フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2007/05/30 Wed  06:04:31» E d i t
 » 献血に行きました! 
 献血に行った事ありますか?

 私、献血好きなんですよ。血の気が多いから少し抜いてもらう とか、誰かの命を救うために とか大義名分は私には必要ありません。

 あの 太い針 が腕の血管に プツッ!! と刺さり、そこから深紅の静脈血が流れ出て行く様子が何とも言えず好きなんです。
 
 消毒されて、針を刺して・・・血が流れ出す様子をジ~ッっと見つめているものだから、血液センターのおねいさんを必要以上に緊張させてしまう嫌な献血者です。俗に言う 変態 です。


 私のAB型を輸血される方は、そういう性質も引き継ぐ事でしょう。

 
 我が町には血液センターが無くて、献血バスが数ヶ月に一回巡回してくるのですが、地方都市に住んでいた大学時代には、血液センター勤務の知り合いに呼ばれてよく 成分献血 というヤツをやってました。


 片腕から採血し、血液中の 血漿・血小板 などの必要成分だけを抽出する機械を通し、赤血球などの成分をもう片方の腕から返還するという献血なのですが・・・


 こ~れが気持ち良いんだぁぁぁぁぁ~
  
 血が抜けて行く時に、こう、胸の辺りの体温が少し下がるような気がするんですよ。ス~ッと。それが何とも言えず気持ち良い。
 
 一回の献血に1時間弱くらい掛かって、その当時血液センターには看護学校の若いピチピチギャルのおねいさんたちが実習兼ねて勤務されてたりしてたので、そりゃあもう、毎日のように血液センターに行きたかったものです。
 
 ま・・・1時間弱掛かるとはいえ、針を刺してしばらくすると気持ち良くて寝てしまいますし、なによりも恥ずかしがりやな私なので、ピチピチギャルとステキなトークなんぞ夢の中でしか実現しなかったのですけどね・・・。


 献血の回数は結構多いぜ!!(そんなのどうでも良いけど)



 このたびも400ml献血しました。
 
 で、献血バスの休憩所に 献血のおかげで助けられた というようないろんな病気や怪我の患者さんたちの言葉が書かれいたのを読んで、う~ん、他人事じゃないかもな~ なんて神妙になってみたのも束の間。

 値上がり確実の100%オレンジジュースウェットティッシュを貰って、良い気分で献血を終えたのであった。
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2007/05/28 Mon  15:47:13» E d i t
 » 横顔の女性、永久に・・・ 
 私がその 物憂げな横顔の女性 に心惹かれたのは高校時代だった。

 学校帰りに立ち寄ったレコード店(CDショップというよりレコード店というのがシックリ来る)で、ひときわ目立つCDジャケットに惹かれて「Good―byeMyLoneliness」という曲を購入。

 可もなく不可もないそのメロディは、ただ爽やかな風のように私の中をすり抜けて行ったが、横顔の女性は強く心に焼き付いた。


 私が見掛ける彼女はいつだって 物憂げな横顔 だった。


 アクの欠片も見当たらないようなメロディーと、美しい言葉たちは物憂げな彼女の声と伴に私の青春時代を彩っていた。時代はそれを求めていたのだろう。
 耳辺りの良い曲たちが次から次へと生み出されては、流れ去って行った。
 
 物憂げな横顔の女性 は、私が高校生から大学生、社会人になってもなお、ずっとずっと静かな微笑を湛えたような物憂げな横顔のままで、私の胸に刺さるような何かは見当たらなくても、耳の奥に残るようなメロディーを聞くと、懐かしいあの頃を思い出してしまう。


 ZARD・・・


 ボーカルの坂井泉水さんが亡くなられました。
 
 物憂げな横顔の女性は永久になりました。
 きっと・・・忘れない。

  
2007/05/25 Fri  00:00:00» E d i t
 » 太陽の鏡 
たんぽぽ


 都会の少年へ

 
 僕ら

 燃ゆる太陽を映す小さな鏡

 春の散歩道を照らす小さな灯り
 

 

 
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2007/05/21 Mon  05:51:50» E d i t
 午前中はうす曇りだったのが嘘みたいにスカッと晴れた日曜日の午後にふとんを干す。

 嫁さんと子供たちが週末出かけてたから自分で洗濯して、干してあった洗濯物たたんで、家の中全部掃除機かけて、取り溜めしていたビデオを見る。

 気になっていたゲームを久しぶりにやる。

 ちょっと昼寝する。

 ああ、さっぱりした。 




 
 土曜の晩の焼肉&ビール対決(年上友人とのタイマン)で、胃袋からはみ出すくらい喰って、飲んで、
 
 飲み干すぞ ビールッ!!
 胃もたれるほど イートッッ!!
 喰らうぞ!!焼肉オーバードライブッッッ

 とジョジョ立ち(年上友人はジョジョ知らないのに)。

 バカなことやってゲラゲラ笑いながら、お互いにグチグチ愚痴りあって笑い飛ばして、気温6℃の小雨の中ソフトクリーム食べながら歩いて帰って来て、倒れるように寝る。

 ああ、喰った食った。飲んだ飲んだ。すっきりした。



 
 日曜日の朝も相変わらず体内時計が5時前に私を起こす。

 ビールはジョッキで10杯くらい飲んだと思うが、二日酔いは無い。
 痛烈な胃のもたれに顔をしかめながら、朝の9時までに返却しなければ延滞料金を取られるDVDをぼんやり見て、引き込まれて、軽く泣く。大いにシビれるッ、あこがれるぅ~。
 DVDのタイトルは「GOAL!」

 で、それ見終わってから朝刊見たっけ、日曜洋画劇場に同名タイトルが!! おぉ・・・なんか損した気分・・・オブオブ
 ・・・でも、何度でも見るに値する映画だ。

 返却前に見れて良かった。さっぱりした。





 気温6℃・薄曇り、嫁さんと子供がいない日曜の朝、胃もたれとニンニク臭のなかで、ビデオ返却しがてらいつも使わせてもらってる私設トレーニングジムに行く。

 あまりにも誰も掃除しないから、きっっったないから床を雑巾がけする。

 日曜の朝になんて他に誰も来ないから、照れくさくも無く掃除できる。ああ、さっぱりした。 

 

 

 よく晴れてはいるが、薄くおぼろな三日月が向かって右下に宵の明星・金星を連れている日曜日の夜。

 嫁さんと子供たちを札幌駅まで車で迎えに行って、メシ食って帰って来て、結構遅い時間になったけど、楽しかったようで良かった。

 こっちも楽しかった。





 ずっとうす曇だったのがすっきりと晴れて、月曜日の朝をすがすがしく迎える。
 
2007/05/17 Thu  05:39:59» E d i t
 気にしたって仕方ないのだ。

 仕方ないのは分かってるんだけど「丸くんらしくないな~」とか言われると、ちょっとヤだ。

 「らしくない」とか言われても、じゃあ「俺らしい」って何さ?って思う。

 「他人の目に映る自分なんてどうでも良い」 とか普段は思っている割には、
「今 こう言ったら周囲はこんな反応するだろう」とか、どこかで計算しながら喋ってる自分。


 「らしくない」を2人以上の知人に同時期に言われると、なんだか自分までもが自分らしくないとか思い込むようになってしまう。

 「どんな状況に置かれても自分は自分」 だって普段は思っているから
 「自分らしくなく見える自分も、それ全部ひっくるめて俺なんだって」って言い返せるんだけど、何か言い返せない時期があって。
 別に言い返さなくてもそのうち分かってくれれば良いかな・・・とか、ひどい時には相手に対して漠然と「ああ、“コイツの中の俺”にチャンネルが合ってないと、俺は俺だと認識されないんだな。そういう相手には分かってもらえないだろうな。」とすら思ってしまうのだ。

 
 ちょうどこのところそんな有様で。


 トガってる時も、ムカムカしてる時も、元気じゃない時も、前向きじゃない時も、アイデアが出てこない時もあるっていうだけの話なんだよ~。
 何かを思い悩んでるように見えても、何に思い悩んでるんだか自分でもよく分からない時があるんだよ~。
 内側から取り出してやりたくっても、モヤモヤしすぎてて言葉としてまとまらないから誰にも伝える事ができない思いだってあるのさよ。

 
 みんなそうじゃん?

 たまたま今がそういう時期なんだって。
 
 そんなときに「らしくないな~」って、見たまんまの感想を言われたってさぁ・・・

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テーマ:こころ - ジャンル:心と身体

2007/05/14 Mon  06:05:48» E d i t
 » 遺伝 
 母の日。

 鉢植えの花を買って、実家の母に贈る。

 可愛らしいラッピングからガサゴソと鉢植えを取り出す様子を、期待を込めた視線でじ~っと見つめていた我が息子・まるもい(2歳8ヶ月)がひとこと。


 「な~んだ。食べる物じゃないのかぁ」

 

 ・・・そこまで俺に似なくても良いよ、まるもい。

テーマ:2歳児の日常 - ジャンル:育児

2007/05/13 Sun  07:47:31» E d i t
 町に音楽が流れなくなって、道行く人々が皆それぞれに好きな曲を好きな場面で聞けるような時代になったから、時代を象徴するような音楽が生まれて来ない。

 今「個の時代」となり、我々が求めているのは「共感」なのかもしれない。

 私が幼年期だった1970~80年代には、まだド演歌が残っていた。
 そもそも歌手が少なくて、歌だって今みたいになんでもかんでもドカドカ出て来てすぐ消えるサイクルじゃなかったし放送媒体だってラジオやテレビ、有線くらいに限られてて繰り返し同じ歌が流れてて、ド演歌でもアイドルの歌でも流行った歌は子供から年寄りまでが口ずさめるような時代だった。

 その歌を聴くと、あの頃がフラッシュバックする。
 多くの人たちの“その時代”の「共有性」に貼られたインデックスのような役割を持った歌がある。
 

 サムライ・シローの戦いはそれである。


 私がプロレスを見始めた頃、越中はいつだって「引き立て役」だった。高田のマシンガンのようなキックにサンドバックのようにボロボロになるまで蹴られて蹴られて、反撃は隙の多いヒップアタックしかない。
 子供から見れば、ズタボロに蹴られている姿が強そうになど見えるワケがないのだ。

 ヒップアタックなんてカッコ悪いし。

 山崎にも前田にも、時は流れて橋本にも、さらに永田にも!とにかく、ズタボロに蹴られまくる。それがサムライ・シロー。
 
 ・・・ところが。ところがである。

 ズタボロに蹴られても蹴られても、歯ぁ食いしばって、身震いしながら何度でも何度でも起き上がってくる。
 その度に相手のキックの威力も「これでもか!これならどうだ!」と言わんばかりに上がってくる。

 相手の全力を引き出すために相手の技を正面から「受け止める」。

 160km/hの剛速球を投げられる投手がいても、それを受ける事ができるキャッチャーがいなければ、野球はできない!
 
 越中はいつだって「受ける」ことで試合を作ってきた。

 星飛雄馬の魔球を捕るために、血まみれになって特訓した判宙太さながら、ブッ飛ばされてもブッ飛ばされても相手の全身全霊の蹴りを引き出すために立ち上がる。その姿を古舘伊知郎は「ド演歌ファイター」と形容した。

 ド演歌とは人生の悲哀を歌った歌ッ!
 叩きのめされて、どん底で、そこから希望を仰ぎ見る歌ッッ!!
 その希望へ踏み出す為に立ち上がる歌ッッッ!! 
 
 越中はキャッチャーである。

 プロ野球を見てみれば、5日に1回先発登板するエースの方が毎日試合の組み立てを考えてピッチャーをリードするキャッチャーよりも目立つし、年俸だって抜群に良い。
 キャッチャーは余程のバッティングセンスでもないかぎり、目立たない。

 その目立たない男にスポットライトが当たった。

 お笑い番組で越中のモノマネが放送され、それがネットで話題になった。越中がプロレス生活28年間、信念を曲げずに「越中」で在り続けたがゆえに、大多数の人が知らないようなマニアックな世界であるにも関わらず越中への注目度が上がり、もともと会場人気は高かったけど以前にも増して会場人気が大爆発状態になるような珍事。

 一気に永田の持つIWGPのベルトへのチャレンジが決定。

 その5月2日の試合を「ワールドプロレスリング」(北海道ではこれでも早い方)でやっと見て、日曜日の朝から涙流してるプロレスバカがここにひとり・・・。 


 ず~っと長い間、相手を輝かせるプロレスをしてきたんだって!
 ず~っと長い間、ヒップアタックでやってきたんだって!

 ず~っと長い間、頑張っても頑張っても脇役だったんだ・・・って。
 
 スコールのようなファンの越中コールが降り注ぐ中、感極まって泣きながら入場してくるサムライ・シロー。

 ファンはずっ~と長い間、ちゃんと見てきたんだって!!

 ワールドプロレスの番組作り、やればできるじゃん。そうだ、どちらかに思いっきり肩入れした番組作りだって良いんだ!久しぶりに面白い作りだったぞ「ワールドプロレスリング!」
 
 

 だけど、永田もまたド演歌レスラーになっていた。 人生の悲哀を背負って、ほかの誰でもない永田になっていた。

 後楽園ホールは割れんばかりの越中コールだったが、永田コールもまた半端ではなかった。

 その中、行われた試合は何も特別ではないいつもの永田VS越中だったけれど、それがまた異常な盛り上がりの会場の雰囲気とあいまって何ともいえない味が滲み出ていて特別な試合に感じられた。
子供の頃、あんなにカッコ悪いと思っていたヒップアタックはいつの頃からか私のお気に入りの技になり、今や繰り出せばやんやの喝采を浴びるに至った職人技である。

 どん底まで落ちて行って這い上がってきたから出せる「味」が、今のこの2人にはある。

 時代が求めているものは、立ち上がる力、たとえ日が当たらなくても信念を持って何かを続ける事、すなわち「地道」なのかもしれない。

 「地道は必ず花を咲かせ、実を結ぶ」という事こそが、この2人の戦いのテーマであり、誰もが自分の身上を省みた時にそう思いたいけれど思い込みきれない自分がいて、照れや諦めで地道に徹しきれない己を自己弁護しながら生きている。それでも、どこかでそう思いたい自分がいて、それを投影する戦いがこの一戦だったのだ。

 「地道は必ず花を咲かせ、実を結ぶ」だなんて、ド演歌そのものじゃないか!! 
 なんだ、ド演歌良いじゃん。


 それにしても、VS棚橋・VS越中 のフィニッシュに使われている永田の 崩れバックドロップホールド は、あれは良い技だなぁ。永田の必死な形相が見えるのが良い。
 ド演歌だなぁ。  

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

2007/05/12 Sat  06:30:59» E d i t
 » 青春航路 

 いつだって俺たちの目の前には暗い大海原が広がっていて
 俺たちはそこに注ぎ込む川のほとりで

 いつか漕ぎ出す日を夢見ながら恐れて
 鏡に映った己を鼓舞するが如く
 語り合い 時には罵りあった


 やがて時は満ち
 俺たちの船はそれぞれの軌跡を描き出す


 順風満帆に航路を往くがごとく見える他人が羨ましく思えるとき
 座礁した船の残骸に我が身を重ねて震えるとき
 俺たちの軌跡は再接近するようにできているらしい
 不思議なもので
 互いを確認したら
 また先に進もうとする力が沸きあがる


 海図も方位磁針も行き先さえないこの世の中を
 俺たちは俺たちの帆を張って
 俺たちの風をつかまえて
 思い思いの場所に行くしかないんだな

 
 時が新たな流れを運び
 君は新しい風を受け
 大海原を渡って行く


 やがて暗闇のように感じた大海原にうすぼんやりと朝日がさして
 俺たちの軌跡を描き出す頃に
 あざなえる縄のような無数の交差する螺旋をみることだろう

 
 君が受ける新しい風を
 心から祝福する

 結婚おめでとう。
 
2007/05/08 Tue  06:25:43» E d i t
 » サヨナラ大関 
 私は、栃東の相撲が好きだった。

 派手さが無くて、相撲をあまり見ない人にしてみれば「個性がありすぎる人気力士たちの中に埋没してしまって、特徴を覚えられない力士」に違いない。

 ポンポン投げを打つような、ドタバタクルクルと目まぐるしく攻防が入れ替わるような華やかな賑やかな相撲は取らない。けれど、腰を落としてアゴを引き、すり足で下から上へ力を伝えて行くという「相撲の極意」とされる型を持ち、相手の動きを受け流して捌いて自分の型になって行くという駆け引きというか技巧の妙に私は魅せられた。

 確かに朝青龍や琴欧洲、あるいは白鵬の話題で相撲はにわかに活況を呈している。
 しかし、それも対抗でき得る日本人力士あってこそだと私は思う。

 
 栃東は昨年のちょうど今ごろだったけれど、横綱昇進の掛かった場所で自分の相撲を取る事ができずに上手くいかなかった時があり、私はそれを痛烈に批判した。
 今でも強く印象に残っている。それほどまでに期待していて、落胆したのだ。

 →参照:「横綱が消えた夏場所 2006.5.10)

 →参照(コメント欄)「David the smart ass 平成18年度夏場所~初日(2006-05-07)

 多分、相撲道の「本流」とされるものを愚直なまでに体現する日本人力士・栃東が、ともすれば「サーカス相撲」とそしられがちな技相撲の横綱・朝青龍やら万国博覧会になってしまっている状況やらに打ち勝って行く姿を見たかったのだ。私は。

 伝統と呼ばれるもののピンチ。
 日本の国技のピンチ。
 いや、すでにピンチなんてとっくの昔に通り過ぎてしまって、もはや大相撲は10年前・20年前とは全然違うモノになってしまっているのかもしれない。

 その失われた何かを取り戻すために登場したヒーロー。

 それが、私の中の大関・栃東の位置付けであった。

 私は栃東の相撲が好きだった。


 勝ち越してカド番脱出を決めた先場所、ひどい頭痛で先場所を途中休場し検査の結果、数箇所脳梗塞の痕跡が見つかり引退を表明した。

 先場所のデータで180センチ・158kg(現在は143kgらしい)・・・現在の力士たちの体格からすれば「小兵」とされるその肉体ながら、頭から突進してぶつかっておっつけるそのスタイルは、諸刃の剣だった。

 私は栃東の相撲が好きだった。
 だからまだやれるにしても、これで良い。
 
 たくさんの感動をありがとう。


 親方として新しい“栃東”を見出して育ててくれること、その日本人本流ヒーローの登場を、私は心待ちにしている。


関連記事:David the smart ass → 惜しまれて去る~栃東引退

テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

2007/05/08 Tue  05:28:08» E d i t
 » 怖ッ 
 ちょっとマチに出た帰り道のドライブ。
 
 我が家に戻るには

 ①特に見所の無い市街地を通る国道
 ②景観バツグンの山道(道道・どうどう・北海道の管理する道路)

 という選択肢があった。

 時間もあったし山道の途中の温泉に入って帰るのも悪くないと思い、②に向かうも、温泉街に向かう人たちで超渋滞。秘密の抜け道も通行止め。

 「しょうがねえべ」としぶしぶ①にUターン。
 ブツクサ言いながら街並みを見ながら帰宅。


 2日後、②の道路に地滑りが発生。道路が滑落。復旧の目処たたず。

 誰も巻き込まれたりはしていないらしいから良かったけど

   ・・・怖ッ・・・
 
2007/05/07 Mon  06:10:45» E d i t
 » サクラサクサク月曜日 
 連休中に寒暖の差が20℃にもなっている地域ですが、やっとサクラが咲きました!!
 サクラ色がゴールデンウィークに重なると、明るい気分になって大変よろしいです。

 皆さんは何をしましたか?連休??



 普段、仕事による拘束時間が多い私は、休日を休んで過ごすことは滅多にしない派です。

 「何もすることのない一日」は耐え難い性分です。 そのうちこういう性格も体力的事情で破綻する日がやってくるでしょうけど、それはまだまだまだまだ先のお話でしょうから。


 そうして連休があってもとにかく「何か」をやりたがるので、家族及び周囲の皆様には並々ならぬご迷惑をお掛けする人間です。


 さらにこっぴどい事に私の生活時間は多くの皆様とは時間軸がズレており、休日でも午前4時と言えば起き出しており、みんなが寝ているからひっそりとパソコンに向かっているか、ビデオなんぞを見たりしながら休日の朝を過ごすのです。

 本来ならば思いっきり朝日と共に庭いぢりだとか、ウェイトトレーニングとかをしたいような誰にも邪魔されない(そのかわり、手伝ってももらえない)プレシャス時間なのですが、そういう周囲を巻き込む騒音を出すものはさすがに早朝には自粛する程度の常識はかろうじてわきまえている小心者です。ただし、午前6時30分以降は、やります。
 近所はご長寿ばかりなので、朝の6時半ともなれば、東京で言う所の朝9時頃に相当しますから。

 
 しかし「今日はこれをやろう~」と朝のうちに決意したことをやり終えてしまうと、その途端にテコでも動かぬ休日モードに入ってしまうのです。
 それが家族が目覚める前に終了してしまうと、もう大変。

 windows95並みに再起動に時間が掛かります。

 そして、周りの人から見ると ぐうたらオヤジ という栄誉ある称号が私に贈られるという世の中のカラクリです。

 

 適度な目標と、午前中の適度な達成感、午後から少し力抜いてメリハリつけて、極めつけは、早く寝る! これです。
 達成感と体力回復がほど良く噛み合って、最高の休日明けを迎えられることでしょう。

 ま、なかなか子供たちが「そうはさせじ!」とばかりに私の計画を頓挫させてはくれるのですがね。その程度の妨害工作に揺るがぬために「朝の時間」が効いてくるのです。

 あ~いい連休だった。

 休日だからと朝はゆっくり起きるから、何かをし始めるのも昼頃からになって、そんで休日が過ぎて行くのがもったいないから、晩まで粘りに粘っていろんなことをしようと最後になって張り切って、それがなかなか終わらなくて結局は休日開けに「やり残した感」で満たされぬ思いを引きずっている皆さ~ん、ご愁傷様で~す。 

 その気持ち、分かりますよ~。
 数年前までの私がそうでしたから~。

 ここはひとつ、リポD飲んでファイト!一発!!ですね。

テーマ:ゴールデンウィーク! - ジャンル:日記

2007/05/06 Sun  08:24:14» E d i t
 » カランコロンと下駄の音 
 日本人が何かを見失いそうな時代、必ずその“少年”が現れて彼の仲間達とともに失われつつある「何か」を下駄の音とともに私達の心に響かせてまた去って行く・・・。


 ゲゲゲの鬼太郎 が実写映画化とともにアニメリメイク作品も放送されています。

 5度目のアニメ化だそうで、私がリアルタイムで見たアニメ版「ゲゲゲの鬼太郎」は小学生の時、吉幾三が主題歌を歌ってる3作目でした。

 
 無常感漂う生活の不便性・非効率性の中にこそ人間性が生きていて、科学を崇める以前に人間の傍にいた 自然の理(ことわり) こそが妖怪の正体であるに違いないのです。

 人類は自然の理を克服するために自然科学という分野を発展させ、その流れが加速すると危機感を抱いてブレーキを踏むような反作用が生まれてきます。

 その反作用(あるいは融和材?)が ゲゲゲの鬼太郎 なのかもしれません。


 地震や台風、洪水に火事・・・科学の力が及ばない自然の理はまだまだあって、それを目の当たりにした時、人は科学の無力さと自然の強大さに愕然とするのです。

 しかし科学は無力なんかじゃありません。

 科学が作り出した光は「暗闇」を克服し、車は速く・遠くへの移動を可能にし、船や飛行機は海や空をも高速で飛びまわり、ラジオは遠くの声を運び、テレビはそこに自分がいない世界を目の前に映し出し、多くの人達に情報を伝達し、あるいは思うがままに人の心を操作することさえもあります。
 医学・薬学は様々な疫病を克服しましたし、衛生管理の徹底は健康な生活を作り出しています。

 人間が作り育んできた 科学 こそは、これまで多くの人間達の及ばぬ世界で蠢いていた「妖怪」そのものなのかもしれません。
 科学を取り込んで発展を続けてきた日本社会に幾度も現れ、押し付ける事無く何かを訴えては消えて行くゲゲゲの歌・・・。


 「妖怪」との共存が上手く行っている間は人間は幸せに暮らして行けていたはずなのに、「妖怪の力」をあてにしすぎてそれに頼る比重が上がることによって人間の暮らしぶりがどんどん横柄になって行き、人間が人間として生きるための力が弱くなっていて、新しい魔物を自らの中から生み出し続けてているのかもしれません。

 現実には、自然の力によって科学の力が遮断されたとしてなお、極限状態にあっても人間たちは生きて行く力を持っているのです。
 しかし、依存すべき力が強大すぎてそこにどっぷりと浸かっているのが楽だから、人間は本来の力を見失ってしまうのです。




 我々が目にするゲゲゲの鬼太郎の中の妖怪たちは、大自然の力への畏敬の念とともに、それに左右される人間の心の機微が生み出した もやもやとした概念 が具象化されて民話となっていたものに、水木しげるという奇才が姿を与えたものです。

 であるとすれば、妖怪たちは私たちの心の一部分を映し出す鏡であるとも言えるでしょう。
 その姿や行動は醜悪でもあり、また時として愛くるしい自分自身の心の姿に他ならないのです。

 しかし、空想の産物でありながらそこに生命を感じる。
 なぜなら、妖怪たちは私たちが忘れてしまいそうな「人間性」の投影なのだから。
 

 上っ面は多様な価値観があるようで、実は情報に流されてるだけで「我が心ここにあらず」になる時代が日本に訪れる時、今またどこかで鬼太郎の下駄の音が


 ・・・カラ~ン コロ~ン カランカランコロン・・・
 
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テーマ:マンガ - ジャンル:アニメ・コミック

2007/05/05 Sat  06:19:46» E d i t
 » 喫煙者の皆様、お願い! 
 ●雑踏・渋滞・・・

 ゴールデンウィークと言えば、やはりこれです。

 それでもお子様イベント目白押しともなれば、子供を連れて出掛けたくなるってのが親の心情・・・多分、親たちもそこら辺で遊ぶよりは気持ちがリフレッシュするでしょうし・・・で、イベントそのものも然ることながら、どこかに一緒に行くということでお互いが「休日を過ごした~」という気分になりたい。な~んてウガッた考えはさて置き、我が家もまた性懲りも無く渋滞と雑踏の中に出かけて行くのであった。

 そして、毎年同じように「あ~、くそぉ。こ~んな渋滞なら出かけなきゃ良かったぁ~」とか「うわぁ~、どっからこんなに人が出て来るんだよぉ」とかいう感想と「来年はおとなしくしてよう」という密かな野望を胸に抱くのですが、その野望は連休前のイベント広告によって容易に打ち砕かれるのです。

 ●渋滞だから、見えちゃいます。

 普段はそんなに混んでいない道路も、ノロノロ運転になるくらいに車の列ができると、他所様の車が何をしているのか見えやすいのですよ。
 「あ、前の車のじーさんがタバコ吸ってるなぁ~」とか「対向車線の赤い車のお姉さん、くわえタバコだな~」とか。

 ・・・あ、「いかにも気持ち良さそうに歌を歌っている」のは、私ですから。・・・

 で、車窓をちょいと開けてそこで トントン ってタバコの灰を落としたり、吸殻を捨てたり

 タバコ吸わない私にしてみれば疑問なのです。
 車の灰皿をナゼ使わないのでしょう?

 家でタバコ吸う時、窓から灰を落としたり吸殻投げ捨てたりしますかね?
 
 風向きによっては歩行者や他の車に危険を及ぼす事になりかねない行為だと認識して、是非ともやめていただきたい。
 
 ・・・前の車のタバコの灰が風に舞って、我が家の車の横を通過して行きました。「もし、窓を開けていたら?」と思うと怒りすら込み上げてきます。


 ●携帯灰皿は喫煙許可証ではありません。

 雑踏。行楽地と呼ばれる場所は当たり前のことなのですが、混みあいます。
 平日でもお年寄りや海外旅行者を中心にそれなりの賑わいを見せる場所ともなれば、祝休日ともなれば二乗三乗の勢いで人であふれかえります。

 子供連れだと気になるんですよ。
 歩きタバコ。

 大人が歩きタバコで手を下げた時、ちょうど子供の顔のあたりにタバコが来るそうで、大きなニュースにはなりませんが毎年数十件の火傷事件があるそうですね。

 「タバコを吸ってはいけない場所」が増えすぎて、今度は「タバコを吸える場所」に高速道路のサービスエリアの女子トイレのような人垣・行列ができていたりしますから、喫煙者にしてみれば肩身の狭い思いでしょう。

 そうして登場したのが携帯灰皿なのかもしれません。
 
 今までは飲んだ後のコーラの缶とかを灰皿代わりに使っていたところ、もうちょっとお洒落な感じで「携帯するマナー」とかいう広告とともに一気に普及したのでしょうか?

 狭い喫煙許可空間におしくらまんじゅうでひしめき合って、青い煙モウモウの中タバコを吸ったって何のリラックスにもならないでしょう。 それに比べて、遮蔽物の無い青空の下で思いっきりタバコを吸うのは気持ち良いことなのでしょう。それは見ていて感じます。

 
 でも、ちょっと待って下さい。

 遊園地でのことです。
 子供向けの屋外ステージショーがあって、何千何百もの家族連れがレジャーシートを敷きながら楽しみに待っている中、ちょっと見れば喫煙所が設けられているにも関わらず、あちこちから紫煙が上がっているんですね。

 ちらほらと見てみたところ、父さん母さん、爺さん・・・茶髪の若夫婦から象牙色の作業着みたいの着た爺さんまで・・・幅広い年齢層の男女がタバコを吸っているようです。若いからどうだとか、年いってるからどうだっていうのは無いようです。

 場所取りだの、ステージショーの時間だの、ついでに写真撮影会だのサイン会だのと、確かに子供はワクワクしているでしょうけれど大人が持て余す時間は確かに多いです。
 
 だからタバコ吸いたくなるんでしょうけれど、なんとかその辺ガマンしていただけませんか?
 吸っている方は気持ち良いのでしょうけれど、煙を吸わされる方にしてみればたまったもんじゃないんです。

 そういう、こどもたちが多く集まる場所を 禁煙 って謳っていない遊園地側にも疑問を感じるのですが、場所と状況をわきまえずに「灰を散らかしてないから、吸殻をポイ捨てしてないから良いでしょ?」って感じでお洒落な携帯灰皿取り出したって、吐き出した紫煙がよそのお子さん達を咳き込ませていますよ?

 それってきっと、大人のマナーを携帯できていませんよ?

 状況と場所によってですけど、ちょっとガマンしていただけませんか?
 携帯灰皿は喫煙許可書ではありませんよ。

テーマ:ぼやき - ジャンル:その他

2007/05/04 Fri  05:51:44» E d i t
 » ウルトラマン×90分=??? 
 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」 が昨夏、映画館で公開されるとCMや雑誌などで知った時、真っ先に胸躍らさせたのは現在の少年達よりも「かつての少年達」であったに違いない。

 強大な敵の出現、歴代ウルトラマンの絶体絶命のピンチの時にウルトラ兄弟が助っ人に参上!!
 並び立つその雄姿に無条件で興奮したものだ。


ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟 ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟
五十嵐隼士 (2007/01/26)
バンダイビジュアル
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 ・・・この作品に無条件で興奮し、感動するには、私は年を取りすぎてしまった・・・


 我が家の二児はテレビの30分番組の「ウルトラマンメビウス」は最初から最後まで大体見ていられる。だが、この映画のDVDは観始めから約15分ほどで飽きてしまった。

 最初は胸躍らせながら観ていた私も、途中で早送りしたくなるほどの気分に駆られてしまったというのが正直な感想。

 
 出人さんの「仮面ライダーTHE FIRST」の記事のところで疑問視されたのと同じように、

 誰のために作られた映画なのか、何を伝えようと意図されたストーリーなのか、全く分からないのだ。

 重要なセリフ「最後まであきらめない。希望は捨ててはいけない」は簡潔な言葉として繰り返し登場する。それは子供達を十分に意識して作っているということで、すごく大事。でも、本気で子供達がそう思えるほどのピンチらしいピンチがウルトラマンチームに訪れない。

 いや、正確には訪れているのであろうが

 みんなのヒーローであるウルトラマンが“無残に敗北するイメージ”を作り出すことを製作側が恐れてしまっていて、決定的な敗北が描かれていない
 のだ。

 また、決定的な敗北を喫する前に兄弟が安易に登場して救い出してしまう。

 決定的な敗北・・・ゼットンによって倒されたウルトラマン、ガッツ星人に磔にされたセブン、スノーゴンに冷凍されてバラバラにされたジャック・・・ヒッポリット星人にブロンズにされたウルトラ兄弟・・・

 助っ人はその時に颯爽と現れて、全てを根底から覆すような活躍をするからインパクトが大きいのだ!!
 (ゾフィーはゼットンを倒さなかったことによって、人類の喚起を促したのだ!!セブンには助けは来なかったけど、これもやはり人間の本気で助けられたし)

 子供の目にも明らかな、どうしようもない決定的な敗北ありきなはずなのである。そうしなければ、兄弟が出て来る意味がないじゃないかぁぁぁぁ!!

 何体もの怪獣やら宇宙人やらと戦うからと言ってボロボロになるでもなく、必殺技が効かないでもなく、ただクッタクタになって変身が解けそうになったところに「光のエネルギーのおすそ分け」をしにくるようなウルトラ兄弟じゃ、地球防衛軍並みの扱いじゃあないか!!

 しかも、あれは決死の覚悟で宇宙人よりも弱い立場の人間たちがやるからドラマが生まれるのであって、エネルギーを簡単に受け渡しできる能力を持ってる者同士でやり取りしたって「なにそれ」ってしらけてしまう。

 だから「最後まであきらめない。希望は捨ててはいけない」が全然活きてこない。

 
 登場宇宙人、超獣たちが時間の割りに多すぎる。
 これは、ウルトラマンシリーズを観続けてきた“かつての少年”たちに向けての設定なのだろうが、かつてはウルトラ戦士を苦しめた強力な宇宙人たちであるという回想シーンすら無い。

 予備知識を必要とするのである。相当な。

 「そのくらい、分かっとけ」という幾分の横柄ささえ感じざるを得ない。

 私も“かつての少年”たちの一人として言わせて貰えば、私達の世代にはビデオも無かったし、リアルタイムでウルトラマンを見てもいない。当時のウルトラ兄弟を全員言えたとしても、どんな怪獣がどうやって戦ったのかなんて全部知らない。

 予備知識の少ない人が観に行く事を前提としていない。
 そして、知らない人は何が何だか分からない。

 要するに、初めて観る子供達は何が何だか分からないのだ。


 最後にデッカイ超獣が登場して、CGのウルトラマンが飛び回って戦うのだが・・・

 早すぎて、何が何だか分かりません。
 ハッキリ言ってウルトラマンの売りである重量感はおろか、痛みさえも伝わってこない

 
 この世界に入ってくるとウルトラマンの映画・・・というより、他人が動かしてるテレビゲームの感覚。


 子供達に何を伝えたいの?
 ウルトラマンを愛してないの?
 
 
 あれもこれも詰め込もうとして、それぞれの大事な部分を全部削り落としてしまって上っ面だけ残して、それを強引にひとつの言葉でまとめようとした、今の時代を反映するかのような支離滅裂な作品。

 混沌として本質を見失った今の時代の反映・・・ああ、そうか、そう評価することができるか。

 我が家の子供達は、ウルトラ兄弟が勢揃いした場面でちょっと静かになっただけで、あとは各々好きなように遊んでいましたよ・・・30分でできる内容を90分に引き伸ばして、そこに無理矢理ウルトラ兄弟を捻じ込んだだけ。

 テレビ版のウルトラマンメビウスに良い話が多かっただけに期待していたのですが・・・

 ゴールデンウィーク、ウルトラマンのビデオを借りて来て子供達と何かを語り合いたい方々にはこのビデオを推奨しません。

 その代わりに、こちらをお勧めします。

劇場版 ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT 劇場版 ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT
特撮(映像) (2002/04/25)
バンダイビジュアル
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 これは、泣けるでぇ~
  

テーマ:特撮・SF・ファンタジー映画 - ジャンル:映画

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