フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2010/01/29 Fri  06:56:55» E d i t
 » 錯覚 
錯覚

 いくら瞬き重ねても 落ちる涙は止まらない
 時がこのまま止まるなら
 このままここにいられたら

 切り取った瞬きが
 小さな吐息とリンクして
 落ちる涙に色づいた
 ほんの刹那の錯覚

   
 次の瞬きするまでに
 僕の心に焼きついた涙色
  
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2010/01/27 Wed  17:57:26» E d i t
 » 朝青龍のライバル、去る。 
 世の中には誰が聞いても真っ当な意見なのに、なぜかそれを主張している方が「悪役」になってしまうような場面が多々ある。ルールや守るべき様式が必ずしもその時代に生きる人々の感情までを律しきれないという好例と言えるのだろうし、現実的に自分の立場を計算に入れずに大局的に見た場合、中立の立場から物事を判断して発言できる人間は少ないから、「数の論理で彼らが悪役を押し着せられてしまう」と表現すべきなのか。

 日本人はとかく曖昧であると言われるが、おそらくこれは欧米と比較した場合にそう言われるのだろうが、海外生活の経験の無い私が自分自身や周囲を観察して感じる事は、この国に住む人たちは「明文化されたルールよりも暗黙の了解のモラルを大切にしてきた社会」で生きて来て、シビアな線引きが心理的に苦手だという部分だ。

 最近流行りの「いかがなものか」という言葉など、相手の内面に訴えかけて「それどうなのよ?ちょっと考えた方が良いんじゃない?」と反省を要求するような柔らかな表現でのらりくらりと時間をかけて相手に自分(たち)の考え方を馴染ませて行くのが好まれているような気がするのだ。

 時折、性急に自分の望む結論に周囲を到達させるために誰かを指差して事の是非を直接的表現でする人間がいると、そういう人は煙たがられる。なぜかと言えば、多くの場合そういう人たちは「真っ当だと自分が思っている、自分だけの正当性」のみを主張して相手や周囲の主張を聞き入れる姿勢を持たないからだろう。

 これに反論してお互いに感情をぶつけ、罵り合うような場面を私たちは本能的に回避したがる。おそらくはそこに何の建設性も感じられないからだろう。あるいは、子どもの頃に散々やって来て、それがガキのケンカだと言うことに気づいてしまったからか。


 しかし。

 自分の正当性だけをヒステリックに声高に主張されたのではたまらないが、ルールや様式という観点に照らし合わせてそこから著しく逸脱する者を諌めたり、叱ったり、あるいは何らかの通告を出す中立の人たちは大人と呼ばれる。

 我々は彼らにさえも苦手意識を持ち、十把一絡げに毛嫌いしがちである。いわゆる「上から目線が鼻につく」ってやつである。しかし、この人の場合は自らが煙たがられる立場に敢えて立つことによって世間の目を意識しながら、話題なき相撲界を必死で盛り上げて来た立役者だと私は敬意を表する。


 内舘牧子さんが横綱審議委員会を退任する。

 横綱審議委員会ってなにさ?ってことで言うと、要するに色んなジャンルの「有識者」と呼ばれる人たちが集まって、横綱になれそうな成績を上げた大関を横綱に推薦するかどうか決める人たちで、ウィキペディアによると横綱に推挙する基準は以下の通りらしい。

 横綱審議委員会における横綱推薦基準は次の通りで、いずれも出席委員の3分の2以上の多数決によって決議すると内規で定めている。

   1 品格、力量が抜群であること
   2 大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする
   3 2場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することができる

                  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)横綱審議委員会より』



 横綱審議委員会と言うだけあって、横綱の推挙人でありお目付け役であると考えれば良いのだろう。


 土俵上の人気では朝青龍と肩を並べる力士は栃東、琴欧洲、白鵬と移り変わりはするものの、土俵を下りた場合の知名度、話題性の高さという点に於いては朝青龍に比肩する現役力士は皆無である。今や角界一の問題児が角界の象徴たる最強横綱であるという、実にプロレスファンとしては面白すぎる状況下にあって、朝青龍が起こす問題を野放しにしておくとマスコミが勝手に騒いで雨散霧消して行く様々な話題に対して、相撲界側からのアンチテーゼという「見方・考え方」を整理して、私たちに伝える役目をしていたのが内舘さんなのである。
 話題を提供する側と、それによって何がどうなるからこれはいけないのだと説明する役割との二重構造でマスコミを使ってファンを抱き込んでしまえば、ただ通り過ぎる使い捨ての情報としてではなくて「考える素材」としての情報になる。考えてみれば恐ろしく単純な構造だが、人間は元来、どうでも良いことをああでもないこうでもないと考えているのが好きなはずで、朝青龍が起こした事件に対して内舘さんが何か発言するたびに興味がそそられて、普段は見ない相撲を見たりした人たちは少なくはないはずなのだ。

 モンゴルの人が日本の国技の頂点にいて、それに対抗できる日本人がいなくて盛り上がらないという土俵の現実をカバーしてなおお釣りの来るほどの功績だったと私は思う。
 土俵を下りた朝青龍の好敵手は内舘牧子である。

 内舘さんは相撲を愛するが故に、長い歴史を持つ大相撲の伝統を理解すべく勉強し、実際に他の横審や相撲協会の方々よりも相撲というものに対して深い造詣を持っているのだろうと感じさせつつも、ガツガツと他の横審メンバーを押しのけて前に出て発言するでもなく、ただ、朝青龍という稀代のキャラクターを世間に、たとえ悪役としてであれ定着させることが相撲の人気の回復に絶対繋がると言う確信のもとでこれまでの発言を続けてきたと私は見る。

 
 
 ともすればいたずら坊主を叱り飛ばすPTA会長さんみたいな役割を、多分おそらく、相撲を盛り上げるアングルとして筋書きを描いて彼女はその準主役として内心喜々として引き受けていたに違いない。そして、体調の限界という理由はあるが、ついに最後まで朝青龍との邂逅を世間に見せることなく横審を去ろうとしている。見事だ。

 内舘さんの偉大さにきちんと気付いて敬意を払っているのは誰よりも朝青龍だったりするから、なおのこと面白い関係だった。何年間にも渡って、時事問題を絡めながら朝青龍を壮大な大河ドラマに仕立て上げた辺りはさすが脚本家だ。全く敬服する。

  
 後はやくみつるさんに任せろ!彼もまた、一コマの中に物語を詰め込める、天才だから。

 
 

テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

2010/01/26 Tue  00:01:25» E d i t
 » 火曜一言 
運命がオマエの扉を叩く時、その重厚で軽薄な扉を開いて受け入れるのはオマエだ。
 堅く閉ざして拒絶するのもまたオマエなんだ。

テーマ:生きる - ジャンル:ライフ

2010/01/25 Mon  06:48:31» E d i t
 » 箱舟の羅針盤 
 プロレスから随分と隔離されている。

 NOAH中継が終了してからというもの、北海道では本州より3週間遅れで放送されるワールドプロレスリングの放送しか地上波ではやっていないので、タイムリーな話題はスポーツ新聞と週刊プロレスで得るしかなくなっている自分がいる。プロレスの記事更新については、基本的に「話題」として取り上げるのではなくて試合を動画で見た後で感想を書くことにしている。
 試合の臨場感や背景なんぞを自分なりにプロレスファン以外の人にも届けられたら良いなぁと思ってる部分はあるけど、やっぱりプロレスファンのひとりよがりらしい。だいたい、興味のないことが書かれてる長文を誰が最後まで読むか~!って話なんだけどね。
 思い入れのある話をファンがすればするほど周囲の人たちとの熱差が生まれ、隙間風がビュ~っと吹いて来るみたいな(泣)
自分で言いきるけど、プロレスの記事にはホント良いこと書いてるんだけどな~・・・。


 まぁそれはそれで仕方ない。仕方ないけど、根本的にはプロレスに興味を持ってもらいたいと思って書いている。
 「プロレスに興味を持っている私」に興味を持って頂くのはなお一層大歓迎でございます。


 正直な話、数年前までは「いくら好きだって言っても、四六時中プロレスばっかりやってるチャンネルってどうなのよ?」とか思っていたけれども、スカパー入れなきゃダメだと最近では切実に思う。プロレスから隔離された私は、潤滑油を失った機械のごとく心のあちらこちらから軋むような音が聞こえて来てるし。

 
 さて本題。


 三沢亡き後、田上体制に移行し新たな船出をしたNOAHに怒涛の試練が続いている。
 
 看板レスラーの相次ぐ故障による戦線離脱はもとより、これまでも一年ごとの契約更改ではあったものの三沢体制では会社側から選手に対してして来なかった事実上の「戦力外通告」扱いのレスラーやレフェリーを放逐する事態になっている。
 NOAHファンを安心させてきたと同時にマンネリの温床となってきた「護送船団方式」を遂に放棄し、社内体制を整備しに掛かっているということだ。

 KENTA、鈴木鼓太郎、小橋が怪我で長期欠場を余儀なくされたと思いきやGHCヘビー級前王者(説明しよう!NOAHの最高峰のベルト。それはGHC。GHCは化粧品のメーカーでなくグローバル・オーナード・クラウンの略である。現在の王者は杉浦)だった潮崎が右腕を骨折、さらに新社長の田上までもが右足の靭帯を損傷し両者ともに長期欠場の見通し。

 ・・・

 契約更改をしなかったレスラー・・・戦力外通告について。
 
 泉田純至、川畑輝鎮、菊地毅、橋誠、本田多聞、レフェリーのマイティ井上の6名が「2009年12月末日にて、年間報酬保障フリー選手・レフェリー契約が満了となりました」と公式発表された他、目立たないところで太田一平が昨年中に引退している。

 ・・・

 全てに於いて疲労感が漂ってしまっている。
 NOAHは旗揚げから10年間、格闘技全盛の世の中で新日本が格闘技熱に浮かされる中でプロレスの純度を上げて、プロレスというジャンルを他の格闘技と比較せざるジャンルへと進化させてきたが故に「プロレスファン最後の砦」と言われてきた。その壮絶な「意地っ張り」は、やはり三沢の生き様だったのだと言わざるを得ない。
 いかなる激流をも物ともせず、信念の赴くままに指し続けた針路は一度たりとて揺るがざるものであった。それゆえにNOAHファンはノアヲタと呼ばれるほどまでにひたすらNOAHを受け入れ、応援し続けて来た。また、三沢が信念の人であれば小橋がそれに応える信念の鉄人であったし、秋山という改革者もいた。
 偉大なる指導者たちに恵まれたが故に箱舟の乗組員たちに甘えがあった部分は否定できない。
 
 三沢や小橋、秋山がトップでいる期間は長かった。
 
 考えてみれば全日本プロレス時代、1990年代前半からすでに三沢はトップに食い込んで、それに追随する形で小橋は確実かつ明快なステップアップを経てトップ戦線に、秋山はデビューして短期間のうちにトップ戦線に食い込んで行った。
 それから約15~20年を経ている。
 この濃密な蓄積はあまりにも大きすぎる。ジャイアント馬場、アントニオ猪木でさえ1970年代スターダムにのし上がって猪木は90年代半ばで引退、馬場は90年代後半に死去したが、全盛期は約15年程度であり、あとは己の力量に合わせた試合や試合数の調整をしていた。

 NOAH内でも早い段階からこのトップたちの存在の大きさに危機感を唱える者もいたし、実際に行動に移して来た者もいるがそれがトップの一角を形成する秋山本人だったり、KENTAや丸藤と、いずれもジュニアヘビーの選手だったりとファンとして見ていても実にもどかしい状況が続いていた。新日本のレスラーと比較して言えば全日本系のヘビー級の選手たちは「物静かで自己主張に欠ける」という性向であり、改革の意識があってもそれが長続きしない。

 その間、猪木によって破壊されて落ちるところまで落ちた新日本は、とてもとてもメインを任せるには青すぎる棚橋と真輔を常にビッグイベントのメインに据えて育てて来た。いや、一度全部壊れたからこそそういう冒険ができたという逆説も成り立つ。どんな道筋を辿ってきたかはともかく、今現在のリング内外を比較すれば棚橋が雑誌のインタビューで言っていた通り「新日本の方が上でしょ」には首を縦に振らざるを得ない。棚橋と真輔が踏ん張りどころで踏ん張っていた間に真壁が一気に伸びて、後藤洋央紀がジュニアからヘビーへ転向してこれも急速に伸びた。ちょっと前までは「どんぐりの背比べ」という印象だった彼らも、武藤・三沢・小橋らの「レジェンド」に触れられる機会を得て急激に開花。
 今になってみれば、数年前にサイモン猪木が仕掛けたアングルがピタッとはまったことになる。

 NOAHは「ウルトラマン」と同じだった。
 「ウルトラマンがいるなら俺たちの存在意義なんてないだろ?」と科学特捜隊の隊員がふてくされる回がある。どんなに若手が頑張っても、客が見たいのは三沢、小橋、秋山なんだろ?という諦めムードが伝わってしまっていた。それを何とか変えなきゃ、変えなきゃと言う部分と、観客が求めている部分のバランスを変えて行くのは若手がNOAHを背負うという自負と責任感に任せるしかないのだが、結局のところ、その部分もイマイチ育ってこなかった。今になって、ヘビー級では森嶋が突き抜けたが森嶋は運命的に三沢がまだ鬼でいられた時期にその三沢越えを果たしたからそうなれた幸運な男だ。もう、三沢を越えることができるレスラーはいなくなった。
 GHCのベルトは杉浦が持っているが、NOAHのリング内を見渡した時に森嶋ほどの存在感と責任感を感じる選手は若手にはいない。

 ヨネも力皇も頑張っているのは分かるが、何枚も下だ。
 力皇は戦績の上では小橋の絶対王者時代を終わらせたことになっているが、考えすぎる性格のせいなのか、どこかで歯車が狂ったまま伸びて来ないままだし、ヨネはアクションを起こしても仲間を増やす魅力やモチベーションの継続性には著しく疑問符が付く。この二人の共通項は大事な試合を簡単に落とすということだ。これがファンの支持を得られない原因になっている。
 
 結局は事ここに及んで「実力が未知数であるがゆえ」に潮崎にNOAHの新時代を託してみたりしたくもなるが、確かにそういう期待を背負う器ではあるし成長も見られる。メインで闘う経験も急激に増えている。が、潮崎はまだ潮崎スタイルを確立途上にある。棚橋が当初そうであったように自分のスタイルを模索している最中で、見ている側にしてみればそれは違和感を覚えずにはいられない状態ということになる。棚橋が今のスタイルに到達するまでにブーイング王者であったことを思い出せば、潮崎にはそういう厳しい観客の目こそが一番必要な気がする。

 小橋がハンセンにメチャクチャに潰され、ウィリアムスに真っ逆さまに落とされて強くなってきたように、今、潮崎は伸び盛りなのだから新時代を担う器にするためには復帰後はできるだけ叩き潰しておいた方がいい。小橋や秋山が調子悪くても、今NOAHに協力してくれる高山や健介がいる。さらに森嶋ももう一段階上の怪物になるためには高山や小川直也辺りと戦って行く必要はあるだろう。
 
 今、まさに臥薪嘗胆の時が訪れている。

 IWGPに挑戦できない場所にいる後藤洋央紀や、真壁が挑戦してくる辺りを見てもGHCのベルトは新日本にとって、IWGPの下に位置づけされている。杉浦はNOAHにはいなかった「闘魂型」のレスラーだ。ハートも肉体もタフで、プロレスラーらしいプロレスラーだ。こんなに信頼できるのに、それでも私の中ではエースとは呼べない。どちらかと言えば、ジョーカーだ。
 昔の新日本で言えば「藤原」や「坂口」のような存在。それが私の中の杉浦評。

 元来「懐刀」と言うのは、懐に入って来た相手を刺す、すなわち鉄壁のガードマンの役割を果たすタイプだ。その彼が表舞台にNOAHの看板を背負って出て行かねばならないほど、NOAHの現状は厳しいのだと推測される。

 私は、ずっとプロレスを守り続けて来たNOAHを大事に応援して行く。
 ・・・さて、まず手始めにG+に加入しよう。

 
  
2010/01/22 Fri  00:00:15» E d i t
 » 思い出を抱きしめて 
 時を閉じ込めたまま
 堅い殻に丸まって
 彼は忘れられた

 あの日の
  あの色の
   あの要素を

 遠い、遠い過去の
 忘れてしまったあれやこれやを
 今でもきつく抱きしめたまま



 タイムカプセル
 

 あの日焼きつけたあの色は
 心の中にあれば良い




 ≪追記≫
 ・・・現像出し忘れてたのか、敢えて出さなかったのか、デジカメに取って代わられて置き去りにされたフィルムが引き出しの奥から・・・こりゃ、一体何が写ってるんだろ~か?

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2010/01/19 Tue  06:18:46» E d i t
 » 火曜一言 
 「やりたくないから」ってやらなかったらいつまでもできない。

 「難しそう」って敬遠してるうちに、それをできる人たちがいなくなってしまう。

 もったいないな。

 あれもこれもやりたいくせに、できないって言って何もしてないなんて。

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2010/01/18 Mon  06:08:54» E d i t
 » 微妙な疑問 
 ウチの嫁さん。が買ってくるファッション雑誌をパラパラとめくってみる。
 「ナントカのOLさんの着まわし術」とか書かれてる特集記事のアイテムひとつひとつの価格の高さにビックリする。

 ん~・・・。

 あれって、ホントに買える人いるの?
 貧乏性の私にゃぁ、想像不能です。
 
 
 オシャレな服と、オシャレな食べ物屋さんと、オシャレなスイーツ、オシャレな暮らしぶりを眺めて憧れるための雑誌でしょ~?・・・違うのか??


 ああいう世界の住人って、どんなお金の回し方すんの???
 普段の生活をギリギリまで切り詰めて・・・とか、お金持ちを誘惑して・・・とか、カードで破産するまで・・・とかしか思いつけないこの貧弱な想像力に、どなた様か愛の手を!

 
 
 ついでに「30代女子」という言葉が異常に目につく。
 30代に向かって「女子」だとぉ??・・・そ・・・そぉなのか??そういう扱いを望んでいるものなのか??



 自分の知らない世界には、かくも刺激がいっぱいだ。結構そういう二次的な感動を楽しめるからファッション雑誌を見るのは結構好きだ。


 
  
2010/01/16 Sat  17:27:29» E d i t
 私の家系には正月に親戚一同がどこかに集まるという風習が無い。だから、十数年前に初めて嫁さん。の実家の正月パーティーに参加させてもらった時にはビックリした。とにかく大人数で、誰それが何だとかこの人が誰だとか覚えるのは無理とも思われるような人数で、私の家系ではこんなに集まるのは誰かの通夜の席くらいのもんだろうな・・・としみじみ思ったものだった。

 十数年を経ると、若かかりしあの頃の面影を残しつつもそれぞれがそれぞれの年輪を刻み続ける。配偶者が増え、やがて子どもたちが増え、新しい「家庭」が生まれ、それゆえに参加人数が減ってきたりする。例えば、転勤で遠隔地に行ったり、家族の中で風邪ひきが出るとその一家が丸ごと参加できなくなったりするので、そうなる。
 
 極端に集まりの悪い私の家系と、極端に集まりの良い嫁さん。の家系と、その両方を知るほどに「血縁関係」という逃れようのない温かい、それでいて重たくも感じられる根源的な「繋がり」に深く深く思いを致すようになったのはこれは間違いなく年を取ったから。そして、それ相応に自分も親になり、家庭を持ったから。

 だから、「将来」や「幸福」というものをもう一度改めて見つめ直す必要があると感じるようになったのは、そんなキッカケからだった。何が答えなのか、そんなもんはハッキリしないんだけれど、今、自分がここにいる意味、そしてここにいる自分が出来る事、それがどういう風になって行ければ幸福感を感じられるのかということについて、真剣に考えている。正直、「考えている」というのが行き過ぎて「思い悩んでいた」こともあった。
 とは言え、この手の問題は考えれば考えるほどシンプルなものから遠ざかって行くのが常で、何かと面倒くさいんで後回しにしておくと、何もしないまま年を取って行く。自分も、周りも。

 そういうこともあって、自分のブログの過去記事を読み返してみたり、気になるタイトルの本を読んでみたり、とにかく詰め込むことで焦りをぼかして自分の中でそういうあれやこれやが熟成されるのを待っている。そんなこともあったり、仕事でてんやわんやだったりもあって、ちょっと言葉を紡ぐ作業が上手くできないでいたのでブログ記事の更新が遅くなったりしてます。
 出せるだけ出して来たけれど、自分からはまだまだ出て来る。
 けれど、ちょっと立ち止まって「入れる作業」もしてみているという感じで。

 年を重ねて変わって行く自分。大きくなって行く子どもたち、今は元気でも確実に老いて行く親。
 生まれてくる命、思い出へと生まれ変わる命。

 生き方や考え方はもちろんのことだけど、もっと現実的で生臭い「金」や「介護」や「老後」のことも含めていろいろと。



 そんなあれやこれやを、今後とも一緒に悩みながら交流してくだされば幸いです。
 

2010/01/16 Sat  06:10:47» E d i t
 » メタモルフォーゼ① 
 「変態」って書くとどっちかと言えばそっちを思い浮かべるけれど、同じ読みで同じ漢字が当てられてる「変態」、すなわち青虫がサナギになって、さらに蝶に羽化するような形態の変化の方の話なのです。

 はらぺこあおむし という有名な絵本がありますが、あれは人生のいろいろな場面で目につくところに登場し、その都度手にとってパラパラめくって、穴だらけの絵本に懐かしさを覚えてきました。
 
はらぺこあおむしはらぺこあおむし
(1989/02)
エリック=カール

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人生の随所に於いて味わい深い。


 この本、確か初めてみたのは幼稚園の頃で、学生時代に思い悩んでいた頃にふと図書館の片隅で見つけたり、今となっては小学生の長女が幼稚園に行っていた時に絵本の定期購読みたいなヤツで持ってきたのが我が家に確かあったはずだ。

 今、この本を急に思い出したのは明らかに「硬直化してしまっている今の自分」に窮屈さを感じていて、内側からその殻を破ろうとしている感覚と、外側から否応無しにそれを促進するかのような機会に出くわすことが増えて来ていて、それがあのあおむしと重なっているからなのだろう。

 考えてみれば、人間は外観こそは仮面ライダーみたいに突発的変化は起こらないけれども、内的には常にそういう脱皮のようなことを繰り返しているのではないかと感じる事がある。変化を促すアプローチをしている「何か」を神と呼ぶのか運命と呼ぶのか、めぐり合いと呼ぶのか、それはその人が名付ければ良いのだろうけれども、そういうタイミングのようなものはこれまでの人生でも何度か経験してきたし、おそらくはこれは誰にでも起こっているのだろう。
 
 この感覚は「選択」とはちょっと違う。なんと表現したものだろう、例えるなら選択というのは、先は霧に包まれてて見えないんだけれども看板付きのレールが何本かに分かれている中から自分がチョイスする感じで、枝葉が分かれていても今まで走ってきた線路の延長と言う感じなんだけど、メタモルフォーゼは今まで見えていなかった「別なライン」が切り替えポイントを用意してこちらに呼びかけているという感じというか。

 
2010/01/12 Tue  05:48:56» E d i t
 » 火曜一言 
 様々な物が見えてくる時には、一斉に霧が晴れるように全部が一度に見える。

 あれもこれもと目移りしてると、取る物も取れずにまた霧の中に閉ざされる。

 大事なことは何なのか、どう優先させるのか。

 だからそれをいつでも自分に問いかけて、答えを探しておくのが大切なんだ。

 
2010/01/07 Thu  06:08:40» E d i t
 » お年玉。 
 年始早々、財布を落とした。
 なんて縁起でもない・・・。

 

 正月を楽しむために珍しく諭吉がいた状態で財布を見失った。





 あぁ・・・知らない誰かにお年玉をくれてやるというワケのわからん気前の良さなんて持ち合わせちゃいねェってののに・・・

 あぁ・・・あれもこれも、そういやァ歯医者の診察券も入れっぱなしだったけなぁ・・・





 それは、元日。
 親戚のガキ一同5名様を連れて仮面ライダーの映画を観に行った時のことだった。
 



 チケットを買って、トイレに行って、映画館に入って、予想を遥かに超えて面白かった映画を観終わって出て来た時には・・・財布がない。



 全面的にたじろいだ。

 たじろいだ・・・が、ガキを分散させる訳にもいかず、財布を失くした旨を伝え、とりあえずガチャガチャコーナーの前で待機してるように命じる。

 



 トイレで落としたのか?
 いや、トイレで落としたんだったら落し物に届けられているか、すでにネコババ済みだろう・・・

 ひとまず係員に聞いてみる。


 「落し物は届いておりません。ただいまスタッフが館内を掃除しておりますので、館内をもう一度御確認願います」


 あぁ・・・正月早々「やっちまった感」を存分に漂わせながら、元日営業でそれなりに人入りの良いシネマコンプレックスの館内を走り回る。


 足元がかろうじて見える程度の照明の館内で、自分の座っていた座席をもう一度探る。座席の下も何度も確認する。
 


 やっぱり、ない。



 いよいよ窮地。
 さて、どうしたものか。


 
 すでに連絡を受けていた清掃スタッフも一緒に探してくれるが、座席の周りで見つけららなければ一体どこにあるというのだ・・・という表情がアリアリだった私に掛ける言葉も無い様子。

 
 
 清掃スタッフに丁重に礼を言い、立ち去る悲しげな背中にスタッフが一言。






 「お客様、こちらではありませんか!?」







 (嬉ッ!!!)

 

 

 正月早々、奇跡の大逆転ッッッ!!こいつァ春から縁起が良いや!!!


 黒い財布が、座席間の黒い手摺のところに引っ掛かっていて、暗い照明の中では見つけ難い死角になっていたのをミミズクのように暗闇に順応したスタッフのサーチアイが看破したのだ。


 さらに丁重に礼を述べて映画館を後にした私は、うれしさのつれづれに、ちゃんとガチャガチャの前で言われた通り待っていたガキ達に「お年玉♪」とか言って、色んなものを買ってあげたりしたのだった。
 


 正月早々、準備さえしてれば感じる事の無かった無用な不安感と、それによってもたらされた必要以上の安堵感に振り回されたというお話でした。


 めでたし めでたし。
 
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