フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2010/09/29 Wed  06:18:30» E d i t
 » 落とした宝物を拾いまくれ 
 たとえば「あの頃」という言葉がいつを指すのかはさておき、「あの頃」に聴いたあの歌を今聴き直してみるとなんだか随分拍子抜けしてしまうということが、私には時折、ある。

 その代表格が 一世風靡セピア だったりする者です。


 「あの頃」、私は小学校高学年で、一世風靡セピアの声はもっと低くて渋くて迫力のある声に聞こえていました。中原中也の詩を当時風に肉付けした「汚れつちまった悲しみに・・・」という曲は、あの伝説の漫画「魁!男塾」のアニメ化に当たってオープニングテーマ(「始まりの歌」と呼んでましたけど)で使われたんですよね。

 ま、正直、原作の良さを引き出すことに成功したとは言えなかったアニメでしたけれども、テーマ曲だけは耳に残っていて、大学生の時に一世風靡セピアの中古CDを見つけた時には値段も見ずに飛びつきましたよ。・・・まぁ、580円でしたが。


 
 で、聴いてみたら「なんか違う」んですね。

 何だろう・・・この・・・薄い感じ・・・


 これ、おそらく声変わりを経て、「あの頃」の一世風靡セピアよりも自分の方が低音域の声が出るようになって、それに慣れてしまったからなのか、重厚な詞に対してボーカルがど~にもこ~にも軽っぽい感じがしてしまって、一回聴いてそのままCD棚に放置。



 そんな「汚れつちまった悲しみに・・・」ですが、歌詞の中に

 「欲しい物は欲しいと言え 落とした宝物を 拾い 拾いまくれ」

 という言葉が出て来ます。


 
 
 私、最近、ずっと探していた「落とした宝物」に、どうやら気付き始めて来ました。
 気付かないうちは、何を落としたのかそれを模索し、悩み続けますよね。落としたってことは、きっと最初は持っていたってことですよ、最初に持っていて、今、見失ってることってなんだろう。

 気付いたら拾いに行けば良いんですよね。


 遠い昔に置き去りにしてしまったと、友人たちと集まるたびに話に出て来るいろいろな出来事が、実は身の回りにまだ残っているってことに、気付き始めました。

 それを共有できる素晴らしい友達と、共有した素敵な時間そのもの。
 

 それがもしかしたら「落とした宝物」なんじゃないかな。
 だとしたら、それって新しく作って行けるし、決して置き去りになんかしてきたワケじゃないんじゃないかな。
 
 
 今の私たちなら、それを拾える気がする。


 
 汚れつちまった悲しみに いつか本気で笑おうや 
 
 
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2010/09/28 Tue  05:45:06» E d i t
 » 火曜一言 
 集団が持っている熱は膨張して、パンパンに膨らんだ風船みたいにフワフワと頼りなく漂ってる。

 熱の行き場を探し出せ、そしてその方向に進むように風穴をあけろ。

 
 未来はその先にある。

 
2010/09/27 Mon  17:51:31» E d i t
 » 価値なき記録などない! 
 圧倒だった。

 頭から突っ込んで来る日馬富士を組みとめるや否や、一気に押して出て土俵際の粘りも許さずに寄り切った。
 白鵬はこれで62連勝。

 他の力士が弱すぎるのだと人は言う。それゆえにこの連勝記録にはさほどの価値は無いのだと自分に言い聞かせるように吹聴する人がいる。

 否。


 それは白鵬が日本人では無いことに起因する僻みである。


 白鵬は素晴らしい横綱だ。
 大相撲が日本の国技であるとされてから最大最悪とされるこの相撲界を取り巻く状況の中で、ライバルとして共に支え合って行ける力量を持った者にも恵まれず、勝ち続けている。

 
 孤独の一人横綱、白鵬。
 なのに「みなさんに支えられて今の自分があるんです」と、日本人以上に日本人らしさを漂わせる白鵬。
 やんちゃな大横綱・朝青龍の後の優等生だから、絵に描いたような横綱だから私は心の底から敬意を表します。


 横綱が一番強い。


 そんな当たり前のことを、当たり前に実践し続けることがどこまでできるものなのか。横綱の中の「人間性」に揺らぎが生じるとしたら、それはどんな時なのか。あるいは、人間性の揺らぎを微塵も感じさせることなく白鵬は相撲の神様となるのか。


 横綱が一番強い。


 当たり前のことを、当たり前に実践し続けるから世間は「当たり前」だと思い、さほどの祝賀ムードがないのだろうか。 
 そんなことさえも考えることなく、ただただ自分たちの心の中のヒーローたちが数字の上で抜き去られていくのが口惜しいがゆえに、自分を納得させる言い訳を探しているのか。

  
 歴史を作る者は、常にその前の時代を生きた者の批判にさらされる。
 ならば白鵬、天駆ける竜の如く、見苦しい中傷の矢など追いつけぬほどの速度を持って、もっともっとその先へ昇って行くがいい!

2010/09/25 Sat  08:18:36» E d i t
 » 天空色暦~月下可憐~ 
 真昼の強い日差しに
 頬を紅く染めた

 透き通る空気 
 西に暮れ日

 涼夕昇る月
 静かに揺れる薄影


  


月下可憐


 コスモス畑にて  秋 

 

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2010/09/24 Fri  08:30:17» E d i t
 » 天空色暦~金色の舞台で 
金鱗

 燃えているひとつの魂に
 たくさんの命が寄り添って
 時代を照らす光となれ


 風のいたずらが生み出した水蒸気の塊が
 光の粒子を屈折させて
 大地を金色に照らし出す


 実りの季節


 燃えているひとつの魂に
 たくさんの命が寄り添って
 偶然にもそこに寄り添って
 時代を照らす光となれ

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2010/09/23 Thu  17:15:42» E d i t
 » これが私の生きる道 
 それにしてもPUFFYである。

 こんな良い天気の(他所の人の)休日には「これが私の生きる道」を口ずさみたくもなろうってなもんである。



 秀でた部分は何もない二人のちょっとカワイイ女の子が肩肘張らずにカワイイ二人でいることで、自然自然にそこに居続けられる存在になっちゃったみたいな不思議なペア。
 何となくそこにいるようないないような、友達みたいな女の子たちがいつの間にやらアジアやらアメリカやらに進出しちゃって有名人になっちゃったのに、それでも何となくそこにいるようないないような友達みたいな雰囲気を醸し出してる。
 「とくするからだ」って歌があるけど、あれをそのまま行ったのが彼女たちの生きる道になってるんだと思うと、別に取り立ててファンってワケでもないけど爽快感さえ感じる。



 歌はそこらのカラオケの上手な女の子並み、ダンスは覚えられません、楽器は弾きません・・・でも、奥田民生がいて、ダウンタウンに可愛がられて「なにかとお得な思いをする」ことができたのは、これは運の強さなんだろうな。生まれ持った運の強さ。宝くじに当たるよりももっとありがたい「自分を引き上げてくれる人たちと出会える運」。それを活かす事ができる「見事な人」で有り続けようとしてることが良いんだろうな。他人を蹴落とさない強さというか、他人と張り合うポジションに立たない・・・あるいはそこに立たせないプロデュースみたいなものに守られているというか。




 大学生だった私が「ズコッ(この表現以外にしっくりくる擬音などない!)」となったデビューからもう15年くらいなるんだろうけども、こっちは順調にオヤジ化現象が進む中で相変わらずカワイイもんね。亜美ちゃんも由美ちゃんも年上だってのが信じられん。


 不景気だから何ができないとか、ちょっと何かやろうとすればあれが関係して来るからそれはムリだとか、金がねぇからできませんとか、そんなの楽しくねぇよ。
 楽しくなるにはどうすりゃいいのかなんだか世の中が少し見えたね。お金が掛けられないなら、自分でやればいいんだってことが。キレイにやることよりも、今できることをちょっとだけ背伸びしてやってみたら良いんだってことが。
 上手く行ってもダメになってもそれがアナタの生きる道。



 「イージュー☆ライダー」みたいなノリでドライブして、これが「私の生きる道」みたいなノリでスキップしながらい~い感じぃ~♪で青空の下を散歩するように生きていたい。



 ~♪って、まぁ、仕事でしたけどねぇ。
 
 角度変えればまたイイ感じってことで。


  
2010/09/21 Tue  15:22:51» E d i t
 » 火曜一言 
 おっかない顔してないで、笑ってみる。

 笑ってるうちに楽しくなる。

 楽しくなるから、笑顔が輝く。

 バカだと思われたくないから笑うのが下手だったけど、

 自分がバカだと気付いてからは

 笑顔の力を思い知った。


2010/09/20 Mon  17:50:29» E d i t
 » 羨ましがりの休日 
去年の今頃は世間様では「シルバーウィーク」だのと騒いでいたのを、傍観していた平常勤務者です。


気がつけば三連休も終わりなのですが、ウチのこども達と来たら寂しさの欠片も見せずに予定なき一日を暴れまわってます。


まぁしかし、子供のスタミナが無尽蔵に感じるのは、これは時間や体力を予定に対して配分する必要もなければ、段取りを自分で組むこともないからであって、大人が知らず知らずにスタミナ配分しちゃうのは、そうしないと自分の思うように生活が回らなくなっちゃうってことを、何度か失敗を繰り返した末に学んだからなんだろう。


飯食うにも、その準備や片付け、洗濯も洗って干して取り込んでたたんで、布団敷いて寝て、起きてたたんで、ゴミが出たら分別して収集日にステーションまで持って行って…生活を誰かに丸投げするってことは、どっかに宿泊でもしに行かなきゃ有り得ないってワケで、それさえも車を運転したり、電車やら飛行機やら予約したりしなきゃならんだろうし、丸投げするには相当なカネが必要になるだろう。


家族で海外に行って連休を過ごしたりしてる人たちは、どうやってるんだろう?


教えて欲しいです、マジで。


環境かえてリフレッシュしたいってよりも、スタミナ配分をしないで遊びたい!


いろいろ羨ましがりの、今年の敬老の日なのでした。
2010/09/17 Fri  09:46:49» E d i t
 » ヤンマ 
 僕は君を追いかけた
 追い掛けても追い掛けても追いつかなくて
 疲れてしまってしゃがみ込んだら

 
 何も無かったかのように
 君は僕の傍らに涼しげに寄り添った



 ヤンマ


 少年の日は西の空を赤く染め
 夏は終りを告げていた


 あれから何度も季節を巡ったけれど
 君に出会う日は来ないと思っていた



 久しぶりだね

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2010/09/16 Thu  13:52:33» E d i t
 » おまじないの効用? 
 先日、まるもい(長男・5)を連れて私の友人と温泉に行った。


 温泉から上がってまったりしていると、まるもい が深刻そうに何やら手を見つめている。


 ま:「・・・ねぇ、おとうさん。」

 丸:「ん?」

 ま:「・・・ねぇ、おれの指、なんかシワシワなるんだよね。お風呂からあがったらいつもそうなんだけど」

 丸:「あぁ、おまえ、それ梅干しの呪いだわ。」

 ま:「え・・・なにそれ」

 丸:「梅干し、シワシワしてるべ?おまえいっつも弁当でもおにぎりでも梅ぼし食べないで捨てるから、呪われたんだわ」

 ま:「えー・・・えーッ。うそだ。うそでしょ」


 丸:「だってほら、お父さんなってねぇぞ。(直前に水風呂に入っていたので指はシワシワじゃなかった!)」



 と、まあいつもの調子で我が家の会話をちょっと離れたところでニヤニヤしながら聞いていた私の友人が




 丸友:『梅干しさんごめんなさい』って言ったら治るよ~」



 
 ひとこと、的確なアドバイス。



 ま:「またー。みんなでおれにうそ言ってるっしょ~・・・もう」


 とかぶつくさ言いながら まるもい が先に服を着終わって、一息ついて汗が収まって来た私が服を着ようとした時、つぶやくように



 ま:「うめぼしさんごめんなさい」




 ・・・ッッッ!

 
 
 私と友人は声を出さずに まるもい に背中を向けて笑ってました。
 まぁなんとめんこいヤツじゃ。




 なんどか「うめぼしさんごめんなさい」を繰り返した辺りで指のシワシワは消えてきたらしく、その絶大なる効き目に驚きを隠せない まるもい 。
 

 ファンタジックな大人に囲まれて、面白い男になれよ!


 
2010/09/15 Wed  15:59:32» E d i t
 » 二軍選手 
 最近知ったことなのだが「黒歴史」という言葉があるらしい。
 アニメ用語から派生した要するに「人様に知られたくないこっ恥ずかしい過去」という意味に転化したらしいのだが、B’zやらWANDSやらT-BOLANとかが全盛だった高校時代に「さだまさし」を聞いて友人と盛り上っていた辺りが私にとってのそれに該当するのだろう。


 私自身が「黒歴史」だという認識は全くゼロで、今でも時折さだまさしを知り合いに勧めては怪訝な顔をされたりしている。

 
 私たち世代にとって、さだまさし=あ~あ~ああああ~♪の「北の国から」のテーマ曲 ということになっているらしいが、私にとってのさだまさしは、日本テレビの年末長編時代劇「五稜郭」のテーマソング「夢の吹く頃」となっている。
 あれ?いつだったかな。小学校5年だか6年だかの頃だったんだけども、この時代劇を別に父親が見ているワケでもないのに延々と見続けて、最後の方で渡哲也が演じた土方歳三がナントカ言う機関銃に突っ込んで行ってバッカスカ打ち抜かれて死んで行く姿に妙に感動したのだが、その時にBGMで流れていたのが「夢の吹く頃」だった。

 
 当時我が家にゃビデオなんて無かったもので、その歌のサビをずっとうろ覚えで覚えてて、しかもさだまさしの歌が当時聞いてたラジオで流れるはずもなく、ただただ記憶の風化を待つばかりかと思いきや、高校時代に偶然見つけた中古CD屋台(!お祭りの時にレンタルビデオ屋でやってた)のワゴンセールで「夢の吹く頃」という同名のアルバムが1,600円くらいで売っていたのを、価格にちょっと躊躇しながらも買ったのを覚えている。

 
 で、まぁ、最初の頃はお目当てだった「夢の吹く頃」ばかりをエンドレスリピートで聞くのだが、それが落ち着く頃にはアルバム全曲を通して聴いたりもするようになり、さだまさしワールドの幅の広さと奥深さ、さらにその濃度に絡めとられるようになる。


 ビジュアルがアレだし、もう相当に出来上がってしまった世界だからこれから新しくその世界へ入門するのはかなり面倒くささが先に来るかも知れないけれども、敢えて言う。


 さだまさしは熱い! 


 話を戻すが、そのアルバムの5曲目が「夢の吹く頃」でそのすぐ後の6曲目に「二軍選手」という今回のタイトルの曲が収録されている。

 
 味わい深い。

 人生にはちょっとした曲がり角がいくつも待っていて、そこを曲がったら自分の目指すところに辿りつく道だったのかもしれないのに曲がらなかったり、目指すところが見えずに迷ってみたり、ゴールまでの道のりが見えているのにそこに至るための力量が無くてその時には辿りつけなかったり、逆に言えばたまたま真っ直ぐ行った先に目指す場所があったり、偶然、世の中の流れに乗って目指した場所の彼方まで流されたり、いろんな人生がある。

 「たとえ泥まみれで捨てられても笑って見せる」

 夢に向かって退路を断って、たとえその夢に捨てられても笑ってやろうというくらいひたむきで、シグルイでひとつの事に懸命になる熱い生き様を描いた物語は、挫けても諦めないどころかむしろそれに胸を張って次に噛みつく力に変えてしまえと言うメッセージだけを高校当時の私は受け止めていたのだが、




 それはおそらく「ともすれば弾けそうなそれぞれの風船みたいな夢を守ろうとする」仲間がいたればこそだと今の私は思う。年齢を経た、さまざまなことを経た。だからそう思うのだ。





 究極的には「夢を追いかける」というその部分に関して、同等のモチベーションと情熱量を発散していて、互いに「生活の安定という普通の幸せを掴むことよりも、愚直にいつまでも夢を追いかけて行く」という真っ直ぐな自分を重ねあって行ける友が、鏡合わせのようにそこにいるからこそ成り立つ気持ちなのだろう。

 独りじゃないって素敵なことなのだ。



 
 それがたったひとときだとしても、今まで私と鏡合わせになり私を歩かせてくれた全ての出会いに感謝します。私はここにいます。ここまで来ました。
 あなたがもし今、たったひとりだとふさぎ込むなら私のことを思い出して下さい。

 私には「誰もが夢見るスターのポジション」を誰かに与えられることなどありません。挑戦もしなかったヤツにそんなものが与えられてたまるかって自分で思いますよ。然るべき時に逃げて来ましたからね。目を逸らして通り過ぎて来ましたからね。

 みんな、二軍選手にさえもなれない人生の主人公なんですよ。


 でもね、自分が望む未来の自分になれるように自分なりにやるようにはなって来ましたよ。今もこうしてやってますよ。それは、私をここまで歩かせてくれたみなさんのおかげだと心から思います。

 私はここまで来ました。ここにいます。

 与えらえる事がないなら、私は自分で作ることにしたんです。夢みるようなポジションを。







 というわけで、今週の一曲はさだまさし「二軍選手」です。
 なんと、Youtubeにあるみたいです。

 
 間違いなくこのアルバムは私の考え方に深い影響を与えた一枚です。
 そしてこの曲は今なお、新たな感動を私に注ぎ込んできました。
 ・・・ん?なんか全然、黒歴史じゃねぇじゃんか。


 むしろ、礎石じゃん。

 


 ゆっくり聞いて欲しい。そんな一曲です。 

 
 
2010/09/14 Tue  08:46:41» E d i t
 » 火曜一言 
 好きな事する時は、笑ってするのが良いんじゃない?

 真剣、集中、笑顔。

 その方が楽しいと思うんだけどな。




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2010/09/13 Mon  14:49:45» E d i t
 » 友有来遠方亦非楽也 
 私よりも一回りほど若い女の子の友達が、久しぶりに我が家に遊びに来た。




 「一回り」という表現が何の引っ掛かりも無く使えるようになるには、ほんのちょっぴり「自分が年を重ねたことを素直に受け入れるだけの時間」と「まぶしいほどの若さを羨まない程度の自分の頑張り」が必要な気がする。

 干支一回り、12年。
 今年35歳になる自分から上に一回り行けば現在47歳の人たちに当たり、下に一回り行けば23歳。二回りだと11歳。


 そうして年齢を俯瞰してみれば、干支というサイクルは自分の人生を考える上でひとつの区切りの良いマイルストーンになってる気がする。「12年で人間はどこまで成長できるのか?」とか「12年前はどうだった?」とか、単純に干支が同じ人たちに出会うとそのように考えるようなクセみたいなものが私にはある。他人の話を聞いていても、どうやら似たような計算式があるような気はする。
 
 誰がどうだとか、年がなんだとかあまり気にならなくなるには、世間様にそれなりに存在を認められるようなそれなりの自分が出来上がるまでの時間を要する。
 世の中の方ではとっくにその人の存在を認めていて、それに満足な人がいたり、認められていても自分の方ではその受け入れられ方やポジションが気に食わないとか、だから躍起になって違う自分になってやろうだとか、いろいろある。
 いろいろあって、それがそれぞれの個性なのだということに気がつくまでにも相当な時間を要する。

 個性という言葉が出てきたついでに脱線して書いておく。

 「個性を大切にしよう」ということを子供の頃からしつこく啓蒙されるのは、「自分と他人とは違うんだよ。だけどそれぞれが協力し合って社会は成り立っているんだから、自分も他人も大切にしなさい」という内容を凝縮した言葉なのだろう。
 日本の学校教育は実在しない誰かをお手本にした平均や平凡を作りだす事を得意とするシステムなのに「個性を大切に」だなんて、随分と矛盾しているという言葉にならない茫漠とした懐疑を私自身は長い時間持ち続けて、自分なりに語る言葉を見つけ出して煮詰めた末にやっと到達した解釈だから、学校の先生たちでさえなぜ個性を大切にしなければならないのかを自分の解釈で子供たちに説明できる人は多くはないだろう。少なくとも、私はその説明を受けずに大人になった。

 平均や平凡は、面白くねェからだよ。

 必死にそれを目指している人たちには悪いけど、わざわざ自分の良いトコまで削って平均目指さなくても良いじゃん。良いトコ伸ばして、いろんな人たちのそれと組み合わさって、良くないトコはフォローし合って、それでお互いが良くなれれば良いんだよ。
 
 
 さて、話を戻す。
 

 私は、若い人たちと話をする時に、意識的にオヤジ臭い話をするようにしている。若い流行だとか、そんな過ぎ去って消えて行くようなものにはすでについて行けなくなって久しいのでムリなんてしない。
 私から見た人生の流れを語る事で、彼らが行き詰った時にほんのちょっとヒントになったり、できることならサポートくらいできたらいいなって思ってる。私が先輩たちにして来てもらったように。そして、逆に自分が忘れてしまった若さとか新鮮なものの見方を思い出させてもらえたら、それが彼らとの共同作品になる。
 形の無い「共に歩む時間」という名の共同作品だ。
 
 大切にしているのはその人のリズムや熱度を尊重し、そこに同調する形で自分語りをするということだ。
 オヤジ臭くても柔軟を心がけ、みんなで笑っていられたらそれに越したことはない。

 みんなで笑っていられるように、強くならなきゃなんねぇ。素直に今はそう思える。勉強して、人の輪広げて、熟成させて、繋げて。 

 他人に周波数を合わせて語るためには、たくさんの周波数を持たなきゃいけない。それは恐らく、自分が経験したことや考えた事、心の動きの中で育まれて増えて行くのだろう。だから、色んな事に挑戦してみりゃ良い。今の自分が変わって行くことにビビって何もしなければ、世間の方が変わってしまって置いて行かれる。昔の知り合いが自分を指して「昔と変わらないね」って言われるってことは、昔と変わらないように努力を続けた結果なんだと胸を張って誇れば良いんだ。


 人はいつでも、誰かに肯定されて生きていたいように育って来る。団体行動が多くて、その意思決定は多数決で決めなきゃいけなくて、それによって決定された意思には従うように刷り込まれてるから。そういうルールに従順な子が「良い子」だということになってるから。
 「肯定してくれる人たちは多い方が良いし、できればみんなから好かれたい。」って、肯定してもらうために、他所行きの自分を装う。


 そのうち他所行きの自分がどんどん勝手に装飾品を増やして行って、それが普段着の自分とあまりにもギャップがあるようになっちゃって、迷子になる。着飾ってる自分も本来ならば間違いなく自分なのに、普段着の自分が本当の自分だって決めつけて、本当の自分を探すようになる。普段着の自分はその装飾品のど真ん中で雁字搦めでそこにいる。

 本当の自分はいつだって自分の背中に張り付いてる。
 
 でもね、迷子になる経験も必要なんだ。心の芯まで疲れてしまって「死んでしまいたい」って思っちゃうようなそういう経験したって良いんだ。そこからなんだ。それを背負ってる人、そうじゃない人、いろいろいるけど、人生は笑ってばかりいられない。だからこそ、どうしたら笑っていられるようになるか真剣に考えるようになるんだ。

 迷子になった寂しさや、苦しさを分かってるヤツの方が、きっと笑顔のありがたさも強烈に知ってる。装飾品のなかですすり泣いていたあの日の自分を笑わせる事ができるのは、やっぱ自分だけなんだよね。他の多くの誰かが肯定してくれなくても、自分が肯定できる自分であればそれで良いんだよ。自分に対して真摯に向き合って、自分の心と対話できれば、心の周波数は増幅されて広がって行く。広がった心の周波数は、誰かのチャンネルに合わせた時に、小さな肯定となって小さいけれども本当の自信がそこに生まれる。

 そんなことにも、いつか気付けば良い。
 



 
 何の話だったけね(笑)




 私よりも一回りほど若い女の子の友達が、久しぶりに我が家に遊びに来た。

 北海道の大学を卒業して、本州で働き始めて半年。
 良くカラカラと笑ってる子で、カラッと晴れた性格を武器に今日もファンを増やし続けていることだろう。

  
 友達が遠くから我が家に遊びに来て、元気な顔を見せてくれる。
 こんなに嬉しいことはない。
  
 
 彼女はうちの嫁さん。と何やらウマが合うらしく、これからの恋愛だとか結婚だとかその先に対してのいわゆる「マイルストーン」的な捉え方をしてるっぽい。ぴっこ(長女・8)は彼女をお姉ちゃんのように慕っている。考えてみれば、彼女が今の私と同じ35歳になる頃に、ぴっこは20歳になる。そうやって、世の中はサイクルして行くんだな・・・とか、ぴっこはその頃にこんなにカラカラと笑っていられる子に育っているだろうかな?とか、まぁそんなこんなのいろんなことを、酒を酌み交わしながらぼんやりと考えていたのだ。

 
 「不安なんて誰にでもありますよねー!」って達観した感じでカラカラ笑いながら、自分の道を邁進して行くあなたのその姿にはホント、勇気づけられるよ。 
 
 また来いよ。みんな待ってるぜ。




2010/09/10 Fri  17:32:40» E d i t
 » 残影 
 わたし飛ぶことできないけれど
 歌えるんです
 歌えるよ

 歌って友だち呼べるのよ
 
 きれいな声で歌うから
 お水を一杯くださいな
 
 
 残影

  
 わたし飛ぶことできないけれど
 汗をかくまで
 歌うのよ

 歌って友だち呼んだなら

 きれいな声で歌うから
 お水を一杯くださいな


 すきとおったあかいいのち
 もえてるみたいに歌うから

 

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2010/09/10 Fri  08:49:11» E d i t
 » 天空色暦~Sheer Heart Attack  
 夕暮れが作り出す色がこんなにも胸に沁みるのはなぜなんだろうかと
 問い問われ今の今まで生きて来たけど
 そのどうやら答えのひとつらしいものを
 みつけてつかまえた


Sheer Heart Attack


 夕日がボクらに向けて放つ心に沁みるエナジー
 それがボクらの良く知るシンボルマークだということを

  

 ハートがハートを打ち抜いて
 響いて残る余韻


 夏の終わりの残響

  

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2010/09/09 Thu  17:41:32» E d i t
 » 徳頭~とくあたま~ 
 いがぐり坊主頭の触り心地が大好きだ。

 
 私も小学校高学年でスポーツ刈りという単語を覚えるまでは、父親による手動式バリカンによる丸坊主だったので、それはそれはもう、色んな人たちに頭をなでくりまわされた記憶がある。

 が、我が息子・まるもい(5)の丸坊主は格別だ。

 と言うか、別格だ。


 亀田兄のような感じじゃなくて、EXILEの彼とか必殺仕事人の頃のKAT-TUNの彼とかのようなデコ具合なんですわ。

 亀田兄はなでくりまわそうとは思えないけど、他の二人ならどうですか?
 なでりたいでしょ?
 一休さんみたいな男の子だったらどうですか?なでりたいでしょ?



 別格にまんまるで、でこっぱち。

 

 すでにシルエットの時点で「徳」を出してしまっている。それが、まるもいヘッド。



 毎日毎日、無意識のうちになでくりまわしています。
 頭なでくられるのはいつくらいまで嬉しいもんですかね?


 まぁ、悪いことしたらその徳頭をピシャリ!とひっぱたくワケですがね。これがまた絵にかいたようなピシャリ!って音が鳴るんだなぁ。


 ん~。ナチュラルボーンはすげぇ。

 

2010/09/08 Wed  15:20:07» E d i t
 » 男と女 
 DO YA DOについて書いたところ、思わぬDO YA DOファンさんからのコメントを頂き、大変嬉しく思いました。拍手コメントでしたので公開はしませんけれども、私と同じように子供の頃はワケ分からんかったけれども、父親になる年になり、今聴いたらスゲェ良いよね。でもシングルのジャケットはアレどうなの?という内容でした♪
 
 スーパーベスト2の12曲目でこの曲を知った私、シングルのジャケットを知りませんでしたので調べてみました。→たゆねの音盤堂 様 

 ・・・するとどうだろう。
 左側にナンノが、右側には百恵さんがッ!!
 か・・・カワイイ。

 いわゆる今風のAKBだとかKGBだとかFBIだとかに居る風なありきたりに可愛いんじゃなくて、もっとこうなんというかオーラが・・・って、いやいや、話が脱線しました。

 
 曲のイメージにそぐわない、アーティストを撮影したジャケットですね。まぁでも、この手の写真、チャゲアスってよく使いますよね。飛鳥さんは寝起きなのか若干ムスッとされていらっしゃいますが、おそらくお茶目なチャゲさんはサングラスの向こうで飛鳥さんをガン見していることでしょうDO YA DO。
  
 

 
 今度はコメント欄に是非コメントお願いしますDO YA DO。


 私がここで書いてる事で、チャゲアスの週間着うたダウンロード数が急上昇しているという噂も小耳に挟みましたので、何かくださいチャゲさん。あ、嘘です。てへ。ナツナツナツナツココナッツ。





 と、チャゲアス熱が盛り上って来たところで本題に入ります。

 

 「男と女」という曲はアルバム・スーパーベスト(1)の5曲目に収録されている、チャゲアスの代名詞的・・・とは決して言えないけど、名曲です。

 ベストアルバムばかりですみませんね。だって、私は小遣いカツカツだった高校時代にこのアルバムを買ったんですけれども、その時点ですでに何枚ものアルバムが発売されてて、かつ、マニアックすぎて中古CDでは手に入らなかったんですよ、チャゲアス。
 そもそも中古CDなんて古本屋に特設コーナーみたくして、よれよれの8ミリCDシングルとか、ケースにヒビ入ったアルバムだとかそんなのしか無かったんですから~。
 ゲオとかで万代とかでワッサリ中古CDが売られている現代とは隔世の感がありますなぁ。

 
 とは言え、初めてこの曲を聴いたのは実はもうちょっと遡って中学3年生の頃に、カップヌードルのレッドゾーンという今では忘れ去られてしまった赤いシーフードのカップヌードルのCM曲だった「太陽と埃の中で」というシングルのカップリング曲として収録されていたライブバージョンの「男と女」でした。ベストアルバムはその「男と女」の原曲と「ひとり咲き」を聴きたくて後に買った物です。


 初めて聴いた時、震えましたよ。
 いやいやいやいや、そりゃ冬でしたし、暖房もイマイチな古部屋でしたよ。でも、寒くて震えたんじゃなくて、あまりの切なさに震えたんですよ。

 CDシングルのタイトル曲をぶっちぎってしまうカップリング曲というのはたまにありますけれども、私にとってはこのCDがその最初でした。


 中学3年の冬ですから、ある程度の「幼くて純粋な好きだ嫌いだ」を経て、恋愛にものすごい憧れがあったりするいわゆるいわゆるお年頃ですよ。
 そこにまざまざと場面のイメージも登場人物の心情もが実感できてしまうほどの激烈な“離別(わかれ)”をぶち込まれたわけです。 
 
 失恋とかそんな若者のたそがれ的なイメージではなくて、心ここに在りつつも男に置き去りにされる大人の女から見た離別(わかれ)です。
 
 「あなたのこころが 足を取られて 冬の坂道転がり始めた」
 「震える肩ごしに あなたのさようなら」

 曲のイメージは冬。
 私が聴いていた季節も冬。
 
 
 高校受験とかで、好きだった女の子とも別々の高校に行っちゃうかもしれないわけですよ。その先の人生なんてその時に見えるはずもないんだから、どうなるかなんて分からないし。受験勉強はしなきゃいけないし、恋愛だとかがその当時、自分に何を残すのかなんて考えてないじゃないですか。

 で、そこにいきなりぶち込まれたわけですよ、大人の別離を。


 いやぁ、この歌、若いうちに聴かん方が良いです。
 聴かない方が良いって、そんな勧め方があるのかよって感じですがね、カッコいいんですよ。憧れるほどにカッコいいんですよ。その別離(わかれ)の状況が。だから、指向してしまうんですよ。恋愛が別離方面に。それはヤバいでしょう。


 自分の向かう道が変わったことで好きな女を振り返らずに立ち去る男。
 それをグッと噛みしめながら自分を責めることも、相手を恨む事もせずにただ思い出を噛み締めながら背中で涙を隠す女。


 この男女、ハードボイルドだぜ。

 
 今も気持ちの共有しやすい「別れ」の心情や情景を歌った歌は多いんだろうけれども、中島みゆきだとかオフコースだとかの昭和50年代のこの手の曲には特に共感しやすいのはなぜなんだろうか。そして、その後の失恋曲にさほど心が揺れないのは本物の失恋がどれほど心に痛手を負わせるものかを知ってしまったからなんだろうか。


 今週の一曲はチャゲ&飛鳥の「男と女」です。これはYoutubeに確実にあるでしょう。
 まだまだ残暑は続きますけれども、気持ちに北風が吹きぬけて行くことでしょう。
 
 
 心の支えはいつの時代も男は女 女は男 と申します。
 この曲に対応するのではないかと思われるような一曲、これはASKAソロの「君が愛を語れ」という曲なのですが、それについてはまたの機会に。
  
 
2010/09/07 Tue  08:36:15» E d i t
 » 火曜一言 
 世の中の平均をあまり意識しなくなったのは、平均から大きく外れているらしい自分でもそれなりに生きているということに気付いた30歳手前頃だった。

 それまで俺にとっての「平均」とは自己嫌悪と脱力感を助長するための毒みたいなもんだった。

 

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

2010/09/06 Mon  08:37:37» E d i t
 » シュワシュワしてる? 
 炭酸飲料は好きです。

 でも発泡酒とか第三ビールとかは、えらく悪酔いしてしまうのであまり得手ではありません。

 夏は特にそういうシュワシュワしたものがたまらなく欲しい季節ですが、スポーツの後に飲むコーラとかは格別です。ただ、私の場合ゲップ不発ならば腹が物凄く痛くなるというスペシャル特典が付いているのですけれども。



 あれは確か6月。

 知り合いからキムチを頂きまして。なんでも韓国土産とかで「オモニの味だから大丈夫だ」とか、なにが大丈夫なんだか良く分かるような分からないような言葉を残して立ち去りました。
 
 開けてみるとキムチが50g程度の小袋に入ったのがさらに紙箱に入って、6個ばかりハングルの書かれたビニール袋に入っていて、とても美味しく頂きました。


 発酵食品は大好きです。




 で、まぁ・・・

 良くある話じゃないですか。



 ええ、その、なんちゅうか、冷蔵庫の♪闇にか~くれて生きるぅみたいな状況がねぇ、あるでしょ。



 自分としては食べつくしたハズだったんですよ。キムチ大好きだからバクバクと。
 ところが生き残り兵がいたんですね。冷蔵庫の奥に。2箱。



 その強烈な匂いが洩れ出ぬ程度に密封された袋を風船ほどに膨れさせ、個包装の紙箱は手榴弾のような形状と化し、こっそりと冷蔵庫内自爆テロを企てていたワケですよ。



 それを偶然、爆弾処理班の私が見つけて、そのまま燃えるゴミ袋へ直行という選択肢もあるにも関わらず発酵の果てを感じたいという1/3の純情な感情が暴走
 

 破裂寸前に膨張した袋をOPEN!











 辺り一面を朱色に染め上げるがごとき異臭。








 
 しかし、異臭でありながらそれは紛れもなくキムチの範疇を越えず、また、悪臭に非ずッ!









 


 ・・・これ、イケるんじゃね??











 目に沁みるような朱色のフレーバーが家中に拡散し、殺傷能力が低くなった辺りで異変に気付く。
 










 シュワシュワ・・・








 スプライトをコップに注いだ時のあの感覚。あの音が・・・


 キムチから聞えるのですが。

 これが噂に聞く 乳酸発酵炭酸ガス ってやつですかい。


 漬物は調味液に漬けて売っているヤツよりも、昔ながらの漬け方で漬けたヤツの味わいが好きな私にしてみれば、これは試さずにはいられない。酸っぱい漬けものLOVE ME DO!


 シュワシュワキムチ、フェードイーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!







 あぁ、こ・・・この熟成。そしてこの熟成。さらにこの熟成・・せいせいせいせいせいせいせい・・・


 
 美味いじゃないかぁぁあぁぁあああああああ!!
 シュワシュワしてるじゃないかぁぁあぁああ!!


 もう、なんか一気に食っちゃいましたよ。熟成された味って酸っぱさの中にも奥深さがある。辛さも6月時点では角が立っていたのが、丁度良くこなれていて実に食べやすい。


 「ちょっと、それ朝ごはんからやめてくんない?」とか平凡なこと言ってちゃ行けませんよ、キミ。だって、冷蔵庫の中で爆発寸前だったの、今発見したんだから仕方ないじゃないか。

 
 冷蔵庫内の爆弾は私によって見事に処理されましたが、私と言う名の毒ガス兵器が新たに誕生したと言うことはこの時点ではまだ誰も知らなかったのである。

2010/09/04 Sat  14:37:04» E d i t
 » >>|  をさせてくれ 
 先日、DVDを借りて来て途中まで見て寝たんです。



 で、相変わらずの早起き(その日は熱中症予防でがぶ飲みした水を排出するサインを感じ3時頃に起きました。我ながら異常に早いですが、二度寝も中途半端な時間なのでそのまま起きたんですよ)なもんで、続きをみようかなと思ったらテレビのある部屋で子供たちがグタ~ッと寝ていた(暑い晩だったので風通しがいくらか良い茶の間で寝ていたのだろう)ので、こっそりとプレーヤーからDVDを取り出して別の場所に移動してチャプター探して途中から見ようと思うじゃないですか。


 ねぇ。誰が45分も経過して、しかも昨晩見たばっかりのそこまでの部分をもう一回見ようとするでしょう。



 さて、タイトル画面からチャプターで話を飛ばすのは良いですよ。




 問題なのはDVDが開始してからややしばし「>>|頭出し」も、さらには「タイトル画面」ボタンさえも操作不能なあの宣伝群を見せられるってコトですよ。



 あれ、意外と子供と一緒に見ようと思って借りたDVDなのに、その冒頭宣伝の部分にグロいのとかちょっとエッチな画面とかが出て来たり、困るんですよ。

 
 「>>早送り」くらいはできるようなので、さすがに早送りするんですけれどもこの最初の何分間かをそれに取られるのも何だかちょっと腹立たしいワケです。しかも、早朝だとそれをなおの事感じるワケですよ。

 
 そのDVDの仕様にもよりけりでしょうけれども、再生したらすぐに「タイトル画面」になって、そこに「予告」とかいうカテゴリーがあるヤツは良心的に感じます。あの強制的に出てくるヤツは何とかならんもんかと苦々しく思っていたら、どうやら再生されたらすかさず一旦「■停止」をして、「タイトル画面」を押すと多くの場合は強制広告を飛ばす事ができるらしいということに気付きました。

  
 

 ・・・が、しかし。




 私が見たDVDはタイトル画面がワザワザ凝った仕掛けじみたものになっていて、なかなかタイトル画面に行きつかないというアレも兼備されているというDVDでしたので、朝からさらに腹立たしい思いをした次第でございました。


 
 シンプルイズベスト。

 

 
 
2010/09/03 Fri  17:30:02» E d i t
 » 天空色暦・綿空 
 君たちがそこを自由に泳ぎ回るさまは
 私を愉快痛快な気分にさせてくれたものだ


 それは実に涼しげにそれでいて優雅でもあり
 天空を疾駆するが如き秋空の雲のようであった

 
 私にはしばしの間そこに立ち尽くしていたが
 君たちの踊るような泳ぎ回るさまを見て
 ふとひらめいた事があるのだ 


綿空


 本来ならば質量ある空気を普段の私が感じぬように
 私の道を阻むものなど空気のようなものに過ぎぬのではないかと


 君たちがそこを自由に泳ぎ回るさまを
 私は愉快痛快な気分で眺めていたのだ



 

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2010/09/03 Fri  16:12:08» E d i t
 » 天空色暦・茜空 
 
 炎 纏った天空の鳳
 その羽ばたきが
 熱 帯びた風 天地に送る
 
 

茜空
 

 熱い夏の終わりに見つけた
 遠い幻


 
 〈画面 右下から左上に向かって巨大な羽根で空を煽ぐ炎の鳥のように見えるのです。見えて下さい。見えますね。〉

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2010/09/02 Thu  17:20:13» E d i t
 » パパ 
 好きなアーティストのアルバムに入っている曲にハマるということが多かった。
 多分、この曲はそんな私の特徴を生み出すキッカケになった曲だっただろうと思い出す。

 「パパという曲でプリンセスプリンセスが歌っていた。知ってる人は知っている、知らない人は全く知らないのだ。

 本当に良い曲だとか、良い歌だなんて、誰かがどこかで論評していたからとかたくさんの人たちに聞かれたとかいう数字じゃなくて自分自身がそう感じたんだったらそれで良いのだ。大勢の人たちが知らなくったって別に問題ない。
 

 パパはパパでもどちらかと言えばバカボンのパパに近いパパになってしまった、私だけれども娘を持つ父親にしてみりゃそのうち「パパに会わせたいヒトがいるの」なんつって連れて来るのかな~とか思うと、これまたなんともセンチメンタルカンガルーになってしま・・・


 ・・・わ、な~いのだ!!しまわないのだ。


 どっちかと言えば「さっさと連れて来い。さっさと結婚して自分の人生を謳歌しなさい」とか思ってる・・・思ってるんだよ今は。今はね。

 




 だがしかし。





 私と良く似た考えのような、そうでもないようなウチの父親がぁ・・・

 妹が今の旦那を初めて家に連れて来た時、いそいそと逃げ回るかのように彼と目も合わさずに話もせずに、予想された通りの・・・あぁ、あのルパンとかキャッツアイががよくやる赤外線のレーダーみたいなのを張り巡らしたかのような緊張感を醸し出してしまっていた辺り、こりゃ、言うは易し行うは難しと見た。


 
 どちらかと言えば、十数年ほど前に嫁さん。の実家に特攻かまして、イキナリ激烈に酒を飲まされてブッ潰された私の方がきっと楽だっただろうに。


 
 そんなこんなでいろんな「パパ」の物語を通過して晴れて夫婦になりなさい。
 頑張れ、みんな(笑)。



 と言うわけで、今週の一曲はプリンセスプリンセスの「パパ」です。
 聴きたい人はどうぞYoutubeで探してください。


 
2010/09/01 Wed  20:14:24» E d i t
 » なんか無性に泣けたこと 
 ゲゲゲの女房の話なんですが。それも今日見たばかりの。



 昭和56年、ゲゲゲの鬼太郎もひとしきり流行り終えて茂さんトコに一本も仕事がこなくなっちまったですけん。
 スランプですけん。貧乏神からどうにかこうにか逃げ切って売れっ子になっちょって、ぶっ倒れるほどスケジュール詰め込んで詰め込んで仕事しとったけんね。

 自信喪失してしまった茂さんがそこにおってな。
 

 妖怪ブームが去って、茂さんが「子供たちはロボットアニメ、大人たちは金儲けの話ばっかり。妖怪がいなくなってしまった」みたいに言う台詞があったんですよ。
 で、次女が「京都にはどんな妖怪がいるの」と問うと「そんなもんはおらん」と。

 
 「そんなもんは、おらん」と。



 なんかそれが無性に泣けちゃって。



 私たちって、尊敬する人たちが常に信念を掲げて挫けることなく真っ直ぐに生きているって勘違いしがちです。

 私は、水木しげるは絶対に妖怪を、妖怪の存在を疑ったことなんて無いって信じ込んでいましたよ。
 
  
  
 でも、やっぱり見失ってしまうことってあったんだな。


 
 生活が豊かになろうとも、世の中の流れがどんなに移ろおうとも、変わらない、流されない大切なモノが心にしっかりある・・・って思いこんでいる私ですが、弱くて情けなくて、いとも容易くそれを見失ってしまうことが多いんですよ。流されて、迷って、見失う。
 でもね、その都度その都度、何かのキッカケでその大切なモノが自分に訴えかけて、取り戻すためのキッカケをくれたりする。

 不思議です。

 私はね、そんな偶然だとか運の流れだとか、自分の意思とは関係ないところで自分を何者かにさせようと自分に対して働きかけている存在や、それを感じ取る心の動きこそが水木しげるの言うところの「妖怪」だと思うんですよ。それが科学的に言えば神経回路の働きだろうと、脳のどこそこの部分がどうだとか、微弱な電気が伝達する何かだってんなら、それはそれで別に構わんのですよ。でもね、電気の流れは感じないけど、運命の流れとかは感じる場合はあるわけですよ。

 科学的に説明がつこうとつくまいと、自分のこの感覚をそのまま他人に渡す事はできない。


 不思議です。


 茂さんが「自分」と「妖怪」を取り戻した事はもうすでに知っています。実感できています。だって、昭和56年以降にゲゲゲの鬼太郎を知って、感化されてそして大きくなって子供たちを脅かしている“大きな子供”がここにこうして育っているのですから。

 ことあるごとに「それ」を見失ってしまう私を今日の茂さんに重ね合わせて、最後の布美枝さんの「お父ちゃん、頑張れ」という台詞と全く同じ心境で明日の放送を心待ちにするのであった。


   
   
 

テーマ:ゲゲゲの女房 主題歌 あらすじ 視聴率 松下奈緒 いきものがかり - ジャンル:テレビ・ラジオ

2010/09/01 Wed  10:58:29» E d i t
 » ただちに犬bitter 
 どくんごが再び街にやって来た!

 今年はこの小さな町で二日連続公演という無茶をやってのけるというぢゃないか。

 あーた、この町で何かのイベントが二日連続で続くって言ったらお祭りくらいしかあらしまへんがな。・・・ってか、お祭りか。あぁ、そうかお祭りなんだと考えりゃ良いのか。お祭りだ。

 
 どくんご画像

 
 
 劇団どくんごの「出しもの」については説明不要、説明不能ということでいい。
 

 だって、こりゃあ頭で考える物じゃない。感じる物だ。
 良いか悪いかじゃない。楽しいかどうかということだ。


 私たちが一年ちょっと前、この劇団にもらったものは計り知れなく大きかった。
 →ただちに犬① 2009/07/10
 →ただちに犬② 2009/07/14
 
 今年は二日間公演で私は助かった。
 初日は用事があって行く事が出来ない日程だったから、二日目の公演に行った。


 この小高い丘にある公園はもともとは中学校の校舎のあった場所で、子供たちの遊ぶための遊具が何点かと、広いグラウンドにピラミッド型の植物園、さらに丘の続きの小さな山を登る展望台やそこに続く石段が整備されていて、港町とそれを取り囲む山並みが一望でき、海と空がきれいに溶け合う絶妙なロケーションでありながら町に住んでいる人にしかあまり知られていないという、町の人々にとっては落ち着ける公園だったりする。

 土曜・日曜の晴れた昼間には溢れかえらない程度にたくさんの親子連れでにぎわう。ホントに過疎の町なのか?と思うくらい子供がわらわらといる。

 平日も夕暮れ時にはポツポツと小学生だとか、親子連れだとか、まぁ、中国から来たのであろう研修生とかがたまに遊んでいるが、夕暮れ以降は一応は外灯もあるけれどもかなり暗がりになるので、ごくたまに港町のにぎやかとも言えない夜景や、星を見る人たちが車で訪れる。

  

 我が家のこどもたちは、もうすっかり“どくんご付いて”いて、テレビで劇をやっているのを見かけては「どくんご、今度はいつ来るの?」「どくんご、まだ?」と、しつっこい程だったので、今年の公演予定を知った時には文字通り跳び上がって喜んでいた。そんな期待と独特の人懐っこさを発揮して我が家の子供たちは劇団の方々に話しかけたりしている。
 劇団の方々にとっても昨年のこの町での公演が印象深かったらしく、客席にいた私たち親子の事を覚えていて声かけをしてくれたりとそこに小さいながらも確かな交流が生まれている。 


 
 やがて日も落ち、暗がりの芝居小屋の中で薄ぼんやりと照らしだされたステージで劇が始まり、どくんごのみなさんは役になりきると言うよりも何かに憑依されたかのように様々な「出しもの」のキャラクターに変身を遂げる。汗が吹き出し、シャツから湯気が上り、大きな声と共に唾が飛び、ヨダレを垂らしながら目を見開き、多分にファンタジックな彼らの世界を作り上げ、類まれなる引力で観ている者を一気に夢の世界へ誘い込む。

 
 夢の中。すなわち、夢中。


 あるいはその一挙手一投足が訴えかける何かに、あるいは突発的に世界観が切り替わる単語を拾い集める努力を要するような詩のようなその台詞の一つ一つに観客たちは夢中で喰らいつき、やがてはその世界が観客たちを浸食するかのような膨張と密度の飽和を見せ、やがて膨らんだ風船が少しずつしぼんで行くかのように静かに収束に向かう一連の流れの中で、その収縮する世界からポツンと取り残された現実の自分たちの心の中に浮かび上がる一抹の寂しさが味わい深いのだ。実に。

 祭りのあと。


 その余韻を味わいながら、家路につく。
 終わってしまった寂しさと、心に残った特殊な世界の物語たちを何度も繰り返し反復しながら、特殊な世界にそれぞれの色が塗り重ねられ、自分とどくんごとの思い出が描き足されて行く。


 
 創作や創造といったものが子供の心に・・・大人の心を洗って行く。
 洗いながらもその甘美な残り香を微かに残し、その残り香に出会うたびに人々は自分の心が出会った感覚を呼び覚まし、それが今日を生きる活力を生む。


 そういう、自分に内在していて、ホントはすごく大切な仲間なのに「いつでもかくれんぼしててたまにしか顔を見せないような感覚」を見つけられる時間。それが、どくんご。


 
 
 だから、今年も私は言う。

 
 これからも本州に舞台を移して劇団どくんごの旅は続くので、もし、あなたの町に立ち寄った際にはその世界に触れ合ってみて欲しい。
 
 →ただちに犬bitter 公演地一覧 
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