フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/12/31 Wed  11:37:01» E d i t
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 大掃除が模様替えになって、深夜というか早朝まで作業していた大晦日です。
 バカです。はい。
 
 うるう年なので、今年の366日目ですね。

 今日から明日になるだけなのに、いつもの感動と変わらないのにワクワクソワソワするのは、みんなが一斉にこの一日を年が切り替わる特別な日だと決めて、それを共有するから生まれる感覚なのでしょうね。

 共有できるって、凄いや。

 そういう嬉しい気持ち、ワクワクする気持ちをほんのちょっとでも共有できるブログでありたいと思っています。また、そうあり続けたいと思っています。昨日も今日も明日も。


 では、皆さん、良いお年を迎えることとしましょう。
 え?はい。私は迎えますよ。私のトコには毎年、良い年しか来ないんです(笑)。

 また、5日後辺りに・・・いや、「年明けに」って言えよ・・・お会いしましょう!

 
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2008/12/30 Tue  01:37:11» E d i t
 »  
 今年の夏、知り合いのおじさんトコの息子が自ら命を絶った。
 その息子と直接の面識はゼロだったが、年は私よりもちょっと若いくらいだったと知ってショックだった。

 やるせなさが体中に込み上げてきて、脱力感に襲われた。

 直接知らない人なのに、その後しばらくはそれが私の心に引っ掛かりながら心の中で炎症を起こしていた。いや、知り合いのおじさんの宙の一点を見据えたこわばった無表情から伝わってくる憔悴感がヒリヒリと胸を焼いたのかもしれない。
 その時の葬儀に来ていた同い年の友人とその話題について語る機会があった。彼もまた、私と同様に「知らないんだから何もできないのに、何もしてあげられなかった自分」をどこかで責めていた。考えても仕方ない事なのに考えたくもないのに考えてしまう。

 時間は残酷な物で、どの瞬間にも留まる事もできなければ戻ることもできない。先に進むしかないから、いや、進みたくなくても進んでいくからいつしかそんなことを考える事さえも忘れてしまう。人間は・・・私は・・・便利にできている。

 
 何がどうなってそうなったのかなんて、知らないし知りたくもない。ただただ無責任な噂話は野放図に数滴、どこかで垂れ流された後に勢いを増し、激流のように周囲を駆け巡ってあっという間に流れ去った。



 いろいろ考えた。
 自分の生き方でさえ疑問符つきまくりなのに、考えたって答えなんて出て来ない。何を考えているのかさえも分からなくなる。元来、そういう質面倒臭いものを忌避する私でも、不本意ながら考えずにはいられなかった。
 いろいろ考えた末に、自分の生き方の方向性くらいはハッキリ思い出してきた。子供の頃からそれはなんも変わんない。
  

 強く、やさしくなりてぇ・・・。それが答えだ。


 強いっていうのは、柔らかくて折れない心。踏まれたらその分したたかに根を深く張って捲土重来を期す力。しぶとさ。
 やさしくというのは、正面から物事を見据える目。物事を複眼的、立体的に捉える推察力に基づいて駄目な物を突き放す冷たさと真剣さを受け止める温かさを兼ね備える事。信じて待つこと。
 
 
 私は、せっかく生きてるんだから、時代とか景気とか世相とかの影響を受けずにいることは不可能だとしてもそういうものに左右されずに、自分がやりたいと思っていて、できると信じていることを、その時できる順番に、できる範囲でこなして行きたい。
 

 そりゃ、思うとおりになんて行かないことばっかりだ。
 ホント、イヤになる。
 自分の力量不足も腹立たしいから時には落ち込めば良い。でもそればっかり責めてたら自分が辛くなるから、何が足りないか分かったら今度はそこを強化してけばいいや。遠回りになるけど、それが目標への最短距離だし。人生かけて成長するなら遠回りくらいでちょうど良い。
 
 もっと自分を信じて、自分の成長を待って。

 それ以上は、「タイミングが悪かった」とか「時期尚早だった」とかどっかに責任転嫁しときゃ良い。
 背負って歩けなくなるくらいの荷物なら、誰かと分ければ良いんだし、誰ももらってくれなきゃ自分がいくら宝物だと思っててもそれはゴミなんだから処分してしまえばいい。 

 どんなにツライとぼやいて待ってもウルトラマンは助けに来てくれないし、どうやら笠をかぶせてあげても地蔵さんが恩返しにも来てくれないらしい。
 救われない、報われないよ。
 一生懸命やれば報われるって教えられてきたのに、やって来た事が報われない結果だってある。いや、世の中のほとんどの出来事がそれだ。成就しない祈願ばっかりだ。

 でもなんだよ。それくらい。
 だったら、求められた時に助けに行ける自分になればいいだろ。恩返しできる自分になればいいだろ。人の思いに報いることのできる人間になればいいだろ。

 私は私の人生を生きれば良い。
 



 しかし。
 私は、たまたまそう思えるだけの「人の輪」と「運」に恵まれただけのことだ。 
 実生活でもネットでも私の周りには明るくて前向きで、ひたむきで勇気ある人たちが多いから、思わず自分もそれにつられて今、それなりに強さとやさしさに向き合うことができている。その循環がみんなの気持ちを強くする。
 本当にありがたい。


 誰かに肯定されたい━━━。

 弱い自分が「強くなりたくて、やさしくなりたくて」虚勢を張っている。
 でもきっと、本当は誰もがそうなんだ。だから、私は敢えて言おう。
 虚勢だと自ら知って、何を恥じる事があろうか。カラ元気も元気だ!


 
 命は循環する。 
 こうして何かのきっかけがあって誰かの気持ちの中で何かが起こって、それが文章となってまた誰かの心に届く。それが波を起こして次の命に波紋を伝える。

 
 何かのきっかけでこの文章を読んだあなた。
 私と一緒に考えてくれませんか?自分の大切さを。
   

テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

2008/12/27 Sat  17:44:43» E d i t
 » ウルトラな母 
 A型人間であるということをやたらと得意げに思っている私の母親は、なかなかウルトラな母である。

 「ワタシ、15kgも太ったんですよ!」と、先日知り合いとため息混じりに話していたのを聞いていた。
 横から私が「母上、いつから計算してですか?」と聞いてみたならば



 「アンタ産む前、ワタシ41kgだったんだよ。」



 ・・・いつの話ですか?


 そんなウルトラな母が、一大決心。
 
 孫娘・ぴっこ(6) が 幼稚園でフラフープを習得して来て、さらに幼稚園でも1・2を争うほどの腕前
(というか、腰前)に成長を遂げたという噂を耳にし、さらにその素晴らしい美技を目の当たりにしたところ

 「ばあちゃんもね、昔、得意だったんだヨ!」と鼻息も荒く、ぴっこ のフラフープを取り上げてチャレンジ!

 だがしかし!荒い鼻息と自信に満ちた体の動きとはうらはらに、あわれフラフープは最初に回した回転の勢いが加速される事なくヘロヘロと母親の胴囲を数回転して床に落ちたのだった。




 ・・・そ・そ・そんな、バカな!?

 

 思っていることがそのまま表情に出てくるのがこのA型人間の面白いところで、昔から平静を装おうとするほど表情や態度に気持ちが出てきてしまう特技は他の追随を許さない。なぜその面白さが息子達(私たちのこと)に遺伝しなかったのか残念でならない。
 しかも、やたらと「完璧(目指してます)超人」なので、できていたものができなくなってしまった自分が許せない。

 結果、ムキになりました。ムキ-ッッッ!!



 でも、何度やってもフラフープは力なく胴囲を周回して床に落ちます。カラランカラン…コンコロロン


 挙句の果てには 「このフラフープ、子供用だから小さいのかな?」「昔のは、もうちょっと重さがあって回しやすかった」とかもっともらしい小言を、孫娘に言って聞かせる。


 それが面白くて面白くて心の中で爆笑してるあなたの息子の私ですが、残念な事にAB型なのでそんな程度では表情に出ないのです。
 

 「ちょっと ぴっこ、ばあちゃんもフラフープ買って練習するわ!」


 と、ついに(安易に)購入を決意!
 昔から見てきたけれど、大概、道具を購入すればそれでできるようになったり分かるようになったりすると思い違い気味のこのA型人間は、一体、この先フラフープができるようになってどうするつもりなのだろうか?ギネスに挑戦すんのか?

 

 「いいっしょ。痩せるだろーし」



 還暦越えてなお、母のウルトラソウルは健在である。
 私はもっともっと、彼女の血とソウルがこのカラダを駆け巡っていることを誇りに思うとしよう。
 
   
2008/12/26 Fri  00:00:01» E d i t
 » 最高のロマンチ 
信じること

 サンタクロースって、最高のロマンチだと思う。

 信じて手を伸ばしているからって、叶えられない事だってある。
 いや、むしろ叶えられないことの方が多い。
 だからって、諦めるための理由にしなくてもいいだろ?

 叶えたい夢がある。
 実現させたいと強く思う。
 そういう気持ちが響き渡って、何度でも最初の一歩を踏み出せる。

 それがロマンチ。それ自体がロマンチ。

 サンタクロースって、最高のロマンチだと思う。
 みんなが叶えたいと思っていて、みんなで叶える夢。
 それがサンタクロース。

 メリー☆彡クリスマス

テーマ:癒し・ヒーリング - ジャンル:心と身体

2008/12/25 Thu  05:45:44» E d i t
 » 拳闘スピリット 
内藤が4度目の防衛-WBCフライ級 →スポーツナビ「

内藤、4度目の防衛=山口にTKO勝ち-WBCフライ級



 最初に書くが勝利者インタビューで「いやぁ~、ダメだ俺」と言った内藤の言葉は山口に対して失礼だと思う。

 内藤が「己の敵は己である」というレベルにまで到達しているのは分かる。不人気競技の地味な王者が世界14位の話題選手・亀田弟と戦うという世間の注目の中でリスクを冒して勝ち取った人気は、内藤本人の類稀なる「いいひと」キャラが追い風となって私が亀田弟戦の後で予想したような「三ヶ月も経てばみんな忘れている」どころか、一年を経た今でもあれだけテレビ出演をこなしている状態にまで化けた。
 その中で内容は不服だとは言え、あのポンサックレックと引き分けて、さらにヒヤヒヤするような逆転劇で日本王者・清水の挑戦を退けてきた。
 テレビ出演のごくフツーの田舎者の内藤大介と、リング上の結果との相乗効果で内藤のボクシングには客が来るようになった。

 完全に相手を研究しているくせに試合前に「俺が楽しんでボクシングする」としか言わないのは駆け引きの上手さだろう。完全なシュミレーションをして、その通りに体が動くように徹底してカラダを鍛えぬく。与えられた環境と時間制約の中で不足でも超過でもなくイメージどおりの動きが出来るポイントに照準を絞って準備を万端にすることは、トレーナーと内藤の阿吽の呼吸が生み出す「内藤大介の凄まじさ」の原点だろう。臆病だから準備は万端にする。臆病だから強くなれる。

 内藤の物語は「臆病が生み出す勇気」の物語だ。

その「理想の内藤大介のボクシング」に上手い具合に到達できなかったから、冒頭の言葉が出て来る。

 「いや~、ダメだぁ俺。」「俺ってセンスないなぁ」
 これがまた、何ともいえない田舎くさいしゃべりで、見てる方もなんだか和んでしまう。
 あぁ、そうなのかいそうなのかい。お疲れ様だったねぇ・・・と茶のひとつでも差し出したくなってしまう不思議な魅力がある。

 トップアスリートだけが浸れる世界。己の敵が己の作ったイメージだという世界。
 しかし、理想のボクシングに到達できなくてもボクシングの試合(に限らず、競技と呼ばれるもの)は相手があってこそのもののはず。己のイメージと戦った内藤はごく自然にその言葉を口にしたが、多くのファンは「?」と感じたはずだ。
 仮に内藤のイメージを突き破って前進を続けた山口への賛辞が最初に出てきたら、この試合はもっともっと締まったはずだ・・・と、私は思う。

 ただ、これはごくごく一般の「勝負の世界」に生きていない私の戯言で、内藤がインタビューの途中でサラッと言ったように「や~っぱ結果が全てなんで」の世界では、勝者が敗者に言葉を掛けるとすべてが上から目線で侮辱してるように思われることだってあるのだろう。
 
 
 さて試合だが、1ラウンドから火の出るような打撃戦。
 内藤はトリッキーなパンチ。山口もカウンター狙いとか言ってたくせに前に出て打ち合う。

 それにしても内藤のボクシングは「あしたのジョー」で「ボクシングの基本はジャブ。左わきの下からひじをはなさぬ心がまえでやや内角をねらい えぐり込むようにして打つべし」「左ジャブで相手の体勢を崩し、突破口を見出せば すかさず右ストレートを打つべし。これ、拳闘の攻撃における基本なり」と基本教育を受けてきた私から見れば異質も異質。
 両脇開きまくりでテレフォンパンチ(モーションの大きなパンチ)振り回して、顔面守らずに全身でフェイントかけて相手のリズムを崩して自分のペースに持っていく「変則ボクシング」はすごくインパクトのあるインサイドワークだ。
 インパクトがあればこそ、研究されると虚を突かれてしまう。
 山口陣営(TBSは何度も何度も「渡嘉敷陣営」と呼んでいたが、それは選手に対してちょっと失礼なんじゃないだろうか?)は内藤のトリッキーな動きを封じる為に徹底的に変則ファイトを研究して、内藤の踏み込み際に爆弾をセットするようなカウンターと、動きを止めた後仕留める為の連打を準備してきた様子。
 
 その準備してきた持ち玉をお互いが全て使い尽くすような試合が「噛み合う試合」と表現するのであれば、この試合はまさに歴史に残るほど噛み合う試合だったと思う。
 お互いの持ち玉をぶつけ合って、最後の最後までお互いが逃げずに前に出て打って打たれて、殴って殴り返されて・・・ボクシングというより高度な殴り合い。まさに「拳闘」。殴り倒す!それだけのシンプルで崇高な試合。カラダを超えて、魂がぶつかり合い、その振動が見ているものの魂をも揺さぶりかける!

 面白い試合だった。凄い試合だった。手に汗握って見てた。声出して応援してた。
 山口選手、ありがとうございました。内藤選手、ありがとうございました。

 こういう試合を専門誌だけじゃなくて、もっともっと、もっともっとニュースやワイドショー、新聞、週刊誌は取り上げてほしいものだ。「話題になれば何でも良い」みたいな下世話な世界とスポーツを無理矢理くっつけて根掘り葉掘り詮索して記事をつなげることを夢見たはずじゃなかっただろ?こんな素晴らしい試合=上質の素材を料理して番組や記事を作るような気概や信念を見せてもらいたいものだ。

 
2008/12/20 Sat  06:31:12» E d i t
 » ベツモノ 
 最近、私、メロディーが流れてるんですよ。

 いや、「毛穴からそこはかとなく高貴な旋律が流れ出て周囲の人々を魅了する」とかそういう珍妙な現象は二十歳すぎた辺りから普通の出来事なのでそれは今回さておいて(笑)、耳に残った何かの歌がモヤモヤと循環しているわけでもなくて、全く聞いた事もないようなメロディーが私の内部から湧き出てくるような感覚なんです。




  ・・・病気か?




 今まで、突然やたらと語呂の良い文言で自分の考えている事を表現した一文が突然ひらめくという経験は幾度と無くしてきました。そして、それはブログで発表されたりいろいろなところで使ってきました。
 「単語」は思いついたままに表現してもなかなか意味を成しませんけれども、それがいくつか出てきて切り貼りして言葉や文章という形を取った時に相手に伝わるようになります。
 多分、それについては私はこうしてブログとかも続ければ、誰それの名言集とかを読んだり、マンガをむさぼるように読んだり、どちらかと言えば多くの人たちと話をしてコミュニケーションを取るような役割を仕事でも趣味の集まりでもしているので無意識の内にそういうスキルを磨いているのでしょうけれど、ひらめいた「言葉」を「捕まえ」て「まとめ」て「表現する」ことは比較的スムーズにできます。


 ところが、ヒラメキは常に「言葉」という形を取るとは限りません。


 静止画だったり動画だったり、メロディーだったり、時には目や耳ではとらえようのない肌で感じるような感覚だったりするわけで、それらを「捕まえ」て「まとめ」て「表現する」能力が、現在の私には欠落しています。

 物凄い構図で、物凄い鮮明な色でイメージできる絵とかがひらめいても、それを再現する表現力が私にはありません。「一般中学生レベル」で描画能力はストップしたままです。
 多分、最近私の中から溢れてきているメロディーはそんなに悪いものじゃない、むしろ、言葉が乗れば強い影響力を持つようなメロディーなのではないかと感じるようなものです。


 

 ・・・病気なのか?




 仕方ないので、とりあえず携帯電話のマイクレコーダーに鼻歌録音してみます。
 再生すると、なんか全然違うメロディーが流れて来ます・・・嗚呼、オレニハ鼻歌ノ才能スラモ無イノカヨ・・・


 湧き出してくるイメージと、それをキャッチして、他人に伝わるように表現する能力はベツモノですよね。言葉は書き留めること、絵はラフにでも描いて残すこと、音楽はレコーダーで録音することでキャッチはできるんでしょうけれども、それを表現につなげるためにはやっぱり鍛錬が必要ですよね。

 でもね。実際、時間ないですよね。
 さらに、どういう段階をどういう風に踏んで鍛錬していけば作画や作曲がイメージに到達するレベルに辿り着けるかさえもわかんないし。


 逆に、表現を磨いても湧き出してくるモノが少なかったり、それをキャッチするのが上手ではない人もいるんだろうなぁ。お互いにもったいない。誰かこの私のメロディーを生み出すのを手伝ってくれぇえぇぇええ!!
 
 
 あ、そう言えば大槻ケンヂがラジオで「オレの中には“電波受信機”があるんだけど、再生能力が無いからメンバー(筋肉少女帯)にメロディー化してもらってる」って言ってたなぁ。テープレコーダーに録音した鼻歌をメンバーに聞いてもらって楽譜に起こして貰って編曲するんだって。
 そういう出会いがあると、お互いに幸せだよなぁ~。いいなぁ~オーケン。
 

 こうして、人類に大きく貢献するような偉大なる発明や発見が日常生活の中に埋没して行くのである(笑)。ちゃんちゃん。    
2008/12/19 Fri  00:03:23» E d i t
 » a frosty morning 
  刺々しくささくれ立ったため息が凍る瞬間
  空は果てなく澄み渡り
  大気は大地の生み出した熱たちを惜しげもなく宇宙空間へと送り出す


冷凍果実

  
  すべて一瞬で時を止めた放熱の瞬間
  生まれ出でし大地に触れる事さえ叶わなかった
  老葉を包んだのは希望という光の乱反射

こおり葉っぱ

  細胞と呼ばれる単位では抑えきれない循環  
  
   

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2008/12/16 Tue  17:16:17» E d i t
 » 甘酒 
 寒いさむ~い冬の日に、家に帰るとあまいあま~いニオイが漂っていると、それは甘酒がスタンバイされていることのサイン。熱くて甘いのをふぅふぅ言いながら飲むのが子供の頃はそんなに好きじゃなかったのに、いつの頃からか大好きになった。

 酒粕(さけかす)を自分の好きな濃さでお湯で溶いて、好きなようにザラメを入れて温めて溶かしてできあがり。簡単。簡単ゆえに奥深い。とかカッコつけてみる。

 子供の頃は石油ストーブの上にでっかい鍋で、なぜかここぞとばかりにウチの父親がでしゃばって濃くてあま~いヤツを良く作ってた。今は、我が家も石油ストーブじゃないから台所でちょちょちょいと自分で作る。

 でもなかなか私の砂糖を入れる量の思い切りが良くないのか、あるいはストーブみたいな間接的な炎じゃなくてガステーブルが直火だからなのか、父親謹製のようなあの「まろやかかつベタ甘」な感じは出せずにいる。

 まあまあだ。缶のヤツより100倍は良い。

 忙しく動き回る。そりゃそうだよね12月も中旬だし。
 単純な足し算さえも頭が回らないほどにあちこちにやり残しを抱える。必要なものが必要な時に手に入らないイライラが自分の背中につきまとう。

 ふぅ・・・

 甘酒飲もう。

 ちょっとテンションがあがる。血糖値はグンッと急上昇する。
 さて、明日も頑張ろう。
2008/12/12 Fri  08:01:06» E d i t
 » 寒。 
シバレル

 イメージしてください。

 カキンコキンに空気が凍った

 大地も空も

 色を失った

 

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2008/12/11 Thu  17:51:26» E d i t
 朝、ほとんどの場合、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めます。
 しかも良い塩梅に2~3分前がほとんどです。
 毎朝のことながら、何が凄いのか良く分からないけれど、モヤモヤと寝起きが悪いよりもスパッと目覚める方が偉そうなのでひとりでこっそりと勝ち誇って目覚まし時計に仕事をさせなかった私を自ら褒め称えます。
 
 私一人が突出して早起きで仕事に出るので、どちらかと言えば目覚ましが鳴る前に目覚めると家族に迷惑も掛からないのでベターです。

 さて、そんな根拠無き密やかな自慢を打ち砕くような説が・・・

→yahoo!ニュース「朝、時計が鳴る前に目が覚める」 働き盛りに多い「過緊張」ほっておくと危ない

 要約します。


 朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めるのば自慢してる人いるっしょ?
 それって、自慢どころかやばっちいかもしんねぇぞ。「仕事にいかねばなんね」って過度の緊張がその現象ば引き起こしてっから、それが続けばストレス溜まってきて「病気」とまではいがねくても「健康」ではねぇっちゅう「未病」って状態になるど。
 それだら、やべぇべや。
 



 へ? しかもこの記事、ものすごく断定的に書かれています。
 
 朝、寝起き際がシャキッとしているのは、どちらかと言えば羨ましがられるような性質だと思い込んできましたけれど、いやいや、実際に羨ましがられながらこれまで生きてきましたけれど、これが几帳面な人が陥りやすい未病状態なのだと・・・


 はっはっは。笑わせるぜ!

 
 そりゃまあ、私が早起きしないと色々と困る事が発生するわけですから「キャシャーンがやらねば誰がやる?」みたいな意気込みで朝は起きますよ。それは緊張状態と表現しても何ら差し支えないでしょう。何事にも一生懸命で几帳面、まじめ、頑張りすぎる人と言われて悪い気がする人は少ないでしょう。私は「何事にも」ではないにしてもその性向は強いと自分で思います。

 だがしかし。

 その程度の緊張感や使命感は人生を張りのあるものにすると私は考えています。
 一生懸命にやらずに、何事も達成されるほどの才能を私は持ち合わせてはいないので。
 確か、童話などで幼児期から繰り返し繰り返し刷り込まれる日本人の美徳と呼ばれるもののほとんどは、そういう緊張感や使命感の大切さだったような気がするんですけども?
 だから、運動しようと酒を飲もうと、あるいは残業しようとも次の日は(ほとんどの場合)ちゃんと目覚まし時計がなる寸前に目覚めますよ。
 

 多分、このニュース記事で言う所の「まじめな人」はこのニュース記事を読んで自分を省みてちょっと恐怖感を煽られてリラックスする事に今度は必死になるのでしょう。

 必死にリラックスするってなんだよ~?

 良いじゃん。
 目覚まし時計が鳴る前に目が覚めて「よし!今日もまた、より一層すごい俺になっていっちゃるぜ!そのために頑張るぜ!」って燃えてる人ってカッコイイじゃん。一方では確かに「過度の緊張状態」と表現するかもしれないけど、「自分を自分たらしめる緊張感や使命感」なんだって言う事もできるよ。
 そういう人の全てが何でもかんでも頑張りすぎる性向があるわけじゃないから。そういう人が多いから気をつけなされや!ってだけでね。
 

 あんまし気にしないで、今までどおり目覚ましかけて今夜も寝るべさ。
  
2008/12/10 Wed  06:12:38» E d i t
 » シャキーン! 
 あ、テレビあります?
 基本、あるという方向で紹介しますね。無い人は指をくわえて羨ましそうにしていてください。


 朝、なかなか面白い番組やってるんです。
 
シャキーン 
 
 妙にハイテンションな女の子・あやめちゃんと、どこか近所にいるようなメガネをかけたオッサン顔のテレビ・ジュモクさんが繰り広げる15分間の目覚ましテレビ。

 我が家の子供たちは毎朝楽しみにしています。

 ・・・

 ・・・

 ええ。もちろん、私も楽しみにしています。


 我が家では朝ごはんの時間なので、あまりにも楽しい番組すぎてついつい子供たちが見入ってしまい、箸が進まない時にはテレビを消されてしまったりします。・・・嫁さん。に。

 で、そんな時一番悔しがっているのは、私。
 ええ。もちろん、偉そうに「ちゃんとご飯食べなきゃ、テレビだって見れないんだからな!」とか言いますけどね。本当はもう、シャキーン見たくて見たくて「おまえら、こんにゃろ!ちゃんとメシ食えよ!メシ食えばシャキーン見せてもらえんだろが!」とか心の中で叫んでいます。
 
 それほど面白いのだぁぁぁ!!

 シャキーン!!

テーマ:TV番組 - ジャンル:テレビ・ラジオ

2008/12/08 Mon  06:49:37» E d i t
 » 自分を愛せる瞬間 
 自分を愛せる瞬間。

 それは人によってそれぞれなのだろうが、あるいは目標を達成した場合に感じることかもしれない。
 あるいは自分の作った仕掛けに対して世の中が思い通りの反応を示した時に感じるかもしれない。

 いずれにせよ誰かが自分に対してどう思っているとか関係なく、「自分が自分自身をカッコイイ、スゴイ!と感じられる」ことがその瞬間の目安になると思う。
 その「カッコ良さ」の基準も人それぞれなのだが・・・。

 GHCヘビー級タイトルマッチ 佐々木健介 vs 斉藤彰俊 を見た。

 15年前にプロレス界に挑戦状を叩きつけ、中堅レスラーたちをなぎ倒していた空手家の彰俊に、当時からトップ戦線で戦っていた健介(当時はパワーウォリアー)は、彰俊の打撃を全て受けきって彰俊を絶望させておいてから張り手一発でKO勝利。プロレスラーの凄みを彰俊に植え付けた。

 そこから彰俊は長い年月をかけてプロレスに根を張り、プロレスラーとして戦ってきた。

 プロレスは大河ドラマである。
 いつどこで、運命が交錯するか分からない。15年を経て、年末の大舞台でその時の再戦が実現してしまうようなことが往々にして起こるのだから。

 試合は、中盤まで圧倒的に彰俊が押していた。
 15年前は空手技だけだった試合にも、今は培ってきたプロレス技が加わる。
 だが、彰俊のプロレスに会場は静まり返る。
 そう・・・健介はその15年を味わうようにまた「受けている」のだ。味わうように、噛み締めるように。

 そして、今回もまた健介の張り手一発がカウンターで入って、彰俊は崩れ落ちる。
 アレはプロレス的なオーバーアクションではなくて、本当に危険な倒れ方だった。

 15年前、自信満々でプロレスを敵に回して空手の優位性を証明しようとしていた自分の人生を変えた張り手。
 一発で自分の体の自由を奪ったあの張り手。動けなかった悔しさ。歴然とした力の差。
 あの衝撃が再び!
 彰俊はそんなことさえも考えられなかっただろう。意識は多分、飛んだはずだ。

 15年前は立ち上がれなかった。動く事もできなかった。

 あの再現なるか・・・

 立ち上がった!プロレスラー斉藤彰俊!立ち上がった!!俺はプロレスラーだッッッ!!!

 格闘技は意識が飛んでしまった時点で試合終了となる。
 しかし、プロレスにはその先の世界があるのだ。トップ戦線で活躍するプロレスラーとは「その先の世界」の住人達なのだ!

 そこから初めて、武道館に降り注ぐような彰俊コールが発生!もはや反撃の力など微塵も残っていないが、健介の大技ラッシュを受けて、カウント2で跳ね返す跳ね返す!!

 勝利を掴むことはもちろん大切な目標だ。だが、本当にカッコイイ姿というのは「諦めない姿勢」だ。
 人間は何度も挫けて、何度もあきらめてしまいそうになる。大切な目標、大事な夢、そうなりたい自分の姿・・・でも、大切なのは近道をしてでもそれを手にすることではなくて、そこへ向かおうとする意思や姿勢、そして行動そのものだ。
 そこへ向かう者の姿勢は、神々しささえ漂わせる。
 
 結果は健介の勝利という形になったが、彰俊は試合後に「最高に気持ちいい!」と叫んだ。
 あの当時、立ち上がれなかった自分をカッコ悪いと思っただろう。それが心にずっと残ってきただろう。あの日の自分を超えたかった。自分が自分を超えていく。本当に超えるべきは目の前のライバルよりも、自分自身なのだ!
 そして、彰俊は何度も何度も全力で立ち上がった。
 なすすべなく倒れ落ちて起き上がれなかったあの日の自分を超えられる自分がそこにいる!
 それを感じた時、人は自分を愛する事ができる。愛するに値するだけの積み重ねをしてきたことに本当の意味での誇りを持てる。

 愛せる自分 に巡り合えた喜び。そこに導いてくれた佐々木健介の「壮絶な強さ」への感謝。
 「その先の世界」を体現した斎藤彰俊はプロレスラーなんです!

 人生もまた、ひとつひとつに成功、失敗の区切りはあってもその先がある物語。プロレスは人生の縮図。
 倒れても倒れても立ち上がり、立ち向かう姿に人々は自分を投影するのだ。そう。何度倒れても良い。向かって行けばきっと辿り着ける。辿り着けると信じて歩いている自分を愛する事ができれば良い。
 

 そして、防衛を果たした健介に次に挑戦するのは、暴れ狂う鬼の森嶋を絞め落とした秋山。
 秋山は四天王プロレスで「その先の世界」を嫌というほど思い知ったから、先の世界への入り口を封鎖するプロレスを手に入れた。受けて引き出すことで相手を活かすプロレスが主流のNOAHマットで、もちろんそれを体現できる上で、相手の良さを引き出さずに封殺してしまうプロレスができる冷たい光、秋山。

 秋山が青く、冷たく輝き出した!
 秋山好きの私としては、ワクワクが止まらないのです。  
2008/12/07 Sun  00:20:14» E d i t
 BAD ENDを超える後味の悪さをなんと表現したものだろう。

 K-1グランプリ 2008決勝 を見ていた。

 今年の決勝は、強くてつまらない絶対王者セーム・シュルトが出てこないだけでも興味がそそられる大会だった。(参照:「火の玉アーツとゴールデン・ボーイ」)

 大会前、興味の全てはバダ・ハリがいかにK-1の新時代を切り開くかというただ一点。
 そこに細かく対抗馬の話題をぶつける展開。


準々決勝第1試合:ピーター・アーツvs.バダ・ハリ

  

 バダのスピードがアーツを圧倒する。アーツは最後まで前に出続けて、暴君としての威厳を保ったまま時代のうねりに飲み込まれて行った。アーツに哀愁すら感じさせたバダの圧勝。 


準々決勝第2試合:エロール・ジマーマンvs.エヴェルトン・テイシェイラ



 K-1サイドが本当にバダとぶつけたかったのは、極真世界王者のテイシェイラ。それはもう、テレビの解説からしても煽り画像を見ても明らか。しかし、勝ったのは「エロ自慢」ジマーマン。豪快なぶん回しフックと、回転蹴り系は新時代のレイ・セフォーか。 

準々決勝第3試合:グーカン・サキvs.ルスラン・カラエフ



 どうでしたか?サキちゃんの下っ腹。気になったでしょ? パンツが落ちそうで。
 こんなドキドキは、PRIDE初期に活躍した「北の最終兵器」イゴール・ボブチャンチン以来ですね。
 相変わらずルスランはアゴが弱いです。「ボクシング特訓でキックを忘れてますね」と言われていたその通りで。一撃の威力がサキちゃんの方が圧倒してたわけで。 

準々決勝第4試合:レミー・ボンヤスキーvs.ジェロム・レ・バンナ



 バンナって絵になる選手だから、K-1サイドもプッシュしたくなるのは分かる。
 けれど、やはり衰えは隠せない。
 ボンヤスキーはやたら調子良いし、そういう時のボンヤスキーのキックの破壊力を見てると背筋が凍る。バンナの腕が折れても不思議ではない。



 

リザーブマッチ: メルビン・マヌーフvsスロウェンスキー



 マヌーフのパンチはもう・・・タイソンと戦って欲しい。
 スロウェンスキーは生きて帰れただけでも儲けモンだったと思うしかないと思う。
 それだけマヌーフは強い。





 

準決勝第一試合: バダ・ハリvsエロール・ジマーマン



 ジマーマン、大奮闘!!今大会の大穴。その名前から日本でついた呼び名が「エロ自慢」。ファイトスタイルはトリッキー、されど破壊力抜群!スピードもあるし、リーチも長い!!
 2R、先にダウンを奪ったのはジマーマン!バダがスウェーでかわそうとした所にストレート一閃!
 しかし、バダによるその後の大逆転劇が観客の大興奮を誘う!
 2Rの終盤にダウンを奪い返し、3Rにはスタミナ切れで手が出なくなったジマーマンを慎重にジャブで止めて、一か八かの大降り左フックに来た所をカウンターの右ストレート!勝負あり!
 今大会のベストバウトだろう。互いの持ち味が互いを活かし合っていた。

 

準決勝第二試合: グーカン・サキvsレミー・ボンヤスキー



 体格差があり過ぎたかな。サキちゃんの打撃が届かない。
 ボンヤスキーの良いところが全部出て、最後のダッシュ+ジャンプ+ミドルキックは・・・サキちゃん、きっとアバラ逝っただろうなぁ・・・脇の下から背中にかけての部分があの捻転された状態であのパイパワーキックだったらさもありなんという。痛い結果。




 さて、BAD ENDを超える後味の悪さをなんと表現した物か考えたが、SAD ENDとでも言うのだろうか。

 決勝でそれは起こった。
 レミー・ボンヤスキーの冷静で鉄壁のガードを、最初はバダ・ハリがどう崩して時代の扉をこじ開けるかに注目されたが、レミーが先にダウンを奪うと、カウント9で立ち上がったバダが激昂してレミーの蹴り足をつかんで倒し、倒れたレミーに殴りかかる踏みつける暴挙。

 試合は5分間の中断。バダにイエローカード。
 レミーは踏みつけられたダメージが回復せずにそのまま試合はバダの失格。

 
 今回、K-1は判定に対する疑惑を払拭すべく、ラウンド終了後に採点を公表するシステムを採用したことからも伺えるように、ボブ・サップや曙の時代に見られた「ある程度の許容範囲の中でトップファイターを意図的に作り上げて行けるようなプロ格闘興業」としてよりも、よりタイトに競技性を重視した方向に傾いて来ているようだ。
 その結果、本当は喉から手が出るほど勝たせたかったテイシェイラは判定負けになったが、見ているほうにしてみればものすごく分かりやすくなった。

 これまでのK-1であれば楽しさや観客の満足が優先されて、この程度のアクシデントでは試合を止める事はあっても没収することは無かった。現にボブ・サップなど、何度この手の反則をしでかしたか分からない。

 遵守すべき最低限のルールを曲げてまで、満足を優先させてきた結果、世代交代は遅々として進まず、人気取りの選手たちがいつまでも人気取りの試合を展開するようになり、シュルトのようなつまらないけれど強い王者が出てきた時にストップを掛けられる実力者が育っていない現実に突き当たってしまった。

 K-1ではシュルトという最強で最高につまらない選手が王者に君臨して来た3年間で、世間では格闘技への見方が随分と変わってしまったのだ。ボクシングでは亀田ブラザーズ兄が疑惑の世界王者になり、弟が世界戦で大反則にも関わらず試合は試合として成立。相撲では相撲協会やら横綱審議委員が横綱に振り回されたりなんかして、競技を統括する団体が権威を示すべき時に示せなくなってしまっている現状があって、世間が格闘技興業を見る目にも次第にある種の諦観を感じるようになってきた。
 それは、見世物格闘技というジャンルが成熟して来た事の証明に他ならないのだが、その空気を敏感に汲み取ったK-1はやはり凄いのだろう。

 K-1はK-1を守るために、観客のニーズに迎合しない!

 この姿勢を明らかにしたことは非常に素晴らしい。
 どんなに待ち望んでいても、反則は反則だ。それによって深刻なダメージが残ったのであれば、試合は止めるべきだ。

 そして、観客はもっと怒って良い。

 バダ・ハリは時代を掴みそこなった。K-1の「K」はケンカの「K」で良い。だが、それは飽くまでもルールを守った上での話しだ。私はバダのファイトが好きだ。大好きだ。だが、それとこれとは話が別だ。解説の魔裟斗が言っていた通りだ。
 「厳重な処分を課すべき。一年間の出場停止だって考えなきゃ、K-1がなめられてしまう」
 
 未知の強豪、ベテラン人気選手、新興勢力・・・派手な試合が続く、物凄く盛り上がった大会だった。
 しかし、メインで起きてしまったこのアクシデントはその全てを虚しさや悲しさで塗り替えてしまった。
 
 SAD END。

 果たして・・・優勝したレミーが流した涙は、王座奪回を果たした感涙であったのだろうか・・・
2008/12/05 Fri  00:00:02» E d i t
 » シバレルアサ 
シバレルアサ

 海  う  い  ー  は  不  議  模 

 朝の尖ったまぶしさと
 尖った冷気は
 互いを鋭く主張しあって

 ぶつかって弾ける空気が鼓膜を刺す

 この偉大なる緊張の中
 揺らめくベールは不思議模様



 シバレルアサ
 マイナス10℃の世界




 
 

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2008/12/02 Tue  06:00:37» E d i t
 » すばる幸福論 
 ピンと冷たく張り詰めた空気、荘厳に物語を織り成す冬の星座たち。
 その華麗なる物語たちの向かって右上辺りの隅っこにちょこんと、ぼんやりとかすかに、しかし、確かに存在するもやっとした光の集合体。

 すばる

 すばる【昴】
《動詞「統(す)ばる」から》二十八宿の一、昴宿(ぼうしゅく)の和名。牡牛座(おうしざ)にあるプレアデス星団で、肉眼で見えるのはふつう6個。六連星(むつらぼし)。→昴(ぼう) 大辞泉より



 私の視力では白い息で曇るメガネを斜めに使って、レンズの湾曲した厚い部分で覗いてみるとやっと感じられる存在。そこに焦点を合わそうとしてもなかなか合わず、違う星座を見ていればぼんやりと視界の隅で存在を訴える。
 おうし座の赤き一等星「アルデバラン」を従えて冬の夜空を駆け抜けるすばる。


 
 考えてみれば、例えば幸せというものはすばるのようなものかもしれない。
 そこに確かにあるんだけれど、手で掴むどころか焦点さえ上手く合わせられなくて、自分の物にしたいのに誰の物にもならなくて、ただただそこに、もやっと存在しているそれを幸せだと感じられるかどうかということなのだろう。


 未来はいつも明るく照らされているわけじゃないから、私たちは先の見えない暗さに不安を感じて押し潰されそうにもなる。でも、明るく照らされていないからすばるを感じることができる。私たちの時代には私たちの時代にしか感じられない幸せが、きっとある。小さく咲く希望を見つけた時、ふわっと心が軽くなって、次の一歩を踏み出せる。その小さな希望はきっと世界に満ちている。
 

 さがそうとしてもみつからなくて視界の隅で微笑んでいて、焦点さえも合わせられなくてそれでもそこに確かにあって。


 

 すばるに焦点を合わせようとしたら、すぅぅっ・・・流れ星が流れた。
 「なんか得した気分。」

 小さいけれど、たしかにそれは幸せだ。 
 
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