フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/09/29 Mon  06:41:20» E d i t
「K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16」をテレビで見た。

 ボブ・サップや曙という世間に名の轟く選手達がその競技で(勝ち負けに関係なく)活躍できる能力を有していられる時間は短い。ゆえに、これまでK-1はそういう世間に届くスター選手をなんとか売り出そうと必死になっていたが最近は過剰な露出は控え目にしているらしい。

 そんなわけでK-1に対する世間の注目度は確実に下がっている。だが、新世代の選手達の実力と台頭ぶりは目を見張るものがある。今、まさに今、K-1創成期を支えて来た世代がベテランの域に達し体力が衰えてくる中で格闘家として最後の力を振り絞っている浪花節的輝きと、新世代の選手が身体能力と若さと獰猛さで虎視眈々とトップを狙ってくるポップさが入り混じってちょうど良いサジ加減で私に伝わってくるものがある。

 今、格闘技興業としてのK-1は円熟期を迎えている。

 象徴的な試合が二試合あった。

 

○ピーター・アーツ(判定2-0) セーム・シュルト●



 正直な話、K-1を見なくなって久しい人は「え?アーツってまだやってたの?」という感じだと思う。確かにここのところ目立った戦績を残してはいないものの、毎年(なんと16年連続!)ワールドGPには顔を出してはいるのだ。ただ、若かりし頃のオーラは鳴りを潜めてしまったが。
 一方でシュルトはその巨体をいかんなく活かした「つまらないけど勝つ試合」で3年連続でGPを制覇。スーパーヘビー級の絶対王者として君臨。

 シュルトはとにかく巨大な壁で、しかもそれなりに動けるし戦略もハッキリしていて遠い相手にはその長いリーチを活かしたパンチ・キック、フトコロに入ってきたらヒザという単純明快で退屈な試合運びで他を圧倒。退屈でも何でも勝っているのだからそれで良いのだ。「勝てば良い」という建前の世界なのだから。

 アーツは試合前の煽りVTRで「K-1戦士は金のためだけじゃない何かのために戦ってきた。それをシュルトに叩き込む!」と意気込んでいた。20世紀最後の暴君と呼ばれ、黎明期からK-1を支え続けてきたベテランの意地と覚悟が見て取れた。

 果たして、試合はそのアーツがとにかく前に出続ける。
 シュルトはそのリーチの長さゆえに間合いを掴み切れない相手を自分の間合いに入れずに淡々と効果的な打撃を当てて行くという、まさに格闘技的な試合で勝ちを重ねて来た。その間合いに入ろうとすると今までだとヒザが飛んできたのだが、アーツはワン・ツーを振り回しながら一気に間合いを詰める!詰める!詰めて詰めてパンチを顔面に当て続ける。
 シュルトが「打ち合い」になったのはいつ以来だろう?なにしろこの人の試合はつまらないから印象に残らないけど、打ち合っている様を見たことはあまりない。

 アーツの動きが鈍ってくる。そりゃそうだ。自分より大きな相手に突っ込んで時にデカくて硬い拳を被弾する。年齢的なものだってあるだろう。「暴君」と呼ばれた頃の余裕なんてない。ただただそんないらないものをかなぐり捨てて目の前にある壁をぶっ壊す作業に没頭しているアーツが美しかった。
 苦しいだろう。でも距離をとられてしまうとシュルトの思う壺だから、絶対に前進することをやめない。愚直で泥臭くて、火の玉のようなピーター・アーツがそこにいた。

 判官びいきだってあるだろう。積み上げられてきたファンの認知度の違いだってあるだろう。だけどそんなものは通り越して、ピーター・アーツは燃えていた。その熱は私を奮い立たせた。
 シュルトという大きな壁があって、初めて今の現実のアーツを目の当たりにし、またその現実のアーツは「悲壮感」という暴君時代には微塵も感じられなかった武器を手に、壁を殴り続けた。そして、壁を壊すには至らなかったものの、アーツという人間の魂を確実にK-1戦士としてのシュルトに刻み付けた!
 アーツの凄みに防戦に回ったものの、それでも倒される事は無かったシュルトが、火の玉アーツに何も感じなかったわけではあるまい。今後、シュルトがどう変わるのかが実は楽しみだったりする。


 感じるものが多い、熱い試合だった!


 カラエフ、ディ・ファウスト、グーカン・サキ、ジマーマンにテイシェイラ・・・今後、K-1のリングを盛り上げて行きそうな新しい選手たちがキラ星の如く登場してくる中で、ダントツに突き抜けた存在となったのが「ゴールデン・ボーイ」バダ・ハリだ。試合後に会場の備品をぶっ壊して歩くような「バッド・ボーイ」だったのが、試合で実績を重ねてくるに連れて「ゴールデン・ボーイ」へと変貌を遂げた。今や、K-1を見ている者で知らない人はいないほどの新世代の旗手だ。


 先日深夜に放送されていたハワイ大会の画像を見たが、バダ・ハリは1R開始早々のカウンター一発で相手をKOしていた。相手選手のパンチを顔面に食らって自分もやや腰砕けになったものの、相手はマットにつんのめり、KO。アナウンサーも解説の谷川氏も「何が起こったんだァァァ?」と叫ぶしかできなかった一撃KO勝利だった。カメラアングルの関係もあって本当に何が起こったか分からなかったが、別角度からのカメラで相手がストレートを放ってきたところに左ストレートをアゴの先端にヒットさせて勝利。

 とにかくそれを見たものだから、今回のチェ・ホンマン戦も期待していた。どうやってあの巨人をKOすんのか!?それを期待していた。

 ホンマンは脳腫瘍を摘出したり兵役も免除されたりとリング以外の話題が多かったが、K-1のキャラ重視から実力重視路線への変更を体現しているのが、この人の体つきだと思う。
 以前は韓国相撲「シルム」からの転向だったこともあって厚みのあるどっしりした体つきで、勝ってヘナチョコな踊りを踊ったりする事で韓国では人気が出たし、確かに私たちが想像する巨人タイプとは違う、スピードで撹乱されない自分の勝ちパターンを持っている選手であることには違いない。今回は、7kg減量したとアナウンスされていたが、多分それ以上絞ってきたように感じた。ハリのスピードに対応するためだろうか。

 試合は、とにかく飛び込んで行くハリと、それを迎撃するホンマンという構図。
 ローキックで下に意識を呼びつつホンマンの顔面を狙ってパンチを連打して行くハリ、小気味良いファイトが彼の持ち味だ。スリリングな戦い方はファンを味方につける。これは自らの絶対戦略という枠からはみ出ずに勝利を確実に拾い続けてきたシュルトとは正反対。

 ホンマンはハリより30センチも巨大だから、ハリが仕掛けて行くときにはどうしても上を向く形になる。普通、格闘技はアゴを引いた状態で戦う。アゴを引く事で自分の首を固め、頭部へダメージを受けてもブレないようにするためだ。しかし、アゴが上がったところにタイミング良く打撃をもらえば人は簡単に引っくり返る。
 第2ラウンドでホンマンのカウンターを食らったハリが引っくり返ったのは、そういう理屈だ。あれは仕方ない。

 第3ラウンドでのハリの猛攻は素晴らしかった。
 多分、ホンマンは右わき腹を早い段階で痛めていた。それでもそれを気付かせる事無く戦っていたことは賞賛に値するだろう。しかし、第3ラウンドの早い時点で放送席でそれを見抜いた人がいる。
 アナウンサーでも谷川氏でもない。
 藤原紀香さんである。紀香さんがいればもはや長島一茂など必要ないのだ!!
 ハリもボディフックでガードが下がってきた所を顔面に打ち込み、ホンマンがのけぞった所をまたミドルキックで右わき腹を攻撃。上下に散らす攻撃でホンマンを追い込む!追い込む!追い込む!!

 右わき腹を痛めたホンマンは、延長ラウンド開始と共に試合を棄権。

 ○バダ・ハリ (3R判定 0-1 引き分け) チェ・ホンマン●
         (延長 TKO※タオル投入) 



 試合のスリル感に関してはスピードと安定感でブッちぎるバダ・ハリ。今のコイツの試合にハズレはない!!


 そのバダ・ハリと、アーツが決勝トーナメントでぶつかるのだそうだ。
 アーツは打倒シュルトで完成させた火の玉アーツで向かって行っても今のバダ・ハリを止める事は難しそうだ。新しい勢力の紹介と、世代闘争という裏テーマを引っさげてK-1円熟期は続く。



準々決勝第1試合:ピーター・アーツvs.バダ・ハリ
準々決勝第2試合:エロール・ジマーマンvs.エヴェルトン・テイシェイラ
準々決勝第3試合:グーカン・サキvs.ルスラン・カラエフ
準々決勝第4試合:レミー・ボンヤスキーvs.ジェロム・レ・バンナ



 なのだそうで・・・

 グーカン・サキの下っ腹が気になるので、要チェックや!
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テーマ:格闘技 - ジャンル:スポーツ

2008/09/27 Sat  05:46:44» E d i t
 「写メ」という言葉が普通に使われ始めてからずいぶん経つような気がしてます。

 携帯電話のカメラ機能で撮影した写真をメール添付して相手に送るから「写メール」で、J-フォン(後にボーダフォン→ソフトバンク)が始めたキャンペーンの名前から来ていて、その後携帯電話にカメラがついているのが当たり前になっちゃって、今は大概の機種にカメラ機能はついてますよね。

 ドコモなんて「i-shot」、auなんて「フォトメール」って独自の呼び名があって、サービス導入当初は他のメーカーとのやり取りができなかったんんだぞぉ~!なんてことも忘れ去られるくらいですから、ずいぶん経ってるんでしょう。

 その携帯電話カメラで画像を撮影する事を「写メ撮る」とか「写メして」とか言うようになって久しいです。その言い回しが使われ始めた頃には も~~~~~んのすごい 違和感を感じていましたが、ここまで普及してしまうと あっっっっっったりまえ になってしまうものですね~。

 
 カメラ機能だって今となってはちょっとしたデジカメクラスの性能を兼ねていたりプリクラのように装飾できちゃうような機能なんかもあって、その他にも音楽配信とかが始まって携帯電話での扱いデータ容量が大きくなっちゃって困ったりなんかし始めた頃にデータをSDカードとかメモリフラッシュとかに記録するようになっちゃって・・・。


 さてさて、私が現在使用している携帯電話にはminiSDカードが、今は目覚まし時計として活躍している以前の携帯電話にはMemoryStickDuoが使われていたのです。
 私は撮り溜めた写メたちをなんとかそれらに記録させたり再生させたりはできるのですが、しょせんは機械音痴。携帯電話の中でしか再生できなかったんですよ。

 べつにPCで再生する必要性も感じてなかったっていうのもあるんですが~。

 先日、ホームセンターをぶらぶらしていた所、このような物を発見しまして。
 
 20080927051903.jpg



 33種類のカードに対応 という性能を持つLOASというメーカーのDigioシリーズのマルチカードリーダー/ライター(MULTI CARD READER/WRITER:品番CRW-12M33W)というモノで、確か2,000円しなかったので買ってみたんですよ。 

 「これ買えばSDもメモリスティックもイケるんだなぁ~」くらいの気持ちで。

 で、やってみました。


 ・・・。


 これ、良い。


 今の携帯電話は約3年前から、前の携帯電話は5年以上前からの写メが どっさり と、そりゃもう どっさり と出るわ出るわ。

 考えてみれば、デジカメを持ち歩くよりもはるかに携帯電話を所持している時間は長いから、色んなものをその時そのタイミングで撮影できるんですよね~。

 あらまぁ~、写ってる自分が若い若い。
 細いし・・・細いなぁ・・・俺。
 あ、ええ。ええ。その画像を貼り付けろって言うんでしょ?
 いや、これマジでファンレターとか殺到するからやめときますよ。
 え?せめて有名人で誰に似てるかって?
 あ、え~、あれですアレ。

 ダビデ像
 



 それはさて置き、これ、良いですよ。
 2,000円弱で買えて、こんな思い出がいっぱい状態に浸れるのでオススメです。
 

 今は6歳になったぴっこ(長女)が1歳の頃の写メや、先日4歳の誕生日を迎えたばかりの まるもい(長男)が生まれたばかりの写メが出てきて、お父さん、ギザウレシス。

 この他に嫁さん。の携帯もあるし。
 どんな写メ出てくるかビッグバン楽しみ。
2008/09/26 Fri  17:00:00» E d i t
 » 初秋夕歌 
 秋は夕暮れ茜空
 
 暮れる刻 君が残した足跡に
 かおる風 すり抜けた
 冷えた指先 ポッケに入れて
 ポツリ歩いた茜空
  

cosmos


 秋は夕暮れ薄茜
 
 日は彼方 月が照らしたこの鼓動
 かおる風 空に弾けた
 白い吐息 指先絡めて
 風と歩いた薄茜
  
 

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2008/09/26 Fri  00:00:43» E d i t
 » 初秋夜話 
 何万回 公転軌道 巡る旅
 時 超えるたび

 何万年 直線軌道 進む旅
 光 出会うたび

 見つめるあの星
 敷き詰められた銀河
 長い長い旅を経て巡りあえた
 小さな光
 
 きらきらひかる


COSMOS


 もう一回 風にそよいで 揺れる花
 色 醒めぬ夢

 また一回 雫伝って 揺れる花
 夢 褪めぬ色

 見つめるあの星
 敷き詰められた銀河
 雨降らす雲すり抜けて巡りあえた
 小さな光
 
 きらきら揺れる


 小さな光と小さないのち
 儚く揺れる夜の歌

 きらきらひかる

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2008/09/24 Wed  05:49:10» E d i t
 DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦  をテレビで見ていた。
 (詳細→スポーツナビ DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦

 例えば、飽くまでも想像の話であるが、主催者やスポンサー側の意向という表には出てこない思惑というものがあったとして、それを突っぱねる事が本来の意味での総合格闘技の強さということにもつながると思うのだが、どうもそういう本来の意味での「強さ」を持った試合となにか引き換え条件のために「作っている試合」というものがごちゃ混ぜになっていると感じた。

 主催者、スポンサー側の意向というのは、格闘技のにわかファンにも浸透してきたビッグネームを潰さないようなマッチメークと試合内容が散見されるということ。総合格闘技の世界で10年間も同じ選手が同じようなコンディションで同じように戦えるなんて有り得ないはずだ。いや、そりゃまあそんな常識を覆すようなスター選手だって出ないと言う保証はないが。

 少なくとも昨日のミルコの試合を見た格闘技ファンが、ミルコを強いと感じたところはほとんどなかったはずだ。ただその圧倒的な利権という見えない力を除いては。

 アリスター・オーフレイムが圧倒的に押していて、ミルコは目蓋をカットし流血。その後もアリスターは圧倒的にプレッシャーを掛け続けるが・・・ドクターストップ寸前でどうにか勝敗をつけないようにするために偶然を装いながら金的を狙った。

 もう、そうとしか思えない試合だった。
 
 ミルコの凋落ぶりは目も当てられない。体つきからしてもはやキレが無く、戦慄の左ハイキックさえも今回はアリスターに受けられてひっくり返された。もはや誰の目から見ても明らかな敗戦。アリスターはパンチでミルコを落とせば楽勝だったのに、ドクターチェックの直後、なぜか低めの膝蹴り連打で反則を取られ、試合続行不能でノーコンテンスト(無効試合)。

 ここでミルコが勝って、大晦日にヒョードルと対戦!という「流れ」を作りたかったし、実際、対戦前にはそういう煽りVTRがすでに出来上っていた。旧PRIDEのビッグネーム同士がぶつかるとなれば選手を育てる苦労をぶっ飛ばして視聴率を獲得できる。DREAMに名前が変わったところでHERO'Sでやってきたのと同じことをやっているTBSとFEGのタッグには恐れ入る。

 「プロレスラー・ハンター」ミルコという利権は日本では未だに生きているのだ。PRIDEでの勢いそのままにアメリカのUFCに乗り込んで無残な敗北を重ねて日本に戻ったのに、日本ではUFCの結果は度外視。未だに10年前の映像を使われて若かりし日の獰猛なネコ科動物のようなミルコの画像で観衆を煽る。リングに立っているのは肉体のキレを失ってしまった現実のミルコ。盛者必衰の中で逃げ道さえも塞がれた英雄という点では、猪木の最後の方を見ているような気になる。衰えても、やめる事を許されない。そんな悲哀さえ漂ってきた。

 アリスターも、大役を引き受けてしまったもんだ。ここで勝ってしまえば自分が英雄になれるチャンスが来たかもしれない。でも、それは逆に利権といういらない物までがついて来るというリスクがある。目の前で足掻いているミルコが、明日の自分の姿かもしれないと思えば・・・。


 もう一試合、大晦日への流れを汲んだ試合があった。
 
 所vs山本KID という流れ。
 山本KIDに挑戦を表明したのは所。・・・なんだかこの人の気弱なところが好きだ。挑戦状を叩きつけた!とかって表現にならないのが所クンの良いところだ。

 その実現に向けてKID一番弟子の山本篤(!同じ苗字なんだもんな~親族かと思ったら関係ないそうで)が相手。この山本がまた本当にKIDみたいな戦い方をする。所クンにしてみればKID戦へのリハーサルという感じだったかもしれないが、山本が見事に歴史ごと所を粉砕した。

 総合格闘技の醍醐味は、選手の後ろに付いてるあれやこれやごとぶっ壊すスリルと快感だと思う。利権云々が相手にくっ付いてるんなら、それをぶっ壊して自分が全部背負ってやる!という覚悟だと思う。
 UFCなんかを見てると、選手達は明日を見ていない。だから新陳代謝が早いし、技術はどんどん向上して行く。トップ選手の安定期が短いサイクルだから日本の興業体系にはマッチしないけど実力本位とは本来そういうもののはずだ。

 
 日本で格闘技系のビッグイベントを成功させるとなると、どうしても実力本位よりも人気本位を優先させざるを得なくなってしまう。本当に人気と実力がクロスオーバーしている時期なんてそんなに長くはないはずなのに。さすがに日本のファンだって見る目が肥えて来てるからそのくらいは感づいてくる。さて、プロレスを八百長だと蔑むことで自らの優位性を主張してきた総合格闘技の世界の人々は、この先どこへ向かうのだろう。


 ま。そんな中で、゛拳豪"ゲガール・ムサシというノーチェックの選手がミドル級トーナメントで優勝した。
 久しぶりに「素人目に面白くない試合」~打撃も寝技も十分で、相手の得意分野では戦わないという信条~をする選手が優勝するような事態になって、FEGはこの選手にどんどん強い選手を当てて潰しにかかるのかな。そして、面白くない試合でゲガールがバッタバッタと刺客を捻じ伏せて・・・。

 これぞ総合格闘技!っていう試合を見せ続けて欲しいです!頑張れゲガール!!


 あとは、ミノワマンが懐かしいパンクラスの試合をやって、船木が勝った。
 ミノワマンの足首は大丈夫だろうか?そこまでして船木を持ち上げる必要があるのか?
 なぜこれをDREAMのリングでやらなきゃならないのか(FEGの登録?選手だから仕方ないのかな~?)
 秋山が空手王者を封殺とか、青木クンがおんぶスリーパーとか、適度に盛り上がる試合が多くて楽しかった。
 ハリトーノフは相変わらずおっかないんだけど、やる前から勝敗が明らかな試合なのに変な解説(凄い筋肉で当たれば必ず倒れる!アンブリッツは筋肉があり過ぎてガードが上がらない、WWEを見ているようですね~等、ふざけ気味の解説が続けられたのだった。ハリトーノフが一方的に攻めているのに)つけられて妙な後味になってしまった。
 ま、凄惨な「なぶり試合」だから、ああいうことでも言わなきゃテレビで放送できないのかな?

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2008/09/23 Tue  06:27:24» E d i t
 » 朝青龍!朝青龍!朝青龍!! 
 「狡兎(こうと)死して、良狛(りょうく)煮らる」
 ずる賢い兎を退治した後は、その時役に立った犬さえも煮て食われる。

 『狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵われ、敵国敗れて謀臣滅ぶ。(ずる賢いウサギが死ぬと良い猟犬も煮て食われ、高く飛ぶ鳥がいなくなると良い弓はしまい込まれ、敵国が滅びると知謀の家臣は殺されてしまう。)』



 漢の高祖・劉邦の家臣・韓信が楚を平定した後、粛正された時の言葉。




 朝青龍は、白鵬が昇進するまで長い間ひとりで横綱をつとめ、その強さと荒々しさ故に横綱らしからぬ奔放な言動が度々話題になり、大相撲という競技あるいは興業から離れて行く世間の目を必死に引き止めて来た。
 良く「識者」と呼ばれる人たちはこう言う。
 「大相撲人気が凋落している中、横綱のああいった言動は人気低迷に拍車を掛ける」と。

 朝青龍が何かをする度に周囲が騒ぎ立て、より一層朝青龍に注目が集まるように仕掛けてきたのだとしか思えない。ワイドショーである程度継続して騒がれるほどの力士なんて、若貴の後は高見盛くらいしかいなかった。朝青龍はヒール(悪役)であるが、紛れもなく低迷する大相撲の光明であり「良狛」で有り続けた。ワイドショーに出るという事は、普段相撲を見ない人たちの目にも触れるということであり、相撲を全く知らない人たちにも 「よこづな・あさしょうりゅー」 を刷り込む機会になる。そんなワイドショーを見てた人の10人に1人くらいは「朝青龍ってどんなもんよ?」と思って、土俵を見るかもしれない。そしてそこには 強い強い朝青龍 がいる。

 「どこが人気低迷に拍車を掛けているんだ?」とか常に思い続けてきたのだが、まぁまぁ、きっと相撲を盛り上げる立場を踏まえた上で、いろいろともっともらしい苦言を呈しているフリをした方がワイドショー的に盛り上がることを利用していろいろやっているんだろうな・・・と、世間をプロレス的視点から見ながら内舘牧子さんとかやくみつるさんの「上手さ」にはいつも感心している。


 さて、その朝青龍の元気がない。

 大相撲秋場所9日目を終わって4敗。先場所もヒジ痛から途中休場したものの、初のモンゴル巡業を成功させ波に乗るかと期待された。気迫が抜けてしまったような負けが目立つ今場所。どうやら休場するらしい。
 しかし、新聞とかを読んでいても誰も心配も同情もしていないところが救いだ。心配や同情よりも「朝青龍が元気がないと張り合いが無い」とか「鍛え直して出直せ!」とか言われている。
 強さで売ってきた者が「今まで頑張ってきたんだから、少し休んでまた頑張れ」とか同情されるようになったら勝負の世界では生きられない。
 勝負の世界で生きられなくなったら人情の世界で生きるという道もある。魁皇や千代大海のようになんだか良く分からないけどそれなりの成績を修めて、上がるでもなく下がるでもなく人気つなぎの相撲を取るという道だ。

 ただ、彼らは大関だから、そして朝青龍という絶対横綱がいたから成績不振でも人情の道が残っていた。横綱は今までの番付の解釈上そうは行かない。横綱には事実上降格が無いから、成績が悪いと即引退という暗黙のルールができている。つまり、朝青龍には退路が無いことになっている。
 横綱は横綱で、絶対無敵だから横綱なんだ。だから無様な負けっぷりで人情ドラマを描くことは許されないんだ。ただ、許されているのは勝つことのみ。しかもガムシャラではなく他を圧倒し悠然と勝つこと。という、暗黙の了解がある。
 
 混迷していたひとり横綱という状況から、白鵬という安定感抜群の横綱が誕生し成長してきたことによって、朝青龍の「良狛」としての役割は終わってしまったのだろうか。人気低迷という時期を下支えしてきたスキャンダルは、興業の世界と世間一般の考え方の差異があって騒ぎにはなるものの解決には向かわないという「グダグダでありながらも、時間稼ぎに持って来い」な性質があったが、とうとうロシア人力士による大麻という世間一般のルールで完全に判別されるような疑惑が浮上してしまったことで下支えも何もなくなってしまった感はある。

 朝青龍のスキャンダル性は、もう、いらなくなってしまったんだろうか。
 
 しかし、朝青龍の行動がスキャンダラスに騒がれた頃、よく言われたものだ。
 「横綱としての品格が足りないから、角界から追放・・・あるいは降格処分も有り得る」などと。それはワイドショーを盛り上げる為のリップサービスに過ぎないと私はその時は聞き流していたが、横綱審議委員がそう言ったのだから、降格という路線も無きにしも非ずなのかもしれない。

 ガムシャラに強い朝青龍を見てきたから、強くなければ朝青龍じゃない!と思ってしまうところも確かにあるけれども、良い意味でも悪い意味でも型破りな横綱だから、絶対的に強くはなくてもその先にある朝青龍を見てみたい気もする。型破りでやって来たんだから、我々が常識だと思い込んでいるプライドの壁さえもぶっ壊して欲しい。

 どんな形になろうとも、私は朝青龍を大相撲の功労者だと信じているし、最後まで応援します!!

 頑張れ!朝青龍!!!
 
2008/09/22 Mon  06:24:08» E d i t
 » おいてかないで~(汗 
 うむむ・・・

 最近、パソコンで動画を見かけることが多くなって来た。

 我が家ではネットのトップページを「yahoo!JAPAN」に設定しているのだが、コマーシャル部分に動画ということも珍しくなくなった。

 
 かた・かた・かたたた・・・

 何だか切なそうに、申し訳無さそうに我が家のパソコンが作業音を立てる。
 時としてヒクソンにやられた船木みたいに「ギブアップ」も言わずに機能停止(フリーズ)する。 
 

 回線だとか、容量だとか何だとかかんだとかそんなに詳しくないけど、発展して行く段階の速度が速いのは結構なことだし可能性が広がる事は悪い事では無いけれど「パソコン通信してる人は誰でもそのくらいのバージョンアップはしてるだろ?未だにISDN?ADSL?何言ってんの?」みたいな先入観みたいなので一方的に押し切られてもなぁ・・・
 
 
 「着いて来れないなら、置いて行く。」みたいな速度じゃん。
 最近の企業HPとかだってやたら容量大きくて、開くのに時間掛かるしぃ~。

 12~13年前に大学の電算実習室で出始めの頃のインターネットをやってた頃みたいな時間の掛かり方だッ(・・・いや、あれほどじゃないな)!自慢じゃないがyoutubeだって途切れ途切れの再生だッッ!!
 
 我が家のパソコンなんてなぁ、回線も古いし本体だってもう8年目なんだぞぉ!!!
 買い換えるお金だって無いんダァァァァ!!バカバカバカバカ、発展速度のバカァァァ(泣)!!!
 

 かた・かた・かたたたたた・・・


 が・・・頑張ってくれぇぇぇ~!!!
 
2008/09/20 Sat  06:23:52» E d i t
 » ほん‐もの【本物】 
 「木」の皮を干したヤツに何かを書いたから「本」という漢字ができたのだそうだ。ねぇ、それって本当?
 「木」の下の方に印がついてるから、根元の方を表すのだそうだ。ねぇ?それって本当に本当??

 この「本」という漢字、ぬぬぬ~・・・面白い。
  

 ほん【本】

 [音]ホン(呉)(漢) [訓]もと

〈ホン〉

1 草木の根や茎。植物。「本草(ほんぞう)/草本・藤本(とうほん)・木本・禾本(かほん)科」

2 物事の根源。もと。「本源・本質・本性・本能・本末/元本・基本・根本・資本・大本・張本・抜本」

3 中心となる部分。主となる。「本業・本社・本州・本宅・本店・本部・本論」

4 当の。この。わが。「本案・本官・本件・本日・本書・本人・本邦」

5 正式の。本当の。「本意・本妻・本式・本名・本物(ほんもの)」

6 もとにすべきもの。てほん。「標本・見本(みほん)」

7 書物。文書。「異本・絵本・刊本・脚本・原本・古本(こほん・ふるほん)・写本・春本・正本(しょうほん・せいほん)・抄本・新本・製本・謄本・読本・配本・副本・返本・和本・単行本」

〈もと〉「大本・旗本」

[名のり]なり・はじめ  

 大辞泉 より 

         

 
 最近、本屋に立ち寄る事が多くなった。
 なんだか無性に活字に渇望する時期が何年周期かで私に訪れて、今がちょうどその時期なのだろう。それなりの店舗規模を持った近くのツタヤに行くのだが、真っ先に行くコミックコーナーを見ていてもタイトルの多種多様さに舌を巻く。ましてや新書・文庫コーナーともなれば言わずもがなである。

 何かのテレビ番組で見たけれど、新刊と呼ばれる書籍だけで 1日になんと 220冊! ものタイトルが発売されるらしい。いや、近くの本屋さんでそれだけの本が全部置いているワケじゃないだろうけれど、それだけ代謝の激しい業界らしい。

 1日220冊=月間6600冊=年間79,200冊

 そのほかに雑誌やら文庫本やらが出てるワケで・・・って考えて行くと 「なんじゃこりゃ!」の世界である。

 そんな なんじゃこりゃ! の中から、本当に今の自分が欲している「本物」に出会う確率は高くはないはずだ。ちょっと立ち読みしてパララ~ッと読んでみてグッと来るような本を買って改めて読んでみると、立ち読みした部分しかグッと来ないようなことも往々にしてあって損した気分になってみたり。
 気に入ったタイトルの本を立ち読みしてグッと来たらまず買って読んでみて、その本が良かったらその作者の本を探しに古本屋に行って(以前の著作は普通の本屋ではなかなか見つけられないから)みたり、さらにその周辺に陳列されている関連書籍に目を通してみたり。ベストセラーランキングとかには興味がなくて、「とりあえずこれ読んでみよう」というほどに気軽に読むほど読書スピードも速くはなくて。吟味系なのかな・・・。
 そんな感じで私の家の本棚の隙間がコミック以外の本で埋められていく時期なのだ。今まさに。 

 ネットやブログを徘徊したり、新聞を読んだり、業界紙を読んだり。

 昔だったら情報の流れに手を突っ込んでかき回してみても引っ掛かるもの自体が少なかったから情報を持っているだけで知識人っぽく見えたんだろうけど、今はちょっと手を入れたらズシッと押し寄せて来て流れがせき止められるほどの膨大な情報が引っ掛かる。
 その感触は確かなのだが、こんどはその手に入る有象無象の情報の中から本当に今の自分が求めていてさらに自分に適合する「思考の素材となる知識」を探し出すのが困難になっている。


 北半球の夜空で北の方角を探す時に見つける星は北極星で、北極星を探すのに手っ取り早いのは北斗七星とカシオペヤ座から探し出す方法を覚える事だ。ある程度の視力を持った肉眼では6等星くらいまでの星を確認できるのだそうだが、その程度しか見えないから2~3等星が構成する星座を星座として認識できる。これがもっともっと夜空を覆い尽くすほどに暗い星まで全部見えてしまったならば北斗七星もカシオペヤも、ましてや北極星などどれがそれなのか大概の人は分からなくなってしまうだろう。
 今、情報というカテゴリに起きている事は、まさに暗い星が明るさを得た夜空のような状況と言えるだろう。

 本ひとつにしてみても、商業ベースの世の中にあふれる星の如く現れては消えて行く本たちの中で、何十年、何百年先まで人の心に生き残って行ける作品、センテンス、フレーズ、思想というのは一体どれくらいあるのだろう。それだけの思いで書いているものが残っていく事を祈りたい。
 
 本じゃないけど、私の書いている文章にもこれだけ多くの文の中のどれかひとつでも、いつかどこかの誰かに響く言葉があれば嬉しい。


 ほん‐もの【本物】

 1 にせものや作りものでない、本当のもの。また、本当のこと。「―の真珠」「―の情報」
 2 見せかけでなく実質を備えていること。本格的であること。「彼の技量は―だ」
                           大辞泉 より



  
2008/09/19 Fri  00:00:59» E d i t
 » 翌朝 
  大丈夫さ 朝は光を運んでくれるから
 

翌朝2



  どっちが前だか分からない
  月明かりも無い闇の中で
  それでも前に進めるかい

  そっちが前だと言われたら
  そいつの顔もみないままで
  そっちを前だと信じるかい

  そもそもおかしな話だろ
  いつでも前に進まなきゃって
  一体誰が決めたのさ
  誰に脅かされてるのさ

  立ち止まって突っ立って
  目を閉じていても夜は明ける

  大丈夫さ  朝は光を運んでくれるから

翌朝


  こっちが前だと決めたなら
  道筋も無い時の中で
  それでも前に進めるさ

  そっちが前だと決めたなら
  そいつを胸に刻みつけて
  ひたすら前だと信じりゃ良い


  立ち止まって突っ立って
  目を見開いたら夜は明けた


  大丈夫さ  朝は光を運んでくれるから
  大丈夫さ  僕はまた歩いて行けるから

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2008/09/17 Wed  16:26:28» E d i t
 ほえ~。
 すっげぇ~。残っちゃっいましたよ~ ブログ・de・フォトコンテスト「あお」部門の最終審査 に。

 2点応募したうちの1点「空を泳ぐ夢」(もう一点は「メルヘン」)が予選Dブロックを通過したらしいです。
 ええ。ええ。Dブロックで私の作品ふたつが並んでしまって「票の食い合い」だとかアホなことを書いた記憶もありますが、本当に多くの人に応援して頂けてヒデキ感激です。


 最終審査ではBブロックに並んでいます。

 
 全てのブロックを見渡してみたら、私が「本当にコレすげぇ~」と思って投票した作品たちは2点ほどが決勝に残り、あとは残っていませんでした。
 自分の感性と、得票数は違うよな~

 そりゃそうだよなぁ~普段からのお付き合いで入る票だってあるだろうし。
 ここで応援してね~って頼めば私の写真だけを見て入る票だってあるだろうし。
 それが良いとか悪いとかじゃなくてね。そういうシステムで審査なのだから、義理票だって大いに結構なことです。なので皆様、是非是非清き一票をこの私の作品に・・・なんてね(笑

 ブログ・de・フォトコンテスト「あお」部門の最終審査

 でもね~(・。・
 写真中心のブログを運営されている方から、私の写真の感想を聞いてみたいなぁ~って思う部分があるんですけどそれがまだ実現してないんですよね~。実現できたら良いなぁ~。
 金ロマでも、詩とか無視で構わないので何枚目の写真がどうだとか書いてくれたらうれしいです。
 
 その実現に向けてより多くの可能性が生まれたという事で今回の最終審査に残ったことの嬉しさはあって。

 ん?んん?・・・そうかぁ、私の写真が技術的に語ることのできるレベルにまで到達してないってことか?

 まぁ、「感性とカメラ任せで撮ってる」って私が自分で言い切ってるんだから、今のままじゃしょうがないのかぁ。

 とにかく最終審査に残る事ができました。みなさんの応援のおかげです。本当にありがとうございます!
2008/09/17 Wed  06:30:56» E d i t
 前回(から、随分と間が開いてしまったけど・・・)写真で見たような、そもそも海の魚をあまり食べるという食生活のない中国の片田舎に立派な水産加工の工場があるのは、日本の商社が商品のコストを抑えるために人件費の安い中国へ製造の拠点を移したことに起因する。


 中国は資本主義国が発展して行くのを横目で見ながら社会主義の失敗を体験してきた国だ。なぜそうなったのかは別な時に改めて書きたい。
 社会主義の根幹を残しつつも資本主義経済の制度も拾うという、まさにデタラメな政策が功を奏して今や中国は「世界の工場」の名を欲しいままにしている。私達の常識や知識からすればデタラメに見えても、人の命が懸かっている・・・国の危急存亡の危機に変なこだわりを持って国を滅ぼす方がどうかしてるのであって、何と何が混ざろうとそんなのは関係ないのだ。生き残り、そして他に抜きん出て初めての繁栄である。

 話を戻す。

 中国の工場は、中国人が計画して作ったものではないものが多い。
 日本を始めとする先進国の商社・企業が安価な労働力を求めて進出した結果、世界の技術が中国に集積してしまったということの方が多いのだ。

 つまり、だから昭和20年代の風景の中に超近代が突然現れるのだ。

 中国は国策として経済発展を推進したい。企業側は安価で豊富な労働力で商品を製造して行きたい。
 先進国の国内では教育・情報の時点で経済を下支えしている製造業の重要さを教えるよりも「ブルーカラー=肉体労働者=頑張ってもお金をあまり稼げない人たち」と軽んじるどころか疎んじるような風潮があり、働く場所があるのに働かない、働きたくない、働かなくても食って行けるという中途半端に裕福な状態が生まれ、経済の閉塞状態に陥り気味な中で、大量の雇用を生み出していた一次産業・二次産業はどんどん高くなっていく人件費と困難な人材確保の中で効率化を目指し機械による製造を推進することで、ますます肉体労働者が働く場所は無くなり、「人が働かない・働けない・働く場所がなくなる」の悪循環によって国内での行き場を失ってしまった末に、比較的安価な人件費で、ハングリーさを持ち合わせていて人口の豊富な場所への進出が企業の命題となった。

 中国と先進国の商社・企業のニーズが一致し、中国への企業展開は90年代後半からこの10年、加速的に進んだ。

 先進国の商社・企業はそれまで国内で試行錯誤と長い時間を掛けて練り上げてきた技術体系をそのまま中国での工場作りに活かしたし、中国もまた経済を牽引してくれることを期待し開発の支援、税金の優遇などの措置でこれを応援。
 
 例えば日本で考えたら、企業は新しい技術体系に至ったとしても、これまでの工場を壊して新たに立て直すという作業が必要になる。それも全て企業が自腹を切った上で、高い施工料金、高い設備投資をしなければそれを実現できないという状態の事を、中国に行けば何もないところにいきなり、中国と言う国家の支援を受けて、全ての計画を実現させることができる。
 ならば、答えは簡単。
 「中国でやりましょう」となる。

 折りしも日本では、スーパーが消費者に向けては価格破壊宣言を出して大量廉価販売が横行する時代にあって国内での高すぎる人件費、人件費分の労働をしてくれない労働者、高騰する原材料、価格転嫁できない製品・・・適正価格をはるかに下回る安売り合戦の中で倒れて行く企業。企業が倒れればそこに雇用されていた人々が吐き出されてしまう。
 そして、その人たちは行き場を失う。
 行き場を失った人たちの生活を保護しているのは何のお金?そう考えて行くと、事情がハッキリ見えてくる。

 

 日本の不況の元はこれですから。
 すべてはコストダウンの旗の下、国内での経済の下支えが崩壊してしまったことに由来してる。
 それは成熟した経済、情報社会にあっては致し方ないことでもある。
 崩壊してしまった経済の基礎を、依存し続ければいかに安価な労働力とは言え国内のカネは中国に流れ続け、継続の中で中国に生産技術は蓄積され、遂には「我らには遠く及ばぬ貧困国」と見下げていた国に逆に見下される時が来るだろう。


 さて中国。
 そうして超一流のハードは整ったけれど、そこで働く労働者の意識はどうなのか?
 だって、そこら辺に立ちションしたりトイレはあるけど仕切りが無い所でみんなでウン○して、ろくに手も洗わなかったり・・・教育とか衛生概念とか一体どうなってんのさ?って感じだし。

 次回は働く人の意識面について書きたいと思います。
 



 ・・・そのうち(笑)。
2008/09/15 Mon  06:20:00» E d i t
 » とおりすがり 
 連休の中日の日曜日。

 空は晴れ上がり、小春日和というよりも残暑という言葉がしっくり来る一日も夕刻。
 遠くから遊びに来ていた知り合いが帰るのを見送るために、となり町の駅まで車で送ることになった。

 夏から秋にかけての休日、我が町ととなり町をつなぐ国道は大渋滞になる。
 それを見越して早めに出発したが、やはり渋滞。
 地元を知っている人しか迂回できないような裏道へ抜け、夕日を左後方に感じながら渋滞を横目に比較的スムーズにとなり町へと向かう。

 となり町に入ると知り合いの乗る列車まで大分時間が余ったので、土産物を買いに行くことになった。これもやはり走り慣れていないと迷子になる様な小さな路地を曲がりながらショッピングモールへと向かう。

 それはもう何気なく、そう、本当に何気なくハンドルを切ったのだ。
 「まだこの小路は通ったことないから、通ってみよう~♪」といたずらっぽく言った私の言葉を、きっと知り合いは覚えていないだろう。

 車がギリギリすれ違えるくらいの小路に入り、前方に集中しながら狭い路地を運転する私に知り合いが

 「あ、ちょっと!あそこに人が倒れてるよ!」と叫ぶ。

 ??

 私の視界がとらえなかった視覚情報を、知り合いはキャッチした。
 そしてなぜかその狭い路地に良い感じの空き地があり、そこに緊急停車すると知り合いはドアを蹴破る勢いで倒れている人の所へ向かう。
 私はワンテンポ遅れて運転席から降りてそこへ向かう。

 小路の並びの長屋風の建物の玄関が外側に開き、その玄関から頭を外の方に向け、不自然に横向きに倒れている年配の女性がいた。
 知り合いと私はすぐに彼女の意識確認をする。

 どうやら息はしている。やや強めのアルコール臭がする。
 
 しばらく声を掛け続けると彼女が目を開けて我々が立っている斜め後ろ辺りを見ながら
 「あぁ・・・お迎えが着たんだね」とささやいた。
 「いや、残念ながらお迎えじゃないですよ。分かりますか?身体は動きますか?」と、軽く突っ込んでみる。
 「大丈夫。身体は・・・あれ?動かないや。」

 知り合いが長屋の隣の住人に救急車を呼ぶように話に行く。
 携帯電話を持っていても、となり町のこんな小路の住所はおろか、位置の説明などできようはずもないのだから適切な判断だと思う。

 日曜日の夕刻であることを考えると隣人が出かけていることも大いにあり得る。
 実際、隣の家の玄関ドアをノックしてもしばらくは応答が無かった。
 
 私が逆どなりの離れた一軒家に事情を説明に行こうとした時に、知り合いがノックした隣の家の扉が開いて年老いた婆さまがゆったりと姿を現した。いや、そりゃそうだ。緊急事態だと言う事を知らないのだからそれはしょうがない。

 ゆったりと出てきた婆さまは開口一番、「大屋さんなら、向こう隣の一軒家だからそっちに行ってください」みたいなことを言った。多分、この倒れている女性のところに何度か招かざる客人が訪れて、その度に隣のこの婆さまが迷惑をこうむっているのであろう。
 知り合いが事情を話すとにわかに信じられないという表情になり、「できれば救急車を呼んで欲しい」という私達の要望を完全無視して、お隣さんの様子を見に登場。
 「あらまぁ~、××さん。大丈夫?」などと、声掛けを始めた。
 
 いや、だから救急車呼べよ!

 そんな婆さまの様子を見た私は、向こう隣の一軒家の大屋さんとされる人の家のインターホンを鳴らす。間隔をあけて数度鳴らすが・・・留守なのか?しばらく鳴らし続けると、面倒臭そ~うに訝しげにこれもまた婆さんが玄関ドアを開けて出てきた。
 そりゃそうだ。日曜日の夕刻、一家団欒でご飯でも食べていた途中かもしれないし。
 「僕ら、とおりすがりの者なんスけど、お隣の××さんが玄関で倒れてるのを偶然見つけて。なにしろとおりすがりなモンだから救急車とか呼んであげらんなくて」と説明すると、その大屋の婆さんもまた状況確認に出た。

 いや・・・。救急車呼ぼうよ・・・

 って、まぁ、知らない男が来て突然そんなこと言っても信用しないか。普通。
 パニックになっても仕方ない状況だもんね。

 大屋の婆さんが現場に着いた頃、最初に出てきた隣の婆さまが救急車を手配しに行ってくれたらしい。
 私と知り合いは倒れている××さんに声を掛け続けるが、××さんは酔っているのもあるのか、その勢いで血圧の関係で倒れたのかそれとも脳内で何かが起きたのか、話ぶりはハッキリしているのだが内容が飛び飛びで混濁している。

 
 時間にして15~20分間の出来事だっただろう。
 ふと時計を見ると、知り合いの列車の出発時間が近づいていた。

 
 私達は、××さんの隣の婆さまと大屋の婆さんに事情を説明してその場を後にした。


 知り合いを送るためにとなり町に行き、連休の渋滞だったからその小路を通り、玄関のドアが開いた状態で倒れていたから発見でき、お隣さんが出かけてなかったから救急車を呼べた。

 偶然といえば偶然。必然と言えば必然。
 不思議なもんです。
 救急車が来るまで付き添えなかったのは心残りだと言えなくもないが、まぁ大丈夫だろう。

 知り合いは何とか土産を買って、何とか列車に間に合ったのだった。
 私はそれを見送ると、なんだか必要以上にグッタリして家に戻って寝たのだった。
 
2008/09/13 Sat  11:27:28» E d i t
 » 茶声 
 最近、ドリフのDVDをレンタルしてきて良く見る。
 ドリフはもう、純粋に笑いを煮詰めて煮詰めてもはや「普遍」の域に到達していると思う。
 それが証拠に、我が家の子供たちがゲラゲラと腹を抱えて笑う。私も笑う。嫁さん。も笑う。
 みんなが共有できる笑い。それがドリフ。

 そして、彼らのギャグは真似しやすい。
 
 今は、いろんな年齢層の中でターゲットを絞ってコアな笑いを狙ってくるお笑い芸人がたくさんいるが、実際にドリフを見せられると「もはやそこしか残っていない」というくらい物凄い純度で笑いを表現しきっている。

 なぜそこまでドリフを礼賛するかって言うと、私は「8時だょ!全員集合」で育った世代であり、その後も事あるごとにドリフに笑いを贈られ、さらに志村が本を出せば買って読み、いかりやが本を書けば買って読み、特集をやれば録画し、CDで昔のドリフの昔の曲が出ればダビングし、DVDが出れば借りてくるということをくり返して今にいたるからである。

 ドリフはもはや私の血肉の一部になってしまっているのだ。

 いかりや長介は完全に私の中に松下幸之助とか本田宗一郎よりもはるかに理想的なリーダー像として永遠に君臨し続けるだろうし、高木ブーは雷さまだし、仲本工事はただあの体型でそこそこ器械体操ができるだけなのになぜか運動神経抜群!という言葉を見かけると真っ先に彼を思い出すほどだし、荒井注は私が生まれる前に脱退してるけど「なんだ、バカヤロウ!」は知ってる。

 まぁ、その中でも志村と加藤は別格なのは万人が認めるところだろう。

 例えば努力の結果得られる成果をyとして努力をxとした場合、単純に(努力しても努力しても届かないとか、そういう複雑な環境を無視した場合)その成果は  y=ax  という一次方程式で表現されるはずで、じゃあその a が何なのかと言えば「持って生まれた才能」ということになるのだろうけれど、彼ら二人はコメディアンとしての素質の a がずば抜けて高いのだろう。

 志村は y をさらに次回の a に繰り越して行けるタイプだ。経験を才能に付加して、さらにそれに努力を掛けて行くから一気に何周りも成長する時が来るし、それでいて絶妙な親分肌だから取り巻きができる。そして、その取り巻きを成功に導くという特性も持っている。


 一方で加藤茶。

 今日語りたいのは加藤茶。

 この人は、大天才なのだろう。でも「あっさり脱力タイプ」。
 志村が本来ならば引くべきところでも前に出て自分の居場所を拡大して行く天才なのに対して、加藤は引くべきところでちゃんと引いて待っている。
 つまり、志村が強引に物事を掴んで行くのに対して、加藤は来たチャンスを逃さないタイプの天才だと思えるのだ。どちらも天才には違いないのだが、志村の方が得をしているようにも見える。

 
 加藤茶の魅力は、その愛嬌たっぷりの容姿や目まぐるしく変わる表情もさることながら絶妙な「間」のとり方と「声」にある。

 間 は、見ている人をグッと引き付ける「間」。そして、最高のタイミングでギャグを放つ「間」。志村の本にもいかりやの本にもたしか書いていたが、コントの命はリズムだということだ。そして、加藤は天性のリズム感を持っているのだとも。


 私は、そういう専門的なことよりも、「カトちゃん」の声に他の追随を許さないほどの魅力を感じてしまう。カトちゃんの声・・・をイメージできない人がいるだろうか?何かのギャグでも、どこかのセリフでも、それが例えバラエティー出演の際の一言であったとしても、カトちゃんの声は聞けばすぐに分かる。
 これだけオリジナリティーにあふれる声なのに、誰もモノマネしようとしない。できない。せいぜい、「カトちゃんぺ」のマネをするくらいだ。それはモノマネではなくてギャグ真似だし。

 つまりカトちゃんの前にカトちゃん無く、カトちゃんの後ろにカトちゃん無しの証拠なのだ。

 
 カトちゃんの声は良い。
 なんだか陽気で、昼間っから酒飲んで楽しそうな雰囲気で、悪びれないイタズラっぽさがイメージされる。いいなぁ~。そして、わずかに出てくる東北かどこかのなまり。たまらん!

 
 って考えると、いかりや長介の声だって個性の塊だなぁ。
 聞けばすぐ分かるし。あれが晩年、役者としての凄みに変化して行くってんだから世の中分からんもんです。


 私が見てた頃のドリフは、志村・加藤という天才をいかりやという強烈な個性を持つリーダーと高木・仲本という名脇役が絶妙なバランスで社会の縮図・まさに寸劇(コント)を表現していた奇跡の時代だった!

 最近、テレビCMでドリフを見かける機会が多くなった。

 これはきっと、我々世代が購買力をつけて来たことに対する広告会社の戦略の一環でもあるのだろうが、多分、製作した人だってドリフターズファンで、彼らが持っている「懐かしさと共にこみ上げてくる昭和のほんわか感」を、この忙しい世の中で四苦八苦している現代の大人たちがどこかで求めている癒しの象徴なのかもしれない。

 
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 ドリフが現代人の憩いのオアシスになるとは、当時どれだけの人が想像しただろうか?笑いは確かに人を救う!救うのだッッッ!!!



 もし、疲れているならば今すぐDVDレンタルして来て、この連休に見てみると良いと思う。
 懐かしくて笑えて・・・なんか泣けるから。

 「カトちゃんみたく脱力すれば良いや!」って思えるから。  


 へ~~~っくしょん!!
2008/09/12 Fri  04:33:34» E d i t
 » ただ瞳はぼんやりと 
 薄く広げた 浅黄色 
 立ち上がる うすくれない
 走る車 窓越し
 感じた心変わりの空


hitomi-1


 ただ瞳はぼんやりとそれを眺めていた
 視点定める事も無く
 流れる景色のその果てを


hitomi-2


 淀む心に惑う時かすかな色が心にしみる
 流れる時間のその中で
 切り離した刹那


hitomi-3



 遠いあの日の歌
 追われてみたのはいつの日か

 
 

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2008/09/11 Thu  06:10:56» E d i t
 » 曲がってしまえ! 
 あうぅぅぅ~寝不足です。

 我が家は国道の交差点のすぐ側。

 夜中に 
 
     ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス 
     ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス

 ・・・だ、そうで。


 曲がれよ!

 
 え~っと、車を運転する人なら分かると思うんですけど、日本車は進行方向に向かって右ハンドルで、左車線走行ですから、運転中は助手席側に死角ができるんですね。
 それで、交差点などを左に曲がるときに横断してくる人とかが見えなくて巻き込んでしまう事故の危険性が高いっていうので、左折時には「巻き込み確認」という作業があるんですよ。

 一般車両でも死角が多いところ、まして大型車ともなれば角度の違うサイドミラーが2~3枚付いていても完全に安心とは言いがたい。
 そこで、いつの頃からか

      ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス 
      ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス

 が登場したんです。
 
 壊れたロボットが何度も同じ事を繰り返し話しているかのような、電子的女性ボイスが大型車の死角にいる歩行者に注意を呼びかけます。

 
 あぁ・・・うるさい。
 

 けど、仕方ない。
 「こんな田舎に、こんな道路に、こんな時間に歩いている人なんかいないだろ」とか思うけど、「だろう運転」は事故の元。実際、活発な爺さんたちは何だか知らんけど夜明け前からチャリで走り回ってるし。


 でも、夜中に大型車が2台以上並んだ時は凹むほど切なくなる
  
 ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス  ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリクソン 
     ピピーッ ピピーッ ヒダリニイタカヤマノボレ
  ピピーッ ピピーッ ヒダリニキリギリス  ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリガリクン 
     ピピーッ ピピーッ ヒダリニアマリリス
  ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス 
             ピピーッ ピピーッ ヒダリニマガリマス

 
 え~い!!曲がってしまえ!

2008/09/09 Tue  17:19:53» E d i t
 »  
 お気に入りの靴ってありますか?


 私、中学の頃には27.5cmだったんですよ。サイズ。
 したっけ、無いんですよね。当時はそんなビッグサイズの靴が。
 靴流通センターみたいなチェーン店も無かったし、町のスポーツショップとかで紳士靴のコーナーの「大きなサイズ」のおじさんぽいベタ足スニーカーとかしか無かったんです。
 悲しかった。
 みんな、アディダスとかミズノとかなのに、私はひとり学校の内履きみたいなスニーカー。


 高校一年生の頃、ちょうど「スラムダンク」の連載が始まって、ジョーダンとかジョンソンとかロッドマンとかのNBAブームが来て、バスケットシューズが流行した時期と重なったという偶然もあって、大きなサイズの靴が急激に充実!しかし!!バッシュは値段が高い。
 その当時、すでに時期ごとに「○○モデル」とか「エアジョーダンシリーズ」とかどんどん新しいモデルでサイクルするムードが出来上っていて、私はそのモデルチェンジの頃に半額になったバッシュを買ってもらった。
 
 流行なんてどうでも良かったし、半額だろうとなんだろうとその白地にグリーンのラインの入ったバッシュが私のお気に入りになった。

 結局その靴は大学1年まで履いたが穴が開いてしまった。


 靴を捨てるのは何故かものすごく気が重いのだった。
 一緒に歩んできた思い出も一緒に捨てちゃうみたいで。
 何度もゴミの袋に入れては、思い直して取り出して、また思い切ってゴミ袋に入れて・・・



 その後も何世代かお気に入りの靴を見つけては履き潰すまで履いている。
 で、今も相変わらず靴を捨てる時には何度も何度もゴミ袋と格闘するのだった。


 この「お気に入り」ってヤツがなかなか見つからないものなのだ。


 私は、基本的に流行を気にしない。だから店員に「これが流行っています」とか「売れ線ですね」とか言われても全然気にならない。
 その時、その場所でピンッと来た靴じゃないと嫌だし、それがやむを得ずそれしかサイズが無くてどうしようもないから買ったビジネスシューズとかだと、あからさまに扱いがぞんざいになる。



 「自分の好みの傾向とは一体何なのか?」と自分の手持ちの靴を並べて共通項を探してみるが、色もデザインもバラバラ。
 派手な靴は好きじゃないし、いざと言う時に走れないような靴はなるべくなら履きたくない。
 それでいて、みんなが履いているようなデザインのものは選ばない。

 値段が高くても、安くても、私が気に入ればそれで良いのだ。
 とは言え、高いと「嫁さん。ストップ」が掛かるからダメだったりするが。


 自分基準でカッコイイと思える靴を履いている人を見ると、なんだかものすごく「あ、この人とは合う!」とか勝手に思ってしまうのだった。
 


 お気に入りの靴はありますか?
 長く履く方ですか?
 捨てる時、どうしてますか?
2008/09/08 Mon  06:51:27» E d i t
 桃太郎という童話が普遍的人気を誇っているのは、鬼が鬼らしい鬼だからに違いない。
 イメージの中で鬼は角が生えていて、必要以上に肌の色が鮮明で、カラダが大きくて力が強くて、人間の常識やルールが通用しない種族である。
 それを人間側代表(いや、桃から生まれたから人間じゃないのだろうけど)の桃太郎が、仲間を連れて征伐しに行く。
 つまり、鬼らしい鬼がいなければ鬼退治のカタルシスは生まれない。桃から生まれて普通に生活したのであれば、それはもはや物語にもなりやしない。
 
 だが鬼退治だからと言って「泣いたあかおに」の"あかおに”や"あおおに”を退治したのであれば、桃太郎は日本最大のヒールになってしまうだろう。

 生まれながらにして「鬼=怪物性」を持っている人間というのは存在する。遺伝という科学解析を超えた存在が稀に誕生する。そして、それは大概の場合において現代社会の人間性の枠の中で矯正されて封印されて行く。
 
 だがプロレスのリングの上には時として、鬼らしい鬼が覚醒することがある。
 テレビのアナウンサーはGHC王者・森嶋を「新世代の怪物」であると表現したが、まさに言いえて妙である。森嶋は怪物なのだ。
 肉体は怪物。でも、人間として育てれられ、人間を模倣してきたがために人間としてのフレームが硬く彼の怪物性を封印してきた。多くの人たちは森嶋のハートの弱さを指摘してきたが、私は試合中でも垣間見えてしまう優しさや躊躇に「泣いたあかおに」の鬼のような森嶋の悲哀と才能を逆に感じていたし、リング上でそれを取り払って自分の中の怪物を解放してくれる日を心待ちにしていた。

 今の森嶋は、そんなかつての悲哀などどこ吹く風といった感じの怪物へと変貌を遂げた。
 この世代のレスラーの存在感というポテンシャルで行けば、森嶋と全日本の諏訪魔は双璧を為すと思う。ただ、メディア戦略に長ける新日本の棚橋や中邑に人気・知名度の点では数段落ちる気がするが。それは所属団体の考え方もあるだろうから仕方ない。 


 誰がどうみても大きくて、大きいのに早くて、飛んで。さらに絶大なインパクトを伴ってその巨躯を相手にぶつけて行く。相手はもう吹っ飛ぶ、押しつぶされる、ちぎり投げられるしかない。
 目覚めてしまった怪物は彷徨う。
 己の力をセーブせずに戦える相手を探して。
 怪物はまだ人間の心で普段は抑えられている。本当は、ノーリミットで怪物を解放してみたい。それを本人も観客も望んでいる。怪物は、己の力の強大さを確認し、誇示し、さらに向上させたいのだ。
 そのためには、それを引き出してくれる強大な相手の存在が必要である。
 鬼が鬼でいられるために強い桃太郎は必要なのだ。桃太郎がいなければ、鬼はただのならず者。物語の「もう一方の主役」にもなれやしないのだから。

 
 森嶋と佐々木健介のGHCヘビー級タイトルマッチがテレビで放送されていた。

 森嶋は鬼だと思った。試合開始と同時にあの、プロレスラーらしいプロレスラー健介が真正面からぶつかって行っているのに、いともたやすく弾き飛ばした。
 まったく健介が試合をコントロールできないほどの力で振り回し、叩き、潰す。
 エプロンコーナーから場外へのパワーボムを狙った健介を145kgヒップドロップで潰した時には、鳥肌がたった。
 
 森嶋のプロレスは分かりやすい。巨体で叩く、ぶつかる、潰す。最後に投げる。とにかく、見ている方が痛くなるプロレスだ。
 そして、健介のプロレスもまた分かりやすい。鍛え上げた肉体をとめどなく相手に打ち込んで行く。

 二人のプロレスは弾け合うプロレス。衝撃が響くプロレス。届くプロレス。 
 実に激しく、実に分かりやすい。
 森嶋は健介に対して怪物を全開にし、健介は全力でそれを組み止めて弾き返そうとする。それが響き渡ってプロレスが加速して行く。

 健介は若き日より、ウォーリアーズと組ませてもらったりノートン級の怪物、あるいは橋本あたりと対戦する事で培ってきた怪物退治の戦略と技を持っていた。
 試合終盤に開いた差はその差だった。
 森嶋は確かに怪物を解放させることに成功したが、その怪物は怪物としての戦闘経験が少ない。
 かと言って、健介が余裕だったわけでもない。
 ギリギリの攻防の中で怪物退治の経験が蘇り、それがピタッとはまっただけのことなのだろう。
 だが、それをここでこのタイミングで決めて見せるところが現在の健介の素晴らしさだ。

 今の健介のプロレスは、絶対面白い。


 かくて森嶋という新世代の怪物は征伐され、健介がGHCのヘビー級ベルトを巻く事となった。番組のテロップではすでに9月27日にモハメド・ヨネと初防衛戦が組まれているらしい。「なぜ?ヨネが??」勢いも実績もパッとしないヨネが、健介との戦いで何を魅せるのか。森嶋との評価は天と地ほどにも広がってしまった今、崖っぷちのヨネがどう弾けるのか。それを健介がどう組み止めて叩き伏せるのか・・・。 


 森嶋は、まだ「怪物の芽」だと思う。
 今回みたいな試合を経験して、きっとこの先あのWWEさえも経験して、本物の怪物になって行くベースの段階でなのだろう。リング上でも三沢や小橋、健介世代と互角以上に渡り合えているということと、苦悩の果てに独自の存在感を身につけた上でファンの期待度も高まって急激に認知度も上がっていることに私は脅威を感じるのだ。
 この怪物、どこまで進化するだろう。楽しみだ。


 私、森嶋のファンになったようです。どうやら。
 
 

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

2008/09/05 Fri  05:21:24» E d i t
 » 夏の背中 
 すすり泣き
 君が言ったさよならに
 
 追いすがるように伸びた影

 笑い声
 ため息
 闇に溶けた


 夏の背中を見送った
 灯りは小さく微笑んだ

線香花火1

 照る日差し
 君と出会えたよろこびに
 
 ラムネのような弾け声

 笑い顔
 泣き比べ
 空に溶けた


 夏の手をとり 駆け出した
 灯りは激しく微笑んだ
 

線香花火2


   通り雨
   君と走った昼下がり
 
   追いかけるように架かる虹

   弾む息
   こぼれる思い
   涙に溶けた


   夏と走った足跡を
   灯りは笑って照らしてた

線香花火3


       すすり泣き
       夏と走った足跡を
 
       落とさないよう消さないよう

       残り香
       そよ風
       闇に溶けた

 
       夏はひとりで駆け抜けた
       わたしをここに置いてった       

       わたしは夏を見送った
       小さくしゃがんで
       大切に 


       夏の背中を見送った
       灯りは小さく微笑んだ

線香花火4

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2008/09/04 Thu  05:59:52» E d i t
 土曜日のフジテレビ系の映画が「インディペンデンスデイ」だったので、オリンピックも終わったことだし久しぶりにゆっくり映画でも見るべ~とか思っていたのだが、用事があって1時間経過したあたりの途中から見ることになった。
 

 単純明快!こういう難しく考えなくても見られるような映画は大好き!
 (今更ネタバレもなにもないですよね。でも一応白文字で書いておきます)

 でっかいUFOで宇宙人が地球に攻めてきたぞ!
 わ~ッ!攻撃してきたァァァッ!!
 君が泣くまで殴るのをやめない(あ、違った)

 人類のみんなぁ~、行きますよ~!!(アメリカ主導で)

 おりゃぁぁぁあああ!!バリア解除して突っ込めぇぇぇ~~
 よし!それがいい!それがベスト!(あ、違った)

 ズッド~ン!!でっかいUFO大破。
 どうにかこうにか勝つ人類。生き残った人類の未来は明るい・・・のか?

 仲間のUFO来たらどうしようもなくない?





 私と嫁さん。は何回も見ているからストーリーは大体覚えていて良いのだが、一緒に見ていた子供たちがいきなり泣きだしたのにはビックリした。
 
 
 なんで泣いたかと言うと、登場するエイリアンの造形がものすごく、ものすごくおっかなかったらしい。まるもい(長男・3・・・もうすぐ4)はこの手の奇怪な造形にものすごく弱い。昔の仮面ライダーのDVDを見ている時でも、造形的に崩れた感じで怖い怪人が出て来ると泣く。ちなみにお祭りで天狗を見かけると滝のような涙を流して泣く。だからビビるのも分かる。
 ぴっこ(長女・6)は、おっかないのをかみ殺して平然を装うタイプなのだが、まるもい のあまりのビビりようを見て、怖くなったらしい。

 もう、二人で大泣き。
 びっくり。
 
 「うあぁぁぁ、テレビげじで~」「ニュースがげでぇ~」「いやぁあだぁぁぁああ」「こわいぃぃい」


 そういえば、昔、私も「太陽戦隊サンバルカン」で怪人が゛触れると人が石になってさらに溶けてしまう液体"みたいなのをバンバン飛ばしまくるのを見て、怖くなってソファーの陰に隠れて「もういなくなった?もう投げてない?」と母親に確認するほどのビビリア~ンだったなぁ。
 
 宇宙人襲来関係で行けば「V」というアメリカのテレビドラマを編集してしばらく金曜ロードショーで立て続けにやった時期があって、それは小学校高学年の時に見てショックで眠れなかった。
 だって、普通の人間だと思ってたらその顔の皮がベロリンと剥がれて中から爬虫類みたいな宇宙人が・・・もう、友達と顔の皮引っ張り合っちゃいましたから。ホントに怖い設定だった。

 大人になってから見たのでは「サイン」とかね。あの迫ってくる感じはたまらなく嫌だ。

 エイリアンとかプレデターとか、「絶対にいないだろ。」的なキャラクターは楽しんで見ることができるんだけど、本当にいそうなヤツは今でもやっぱり気味が悪い。


 そう考えるとこの手のイカ型エイリアンでも、小学校入学前の私のビビリアン遺伝子が組み込まれた我が家の子供たちにはキツかったかな。
 

インデペンデンス・デイインデペンデンス・デイ
(2002/06/28)
ウィル・スミスビル・プルマン

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 どどーん!ずがが~ん!映画万歳!


 ん?1996年の作品なの?
 もう12年も前なんだ~。
 
 「ディープ・インパクト」「アルマゲドン」よりも先だったけか~。
 へぇ~。この頃はまだノストラダムスとか聖書の終末観がどこかみんなの心の隅に引っ掛かってて、この手の人類の危機的な映画がヒットしたっけなぁ。


 
 大泣きされたから仕方なくチャンネルを変えたらNHKで 北京オリンピック・柔道男子100kg超級で金メダルを取った石井慧を媒介に 柔道 と JUDO の違いを分析した番組をやっていたので、それはそれで興味深く見た私なのだった。

 しかし!

 ビビリモードに入った子供たちは、石井クンと対戦している外国人選手の鬼のような形相を見てまた大泣き。嫁さん。が強制的に布団に連行し、平和な土曜日の夜は過ぎたのであった。

 
2008/09/03 Wed  06:30:10» E d i t
 » 辞任 
 「僕は人気がないから、一生懸命やりたいのに足を引っ張られて、それを振り払うだけで時間が過ぎて行くだけだから。良いんだ。きっと誰がやってもダメなタイミングだったんだよ。もう僕じゃ無理なんだ。あとは誰かがやってくれる。僕はそれを応援するよ。」

 「無責任だな」

 「投げ出しやがった」

 「逃げたな」

 某政治家のドアップの写真には「暮らしに安心」というような事が書かれていた。
 
 暮らしに安心ってどういうことだろう?今日と良く似た明日を保証してくれるってことかな。
 格差社会を是正するって一体なんだ?働かない人にたくさんお金をあげるってことかな。

 日本は病んでいる。

 総理大臣は医者。だけど医者を何度変えても病状は変わらない。今必要なのは、きっとこの病状をきちんと宣告して、治療過程を示してくれる医者だろう。

 政治はクスリにも毒にもなる。国民がクスリだと受け取ればクスリに、毒だと受け取れば毒になる。せめてクスリになるような政治をしてくれそうな政治家を、政治の場に送り込むのが国民の使命なのだろうが、残念ながらそういうことに興味はない人が多い。選挙になればどうやっても自民党が勝つのはそういうことだろう。

 この病を治せるのは「自然治癒力としての国民の気概」に他ならないのだと思う。
 
 今は、支え合い じゃなくて もたれ合い だから疲弊した部分から崩れて行ってバランスが壊れて、崩壊して行く段階だと思う。崩れるバランスを誰かが必死で支えても、支えたその土台が緩くて、そこにもたれ掛かる力が大きすぎてその支える意思とともに全てが崩れ去ってしまうだろう。
 それを見てると、一生懸命に支えることがバカ臭いことだと誰もが思ってしまう。


 「誰かがやってくれるだろう。」

 
 「それは僕のせいじゃない。」


 日本の病の二大原因だと思う。
 日本を代表する人が、見事にそれをカミングアウト。
 それはそれは素晴らしい辞任であった。


 辞めなくても批判の嵐。
 辞めれば一時の無責任との批評だけで済む。
 ならやめちゃった方が良いや。になるのも分かる気がする。


 私達は、あまりにも彼らのやることを応援しなさすぎるし、理解しようともしなさすぎる。「バカがまた何か法律増やしやがった!」「言い訳ばっかりしやがって」って。
 そして、彼らは私たちに説明をしなさすぎる。「バカに説明したってワカンネェだろ?」みたいな。
 政治不信とか言うけれど、国民のほとんどは政治に興味を持たず、政治家は国民を信頼していない(ように見える)。そして、お互いがお互いに対しての信頼に報いるための気持ちが無さ過ぎる。
 お互いがお互いを信じていないから、こんなことになる。 
 


 こまったなぁ。
 「苦しい時も自分を信じて、相手を信じて精一杯できることをやって行こう」っていう自分の信念を思いっきり否定されたみたいで嫌な感じだなぁ。
2008/09/02 Tue  06:09:57» E d i t
 先日私も2作品を応募してみた第14回ブログdeフォトコンテストの審査投票が開始されたとの連絡が管理人のカカオさんから届きました。

 作品が出揃ったところで、写真に興味のある方はどうぞこちらで様々な作品に触れてみてください。
 画像の一覧はできませんけれど、ページの下の方に作品タイトルが列挙されていて、出展者様のブログにリンクされてます。 

 →第14回ブログdeフォトコンテスト「あお」部門 審査投票ページ


 正直、70作品を全部拝見させて頂いたわけではないのですが、この楽しい企画のおかげで色々な方の色々な捉え方を感じることができて、非常に満足しています。
 テクニックや情熱という部分も含めて思いのこもった写真がたくさんあって、「写真」に於ける私の目標である、見た瞬間に心が揺れる写真が何点かありました。
 
 それは、自分が胸を張って出展した作品も含めてです。


 意外な視点や、撮影技法、レンズの種類など、自分の感性の表現にとって新しい発見もたくさんありました。今後、金曜ロマンチの写真に活かされるかもしれません。活かされないかもしれません。多分、ちょっとくらいは活かされるでしょう(笑)。



 さてさて、私の応募した2作品 「空を泳ぐ夢」と「メルヘン」 は Dブロック でお互い隣りあって投票を待っています・・・
 つまり「お願い!私の作品に投票してね~」とここでお願いを書くと、票が分散されてしまうなんてことが起こるわけです・・・かなすぃ・・・。なんてね。



 冗談はさておき、たくさんの写真作品に触れられる素晴らしい機会ですので、ご覧になってくださいね。
 ついでに投票していただけると、コンテストも盛り上がると思われますので参加してみてくださいね~。


第14回ブログdeフォトコンテスト「あお」部門 審査投票ページ

 こちらは私は参加してませんけれど

第14回ブログdeフォトコンテスト「スナップ」部門 審査投票ページ

素敵な写真がたくさんありますので、見てみて下さいね。
2008/09/01 Mon  17:14:23» E d i t
 » 勝頼と洋央紀 
 新日本プロレス・後藤洋央紀が真壁刀義を破り2008年のG1クライマックスを制した。

 世間様ではすでに武藤への挑戦が終わり結果も出ている中で、私の生息地域では相変わらずの半月遅れでのテレビ放送なのだが、面白い決勝戦だった。
 もう、長年続けて来たプロレスファンの眼で見てしまえば、大雑把で危なっかしくて、メチャクチャな試合でお世辞にも素晴らしい試合とは言いがたいのだが、真壁とGBHがヒールとして試合をリードして後藤が締めるという理想的なハッピーエンドだった。最初に書いておくが、真壁あっての好試合だ。



 その後藤の優勝後のロッカールームインタビューで、「G1優勝の喜びを誰に一番に伝えたいですか?」との問いに、間髪を入れずに後藤はこう答えた。「プロレス界からは離れている、格闘技界に行った、柴田勝頼に伝えたい━━」と。


 柴田についてはプロレスカテゴリーでも格闘技カテゴリーでも折に触れて書いてきたが、彼は彼の理想を実現する為に、果敢に現実に挑みかかっている。
 プロレスと総合格闘技は全くの別物である。
 ただ、興業としての総合格闘技となればプロレスだってその範疇にとらえられるわけで、プロレスラーとしてプロレスという競技の他格闘技に対する優位性を示すために白黒のはっきり付く世界に飛び込んで、見事までに黒星にまみれている。

 柴田はプロレスラーであり、プロレスの優位性を示そうとするが、彼がリング上でやっていることは総合格闘技であり、プロレスではない。要するにプロレス経験者の総合格闘技をしている。だから、ファンの期待値は残念ながら下がって行く一方だ。ただただ、新日本プロレスの経験者であり、前田・船木の遺伝子を受け継ぐものとして過剰に報道されてしまってそれを食い物にされている。
 ただ、プロレスでは将来性は抜群と期待されていたもののグリーンボーイの域を抜けていなかったこともあって、そういう悲壮感をファンにまとわされていないのが柴田の救いにはなっているかもしれない。

 後藤と柴田は高校時代の同級生である。
 そして、同じくレスリング部で同じようにプロレスラーになるという夢を実現させるためのライバルとして互いを高め合い、やがてそれをまんまと実現してしまう。

 後藤は練習中のケガで一度退団するが、柴田の活躍に触発されて、再度入団テストを受けて戻ってくる。柴田はその純粋さ故に新日本プロレスの迷走に苛立ち、誰とでも戦うはずなのに戦わないライオンマークに見切りをつけて新日本を退団。格闘技とプロレスの融合体を目指して失敗したビッグマウス→ビッグマウスラウドのエースに据えられる。やがて、プロレスでは見事な大輪の華を咲かせるであろうこの才能は、船木に上手く取り込まれたのか、本人がその気になったのか、総合格闘技の道に踏み込んで行く。

 その間、レスラーとしては体格的に恵まれていない後藤は、ジュニア戦線を駆け抜けるように疾走し、物凄い勢いで新日本ジュニアを牽引した。
 そして、新日本がゴタゴタしていた時期に、誰もが慣れない環境でコンディショニングに失敗して体格を維持する事さえ困難だといわれるメキシコ遠征を約10ヵ月、身体は見事に二回りは大きくなり、爽やかさを感じたジュニア時代とは全くの別人のような荒武者の如き容貌に変貌を遂げて帰国。一気にヘビー級トップ戦線に食い込み、棚橋・中邑らと切磋琢磨しながらこの度のG1制覇へと上り詰める。天山を欠場に追い込んだ東京ドームの試合で後藤から感じた「俺について来い!」オーラは凄まじかった。


 ケガで挫折しながらも再び夢を掴んで、その掴んだ夢を必死で手放すまいとプロレスを全力疾走する後藤と、プロレスを愛するが故にプロレスから離れ、プロレスのためにプロレスを捨てた柴田と。


 私は後藤のインタビューで、柴田の名前を聞いた時に涙を抑えられなかった。
 友情とかそういう青臭い物には殊更に弱い。

 ずっと、ずっと。離れていても、ずっと一緒に歩んできた。ひとりぼっちのメキシコでも、常に後藤の側には柴田がいて、連敗街道を往く柴田の側には常に後藤がいるのだろう。後藤は今、ひとつの結果を掴むことで心に秘めていたその名を口にすることができた。柴田は今はそれをできない場所にいる。
 でも違う道を歩んでいても、きっと二人の道はこの先のどこかで交差しているんだろう。それは、互いがもっともっと高みに上った時に訪れる交差点なのだろう。
 
 長い年月を必要とするかもしれない。
 昨今のプロレス事情であれば、見たいカードは新鮮なうちに!みたいな伏線も張らないでいきなり大会場でタイトルマッチみたいなバカなマッチメークもあるから、機が熟す前に突然実現する可能性も無きにしも非ずだけど、いずれは両者が並び立つ時が来るのだろう。

 プロレスは大河ドラマなんだな。
 昔、週刊プロレスの編集長だったターザン山本がよく書いてたっけ。

 プロレスは人生を追いかけるテーマがあって、みんなそれを背負ってリング上の戦いで人生の表現を続ける。また、それを背負っていない者はプロレスラーとして大成できないように思える。一回戦って作品残して「ハイ、またね」じゃなくて、必ずそれが伏線となってどこか未来の地点に絡んで来るものなのだ。

 リングで描かれる競技としてのプロレスも面白いけれど、深みのある人生劇場としてのプロレスを知るともっともっと、面白い。

 プロレスって面白いなぁ。


 →2007・10・31 「狂犬・柴田勝頼を哀れむ」

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

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