フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2009/06/30 Tue  00:00:12» E d i t
 » 火曜一言 

 生きとし生ける全ての人間が味方である必要なんてさらさらないし、
 それはムリ。頑張るほどムリ。
 どんな聖人でもね。

 なんでイエス・キリストは殺されたの?って話さ。

 
 敵は作らないに越したことはないけどね。 
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2009/06/26 Fri  00:00:09» E d i t
 » 忸怩天帰 
 吐き捨てたオマエの吐息やあれこれが
 上昇気流と絡まり合って混ざり合い
 天に帰る姿を見た

 
 その怒気はやがて涙雨となり
 その身に叩きつけることだろう

 
 怒り 悲しみ 憎しみ 悔しさ

 
 全ての感情を歯噛みしながら
 力を込めて受け止めろ
 オマエの全てで捩じ伏せろ

 
 オマエの全てで変えて行け
 オマエの全てを変えて行け
  



新新緑09


 
 今、悔しい思い、してます!
 相当、打たれました。
 相当、凹みました。

 でも、この程度で負けって認めないッスよ。
 輝かしい勝利への第一歩だって、伝説の一ページにしてやる。絶対。

 ちっきしょーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!
 




 

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2009/06/25 Thu  05:59:03» E d i t
 まるもい(4・長男) の自転車の補助輪を外して一か月が過ぎた。

 5月の中旬、練習を始めた次の日には乗れていた。

 ・・・なんて書くと、いとも容易く乗れるようになったかのように感じられるかも知れないけれど、初日が酷かった。

 補助輪を外すときカラダで覚えなきゃならない特に重要なポイントは、

  ①止まると倒れるから、進み続けなきゃいけないってこと。
  ②曲がるとき、ハンドルをこねくるだけじゃなくて身体の傾きを利用すること。
  ③足を地面から放して、こぎ始めの一歩のバランス感覚。



 の3点だと思う。


 慎重を通り越してビビりの まるもい は当然のことながら補助を外した自転車に乗りたがらなかった。転んで痛いのは嫌いだ。そんなの誰だってそうだ。大人は無責任に「転んで覚えるもんだ」なんて言うけど、やってる子供にしてみりゃあ何で補助なしに乗れるようにならなきゃいけないのかさえ分からないんだし。

 
 まるもい心理ブレーキ の外し方は嫁さん。に言わせると「面倒くさい」らしいが、私にしてみりゃ簡単だ。
 
 「おい、まるもい。仮面ライダーのバイクに補助輪ついてたらどうだ?カッコいいか?」

 「カッコ悪い」

 「だろ?じゃ、小学生のお兄ちゃん達が補助付きの自転車に乗ってるか?」

 「ううん。乗ってない」

 「だべ?補助付いてたらカッコ悪いよな?あれ、みんな練習したから乗れるようになったんだぜ?お前も練習してみれば乗れると思うよ。4歳なんてまだ小さいのに補助なしだったらスゲー、カッコいいぞ~♪」

 「まるもいね、練習する!」

 
 一丁上がりぃ~♪
 

 近所の広場に行って、練習開始。
 最初は私が後ろで抑えて押す。補助輪つきで乗り回していた分、そういう基本動作は楽勝だ。
 次に、ある程度勢いがついた時点で私が手を離す。予告なしで。当然、ある程度行ったら転ぶ。

 まるもい は初めての衝撃にたじろぐが、泣き始める前に「おー、お父さんココで手を放したのに自分でこいでそんなに遠くまで行けたんか~♪スゲーじゃん」とか言うと、泣くのを我慢する。

 だが、途中でお父さんに手を放されてしまうとある程度まで進んでも転んでしまうことを同時に覚えるので、今までのリラックスがウソみたいに体に力が入り始めるようになる。


 さて、ここからが勝負だ。


 「じゃ、結構出来るようになったから明日にしようね」 とか私は絶対言わない。


 ブレーキを掛けて停止時に自分の足で支えられるようになるまで、ややしばしコロコロと転倒は続き、あちこちに擦りむき傷ができてくる。
 さすがに半べそ状態になって、こっちに「もう今日はやめようよ」的な懇願のまなざしを送ってくる・・・



 ・・・が、「 立て、ゴルァ!! 」 


 「てめぇが、練習するって言ったんだろ?今、それで補助なしに乗れてるって言えんのか?どっか出かける度に止まれなくて転ぶのか?」

 とか、たたみ掛ける。

 まるもい、大泣き


 「てめぇ!泣いてて自転車乗れるようになんのか?泣けばなんでもできるようになるのか?自分で立てゴルァ!!!
 
 他人の目なんか気にしません。
 さらに起き上がるの手伝いませんよ。
 よっぽどこっぴどい転び方でもしない限りはね。

 
 大泣きが落ち着いてきた頃に

 「いいか?どんなカッコいいお兄ちゃんだって、仮面ライダーだって、お父さんだってなぁ、転んで転んで悔しい思いしたんだぞ。できなくて悔しいからできるように練習するんだべ?そうだよな?今、おまえ、ここで泣いてて自転車乗れるようになるか?み~んな練習すんだよ。何かできるようになりたい、何かをしてみたい!って思ったら練習するんだよ。分かるべ?」



 そこから本当の練習が始まる。


 やりたいことは幾らでもある。でも、現実にやってみたらそんなに簡単にできるものでもなくて、痛みを伴った挫折がそこに待っている。人生なんていつでもそうだ。今だって、俺だってそうだ。そこで問われるのが、それが本当に自分がやりたかったことなのかどうか?という根本的な部分だ。本当にやりたいことであれば、痛みを我が物として涙をぬぐって立ち上がれる。
 手を差し伸べるのが母親の愛だとしたら、自力で立つことを教えることが父の愛だ。

 
 心の中じゃ、こっちだって涙流してるんだ。何が悲しくて手を差し伸べるのを我慢しなきゃなんねぇんだよ。
 立て、立って来いコラ。
 


 まるもい は、立った。
 その日、何度転んだんだろう。


 やがて、体に入った力は抜けきらないけれど第一歩のペダルをギュッと踏みしめ、真っすぐに二輪の自転車をこぎ、倒れずに停止できるようになった。 

 家に帰って、嫁さん。と ぴっこ(6 長女)にそれを報告し、家の前で実演して見せた時のあの誇らしげな顔。
 そのできるようになった誇らしさと、転んだ時の痛みと、立ち上がった時の気持ちを、これから先も何度も何度も繰り返し繰り返して、人は生きて行くんだよ。

 だから、あの日のことを忘れんなよ。

 
 あれから一か月。
 あちこちに擦り傷とカサブタを作って、まるもい は毎日毎日お気に入りの自転車を乗り回している。




 ・・・なにしろビビりなので、親の目の届く範囲にしか行かないところがカワイイ。

 
 で、二言目には「お母さーん みーてー! まるもい カッコいいべ?」だ。誰に似た(笑)?

 さすがにそれを一か月も繰り返すと、嫁さん。も見てくれなくなるのだ。
 しつこいと飽きられることも、覚えなさい。


 
 
 
2009/06/23 Tue  00:00:28» E d i t
 » 火曜一言 

  「天国への近道は地獄への道を熟知すること」(byマキャベリ)

  どうやって失敗したかとか、どうやって転落したか という話を聞く機会ってないよな。
  何となく噂話で想像して知ったつもりになってる。

  そんな俺らって、相当危なくね?



テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

2009/06/22 Mon  06:49:37» E d i t
 » 「死」に左右されぬ「志」② 
 三沢は英雄だったが孤高では無かった。三沢が死んで以降、スポーツ紙やネット、あるいはワイドショーなどでも、プロレスラーとしてではなく、リングを降りた人間・三沢の顔を特集している。

 弱いものを助け強いものをくじき、義理人情に厚く、さらにオチャメで常に周囲に気を配り、親分肌で・・・と、良いことばかりが並べ立てられる。私もずっとプロレス関連の情報にはさまざまなものに目を通して来たが、確かに三沢には悪く書かれた記事がない。

 「プロレスでは凄いかもしれないが、人間としては最低だ。」とか、「大風呂敷を広げるだけ広げてみんなに迷惑掛けて、失敗したら一番に逃げ出して後は知らん顔。」とか、「外人レスラーを厚遇して、日本人レスラーのギャラはすずめの涙ほどだ」とか、「利己的で自分のものをまず取ってから下に回すからトップにいられない」とか、「未だに、タニマチに泣きつけば食うには困らない程度の金銭意識しか持っていない」・・・とか、とにかく社会的に疑問符がつくようなレスラー経営者達への悪口は結構出て来るものだ。
 なのに、こと三沢の性格やNOAHの経営内容を批判的に書いたものは皆無に近い。業界的にタブーなのか、あるいは本当にそういう部分が無いような団体なのかは分からないが、三沢に対する悪口と言えば高山が三沢を呼ぶ「エロ社長」くらいしか思いつかない。

 
 上の者からは信頼され、下の者からは尊敬され、仲間からは慕われる。

 もちろん、すべての人間と上手くやって来たワケではないだろうが、一般社会とは違った構造の社会に於いて常識・良識の点に於いて悪く書かれないというのは、やはりジャイアント馬場さんの影響だろう。馬場さんは「特殊な世界ですけど、常識を持った人間を育てたい」と言っていた。
 いくらプロレスが特殊な世界だと言っても、それは一般社会に支えられて成り立っているものであり、そういう人たちから協力を頂くことを考えなければプロレスに明日はないし、また、プロレスを引退した後の人生に於いて必要なのは 「一般常識」 であるとして教育してきたのが結実した存在が三沢光晴という人間だったのだろう。

 また、そういう実直さゆえに「プロレスラー的な豪放磊落さに欠ける」とか「バカじゃないからつまらない」という見方もされるだろうけれど、独立した団体を起こしたレスラーでは同じように義理人情に厚かったが豪放磊落で鳴らした天龍や橋本は根回しをせずに飛ぶタイプだから男から見ればその生き様は魅力的ではあったけれども、成功したとは言い難い。

 三沢には仲田龍という鋭利な懐刀がついていたということも特筆すべきことだろう。
 仲田は関係各方面に細かくネットを張り巡らせてチャンスを探す天才で、そのネットに掛かったチャンスを自分たちが最大有利な態勢で捕獲しに行く天才が三沢であり、それを次のチャンスにつなげるのがリング上で戦うレスラーたちであり・・・という循環で、目に見える部分にダークな部分を残さずに水面下では激しく動いていて、その性格や能力に応じた適切な役割分担が奇跡的なバランスでNOAHを支えて来たのであろうことは想像に堅くない。

 そういう人たちの協力を引き出せるだけの人間的魅力と器が三沢にはあっただろうし、生き馬の目を抜くプロレス界にあって裏方に徹し、また野心や私欲に振り回されることなく着実にできる事よりちょっと背伸びをする循環で、地に足のついた状態でファンの心に根を張るという仲田の戦略は三沢の株を大きく上げた。
 それはちょうど、過激な言葉で世間を掌で転がし続けざるを得なくなって、いまだに同じことを繰り返しては浮き沈みの激しい人生を送るアントニオ猪木への、ジャイアント馬場時代からの長きにわたるアンチテーゼだとも言えるかもしれない。

 
 派手な打ち上げ花火的な猪木。
 着実に心に根を張る馬場。

 
 今は、猪木的なものはUWF等の亜流の進化を遂げてK-1や総合格闘技という形になった。 
 となると、相対的にみるとプロレス全体がそれに対して馬場的保守感を醸し出す形になって、そういう時代の流れの中心に三沢がいた。だから、何かプロレス界で統一的な物事をしようという時には、三沢が代表だったり中心メンバーになったりすることが多かった。
   
 猪木は既存のプロレスを破壊することでプロレスのカリスマになったが、その破壊力は別のジャンルを生み出したし、もうそれは猪木では抑えられずに暴走している。
 その暴走を止められるのはプロレスだけだという気持ちは、おそらく猪木の中にも少なからずある。
 「面白れーことをやれよ!」と猪木は言うが、暴走させた張本人でも全くのお手上げ状態で責任放棄と誰かに転嫁するしかない発言が目立つのが猪木的だ。猪木は生き神に祭り上げられたが、彼個人だけでは何かを動かすような才能は無い。
 だから、プロレス界は時代遅れの猪木発言を「神託」のように過剰に受け止めて反応するのはもうやめたら良い。

 三沢が常に全力ファイトで戦って来た相手は、世間の目を通した「時代の流れ」だったのだ。
 積み上げてきたモノを根こそぎ蹴り倒す、いまだに神通力を持ったアントニオ猪木という過去の幻影を打ち破るための新時代への戦いだったのだ。

 三沢の志が、魂が、私たちの中で死という現象ごときに左右されないように、プロレスよ不動たれ!
 
 どんな形になって行くのか、どうして行きたいのか、どうなるべきなのか。
 三沢がやったように信念を明確にして、そこに向かって一直線に突っ走れ。



2009/06/21 Sun  12:07:48» E d i t
 » 「死」に左右されぬ「志」① 
 三沢が死んで一週間が経った。

 私は普段からあちらこちらでプロレスファンを公言して歩いているし、今回のニュースの後でも誰かに顔を合わせる度にその話題をこちらから振っていった。たまたま会議の多い週だったこともあり、相手がプロレスを知っていなくてもお構いナシに会議の始まる前や雑談の時間にこの話題をバンバン振った。
 そして、ひとつ。
 共通して相手に対して私が無意識にフォローしていることがあるという点に、自ら気付いた。

 「死に様」ばかりがクローズアップされるけれども、死に様は「懸命に生き抜いた末の結果」なんですよね・・・的なことを言っている自分がそこにいた。

 
 やはりこういう事が起こると、嫌でも自らを省みずにはいられない。

 三沢の死は残念な事ではあるが、自分の信じた道に殉ずるということは男として嫉妬を覚えずにはいられない死でもある。
 「プロレスをどこに出しても恥ずかしくない、馬鹿にされないところまで持って行く」「もっとメジャーなものにして行く」という信念が三沢のプロレスには凝縮されていた。良く目にするようなレスラー達が言うような大言壮語を好まず、レスラーはリングで勝負を展開し、それを見た人が色んな事を感じ取ってくれれば良いという、その「旧全日本プロレス」の気風や気質が私には合っていた。

 時代が「良いものを良い・悪い物も良い」と、過剰にすら思えるほどのアピールでより多くの人たちの目を引いて売り上げを上げれば「勝ち組」だという風潮の中で、それに安易に迎合せずにただ自分の信じた道に邁進し、時には不器用すぎると誰もが思うような義理や筋をしっかり通しながら物事を進めて行く三沢光晴という「男」は、この時代を生きる「本物の英雄」なのだ。

 おそらく、生きているうちに「英雄」だと評価される人間なんてそう多くはないだろう。

 いつの時代でも一時的に時代の趨勢で誰かが「英雄」に祭り上げられたとしても、すぐに群がる亡者達が足元に絡みついては引きずり落として骨の髄までむしゃぶり尽くすような反作用が蔓延る人の世だ。 「時代の寵児」はちょくちょく現れても、英雄はそうは現れない。
 英雄という存在は何かを信じ、それを心から愛し、そして貫いて生きる存在だ。
 そして、その生き様が多くの人たちの心に何らかの作用を与え、多くの人たちはその心の変化の作用を与えてくれた偉大な存在に対して敬意を超えた思いを抱き、やがて英雄は語られ、物語となり、伝説となる。「英雄」とはその存在から何かを受け取った側の多くの者たちが用意した最大最高の称号だ。
 
 すでに物語となった英雄達は、私たちの前に「不眠不休、利害無視、信念貫徹・・・」そんなガチガチな完成された姿で現れてくる。文献・書籍で目にする英雄達はすでに人間ではない状態、だが崇高であり偉大な存在=神として認識される。

 およそ他人が欲しがるような多くの才能と、それを発揮できるような巡り合わせの中に生きられる運の強さを持ち合わせ、強い意志を持ち、何かを成し遂げる。すでに完成された物語の中に出て来る英雄たちは一部の隙も無いような人間として描かれ、語り継がれる物語は時の経過と共に英雄を神格化させて行く。誰もが憧れるような脚色が加えられ、多くの人たちが疑いもなくそのフィクションを現実だと信じ、その虚構の英雄に憧れて自らを奮い立たせたり、あるいは比較して矮小な自分を嘆いてみたりする。

 プロレスとプロレスファンの関係は、伝説を作り出していく構造に良く似ている。

 「強く、大きくなりたい!」という本能的な願望を具現化した人間達がリングで繰り広げられる、言葉の無い神話。それがプロレスなのだ。ならば、その神話の語りべとして私はこう言おう。
 
 三沢はリング上で本当の神へと生まれ変わったのだ。

 生きた三沢は英雄だったが、リングで死んで神になった。
 

 
2009/06/20 Sat  06:35:42» E d i t
 アーティストに求めるものって私にとっては「完成度」ではなくて「感性度」なんです。

 私にとっては。ね。

 新人でもそうでなくても荒削りだったりヘタクソだったりしても、訴えかけてくるものがあれば「一緒に成長して行こう」という感じになるだろうし、いくら上手くても上手いだけで魂籠って無かったり面白くなければ上滑りして行く。
 昨今ではケミストリーが「上手いなぁ」と感心したけど、全く面白みを感じなかった。
 
 


 その点、SLOWDOWNに関しては経験も実力も十分だし知っている人には神格化の扱いさえ受けているという実に珍しい状態からのスタートなので、今後がどうなって行くものなのか興味深い。
 長渕の元ライブメンバーとしての彼らを応援する人たちは、おそらくそういう前提で彼らを見続けるだろう。それは良いことだとも言えるし、逆にその目が無意識のうちに彼らの縛りになっているとも言えるだろう。

 その縛りを破れなければ、いつまで経っても自前の歌では勝負できないだろう。
 一曲入魂で勝負しなければ、いくら一部から神格化されているアーティストだとしても新しい聞き手はどの時点から入ってくるか分からないのだから、そうたやすくは行かないと思う。




 50歳前後の世代のわゆる「メジャー」になれなかったけれども歌を続けるために環境に合わせて様々な進化を遂げたアーティストたちを見てみると、一曲当たったけれどもその後が泣かず飛ばずだとか、地方のラジオパーソナリティーとして人気を集めつつ歌手活動を続けたり、懸命に音楽活動に関わりのある仕事を続けることによって周囲からの支援を自らの力に、そしてその力を周囲に還元しながら誰かの心に根深く息づくことによって、レコードやらCDやらの販売額では測れない価値を手にしている。


 一発屋でも、その一発は歴史の一点ではなくて後の世に歌い継がれて新しい世代のファンをその曲が切り開いて裾野が広がって行く場合だってある。ラジオだって、地味だけど毎週あるいは毎日の継続によって自分の狙った世代とは違う世代のファンがついて、新境地を切り拓いたりして行く。

 ファンと共に少しずつ時間を掛けて成長していく過程で、どれだけそういう人たちの中に自然に深く根を張れるのかという部分で勝負を掛けている人たちの歌は心の叫びにも似て、時としてミリオンヒットよりも遥かに魂に食い込んでくる。 若い頃には分からなかった歌詞が年を取って沁みてくることだってあるだろう。
 
 →みのや雅彦 「夢しかなかった

 松山千春になりたかった、なれなかった。夢を追いかけて、掴み切れなかった。でも、諦めない強さをストレートに歌った。
 北海道にしっかり根付いたこの歌手のこの歌を「泥臭い。カッコ悪い」と笑えるか?


 キラ星のように夜空を飾る星がある一方で、六等星のようにぼやけているけどふとした瞬間にそこにピントが合ってそれが忘れられない色を心に落とすことは少なくはない。でも、最初から「六等星で良いから・・・」なんて思って活動してるアーティストなんていないだろう。誰もが一等星を目指すはずだ。そしてそうなれないから新しい色を身に付けて行けるんだろう。

 じゃあSLOWDOWNはどこを目指しているんだろうか?
 長渕のような一等星なのか、あるいは二等星・三等星・・・ぼやけた六等星でもそれはそれで良しとするのだろうか?



 曲作りに魂を吹きこんで欲しいのは私の希望だが、それ以上に大事なのは大事な大事な自分の曲を演る時に、いかに熱い魂を吹き込み続けて行けるか。そういうことだと思う。CDじゃない生の演奏を積み重ねる中で進化して行く曲、呼吸をする曲、化ける曲、そういうものはきっとあるはず。


 それに関してSLOWDOWNのライブは全く問題はなかった。
 熱い、熱いライブだった。


 
 東京ドームや桜島で大観衆を前にパフォーマンスしたことを考えたら、狭いライブバーで少ない座席が半分しか埋まらなかった現状を見ればテンションが十分に上がらないことだって考えられた。
 SLOWDOWNの知名度が足りなかったのか、企画・運営の手腕が未熟だったのか、そんなものもどうでも良い。

 要は、目の前にお金を払って来てくれた客とどう向き合って、どうパフォーマンスするか?ということだ。

 その肝心なパフォーマンスについては、わずか22人を相手に紅潮した顔から汗が噴き出して、声も終盤一部裏返るほどの熱い熱いパフォーマンスを浜田さんは伝えてくれた。
 笛吹さんは、噂に違わぬ超絶ギターテクで唸らせてくれた。


 熱さは十分だッ!!! 

 
 この熱さは、絶対に次につながって行く!!
 そう。
 この二人は「次」につながる今を熱く燃えて生きているッッ!!

 ならば、その思いや決意をストレートに歌い上げた歌が一曲でも二曲でもあれば、私は完全に彼らに魂を持って行かれるに違いないだろう。

 


 





 蛇足になるが若い頃、吉本のお笑い芸人が何組かで出場するイベントを見に行ったことがある。
 当時からすでにテレビ芸人と化していたナインティナインが出るということもあって、その町の市民会館は超満員。

 いろんな、テレビで見たことがある人や無い人が次から次へと入れ替わり出て来ては、会場を徐々に笑いで温めて行って、メインイベントでナイナイが出て来てネタを披露した時、


 客席は笑えなかった。最初の方こそ若いおねーちゃんたちが愛想笑い程度に笑ってたが、ついには客席は静まり返った。


 つまらなかったのだ。
 そして、自分たちのつまらなさゆえに笑わぬ客に対して岡村はこう言った。

 「ノリの悪い客やな~」

 テレビに出てれば面白いのか?有名だったら面白いのか?

 その答えはズバリ、NO!だ。
 それからナイナイの出る番組は10年ほど見ていない。


 これは音楽界にだって言えることだ。
 売れてたら良い曲なのか?ファンになったアーティストなら全ての曲が私にとって「是」なのか?

 答えは NO! だ。

 私はどんなに好物でも丸のみなんてしない。
 味わって、不味いものは不味いと言える人間でありたい。
 



 ライブでは一見さんでもお得意さんでも、ファンでもミーハーでも、男でも女でも、若者でも年寄りでも、そこにいるのは同じ金を払って観に来ている客。
 いろんな層の客の全てに同じものを残せるなんてそんなワケないんだけど、力の限り最高のパフォーマンスを出し切ってくれるスタイルは気持ちが良い。

 予備知識ナシで行ったから、ライブを体感していた最中はこの人たちが東京ドームや桜島という巨大なステージでパフォーマンスしてきた人たちだなんて知らなかったし、そういう意味では「素」の状態でSLOWDOWNという「新人バンド」の・・・今にして思えば「たった22人」を相手にド迫力で演奏、歌を投げかけて来てくれた「熱」を味わえたのは良かった。
 猫舌だけど、お熱いのはお好きです!
  

 今回、ここにこうして書いたことでちょっとくらいはSLOWDOWNに興味をもってくれる方が出て来てくれればこんなに嬉しいことはない。


  今はまだファンと呼べる段階じゃないけど、応援隊と一緒に応援して行ってみようかな。
 一応、リンクのトコに SLOWDOWN応援隊のブログ へのリンクを貼らせてもらおう~♪っと。

 
  
2009/06/19 Fri  06:29:09» E d i t
 開演時間まであと約15分のところで「くぅ」を見つけ飛び込んで、会場を見渡すとざっと数えて45席
 そのうち、私を含めてオーディエンスは22人
 私は二列目、それでも二人から約2メートルの超至近距離に陣取った。
 
 
 よさこいソーラン祭りだとか、北海道神宮の例大祭(=札幌まつり)とか、その他各種イベントが重なったその日の札幌だが、この人数が健闘した方なのかそうじゃないのかは私にはよく分からない。
 実際、浜田さんはMCで「(他に何のイベントがあっても)ま、俺たちには関係ない話なんだけどね~」って笑ってたし。

 

 予備知識が無い分、身体の細胞までフルに使ってSLOWDOWNを体感してきた。
 で、思ったこと。


 結論からズバリ書くと、突き刺さって揺り動かすような衝撃がない!

 これに尽きる。




 笛吹さんのギターテクニックはあちこちで言われているとおり確かに神懸かりだ。
 アコースティックギターがあれだけ豊かな世界を作り出すなんて、ホント、CDの中でしか聞いたことが無かった私なのだが、目の前で神のような運指を繰り広げられると、目も耳も釘づけになる。ギターをちょっとでも演ってみたことがある人ならばそうなるに違いない。
 
 
 浜田さんの声は、腹の底から悲しみを湛えるようなしゃがれ声で聞き手の身体をジンジンと震わせる。なるほど、人間の声は鍛え上げればここまでできるようになるものなのか。
 

 ところが。

 二人の持っている力量は凄まじい破壊力で胸に迫るのだが、歌が身体に沁みて来ない。魂を揺さぶって来ない。音色や声がビリビリと体を震わすのだが、それが表皮を上滑りして後ろに流れて行くという感じ。

 これが私にとっては大問題だ。


 音楽を音楽として楽しむ人にとってみれば、ギターの音色が全てを包みこんでくれるだろう。笛吹さんのギターにはそれほどのパワーがある。
 ボーカルの声にしびれたい人にとってみれば、浜田さんの年輪を蓄えた厚みのあるしゃがれ声はまさに至高だろう。

 
 私は、「歌を聴く、感じたい」タイプなのだ。

 聞いていると情景が浮かんだり、物語が頭の中で走ったり、あるいは何かを訴えかけてくる「言葉の紡ぎ方」だったり、すべての曲を通じての信念だったり、そういうものを求めてる。


 多分、私はSLOWDOWN のオリジナル曲の多くの詞に「長渕剛の影」を感じてしまっている。

 さらに言えば、おそらくは長渕ファンから流れて来た人たちのためなのだろうけれども、長渕の曲もライブに数曲取り入れて歌っていると、どうしてもそれとオリジナル曲とを比較してしまう。
 そして、長渕の詞がどれだけ身体に沁み込んでくるかも良く分かってしまう。やっぱり長渕は天才だと思うよ。好き嫌いは分かれるだろうけど。

 おそらく長渕に限らず、他のアーティストたちだってアルバムの隅の曲まですべてが誰が聞いても名作!なんてことはあり得ないだろうと思う。アルバム聞いてりゃ2曲や3曲飛ばす曲があるでしょ?
 SLOWDOWNがライブで演る長渕の曲は自分たちが「名曲」あるいは「隠れた名曲」を自認する数曲だから、なおさらそのコントラストがハッキリしてしまう。

 
 SLOWDOWNの味を自分たち自身で薄めてしまっているような気がしてならない。



 「50歳を過ぎた新人バンド(デュオ?)」だと二人はMCで言ったけれど、そこにも私が共感しきれない部分がある。
 「ハングリーさを感じない」「おそらくケンカしてない」ってのが一番の理由だと思う。

 笛吹さんが昔、作曲したインストゥルメンタルに浜田さんが詞をつけた「ごめんね」がその良い例なのだろう。
 MCで言っていたことなのだが、浜田さんのインスピレーションではこうなる。歌詞とかないんで、暇だったらアクセスして聞いてみて。

 ・→ごめんね(Guilty)

 ・子供の頃からの「ごめんね」と言い訳が繰り返される末にとんでもない世界まで話が膨らむ。 

 
 しかし、笛吹さんは「なぜこの俺の作った名曲にこんなヘンテコな歌詞がつくんだ?と思った」と言っていた。どうしても何かイメージと違ってて、作りなおしてもらったのがこれ。

 ・→ごめんね’07 

 ・愛する女性への思いを歌った歌。


 私、思うんです。
 「それってお互いに妥協しちゃいけないトコなんじゃないの?」って。
 信念持って作った曲に「ヘンテコ」な詞をつけられて「ま、浜ちゃんがそうならそれで良いや」。
 信念持って作った詞を「ヘンテコ」呼ばわりされて「じゃ、もう一回違うの作るか」。

 第一作と第二作のメインテーマや世界観が共通してればまだ良いけど、全く違うし。

 笑って話してたから冗談話だと多くの人が思ったかもしれないそのエピソードが、このユニットの現状なんだろうなって、正直な話、それがどんな曲よりもすごい違和感のあるインパクトになって私に残っちゃった。
 
 二人の行きたい場所や表現が同じ方向を向いてないんだ・・・煮詰めてないんだ・・・と感じてしまった。

 笛吹さんは、今のままでもギターテクニックにあちこちからの引き合いがあるだろうし、浜田さんはいざとなればバックコーラスに戻れるんだろう。お互いに退路があって、それゆえの余裕が良くない方に作用しているように見える。

 「この年になると、白や黒ってハッキリ決めなくてもグレーなままで物事をとらえることができるようになって、そういう感じでやっております」
 本当?本当にそれでいい?


 これはライブで演った、浜田さんがシンガーソングライターとして活躍していたころの曲。
 浜田良美→「いつのまにか君は


 「いつのまにか君は 灰色の悪夢に とりつかれていたんだ ぬるま湯の人生」
 「いつのまにか君は そんなに年取って やっと気付いたんだね 一度しかない若さを」


 二人で組んで音楽界に殴り込み掛けたからには、二人に縁の深い長渕剛をも噛みちぎるほどの魂の叫びが必要なんじゃないのか?
 旅立つんだろ?
 遅くないんだろ???
 

 つづく。

2009/06/19 Fri  00:00:00» E d i t
 » 新緑2009 
 ため息を闇のしじまに投げ捨てて

 気にくわねぇ弱音も全部

 ハラの底からこそぎとれば

 カラッケツに吐き出し切った
 あれやこれやと入れ替わるように
 新しい光が俺の身体のすべてを満たす


 この色

 この風

 この香り


 夜明けに溺れる

 新しい力が俺の身体のすべてを満たす




新緑2009

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2009/06/17 Wed  17:21:59» E d i t
 » SLOWDOWNを体感す。 
 札幌の 「くぅ」 という小さなライブバーで、とある音楽ユニットのライブが行われた。

 「予備知識ほぼナシ」のユニットに日曜日の夜に札幌まで出かけて入場料の4,000円なり4,500円なりを支払ってそれを体感する、というのにはそれなりの理由がある。


 そのユニット名は 「 SLOWDOWN 」(スローダウン)
 知っている人はトコトン知っている、けど、知らない人の方が圧倒的に多いに決まっているユニット。だいたい、私も知らないし。

 
 いつだったか地元の新聞(北海道新聞)で記事を見かけて、「なんかこの人たち、どっかで見たことあるなぁ・・・」とか思ってたら、私のブログ仲間で長渕剛の伝道者(=ブチヲタ)・レンゲさんの「R]あ~る指定(現在、残念ながら更新休止中。そのうち復活してね)のリンク先にあった、とあるブログで見かけたんだったことをうっすらと思い出した。

 →SLOWDOWN応援隊のブログ 

 その応援隊のブログのトップにこうある。
 

 長渕 剛・松山 千春・今井 美樹・チャゲ&飛鳥・山崎 ハコ・尾崎 豊など、数々のアーテストのギターリストでおなじみ〔笛吹利明〕 と、はがねのボーカル〔浜田良美〕 の2人が結成したユニット  [SLOW DOWN]
    



 へぇ~。

 山崎ハコは知らないけど、他のアーティストは全部知ってる。

 そういうビッグなステージでギターを演奏するって、一体どういうレベルなんだろう?・・・って、もんのすごい興味があって、この笛吹(ふえふきサンとかふぶきサンと読むのかと思いきや、“うすい”が正解!)サンの超絶ギターテクを体感したいと思った。

 鋼のボーカリスト・浜田サンは、もともとはシンガーソングライターで、長年(?)長渕剛のバックコーラスを担当してきた方なのだそうだ。

 →笛吹利明(T.Usui)のホームページ  

 →浜田良美のホームページ
 


 これはライブのMCで知ったことだけど、長渕のライブリハーサルで顔を合わせる度に何度もセッションを繰り返すうちに、二人でやってみようよ!ってことになったのだそうだ。

 
 長渕のライブではバックバンドのメンバーを連呼することも多いのだそうで、長渕ファンにはお馴染みの二人なのだそうだ。私は長渕の歌は好きだったけどライブまでは行ったことないし、知らなかったんだけどね。

 以上の知識さえもライブに行った後で知ったことであり、そういう意味ではまっさらな状態でSLOWDOWNを体感しに行ったことになる。
 



 長渕LOVE!な知り合いが「新聞記事読んだか?行くべ~」とか熱烈に、しかもライブ開催3日前に容赦なくメチャクチャ熱い電話をよこしたこともあって、いろいろスケジュールを調整しつつチケット買ったらその知り合いがドタキャンしやがって、ポツリと一人ぽっちになりかけたので、さらに全然音楽に興味も無かろうけど暇そうな友人を無理やり連れて行ったのだったのだった。

 誘ってくれた知り合いがドタキャンした時点で意味不明なところだが、ここはひとつ気を取り直してSLOWDOWNがどんなものなのか、逆に説明者の無い中で味わえるチャンスだと受け止めることにした。・・・なぁ~んて前向きで素敵な私だろう・・・うっとり。


 
 はい、体験記とか感想とかは次回につづく。    
 だって、時間が無いんだもん。ごめんね。
2009/06/16 Tue  00:00:50» E d i t
 » 火曜一言 


 「まだ言ってるの?

  未練がましいというか

  粘り強いというか・・・。


   キライじゃないけどね。そういうの。」





テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

2009/06/15 Mon  18:51:35» E d i t
 » 三沢色の雨 
 プロレスラー三沢光晴が死んだのは平成21年6月13日土曜日、22時10分だったらしい。

 私がそれを知ったのは、翌朝。
 携帯電話のメールに懐かしい友人たちからの着信が数件。
 「こんなにバラバラなメンツからメールが来るなんて、何かあったかな?」
 そこに書かれていたのは、三沢死亡。

 北海道はおよそ六月とは思えないほど冷たい朝で、弱く雨が窓を叩いていた。
 なぜか、その音がハッキリ聞こえた。



 
 もう月曜日になってから何かを書こうとしても、どこかで誰かが先に言った言葉しか見当たらなくなっている自分がいる。
 昨日の私には瞬発的に記事を書きあげる時間が無かった。
 そして、何度も何度も目にも耳にもしたこの言葉がやはり私の脳裏にも繰り返し繰り返し浮かんでは消えて行った。

 「信じられない。信じたくない」
 「ウソだろ?まさか」

 悲しみを噛みしめる間もなく、昨日は朝から晩までスケジュールが埋まっているにも関わらず何か集中できなくて、弱い雨に打たれて、六月にしては寒すぎる風にさらされて、行く先々でその話題になって、コンビニを見かける度にスポーツ新聞を買っては情報を仕入れ、テレビのある場所でそのニュースを見かけると、信じたくないもなにもなくて、それは現実なんだな・・・と受け入れ拒否の心の鉄壁を切り崩して現実が胸に突き刺さって来た。

 別に三沢がいなくても自分の生活は成り立って行くし、世の中は、時間は同じように動いて行く。
 そんなの分かってる。
 でも、どうにも処理しようのない気持ちが渦巻いていて気持ち悪い。

 間違いなく今の自分を構成している一部なんだな。三沢光晴というプロレスラーは。





 「三沢がバックドロップで」っていうのをプロレスを知らない人に伝えるとしたら、どういう例えになるだろ・・・?

 そう考えていた。

 ズバリ野球で言えば 「清原が死球受けて」 とか、サッカーだったら 「カズが相手と激突して」とか、そういう例えになる。
 三沢はプロレス界では「そういう存在」であり、死因はそういう「ありきたりに起こり得る、避けようのないもの」ということになる。




 
 世間にはプロレスを知らない人達がたくさんいることだろう。
 今はK-1とか総合格闘技とかにジャンルが分かれてしまって、それぞれにスター選手がいるからプロレスが相対的に地盤沈下したように思われてしまっている。

 かつてジャイアント馬場は「あれ(シュート=総合格闘技)もプロレス」だと言ったし、また「みなさんが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」とも言った。格闘技を内包しているはずのプロレスというジャンルが細分化されて、細分化されたが故に分かりやすい状況になってはいるが大きく見渡せば、やはり「それもプロレス」というのがどうやらしっくり来るような気はしている。

 K-1や総合格闘技が支流だとしたら、今は支流に水が行き過ぎて細くなってしまった源流がプロレスなのだと言えるだろう。
 ダイナミックな流れの変遷を経て、やがては源流へと戻るその時に源流が源流たる誇りを保っているためにプロレスが何をするべきかを体現して来たのが三沢たちのプロレスだ。

 K-1は毎日興行しているか?
 総合格闘技は地方巡業してやって行けるか?

 大きな会場で、ド派手に演出してたくさん客を集めて試合してもそれはせいぜい2~3ヵ月に一回。ビッグマネーが動くから、世間の目にだってそちらが優位に映る。そう見えてしまえば、比較の対象となるプロレスは地味そのものだ。

 プロレスは地方の体育館を巡って、毎日毎日試合をする。
 テレビが十分に発達していなかった時代から、地方を巡業するという興行形態を未だに愚直に守り続けて、全国に本物を届けて回っている。

 毎日の巡業に、大一番のタイトルマッチ。
 連戦で体はボロボロ。
 試合に向けて集中トレーニングをしてベストコンディションを作って行くだなんて、あり得ない世界。それがプロレス。
 

 「命を削るような真剣勝負を毎日続けることができるのか?」と、そこにプロレス=八百長論者のつけ込む余地が生まれて来る。三沢たちはそれをこの約二十年間、やり続けてきたのだ。
 八百長論者をはびこらせるような旧態依然のプロレスを破壊したのだ。

 
 真剣勝負とは何か?という問いかけに対して、一対一の果し合いを思い浮かべる人は恐らくプロレス=八百長論者だろう。
 戦場での斬り合い、たとえ刀が刃こぼれしても、たとえ折れようとも生き抜くために必死に戦うことを真剣勝負とは呼ばないだろうか?

 傷だらけになり、蓄積し続けるダメージがゼロになることなど無く、それでいて消耗して潰れてしまうわけでもなく、プロレスラーたちは今日も戦う。戦うことで自分たちの誇るべきプロレスを必死で守り続けている。




 三沢や小橋のプロレスはずっと「命を掛けた」戦いだ。

 常に手負いの状態から、必死で命を守り抜く戦いだ。「俺の人生はイコール、プロレス」だと言いきった男たちだからこそ体現できる崇高なる世界だ。

 ずっと見て来て、何度も「死んだ」と思うような技の攻防があった。
 
 三沢は柔軟で、小橋は頑丈で、両者ともに受身の達人だから、相手レスラーも遠慮することなく全力で技を仕掛けて行く。通常の技で仕留められないから、自然と技もエスカレートして、今までなら受け身がとれるように背中から落としたものを肩から落としたり、終いには首や頭から落としたり・・・そして、それを受けても鬼のような表情で立ち上がって相手を粉砕して行く。心ごと粉砕して行く。

 プロレスラーが通常の人間から見て超人ならば、三沢や小橋はその中でもさらに超人だ。
 もはや、「人」なのかどうなのかさえ分からないほどの。

 プロレスファンであれば知っているかもしれないが、三沢はもう十何年も前から大きな試合を終える度に控室でぶっ倒れて首の牽引をしていた。
 それはテレビでも雑誌でも見られた。

 「プロレスラーは痛さを見せない、見せてはいけない。(ファンの夢を壊すから)」
 
 馬場さんや猪木のころのプロレスではそれは通用したかもしれない。昭和のプロレスの方が凄かったなんて、今のプロレスを見ない人達は言うだろう。リズムもテンポも当たりの激しさも、何もかもが進化を続けた結果、遂には限界を振り切ってしまっている今のプロレスが昭和のプロレスよりも激しくないワケがない。

 メディアの未発達ゆえに「未知の強豪」が通用した時代から「プロレススーパースター列伝」やら「プロレススターウォーズ」なんかでファンが夢を見られた時代とは違って、今じゃ業界の裏事情をネタばらしして狡く金儲けをしたり足引っ張ろうって連中にさらされる中で夢を追いかけて現実を生きて行くことの難しさ、それでも「俺が大好きなプロレスは最高なんだ」という信念を貫いて生きて行く素晴らしさ・・・そして、その信念を言葉じゃなくてリング上で体現してしまう技量、それを支える肉体、その全てが人間讃歌だ。

 
 三沢はバックドロップ一発で死んだわけじゃない。

 細かく細かく周囲から斬りつけられてもはや倒れる寸前まで追い込まれていた巨木を倒す、マサカリの最後の一撃が彰俊の高角度バックドロップだったのだ。受け身に失敗したんじゃなくて、己の信じたプロレスに殉じた・・・なんてキレイごとにしたくないのが本音だけど、そう書いておきたい。
  
 おそらく、三沢の首はいつそうなってもおかしくない状態だったはずだ。
 なのに、三沢は「プロレスラーは痛さを見せない」を実行し、そして死んだ。




 
 死因は、首の骨が折れたのでも脳内出血でもなく、首の骨の中にあり呼吸運動の神経も入っている「頸髄(けいずい)」という箇所が離断(りだん=切れること)したということらしい。 
 
 




 今日、仕事中に車を走らせていた。

 偶然、ラジオ(STVラジオ「みのや雅彦のときめきワイド」)でこの話題となり、そのラジオ番組の留守電に入ったファンたちからのメッセージが流れて来た。

 「信じられない。」
 「脱力感でベッドから出られない。」
 「三沢は僕らと一緒に生き続けます、ありがとう。」

 そして全道のみなさんから三沢コールを送りたいということで三沢の入場曲「スパルタンX」が流れた。


 もう、ハンドルなんて握っていられなかった。
 
 車を急いで道端に止めて小さな小さな声で三沢コールを送った時、涙がボトボト零れた。

 曲が終わり、CMを挟んで、幼い頃からプロレスファンで多くのプロレスラーと親交があり、三沢とも良く飲みに行ったという みのやサン が震える声で語った。

 
 「三沢さんはね一緒に飲みに行くとさ、よく亡くなった馬場さんを思い出してさ、泣きながら松山千春さんの『君を忘れない』を歌ったし、『みのやサン、千春サンのあの歌うたってよ』ってリクエストもらったりしてさ。 今、三沢さんがそこにいたとしたら、この曲をリクエストされると思い、この曲をおかけします。」

   →「君を忘れない」 松山千春


 フロントガラスには小さな水滴。

 草木がやさしい風にそよいで、三沢色の雨が俺を包んでいた。


 
 
  
 
  
 


 


 


 この先も三沢の魂と生き続けよう。
 答えを急ぐことはない。やがて分かるから。

 
2009/06/14 Sun  08:28:58» E d i t
 プロレスラーは超人だ。
 
 プロレスは危険な競技だ。

 死と隣り合わせなのはずーーーっと頭の中では分かってた。

 
 しかし、三沢が。

 あの三沢が・・・
2009/06/12 Fri  00:00:33» E d i t
 » クイズでロマンチ・解答編 
クイズ②

 私だ!

 なに?私を知らんと申すか?

 

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金曜ロマンチ *  TB: --  *  CM: 4

top △ 
2009/06/09 Tue  06:35:37» E d i t
 » 不審者は誰だ? 
 久しぶりに晴れた朝。

 いつもよりちょっと早起き(朝3時半頃ね)して、遠回りして会社に行こう!

 この時期の朝は4時前にはもう明るくなっている。この季節の朝にはいろんな色があるから、カメラをポケットに入れてロマンチを探しに行く。

 写真と言葉で綴る「金曜ロマンチ」ももう3年目に突入してるし、さすがに週に一回だとはいえ、そうやすやすとネタが出てくるワケでもない。120回もやってりゃ切り取るべき風景もなんだかいつか使ったようなそうでもないような気が、自分でもしてくる。

 
 それでも、朝の色は特別だ。
 同じ物や空間を撮影しても、その時そのタイミングでしか出ない色がある。
 朝の光の角度と力具合がどこかでロマンチを奏でているのを五感を研ぎ澄ませて探す。

 見てるだけじゃなくて、もっと違う何かが伝わる写真を撮れるようになりたい。

 
 朝の色に触れる生活を送っている人たちは、多分、今の時代にはそう多くはないはずだから、これはこれで私なりのスペシャルな部分だと勝手に自負している。




 ブドウ畑の脇の小道を車をふらふら~っと運転し「切り取りたい風景」が視界に入ると無造作に畑の路肩に止める。
 それを何度か繰り返していたら








 「あ、写真撮ってるんだー」











 え!?


 あ、いきなりびっくりしたぁ!


 
 
 

 なーんか、さっきからこっちの方をチラチラ見ながらRV車が行ったり来たりしてるな~・・・「このRV、不審だなぁ」とは思ってた。そのRVが運転席の窓を開けていきなり声を掛けて来た。
 


 ・・・???不審者か???





 ダガシカシッ!!




 「いや~、ここらの農家の者なんですがね。最近不審者が出てるから、朝早くに見回りしてるんですわ~。車の運転がフラフラしてたから、失礼な話なんですけどちょっと気になってね~・・・それにしても、写真ですか!今日はいい天気ですからね~あっはっは~」






 どーやら不審者はこちらでした(泣)・・・

 
 ま、確かにフツーじゃないよな。







 「いやー、この時間じゃないとこの景色は見られませんからねぇ~。なかなかこんな現象も見られないでしょうし~あっはっは~♪」



 とか、お互いに笑って済む田舎の人々。



 そんな今朝です。くじけませんよ男の子です。
 皆様、快適な朝をお迎えいただけましたか?


2009/06/09 Tue  00:00:45» E d i t
 » 火曜一言 

 「本当に力貸して欲しいなら、まずこっちから先に力貸せば良いんでない?

  求められてるトコまで届かなくても一生懸命貸せば、大概の場合、返って来るもんじゃねーか?

  で、返って来ないんならさ、多分、それって必要ないんだよ。

   こっちから捨てちまえ。」



テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

2009/06/05 Fri  05:32:58» E d i t
 » クイズでロマンチ 
 ここで問題。

 さて、これは一体何でしょう?


クイズ①


 ベッコウ色を透かして見れば
 故郷の駅を降り立つ僕を待つ
 ほのかに甘い
 やさしく香る

 風のにおいを思い出す



テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2009/06/04 Thu  08:56:38» E d i t
 » LOVE マシーン! 
 1999年、7月に人類は滅びることもなく、今から考えりゃまだ不況の入り口程度だったけど十分に暗いムードが漂いつつも、「IT(イットではない。アイテーである・・いや、アイティーである。)産業」だの「金融ビッグバン」だのと言って薄明かりくらいはあってホリエモンもまだ世に出ていなかった頃、日本の未来をほんのちょっと2~3年、パッと明るくした曲があった。


 それが「LOVEマシーン」。

 ここ読んでる人でこの曲知らない人がいたら手を挙げてみ~?

 ま、歌詞やら音程やらのすみずみまで知らなくても、そういう歌があってそれを何人かの女の子の集団「モーニング娘。」が歌ってたってことは知ってるはず。

 
 宇多田ヒカル旋風が吹き荒れて、浜崎あゆみと二極分化して、猫も杓子も本物っぽさを求めてた「女の子歌」の世界にドドーン!とアイドル歌で殴り込みをかけたのがモーニング娘。だったよなぁ。


 それまではオーディション番組で選ばれた田舎から出てきた垢ぬけ切らないイモねーちゃんの集まりが、なんだか似合わない歌を切々と歌わされてた感じでそれはそれで好きだったけど、そこに都会の中学生・後藤真希が編入してきてイモねーちゃんの集まりが一気に化学変化。
 
 その化学変化というか、つぼみが花になる瞬間っていうか、サナギが羽化する瞬間というか、まぁなんかそういう、明らかに「使用前、使用後」みたいなあの時期のモーニング娘。と同時代を生きられた私は幸せだった。


 もう、なんだろう・・・アサヤンで当時、常にモー娘。とライバル扱いだった鈴木亜美みたいな「可愛いだけが取り柄の生意気(そうなイメージ)な娘っ子」に、「素朴で田舎くせーおねーちゃん」たちが束になって掛かっても敵わないのを十分に見せつけられた上で、結局、そのモー娘。を化学変化させたのは、可愛いだけが取り柄の生意気(そうなイメージ)なゴマキだったってことは、この際棚に上げて置いて良し。

 
 キラ星になれる可能性を生まれつき持った人間は限られている。
   
 さらに、その可能性を持ちながらそれを飼殺しにしたり、タイミングを逸したり、性格が災いして援助者にそっぽを向かれたり、キラ星をキラキラにできる人間はさらにごくごくわずかだ。
 わずかだからキラ星と呼ぶ。

 
 田舎くせーおねーちゃん達は、キラキラになった。
 最初はまーったく似合わなかったギンギラバブリーな衣装で、妙ちくりんな踊りで、へんちくりんな歌を歌わされた。

 「歌わされた」のだ。最初は。


 今でもハッキリと覚えているあの違和感。1999年9月のことだ。
 ミュージックステーションで初めて「LOVEマシーン」を披露した時のギクシャクしたダンスと、テンパッてるみんなの必死な顔。
 「なんで私たちはこんなことしてるんだろう・・・?」って、みんなの顔に書いてた。
 


 ところが。


 時代はおそらく、その陽気さ、歌いやすさを求めていたのだろう。

 
 安室や宇多田やあゆがちょっとお洒落で背伸びしなきゃ届かないような、でも背伸びしたら届くような「ファッション雑誌の中の音楽」だとして、当時は誰もがそれに追随する中でモー娘。は普段着でもファッションでもない、「お祭りのような音楽」で勝負。

 そしてその陽気さと聞き取りやすさ、歌いやすさを、世間は大歓迎で迎えた。



 当初のダンスは大幅に変更され、動きが大きく派手に見えるように改良。
 右手の親指と人差し指だけを立てて「L」のアルファベットを振るようになると、その簡易な振り付けもまた大ブレーク。宇多田もあゆも押しのけて、もちろん鈴木亜美なんか問題にならないほど音楽チャートトップには延々と「LOVEマシーン」が居座り続けた。

 
 その年の年末のミュージックステーションや紅白歌合戦で見た時、もはや彼女たちにたった2~3か月前のとまどいの色など微塵も無かった。

 自信に満ちた明るい笑顔にはもはやあの派手派手な衣装の方が追いつかない程の輝きがあったし、ステージいっぱいに展開する躍動感で、自分たちを、自分たちの歌をみんなに届けたくてたまらないという気持ちが伝わってくるキラ星となって「日本の未来」を明るく照らしていた。


 日本は世紀末にモーニング娘。に救われたのだと言っても過言ではないと思う。  
 あの大ブレークは現代のおとぎ話とも言える奇跡だったと思う。その一部始終(あ、まだ終わってないか)の物語があって「LOVEマシーン」は伝説になった。

 
 あのテンションが私たちの心を明るくしたし、挫けながらも栄光を手にした彼女たちの物語は多くの人たちを勇気づけた。それは、オーディションからずーっとドキュメンタリーという形で彼女たちの成長や挫折を追い続けたアサヤンという番組の功績だった。
 モー娘。はアサヤンでの「平家みちよオーディション」なりという機会から偶然生まれた「落選組」の敗者復活物語だった。
 
 
 勝ち組になったモーニング娘。はかつての輝きを失ってしまった。


 今、この不況で世間が「暗い暗い暗い」と呪文のように唱えて、勝手に自分たちの首を絞めている時代。10年前に田舎のイモねーちゃんたちが日本全土を巻き込んで起こした胸のすくような奇跡が求められている気がする。

 
 聞いてしんみり来るような歌や曲もそれはそれで素晴らしいけれども、今は徹底的に明るくて未来を描き出すような、誰もが歌えて誰もが笑顔になれる「歌」を本当はみんな求めてる気がする。


 
 あぁ。市井沙耶香、なにしてるかなぁ・・・。




 



 
2009/06/02 Tue  00:00:35» E d i t
 » 火曜一言 
 「ワクワクしてたいんだよね。 

 暗く湿った時代だって、誰が決めたの?

 テレビや新聞で言ってるからどうだってのさ。

 俺がワクワクしてりゃ問題ねーだろ。

 その俺をみて、お前らがワクワクすりゃいーじゃん。」

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

2009/06/01 Mon  05:46:33» E d i t
 » 嗚呼、嗚呼、特大☆中西。 
 ロープに向かって棚橋の背中をドンッとおっつけて、ロープに腹を打った棚橋がバウンドで戻ってきた背中をキャッチしてジャーマンスープレックスで投げる!

 大☆中西ジャーマンだッ!!!(→「嗚呼、大☆中西。」)

 ワン!ツー!!

 棚橋の肩が上がり両者立ち上がると、中西は棚橋を無造作に両手でリフトアップ(重量挙げの要領で頭の上に相手を持ち上げる)!そのまま、その昔ジャンボ鶴田が菊池毅によくやっていたギロチンホイップ(持ち上げた相手をトップロープ目がけて投げ捨てる!投げられた相手はロープに喉を強打!!)を敢行!ワンバンして跳ね返って来た棚橋の背後にくっつき、もう一発ジャーマンスープレックスで投げる!

 ワン!ツー!!スリー!!!

 
 な・・・なんじゃその技は??

 そう!それが 特大☆中西ジャーマン だ!!!!!!

 
 中西学が遂に、ついに、IWGPヘビー級のベルトを巻く日が来た!!!!!!

 
 ・・・って、一体いつの話だよ?って感じだが、それはそう、GWの最終日、5月6日の話である。なんでいまさらその試合の話だよ?って感じだが、北海道のテレビ放送の都合で、放送されたのが昨日の早朝だったのだったのだから仕方ない。
 遅くても何でも放送されないよりはよっぽどマシだと自分に言い聞かせるより他になーいのだ。



 棚橋 vs 中西をテレビで見た。
 結果も内容も新聞や専門誌で分かり切っていて、さらにその試合に対する評価さえもすでにあちこちで目にしていながらも、それでもせめて試合を見てから感想を書こうと思っていた。

 ああ、ああ・・・

 中西学、デビュー17年目にして遂に、ついに!!IWGP奪取!!!!

 その身体能力は日本人プロレスラーの枠内にはおさまり切らない規格外でありながら、純朴さゆえに、あるいは愚直であるがゆえに時代の流れに翻弄され、「王者中西」の機運が何度も何度も高まる中でも常にチャンスを掴み損ねて、ファンの誰もが「王者中西は、もはや叶わぬ夢」だと心のどこかで思いこんでいた。
 また「無冠の帝王」という言葉を以て、中西ファンは自らの思いを消化して来るしかなかった。

 それが、唐突に巡って来たチャンスをガッチリ掴んで、特大☆中西ジャーマンだっ!!!


 
 そもそもこのタイトルマッチが組まれた経緯自体が、棚橋の心意気を示したものだった。
 棚橋は間違いなく男として、レスラーとしての株を自ら上げる術を心得て来ている。


 5月3日、福岡で後藤洋央紀の挑戦を退けた棚橋は、リング上で突然3日後の後楽園ホールでの中西戦をアピール!
 なんと、激しいタイトルマッチを制した直後にチャンピオンからの「挑戦(!)」という形で、中西は唐突に挑戦の機会を得た。

 後藤が“春のG1”「NEWJAPAN-CUP」で優勝して王者への挑戦権を獲得したという経緯や、中西はその一回戦で吉江に完敗を喫しているという事実を無視したあまりにも唐突な逆挑戦を、観客は熱狂で支持した。
 つまり、中西は直前の結果や筋書きを無視して一足飛びでそういうことができるようなポジションにあるということだ。

 おそらく、このことを快く思わないレスラーはたくさんいることだろう。
 
 レスラーである以上、ベルトを欲しくないワケが無い。ベルトを獲得し、自らのリングへの影響力を高めて団体を自分の色に染めてやるという野望が無いワケがない。だからひとつずつ丁寧にストーリーを構築して、一歩一歩王者を追い詰めながら戦いの場を勝ち取って行く過程をプロレスを通して時間を掛けて展開して行くのがプロレスの醍醐味だ。

 ところが、棚橋は逆挑戦することでその周囲の反発をまず抑えた。
 
 これが棚橋の凄味だ。

 事情を言えば、新型インフルエンザの影響で招聘していたメキシコの人気レスラーたちが来日不可能になった。せっかくのゴールデンウィーク最終日の興行なのにせっかくそれを楽しみにしてくれてチケットを買ってくれたお客さんがいるのに、残念な思いをさせたくない。
 ならば、それを上回るカードを提示できるかどうか?に掛かってくる。じゃ、王者として俺がこの団体を背負ってるんだからやってやる!!日本人最強の怪力レスラーとしてキャラクターが浸透している中西とのシングルマッチならば、お客さんにも絶対満足してもらえる!!!

 棚橋の心意気と決意、そしてそれを実行した男気に私は感動した。


 棚橋はどちらかと言えば、ファンから信頼されていなかった。少なくとも私は好きではなかった。
 小手先のテクニックで試合を作る技術はインサイドワークとして昇華されていなければ、これほど見ていてつまらないものはない。若い日の棚橋はマッチョボディでそれをやっていたためにギャップがありすぎてつまらなかった。
 それが永田や中邑との抗争の中で「体を張るプロレス」を体現するようになってきた。

 ハイフライフローがそれを具現化している技だ。

 要はダイビングボディープレスだが、重量級とは言えない棚橋の「ただあれだけの技」があれだけの破壊力を持つのは、他のレスラーよりも早く、正確に、そして膝などで衝撃を逃すことなく体をまっすぐに相手にぶつけるからだ。 
 
 棚橋はいつしか信頼できるレスラーになった。

 試合はそんな信頼のおける棚橋と、ガムシャラな中西とが「どっちが先輩だよ?」的なプロレスを展開して、中西が勝った。
 今回、中西が勝って王者となったが、タイトルマッチまで時間が少なくて考える時間が少なかったのが何よりの勝因だと思う。
 時間を掛けていろんなシュミレーションをして、中途半端な新技を投入して・・・とかやってると、中西の魅力は出てこない。本能のままに腕振り回して、足踏み鳴らして、担いで投げて、叩きつけててば自然に勝つ。

 だって、それが中西なんだから。


 中西が勝って、自分が勝ったことを飲みこめないで茫然としてた時に永田が歓喜の表情でリングに飛び込んできて中西に抱きついた。
 なんだかそれが凄く感動的で、凄くうれしくて、私もちょっと泣いた。


 未完の大器。
 中西はそれで良いと思う。チャンピオンベルトごときに収まらない中西であって欲しいと、ベルトを獲った今だからこそ、それを声を大にして言える。
 

 嗚呼、嗚呼、特大☆中西。
 そして、ゴールデンウィークのプロレスファンは暗い気持ちもぶっ飛んで、ハッピーな気分で連休明けを迎えたのでありました。

 ほぼ一か月遅れでそれを見て、これを書いている私は今まさにハッピーな気分で週明けを迎えたのでありました。良かった良かった。


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