フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2009/02/28 Sat  16:16:03» E d i t
 » 悪循環加速で不景気 
 複数の大手小売業(スーパーマーケット)チェーンが商品の値下げを宣言しました。

 消費の冷え込みは著しく、彼らの業績の落ち込みもまた著しいのですね。
 苦しくなればワラをも掴みたくもなろう気持ちも良く分かります。

 ところが、値下げしようとも彼等自身は痛くも痒くもないのですね。


 商品を製造するメーカーから仕入れる値段を叩くんです。


 
 元々、安く売るには安い理由があったのです。
 「大量に買うから安くして。」
 「質落としても良いから、この売値に合わせて作って。」
 「ハネ品で良いから、キレイに見せるようにして。」
 そういう暗黙の了解で、大きな売り場と品揃えで集客して安くモノを売ることができる仕組みが大型小売店の仕組みでした。

 
 ところが、大型小売店の進出によって各地の商店街にあった魚屋さんとか肉屋さんのような地域の小売店が駆逐されました。
 

 製造メーカーや問屋さんは、商品を売ってくれる得意先を次々と失いそれに取って代わるように大型小売店が売り先になって行かざるを得ない状態になりました。他に売り先が無くなっていく中で製造を縮小・停止は雇用不安を招くという理由から回避したいというメーカーにとって、大型小売店は次の世代への光明でもありました。
 
 やがてメーカー、問屋は大型小売店詣でを開始します。
 「このくらい製造しているんですけど、売って頂けないでしょうか?」
 暗黙の了解はここに終焉を迎えます。


 それまで守られてきた暗黙の了解を「価格破壊」の名の下に反故にした D という大手小売店は、破竹の勢いで全国展開を終了し、やがて弾けるように破綻しました。

 D社 はたくさんの製造メーカーを潰しました。
 原価(何かを製造する時にどうしても掛かる必要なお金の合計。これに利益を足して価格を決定する)を無視した仕入れと、「御社の製品を○×万パック、ウチの棚に並べて売ってあげるから、売上の%かの見返りを」という、後に「バイイング・パワー(買い手の権力)」と呼ばれる権力を使ってメーカーから搾取し、踏み潰し、その“悪魔の顔”は一切お客さんには見せずに「価格破壊」を続けました。やがて雨後の竹の子のように躍進してきた同業他社にお抱えメーカーを奪われ、仕入れが困難になりながらも、もはやお客さんに向けた“天使の顔”低価格路線から撤退できずに行き先を失うという末路でした。

 
 消費者にしてみれば、製造メーカーが潰れる事など大した問題では無いように感じます。大型小売店は代わりのメーカーを探すでしょうし、棚には何事も無かったかのように別のメーカーの商品が翌日から並ぶだけです。


 しかし、そこで働いていた方々が100人なら100人、300人なら300人、全ての方々が生活の糧を失い、さらにそれぞれの家庭にまで思いを致すと一体どれほど多くの人たちに対して傷跡を残しているのかが容易に想像できると思います。 


 現在生き残っている大型小売店は、すべからくこの「バイイング・パワー」を使ってゲーム感覚で経営をしていると言っても語弊はないでしょう。D社 という暴君が権勢を振るって凋落した後ですから、後発の同業者はそこまで行かない程度にどの程度手綱を緩めてメーカーと付き合えば良いかを計算できるようになっています。活かさず殺さずというラインをしっかり掴んで。

 メーカーおよび問屋側もその仕組みを「当たり前のこと」として受け入れてしまっています。実際に商売の第一線に立っている世代が交代してしまうと、そういう歴史や変遷を経た事さえも忘れて同じような事が繰り返されて、それが当たり前のこととして定着してしまうのも抗し難い現実です。


 なので今、紙面をにぎわす大型小売店の値下げ実行も、自分たちの利幅を下げる努力よりも先に仕入れを叩くことを実行するでしょう。


 安心・安全と安定供給・低価格は共存しません。
 これは断言できます。

 

 大型小売店は便利ですよね。
 駐車場も広いし、一度で何でも揃って、キレイで広々として明るくて、何より安い。
 でも、その裏側にはそんな事情もあるわけで、値下げが手放しで喜べるような「善」ではないのだということを訴えたかったわけなのです。

 
 
  
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2009/02/27 Fri  00:02:07» E d i t
 » キッサキ 
 

キッサキ・(切っ先・鋒)・・・刃物などの先端。


 
 澄んだ心は時として
 むき出しの刃となって
 
 残酷なほどに冷徹に
 貫くように突き刺さる
 

刃



 青空の心を持ったあの人の
 言葉は時に

 痛く眩しく突き刺さる



石造り倉庫とツララ


 アナタが空けたその穴を
 
 冷たい風が吹き抜けた
 心の中を吹き抜けた

 腐りかけてた心に沁みた

 痛み走って気がついた
 まだ生きているボクの夢 


 澄んだ心は時として
 刃のように突き刺さる

 痛みを超えたその先に
 辿り着くのを呼ぶように




 でっかいツララを真下から撮影したのです。
 おっかねがったぁ~

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2009/02/25 Wed  17:35:23» E d i t
 » ファン太郎は愉快な仲間 
 朝青龍を見ていると、橋本真也を思い出す。

 笑ったり泣いたり、イタズラしたり、傲慢だったり弱音を吐いたり、強くて弱い人間臭さが良い。

 ファン太郎のCMが好きだ。
 
 モンゴルから来た13歳の中学1年生ファン太郎が慣れない日本の学校生活に溶け込んで行く(のか?)ストーリーのCM。
 
 私はもっぱらコーラ&カルピス派なのでファンタは飲まないけど。
 ウチの子供たちも相撲を見て朝青龍が登場すると「ファン太郎!がんばれー」とか応援してるし、大きく振りかぶって回しを「フウゥッ!!」と叩く得意のポーズも「ファン太郎の真似ぇ~」とか言って真似してるし。

 興味なかった子供たちが相撲をちょこっと見るキッカケ作ってる。
 

 ま、何と言うか後先考えないというか、考えるんだけど面倒臭くなって「え~い、なるようになるさー!やっちまえ~!」になるというのか、復活場所に臨みながらファン太郎のCM出演して、復活優勝して、みんなを幸せにして、何かやってまたぶっ叩かれて。

 


 橋本真也が生きていたら朝青龍と親友だっただろうなぁ。


 ファン太郎が廊下で不良の先輩に絡まれるシーンで「いいスね。メシ、行きますか」と答える笑顔を見て、すごく橋本を思い出したのでした。
 一向にファンタを飲もうという気は起きないけれど、面白いCMだなぁ。
2009/02/24 Tue  06:51:16» E d i t
 » 伝えるのが仕事だろー! 
 日本テレビが、プロレス中継の終了を決定したのだそうだ。
 →プロレス中継を終了=55年の歴史に幕-日本テレビ(yahoo!ニュース)

 「面白いものならきっと伝わる。」
 プロレスラーはそう信じて、リングの上でドラマを魅せる。
 
 ところがどうだろう。

 日テレはそれを伝えているだろうか?

 
 かつてプロレスがゴールデンタイムから深夜に時間帯が移された時、番組は必死でゴールデンタイム復帰を目指した。プロレス関係の雑誌もそれを後押しした。それが叶わず、今度は1時間枠を30分枠に減らされて、しかも試合の途中にCMが入るというタブーまで犯されるようになった。その頃にはまだ、番組スタッフの懸命さが伝わってきた。
 アナウンサーが1時間枠への復帰を訴えるような場面も見られた。
 
 ところが、今の 「NOAH中継」 からは作り手の情熱が伝わってこない。

 「プロレスの人気が低迷して、深夜枠ということもあって視聴率が取れないから」

 私は、多分、それは違うと思う。
 視聴率というのは、これだけ録画媒体が普及した現代にあっては参考数字にはならないのではないか?深夜の時間帯にリアルタイムで何かを見ている人自体が少ない中で「率=割合」なんてのは出せるのか?という問題があるだろうし、例えばそれをビデオ録画していたとしたらそれは「率」に入らないのだろう。

 深夜枠に移って、三沢の鶴田越えの時だって、全日本の四天王時代だって、深夜に起きていないであろう年代の人たちの話題になれるほどの影響力を保持していた。
 それは、福澤“ジャストミート”朗 を看板に、プロレスを盛り上げようという気概が番組から伝わってきたではないか。「プ・プ・プ・プロレスニュース」の軽いノリには賛否両論あるだろうけれども、予算の少ない番組作りでアイデアを出してその業界を盛り上げようとしたら、そういう手作り感で勝負する以外にないだろうし間違いなくあの時代の番組づくりの情熱は、四天王時代を側面から援護射撃していたと思う。

 今は、ただプロレスの試合を流すだけ。

 これじゃリングで闘っているのが誰なんだか初心者には一向に分からない。
 プロレスファンが勝手に見ればいいだろ?くらいのシケた番組になってしまっている。

 プロレスの魅力が落ちているのではなくて、伝え方に情熱が足りないのだ。

 アナウンサーも「仕事だから仕方なくやってます」的な勉強不足丸出しだし。しかも「予算もついてないから、取材も行きません」という感じで技の名前も出て来ないし、選手の背負ってきた歴史や試合の経緯も織り交ぜられない。こんなんじゃ野球中継やってもダメだろうし、要するに話のタイミングと流れの良い説明ができないんだからバラエティーもできないだろう。



 一方、プロレス側も自分たちの番組をチェックするべきだ。
 自分たちのリング上での情熱が、テレビ中継というフィルターを通した時に情熱の相乗効果を生み出しているか、あるいは半減させてしまっているか、チェックして共に改善すべき「だった」。もう、過去形なんだけどね。

 番組スタッフをチャンコに誘ったり練習させてあげたりして、スタッフ全員が「プロレス」というモノに真剣に向き合うように、アイデアを出し合って番組づくりをして行けるようにそういう風に仕組むべきだった。

  
 K-1だって、総合格闘技だって、確かに金も掛かっているけどそれよりも見やすくて分かりやすい中継を心掛けている。女性ファンも入って来やすいように女性のイメージキャラクターを何年もかけて定着させたりの工夫がある。(藤原紀香サンの場合は元来が格闘技ファンだってのもあってすごく分かりやすくて、そこらの解説者よりもよっぽど気が利いていて、彼女ひとりを巻き込んだだけでK-1のステージは大きく上がった・・・一方、新日本プロレスは「乙葉」をイメージキャラクターとしていた時期があるが、大失敗だった。話の「間」も、イメージも合わないし・・・)

 掛けられる予算が少なくてもプロレスに対する情熱があれば、いや、少なくとも自分が任せられている番組に対する情熱があれば、こんなに素晴らしいプロレスを展開しているNOAHをあれだけつまらなく中継することは無かったはずだ。

 昨秋にプロレス中継打ち切りを検討しているというニュースが流れた時には、プロレスファンの私はショックしかなかったが、それ以降、「プロレス自体は熱い戦いが続いているのに、なぜプロレス中継の人気が落ちたのか」を考えながら見ていたら、こんな辛辣な意見になった。


 徳光だって、福澤だって、古館だって、みんなプロレス中継から出たんだぞ!
 見ろ!彼らの活躍を!!
 
 それは情熱という資質を持っていたからに他ならないんだぞ!

 世間を楽しませるのも、熱くさせるのも、番組の作り方次第なんだぞ!!
 プロレスだけに限ったことじゃない。ニュースひとつでも、バラエティーひとつでも真剣に作ってくれよ。真剣に自分の仕事と向き合ってくれよ。

 伝えるのが、仕事だろ?
2009/02/20 Fri  00:06:03» E d i t
 » 摂理無残 
無残

 無残 無残

 春 満開の笑顔咲く 桜の木

 見慣れぬ色の渡り鳥が

 新芽をついばみ飛び去った

無残2

 北街角に春を告げるはずだった

 小さな花芽が雪路に浮かぶ

 渡り鳥にしてみれば

 寒さを凌ぐ糧だから

 命をつなぐ糧だから

無残

 小さな花芽が転がった

 白い雪路に転がった

 「摂理」

 そんな言葉が浮かんで消えた

 咲くことの無い花を残して

 浮かんで消えた

 春はまだかと降る雪を睨んだ
 

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2009/02/19 Thu  17:22:40» E d i t
 » 荒唐無稽 
 荒唐無稽(こうとうむけい)

 

[名・形動]言動に根拠がなく、現実味のないこと。また、そのさま。「―な小説」 大辞泉より





 最近のドラマとか、ヒーロー物とか、アニメとか、何かこう小奇麗でこじんまりした印象を受けるのは妙なツジツマ合わせをして、視聴者を納得させたがるからなんじゃないかな?とか思う。
 私たちが子供の頃に見てたドラマもアニメも、荒唐無稽そのものだった。だから、面白かった。
 


 その点、我が国の政治家の一部(一部だよね。一部にとどめておいてね。たのむから)の面々は天然で荒唐無稽で、呆れるほどに視聴率を取れてしまう。
 いつから政治は演劇になったのだろう。そして、それに慣れてしまったのだろう。
 作ったキャラ、あるいは見ている側に求められているキャラを演じてる人間がヒーローのように扱われている現実は、危ない。

 雄々しく叫ぶ人間が正論を語っているとは限らない。
 
 上に立つはずの人間達が頼りにならないから首をすげ替えられるのを待っている我々は、政治をテレビの中の絵空事くらいに思ってしまっている。
  
 
   
 創作と現実があべこべになってるなぁ。

 本当に何かを変えて行ける力を持っているのは、自分たちなんだと思うんだけどな。
2009/02/18 Wed  17:43:08» E d i t
 » 音を楽しめるバンド 
 中学生だった私がラジオに耳を傾けて流行曲をむさぼるように聞き始めたのは、多分、友達とそういう話をするって言うよりも、女子がそういう話をしているのに入っていきたかっただったような思い出がある。

 その頃に私が覚えたバンドで、後になってアルバムを聞くようになり、今に至るまで何度でも聞き直すたびに新鮮な感動・・・というか気持ち良くなるような強烈な個性を持ったバンドが二組ある。

 ユニコーン と バービーボーイズ

 ユニコーンは、いつも笑ってるイメージのバンド。楽しそうな歌を楽しそうに演奏して、歌ってるバンド。
 私は、最初のウチはハウンド・ドッグやブルーハーツみたいにクソ真面目に世間に楯突いてみたり、BOΦWYみたくカッコ良くてクールな恋愛感を歌うのが日本のロックだと思っていたから、「なんじゃ?このデタラメなバンドは?」という意味での強烈なインパクトを受けたのだ。

 まだサザンオールスターズもそんなに詳しくなかったし、いわゆるコミックソングと呼ばれるものにも免疫が無かった頃だったのでなおさらそう感じたのだろう。

 ただ、これが解散の時に出したベストアルバムを買って聞いたら、すごく良い。

 何が良いかって、個々の演奏のレベルが高くてさらに遊び心が随所に出てきて、歌詞も硬軟織り交ぜて、カッコつけてもキマらないフツーの男の生活やら感じてる事やらが歌になっちゃってる。「働く男」とかを今聞けば、めちゃくちゃ沁みてくる。
 楽器それぞれの演奏レベルが高い所でそれをやられると、思わず笑っちゃう。
 演奏が下手なのを誤魔化すためにノリや勢いで持って行くようなバンドとは、やはりどっか何か違う。

 ボーカルなんて決まった人がやるもんだという聞く側の勝手な思い込みも覆したし、とにかくデタラメで楽しくて、自由で新しい。それが何年経っても聞くたびに味わいを増して、楽しさがこみ上げてくる。

 たくさん名曲・迷曲はあって、どれもこれも独自の味が出て大好きなのだが、べストの中に入ってた「自転車泥棒」という歌が特に好きだ。
 夏の暑い日のも~ったりとした感じが曲に表れていて「こんなのドコがいーの?」と、誰しもに言われるが、好きなんだからしょうがない。


 
 もう一組、音を自由に操るかのごとくバブリーな80年代を歌で表現していたのがバービーボーイズで、中学の時に流行った「目を閉じておいでよ」は当時、歌詞の意味も分からずに弟と大熱唱していたのを思い出す。

 今じゃなかなか歌えないよ・・・?

 誰もが抱く 都会 のイメージをまとったバンドだった。

 男女ツインボーカルで、二人の個々のボーカル力が絡み合ってその力が何倍にもなった上に、それに負けないだけの技量でトリッキーな音楽が溶け込んで、歌の物語が眼前に展開する。

 両バンドに共通するのが「音とじゃれあって遊んでいる」印象を受けることだ。

 他のバンドは、歌詞に音楽がついて行けなかったり、音楽が走りすぎてボーカルが置いて行かれたりというバランスが崩れてて、その崩れたバランスの危うさがウケているような部分があるんだと思うがユニコーンは独自の感性で音楽と遊び、バービーは洒落たセンスで選び抜いた音楽と踊っているような感じだ。そのどちらも、音を楽しむというレベルに達していなければ出せない雰囲気だと思う。


 バービーも名曲ぞろいだが私が大好きなのが「三日月の憂鬱」のイントロだ。   


 なんだか、この両バンドが復活したらしい。
 ライブツアーしちゃうって!

 行きてぇ~。
2009/02/17 Tue  06:40:22» E d i t
 » 気がつけば夢の途中③ 
 「僕、すごく不安なんですよ。」

 私より一回り年下の趣味のラグビーの後輩が、専門学校を出て社会に出る事になった。 




 私の今回のこの文章にはここまで決定的に欠けている視点がある。
 12年前の自分が気付かなかったし、意識していたとしても軽くしかしていなかったから敢えてその部分に触れずに書いてきたのだ。

 それは、親への報恩という視点。
 あるいは、身の回りの全ての人たちへの感謝という視点。

 私は、今でこそ恩に報いることや、抱えきれない幸福を周囲に分け回すということを意識しながら生きているが、若い時分には自分のことばかりで手いっぱいだったというのが偽らざる現実だ。その自分のことでさえもよく分かっていなかったというのが真実だ。

 これを ガキ と呼ぶのだろう。
 それ以外に呼び名が見つからない。



 
 金髪のロン毛を後ろで束ねたその後輩の、鼻と耳のピアスが居酒屋の照明を凝縮して弾いた。


 私は耳を疑った。

 
 「僕は、ずっと親に迷惑かけてばかりでした。いや、ケンカしたとかそういうことじゃないです。高校もずっとラグビー続けてて、お金ばっかりかかって。専門学校にも行かせてもらって、(遠隔地から出てきているので)一人暮らしまでさせてもらって。」

 その後輩はラグビーではちょっと名の通った大学から引き抜きが来るほどラガーマンとしての資質に恵まれた中で、自分自身が天狗になってしまうことを酷く恐れていたと告白した。
 天狗になって、世の中が見えなくなって親や仲間が自分から離れて行くのが凄く怖いことなんだと言った。

 「僕は、この(専門学校で身につけた技能の)世界でのし上がって、親にお返しするんです。僕と仲間だってことをみんなに誇りに思ってもらえるように、頑張ります。僕もみんなを誇りに思います。挫けそうになったら、泣きを入れるんでその時は応援してください。」



 誇らしいと思った。
 感動した。
 こういうヤツと知り合えて、本当に良かったと思った。
 自分が30過ぎてやっと実感したことを、20そこそこのヤツが言葉にしてるんだから。

 後輩が言ったことで改めて自分を省みるキッカケにもなったし、この「気がつけば夢の途中」は彼の真っ直ぐな気持ちに対する現時点での私なりの答えだ。

 これからもずっと大切にしたい縁だ。


 その後輩が私に言った。

 「丸さんたちのように仕事もされて、家族もいてっていう、そういうのを普通だよって顔でやっていること自体が僕にとっての憧れなんですよ。今は、僕はまだ社会にも出ていなくて一人モンですから、バカやってても許される。僕たちの世代なんて全然分かってないヤツばっかりなんですよ。ずっとバカやってても社会が許してくれると思ってる。こんな事言っても、通用しないですもん。」


 ・・・そりゃそうだろう。それ、私たちの世代でも分かんない人は分かんないよ。

 社会の一員として、認められる存在に憧れるんだよな。
 でも、焦んなくても良いと思う。人はそれぞれ、だから咲き方だってそれぞれ。パッと咲いて散るヤツもいれば、遅く咲いて長持ちするヤツもいる。もちろん、早く咲いてずっと咲いてるヤツもいる。多くの人の目に届かない場所でこっそりと、しかし、誰かの胸に焼きつくように咲いている花だってある。 



 いずれにしても、自分の花を咲かせるのは自分だと思うけれど、咲かせてくれるのは周囲だと思う。
 

 親は土壌、仲間は栄養、陽射しがあって、水がある。
 その全てに感謝することをその若さで気付いているオマエならば、大輪を咲かせられると確信できる。だから、頑張ろうな。
 俺も、オマエが誇れるような先輩でありたいと心から思ったよ。 

 



 「気がつけば夢の途中」

 大学出たってガキのままだった私が、周囲に支えられて一端の生活を送ってて、それを今度は「憧れ」だと言ってくれる後輩が現れて、そいつの心に何がしかの色をきっと私は落としたのだろう。
 俺が落とした色は、オマエの中にあるたくさんの色と混ぜ合わせて、他の誰のものでもないオマエだけの色を作り出せばいい。

 俺もそうして 俺色 をこれからも作っていくよ。
 

 今も、よく分からないままの遮二無二だけど目指すものはあの頃よりもずっと明確で、鮮明で、私は何度も転びながら痛さで立ち止まって、しばらく止まって、引き返して、何度も立ち上がって、何度も何度もたくさんの誰かに助けられながら、支えられながら歩いてきた。傷だらけ。だけど、ちゃんとカサブタになるし跡は残って教訓として生きているけど、この先を歩む上で支障になるような傷はない。

 みんなそうして大きな循環の中で生きて行くんだと思う。

 私は、後輩に言われて気がついた。
 「憧れ」と呼ばれる存在になっていたんだな。
 気がつけば、夢の途中。


 さぁ、一緒に歩いて行こう。




 希望よりも不安が圧倒的に多い今の時代。人生の新たな道を歩み出そうとする若者達に、いつか何かが少しでも伝わるならば、こんなに嬉しいことはない。

  
2009/02/15 Sun  07:22:40» E d i t
 昨日 バラ を思い出しましたので、ここで緊急クイズです。


 
 小学生高学年の頃、友人宅で遊んでいた時のことです。
 
 彼の母親が「ちょっと おつかい 行って来て~」と、友人にお金と手提げ袋を渡しました。

 「メモが袋に入ってるから、たのむね~」



 スーパーに到着し、友人が手提げ袋から乱雑に折られたメモを取り出して開くと・・・




   「バラ」




 という二文字が。


 

 夕飯の支度の買い物客がたくさんいたスーパーで、私たちは顔を見合わせて大爆笑しました。






  「バラ」








 さて、問題です。
 友人の母親は、何を買って来いという指示を私たちに与えたのでしょうか?



 私たちはそれを解決しました。



 ちなみにスーパーに花は売っていません。





  答えは明日の朝刊(笑)で。

2009/02/14 Sat  06:35:26» E d i t
 » 気がつけば夢の途中② 
私はそんなところから出発したのだ。

 何にもない。
 夢も、理想もない。
 世の中も分からない。
 右も左も分からない。

 でも、分かったつもりになってる。先に得るものがぶら下がってないと動こうともしない。

 そんなところから出発したのだ。





 だから、夢を見ているヤツらを憎んだことがある。
 だから、必死で生きているヤツらを笑ったことがある。

 一体、こんな自分に何の権利があるっていうんだ。
 こんな何もしていない、何もできない何者でもない自分が彼らを憎んだり笑ったり、そしてその結果、自分が苦しくて惨めになって、どうして良いか分からなくて。

 そんな時期を過ごした。

 「そんなカッコ悪い人間じゃない」と自分では思っていたのに、鏡の前に立っていた自分は最悪の自分だった。

 夢を見ているヤツらが羨ましかった。
 必死で生きているヤツらと打ち解けたかった。


 モラトリアムというあやふやな時間は、社会の余裕から生まれた「インキュベーター(孵化機)」だったのかもしれない。私にとっては少なくともそうだったように感じられる。甘やかされてそれでも許される時間が、私を変えたということだ。

 私は、そうして弱い自分に打ちのめされてはいたが、葛藤しながらでも仕事は続いた。それは、仕事というよりも「作業」と呼んだ方がしっくりくるようなものではあったし、それをしている間は余計なことを考えずに済んだから、ある意味幸せな時間とも思えた。
 「大学を出てまでするような仕事じゃないだろう?」世間の目がそう、私を見ているように感じた。
 自意識過剰。だから、もう、仕事で会う人以外の誰とも会いたくなかった。会わなかった。


 次から次へと作業を覚えて、それを順序良く系統立てて組み立てる。 
 時間を効率良く使うには、人間がどう動くべきか、そう動いてもらうには自分は何をするべきか、普段から何を心掛けて行くべきか、どういう段取りをすれば動きやすくなるか・・・

 とにかく、作業をしながらも考えた。
 

 私が学校で教えられてきた「正解をみつけること」よりもずっと大事な事を、このころ無意識に見つけ出していたのだと思う。はっきりと分かったワケではないけれども、自分が動くことで、頭を下げることで、何かを動かして行けるという経験をした。
 当然だが、そうそう上手く行くモンじゃないから、損も出したし、貴重な人材に見限られたし、怒鳴り散らしたし、相手を選ばずにしてはいけない話をしてしまったり、失敗品の在庫と共に頭を抱えたりしまくった。なんでこう上手く行かないもんだろうと、落ち込むことも多々。その都度、自分に都合良く「これも勉強だ~」って、言い訳をしながら立ち上がってきた。


 傷だらけだ。でも、その傷は塞がる傷だ。
 立ってる。動いてる。動かして行ける。
 立ち上がれ、歩き出せ。


 これは何物にも変えがたい経験だった。
 動かせるのであれば、至りたい未来を描き出せば良い。
 そこに至る道を探せば良い。
 どうしたら、その道を進めるのか考えれば良い。

 道を見つけるために視野を広げなければならない。
 進み方を思索するには、行ってみなければ分からない。
 けれど、ちょっと先に行った人たちの話を聞いてみれば大体の予想は立てられる。


 視野を広げる必要性が生まれたから、ちょっとした縁でも人付き合いを大切にするようになった。
 打ち解けるには自分のダメさ加減を徹底的に自分で笑い飛ばすくらいの腹の据え方をして、相手の共感を得るのが近道だと知った。そして、多くの人たちが誰にも言えないような葛藤を抱えていることに気付き始めた。


 なんだ。俺ひとりじゃないじゃん。

 
 社会に出た友人達がそれぞれの道を歩み出し、家庭を持つなり自分なりの生活をするなりして、それぞれの道で見つけたものを持ち寄って、その話題で酒を飲めるようになってから視野が広がる速度は何倍にもなった。
 ちょっとした縁が次の縁を呼んできて、上にも下にも世代を超えて私のチャンネルが増えて行くにつれて心苦しさから解放される自分が分かった。

 子供が生まれてその友達たちからその親たち、祖父のような年代の方々まで私を取り囲む人たちが一気に増えた。すべての縁が私にプラスなりマイナスなりの何かを残してくれるということに気付き始めた。
 いろんな人に話を聞くとそれぞれの見方で世の中が描かれ、そのどれもこれもが真実であり虚構であることに気付き始めた。そうして、少しずついろんな 色 が私の中で混ざり始め、

 きっと、今の私には 色 がある。





 「僕、すごく不安なんですよ。」

 私より一回り年下の後輩が、専門学校を出て社会に出る事になった。 
2009/02/13 Fri  00:01:00» E d i t
 » 100 
     なんと今回で「金曜ロマンチ」が100回目となりました!!


ゆきだるまん


 はじめの一歩があったから
 次の一歩がつながったから

 さっきの一歩があったから
 ここにいる君と出会えた
 軌跡が誰かに僕の存在を伝えた

 全ての一歩が物語を奏でて
 誰かの一歩と重なって
 共に響いて広がって

 全ての一歩がいとおしくて
 全ての一歩にありがとう




 そして次の一歩が奏でる物語に出会いに行こう

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2009/02/12 Thu  06:31:28» E d i t
 » 気がつけば夢の途中① 
 時間は無限かもしれないけれど、人間は有限だ。
 だから、お互いに相容れない。

 時間に振り回されないで、自分を生きるなんて無理だ。

 気がつけば、自分の一回り下の世代がすでに「社会」に出て行こうとしている。

 私たちの時は、団塊世代がバリバリだった頃で働き口の少ない・・・社会への入口が狭かった(ように感じられた)・・・「就職氷河期」でそれでも社会にまだ余裕があったからモラトリアムだとか自分探しという「一時的避難」が許されて、オンリーワンな自分を肯定しようとすることが大荒れになる直前の不穏な空気が漂う社会で生き抜く術だと多くの人が思っていた頃だった

 私達は「比較的ゆるい時代」に流されるままに生きて来た世代だ。

 今は世界同時不況で同じように就職難の時代。
 しかも、社会に余裕が無くなって軋んでいて避難場所が用意されていないから、いわば救助船も救命ボートも無い状態で荒れる海に投げ出されるようなものだ。今の社会が求めているのはオンリーワンだと開き直って自分の殻から出て来ない人間ではなくて、擦り傷が絶えないけれども逞しく人の世を渡り歩く生命力溢れる人間だ。
 誰かと競争してナンバーワンになれなかったとしても、少なくとも己の道で必死に手を伸ばし、何かを掴もうとする人間だ。
 生き甲斐はすでに誰かによって与えられる時代は終焉を向かえ、自らが作り出すしか残されていない状況だ。そうやって作り出した何かが真の意味でのオンリーワンなのだろう。それが他人や社会に認められるかどうかは別の問題だけれど。
 

 
 私が学生の終わりを迎える頃に、そういう事に気付いていただろうか?
 
 答えは明確だ。「NO」

 義務教育終了の中学卒業の頃に就職を考えるのは「学力的に進学できない奴」だと思い込んでいた。中学校と社会との接点は無さ過ぎる。まだ中学生は子供で社会に出るのは無理だという考えは今も残るだろう。教育自体が、中学卒業の時点での社会人を想定してないだろうし、確かに年齢的に運転免許も取れないし、社会の側も中学卒業の学力では厳しいという先入観を持っている。

 では、高校卒業の頃は?
 私は進学校と呼ばれる高校に行ったために、来る日も来る日も大学受験のための勉強が続けられて、それが楽しいとは思えずに完全に落ちこぼれた人間だ。だからと言ってこれといった夢も無い。突っ張るだけの思想も力もない。結局、大学に入ることが当面の目標だという場所にいるのだから、自分はその枠から外の世界も知らなかったし、流されるままに適当に勉強して大学に行った。
 同級生で高校卒で就職したヤツらがたくさん出てきた。
 社会では、高卒者くらいになると「育てやすい」という雰囲気になってくる。即戦力としてではなくて、育成期間を経て戦力に成長すれば良いというくらいの趣きで高校卒業を捉えている。ある意味、大学で4年間という何だか良く分からない余計な時間を過ごす前に、業界の色に染めてしまうのもひとつの手段だ。

 

 そして、大学卒業の頃は?
 結局、夢の実現のために勉強してきたワケじゃない、大学に入るための勉強・試験で点数を取るための勉強をしてきたツケが一気にここで出て来ることになる。
 私には、試される勇気が足りなかった。傷だらけになって自分という現実の小ささを突きつけられるのが怖かった。自分はきっと上手く行く」という楽観もなければ、それを裏付ける何も無かった。
 アルバイトは結構いろいろやったから、社会との接点はあったし彼らは私を仲間として手を伸ばしてくれたが、私はそれを握り返す自信が無かった。今なら「自信なんて後からついてくる。まずは手を握り返せ」と確信を持ってアドバイスできるのは、当時の自分がそれを握り返さなかった事に後悔しているからなのかもしれない。

 今でこそ「今の世の中が求めているのは擦り傷が絶えないけれども逞しく人の世を渡り歩く生命力溢れる人間だ。」なんて偉そうに書いているけれども、これは今だからこそ書けることで、大学卒業の頃の私こそが「今の社会が求めているのはオンリーワンだと開き直って自分の殻から出て来ない人間」そのものだった。
 

 私はそんなところから出発したのだ。

 何にもない。
 夢も、理想もない。
 世の中も分からない。
 右も左も分からない。

 でも、分かったつもりになってる。先に得るものがぶら下がってないと動こうともしない。

 そんなところから出発したのだ。

 高卒で就職した仲間たちは各々その業界に馴染んでいて、すでに社会の一員として認められていた。この「認められていた」を私はきっと欲していたのだろう。
 夢を追って専門学校に行き、夢を追いかけて行った仲間たちも社会に出て荒波に揉まれ始めていたが理想を追いかけているから、苦労話でも瞳は輝いていた。この「瞳を輝かせるほどの夢」を私はきっと欲していたのだろう。

 気がつけばそんなものさえも持っていなかった裸の王様。

 大学卒業というだけで、周りから良い目で見られる。
 常識なんか分かってないし、かと言ってコレと言った挑戦もしなかったから別に大ヤケドの経験も、そこから学んだ教訓も持ってないし。そんなバカなのにって言えば言うほど、謙遜だと取られる。

 もともと見失うだけの自分なんて持っていなかったんだけれど、「自分」というものが「それまで積み重ねてきたたくさんのこと や そこから導き出されるたくさんのこと」だとするのであれば多分、一回、ジレンマの中で死んでしまった。

 茫然自失。もう、どこにも自分が見当たらない。


 その、「自分」の 最初の死 こそが、傷だらけの今の私のスタート地点だったのだろう。 
 
2009/02/09 Mon  06:22:06» E d i t
「わが町」応募作品②

「わが町」応募作品①


 2枚組の作品です!

タイトル: 町ノ息吹
応募部門: 「わが町」部門
撮影者: フクフク丸with相棒Lumix
撮影機材: Panasonic Lumix DMC-LX1       
撮影日: 2008年11月~12月
被写体の情報: ①山の冷え具合を如実に示す赤い実
           ②漁港の「けあらし(湯気)」。水面から熱が奪われて行く様子。


コメント: 山と海がある北国の町です。

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 すぐそこにありすぎて、毎日そこで過ごすから自分では「特別なもの」として認識できない。
 それが「わが町」というテーマの難しさだと思います。
 でも、見渡せば自分を取り囲む全てのものが「わが町」なんですよね。
 
 また性懲りも無くフォトコンテストに参加です!
 投票が始まったら、応援よろしくお願いしますね

テーマ:自然の写真 - ジャンル:写真

2009/02/06 Fri  06:45:03» E d i t
 » ブラックホールと氷の鳥 
 光さえも我が身に引き寄せる闇
 ブラックホールは燃え尽きた孤独な星の
 最後のココロ

 全てを強く惹き付けるそのココロは
 冷えきっているのだろうか


black hole

 
 それは冷たく尖る
 闇の世界から生まれた

 鋭く凝縮された刃が
 光を浴びた時
 

明け方の窓


 
 それは魂を得て
 羽ばたきを始めたのだった



氷の鳥


 氷の鳥




 氷点下7~8℃以下になると、窓に出現する確率が高い。
 「結露」というヤツです。室内の水蒸気が外気の急激な低下によって冷やされて、窓に紋様が浮かびます。
 
 こんな日は、水道管の破裂も頻発します。
 そんな北国模様です。

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2009/02/04 Wed  18:50:25» E d i t
 スピード社会になって、トヨタ方式という無理・ムラ・無駄を徹底的に改善して行く(「無理をしない・無駄を出さない・ムラを作らない」それによって生産のコストダウンを図りましょうね!)という生産方式が流行してから数年が過ぎた。本当ならばトヨタの経営方針を盛り込んだ思想なのだらしいが、その「無理・無駄・ムラを省く」が一人歩きしてるような気がする。
  

 皮肉な事に無理・ムラ・無駄を徹底的に改善した結果、不測の事態に適切に対応するとなると労働力・・・いや、労働賃金を真っ先にカットせざるを得ないという状況に行き当たった。仕事を細分化させて熟練を要さないベルトコンベア式生産方式から人間性を取り戻すという名目で生まれたのであろうトヨタ方式は人を育てるシステムではなくて、企業に都合の良いシステムに人を当てはめて行くのに適した方法論だと私は思い続けてきた。
 実に没個人的で、つまらない世界を目指すものだと。
  
 しかし私個人の感想とはうらはらに、どこに行ってもこのシステムは礼賛されて、そのシステムの下で働いている人たちは誰も彼もイキイキと働いているのだと随分と宣伝されていた。新聞も雑誌も、あるいは知り合いの生産に関わる事業主さんたちも、目を輝かせてそれを私に伝えてくれた。
 おかげさまで私の本棚には、トヨタ方式について書かれた本が数冊並んでいる。

 折からの不景気で企業が求めていたのは確かに効率性だったし、そういう点ではトヨタ方式は時代にマッチしていたに違いない。「弊社でも導入したら、生産効率が●%上昇したよ。すげえだろ!」とかで抑えてくれればそれで良かったものの、いかにも「俺のトコでやってみてこれだけ効果が現れてんだから、オマエんトコでもやってみろよ」という感じで取引先が洗脳されて行き、私のところまで迫ってくるあの感覚が不気味だった。
 

 (この文章を書き終えて敢えてここに追記するが、私が感じていた不気味さは トヨタ方式 の真意をとらえずに、効率化のシステムだけを導入しようとした私の身の回りや新聞記事で読んだ企業や人たちの 「システムとして機能しきれていないトヨタ方式もどき」 に対するものだったのだろう。以下、トヨタ方式について誤解を含んだままの文章を展開するがご了承願いたい)


 トヨタ方式が「ある程度余裕のあった時代」を終わらせて「あそびの無い窮屈な時代」の象徴としての側面を持っているということを、数年前の私は言葉としては気付かなかったが感覚としてぼんやり感じていたのだと思う。 

 私のブログの右側にくっついてるブログパーツ「地球の名言」の中で時々、こんな言葉が出てくる。


  ムリが可能性を伸ばす。

  ムラが刺激を与える。

  ムダが豊かさを与える。

     中谷 彰宏(なかたに あきひろ)
 


 
 この言葉がブログパーツに表示された時、まさに「我が意を得たり」という感覚になった。

 「時代は、自ら窮屈な方向に自分たち自身を追い込んで行ったのだ」という言葉としてまとまることのなかった私の感覚は、私ひとりが感じていたことではないらしい。
 



 先日、仕事でこんなことがあった。

 それは土曜日の夜だった。携帯電話に本州の取引先のお得意さんから電話が来た。
 「今、相手先から連絡来たんだけど、これから荷物出せるかい?」
 時計を見れば夕方6時。
 
 「土曜日は平日」な私たちの業界だが、さすがに夕方6時はともなれば常識の範囲外だ。

 「相手先に突然言われてさ、何とかなんないかなと思って電話してんだけど」

 我が社の荷物は倉庫会社に預けていて、その倉庫は土曜日の営業は夕方4時半までだ。
 さらに、本州行きのトラック便が倉庫に集荷に来る時間は午後2~3時。
 事情を説明する。

 「ん~、誰か倉庫に残ってないかな。宅急便とかで何とかなんないかい?」

 近すぎだ。
 距離が近すぎる。不快だ。携帯電話を叩き壊したくなった。
 いくらお得意さんだと言っても、お互いの都合無視はご法度だ。

 「できることは努力しますけれど、できないことはあります。申し訳ありませんが、今回は無理です。月曜日発送が最速になります。」

 お得意さんはイラついたような悲しそうな声で「そうか~、月曜日ねぇ」とブツブツつぶやきながら電話を切った。

 さてそれをされて、電話の向こうの相手はどう思うだろう?
 その配慮が著しく欠けている。
 これがトヨタ方式を私に勧めた人たち内のひとりの姿だ。ひとりをあげつらって全体を非難することはできないだろうけれども、あまりにも身近な例だ。


 過剰在庫という無駄を省く為に余裕を持って仕入れしなかったために相手先からつつかれ、追い込まれてから相手に責任をなすりつけるかのように無理な注文をし、土曜日の夜なのに自分も相手も私にもイライラが出る。その仕事の足並みの揃わなさをムラと呼ぶのではないか?
 
 お得意さんは、私から「土曜夕方発送は無理」という相手先に対する言い訳が欲しかったのだろう。得たりや応で相手先に「無理」を伝達したに違いない。お得意さんは中間業者だから、私の会社と先方の取引先との両者の事情を的確に理解しておく必要がある。それを知って無理を承知で私に電話してきたのだろうと推察される。また、そうでなければ「長年取り引きして来て、そこまでこちらの事が分からないのか?」という信用の問題にまで発展してしまう。


 では、土曜日の夕方に「遠隔地のメーカーの荷物をできるだけ早く欲しい」という要望を出すような、お得意さんの取引先担当者の非常識極まりない発想はどこから出てくるのか?
 これがトヨタ方式至上主義で、相手も当然自分達と同じような考え方に決まっているだろうから、断られるなんて夢にも思っていないタイプの人間なのだろう。あるいは、右も左も分からないような超新米で仕事の引継ぎが失敗している場合か。

 そのどちらかしか考えられない。


 無駄を省く為に過剰在庫を持ちたくないのは分かる。
 ところが、何が無理で何がムラなのかその担当者は気付いていない。おそらく、本人達は「土曜日も日曜日も俺たちは仕事なんだぞ。トラック便が走んないなら年中無休の宅急便があるだろ?どうしてそれを使わない?」くらいの物事の考え方をしているのだろう。邪推だが。相手あっての仕事なのだという根本的な部分が欠落している。

 携帯電話やメールがいくら発達しても、肝心なコミュニケーションが全く取れていないからこういうことになる。ツールがいくら発達しても、システムがいかに立派であろうともそれを使う人間同士の距離や見識が適切でなければ「無駄発生ツール・システム」そのものだということだ。「モノ」や「金」の行き交いだけがビジネスじゃなくて、人と人とが繋がる事が仕事なんじゃないの?

 
 立派な“それなりの”数字を帳面に残したいから無駄・無理・ムラを削った結果、磨り減ったのは世の中の暖かさや相手を思いやる気持ちだったりしないか?自分達の負う「リスク」を軽減させることで、どこか立場の弱い場所にその「リスク」を負わせていただけなんじゃないか?その「リスク」というババ抜きをキレイな言葉で言い換えたら「効率」になったんじゃないか?アンタらの信じているそのシステムが世の中全てを支配してるワケじゃあるまいよ。

 私はそんな見え透いたババ、引いてあげるほど親切じゃないよ。

 そちらから見れば「仕事オセーぞ!田舎モン」だとしても、全てのシステムを捻じ曲げてまで無理を押し付けてくる先と、気持ち良い取り引きなんて続けられるわけがないでしょ。
 最初の一回目だからこの嫌な気持ちも大目に見るけどね。
 

 ・・・ま、そうやって考えを整理すればトヨタ方式が悪いわけじゃないなぁ。不完全な形でその概要だけを分かった気になって実践してるつもりになってる企業やら人たちが作り上げてる「システムとして機能しきれていないトヨタ方式もどき」が悪いんだろうな。
 (→参考:トヨタ生産方式 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 私の気持ちとしては 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」 なワケで。
 くらえ!とばっちり!!みたいな。
2009/02/02 Mon  06:21:53» E d i t
 我が家にはテレビが一台しかない。

 まだ子供も小さいから、一台で十分だ。
 茶の間にみんなで集まって、ニュースでもアニメでも一緒に見る時間は何かいい。
 我が家にも行く行くはひとり一台の時も来るだろうけれども、今はこれでいい。

 そんな我が家のテレビは21型くらいのaiwaのテレビ。
 嫁さん。が結婚前から使っていたから、もう14~15年くらい使っている計算になる。もちろんアナログ対応だから、地デジが来る頃にはテレビも買い換えないといけないなと話していたある日のこと、突然画面が青みがかった。
 その時見ていた番組が、ちょうど回想シーンのような場面に切り替わる場面だったので演出上青い感じを出しているものだと思っていた。現にしばらくすると色は元通りに戻った。

 しかしそれから以降、明らかに何でもない場面で色調変化が起こるようになった。
 青みがかった画面から緑がかった画面、しばらく経つと元の色に戻って何事も無かったかのようにいつもどおりの色を映し出すのだが、日に日に青やら緑やらの時間が長くなって来ている。

 さすがにテレビの不調だな・・・と気付いて久しい。



 バン!バン!バン!


 
 色が変わるたびに、今日も我が家のテレビは叩かれている。
 

 もう、10年以上も数々の映像を映し出して、私たちが家族になる前から私たちの生活と共にあり、今でも家族をひとつどころに集め続ける役割を担っているaiwaのテレビは、嫁さん。に叩かれ、私に叩かれ、ついには ぴっこ(長女・6) や まるもい(長男・4) にも叩かれてやっとの思いで本来の色を取り戻す。テレビという家電の平均寿命なんて分からないけれども、確かな事は我が家のテレビはこのままだともうじき寿命を迎えるであろうという事だ。

 
 私はこの、迫力の大画面でもなければ薄くもなく、液晶でもプラズマでもないブラウン管のテレビに完全に愛着を持ってしまっている。だから、地デジなんて馬鹿げたものが無ければずっとこのテレビで十分だと思っているから新型のテレビになんて全然興味が無かった。


 それでも今週、新しいテレビが我が家にやって来る。


 私は、aiwaをちょっと分解して掃除してまだまだ 我が家の2台目 として使おうと画策している。
 地デジが映んなくたって、ゲームとかビデオとかに使えるもん。
 
 心配ないからね♪aiwa勝つ!
 
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