フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2007/09/29 Sat  06:18:49» E d i t
 ●勇敢に戦った男がいた

 男達は戦った。
 自由のために。
 愛のために。
 この物語は命を賭して愛するもののために戦う300人のシグルイたちの話である。

 300
 
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 ●たったひとつのこの命を
 100万のペルシア軍から我が国(都市国家)を守るために、愛する者を守るために、自分たちの誇りを守るために、君は何を賭け何と戦うか?
 「我々に降参はない!」
 「我々に服従はない!」
 「我々の前にあるのは甘美なる戦いと名誉ある死のみッッ!!」

 退かぬ、媚びぬ、省みぬぅぅぅ!!
 真っ向勝負ッッッ!!

 騎士道でも武士道でもない。
 生き残る為には掠め、奪い、殺す。
 
 そこでは一切の感情は許されない。
 人間としての心を消し去り、究極の殺人兵器となり得るは己の肉体。
 戦士は、そうならなければ生き残れない国。それが都市国家スパルタッッッ!!
 されど、それ故に生き残った仲間を敬い、故郷を誇り、故郷を愛す。
 愛するが故に戦う。

 立ち上がった男達・・・300人。

 100万 対 300。

 「無理だ、勝てるわけがない」
 
 否ッ!!できる!できるのだ!!
 
 

 その神々しいばかりの肉体たるや言わば、全員ブロディ!(いや、子供の頃にブロディをテレビで見た時のあの衝撃を思い出しましたよ。まったく。)

 ブロディが300人。
 ・・・想像するだけでイヤだ・・・

 ●それだけでいいのさ 俺は俺は
 ペルシア100万の軍勢の中にはファンタジーの世界の住人達がまだまだ残っていた。
 人類が猿人から進化してくる過程の生物や、異形の者が「未開人(バルバロイ」への恐怖として具現化されている。それは、あるいは歴史の片隅に隠蔽された事実なのかもしれない。現在の人類にとって都合の良くない歴史は多分に消去されてきたのだ。

 この映画の中の100万の軍を率いるペルシアの王・クセルクセスが言うセリフがそれを如実に物語っている。
 
 権力は甘美で優雅な歴史を作り出せるのだ。
 そして、権力が根絶やしにした過去の中には、未来永劫に渡って掘り起こされることの無い壮絶な戦いの記録というものも多数存在するはずなのだ。我々が知り得る「歴史」など所詮は権力者によって装飾された物語に過ぎないのだ!

 だが、それゆえにそこにロマンがある!!
 未知ゆえに、時代を超えてドラマが生まれるッ!!

 そんな熱い熱い男達・・・否、“漢”たちの生き様を、見よ!!

 
 太陽が翳らんばかりの無数の矢の雨が降り注ぎ、野獣が飛び出し、地鳴りを上げて100万の軍勢は押し寄せる!!

 スパルタ軍はパンツ一丁にマントにカブト、そしてデカイ楯と槍、剣だけだ!!軽装も軽装。そして100万という巨大兵力を前に嬉しくなって笑ってしまう・・・命を賭して戦えることを誇りに思うが故に。


 せめて、鎧くらいは付けとこうよ!・・・あ、無粋な事を書いてしまった・・・

 漢にとって、鍛え上げられた肉体よりも堅い鎧など存在しないのだぁぁぁ!!!(なにしろブロディだし)


 
 スパルタ王・レオニダスがその戦いに求めたる代償は「我らの勝利の物語を伝えよ」

 300人はいかにして戦い、そして勝ったのか?

 人の心を動かすのは、いつだって熱い魂だ。肉体は朽ち果てても熱く生きた魂はますます輝きを増す。そして、それがやがて多くの人の魂を揺り動かし、遂には大きな歴史を作り出して行くのだ!!
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テーマ:DVDで見た映画 - ジャンル:映画

2007/09/28 Fri  00:00:00» E d i t
 » やさしい灯り 
弐輪挿しのバラード


 二歳の少年が
 母親に贈った気持ち

 これはおかあさん
 これはぼく

 君の心に咲くその花の名は
 コスモス

 たくさんの色あふれる
 秋に咲く
やさしい灯り

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真

2007/09/26 Wed  06:07:26» E d i t
 » 初めて見ました雹~ヒョウ~ 
 先週の土曜日・9月22日に観測史上最も遅い真夏日を記録した北の地域で暮らしてる者だけんど。
 9月の涼しい風を利用して毎年の仕事を組み立てている身にとっちゃ、あったら突発的真夏気候というヤヅは全くの想定外なんだけんど、そだら事をぐだめいててもなんにもなんね今日この頃だんだよな?
 ほんと参るでや。

 したっけアンタ、昨日(9月25日)の事だけんどもさ、俺生まれで初めで雹~ヒョウ~っちゅうもんば見たって話よ。

 なまら焦ったでや。
 普通に雨ザンザ降りだったんだって。それがさ、急に

 スダダダダダダダダダダダダダダ・・・

 って、高橋名人の16連打バリの音がし始めたからどってんこいて窓の外ば見てみたっけさ、したらコレだで~

雹


 雷バリバリ
 そこらはバチバチッってるのよ。

 ワヤありえね~って。なまら焦ったでや。

打ちつける!


 昼休みに30分も打ちつけ続けたべか、雹が薄く積もってらからね。
 なんぼ雪国だっつっても、こったら早えうちから銀世界になってもらわなくても良いでや。

 ほんと、参る~。

 雹塊


 おら、こったら粒がもうすンげぇ密度で降り注ぐんだって。

 ぶつかったらハンパでなく痛ぇから、気ぃつけないば。

テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記

2007/09/24 Mon  04:53:27» E d i t
 » 新鮮撮れたて!オリオン座 
 彼 は冬空の使者 オリオン
 雪の切れ間に顔を覗かせる冬の星座

 南の空に彼の姿を見つけた秋分の日の翌日の朝  

9月24日朝4時10分南の空

(このままだと見にくいので、クリックして大きくして見てください)

 ん~・・・
 なんか、視力0.7くらいの人が見た空みたくなっちゃってるなぁ。
 私、メガネかけた視力が1.2なんですけど、せめてそのくらいの映り方しないかなぁ。

 気温7℃、湿度約45%。
 まだ「冷たい空」ではないけれど、それなりに寒くなってきてはいる。

 多分カメラには様々なトリックが仕掛けられていて、使いこなせていないのは私の方なのだろうけれど、最近では「金曜ロマンチ」カテゴリーのために写真を撮る機会が格段に増えてきて、まぁ、新しいカメラを買うような予定は今のところ全く無いんだけれど、もうちょっと思うがままに撮影できたらいいなぁと思うワガママな今日この頃なのであります。

テーマ:写真日記 - ジャンル:日記

2007/09/22 Sat  06:45:44» E d i t
 » 今日もどこかでミノワマン 
 誰も知らない 知られちゃいけない~ミノワマンが誰なのか~
 ・・・あ、美濃輪育久じゃん!とか元も子もない事言わないように・・・

 超人ですよ。超人
 実にゆでたまご先生(言わずと知れた「キン肉マン」の作者です)的な、強引論理的マイセルフな特訓を次から次へとこなし、強敵と戦ってしかも何だか知らないけれど勝ってしまう。
 まるで正義超人ぢゃないか!!    

 ええ、遅いのは分かってるんですがね。
 9月17日のHERO’S2007~ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦~ の話ですよ。

 大会の冠が「ミドル級世界王者決定トーナメント」ですから、好試合が続出するのは当然といえば当然なのでしょう。ただ、決勝トーナメント4強に日本人が一人しかいなかった事でトーナメント自体への興味が薄れてしまったことは事実でした。
 だって、カルバンが強すぎるんだもの。

 その他の試合も今年の山本KIDのプロ復帰戦とか、桜庭が柴田とプロレスラー対決をしてみたりと、みどころは盛りだくさんだったわけですが、私がもっとも期待していたハリトーノフの試合が地上波ではあいかわらず放送されなかったのですが、ハリトーノフの試合は凄惨な試合が多いので多分にカットされてしまう覚悟くらいはできてましたのでまあ良いでしょう。

 総合格闘技の独特の緊張感も見慣れてしまったのか、はたまたある程度「夢のカード」も出尽くしてしまったのか、ここのところ日本の総合格闘技も一時期のような爆発的な盛り上がりに欠けてまいりました。
 正直なところ、日本ではやはり特定のヒーローがそのジャンルを牽引している間は盛り上がるのですが、競技として全体のレベルが底上げされて熟成期に入っても、特定のヒーローがいなくなるとそのジャンルが衰退するという、実にプロレス的なジレンマがファンの間にも無意識に定着しているのでしょう。
 
 さてさて、ミノワマンである。

 試合前の特訓が「ゴルフの打ちっぱなし」「バッティングセンターで片手打ちの練習」「同じく一度に複数の野球ボールを打ち返す」など、本人以外にはきっと意味が分からないであろうものを連発。秘密を聞かれても「企業秘密ですから!」「あ、企業じゃないか・・・」とか、意味不明な回答。

 なんだコイツ??? ちょっとイタい勘違いクンなの???とか思うのでしょう。

 以前にも書きましたけれど総合格闘技ってもう、「総合格闘技そのものの戦い方」が定着していて、誰もが同じような試合をしはじめれば、あとはもう個体能力の優劣で勝敗が決まるしかなくなりますから、私たちがこれらの試合に求めている異種格闘技の技量対決というムードが無くなってしまっているんですね。
 
 そういう四角四面の状況を打開しようとしているんでしょうね。多分・・・ミノワマン。

 試合はヒクソン・グレイシー御推薦・“グレイシーの未来”ケビン・ケーシー。
 ああ、懐かしい。
 総合格闘技が始まった頃のあのつまらない、しかし負けないための、護身術としてのグレイシー柔術がそこにある・・・さすがヒクソンがセコンドにつくだけあって実に、実につまらない試合運びをする選手だ!!

 グレイシーは知っている!!
 プロレスラーは観客に魅せるための試合をしたがっていることを!!
 そして、待っている。相手が仕掛けてくるのを。あるいは、相手が攻撃不能な場所に憑依するようにくっついて相手の動きに隙が出るのを。

 遅出しジャンケンでも何でも、負ける試合をしない方法を彼らは知っている!!

 だがしかし!!魅せるためにやっているわけではないので面白くはない。

 そういう相手と、面白い試合を成立させた上で勝利をも求められる。ただ勝てば良いのではなくて・・・プロレスラーとはそういう因果な商売なのである。

 まあしかし、ミノワマンは見事にやってくれましたね。
 打撃特訓の成果が実って、寝技を極めきれなくてケビンがカッとなってアゴ空きまくりの素人パンチで殴り倒しに来た一瞬の隙を見逃さずに、的確にフック入れましたからね。

ゲゲーッ!複数の野球ボールを打ち返す特訓は相手の隙を見逃さずに的確に開いている箇所をロックオンして打撃を入れるための動体視力および反射神経を鍛えるための特訓だったのか~ッ!!
 キン肉マン風に解説するとこういうことなのだろう。

 グレイシーを撃破すること自体はそんなに珍しいことではなくなってしまい、さらにケビンはグレイシー一族ではないということでさほど話題にはなりませんけれど、話題にならないなりにヒクソン肝いりの弟子を粉砕したということはもっと騒がれても良いことだと思うのです。ミノワマンはグレイシーのターゲットになっていくかもしれません。
 いや、ヤバい相手とは戦わないから、グレイシーはこれ以降はミノワマンに関わらないかもしれませんが・・・。

 キン肉マンの「超人」というと、私はめちゃくちゃ憧れて育ってきた世代です。
 あのマンガがプロレスや格闘技の入り口になっているという方々も多いことでしょう。
 ミノワマンは、マンガである。

 そしてマンガ的生き様こそ、我々がプロレスラーという人種に抱く憧れなのである。

 かつて「超人」になる前には「リアルプロレスラー」を名乗っていたミノワマンには是非、普通のプロレスも体験して欲しいものです。そして、真の「超人」となれ!!

テーマ:格闘技 - ジャンル:スポーツ

2007/09/22 Sat  03:03:03» E d i t
 » ダメな時に聞く歌 
 今まで生きてきた中で「一番みじめな時期に聞いていた歌」あるいは「その歌を聞くとみじめだった頃を思い出す歌」を問われるとアナタはどんな歌を思い出しますか?

 中島みゆきですか?
 叫ぶ詩人の会ですか?
 THE虎舞龍ですか?
 チャゲ&飛鳥(ローマ字表記になる前の!)ですか?
 大事MANブラザーズバンドですか?
 岡本真夜ですか?
 え?谷村有美?そりゃあ忘れてましたね。最後のkissは甘く切なく軽い方が良いですね。そうですか。
  
 
 私は落ち込んだ場合、救いを求めて明るい歌や励ましの歌を聞いて「よ~し!もう一度夢見よう!」と切り替わる時と、同情系どん底ソングで落ちるところまで気分を落として沈み込み、自虐内面旅行に向かう時とがあるのですが、今回はその後者である自虐的内面旅行へのチケットの話です。

 
 筋肉少女帯の「レティクル座妄想」というアルバムがあります。
  
 筋肉少女帯(以下、キンショー)の歴史からすれば中間くらいになるのでしょう、もう、宗教・文学・歴史・詩情・妄想ごちゃ混ぜにしながらただひたすら無常なる世の中の物語を語るオーケン(大槻ケンヂ)の脱力系暗黒面の世界がめくるめく展開されます。

 その「一般世間とはおよそ相容れないであろう世界観」を見事な音楽性で表現できていた時代のキンショー中期の絶対的な求心力を持ったアルバムです。余談ですが、この前後からキンショーは商業主義と世界観の狭間に落ち込み、オーケンはその狭間で苦しみもがきながらその苦しみを創作に活かしたりして延命しましたが、やがて数多のバンド達と同じように破滅しました。

 さて「レティクル座妄想」ですが、溜まって濁った水が排水溝に渦を巻いて吸い込まれてグゴゴゴゴゴゴと落ちて行くような何とも言えない「負の求心力」を持ったアルバムです。


 私が最も落ち込んでいた時期に聞き続けていたから という理由以上の神通力がこのアルバムにはあるような気がします。
 音楽性は明るい・・・と言うか、こんなに激しくて上手い音作りをするバンドなんて聞いたことがない!音楽のジャンルには詳しくありませんが、凄いメロディーとこんなワケの分からない歌詞が渾然一体となって完全なる世界を創出するようなバンドなんて日本史上に類を見ないのではないだろうか?で、あるにもかかわらず、歌詞が作り出す世界観はとめどなく暗い。中高生が悶々としながら「自分以外はみんな死んじゃえ」と思ってる時期の気持ちに色んなところから拾い集めてきたような宗教観や哲学、文学、詩がくっ付いてさらに妄想を掛けたような、延々と広がる無常な世界。 
 

 何だか分からないけれど凄い!これが全盛期のキンショーの世界です。
 
 自分の本性がそこはかとなく「暗い」と自覚してる人への適合率はかなり高いはずです。きっと。
 みんながボクを笑ってる気がするから蜘蛛の糸を上って世界を焼き尽くしてやる!って世界ですからね。

レティクル座妄想 レティクル座妄想
筋肉少女帯 (1994/04/21)
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 ガリガリのハードロックあり、間の抜けたコミックソングあり、そして何やら意味深げな歌詞ありの緩急自在でとにかく飽きない。真面目に音楽を追求する人には向きませんし、暗さに耐性の無い人には無用な世界ですが、落ち込んでる時の私には非常に快適なジメジメと湿った日陰。

 今でもどうにもならない時には、一番みじめだったあの頃の気持ちまでいったんリセットするために私は「レティクル座行き超特急」に乗ります。南無阿弥陀仏の暇もなく。

 そしてひとしきり暗~い、救われな~い気持ちになったところで「あの頃よりはず~ッとマシだ」と開き直るのです。

 今は必要ないのでCD置き場に埋もれてますがね。
2007/09/21 Fri  00:00:00» E d i t
 » ユメイロ輝石 
  光が幾重にも折り重なって 
  影に色が生まれた奇跡

  夏の香りがまだ残る
  秋のはじまりのプリズム

  ひとすくいの思い出が映し出す
  夢色
  

キラキラ
2007/09/17 Mon  06:47:11» E d i t
 » 敬老 
 高齢化が問題なのだろうか。

 私の知っているバンバン爺さんは、もうすぐ80歳。

 かつては脳梗塞で左半身麻痺しながらも、リハビリで回復。
 今でも何やら世界制覇(武力によるのではなくて、安く、広く誰もが喜べるように供給できる食品開発による)の野望に燃えて、日夜機械を作っている。

 従軍経験は無いが、貧乏だったために今で言うところの中学卒業で学業を断念せざるを得なかったということを涙ながらに切々と語る。
 学業を修めながら社会のために生きようとしない多くの人たちに怒りを持っているバンバン爺はその反骨心と類稀なる頭脳で、色んな分野で数々の特許を取得していて、今取り掛かっている例の世界制覇マシーンに至っては、工業大学の教授クラスを動かしているほどだ。 


 学歴、職歴、家柄、性別、年齢、経験・・・私達は普段、勝手にいろいろな枠を作ってはその枠の中に自分を押し込んで「自分には無理だ」「できるはずがない」と頭ごなしに自分に「不可能」「無理」を数え上げて、何もしない自分を無意識に肯定している。肯定していながらも何もしていない自分に焦りや不満を感じる。その繰り返し。

 何かをはじめれば、そして続ければいつかはできるかもしれない。届くかもしれない可能性を自ら否定している。
 「時間が無い」「疲れてる」「才能が無い」「技術が無い」

 また、それで何とか生きて行けるだけの豊かな世の中なのだろう。

 バンバン爺と話をしていると、確かに同じことを繰り返し繰り返し言うようになってはいるものの、言葉の丁寧さの中に時折滲み出てくる意地や対抗心、自分が正しいと信じて疑わない信念の部分と、意見を聞き入れて誤りを修正する柔軟性を感じる。

 そして何よりも人生の終盤に差し掛かっているという自覚を持っているから、壮大なテーマに着手し、何年にも渡って試行錯誤を繰り返し繰り返している。今日一日を生きるための確固たるテーマがバンバン爺にはあるのだ!

 
 高齢化が問題なのではない。
 年を取ったら何もできなくなる、しなくても良くなるという風潮が問題なのだ。

 確かにこの国を豊かにしてくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいだ。年を取れば身体の自由も利かなくなるだろうし、社会の変化にもそうそう対応できなくなるのだろう。精一杯戦って来たのだから老後を安楽に暮らしたい気持ちも分かる。
 だが、そうしていられないような社会になってきたのは事実だし、こういう時代を作ってきたのもまた自分達なのだ。

 誰もがバンバン爺のような才能を持っているわけではないし、意志だって強くないのもわかる。働く場所が無いというが、何も賃労働ばかりができることの全てではあるまい。

 経験が導き出す様々な道があるはずではないのか?

 奇しくも本日「敬老の日」。老人を敬えと言うからには、先達として我々に示すべき生き方というものがあって然るべきだと考える。
 

 まだ手も足も動く。
 頭もほぼ正常に働いているうちは青春。
 高齢化そのものはさほど問題じゃなくて、社会全体の考え方やヤル気が高齢化・老齢化してしまっていることのほうがよっぽど重要懸案なのではないか?


 壮大な計画とか、昔のホラ話とかも良いんだけど、出来なくなった事を数えるよりも、まだ出来ることやこれから出来るようになることを見つけて実行していくバンバン爺のような生き様こそ敬う価値があると私は思う。 
2007/09/17 Mon  00:00:31» E d i t
 » ゴッチさん曰く 
 日本では・・・と言うか、アントニオ猪木派のレスラーたちが「プロレスの神様」と崇め奉ったカールゴッチさんが82歳で亡くなったのは、 フロリダ州現地時間の7月28日だと言いますから何だかんだで1ヶ月半も過ぎ去ってからのいまさらジロー状態な記事です。

 でも、いまさらでなければ書けなくもあるのです。

 ゴッチ氏の死後、現在唯一のプロレス週刊誌「週刊プロレス」および「週プロモバイル」でゴッチさんの特集が組まれました。
 あたかも遺族代表のような立場になっている西村修や他のレスラーのゴッチさん回想録ではなくて、ゴッチさんの足跡や名言を集めた特集です。
 それがやたらと興味深くて、哲学的ムリヤリ根性論科学的で・・・良い意味で均整の取れたごちゃ混ぜなんです。これぞまさにプロレス


 どうやらゴッチ氏の場合は逝去後に雑誌で組まれた特集を読んでみるとレスリングという競技自体に誇りを持っているらしく、柔道が近代スポーツとしてルール整備が進む中で元来持っていた護身術あるいは格闘術としての柔術の殺伐とした部分を禁止したり伝授を放棄することによって取り除いて現代の姿に至っているのと同じように、アマレスもまた国際競技として裾野を広げるために相応しくなかったキャッチレスリングと呼ばれるモノの「フック」と呼ばれる相手を壊すための技を取り除きながら現在のレスリング“競技”のルールに至ってるのだらしく、その失われたレスリング技術を「ロスト・アート(失われた芸術)」と位置づけ、それをマスターしていたのだそうだ。

 折るため、外すための関節技や落とすための締め技、クラッチの握りから投げのコツ、それらを瞬時に可能にする肉体の鍛錬方法。すなわち素手で相手を壊すためのレスリング技術。
 衆人環視の舞台の上では必要とされなかった技術・・・即ち竹刀勝負が義務付けられている剣道の試合における「真剣による人の斬り方」を知っていた人で、そういう得体の知れない幻想に日本人はとことん弱いのだ。だから日本では「プロレスの神様」という呼び方をするのだ。多分。

 
 アメリカではショーとしてのプロレスには不必要なモノだとしてゴッチさんの技術も買われなかったしレスラーとしての評価だってそう高くはない。だもんだから、ゴッチさんはますますヘソ曲げちゃって「あんなカーニバルレスラーばかりになって派手なショーアップをして、あんなもんはプロレスぢゃない!けしからん!あれはダンスぢゃ!ワシのところに教えを請いに来た日本のレスラーたちが本当のプロレスを引き継いでくれるのぢゃ!」みたいに偏屈な事を言い始めるお茶目な一面もある。そりゃそうだ。自分の存在意義を認めてくれる人たちの味方をしたい気持ちにもなるだろう。自分が本流だと思い込んでいる流れを否定された上に、亜流だと思い込んでいる流れがビッグビジネスとして成功を収めていたのだから。
  

 ゴッチさんは「武蔵・二刀流」とか書いた土産物で売ってるようなTシャツを(多分)喜んで着て歩くくらいに「武士道」やら「宮本武蔵」やらに強く影響を受けたらしく、映画「キル・ビル」よりは純粋にサムライに憧れていたのだろう。

 言動も、弟子たちが話す思い出話もすべからくシグルイにござる。
 →カールゴッチはこう言った 
 →カールゴッチ名言集 
 
 伝説は多分に伝説である。しかし、そこにその男が生きた真実は彼が残した心の遺伝子が伝え残して行くに違いないのだ。

 最後に、私が非常に気になった言葉を要約抜粋する。

 「若い頃のトレーニングは“すべき”だ。年を取ってからのトレーニングは“しなければならない”。人生は動き続けるもの。つねに向上のスペースは残されている」

 「筋肉よりも筋力が必要なのだから器具トレーニングは(レスリングにとって)あまり役に立たない。筋力をつけることについては食べ物にも気を使わなければならない。
 ある程度年を取るとコレステロールが体の中に余分にたまるようになる。若いうちは麦のように手を加えればグングン伸びるがそういう素晴らしい時期はすぐに去ってしまう。
 本当に強いのは三十代半ばの男だ。いわばオークの木だ。スタミナがあって頑丈だ。レスラーも中年がピークになるのだよ。私の人生のベストタイムは35から45までの10年間だった。」

 んんん。コレステロールかぁ・・・年齢的に最強期に近づいているのだな私は・・・。レスリングはやってないけれど「若い頃みたいに動けなくなったなぁ」とかため息つく前に、できることをできるだけやってみよう。と、ゴッチさんに勇気付けられてみる。

 
 クラフト・ハイル!!(力よ、万歳)
2007/09/15 Sat  06:30:27» E d i t
 » 平成オイルショック 
 石油価格が高い。

 別に毎日の原油価格が1バレルいくらだとかチェックしてはいないし、そういう単位で言われても実感が湧かないのだが、ガソリンスタンドの価格表示を見ると強烈に実感する。

 ずっと昨年あたりから小刻みにガソリンスタンドの価格表示が上がり続け、私が学生時代だった10年前にはレギュラー1リットル70円前後だったのが今や1リットル140円。2倍だ。2倍。

 昨年の冬はどうにか乗り切ったものの、今年も灯油が高いまま。
 寒い地域では死活問題である。

 普通に活動しているだけで、10年前の2倍の燃料費がかかる。
 石油製品の値上がりが続いて製造業や運送業は苦しい経営が続き、ついにスーパーの定番陳列商品であるカップ麺も値上げを決定。あるいは、ペットボトルのジュースも価格据え置きのまま内容量を微妙に減らすなど、気付こうと思えば気付くような微妙なところにジワジワとその波紋は広がっている。

 
 これは、世界規模で地球温暖化を食い止める為の策略か何かなんだろうか? 
 
 原因は産油国の90年代からの産油制限による供給量の制限と、中国やインド、ロシアなどの大国の目覚しい工業発展による需要の増加、さらに先物取引などで原油相場が毎日のように「史上最高値」を記録し続けているということらしい。

 燃料としての石油、暮らしの中の石油製品のない生活なんて考えられなくなってる。それだけ私たちの生活は石油に依存している。

 

  石油価格の高騰が引き起こしそうなことを勘ぐってみよう!

 1.次世代エネルギーの開発に拍車が掛かる。  ~今まで、なんだかんだ言いながら石油で対応できてきたからあまり気合が入ってなかったが、尻にが着く(←メタンガスではない)。できればクリーンエネルギーの方向でお願いします。
 
 できなければ、時代の逆行が始まるでしょうね。
 しかも、今まで作り出してきた「便利だと思われていたもの」が「粗大ゴミ」として放置されたまま。 


 2.産業構造の変化 
~産業革命以降の各段階を経て、先進国はある程度成長どまりという感じになっている。モノを作り出す必要性が薄れて来ている。
 何のために働き、何のために生きるのかが分からなくなってしまうのも、過去の産業構造と相容れない世の中になってきているから。
 現代の産業構造の根幹エネルギーである石油が手に入りにくい状況になり、今の流れがストップした時にどうなるのか?というところ。

 途上国は巨大な人口を抱えた国だし、これから伸びるモノをわざわざ止めないだろうし・・・

 近代の戦争はイデオロギーの違いよりも、石油利権の奪い合いから始まる事になっているので、これも無いとは言いがたい。

 資本主義優先の経済構造も、思想も、今、私たちが享受しているこの生活あってこそのもの。その生活を支えているエネルギーは間違いなく、石油。


 石油の無い生活、みなさんはどのように想像しますか?
2007/09/14 Fri  00:00:00» E d i t
 » 切実な願い2 
言いたいことはすごくわかる。


 お。

 ・・・オ?


 「ヲ」じゃなくて?
2007/09/10 Mon  18:00:13» E d i t
 プロレスリングNOAHのGHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦の決勝が昨日行われ、日テレでは深夜に即日放送!やってくれました~。ああ、ナイター中継の延長も止めたし、深夜プロレス録画派の私にとってな~んてファンタスティックなテレビ局なのでしょう!




 唐突ですが、G1の感想から書きます。

 新日本のG1クライマックスの決勝戦は、試合当日から2週間後に放送され、その翌週に準決勝の2試合が放送され、さらにその翌週にピックアップされた試合をダイジェストで放送していたので、やっとG1の試合映像を一通り見終わったのですが・・・面白かった。

 もう、とにかく永田と真壁を追っかけてれば今の新日本は間違いないです。今、この2人が絡む試合は本当に面白い。
 逆にあいかわらず「観客から及第点を頂こうとしている」ようなプロレスを展開してしまっているのが棚橋と中邑です。

 棚橋や中邑さえも光らせてしまう、永田と真壁に盛大な拍手を送りたいと思う次第なのです。

 中邑は器用貧乏なのでしょうね。一生懸命さが見えないのがふてぶてしくてヒールに丁度良かったのに、ヒールに転向したとたんに一生懸命さが見えて来てしまった・・・というか、中途半端な位置に立ってしまったんでしょうね。
 もっと単純に悪くてズルくて面白いヒールの位置に真壁が立ってしまったがために。

 棚橋はやはりギリギリまで追い込まれていない状況で「丸め込んで余力を残して勝とう」というプロレスをするのが鼻に付くんです。別に勝負事ですから悪い事では無いのですが、少なくとも団体のエースを名乗るレスラーになりたいのであれば、それは観客がエースに期待しているものではないような気がします。 
 
 蝶野が出てきて、長州・マシン・ライガー・・・そして越中!というレジェンド軍団(通称:いまさら軍団)を結成したりと、軍団再編成の時期を迎えている新日本ですが、しばらくは永田と真壁にまかせとけば大丈夫でしょう。
 間違ってもレジェンド軍団vs棚橋世代とかを中心の展開にして、一時期みたく永田や中西の第三世代(+真壁)を戦いのメインストリームから外すことのないように願うばかりです。 
 
 この新日本の盛り上がりを呼んでいるのは間違いなく永田です。
 そして、火をつけたのは越中であり、油を注いだのは真壁です。




 テレビ放送されたG1の試合がどれもこれも面白かった余波を受けて、NOAH中継の方はちょっと格落ちするかもと言った疑念を私は持っていました。
 NOAHの選手たちは基本的に格付けが決まっていて、主力・中堅・若手というそれぞれの枠の中で毎日戦いながら、与えられるチャンスを待っているというイメージが強く、新日本のように自己主張が強いレスラーが少ない団体ですから、参加メンバーを見た瞬間に大体の星取りがファンが計算出来てしまうんですね。
 あとは、誰と誰とがどういう試合をするかという部分に興味が注がれるワケですが・・・杞憂。まさにそれでした。

 
 秋山準が提唱して、トントン拍子で開催決定となったリーグ戦でしたから、参加レスラーの中にもモチベーションが上がらないままシリーズに突入した選手もいたようですが、本田多聞が杉浦をネックロックで締め落とした場面、潮崎が森嶋の太ももにチョップしたり森嶋が潮崎のジャーマンを尻で潰してしまった場面など、衝撃的な場面が続出。

 これまでNOAHでいかにシングルマッチが少なかったのかを、改めて思い知りました。非常に面白かった。


 で、一番衝撃的だった場面なのですが、今週放送分の優勝戦進出者決定戦「斎藤彰俊vs丸藤」で、彰俊のデス・ブランド(ぶん殴りラリアット)をヒラリとかわした丸藤が腕を取りながら回転してポールシフト狙いで彰俊の足を取りに行った瞬間!

 グチッ!!

 彰俊、渾身のカウンター膝蹴り。

 いや「丸藤死んだ~」と思いましたよ。
 あんなヤバい入り方したら、総合格闘技なら即ストップですよ。
 私なら奥歯の虫歯まで、歯、全部折れますね。

 なんであれでカウント2で返す事ができるんでしょうかね?
 プロレスラーって何なんでしょうか?超人?そうですか。そうですよね。

  
 それを筆頭にモリシが満身創痍で命からがら秋山を粉砕した試合も、その直後に2試合連続で戦い抜いたことも、丸藤がモリシを見事に担ぎ上げてポールシフトしたことも、どれもこれも命懸けの大試合でした。

 いやぁ。

 テレビ観戦のプロレスファンとしては、素晴らしい1ヶ月を過ごさせていただきました。
 これからもビッグマッチが連発ですねぇ~。

 こんなクオリティーの高い事を連発されると、勢いが先細りしそうでなんだか返って心配になるのも杞憂でしょうね。きっと。

 なぜならばNOAHは今更取り立てて言うに及ばず、新日本もほぼ在籍メンバーだけで大きな興行を打てるようになってきたのですから。永田と真壁という柱に、細々した抗争を織り交ぜて行けばそのうち後藤洋央紀あたりが伸びて来る事でしょう。

 さらにNOAHでは長い間懸念されていた四天王世代の終焉、その後の姿が今回のリーグ戦で浮き彫りになりましたから。ジュニアは高いレベルで安定してますし、さらに珍しい事に久しぶりに「強豪」外国人選手:サモア・ジョーが来るようですし。

 楽しみです~。

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

2007/09/08 Sat  06:25:50» E d i t
 それからしばらくの間、噂は錯綜したが各人の日常の煩雑さの中にジジへの心配が溶けて消えるのにはそうは時間が掛からなかった。

 物足りなさを感じていた日々も慣れてしまえば「こんなもん」で、記憶だけを残して無情にも時間は過ぎ去って行く。日々の煩雑さにどっぷり浸ってその無情なる時間の中で私たちは生きて行くしかないのだ。

 ジジが来なくなってから、多分、みんなの中からある表情が減った。
 それがジジが毎日毎日、私たちのところに運んできていた荷物だったのだ。



 あれから数ヶ月、ジジの務めていた運送会社が営業を休止した。


 
 石油がこんな価格になってしまい、物流が盛んだった時代に隆盛を極めた多くの中小運送会社は過当競争の中で運賃引き上げの目処は立たず、昨今ではMADE IN CHINA の商品が日本国内の物流システムを大幅に変貌させ、さらに高速道路の整備によってかつては国道周辺にあった商圏ポイントが高速道路沿いに移行したために、かつてはドル箱運行路線と呼ばれた路線にズレが生じたりと色々と運送会社を取り巻く問題はあるのだ。

 
 ジジは、とうとうトラック運転手ではなくなってしまった。
 70歳を目の前にして再雇用の話もないだろうし。年金があれば、食うのには困らないだろうし・・・。

 
 だから、もう我が町の集配センターにひょっこりと顔を出してはタバコ吸いながらお茶を飲んで競馬新聞を開く事も、若い衆を呼びつけてはなぜかジョージアを手渡したり、けたたましく集荷の指図をすることもないのだ。

 
 
 黄金色の頭を垂れる稲穂の海を分ける一本道。
 私たちの車はジジの家に向かっていた。


 携帯電話も通じない、電話にも出ないからいい加減心配になって数人で連れ立ってジジの元を訪問しようとしたのは、私がジジにどれだけ世話になって今ここにいるかを実感しているからなのだ。

 ジジはいつでも私の成長を待ってくれていた。お互いに励まし、勇気づけ、共に笑い合いながら。ジジは私にとってかけがえのない「仲間」なのだ。年齢とか、通って来た道とかそういうのを全部ひっくるめた上で仕事上だけの付き合いを良い意味で逸脱してしまった「仲間」なのだ。

 
 ジジの自宅の前に到着し、呼び鈴を鳴らそうとしたまさにその瞬間、ジジがマルボロ片手に今にも壊れそうなロボットよろしく鼻と口から同時に煙を吐き出しながら玄関を開けた。夕刊でも取りに行くところだったのだろう。

 ステテコ、丸首Tシャツ、腹巻き。
 完璧なるジジスタイルでの登場に、いやでもこちらは笑顔になる。

 重い荷物を運び続けた小さな男の、肩の荷が下りたのだろうか。
 幾分、優しさと哀しさが同居したような表情を見せてジジは私たちを家の中へと招き入れた。


 ジジはこれからもジジであり続けるだろう。あり続けて欲しい。
 そう強く願った。


 日本という国が伸びて来た時代のカラッとした活気をこのジジたちは知っていて、ジジはその勢いを今の湿った時代にまで運んできた時を超えるトラック野郎なのだ。
 ジジが運んできた荷物は私たちが暗い顔をしていたら未来が閉ざされるということを暗に示していた。
 「明るい未来は、笑顔で拓いて行け」
 私たちは彼らが運んできてくれた荷物をどうやって荷解きして、どうやって自分達の荷物を組み立てて、次の世代に渡して行くのだろう。


 そんなことを考えながら、ジジが作ったタバコの煙の輪がふわりと歪んで霞んでゆく様子をぼんやりと眺めていた。

 ジジはその向こうでシワシワのいつもの泣き出しそうな笑顔で細く笑っていた。 
2007/09/07 Fri  00:00:04» E d i t
 » 夏の終わり頃 
 灼熱の太陽まで 青空を斬るよなスピードで
 君は僕を弾いた

 一直線太陽まで 放物線の運命がスピンを緩め
 君は僕を見失う

 僕を探す君 焼くような日差しの中 
 幾度も幾度も同じ場所

 僕を探す君 泣きそうなまなざしの中
 幾度も草を掻き分けて
 

 僕はここにいるってば

 僕はここにいるってば

 
 もう一度 あの空を飛べる日を夢見て
 眠っていたわけじゃない
  
 
 僕はじっと待っていた 
 君が見つけてくれるのを

 
 夏の終わり頃
 日焼けした僕はここにいます



You can still fry!



 夢の舞台 何かの記念に飾られるより
 夢の舞台 誰かの名前を書かれるより

 ボロむき出しで 焼くような日差しの中
 幾度も幾度も空を斬り

 ボロむき出しで 焼くような眼差しの中
 幾度も飛び交う追憶

 僕はここにいるってば

 僕はここにいるってば

 
 もう一度 あの空を飛べる日を夢見て
 眠っていたわけじゃない


 待つ僕は幸せ者なんだ 
 君が見つけてくれるのを
 

 
 夏の終わり頃
 日焼けした僕はここにいます


 なんだか今日は飛べそうな気がします
 
2007/09/06 Thu  05:17:25» E d i t
 「砂利道だった頃からずっと毎日通った稲穂峠だから、目をつぶってても運転できるでや」なんて冗談言いながら笑っていたジジ。

 ジジが白内障を患って「左目がどうもボヤけて見えるんだ」と言っていたのが2年前。

 運転という作業は慣れてしまえば意識しなくなるものだが、教習所で初めて車を運転した頃に、身体の全ての機能を分散させながら自分と他人の生命を危険な状態にさらしながら運転という一つの作業をするのであって、極度に緊張・疲労するものだと感じたのを思い出す。ましてやジジの場合は4tトラックという(括りとしては中型車という部類なのだが)一般乗用車よりも大きな車を運転するのだから視力の問題は大きい。

 「若い頃は道路も舗装されてなかったし冷凍技術だって無かったから早く届けるために無茶なこともしたさ」とニタリと笑うが、たまに助手席に乗せてもらうとジジの運転は豪快なハッタリとは裏腹に慎重そのものであった。



 「ああ、くそ、歯医者なら溢れるだけあるのに、目医者がこんな少ないから行く度にジジババばっかりの待合室で(あんたもジジだが・・・)何時間も待たされて、診察時間なんてほんの2分くらいだで。馬鹿みてえだよな」とかぼやきながら眼科に通い、その間も毎日毎日稲穂峠を往復していたジジ。

 マルボロを手放さないほどのヘビースモーカーで、健康という言葉とはおよそ対極に位置するような生き方をしているにも関わらず、手術後の経過は驚くほど順調で、数日間休んだきりであとはいつもどおりの“ジジ業務”に戻った。「いればギャーギャーうるせぇけど、いないと寂しくて気が抜けちまう」これが周囲の総意らしい。人の輪の中心に立つという才能がなせる業なのだろう。

 
 あれから2年が経過し、今年も稲穂峠の両裾が萌えるような若緑に包まれた田植え直後の5月末。小雨がぱらつく薄曇の日の事。

 誰もが耳を疑うような情報が伝わった。

 
 「ジジ、人身事故起こしたらしいぞ。」
2007/09/05 Wed  06:11:49» E d i t
 国道5号線。札幌と函館を結ぶこの一桁国道に稲穂峠がある。
 峠の両裾に広がる広大な田園地帯はこの季節になると一斉に黄金色の帽子をかぶり頭を垂れる。
 秋。
 風にそよぐ黄金の波をぼんやりと横目に、私たちはジジの元へと車を走らせていた。


 ジジ。
 我が町とは稲穂峠を挟んで向こう側になる港町から、春夏秋冬来る日も来る日も稲穂峠を超えて荷物の集荷にやって来るトラック便の爺さん。
 「おぅ。俺なんかなぁ、もう35年も40年も稲穂峠を走ってきてるんだ。あの道路がまだ砂利道だった頃からなぁ!」と片時も放さぬほどに好きなマルボロの煙をくゆらせて、よくそんな話をしていた。
 「トラック便の爺さん」という言葉のイメージやその豪気な言葉からは大きく掛け離れた風貌・・・小さくて細くて背中が曲がっててシミだらけで、80歳と言われれば納得してしまいそうな雰囲気を漂わせているが、実のところ67歳だ。
 小さな顔の面積の半分程を覆うような老眼鏡を掛けては新聞を広げゃ競馬の記事ばかり見てるし、話をすればパチンコでヤラレタ話かトラック野郎が華やかだった頃の昔話。「本当に大丈夫なのか?」と誰もが心配になるほど新聞の話題には疎いが、意外と世間の話題には敏感で、携帯電話の使い方を覚えられないくせに、自分が掛ける数十人のお客さんの携帯電話の番号を暗記していたりする妙チクリンな爺さんだ。


 大概の場合、トラック便といえばセンターの指示で集荷・運送・配達・荷降ろしを運転手(最近では助手も付く場合が多い)が一手に引き受ける過酷な肉体労働の世界なのだが、ジジの場合はまあ確かに指示を出す方ではあるのだが、常に誰からも・・・同じ会社の若い衆からも・・・「おいおい、この爺さん大丈夫なのか?」と思われているのでその分、周囲がちゃんと気を使って確認・連携・作業の能率が上がるという特殊能力を発揮する・・・というか、そういうポジションのキャラなのだ。


 「どっちかと言うと、お荷物なのはジジだよな」と、若い衆にからかわれれば「ぬぁにコラ!」と一喝するものの、その瞬間に入れ歯が外れてしまって周囲の大爆笑を誘うような、ボケてはいないが「とぼけた味の爺さん」である。
 それでいて、若い衆が悩んでいる時には余計な事を言わずに黙って話を聞いてやり、周囲に気を配っては輪から外れている人に気さくに声かけしたり、積荷を手伝ってもらった人たちには必ずジュースを差し入れたりするところはさすが年の功。
 
 良く言えば、多くの分散されている「力」をまとめ上げてひとつの目標に向かわせる能力に秀でていると言えるのだろう。悪く言えば、頼り無いから周囲がジジの分まで気を使うのだが・・・。
 おとぼけ爺さんが、屈強で一癖あるトラック野郎たちや集荷センターの職員たちに一目置かれる存在なのはそういうことに起因するに違いない。

 ジジは戦争を知っている世代だ。とは言っても、幼児期の体験になるのだが。カラフトから引き上げてきてからの話を何度も聞いた。
 ロシア語を2・3語知っていると豪語するから聞いてみれば「タバコください」と「水ください」、「ストーブ」「ライター」という単語なのだらしく、私もそれを覚えていたのでロシア人に思い切って言ってみたら全然通じなかった・・・
 苦労を苦労として語らないその姿に、本当の苦労が垣間見える。

 
 最近になって、何かの集まりで酒を飲んだりすると私の親と同年代の団塊世代の定年間近の人たちが溜息混じりに「俺たちは、良い時代を生きてきたんだな」と言うのを耳にする。
 経済に伸びる勢いがある時代、混沌としていて人間に活気があった時代、モノが売れる時代、貧乏でも喜怒哀楽に溢れていた時代だったのだろう。

 私の一回り上くらいの先輩たちになるとバブルの最中に社会に出ているので「あの頃はすごく良かった。何もしなくてもモノが売れたし、仕事のやりがいもあったなぁ。やればやるだけお金になってたし、それだけ遊べたからな~。」現実を見ずに幻想を追い駆けて行けるところまで行きついて、そして破裂して低迷した時代の真っ只中に私たちは今だにいる。

 その全ての時代をジジは体験しているのだ。
 トラックに乗りながら。
2007/09/01 Sat  06:20:16» E d i t
 うじうじ悩んでいることが悪い事だと、いつでも他人の前では明るく元気に振舞う事が良い事だと、一体誰が決めたのさ。そんなの自分が決めたわけじゃない。周りがそう言ってるだけだから気にすんな。

 悩んで苦しむと書いて「苦悩」。

 悩み事と正面から向き合うから苦しい。周囲の人は「視点を変えろ」「やり方を変えろ」と言うかもしれないし、どうせそう言われるのが目に見えて分かってて「なんで言ったとおりにできないの?」と恩着せがましい視線が注がれて、それがウザいから「誰にも理解されないから」って自分ひとりの殻に閉じ篭っているのかもしれない。

 悩みに対して正面切って向かい合う「もどかしさ」と「苦しみ」を甘受すべき時期なのだ。今、多分、君は。
 
 いつか気付くだろう、自分を理解してくれない他人の視点が自分の選択肢のひとつになって行く事例もあることを。そして、自分もまたどんなに近しい他人でさえも完全理解する事など到底不可能であるということを。

 それを知った時、それを受け入れた時が岐路なのだ。
 

 諦めてしまうか、到達不可能と知りつつ進むか。


 君は今、何を求めているのか。それを激しく自分自身に問うべきだ。そして、それは身を削るような渇望に値するものであるか。値するものであるならば他人に与えられるのを待つのではなく、こちらから掴みに行くのだ。そうなるように生きるのだ。進めばそりゃ困難に突き当たる。でもそれをどうにかして超えるたびにひとつずつ強くなれる。超えようとするから知恵が必要となり、跳ね返されて現実を覚え、臆病さを知るから勇気を身につける。

 現代は、知識と情報ばかりが先行しててその中に埋もれて自分喪失してしまう時代だけど、いつだって自分の道を拓くのはその手、進むのはその足だ。それだけは忘れるな。

 自分の成長に誰かが気付いてくれなくても、自分の中の満足は誰にも消される事はない。

 だから大丈夫だ。
 何を悩んでるんだか知らないが、もがいている君の手足に俺は先に進む意思を感じてるさ。

 それが、良い。お楽しみはこれからだ!
 
 
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