フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/08/30 Sat  07:07:34» E d i t
 「オイッ!ズレてるぞ!!!バキューン!!バキューン!!」

 と、これだけを見て何だかピンと来る人は・・・いませんよね?
 ワーナーマイカルシネマズっていうシネマコンプレックスで映画を見るとき最初に流れる上映中の注意の時に出てくる一場面です。
 「音や映像に乱れがあったら遠慮なく係りに申し付け下さい」という意味の注意を説明する時に出てくるガンマン風のキャラクターのセリフです。


 ・・・日常生活でいませんか?思わず「オイッ!ズレてるぞ!!!」って突っ込みたくなる人。


 物凄く勉強家で、物凄く理論的で、独自の哲学というか人生論を持っていて、それをあたり構わず振りかざして「俺って凄いだろ」オーラを出しまくりの人が知り合いにいます。
 たまたま偶然、仕事の合間に数年ぶりでその方に遭遇しました。

 私は、この手のタイプの人が別に嫌いではありません。持論が極端であればあるほど興味が湧くほどです。
  
 ただ「いい加減にしてくださいよ」と思い始めるタイミングはあります。


 極端な持論や意見というのは、得てして自分自身の状況にのみ適合可能な論であって、それが誰しもに通用するわけではないはずなんですね。ところが、極端な持論を持っている方の多くは持論に揺るぎなき自信を持っているがために、世の中の全ての人に持論が当てはまると思い込んでいて、世の中の道理の方を持論の方に捻じ曲げて強引に話を帰結させてしまったりする部分が多々あるような気がするんですね。他人の置かれている状況を無視して。


 ただ、他人の置かれている状況を無視して持論を展開されるのもあながち無駄というか不毛なことではないんですね。私にとっては。
 なぜならば、限定された状況の中で閉塞している時に、その枠を取っ払ってくれるアイデアが隠れたりしていることもないこともないですから。極めて少ないですけど。

 「せっかく熱心に語ってくれてるんだから、きっとこの方は私をどこかに導いてくれようとしているのだろうな~」くらいにありがたがって聞きます。

 
 最初のうちは「こう思うんですよ」「だと思うんです」ってやってたのが、話が熱を帯びてくると厄介な物で「ね?そうでしょ?」「そう思わない?」が多くなってくる。そうなると私はうんざりしてしまうんですね。


 「そう思ってない」から。
 むしろ、「その極論はズレてるぞ!」くらいに思ってるから。


 自分がそう思っていない持論を展開する人に対して自分の意見を伝えるのはなかなか容易ではないですよね。でも思っていないことに頷いて、後々面倒な事になるのも嫌だから一応、自分の意見くらいは伝えようと試みます。


 まずは自分の置かれている状況を伝えることから始めなければいけないのですが、最初に「いや、僕はそう思っていません」なんて言おうものなら、本人が疑うべきもないと信じ込んでいる持論を否定されたと思い込んで腹を立ててその後は一方的にまくしたてられるのでデンジャラスです。
 
 だから正直にこう言います。

 「あなたの意見は大変参考になりましたが、今の私には消化できないようです。
 私には私をとりまく環境があって、その中で最善を探しています。あなたのお話は、私に新しい選択肢を広げてくれました。
 ただ、いくつか疑問に思う箇所があったのですが・・・ 」

 
 うん!ズルい!!
 そして、良い!!

 相手が帯びた熱を活かしながら、自分の意見を疑問としてぶつけてみるんですね。 
 お互いに考えていることや持論が整理されて、とりとめなく続けれられる一方的持論の中の核心部分がこれで見えてくる場合が多いです。もちろん、そうならない場合もあります。
 
 全くの思い込みや情報の鵜呑みで相手が持論を展開している場合は、答えに窮してしまうこともあります。哲学的な思想にまでいたっている場合は、これまで私に叩きつけるようにまくし立てていた言葉が、緩やかになります。相手は敵じゃありませんから。


 これはお互いの理解のために物凄く役立つことだと思います。
 「ズレてるぞ!」と思っている自分の方がズレていることだってあるでしょうから。お互いにそのズレを自分の思っている方に良い方向で修正していけたら、こんなに素晴らしいことはありません。 



 そうして増やして行ったその当時の自分が消化しきれなかった選択肢という玉石混交の宝箱の中で、アレとコレが混じり合ったり、アレとソレとがぶつかり合って削られて磨かれて輝きを放ち始めたりする自分の持論が出来上がってくるから不思議な物です。




 あぁ、私も早く「おい、この頑固オヤジ、うぜーよ」くらいに若者に思われるような持論を展開できるオッサンになりた~い。!!
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2008/08/29 Fri  00:00:00» E d i t
 » とおせんぼ・とんぼ 
 地図に引かれた国同士の境目 には
 何があるのだろうか

  
 


国境


 
 そこには有刺鉄線が延々と張り巡らされていた





 とおせんぼ
 
 
 届かないんだ 見えるけど
 通れないんだ そこだけど

 
 時だけが延々と流れていた


 とんぼが向こうの国から
 飛んできてひらり
 止まったぴたり


とんぼ




 とおせんぼだってば


 とんぼは首をかしげて
 飛んでった くるり

 
 とてもおかしなものでも見たように
 とんぼは首をかしげて
 飛んでった またね



 (中国・北朝鮮 国境 にて)

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2008/08/26 Tue  06:31:48» E d i t
 » サザン・30周年・活動休止 
 だら~りと二日酔いで棒に振った日曜日。

 「笑点」の大喜利が終わった頃、ようやく頭痛から解放された私なのであったのだったのだったが、WOWOWでサザンのライブが生中継されることは番組表でチェックしてたので、ちびまる子→サザエさんという日曜終了黄金コンボを無視してWOWOWにチャンネルを合わせた。

 サザンオールスターズ。

 
 私は、別に彼らの熱狂的なファンではない。
 だが、育ってくる中で邦楽を聞く環境にあればサザンを避けて通ることはできないだろうし、時代時代のそこかしこでサザンが波の音のように流れていたはずなのだ。意識して聞きはしないけれども、それがサザンであることは曲を聴けば分かる。
 あの曲を聴けばあの時代を思い出す。いや、あの「夏」を思い出す。
 多くの人たちの各々の夏の思い出とともにサザンの歌は私の血の中にも流れている。


 高校時代に親友が「熱狂的なファンの息子」だったということで、親子二代で熱狂的サザンファンという人々を間近で目撃したことを考えれば、ともすれば親子三代でファンだという人たちもいるはずで、彼らがいかに日本の音楽シーンをリードして来たのか、いかにそのトップ集団で走り続けてきたのかが良く分かる。
 あ~。よく考えてみると邦楽はピンクレディー辺りから演歌方面にシフトチェンジを遂げたウチの母親の車のダッシュボードにはサザンとチャゲアス(ちなみに「チャゲ&飛鳥」の時代から「CHAGE&ASKA」へと表記は変わった物の、彼らも今年で結成29年!だそうで)のベストアルバムは入ってるなぁ・・・で、この前そう言えば我が家の娘と息子が「いまなんぢぃ~?」って「勝手にシンドバッド」を口ずさんでいた・・・あぁ、こんな近くにも親子三代が。
 熱狂してなくても、影響はある。
 そういう世代を超えて行くパワーがある。


 30年。
 

 私が2歳の時にデビューした彼らが今年、活動休止宣言を出し、その休止前の最後のライブだということで 「『真夏の大感謝祭』30周年記念LIVE」 がWOWOWで生中継されていたのだった。
 
 テレビ画面を通しても「打ちつける」という表現が実感できるような大雨の中、40曲を越える曲目を演奏した彼ら。

 明るくて、軽くて、元気で・・・切なくて

 日本が一番元気だった時代に寄り添うように流れ続けたヒット曲の数々が披露される。
 
 彼らの歌を聞くと、独特の高揚感に包まれる。
 それはやはり、色んな楽曲と経験を共有してきたからなのだろう。

 学校祭の夜、みんなで泣きながら歌ったのは「BYE BYE MY LOVE」だったし、昼休みの放送で夏といえば掛かっていたのが「稲村ジェーン」。「YOU」や「真夏の果実」を聞けばなぜか切なくなる。理想の恋愛の幻影を歌に見ていた時代があった。
 
 大学時代、弾けるような思い出は「太陽は罪な奴」と共にあるし、ロングドライブを始めて経験した時に流れていたのは「愛の言霊」だった。

 ちょっと聞けば「あ、サザンだ!」と分かるようなメロディーラインで夏独特のイロめかしいムードを醸し出したかと思えば、「稲村ジェーン」のセリフ「終わっちゃったね・・・夏」から展開される夏の終わりの波打ち際の夕焼けのような切なさも併せ持っている。

 サザンは夏であり、夏はサザンなのだろう。

 
 活動休止。
 

 日本の暑かった「夏」の時代が終わっちゃう気がして、なんだか寂しいなぁ。
 休止だからLIVEも「つづく」でフィナーレだったけれども、やはりひとつの時代にピリオドが打たれたんだなって気はしてしまう。

 夏はまた来る
 泣かないで
 いつかまた会える
 And my heart went zoom,with you


 か・・・。 
 
 いつの日か この場所で 
 逢えるなら やり直そう


 か。

 なんだかんだで、サザンジェネレーションなんだなぁ・・・。で、すっかり頭痛も消えたところで、気がつけば夜の9時半で。日曜日が終わっちまったわけで。

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2008/08/24 Sun  16:48:09» E d i t
 » 中国の話④タイムマシーン 
 ♪タイムマシーンがいつかできたら もう一個のふたりに会いたい
 あなたとわたしは一体 どこへ向かう途中だったんだろう

 川本真琴「タイムマシーン」

 川本、学生時代にハマッたんですよ。メジャーなとこでは2枚アルバム出してんですけど、1stアルバムはもうぶっちぎりで良かった。え?知らない?そうそう。その頃、世の中では小室ファミリーとパフィーが席巻してましたから。
 継続した話題性が無ければ興味が湧かないのは世の常です。そして、小室ファミリーもパフィーも話題には事欠きませんでしたから。でも、音楽として、文学として凄まじかったのは川本だった。川本だったのだよ!!

 はい。あ、冒頭から余談なので「おいおい、中国どうしたよ?」って感じですか?失礼しました。


 唐突ついでに質問。
 「みなさんはタイムマシーンがあったら、何をしたいですか?」
 

 私は 「もうちょっと違う選択肢あるじゃん!」 って過去の自分に言ってやりたいことは山ほどあります。

 現代はとにかく時間の流れが早く感じますから「三丁目の夕日」に出て来るような風景の中に戻ってのんびりと生活を送りたいとか、ちょっと未来に行って自分がどうなってるか覗き見してみたいという願望は誰にでもあると思います。

 
 ただ、時間の針がどちらかに振れるということは想像しても、同時に過去と未来が現れるということを想像したことはないはずです。過去と未来は「現在」という一点を仲介にして存在し、これから存在して行くわけですから。
 端的に言うと、 「中国では過去と未来が同居してる」 んですよ。


 ・・・

 ・・・


 あ、「何言ってんの?バカじゃねぇ?」 って思いましたね。思ったでしょ?

 いや、私もこれが一番衝撃だったんですから。想像だにしない感じ。


 ●段階的発展。それは日本の歴史であって、中国の歴史ではない!
 
 以前の記事にも書いてきましたが、道路にロバやら馬車やらと自転車と荷台を自転車にくっ付けた乗り物とオート三輪とバイクと日本車とベンツが共存している風景を想像してみてください。

 はい。想像できましたか?

道


 それです!しかも道路はところどころアスファルトが切れて砂利道。

 大きな道はアスファルトで舗装されていても小路は砂利道で、私たちを乗せた車はその幅の狭い砂利道をも容赦なく80kmで埃を巻き上げながら疾走。今じゃ日本ではとんと見かけなくなった汚らしい犬やら猫やらが道端で昼寝をしています。

 両サイドに壁に何やら「一人っ子政策」を啓蒙するような言葉がペンキで殴り書きされたような古びて朽ちかけた赤レンガの建物と高く積み上げられたワラ山が印象的で、道端の診療所の側では抱きかかえた赤ちゃんに点滴をしながら歩いている母親らしき女性が・・・おい!安静にしてやれよ!!男たちはペッぺとそこらにツバを吐き、立ちションしたりでまぁまぁ・・・臭いんですね~これが。
 
 昔、我が家の近所にあった公衆便所のようなかぐわしき香りが、光化学スモッグだかただのモヤなのか分からないモヤモヤが渾然一体となって モヤモヤ~ン マダムヤ~ン と辺り一面を覆っています。

壁



 あぁ、山村部はやはりこういう風景なんだぁ・・・と眺めていたんです。
 日本人が普段、「お金が無いのって大変なのねぇ~」と哀れみを少なからず込めて思い描いている中国の田舎の風景そのものが目の前に展開されていたんですね。


 「多分、上下水道もろくに整備されていないであろうこの山村で、一体どんな食品加工してんだよぉぉぉ?」と、日本人ならば呆れ気味に誰もが思うはずです。思うに決まってる!思うさ。私だって思ったのですから。

 しかし。


 世の中はどうかしてる。
 だから日本の常識で考えるから脳ミソがフリーズしちゃうんだってば。
 でも、なんだこれ?

 嘘でしょ~!?

 その山村の砂利道の道端の一角、明らかに時代錯誤な建物が建っている!
 時代錯誤って普通、時代遅れのものに対して使う言葉ですよ?で~もでもでもでも、この場合、この言葉を使って正解だとしか思えません。

 外観がすでに近代的だ。その工場の一角だけ。

工場


  
 なぜ、日本の昭和20年代の風景の中に突如として近代が出現するのだ!?

 
 デデデデデデデ・・・デタラメだ!デタラメすぎる!!!夢だろ? 

 工場内がさらにビックリ(撮影禁止)。

 病院の集中治療室に入った事はありますか?
 まさにアレです。全員がソレです。宇宙服みたいな作業衣で全身覆って、作業は円滑に、工場内は常に作業直後に清掃を繰り返し、衛生状況は万全。
 日本の多くの中小食品加工業者にとって、それはもう夢を見ているかのような理想郷。

 水は工場地下より湧き出る飲用可能な軟水を使用して万全の衛生管理態勢を整えています。



 な・・・な・・・

 なんじゃこりゃぁああああ!!! 

 
 なにがどうしてこうなったのかは、つづく。
 
2008/08/22 Fri  00:00:00» E d i t
 » そらたまり 
 涙がぽつりぽつりとこぼれてうなだれて
 いつしか涙が足元に絡みついて
 なんだか濡れて
 なんだか寂しくて
 なんだか嫌だなぁ
 けどこれが今の僕なんだなぁ


    たくさん涙があふれて落ちて
    雫が落ちて集まって
    そこに


    空を映した
    

空たまり

   そらたまり



   ほら
   たったのこれっぽっちの小さな空でも
   僕だけの空なんだぜ

 
 
   そらたまり

  
   ほら
   たったこれっぽっちの浅い空でも
   鳥だって飛んでるんだぜ
   
   太陽だって覗いてる



空波紋



   あふれて落ちてたまった涙に
   そっと触れた

   あふれて落ちてたまった涙は
   小さな波を立てて弾けた


   
   僕が作った小さな空は
   悲しい雫のみずたまり

   けど

   僕が作った小さな空は 
   僕を歩かす力になった

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2008/08/18 Mon  06:36:42» E d i t
 » 嗚呼、大☆中西。 
 ロープに向かって相手の背中をドンッとおっつけて、ロープに腹を打った相手がバウンドで戻ってきた所をキャッチしてジャーマンスープレックスで投げる!

 な・・・なんじゃそりゃ??

 そう。それが 大☆中西ジャーマン なのだ。


 私は、この憎めないキャラクターを持つ、プロレスラー・中西学が大好きだ。
 外国人レスラーに引けをとらない体格とパワーを持ち、レスリングでオリンピックに出場したほどのテクニックを持つ。

 にも関わらず、ここ一番の勝負どころでその力を発揮しきれない。
 それが中西の個性とも言えるのだろう。


 北京オリンピックで賑やかな中、スポーツ紙のバトル欄もやたらと扱いが小さい中で今年の新日本プロレスのG1クライマックスも終了。他団体の選手も豪華に出場した今年の大会だが、どうやら後藤洋央紀が真壁を破って優勝したらしい。

 世間ではそうして時間が進んでいるにも関わらず、こちらでは7月21日、札幌で行われたIWGPヘビー級タイトルマッチ、武藤vs中西 がやっと放送された。

 観に行きたかった。この中西の・・・多分、いや、ほぼ確実に最後になるであろう・・・挑戦を。
 だが、出張だのなんだのと個人的に立て込んでいたこの時期、行けなかったぁ・・・くぅぅ~


 試合だが、野人・中西がいつものような野人の試合をしないで勝てるはずがないのだ。
 試合後に武藤が談話で「なぜアイツが一度もチャンピオンになったことがないんだ?」という意味の言葉を発していたが、あらためて武藤と中西の「勝負どころで勝ちをもぎ取る力」の差を見せつけた試合だった。

 多分、今も昔も中西の試合には「遊び」が足りないのだ。

 昔はそれでも良かった。勢いとスタミナの限り、ガムシャラに相手に立ち向かえばそれで良かったし、結果は伴わなくとも若手ということで期待はしてもらえるから。ところがベテランになるにつれて、プロレスラーというのは試合のコントロールというものが求められてくる。
 「ガムシャラさは若手の特権ではない」というのならば、中西は全てのプロレスの試合をぶち壊してしまう危険性を持っている。パワーもスタミナも半端じゃないから。

 要するに、中西は自分の力を持て余しているのだ。今も昔も。
 
 自分で自分をどうして良いのか分からない。だから、永田のように上手く自分を使ってくれる人間とタッグを組んでいる時や、高山のように自分と互角以上に戦える選手と出会えた時にはグッと輝きを増す。そして、それ以外の時には確かに団体の名物的な存在ではあるのだが、さほどオーラも放たない。

 余裕があるから「あそび」が生まれ、「あそび」があるから相手を支配できる。
 

 中西は自分がリング上で何を表現しているのか、どう動くべきなのかを俯瞰しながらシュミレーションしたりしないのだろう。観客にどう見られている、どう見せたいという部分が少ないのだろう。主義主張が無い、ただただ肉体の可能性をぶつけて行くだけのプロレス。

 周りを見ないから余裕がない。
 余裕が無いから遊びがない。
 ここで攻めれば楽勝だ!というタイミングで「ホーッ」とかやりながらアピールしてて、足元すくわれるようにコロッと負ける。
 余裕が無いなら空気なんか読まずにドンドン先に進めば良いのに、本当は余裕がないのに余裕なフリをするから あそび もただの 悪ふざけ にしか見えないことが多い。


 それが是か非かではなくて、中西はとにかくそういうプロレスラーなのだとこちらが受け止めるしかないのだろう。スピード感とかパワー、瞬発力などは全く申し分なく超人なのだが、全体を通して見ていると、余裕が無いのに余裕なフリをする分、鈍くさい。


 今回も、丁寧に丁寧にネックマフラーストレッチで武藤のヒザを攻めていったのは良いが、あの技が決め技になることは滅多にない。その決め技ではない技の先に、もうひとつ足を攻める技があればあるいは勝っていたかもしれない。
 アルゼンチンバックブリーカーも、その先に中西スペシャル・ヘラクレスカッターがあればこそ駆け引きと言う名の威力を増す。

 ドロップキック、スピアー。単純な技で観客をあそこまで熱くできるベテラン選手なんて本当にごく僅かだ。NOAHの三沢あたりがドロップキックしても観客は「当たり前だろ」くらいにしか思わないけれど、中西のドロップキックは観客を熱くする。
 なぜか?
 キレイでも何でもないけれど、激しく痛そうだからだ。

 チョップ一発でも観客は熱くなる。小橋のチョップとは性質が違う。健介のとも違う。中西のは連打しなくても一発で相手を破壊しそうな勢いがある。激しく痛そうなのだ。

 プロレスラーならば誰もが羨むようなその素質。
 鍛えに鍛えた者が手に入れる何か・・・以前のモノをすでに持って生まれた超人、中西学。
 一挙手一動足がプロレスラー。中西学。

 なのにチャンスを掴めない中西学。

 野人 というニックネームがあるが、まさにそれなのだろう。
 人間は、野生を克服する為に技術を磨いてきた。 野人 には 野人の力 の引き出し方というものがあるのだろう、きっと。だが、人間の世の中にあって野人はどうしても野人のままでいることは許されず、やがて人間の枠の中に自らを閉じ込め、窮屈さに雁字搦めにされて野人の力を封じられてしまった。

 武藤は、真正面から野人を受け止めなかった。
 中西の攻撃の流れを作らせなかった。これが人間の戦い方である。しかも、プロレス界最高峰の魔術師・武藤の変幻自在の戦い方である。

 ジャンケンで言えば、中西はグー。それもでっかいグーで、他のレスラーのグーなんて全部ぶっ壊すほどのドデカなグーなのだが、武藤はグーもチョキもパーも全部持っていて、どの手を使っても、他のプロレスラーよりも一回り大きい。
 武藤がグーで行けば、ジャンケンでは「あいこ」だとしてもパワーの分中西が上回る。だから、パーを出す。

 パーで包み込んで、弱った所をシャイニングウィザード連発という武藤のグーでトドメを刺す。

 この、チョキやパーを持っているということがすなわち「あそび」である。
 普通のプロレスラーでも、ベテランになってくると自分の得意分野の他にカードを増やして、そのカードの切り方を変えてくる。一直線ファイター・健介の戦いの幅が広がったように。

 中西にもその気配は見られる。しかし、実は中西にとってそれは必要ないのかもしれない。
 そうすればするほど、中西の魅力は薄れて行くような気がしないでもない。
 器用でないならば、真っ直ぐに戦えば良いのかもしれない。長州みたいに。
 勝負どころでチャンスを掴めないならば、そんなチャンスごと全部ぶっ壊せば良いのかもしれない。


 業界の雰囲気が「面白いプロレス」を目指すのであれば、ひとりくらい 「凄いプロレス」 を体現してても良いんじゃないだろうか。身体にも恵まれているんだから、それをやって行けるのは中西だけなんじゃないだろうか。


 ま、とにかく中西だ。なんだかんだ言ってみた所で、私は中西のプロレスは好きだ。

 中西が中西のまま不器用で物悲しくて、なんかちょっと安心した試合なのだった。  

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

2008/08/15 Fri  11:07:03» E d i t
メルヘン



 タイトル: メルヘン
 応募部門: あお
 撮影者: フクフク丸
撮影機材: Panasonic Lumix DMC-LX1
撮影日: 2008/01
撮影場所: 北海道釧路市

コメント: 夕日が沈んだ澄んだ空に残されたメルヘン空間

     


ブログdeフォトコンテストへ作品応募ページへ

 

 この画像は私のお気に入りの あお です。
 あお というフォトコンテストのテーマを見たときに真っ先に思い浮かんだのがこの画像でした。

 
 応募作品の画像は 「メルヘンゾーン」 という記事に使用した画像です。

テーマ:なんだこれ - ジャンル:写真

2008/08/15 Fri  10:40:27» E d i t
空を泳ぐ



 タイトル: 空を泳ぐ夢
応募部門: あお
 撮影者: フクフク丸
撮影機材: D-902i (携帯電話) 
撮影日: 2008/01

コメント: 良く晴れた正月の空を窓越しに撮影しました。
      太陽を直接撮影し、画像の左側の色がおかしくなったのが
      けだるい正月らしくてお気に入りです。      

     


ブログdeフォトコンテストへ作品応募ページへ

 


  
 私のブログの金曜ロマンチというカテゴリーは写真と言葉で四季折々の何かを表現してきました。
 画像はその時そばにあるカメラで撮影するので、デジカメ:Panasonic・Lumix:DMC-LX1 か 携帯電話:D-902i のカメラでの撮影になるのですが、何かもっとこう、思うような写真にならないものだろうか?と思う事が多くなって来ました。
 
 気持ちとしては「楽しんでやってるんだから、感性の赴くままで良いや」っていうのと「もうちょっとこのカメラたちの能力を引き出してあげたい」という感覚のせめぎ合い状態です。そのためには、自分がもっと知識を得てそれを活用できるまでになれればなぁ~というさほど強くもないぼんやりとした願望があります。


 今回、David the smart ass・出人さんの紹介によりこのコンテストを知り、たくさんの応募作品や過去作品を見て「あぁ、カメラってこんなことできるんだぁ~」と感激しました。

 機材を買い揃えたりする余裕はないので、今、私が持っているモノをどれだけ活かせるか?能力を引き出せるか?という方向で物事を考ていますが、このコンテストを機に多くの方々とお知り合いになれるようであれば、それが一番嬉しいです。


 応募作品の画像は 「昼寝の夢」 という記事に使用した画像です。

テーマ:なんだこれ - ジャンル:写真

2008/08/15 Fri  00:00:00» E d i t
 » 見守るように微笑んで 
 闇 照らす

 見守るような微笑

 天を斜めに駆け抜けて

 眠りにつく 朝


微笑


 おやすみ

 おはよう 

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2008/08/14 Thu  22:30:11» E d i t
 ●デタラメな光景たち

 大連を離れるとずっと畑作地帯が続き、とうもろこしの茎や豆の蔓なんかが伸びている風景が続きます。見た感じ土よりも岩が多くて栄養分の少ないとされる赤土の土地を畑にしているんですね。
 その風景の中に忽然と建物の集合体が現れます。

 よく表現されるところの 東京ドーム○個分の!では表現しきれないほどの敷地を有する高速道路脇のその建物群は、どうやら家具工場らしいんですね。
 一面の畑作地帯の緑とミスマッチな小さな町くらいの集合体が窓の外を流れて行きます。

 ・・・180キロで走ってる車が何分掛けてこの土地の一辺を駆け抜けてるんだよ?

 とか突っ込みたくなるくらいに巨大なその建物群は家具工場らしく、取引先の方曰く「5~6年前にポッと2~3棟の掘っ建て小屋みたいなのが出来たと思ったら、数年でこんな大工場になったんだよ。それでアレ見てごらん。」
 
 ・・・建物群の向こう側、小高い丘がずっと連なっているみたいに見えたものを指差して

 「アレ、全部家具の材料ね。木材だよ。」

 な・・・なんちゅ~デカさじゃ。
 そして、なんちゅ~規模じゃ。

 なるほど、大量生産はこうして成り立っているのか・・・でも、ここで一体何万人が生活してるんだ???デカいよ。デタラメなデカさですよ。
 で。その建物群を過ぎるとまた畑作地。

 もう、その自然と人工、あるいは昔ながらの畑作と現代中国の生産力を象徴するかのような大工場群のコントラストのデタラメさは強烈な印象を覚えました。


  命からがらのカーチェイス (だと日本人はそう思うけれど中国の人はそう思っていない運転) で目的地へと辿り着いた私たちでしたが、目的地は観光地・・・と、までは行かないにしてもそれなりにちゃんとした町並みで、派手な看板が立ち並ぶ・・・え~っ?読めない漢字は多いんだけどハッキリ読める美容整形の看板がやたら目に付くんですけどぉ・・・やっぱそれってソレですよねぇ???当たり前なの?デタラメな・・・中に「○×酒店」というのがあって、そこに下ろされました。


 なに?え?いきなり酒を飲むの??
 ラオチュー・シンルチュー・チンタオビール何でも来いやぁ!こちとら子供の頃から「酔拳」見て憧れてんだ!酔えば酔うほど強くな・・・あ、え?「酒店」「飯店」って中国語で「ホテル」って意味なんですか?なんだ・・・そ・・・そんなこと知ってたさ。ああ、知っていたともさ



 そこに通訳さんが待ってくれていて、これがまた私の地元の先輩に瓜二つと来たもんだ。


 酒店の中に入る。
 でっかい関羽像がドド~ン!と飾ってある。三国志の劉備の義弟・関羽は商売の神様として崇められているらしい。あれ?福耳でおなじみの劉備は?張飛は崇められないのは仕方ないにしても・・・なんでまた関羽なんだよ?いるじゃん他にもさぁ~単福とか黄忠とか徐所とかさぁ・・・ってマニアック過ぎるか。(→三国志占い・趙雲でしたよ私は)
 
 関羽の前に透明のボックスが置いてあって、紙幣・硬貨がわんさかとその中に入っている。どうやらお賽銭のようなものらしい「・・・透明にしなきゃ良いのに」ってのは余計なお世話ですかね?だって何だか~だってだって、24時間テレビの募金箱みたいじゃん。


 とか一人でいろいろ思っているうちに先輩・・・じゃなくて通訳さんが英語も話してくれないフロントのお姉ちゃんと何やら中国語で談笑しながらチェックインを済ませる。
 

 意外とちゃんとしたホテルで驚くと共に、ほっと一息。
 洋式トイレだってちゃんと個室についています。一般的欧米風バスルームに。良く噂に聞いていた「仕切り無しの共同トイレ」、覚悟してましたんですが肩透かしを食らった形になります。


    ・・・


 いや、ほっと一息ついたらやっぱりまずは・・・ね。するじゃないですか。
 う○こ。(あ、イイです。別に同意は求めてません)

 え?しませんか??(ですから、同意は求めませんってば)
 新しいところについたら、まずうん○ですよ。(同意なんか求めてやるもんかぁ!) 
 さて、用を足してトイレットペーパー見たら

・・・あら?ラスト30センチ・・・いや、そこまでも無いか・・・

 な・・・なにも、こ・・・こんな所でデタラメさを発揮せんでも良いじゃないか!!や~ばばばい。
 

 なんでここまでちゃんとしてるのに、細部でデタラメるのか!!え~い!こんちくしょぉ~!!ちゃんとチェックしとかんかぁ~!!何か無いか?付近に何か使えそうな・・・なんだろうこの箱。何か漢字で書いてあるけど・・・って、なんで普通のホテルにコンドームが置いてあるんだぁ~!?いらん!そんなもんが必要なんじゃないんだぁぁぁ!!!
 

 さあ、このピンチをどうやって切り抜ける!?
 

 当然、ウォシュレットのような気の利いたような便利発明など装備されてなどいないんだぜぇぇぇ!!?



 良かった。日本を出て来る前に駅前でもらった「出会い喫茶」のポケットティッシュがズボンに入ってて

 
 「へ~。出会い喫茶ってこんな料金体系なんだぁ。なるほどね。で、こんなシステムなんだ・・・」って、日本にいる時には全然読みもしないのに、この時ばかりはこのポケティが紙様・・・いや・・・神様のように感じられ詳細にそれを眺めてトイレに座っている私がいたのでした。
 
 デタラメな!・・・のはこの場合、私ですね。


 つづく
2008/08/12 Tue  17:22:28» E d i t
 中国に降り立って初日。印象は・・・なんちゅうデタラメな!ということでした。

 このデタラメに頭をヤラレてしまって、何をどうやって表現すれば良いものか逡巡してしまっていたわけなのですが、時間を経て気付きました。自分がいかに白紙ではないのか、すでに日本の常識という色が染みついているのかということに。

 デタラメな事をデタラメだと認識するためには、自分の中にそれを感じ取れるだけの基準がなければならないということになると思います。

 物事を見るに当たって、やはり基準は自分の経験や生活習慣に基づくものになりますからいくらその枠の中でニュートラルなモノの見方を心掛けていても、もともと根本というか基礎になっているものがそこにあった上でのニュートラルであるということになかなか気付けません。

 ですから、私が中国をデタラメだと感じるのは日本の常識というフィルターを通した場合であって、逆に言えば・・・極論的に書けば「それが世界に誇るべき精神である」と信じ込まされて育って来た・・・日本の美徳というものがいかに面倒臭い束縛であるかを思い知らされ、同時にその独自の束縛体系が生まれ育った歴史や風土をもう一度検証したいと思わせるに十分な衝撃でした。

 ま、とにかくデタラメなんです。 

 
 ●デタラメな交通事情

 私は大連という大都市に到着したのですが、ここら辺は司馬遼太郎の「坂の上の雲」や「殉死」あたりの作品を読んだことのある者にしてみれば一入の感慨を覚えざるを得ない場所です。
 すぐそばに旅順があります。

 が、しかし。

 私は、取引先の方にくっついて食品工場見学の名目で行っているので観光してる間もなく会社のお抱え運転手さん(日本語会話不能)が運転する車に案内されて、350kmだか400Kmだか離れている北東の北朝鮮の国境付近にある町へと移動です。ロ~ングロ~ングディスタンスです。

 さて。

 中国の交通事情です。

 と、その前になぜか会社の客人送迎用の車の助手席に小学生くらいの男の子が乗っています。
 偉い人の息子さんかな?とか思って取引先の方に聞いてみると
 「え?知らない。見た事無いなぁ」だ、そうで・・・え?・・・なんてデタラメな・・・
 運転手さんの知り合いの子だと思い込む事にしました。とりあえず日本語通じないし。

 車は右車線走行。アメリカスタイルですね。

 大連の市街地に入ると・・・もう、車のスピードがデタラメ
 早い早い・・・高速道路でも何でもない普通の道路を100キロくらいで走行。しかも、渋滞までは行かなくてもそれなりに混雑する道路をバンバン飛ばす。道路はきちんと整備されているから乗り心地は悪くはないけれど・・・あぁ思わず後部座席に居ながら右足はブレーキ踏んじゃいます。

 しか~し。デタラメなのは車だけではないのです。

 この高速で往来する片側三車線の直線道路を、人々が容赦なくズカズカと横断してくるのです。ズカズカですよ。老若男女ズカズカ。
 
 危ねぇから!死ぬから!!

 なんてデタラメな!
 日本では見られませんよ。
 子供の頃に「車道に飛び出すということはすなわち死ぬということだ」と徹底的に教えられますから。ずっと信号の無い片側一車線の田舎の道路でさえも左右確認を何度もしてやっと渡り始めるくらいに徹底されてますから(あ、オーバーですか)。

 「阿吽の呼吸」という言葉が日本にはあります。

 

 あうん‐の‐こきゅう【阿吽の呼吸】
  二人以上で一緒に物事を行うときの、互いの微妙な気持ち。また、それが一致すること。
検索辞書:大辞泉 提供:JapanKnowledge



 もうコレですね。
 ルール無用の中でお互いがお互いの呼吸を読みながら交通安全を成り立たせている。

 確かにデタラメに感じはするんですけど、KY(空気読めない)を連発している日本国民が忘れてしまった大事なモノを体現している情景であるようにも感じたんですね。不思議なことに。
 日本で100kmで往来してる車道に飛び出したら、歩行者は撥ねられるでしょうし、車は急ブレーキで事故を誘発するでしょう。それを思うと、この情景が成り立っていること自体がデタラメなんですよ。

 あまりにもスピードが速く感じたのでメーターを見てみたら市街地を120kmで走行。
 最高260kmまで出るようです。
 え゛っ!?260kmぉ???
 ポルシェか何かですか?中国産の車なんですけど・・・この車ぁぁあああ(涙)。

 それでいながらさすがは会社のお抱え運転手さん。運転が荒くはない。
 助手席では例の身元不明の少年がすやすやと眠っている。

 で・・・デタラメな。

 大連市のきちんと整備された高速道路を悠然と180kmで走行する運転手さん。
 そして、高速道路なのに時折でっかい収穫ザルを担いだ爺さんが道端を歩いてたり、高速道路なのに昭和20年代のドラマで見るような豆腐屋仕様の自転車が横断したりしてるし・・・

 く・・・デタラメな。

 高速道路を降りると、いきなり道路が細くなってロバやら馬やらが荷台にドカッとワラを山積みしたのを引いてポカポカと歩いてる横を80kmくらいで通過するかと思いきや、対向車線からは大型トラックをエラい勢いで追い抜いてきた車が、荷馬車の横をスレスレで通過する我々の車のミラーをかすめるような距離で・・・

 あぁ・・・うぅ死んだなこりゃ(泣)。 

・・・すれ違って行くし・・・・
 
 いぃ・・・生きてたぁ。

自転車の前輪を取っ払ってリヤカーの荷台をくっつけて改良された荷車が平気で車道のど真ん中を・・・もう、クラクション鳴らしっぱなし、鳴らされっぱなし!荷馬車と自動車とトラックとリヤカーと三輪タクシーとヤギと自転車と・・・なんだよ?なんなんだよぉ~。

 な・・・なんてデタラメな。ここは昭和何年なんですか?

 同乗してた少年を何やら学校のような場所で降ろす。
 目的地が近いのかと思いきや、そこからさらに1時間程度恐怖のドライブが続く。

 一体、誰だったんだよ、あの少年??


 とにかく、出だしからそんなデタラメ三昧でした。
 ただし、
 私はそういうものを  お~んもしれぇぇ~ と、受け止めるタイプの変態なのです。

 つづく
2008/08/09 Sat  10:03:49» E d i t
 » 中国の話① 
 オリンピックも開幕し、何かと中国を目にする機会が増えた昨今。
 実は、先日3泊4日で中国に行ってきました。

 と言っても、北京とかとは全然関係なく、大連という都市から入り北東へ約400kmほど移動した田舎へ行ったんですけれど。


 日本ではとかく「中国人と言えば蛮族」のような罵詈雑言が目立ちますが、これは未知な物に対する恐怖から来る侮辱であると私は思います。かつて欧米人が「日本人は黄色い猿」「ワーカーホーリック」と呼んで侮辱していたのとなんら変わらない愚行ではないでしょうか。


 確かに中国共産党の政策は矛盾だらけで国際社会のルールを無視するどころか書き換えんばかりの勢いですし、まさに日の出の勢いにある産業は公害を引き起こしながら発展し続けています。それはまさに高度成長期における日本の姿を現在の先端技術を以ってなぞっているというだけのことに他ならないのではないでしょうか。

 
 日本にやって来る中国人の留学生の方々と話をする機会が多く、お互いに歴史認識のようなデリケートな部分に踏み込むまでは中々至れないのですが、それでも、日本国内に於ける中国報道には悪意を感じるそうです。
 「確かにその部分を切り取ってクローズアップすれば悪は悪ですし、何しろ日本に比べると極端に数的規模が大きいので恐怖感を伴って過剰報道になってしまうのは仕方ないことだ」 と彼らもその辺の事情は理解しています。
 「ただ、良い部分もあるんだ という部分が全く報道されずに中国に悪い印象ばかりを持たれるのは残念でならない」と嘆きます。


 まさにその通りだと思います。


 衣服も、食品も、電化製品の部品も、子供たちのオモチャも、アレもコレも裏を見てみれば「MADE IN CHINA」ばかり。日本が「世界の工場」だったのはすでに遠い過去の物語であり、今となっては「世界の大工場」が中国です。その身の回りに溢れる現代の「MADE IN CHINA」が「MADE IN JAPAN」と比較して著しく劣るようにも思えません。


 なぜ中国がそうなり得たのか。
 今後、中国はどうなって行くのか。
 
 そして、日本はどうなるのか。

 たったの3泊4日でしたけれども衝撃的で刺激的で興奮に満ち満ちていて、いろんな事を考えてしまいました。その辺りを何回かに分けて書いておきたいと思います。
 今、それを考えて私たち自身の行動の方向性を決めなければいけないような、それほどの恐怖感にとらわれたという事実も告白しておきます。


 大した経験したわけでもなければ、中国の全てを見てきたわけじゃないんですけれど、理解不能なこともある程度説明してくれる留学生さんも身近にいるということで、お隣の大国を考えるに必要な環境は意外と揃っている自分がここにいるんですね。


 頭の中が未だに整理されきってはいないのですが 書く事によって、あるいは皆様から頂くコメントに啓発されることによって何かが見えてくるかもしれませんので書いてみます。



 勉強不足のため「自分の意見」としてしかお答えはできかねますけれども、中国に対する疑問、質問、ご意見等、その都度コメントいただけると幸いです。
 
2008/08/08 Fri  00:08:08» E d i t
 » 血気燃“昇” 
 湧き上がり燃え滾り
 抑制を失って
 猛り狂うその
 

 その余剰なる活力を
 俺が受けてやる


 俺によこせ
 俺を走らせろ
 俺と一体になれ


有り余る力

 
 さらに熱を帯び
 さらに輝きを増し
 
 全ての闇に決別を謳うかのごとく
 ただ強き影を焼き付けるごとく

 
 昇れ 俺の頭上に
 
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2008/08/05 Tue  06:50:12» E d i t
 » 運命は「多」重螺旋構造 
 転勤族の彼がこの町にやって来たのは2年ほど前の春だった。

 仕事の取引先の若者で私より5歳年下の彼が、「右も左もわからないようなこの田舎町を少しでも好きになってくれれば」と思い、良く色んな事を語り合った。

 私は、旅人が持つ町の印象というのは、そこで出会った人たちの印象だと思っている。

 どんなに素晴らしい生活環境や景観でも出会った人々に好印象を持てなければその町の印象は悪い物になるし、逆にしょっぱいほどにしゃがれてしまった自然以外に何もない過疎の村でも暖かい人間に触れられたならば、その村はその旅人にとって忘れられない場所になる。


 「せっかく来たんだから、良い意味で忘れられない場所にしてあげたい。」そう私に思わせるような何かを彼は持ち合わせていたし、彼もまたそうして地域の人と交流する事が未知の地域に溶け込む最善の方法であるということをきちんと弁えていた。仕事の枠を超えて良く話したし、飲みに行ったし、語り合った。
 

 彼の苦闘や頑張りを励ます事で「励ます立場の自分がだらしなければ説得力がない」と自分のネジも締まり、自分の悩みをさらけ出す事でうだうだと考え込んでいた自分の思考が整理されて行った。まさに私にとって彼は向かう道は違えども合わせ鏡のような存在であり、互いにとって気持ちのエネルギー補給基地と成り得る不思議な存在だ。

 
 自分の人生がグルグルと渦を巻きながらどこかへ向かって伸びる螺旋だとしたら、DNAの構造みたく寄り添いながら何かそういう運命共同体の一部みたいなものを形作って意思決定するような関係になる存在が幾人か必ずいて、彼は間違いなく私の人生にとってその一人だと、実感できた。同じ方向を目指してる人間がひとりじゃないんだって気づいた時、人は歩む足に力がみなぎる。
   

 そんな彼に転勤の辞令が来たのは7月の最終週。
 瞬く間に一週間が過ぎ、彼はこの町から遠く離れた町へと引っ越していった。

 合わせ鏡が奪われたような気持ちになって寂寥感にさいなまれるウェットな部分は確かにあるんだけれど、それでもそれ以上に「遠くから見ても見えるようなお互いに成長すりゃあ良いじゃんよ」と純粋に思い合えるような、ちゃんとそれぞれの螺旋を描いて行けるような気分の方が強い。

 離れても全然終わりじゃないし、きっと俺たちは螺旋の先の高い位置で何度でも合わせ鏡になるだろう。互いが互いを押し上げるようなそんな仲間に出会えて、幸せだよ!


 ひとつ心残りが・・・
 そのハンサムの額に 「米」 とマジックで書きたかった・・・

 
ミクロマン ミクロアクションシリーズ テリーマン MK-05ミクロマン ミクロアクションシリーズ テリーマン MK-05
(2006/11/30)
不明

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 だってさぁ、テリーマンにすげぇ似てるんだも~ん。
 子犬かばって新幹線止めろよぉ~
2008/08/01 Fri  05:31:57» E d i t
 » 或る老兵の死 
 誰かを守り命を燃やし
 命の火が消えた老兵


 炎を上げて激しく燃えずとも
 その芯は灼熱


 渦巻きながら高く 
 咆哮続ける魂は
 短世(みじかよ)を強く激しく駆け抜けた

 
 誰かを守り命を燃やした撃墜王
 忘れられた撃墜王

 
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