フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2008/07/31 Thu  06:20:38» E d i t
 » 暴走 
 ものすごく何かを訴えたい自分がいるのだが、凄い勢いで言葉が文章を越えて暴走して行く。

 文章とは言えない文章ができる。消す。
 消しても次々に湧いてきて、誰にも伝わらないような言葉の洪水が目の前に現れる。また消す。
 そんなことを何度も繰り返すうちに時間が過ぎて行く。

 脱力感ではない。
 溢れすぎて制御できないのだ。

  
 許容量を超えた何かに打ちのめされた時に、自分はこうなるということを過去に何度か体験してきた。

 制御できない自分を制御するためには、溢れきって落ち着くのを待つか、許容できる器量を大きくするしかない。


 制御しきれない自分 と それを冷静に見ている自分。
 ならば、器を大きくしていく作業もできないこともないだろう。

 自分の中で何が起きてどう変化して行くのか、それを記しておくことは きっといつか誰かのための道標 になるから。
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2008/07/30 Wed  06:30:42» E d i t
 » 特BUMPのお知らせです 
 NHKで BUMP OF CHICKEN  の特集を放送します!

 見てみてください。
 見たほうが良いです。
 見るべきです。

 見なさい。

 ビデオに撮って、何度でも。


●NHK GTV(総合テレビ)
・8/3(日)
「BUMP OF CHICKEN~僕らは君のそばにいる~」

●NHK BS2
・8/4(月) 午後11:00~11:50
「BUMP OF CHICKEN~僕らは君のそばにいる~」

・8/9(土) 深夜24:00~25:30
「サタデースーパーライブ BUMP OF CHICKEN 2008」



 
 男性の方は特に感じることだと思うのですが、自分より年下の才能というものを認めたくない・・・受け入れたくないってのがありませんか?
 私はあります。新しい才能が出現してくると、自分の生き様を省みるでもなく「たかだか○○年しか生きてないくせに」とか思うんです。 

 でも、ふと気付けば私もすでに32歳のオッサンで、あんなに年上だけだと思っていたプロ野球選手やら横綱やらオリンピック選手やらが遙か年下だったりするわけですよ。とほほ。たまに見るテレビで目にする俳優さんも新陳代謝の中で子供みたいなのがゾロゾロ出てきて。

 才能に年齢は関係ないんですよね。早咲きはどこまでも早咲きで10歳になる前にギターを泣かせている天才少年少女もいるみたいですし・・・。(あ~、才能が素晴らしいのは結構なことだけど、しつけもちゃんとした方が良いんじゃない?って思う子たちが目立つようですが)遅咲きは遅咲きで(くそ~、咲けるチャンスは俺にだってまだあるぞぉ~苦笑)。
 
 
 音楽に関して言えば私なんか特にそうなんですけど、苦悩の青春時代に出会い共に歩んできた音楽たちがやはり心地良くて、それがまたカラオケ全盛時代のJ-POPの過渡期だったりしたものですから有象無象ピンからキリまでのラインナップで、最新の流行について行く必要もなければその気もなくなってるんですね。どちらかと言えば、さかのぼって掘り下げるみたいな部分はあるかも。
 「無理に倖田來未を聞くくらいなら、俺はミスチルのベスト引っ張り出してきて聞くや~♪」って。で、ベスト聞いて今さらながらハマって、昔のアルバムを買いに行くとか。
 一時期、ビジュアル系バンドってのが流行った頃なんですが、猫も杓子も奇抜な格好でテレビに出てればそれなりにCDが売れて、それが大嫌いだったんですよ。最初の頃は面白がって聞いていたけど、歌が薄っぺらくて奇抜なファッションだけがもてはやされてて。あの頃に、新しい音楽離れの要素が私の中で確定したような気がします。「こんなのいらねぇや」って。

 それでも「若いヤツらと話を合わせるためにも、ちょ~っとくらいは新しいモノに触れてみよう♪」とか考えなくもないんですけれど、それも容易く「あ~面倒くせ。お前らはお前らで良いよ。俺には俺のスペシャルがあるさ」ってなってしまうし(笑)。だってね、同じようなのばっかりに見えたり聞こえたりするんですよ。それも、昔どっかで見たような、聞いたような。
 
 
 そんな中でBUMPを初めて聞いたのはラジオから流れてきた「天体観測」でした。
 まだ、ヒットチャートを上る前の頃。たまたまドライブ中に。
 「なんだ?この歌は?」って。
 たまたま赤信号で渋滞で、早口でささやくように歌うその歌に耳を澄ませば、手を伸ばせば触れることができる場所にあった大切なものを手に入れることができなかった情景が目に浮かんで、思わず涙が浮かんで・・・。多分、自分の中にその曲とシンクロする情景が眠っていたんでしょうね。

 「バンプ・オブ・チキン」とラジオパーソナリティーがバンド名を伝えたけれど、横文字のバンド名を覚えられない私にしてみれば、曲名の「天体観測」の方が分かりやすくて覚えやすくて。
 「好き」という歌詞を一切使わずに、見事に「好き」を表現してたのを発見してまた更に感心して。

 以降、知れば知るほど彼らの醸し出す世界観の虜になって今に至ります。

 懐疑や苦悩に立ち止まる時「それで良いんだよ。大事なものをしっかり守って、何度でもやり直せば良い」とささやく彼らの言葉が、曲が、私の中でくすぶっていた思いに小さなヒントをくれるのを何度も経験しました。
 ずっと探して来たものを見つけた感じ。

 良いですよ。BUMP。
 きっと、「変わる景色に迷う時」に何かを見つける手掛かりをくれます。

 見てみてください。
 見たほうが良いです。
 見るべきです。

 見なさい。

 ビデオに撮って、何度でも(笑)。 

テーマ:BUMP OF CHICKEN - ジャンル:音楽

2008/07/29 Tue  06:18:29» E d i t
 » 胎動 
 昔、海外旅行好きの友人からこんな話を聞いた事がある。
 「中国とインドを体験したら、大概の事には動じなくなる」

 10年前、インドに一ヶ月間ほど一人旅をした。卒業旅行ってヤツで。

 学生時代が終わる。自分は何をやって来てこれからどこに向かうのか戸惑っていた。団塊世代が働き盛りだった当時の社会は今みたいに諸手を上げて私達を歓迎してくれなかったし、それが結果的に現代日本の社会問題と呼ばれるようになったフリーターやらワーキングプアやらニートやらを大量発生させてしまったりした。そんな社会背景の中で誰もが日本の行く先に漠然とした不安を覚え、戸惑っていた。私もまたその潮流の中で完全に置き去りを食らっていた。
 リセットしたかった。そこに行けば新しい自分が待っていると思っていた。

 ・・・インド。

 ある程度神秘がかっていて、それでいてある程度既知な地域で、さらにそれなりに安心できる情報があって、それなりの英会話が通じる国。
 ロマンチックなことを書き並べればいくらでも胡散臭く書き綴れるが、私が旅先にインドを選んだ理由は「インドのカレーを食ってみたいから」「タージ・マハルには行かなければならないという意味の分からない使命感」「ガンジス河を体験したい」という思いと、上記条件の釣り合いが取れていたからだ。


 都市部では外国産の高級車やらバイクやら三輪タクシーやらがエラいスピードで縦横無尽で駆け回り、鼻をかむと黒い鼻水が出るほどの排気ガスが空を覆っているのにやはり牛は歩いてる。
 地方では牛やらヤギやらヒツジやらが集団で歩いてる。当然、彼らの垂れ流す小便やら糞やらで町中が公衆便所みたいなニオイがしてる。
 人々は彼らと共存しながら痩せこけた顔で旅行者に手を差し伸べ喜捨を求めたり、どこで覚えたのか流暢な日本語で商売を持ちかけてくる。

 近代日本で暮らす者にしてみれば、全く、全くデタラメな国だった。
 自分の先入観やら価値観が通用しないのだ。

 インドで何を思ったかと言えば「人間はメシ食ってクソして寝てりゃどうにか生きられる」ってことだった。裏返せば「メシ食えなくて、住む場所が無きゃ死んでしまう」って事だ。多分、人間は誰もがそういうシンプルな思考を備えているはずなのに、私達は幸福を追求する権利を保障された国に住んでいて、さらに幸福というものを根本的に考える事も無く幸福の恩恵に浴していながら感謝を忘れている不可思議な国民だ。

 すすけた不平不満で塗り固められた貧乏ったらしい面した自分がそこに立ち尽くしていた。
  
2008/07/28 Mon  05:15:15» E d i t
 » ARRIVED 
 ただいま戻りました。

 え~・・・

 なんだかスゲェものをごっそり濃密に感受してしまって、頭の中が消化不良をおこしてます。
2008/07/25 Fri  00:00:00» E d i t
 » 静涼 
 耳を澄ますと
 小鳥達のささやき

 探しても見えなくて
 目を閉じて
 感じた
 


ひゃっこい空気

 
 やわらかな水の音
 風なぞるころ
 夏の風 和らいで
 火照る肌 包んだ

 深呼吸

 木漏れ日
 まぶた叩く 森林の朝
 

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2008/07/22 Tue  16:38:53» E d i t
 » DEPARTURES 
 電波の届かないところ へ。

 行って来ます。
 ・・・修行に・・・


 あ、「金曜ロマンチ」は予約投稿しておきます。
 来週には戻ってくる予定です。
2008/07/19 Sat  05:54:51» E d i t
 » 自「分」析 
 差し向かいで話をするよりも、肩を並べて同じ景色を眺めながら話をする方が好きだ。
 

 集団の中で目立つのは面倒臭い。話の合う少人数の中で静かに熱く語り合うのが好きだ。
 一番自分が安定できる人数は3人だと思ってる。

 集団の先頭に立って「あなたのペースでどんどん行って」と言われるのはやぶさかではないし、そうなればついて来れない者を構わずに進む事もするが、一番後ろで環境や気候、みんなの疲労具合を見ながら声を掛けながらみんなで何かを達成するほうが実は好きだ。
 独りで行くのがベストだと判断すれば独りで行くけど、独りはつまらん。
 
 その場その場で必要だからって寄り添って、用が済んだらサヨナラ という関係には憧れない。
 ダラダラでもグダグダでも、ずっと会ってなくても友達は友達で良いと思ってる。
 ついでに言えば年齢なんてあんまり関係ないと思ってる。
 
 そんな友達にでさえも、「友達は友達、自分は自分。お互い、同じようにはできないよ」って線引きしてる部分がある。

 
 だから、自分を完全に理解してもらえるなんて思ってないし、相手を理解できるとも思っていない。ただ、そういう努力はしてみる。
 「似通った感性」みたいなのはあると思う。理解よりも「感受」して欲しいとか思う。


 理屈っぽく思われがちらしいけど、実はぼんやりしてるだけだったりする。
2008/07/18 Fri  00:00:00» E d i t
 » 反射空 
 飛びたくて 飛べなくて
 手を伸ばし疲れ果てて
 うなだれた

 細波さえない止まった川面に
 空は細く横たわり

 そこに浮かんだ僕がいた
 そこに浮かんだ僕がいて
 僕に向かって微笑んだ

 ほら 
 飛べたよ


止水


 僕は僕で胸を張って歩いて行こう
 僕のまま

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2008/07/17 Thu  06:46:23» E d i t
 » 未来の自分のために 

ケア【care】
[名](スル)1 注意。用心。2 心づかい。配慮。「アフター―」3 世話すること。また、介護や看護。「患者を―する」「―ワーカー」[類語] 世話



 これまでは、ひたすら作り続けてたまに休めて、相当無茶苦茶な使い方をしてきた。
 もともと説明書は読まないタイプだが、これに関しては興味があったので一応、色んな事を知識としては持っている。そして自分で試してきた。でも、相当無茶苦茶な使い方をしてきた。
 よっぽど酷い目に合わなければ゛修理〝にも出さずに。
 信頼するに足るだけの補強をしてきたし、自分でできる手入れはある程度はやってきた。

 肉体。自分のカラダ。

 
 分かっているようで分かってなくて、健全なうちはどこに検査に出して良いものやらそれすらも分からなくて、とりあえずとりあえずでここまで来たけれど、まだ健康な今のうちだからこそ、ケアしていかなきゃな~とか思う。

 毎年、この時期になるとちょっと疲れが出て来る。
 「北海道には梅雨が無い」とは言うものの、近年、それらしき気候が続く日々があり、そこで体調を崩してしまうことが私のカラダの傾向だ。
 どう防いで良いのか分からない。気持ち悪い空気の湿り気が影響しているらしいことは何となくわかるけど。

 夜中に目が覚めるほどにキリキリと悲鳴を上げはじめた筋肉や関節をねぎらうために整体マッサージを受けに行く。
 

 イチローが毎日トレーニングの後に1時間程、専属トレーナーにマッサージしてもらうとどこかで聞いてプロ意識の高さに感嘆した記憶がある。
 シーズン中は毎日のようにハイレベルな攻防を期待されるプロスポーツに於いて、観客の期待に応えるべく自分が常にベストコンディションでいられるようなケアというものがいかに必要であるかを、選手達は分かっているはずなのだ。しかし、いざそれを実践する段になるとプロスポーツ選手の中でもほんの一握りの選手たちだけに限定されるだろう。
 イチローを例に出したから言えば、プロ野球選手たちの肉体の変化や怪我の頻度を見ればそれは一目瞭然だ。

 未来の自分のために、現在の自分を常にベストに保つことは難しい。
 なぜならば、今まではその「無茶苦茶」が通用してきたのだから。
 多少痛くても、寝て起きれば次の日には治ってたり、飲みすぎてもちょっと寝れば酔いが覚め、食べ過ぎても胃もたれさえ起こさずにこれまでやってきたのだから。
 だから「まだ大丈夫」「これくらいなら大丈夫」って行き過ぎてしまうのだろう。

 実際、豪快で通してきた先輩達でそうやって倒れた人たちを何人も見た。
 何かの度にマッサージとか整体だとかに通っている人たちは年を経ても、大きく崩れることはないようだ。

 私はと言えばカラダに自信が無いから頑張って鍛えてきたけれども、幸いにして過信するほど頑丈にはなれないようだ。どこまで行ったら過信できるのかさえ分からない。常に半信半疑の臆病者だ。

 
 整体マッサージで、電気療法とやらで痛い箇所を揉み解すとカラダがものすごく楽になり、グッスリ眠って朝を迎えると、若き日のように回復している自分がいた。梅雨っぽい朝でも爽快だった。
 そうかぁ。やっぱりカラダが疲れてたんだ。

 ストレス疲れで心が疲れる前にカラダはきっともっと疲れてて、一見ではなんともなくてもきっと「これくらいなら平気」「これくらいなら大丈夫」ってごまかしてる。今まではそれでも大丈夫だったかもしれないけれど、これからは自分の回復の速度を考えてバランスを取って行こう。

 故障する前にメンテナンスしてくれる場所 がもっともっと多くて、そういう所こそ行きやすい雰囲気であれば良いのになぁ。

 

メンテナンス【maintenance】
維持。管理。「ビルの―」「―フリー」

2008/07/11 Fri  00:00:00» E d i t
 » かたぐるま 
 なあ その高さからは 何が見えるかい?
 なあ その高さならば 明日が見えるかい?

 金色に燃える夕日が目に焼き付いて
 まぶしさに振り向けば
 僕らの影は

 ひとつにつながって
 

 かたぐるま



 「おい、見ろよ、お父さんの足ぃ!なが~~い!」
 「あ、なが~い」
 
 

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2008/07/09 Wed  07:02:34» E d i t
 私は高校の時に始めたラグビーをもうかれこれ17年も続けている計算になる。
 時には怪我で戦列を離れたり、時には所属してるチームの状況が良くなくてやめたくなった事だってある。
 
 運動に関して言えばどう見たって、私には天賦というものが無い。
 ほとほと無い。

 徒競走で一等になったこともなければ、マラソンで入賞したこともない。
 握力も平均を上回る事も無いし、垂直跳びやら幅跳びなんて目も当てられない。
 ゲーセンのパンチ力を測定するゲームをやれば手首をおかしくするし、球技のコツみたいなのをパッと理解できるセンスもない。

 なぜそこまで言い切れるか?
 私の周りには、幼い頃からそれらを圧倒的にやってのける存在が常に、必ず存在してきたからだ。
 私は、彼らに憧れ、尊敬し、そして今でも彼らと友人である。
 
 そして、知っている。そんな彼らでさえもを上回る存在がいるということを。
 
 「なぜ自分にはそういう才能が無いのか?」若い時には大いに悩んだ。

 でも、当時からすでに明確では無いにせよ信念は持っていた。
 「才能が無いなら、努力でカバーすれば良い」
 今にして思えば努力には方向性があると思う。ガムシャラにやっても方向性を間違っていれば、遠回りになったりする。今ならそれが分かる気がする。けれど、ガムシャラだった。

 盲目的にガムシャラにやってきた。「目の前の事に熱くなれずに、明るい未来が拓けるか」って。
 くたびれもうけもした。嫌にもなった。バカも見た。ひとりぼっちにもなった。
 だけど、遠回りした分いろんな発見をしてきた。

 何よりも大切な発見は「努力は、その時は役に立たない・・・間違った~と思っても、後から必ずそれを必要とする出来事に遭遇する」ということだろう。

 人生は、何かひとつの目標に向かって生きているワケじゃない。
 向かいたかった道に上手い具合に接続しなくても、伸ばした道は必ずどこかの道に繋がって行く。
 夢の軌道は、自分が動き続ける限り、どこまでも続くよ。


 自分が働きかけることで、運命は変えていける。
 

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 祈ること、望むこと、強く思うことは大事な事だ。

 でも、その方向に自分たちが働きかけなきゃ、いつまでも自分は「理想の自分」においてけぼりを食らってしまう。新しい自分たちを創って行くのは、自分たち自身。だから、そう思えるから、進んで行ける。進むんだ。夢を叶えるのは他の誰の力でも、何の力でもない。自分達の力なんだ。


 自分が出来る事、他の人が出来る事、一人じゃ無理でも二人なら出来る事、三人で出来る事・・・
 自分が出来る事を全部出し切ったら、絶対に仲間がそれに呼応してくれる。
 だから、自分を全部出し切ること。それによって全部を引き出すことが、私の出来る事。

 天賦を与えられなかった 私 が、彷徨いながら掴んだ 宝。
 選ばれなかったから、自分で選んだ 道。 


 出て来た力を束ねたら、想像もつかないことが出来る。出来るんだ。
 チームプレイでも人数が多いラグビーは、なかなか心をひとつにしにくい競技のひとつだ。
 だが、大人数の心がひとつになっている一体感の中にある時、あるいはそれを見た時、自然と人の心は震える。それが、チームだ!フィールドの15人だけがチームじゃない。
 見てる人、応援してる人、あるいは対戦相手さえもがみんな同じ仲間なんだ。

 

 出し切ってカラッポになったら、また新しい自分を詰めて行ける。
 努力のための努力が、ツライ思いに耐える自分に酔うための努力が、今の自分を創ってきた。
 だから、私はこれからも私であり続ける。 

 
2008/07/08 Tue  05:59:15» E d i t
 » 自意識過剰なカモメ 
 先日、仕事の得意先の駐車場で2羽のカモメが魚を奪い合っていた。

 そこへ 漁夫の利 よろしくもう一羽のカモメが緊急参戦!
 颯爽と滑空し、戦場に降り立ったッッッ!!!


 ふぁっさ~・・・スタッ・ツルッ!ドキャッ!!バタバタ・・・バサバサ



 ・・・あ、コケた。



 へ~、そんなこともあるんだ~。
 

 ババサッ・ババサッ・キョロキョロ・・・

 
 しかもそのカモメ、体勢を整えてからバツが悪そうにこちらをしばらく見て、照れ隠しみたくチラチラと辺りを見渡してから飛び去って行った。

 
 ・・・視線、感じちゃった??


 魚は最初に奪い合いしてた2羽のうちの片方が丸呑みしちゃって飛んでった。
 
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2008/07/05 Sat  08:20:00» E d i t
 » ピザって10回言ってみ? 
 ボン・ジョルノ。
 大事件です。

 先日、我が町の「10・4(テンフォー・・・宅配ピザ屋)」に電話をしたら繋がらなかったので、調べてみたら撤退してました。

 そんなワケで先日は歩いてる途中で見つけた美味そうなピザ屋でピザを買ってみたりしたのですが・・・確かに美味いんだけど、店が遠いし、何よりも値段が高い。

 ボラーレ・ヴィーア。
 困った。

 困難に直面した時、そんな時には思い出せ。
 
 失うことから全ては始まる
 正気にては大業ならず
 武士道は死狂いなり


 ピザの道もまたシグルイなり。
  
 作ってやる!この俺が!この手で!!作ってやる!!!
 というわけで、師範代、ご指南の程よろしくお願いします!
 
-- 続きを読む --
2008/07/04 Fri  00:00:02» E d i t
 » blue sky ぶる~す 
 涙が滲んだそんな日は
 それでも泣けないそんな日は
 あの日に戻ってみたくなる
 
 無邪気に笑った友達と
 土ぼこり舞う校庭と
 
 夕立ち アスファルトのにおい
 

blue sky blues


 雨が去った鉄棒で
 逆さになった青空 見れば

 少しは気持ちが晴れたかなぁ
 少しは涙が晴れたかなぁ

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2008/07/03 Thu  06:17:55» E d i t
 » 予言書を立ち読みす 
 先日、嫁さん。と歩いてて見つけた超ウマそうなピザ屋のピザを持ち帰りで頼んだら「15分から20分ほど、お時間が掛かりますがよろしいでしょうか?」と問われたので、「あ、は~い」と返事して近くの書店に暇つぶしに行った。


 アホみたいにデカいその書店は、暇つぶしに持って来いだ。
 
 ぐる~り見て回るだけで相当な時間を要する。いつもこのような状況に置かれた時にはマンガ雑誌かスポーツ雑誌に直行する習性を持っている私なのだが、どうやらそのデカ書店のマンガ・雑誌コーナーは離れた場所にあるらしく、しょうがないから珍しく文庫本やら新書やらのコーナーをぶらり一人旅してみた。

 するとどうだろう。
 今、流行ってるんですねぇ。また。
 予言書が。

 「ジュセリーノの予言」って、この前テレビでやってたヤツだな。
 特設コーナーまで設けられて、平積みされていたその本をやおら手に取ってザッと読んでみる。
 ちらほらと明るい話題も無いわけではないが人類がこれから辿って行くらしい暗い未来が、日付まで明確に書かれている。


 やれやれ。

 その予言のいくつかは的中し多くは外れているのだろうけれど、確かに「暗い未来」に向かっているという実感だけは確実に多くの日本人が感じているのには間違いない。高度成長期という明るい未来に向かうはずだった途中でも流行した、人間性を忘れて発展し続ける人類への警鐘として日本人が受け取った「ノストラダムスの大予言」の世紀末人類滅亡説に似ている。
 「この衰退して行く世の中が、一端どこかでリセットされてしまえば良いのに・・・誰かがしてくれれば良いのに」ってきっと言葉にはしないけれど、多くの人が一度くらいは思ったことがあるはずだ。
 ノストラダムスの時に中学生だった私は多分、そう思っていた。

 そしてそれと同時に何の根拠も無く「リセットされる時が来ても、自分(と自分を取り巻く都合の良い世間)は選ばれて生き残るに違いない」となぜか思うのだ。一体、何に選ばれて残るのかも知らないのに。よしんば選ばれて残ってもその先に楽園なんて無いと今ならば思うのだが。キリスト教的な救世主思想なのか、仏教的末法思想なのか、そういうものがベースになっているから日本人はこの手の話題が好きなのかもしれない。

 
 きっと、みんな疲れている。

 「こっちに行っちゃいけないんだ」って思う方向に、「時代の流れがこうだから」「こっちの方が実際、楽だから」「・・・みんな、こっち行ってるよ」って流されて行って、自分の心に嘘ついてる事に薄々気付いちゃってる。
 それでも、今の私もそうなんだけど「生きていることは悪い事じゃない」って、ある程度の居直りみたいなものを持って生きるようになれば気も楽になるのに、良心の呵責に耐え切れずに苦悩の谷間にはまり込んでもがき苦しんでいる人たちは今でもきっと「誰かがリセットしてくれる」未来に一縷の望みを託しているのだろう。

 本当に問題なのは「誰かがやってくれると思いたい自分」で、本当に薄々気付いてるのは「未来を作るのは今を生きる自分たちなのだ」ということで、本当の苦悩の谷間は「それを考えるのがあまりにも面倒臭い」ってところにあるから、何かにすがりたいだけで。


 暗い未来を予言した本よりも、暗い未来しか思い描けない自分たちの想像力に寂しさを覚える。


 ジュセリーノ特集の台の上には、関連書籍として「5次元に覚醒せよ」だとか「今こそ宇宙人とチャネリング」だとかまあ、いろいろと新しい、私好みのタイトルたちが勢ぞろい。
 まだ現段階では4次元も認識できない3次元人の私にしてみりゃ興味津々なわけで。


 そうこうしてるうちに箱に入ったピザをビニール袋でぶら下げた嫁さん。が、デカ書店の入り口の方に入って来るのを見た。
 入り口付近にやはり山積みしてあった「AB型人間の説明書」の帯を二人でちらっと見て、「当たってる~」とか笑われてみる。ちょっと悔しかったので「O型人間の説明書」を探してみるも、8月発売予定なのだそうで・・・。

 ピザが冷めないうちに家に帰ろう。
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