経験を重ねましたね。 ぴっこ はその点、バランス感覚に非常に優れていて、まぁまず、落ちない。


 
 で、慣れてきたらだんだん父親の姿勢を立った状態に近づけて行くんですね。

 のぼりやすいような工夫をしながら、中腰になったり腕が子供にとっての足場になるように力込めて固定したりして、変なポーズで子供たちが考えながらのぼるようにするわけです。

 
 4歳半くらいからは立った状態で変なポーズつけているだけでのぼることができるようになります。



 が、子供の体重が30kgを越える辺りから父親の方がツラくなって来ます。
 30kgともなると、その体重で揺さぶられると父親のバランスが崩れてしまうんですね。安全性を完全保証できなくなってくるんですよ。まぁ、それでもそのくらい続けていると子供の方も落っこち方くらい身体で覚えてますけどね。
 
 あと、そのくらいになると、手足も伸びて来て握力もついてきて、洋服が伸ばされます。 

 
 だからと言って、上半身裸でやると傷だらけのローラと化します。風呂に入る時に泣けるほど沁みたりします。




 レパートリーとして「隠れスイッチ設定」というのがあって、のぼって来る過程で事前に決めておいた一か所(例えば右肩だとか)をつかんでしまうと、おとうさんの姿勢が変わってしまったり、歩き出してしまったりと、いろんな組み合わせが可能で、我が家の子供たちはおとうさんにのぼりたくてのぼりたくてしょうがないらしいです。


 
 こんな風に、子供たちの成長を文字通り肌で感じられることで、実は一番嬉しいのはのぼられているおとうさんの方だったりするワケです。


 ぼのぼの が私たちにくれたものはかくも偉大なり。
2010/12/07 Tue  06:12:17» E d i t
 » 火曜一言 
 何かをやってればさ、上手く行かない時だってそりゃあるよ。

 「これだけ一生懸命やってそれでもダメなんて、じゃあどうすりゃいいんだ?」ってなる日もある。

 
 多くの人たちがチャレンジすることも無く、いとも容易く世の中のせいにしている中で、

 それでもどうにかこうにか仲間の力を借りながら、切り拓いて行こうとして立ち向かっていく。


 空しさに脱力する日もある。

 力んで空回りしてる日もある。


 でもね、何もしないよりきっと、俺はその方が楽しい。

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