フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2006/03/31 Fri  11:35:40» E d i t
 ●大学4年生。

 私は何になるべきなのか、どうなりたいのか分からなかった。
 かと言って、積極的に誰かに試されに行く度胸も無かった。
 
 いろんなアルバイトをしたけれど、アルバイト先の経営者さんたちはほとんど全員が私に「卒業したら一緒に働かないか?」と言ってくださった。だから、世間と自分とに自分が思っているような隔たりは無かったのだと思う。

 ただ実家が水産加工業であり、私が長男であるということが私を惑わせていたのは確かだし、今でこそ自分の生きる道を自分で開く気持ちができたものの、当時は水産になど魅力も感じなかったし未来なんて無いって思い込んでた。

 私はとにかく、自分という物を探したかった。
 自分探しってヤツである。
 
 本当の自分はいつだってココにいて、自分の未来を作っていくのは自分でしかないのに、今の自分はなんか違っててどこかに「本当の自分」がいるなんて思ってる時期が私にだってあったんです。

 
 探し物は何ですか?
 見つけにくいものですか?


 ●インドで修行をして来たか?

 私は幼い頃から強迫観念にも似た人生のテーマを勝手に背負っていて、それが「インドにカレーを食べに行く」という事でした。

 多分それは幼き日のNHK教育で番組の隙間に入る「名曲アルバム」みたいなアレでタージ・マハルを見た時に受けた衝撃とカレー好きがあいまって私の頭の中でインド思想が昇華してしまったのだと思います。

 私はインドに行かねばならなかったのです。

 
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テーマ:テーマなんてどうでもいいや - ジャンル:その他

2006/03/29 Wed  05:23:46» E d i t
 ●純粋に物事を受け入れるという事と、世間知らずのバカは似てても違います。

 今回は私の若き日のキャッチセールスの苦い体験談です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 テレビでは高らかに春を告げ、北海道も残雪と呼ぶにはあまりにも多すぎる雪が残っている状態ですが、春風が吹いて10℃前後までなる日がチラホラ出始めました。

 春めいてます。
 
 卒業ならびに進学される方、おめでとうございます。
 現在春休み中で、ヒマを持て余してこのブログに到達された方、いらっしゃいませ。良いタイミングでしたよ。

 この度は、私の中の春にまつわる辛かった思い出を連発でお届けします。
 みなさんの糧になれば幸いです。

 俺の屍を笑い飛ばして超えて行け!!(泣)

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テーマ:なんてこったい - ジャンル:日記

2006/03/27 Mon  05:05:20» E d i t
☆カズノコが製品になるまで。☆
 
 カズノコが製品になるまで!その道のりは険しく、長い。
 非常に面倒臭い。そして、それを上手く説明するのも面倒臭い。
 でも私は挑戦する!なぜならば踏み出した道だから・・・ああ、うっとり。

 何から説明すれば良いのさ~!!?ムキ~~ッ!!!!

 じゃあまず、簡単に覚えておきたい事から書きます。

 ●カズノコの保存、保管方法の歴史。
 

 ずっと昔、昭和20年代の私の父親が生まれた頃。北海道の日本海側はニシン漁でフィーバーしました。その当時は上下水道および冷凍保存技術が発達していませんから、カズノコの保存方法として塩漬けと乾燥があったそうです。
 ニシンから取り出したカズノコを海水にさらしておいてキレイになったところで塩に漬け込むか、天日乾燥させて「干しカズノコ」にしたんだそうです。
 ちなみに「干しカズノコ」は現在でも極々一部で年末に流通する超レア幻珍味です。これは水戻し(水にさらして)して料理に使うらしいですが、どんなものになるのかは私も知りません。

 塩漬けの方から派生して、現在の塩カズノコになってるようです。

 
 

①カズノコをニシンから取り出しま~す。

 鮭みたいに大きな魚ではないニシン。カズノコの生産量を増やそうと思うとそれはそれは大量のニシンを切らねばなりません。
 大量に切る。それも確実にメスだけとは限らないニシンを、中の卵を傷つけないように・・・大きな魚とは違って、ちょこっとした動きや包丁の角度一つでカズノコが傷付くので気をつけなければなりません。

 熟練を要する作業ですよ。

②出てきたカズノコを洗浄しま~す。
20060318143150.jpg ハイ。魚の血だって赤いんだい!そうそう簡単に流れ落ちる物でもないさ。水にさらしとけばその内流れて行くだろうって思うところですが、そうでもないです。

 塩水を何回も何回も交換して、だんだんキレイになって行くのですよ。
 
 薄い塩水から超高濃度(飽和塩水・濃度約33%で水に塩が溶けなくなる)まで、段階を踏みながら交換して行く過程でカズノコのプチプチ(細胞)のひとつひとつの細胞液が浸透圧によって塩水に置換されます。また、血液が洗浄されてカズノコの色は落ち着きます
 

 さらに、寄生虫アニサキスが付いていたり刺さっていたりします。

 アニサキス。見たことありますか~?ほとんど無いでしょ?糸くずみたいな、肉眼で確認できる寄生虫ですよ~。
 私も初のご対面の時にはたじろぎましたが、今ではスーパーの生イワシとかの表面を蠢いてるのを見ても落ち着いて店員に指摘するくらいに成長しました。
 
 ニシンの腹の中に生息してて、カズノコにも付いてくる場合があるんです。アニ~が生きてると、場合によっては激しい腹痛を起します。死んでたら問題ないけど。とにかくそんなもん食べたくないですよね。

 アニサキスをやっつけるには、
 

 ①60℃の加熱で即死 (焼く・煮る) 
  ②-20℃以下で24時間以上冷凍 (凍結)
  ③虫体を切断  (イカの刺身に細かく入ってる包丁など)

 のいずれかの手順が必要らしい。(覚えとけば良い事あるさ。)

 ニシンは輸入される時点で凍結で数ヶ月も経て来ますから、アニ~は完全死滅してますが、それでも肉眼で見えるとなんともグロい。

 まあ、洗ってる段階でほとんど取れちゃいますけども。
 中の方に突き刺さって行ってるのはさすがに取れません。


③カズノコを漂白しま~す・・・か??

 ②の洗浄が終わった時点で出荷されるカズノコもあります。
20060318143449.jpg それが「無漂白カズノコ」です。(→カズノコQ&A

 ←これ。無漂白。
  黒いのはニシンの腹の黒皮。これを全部手で取って製品になります。

 無漂白が良いのか、漂白したのが良いのかそれは皆さんが決めてください。漂白について私は私の知っている事をそのまま書きますから。

 カズノコの漂白の目的:血の色・黒皮・小さなゴミを取る。アニ~の屍骸を目立たなくさせてしまう。
 カズノコ漂白の使用薬品:過酸化水素水 および カタラーゼ

 
 濃度何%の水溶液で何時間とかは各社の基準があるでしょう。
 カズノコQ&Aでは72時間となってますけど。



 オキシドールを傷口にシュッと掛けると、ブクブクと泡が出てきますが、あれと同じ反応がカズノコにも起こります。ブクブク発泡で表面に付いた汚れや小さなゴミがあらかた剥がれ、浮かんできます。そのゴミを一網打尽ですくい取ってしまえばキレイになりますよね。

 もちろん、傷口につける時と同じように殺菌と言う効果も見逃せません。雑菌は死滅します。
 やがて、カズノコは本来持っていた生臭さとともに色を失い、漂白完了とあいなります。

 しかして、過酸化水素水は以前、発ガン性のある物質として食品添加物に使用してはいけないと言う事になったのですが、その後の研究でカタラーゼによる完全な分解(過酸化水素として残留値が0になること)を条件に使用が認められたと言うグレーな過去があります。



 ちなみに、過酸化水素水はカタラーゼと反応すると「酸素」と「水」という生物にとって毒では無いモノに変わります。

 ほれ、難しい。

 確かに薬品なんて使わない方が安心なような気がします。
 無漂白カズノコを宣伝する時には「薬品を使わないから安心・安全」を謳い文句にします。
 塩水で何度も洗浄して、飽和塩水に漬かった時点で大多数の雑菌は死滅しますし、アニサキスなんてとっくに死んでいます。
 でも、誤解しないでください。
 薬品で漂白しても、ちゃんと酸素と水に分解されて人体には影響ないという研究結果があって、ちゃんと認可を受けてカズノコは製造されているのですから。

 でも、無漂白カズノコがもう一つアピールするのは味が濃くて美味い=血の色がついていてカズノコの味が濃いって事です。カズノコ本来の味わいが美味いとは限らないと思うのですが。
 
 美味しそうなカズノコのイメージって、淡い黄色じゃないですか???20060216134021.jpg
 
 黄色いダイヤって呼ぶくらいなんだし。

 どっちが良いのか、どっちを美味いと感じるのかは皆さん次第。
 一応、私は「情報」としてココに書いて置きますから。



 
   
 
2006/03/24 Fri  16:31:05» E d i t

 ※※※連絡※※※ この記事はここのブログに始めて訪れた方のためにここのブログと管理人について書いてます。
 新しい記事はこの記事の下に出ますので、みなさま素通り無きようよろしくお願い致します。



 みなさま、あけましておめでとうございます。

 何があけましたかって?
 フクフク丸歴02年ですよ。

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2006/03/21 Tue  05:18:30» E d i t
 エピソード2で語られた内容は現在のいじめについてでした。

 私がちょうど小学校高学年だった頃にあった「いじめ」の話です。
 エピソード2のあらすじは下に書いて置きます。

 ● 先生に抱いた殺意

 小学校3・4年。私が「肥満児」だった2年間、私の担任だった男性教師は他のクラスメイトに聞くと「すこぶる良い先生」だったらしいですが、私にしてみれば嫌な面の塊みたいな先生でした。

 もともと体育の先生で、体育の授業では私が運動オンチなのをみんなの前で見せ付けるように「悪い手本」をさせたり、運動会のお遊技では女子が少ないからと、体の大きかった私を女子の列に組み入れたりと、傍目に見たら何でも無いこと「だからどうした?そのくらい」と言うことでも、私の気持ちに深く傷を残すような巧妙な手口で私に嫌がらせをしました。

 小学校ですから体育に限らず、全ての授業をこの教師が受け持つワケで、私はこの先生がとにかく信頼できないから授業も分からない、パッとしないバカでした。

 正直に言えば、私はずっと彼を殺そうと思っていました。殺さないまでも大勢の前で恥をかかせる復讐を考えていました。 
 ホント、社会に出るまでずっとね。彼にそういう扱いをされた生徒は私だけではないはずですし。

 社会に出てから「彼が酒を飲みすぎて糖尿病になった」と聞きました。ある日、町の中を老いて痩せこけた彼がランニングしてるのを見た時、きっと私と同じような思いをしてきた一部の彼の生徒たちの分も含めて溜飲が下がりました。
 
 と、同時に「彼に復讐をしようと思った部分」も確かにモチベーションの一部になって現在の自分が出来上がったんだなと確認しました。
 でも、感謝なんかしないよ。ありがとうなんて絶対言わない。
 許しもしない

 憐れみは感じるけど。

 これも いじめ ですけどね。 ひいき って言うのか・・・。
  

 ●友達間での いじめ 

 小学5年生になって担任が変わると、私はそれこそ乾いたスポンジが水を吸収するように物事を覚え、目が覚めたかのように学力が上がりました。やっぱりそれは担任が変わった安心感と、その担任が私を伸ばしてくれたからと思っています。

 一方で、私が伸ばしてもらったと感じているということはひいきされる側に回ったと言うだけの話で、当時のクラスメイトに言わせるとやはりこの先生も ひいきする先生 だったみたいです。

 誰も同じように。誰も傷つけないように。
 そんなのムリなんですね。きっと。
 
 小学生も高学年を迎える頃にはそれぞれに第二次性徴を迎えたり、思春期を迎えたりと自分の肉体にも精神にも顕著に変化が現れてくる時期です。
 いみじくも私は、小学4年生までは「肥満児」と呼ばれるほどでしたが4年生の終わりごろから急激に背が伸び始め、身長の伸びに体重が追い着かず、いきなり痩せ型になったりしました。

 歩幅が周りと違ってて必然的に走るスピードが上がり、それまで大嫌いだった体育が好きになったりして、とにかく自分が変わったのを実感できる年頃でした。
 
 その頃から不良は不良らしくなり、良い子は良い子とハッキリ色が分かれて来ます。その両方を行ったり来たりしながらそれぞれの個性が出て来るのでしょう。みんなそれぞれに派閥みたいのができて来ます。

 私は「良い子派」でした。
 とにかく身の回りにトラブルが起こるを必要以上に恐れて、言うべきことも言えず、大人に褒められるような事を見つけてはそれをやってるような子供でした。
 (大人に褒められる事は悪い事ではないのに、そういう子供が小ズルく見えるのか、面白くないのか、クラス会なんか行っても先生は不良のことばかりを気にかけてますよね。今となってはどうでも良いですが。)

 クラスにひとり、明かに浮いているヤツがいました。

 Hは体が小さく、顔もブサイク。おまけにド近眼の乱視で牛乳瓶みたいなメガネをかけてて、体質なのかいつもフケだらけ。
 モテる男に「-1」を掛け算したらこういう感じだろうという代表格でした。
 Hは誰かに言われる前から常に自分にコンプレックスを持ち続け、人と話す時も目を逸らすし、話が噛み合わなくなると「放っといてよ」と逃げ出すような男でした。

 私は彼が将棋が上手いのを知っていたし、将棋を通して柔道の強いSと仲が良いのも知っていたし、そのSと私は仲が良くて結構Hとは話す機会も多く、プロ野球やアイドルの事などとにかく物知りで、面白いヤツだという事は私は知っていました。

 そのHをクラスメイトがいじめの標的にしやすいという事は、私も気がついていました。

 何かを言われても反撃して来ない。
 ちょっかい掛けても、仕返しする力もない。

 とにかく、こういうヤツがいじめの対象になるんです。 

 果たして私の危惧は的中し、クラスの男子の大半がHをからかいの対象にし始めると、女子の中にもHを小バカにするような態度が見え隠れし始めました。
 「Hが来た。Hが触った。H菌が伝染る!」 この辺りから始まって行って
 最初は反応を見ながらだんだんエスカレートして行くんですよね。

 「あっち行け!」「こっちに来ないで!」
 「見るなよ!」
とか直接Hに言ってる間はまだマシなのかも。

 それが「ねえ、Hったらこっち見てたでしょ」とか「Hが触ったものだぜ?触るなよ」なんて他人同士が話し始めたら、本人への精神的ダメージは計り知れなくなります。

 それも、先生の見てないところで巧妙にやる。

 いつしかHの親友だったはずのSでさえもHをバカにし始め、私はどうした物か困ってしまいました。

 そんな中でも毎日学校に通い続けたHの気持ちは強かったし、不良派たちもプロレス技を掛ける対象とかにはしてたけれど、まだあの頃は加減を知っていたし「死ね」なんてことは無かった。
 私も相変わらずHに話しかけるけれど、みんなの見ていないところでという風になっていた。

 ある日、当時Hに最初から嫌がらせではないちょっかいを掛けていたMに相談を持ちかけました。
 Mがちょっかいを掛けて、それにやり返さないHを見てみんなが真似し始めたという経緯も含んでの事です。
 
 Mは「Hがネクラなのをどうにかしてクラスに馴染ませたいのだ」と思っていたそうで、その話をして私とMは黙ってしまった・・・。

 次の日。帰りの会(ホームルーム)で、私がHに対する いじめ をやめるようにみんなに提案する手はずになりました。私は学級委員とかだったりしてそういう事を「言わされる」役目でした。

 会が終わりに近づき心臓がバクバクと音を立て始め、私が「なんて切り出そうか」と考えていると、Mが立ち上がりこう言いました。

 「みんな、Hをいじめるのを止めて下さい。先生、見て見ぬフリしないでください。」

 カッコ良かった。 
 普段、パッとしないMが物凄くカッコ良かった。

 と、同時に私は自分の卑怯さ、卑屈さを恥じた。
 分かっているのに言い出せなかった自分が物凄く惨めだった。
 多分、その後のことを覚えていないのは自分が情けなくてうなだれていたからだと思う。

 Hへの いじめ は終わった。

 そして、今度はその件で目立ったMへの攻撃が始まった。
 しかし、Mは目立たないけれど腕っぷしが滅法強くて、攻撃されても反撃したし、口げんかでも引かなかった。

 まったく大したヤツだ。

 私が攻撃対象にされたら、まずこの手の攻撃には耐えられなかった。自分が痛いのは我慢できても、他人に手を出して怪我とかさせたらイヤだったし、口げんかも自分が折れれば相手も収まると思っていたから。

 やがて、私に対する無視や中傷があることも伝え聞いた。
 だからどうした?
 Mがいる。
 Hがいる。
 私の側には二人のヒーローがいるんだ。

 私は気が付かないフリをした。無視を無視してやったのだ。
 仲の良い友達はそんなの気にしないで友達のままだった。

 こうして、私の身の回りの いじめ は全滅した。

 他にもあったかもしれないし、女子のこととかは良く分からない。
 でも、その後もHはからかいの対象ではあったけれど、以前のような いじめ ではなかった。
 

 ●私の心の中の折れない旗  

 Hはその後、中学で私と同じサッカー部に所属した。
 体もそんなに大きくならなくて、サッカーも目が良くないからあまり上手くならなかったけれど、練習はサボらなかった。
 今でも時々会う。元気でやってる。
 
 Mは中学に行ってクラスが別々になったこともあってあまり話をしなくなった。
 別々の高校に行き、一回だけ話す機会があったけど「ジャンボ鶴田が最強だ」とかの話をしたっきり、その後は全く行方が分からない。
 
 挫けても立ち向かう心。
 飛び出してそこから引かない勇気。

 私は二人を尊敬し、自分の物にしたいと思った。
 なかなかそうはできなかったけれど、いつの間にか高校時代の友人や大学時代の友人からは「お前がいて良かった」「俺も頑張れる」なんて言われるようになった。

 私の胸に立つ折れない旗。
 折れそうになってもギリギリで私を支える旗。

 私はそうやって学んで来た。教科書で習う事じゃない。
 テレビの評論家が飾り立ててるような奇麗事でもない。
 
 いつだって答えはきっとシンプルだ。



 ・・・でも、今の いじめ はそんなんじゃないんだね。
 今回のドラマの内容は極端な例だったと思うけれど、現実はこんな感じなんだろうな。
 ニュースに出て来る事件も、こんな感じだもんね。
 
 大人が守らなければならないルールを大切にすることを子供に伝えていかねばならないんでしょうね。本気で。
 その大人自体が堕落してるから、このドラマが胸に刺さってくるんでしょうね。きっと。
 
 大切な物を失い、自分の血を流し、辛酸を舐めた末に心から振り絞られた真矢の叫びの数々。
 アナタは何を思いましたか? 

 「他人の痛みを知れ!」 
 以下、「女王の教室 エピソード2」あらすじ。  
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テーマ:いじめ - ジャンル:学校・教育

2006/03/19 Sun  18:39:06» E d i t
 » 自分の中の阿久津真矢。 
  という訳で、2夜連続の2時間枠で語られた阿久津真矢の過去。
  

 女王の教室「エピソード1~堕天使~」

●理想の教師=白い真矢
 「誰からも好かれたい」と思うのは誰でも当然持っている感情なワケで、それを否定することはないと思う。ただ、その「誰からも好かれたい自分」を自覚していない状況は非常に危うい。
 さらにそれを他人から否定されて「そんなことはない」と言っている状況は末期症状だと思う。

 理想とか夢も、現実に足が付いていなくて周囲の誰もが準備さえできていないのに自分だけが張り切っていても誰も付いて行けない。 

 理想や夢が悪いのではなくて、その叶え方が問題。現実に可能なのか不可能なのかを見極める目は必要だと思う。
 
 自分の思想に組するものは「善」であり、対立するものは「悪」である。

 この単純な世界観で生きている限り、人の世に争いや戦いは絶えません。である事は分かっていながらも、自分の理想や信念に燃えて周囲が見えなくなってしまい「誰も理解してくれない」となってしまう。
 
 それは多分「誰も理解してくれない」のではなくて「理解してもらうやり方が良くない」のだとは気が付かない。他人はとっくに理解しているのだ。言葉にしなくても「そのやり方では、誰も救えない」「アナタの満足のために自分を使わないでくれ」と。だから誰もついて来なくなる。

 真矢が持っていた純粋さの根源は「父親への反発」から生まれた「社会の汚さへの嫌悪」。その汚れゆえに回っている社会を理解していなかった。それは、学生時代に多くの人が疑問に持ち自分を動かす原動力になるであろうモノの考え方。
 社会批判=立派な自分。そして批判して満足。否定して優越。その時点で「他人と自分は違う」と思っている。
 
「理想」があって、そこへ「向かうべき道」がある。
 その向かうべき道を歩むには「覚悟」がいる。そして多くの場合、その「道」を歩むための「切っ掛け」が必要だし、歩き続ける中にも不安が常に胸を締め続ける。

 「みんなが一緒に仲良く楽しく(清く 正しく 美しく)」は相手の中に根付いてこそそれが実現するのであって、それには時間が掛かる。決して無理強いで今すぐにはは定着しない。ましてや6年生というすでに学力差が顕著についてしまった段階では落ちこぼれを出さないように遅れている者に足並みを揃えれば、周りがまとめて落ちこぼれてしまう。
 
 

真矢は自らその「みんな一緒に」を破ってしまう。
 クラスの女子児童・池内愛は真矢の理想に共感してたんだと思う。親が自分の事ばかり考え、池内は誰かが自分を愛してくれているという確証が欲しくて真矢からの愛を求め交換日記を始めた。
 交換日記を別の生徒に指摘され、真矢は交換日記をやめる事を池内に告げる。
 自分に向けられる愛の確認のため「これから死ぬから」と真矢に電話した池内。しかし真矢はその言葉の裏側の思いを知らなかった。真矢は愛情をくれる人間だと信じていた池内。しかし、真矢は来なかった。

 池内はまた大人から裏切られたと思い、自傷行為。それを体罰だと訴え、真矢は担任から外される。



 子供は親を映す鏡だと言う。
 ならば歪んだ人間関係という社会の縮図は常に学校に現れる。

 自分の理想と現実のギャップに挫折する時は誰にでも訪れる。その現実の一員として生きてゆく時に、私たちはひとつの決断を強いられると思ってしまう。逃げるか進むか。その二つの選択肢しかないように感じる。
 それは良く考えると勘違いでしかないのだが、とにかくそこまでの道のりが純粋に歩いて来たのならばそうであるほど受ける挫折感は大きい。
 
 真矢は教育の現場に失望し、逃避し、結婚する。
 挫折した時に心の中に「傷や痛み」とともにうっすらと気付く「理想へ向かうべき道の遠さ」に愕然とし、教師を辞めてしまう。

 結婚式に現れた憎むべき父親の一言が真矢の傷をさらにえぐる。
 「これがお前にとっての幸せなのか?あれだけ人を批判して偉そうな事言って教師になったくせに、自分の思い通りにならなかったら、尻尾を巻いて逃げ出すのか?女はいいなぁ。いざとなったら結婚すればいいんだしな。」 

 ●親としての真矢

 過剰な期待は他人を滅ぼし、やがてその刃は自らも滅ぼす。

 よもや自分が良かれと思ってしていることが我が子を崩壊させて行くとは。
 他人に多くを期待し、我が子に自分の果せなかった夢を託したりあるいは自分と同じ過ちを繰り替えさえたくは無いのはいつの時代も親の心情です。私もまたそう思う時もあります。

 

真矢は何かに追われるように息子を炊きつけ、息子を立派に育てる事が使命であるかのように勉強する事を押し付けた。押し付けが顕著になり言葉にこそ出さないのだが「なんでこんな事もできないの?」という態度が現れ始めると、夫のヤスヒコの「もっと自由にやらせてやろうよ」という教育方針と対立。
 両親のケンカが頻繁になり、やがてそれを目の当たりにした息子・翔は「自分が悪い子だから、ごめんなさい」と自分を責め、ついにはチック症になる。
 そのチック症の症状が出たことで真矢は自分を責め、翔もママの期待に応えられない自分を悪い子だと自分を責め、お互いが「良い人・良い子」になりたいがために向き合う事ができないウチに、ヤスヒコの会社が汚職・脱税容疑で強制捜査を受ける。
 真矢はヤスヒコを責めるが、ヤスヒコは「こんな時、夫を真っ先に心配すべきなんじゃないのか?」積もり積もった怒りを爆発させるヤスヒコ。
 「翔の事だって、あんなの愛じゃない。翔の為って言いながら、自分の思い通りにしたいだけじゃないか。本当は教師続けたかったけど出来なかったもんだから、自分の息子教育してるだけだろ。」

 それを見ていた翔「僕は生まれて来なかった方が良かったの?」
 真矢「全部ママが悪いの。パパとママは翔が大好きなのよ」
 翔 「ほんとに?ママ、ごめんね僕何もできなくて」
 真矢「謝らないの。もう」
 翔 「僕強くなるからね。大きくなったらママを幸せにしてあげるからね。」

 その翌朝、真矢の大好きな蝶を捕まえるため、ひとりで布団を飛び出した翔。遅れて目覚めた真矢が書置きを見て急いで飛び出したが・・・
 
 翔は川に落ちて溺死。そして、ヤスヒコとの離婚。


 
 子供は未来です。未来は明るい方が良いに決まってる。でも、実際に子供に大切なのは物事を経験して自分で判断し、その結果を受け入れて責任という物を覚えて行くことだと思うんです。
 その結果が必ずしも明るいとは限らない。そういうのを親も受け入れないといけない。

 そのためには親は与えるだけではダメだし、ましてや期待に応えられないことを責めるような真似をしてはいけないと心に留めています。
 一つの結果が出ても、世の中は続いて行く。
 その結果が成功であろうと失敗であろうと、まだまだ人生は続いて行く。そういう事だけは伝えてあげたいと思ってます。

 命に関わるような事だけは、殴ってでも蹴ってでも人ごみの中で怒鳴ってでも止めさせてます。

 
 ●目覚めの時=灰色の真矢 
  
 

息子が死に、夫と別れ、実家にも戻れず身も心も拠り所を失った真矢は自殺しようと翔が死んだ川に入って行く・・・携帯電話が鳴った。
 あのかつて真矢の理想を打ち壊した池内愛からだった。「今から死のうと思って・・・先生には謝っておこうと思って。いろいろ迷惑かけたから」
 5年を経て、愛も理想も失った真矢に掛かった運命の電話。

 真矢は引きずっている後悔を振り払うかのように愛の実家を訪ね、無関心な親を一喝し、クラブで泥酔して数人の男に絡まれていた愛を何とか助け出す。
 愛は妊娠していた。「私のこと本当に可愛いって言ってくれた」男と付き合った挙句「俺の子かどうか分からないし、そんなにお前なんか好きじゃない」と捨てられた。だから死ぬのだという。

 真矢は「じゃあ一緒に死にましょう」と踏み切りの中に愛をつれて行く。
 迫る電車。
 「いやだ~!死にたくない!!」
 愛を突き飛ばし、踏み切りの外に飛び出した真矢。
 愛を思い切り殴る。
 
 「あなたがなんで誰にも愛されないか分かる?あなたが誰も愛してないからよ。」 

 愛「そんなの分かってるよ。でもどうしたらいいの?」
 真矢「それを探しにもう一度教育を受けなさい。いろんな友達や先生と出会いなさい」
 愛「赤ちゃんは・・・どうしよう」
 真矢「堕ろしなさい。今のアナタには母親になる資格があるとは思えないから」

 堕胎手術が無事に終了し、愛は後悔の涙を流しながら
 「先生ごめんね。私のせいで教師やめさせられて。もうやらないの?教師。きっと世の中には私みたいな子がいっぱいいるよ。私みたいな子、助けてあげて。」「この前叩かれた時嬉しかったもん。先生の愛伝わったよ。だから教師やめないで。」

 


 
 真矢は「思いを伝えるための手段」に気が付いたのでしょう。
 それは「理想を現実にして行くための道のりの歩き方」に気づいたと言う事。
 
 理想は現実に砕かれ、最愛の息子を傷つけた果てに失い、そして自分の全てを失った果てに「愛する」と言う「奇跡」の本当の意味を、「かつての自分が持っていた純粋な愛の欠片」を温め続けていたかつての生徒の心の慟哭で知った真矢。

 ただ単に私がそうなだけなのかも知れませんが、真矢は自分を映している鏡だと思ってます。このドラマは極端な物語構成ですけれど、そういうのを取っ払って人間・阿久津真矢を見た場合、私もまた自分の正義を他人に押し付けて悦に入っていた者だと言わざるを得ません。

 今もなお、そういう部分はあるかもしれませんが、他人を打ちのめすような真似をしなくなりました。
 
 また、ドラマの中にも過去の真矢を映し出す鏡のような登場人物が次々と出てきます。そして過去の自分に語りかけるように「いい加減目覚めなさい」と決めゼリフを放つ。

 過去の自分を捨てる事無く背負い、乗り越えてきたから我々の目の前に連続ドラマ「女王の教室」の阿久津真矢が誕生したように、私たちもまた、過去を背負いながら今の自分になっています。

 過去の自分に出会う時。
 それは実生活でもネットの中でもたびたびあります。

 そして、私はまだ途中でありながら、自分が行き詰っていると感じている人たちに語りかけます。
 「アナタの終わりはそこではないでしょう?」と。

 そして、その言葉を自分に語りかけているのです。

  ああ、長い。くそ~~長いよ。もっと簡潔にできない自分の未熟さにガッカリしつつも、この長文にうっとりしつつ、 エピソード2の感想文は次回。

テーマ:女王の教室 - ジャンル:テレビ・ラジオ

2006/03/17 Fri  05:47:49» E d i t
 昨年放送された日テレのドラマ「女王の教室」の特別編が2夜連続の2時間枠で帰って来ます。

 私、もともと天海祐希さんが好き。
 他のドラマはどうなのか知りませんけれど「利家とまつ」に出ていて、その場に出るだけで主役の松嶋奈々子もサブ主役の酒井法子をも喰ってしまう存在感=オーラを感じていました。

 凛とした演技というのか、何と言うのか。
 彼女にとってはそのイメージが役者としてプラスになるのかマイナスになるのかは分かりません。でも、そのイメージが好き。カッコイイ女性。それが私の中の天海祐希さん。

 そのイメージを最高に活かしてくれたのが「女王の教室」だと思います。このドラマの主役はきっと(志田未来さんをはじめとする)子供たちなのでしょうけれども、天海さん以外の阿久津真矢なんて考えられない。天海さんでなければ成立し得ないドラマだったと思います。
 内容が濃すぎて、途中からスポンサーが番組でのクレジットを外したり、HPがパンクするほどの書き込みがあったり(と、報道された)反響は本当にすごかった(のであろう。)。

 私は、私自身が普段から漠然と思っている事が次々に阿久津真矢の口から理路整然と出て来る様が痛快で、ついぞ見入ってしまったのです。 私、連続モノのドラマなんてほとんど見ません。でも、このドラマは世の中ととてもリンクして問題提起とその(無数にある内のひとつの)回答を提示したという点に於いて、他の学園ドラマとはまるっきり性質の違う社会派ドラマになり得たのだと思います。

 ドラマ制作者の情熱がビンビン伝わって来てそれが気持ち良いドラマでした。

 あ、ごちゃごちゃ書いたのは私の勝手な感想なのでどうでも良いです。
 要するに、このドラマを好きなんです。

 好きだからお勧めします。

 ・3月17日 金曜日 日テレ系
  夜9:00~10:54
 女王の教室「エピソード1~堕天使~」
 ・3月18日 土曜日 日テレ系
  夜9:00~10:54
 女王の教室「エピソード2~悪魔降臨~」 


 本編のドラマでは謎に包まれたままだった阿久津真矢の過去が明かされるッ!!
 これは、現代の教室現場で起こり得る様々な状況をデフォルメしたドラマ。そして、「大人よ大人たれ」と訴えるドラマ。
 なによりも「教育者よ教育者たれ」と訴えているドラマ。

 おもしろいよ。

テーマ:ドラマ - ジャンル:テレビ・ラジオ

2006/03/15 Wed  06:12:06» E d i t
  シリーズポリシー

 このシリーズは本当に一生懸命取り組んでいらっしゃるカズノコメーカーの方々にはお叱りを受けるような内容になっているかもしれません。しかし偶然ここを目にした場合、プロとシロートの中間で両方の視点から見える者のひとつの率直な意見として受け取って頂きたいと思いますし、間違った事を書いておりましたらコメント欄にご指摘・ご指南を頂きたいと思います。謝ったり直したり、注釈してこの記事を整えたいと思ってますのでご協力願えれば幸いです。




●バリバリ・ボリボリ。プッチプチ

 魚卵一般について言えることなのですが、魚卵って直接その物を味わう事って99%ありませんよね。
 例えば魚だったら卸して刺身になったりしますけど、魚卵は魚から取り出してもそのまま喰らいつきません。

20060314151157 でたらめな生活を送っている私でさえも、さすがにそれはビビります。血だらけだし生臭いし、アニサキス(寄生虫)居るかもしれないし、食べれませんよ。心理的に。
 ・・・いやカズノコなら食べた事ありますがね。まずい。ぐへ。

 何らかの処理をしなければ食べられない。これが魚卵の特徴です。
 筋子でもイクラでもタラコでもトビっ子でもカズノコでもみんなそうです。

 なぜならば、魚の腹の中にある状態から取り出さねばならないからです。産卵してしまった魚卵を拾い集めるワケにはいかない(特殊なものを除いては)何を使ってどうやって海中・川の中に拡散している物を集めねばならないのか?それをやって商売になるのか?
 

 答えは自ずから出ますね。魚卵はもとより、魚本体の方も食べますから産卵のために沿岸部に押し寄せる魚群を狙って漁をすることになります。

 ●カズノコは如何にして食卓に上がりしか。
 
 ☆カズノコは何処からやって来しか☆
 
 参照→世界のニシン漁(頭に何乗せてんねん!という突っ込みはこちらで十分にしたので見逃してあげて下さい。) 

20060314151457 ←アラスカでの漁の風景。写真を写真で写したもの。その人はフレディ・マーキュリーではなく地元の漁師さんである。


 カズノコを買う時、原産地を意識的に見た事がありますか?
 国内原産(北海道・留萌沖)のカズノコなんて多分、そこら辺には出回りません。数量が少なすぎるのとプレミアで高すぎで、料亭辺りに行ってオシマイ。
 国内産だから美味いってことでもないんですけど、そこはやっぱり「国内産」という根拠不明の安心感。プレミアですよね。

 年末年始に流通しているカズノコの大半は、ランク付け順に行くと




 ①カナダ・太平洋沿岸原産…日本海産に一番似ている卵質。バリボリ。

 ②アメリカ・アラスカ州ブリストル湾原産…原料の品質・数量ともに安定して供給されるため、比較的安価で販売できる。

 ③ロシア…政情不安・経済不安定の中で日本の商社が安く買い付けできていた。今はロシアの経済も回復してきてムリが出てきている。何かとお買い得な塩カズノコは大概ロシア産です。卵質はバリボリします。


 と、ざっと上記のような感じで、①・②が太平洋側で漁獲されるニシン・カズノコなんですね。
 太平洋側で取れたカズノコを業界用語で「本(ほん)チャン」と呼んでいるんですけど、いつの間にやら③も仲間に入ってパリパリに堅いカズノコを指す様になったらしいです。
 まあ、上記三大産地のカズノコを本チャンと呼ぶのはまあ良いにして、その他の原産地としては、

 カナダの大西洋側、ヨーロッパ(ノルウェー・オランダなど)などの大西洋側があるのですが、こちらは卵質がモロモロで軟らかく、味付けカズノコの原料として使用されたりします。

 これら産地からニシンごと凍結させて日本に持ち込んだり、ニシンの利用価値が無い(痩せこけて食べる場所が無い)場合は現地でカズノコだけを取り出して冷凍して日本に輸入されて来ます

 (輸入品と言うと、多くの方が農産品の防腐剤や保存料、あるいは最近では牛肉のBSE検査などのマイナスイメージが着いているから国産品に対する安全神話があるのでしょうけど、魚類について考えると天然モノと養殖モノに安心の差異はあれど、凍結で輸入される以外に添加物などは塩くらいしか掛かって来ませんから安心なんですよ。
 とくにニシンなんて、養殖できないし、できても養殖するメリット無いから全部天然モノだい!)


 はい。原料の時点ですでにこんなにあちこちから来ている上に、カズノコという食べ物は視覚で楽しむ部分もあって、奇麗に真っ直ぐなカズノコが好まれるんですよね。なにしろ「縁起物」だし。

 ☆カズノコの選別☆

 カズノコの奇麗な「三日月型」はあれはニシンの腹の形です。
 
カズノコ選別表 
  ←カズノコの羽型基準。
 これに更に、曲がりだのヒネリだのが加わって選別基準はとんでもないことになってます。 
 
 生き物ですから、曲がったり捻じれたりするのは当たり前で、曲がった形になったカズノコは三日月形には戻せません。
 形状が不安定というだけでカズノコには違いないのですが、それだけでA製品からは除外されます。

 無論、カズノコを製造して行く過程に於いても一部が欠けたり折れたりするわけで、それでもアウトです。 

そうすると、奇麗な三日月型を保ったまま販売されるカズノコってとんでもなく少ない割合になるんです。
 
 すなわち、カズノコの製品はそれ自体でプレミアである!と。
 
 それぞれのメーカーがそれぞれに販売ターゲットを絞って、カズノコを生産します。


 次回予告: ☆カズノコが製品になるまで。☆
 
 カズノコを製品に仕上げるまでの道のり。これがまたなんとも苦難に富んだものなんですよ。今回は長くなりすぎたので、一旦区切ります。
 あ~話が進まない・・・
 
2006/03/14 Tue  05:31:04» E d i t
 » 三沢の鬼と森嶋の意地。 
 試合中、何度も首がぶっ飛んだと思った。

 三沢vs森嶋のテレビ放送を見た。

 三沢の首がボンボン跳ね上げられる。森嶋のラリアートで。ハンマーパンチで。

 頭が何度も潰れたと思った。

 三沢の頭が垂直にマットに刺さる。森嶋渾身のデンジャラス・バックドロップで。
 
 顔が潰れたと思った。
 
 森嶋の顔面に三沢のエルボーが突き刺さる。突き刺さる。
 PRIDEでもK-1でもなぜエルボーが禁止されているのか良く分かる。
 それは、エルボーが切り裂く技で流血ストップが多くなるからと同時に
相手を死に至らしめるのに最も効率的な打撃とされているからだ。

 そのエルボーをプロレス用のそれではなく、殺人用のそれとして森嶋のアゴとコメカミ、顔面に叩き込む三沢。
 技に頼らない三沢は・・・鬼だ。

 幾度も幾度も立ち上がり、立ち上がらされ、

 森嶋の超高角度の裏投げが三沢を叩き落した頃、私はハッと思った。
 「森嶋は三沢を潰そうとしてる。」
 バックドロップも急角度だったし、ラリアートも全体重が乗ったランニングネックブリーカードロップみたいなスゴイ当たりだ。

 そして、この裏投げ。
 三沢は頭や首から落ちたワケじゃないけど、胸の辺りが詰まるような危険な落ち方をした。

 三沢から表情が消え、あとはただひたすら目の前にいる森嶋を殺しに行った。
 森嶋をコーナーに振ってからのランニングエルボーは、森嶋の頭が観客席にぶっ飛んだと思った。
 アレで失神してるに違いないのに。コーナーで崩れ落ちる森嶋にエルボーを乱打する三沢。
 
 カウント3を許さない森嶋のコメカミを狙って肘鉄を落とす三沢。
 意識朦朧の森嶋の上体を起こし、またコメカミに肘を鋭角で当てる三沢。森嶋、陥落!!

 レスラーとしては試合を作ることも、技を出す事も全て三沢は森嶋に封じられたのだ。
 社長としては興行のその後の試合を活かす事も、観客の集中力を持続する事をも困難にさせ、興行の中盤に大きな山を作られてしまったのだ。

 この試合、その興行、この日は森嶋の世界だった。

 しかし、三沢の奥にいる鬼は森嶋の世界をも打ち砕いた!

 それにしても・・・三沢の強い事よ。
 その強い三沢を正面から受けきって、花道を歩いて帰った森嶋の意地よ。

 ごまかしの無いプロレス。
 誠心誠意のプロレス。

 私たちが待っていた森嶋が、来た!!  


 関連記事→春夏秋冬ドットコムブログ 様 赤鬼、青鬼、緑鬼 三沢

     →コラム・de・ブログ 様 本日のNOAH武道館大会結果

テーマ:プロレス - ジャンル:スポーツ

2006/03/10 Fri  05:35:17» E d i t
 先日、友人と話をしている時に自分の口から出た言葉がいつまでも胸に引っ掛かっているんです。

 「自分では頑張ってるつもりなのに、誰かに頑張れって言われたら何だか『お前は頑張ってないだろ?』みたいな言われ方されてるみたいでイヤだから、俺もなるべくなら頑張れって言わないようにしてるんだ。」

 う~ぬぬ。

 何だろうこの言い知れぬ引っ掛かりは。

 「スゴイな」
 「やるねえ」
 「頑張ったな」

 何かの結果に対しては私は素直に賞賛したいと思っています。誰だって認められたい褒められたい気持ちは持ってると思いますし、私の場合、単純に感動が言葉になってポロッと出てくるんですよ。

 自分の好きなことや、目標に向かってる時、人は苦しみを抱えながらも楽しんでいるのかもしれない。

 (それを私は「うっとり」と呼びます。
不安・苦悩と自分がその苦難の道を前に歩いているという恍惚が同居した状態が「うっとり」。何かを成し遂げてまた「うっとり」。ナルシストと言えばそうなんですが、なんかそれもニュアンスが違うような気がします。)

 でも、大腕を振って歩ける時だってちょっとした小石にけっ躓いてコケちゃってイヤな気分になって、誰かに背中押してもらったりちょっと手を引っ張って貰いたいな・・・って気分になる時もある。

 一方で、自分では凄く頑張っているのに空回りしているって感じる時もある。全てがイヤになって投げ出したくなって、リセットボタンがあるんなら押してやり直したくなる時もある。
 外からのどんな言葉も届かないくらい自分が塞ぎ込むことだってある。そんな時は、上手く行ってるヤツの励ましの言葉なんて自分の心をさらにえぐって行く凶器に感じられる時もある。

 「頑張れ」は時として求められ、時として煙たがられる。

 「頑張れ」は私からアナタへの期待の言葉。
 「頑張れ」で勇気を貰った事、ありますか?
 「頑張れ」で傷ついた事、ありますか?
 
 「頑張れ」は無責任な言葉だろうか?

 私は、できることならばそういう時には「頑張るべ(頑張ろうぜ)」を意識して使っています。
 「俺にもショッパイ事いっぱいあるけど、一緒に頑張るべ。」
 「少しずつでも頑張るべ。」

 頑張る頑張らないを意識しないで、やるべき事を楽しみなができる精神状態が一番良いんですけどね。
 そうは分かっててもなかなかバランス取れませんもんね。

 一丁、頑張るべ?


 ※ちょこっと忙しく駆けずり回ってます。
  秘密コメント頂いた皆様、お返事は必ず致します!
  しばし、しばしのご猶予をくださいませ!

 
  頑張れ!俺ッ!!  
2006/03/06 Mon  17:13:18» E d i t
 アンケートしておきながら、コメントへの返事もしていなくて皆様ドキドキしていた事でしょうけれど、忘れていたワケじゃなくて、アホみたいに掘り起こし過ぎて長ったらしくなったので困っていました。

 で、とりあえずは忘れてないんだよっていう言い訳でもしとこうと思いまして、本日アップしてみます。

 皆様、簡単な質問であるにも関わらずご意見まで頂いて誠にありがとうございます。おかげさまで私が続けてアンケートしようとしてた内容が先取りされてて軽く凹んだりしました(笑)。

 やはり販売不振の根本的な原因はメーカー・販売店側の考えとは離れた場所にあるんですよね。
 
 軽く一例を挙げると、大阪あたりの販売側から名物・たこ焼きの中身をカズノコに挿げ替えた「北海焼き」というアイデアが出ているそうですけど、どのような感想を持たれますか?

 私は食べたくないですが。
 
 魚卵で焼いたり煮たりしてもそこそこ美味く食べられるのはハタハタ・シシャモの卵とタラコくらいですかね。カズノコは焼いても煮ても食べられません。
 この時点で大幅に料理の方向性が限定されます。

 皆さんにコメントを頂いたとおり、カズノコはそのものだけではご飯のおかずにも酒の肴にも中途半端なんです。
 言うならば珍味。
 でも飛び抜けて高級食材というカテゴリーでもない。
 かと言って気軽に買って来るほど安くもない。
 更に、年末年始を除けば味付けカズノコはまだしも、塩カズノコなんてどこに売ってるんだか分からない。

 実に中途半端。

 ニシンって北半球の北緯42度以北だったらかなり広範囲で取れるんです。ですからカズノコって一言で言っても、日本海・太平洋・大西洋・バルト海・カムチャツカ…無論、ニシンだって水質やら水温やら海流やらの影響で各地で特徴が違えば、カズノコの性質もそれに伴う価格も違うんです。

 カズノコって一口で言っても、要するにピンからキリまであるんです。

 でも、世界中の海で獲れるけれどカズノコをありがたがって食べるのは日本だけなんだそうです。
 そういう歴史があったんだから仕方ないです。
 
 そんな感じで今回皆様のコメントから弾き出された問題点を簡潔に整理してみると、

 ●カズノコはなぜ高い(と感じる)のか?
 ●カズノコの調味について
 ●カズノコのオイシイ食べ方


 が問題点になりそうです。
 そして、メーカー側もこの点に関して努力してはいるのですが、カズノコという物を「商材」としてみた場合、止むに止まれぬ宿命がそこにあったりするんです。
 
 さ、これからこれらを分解して考えてみる事にします。

 あ、でも、もちろん不定期に現れるのでこれを一つのカテゴリーにしてまとめておきます。
 その都度その都度、質問や疑問を頂けたら私もカズノコ屋さんに聞いて回答してみます。

 ああ、勉強になるなあ。

 最終的に食に携わる仕事をしている者として、現在の日本の食生活が持っている危機も暴いちゃいますからね~!
 食料自給率なんて数字で言われても危機感なんて沸かないですもんね。でも危機なんですよ、相当。

 ま、その辺まで持って行く予定です。
 ああ、勉強になるなあ。
2006/03/02 Thu  17:10:15» E d i t
 » エール 
 資格のいる仕事なんて
 試験から逃げ回っていた俺から見たら
 とんでもない世界の話なんだぜ?
 すごいことだと思ってる

 それでもさ
 オマエがテキストで勉強するだけの生活から抜け出して
 外の空気に触れ始めたこと
 俺は正直、嬉しいよ

 確かに
 オマエの目指している職種は
 試験に受かって初めて世間に認められる仕事
 でも社会っていろんな人が呼吸してるんだし

 見てみなよ
 聞いてみな
 嗅いでみなよ
 触れてごらん
 味わってみな

 社会には勉強の種がゴロゴロ転がってるさ
 そしてみんなが生きている
 「こんなの役に立たないよ」なんて経験は
 きっと、無いよ

 どんなものからも学べるし
 どんなものにも手は伸ばせるさ

 青春時代の忘れ物は
 その気になれば
 例え今は全然違うステージに立っていたとしても
 体が昔とは違っても

 取り戻しに
 いつだって行けるんだぜ

 いや
 取り戻すんじゃないな
 新しい自分になるんだな

 スマートじゃなくても
 泥にまみれて倒れるまで走る姿に
 本当は憧れてるんだろ?
 じゃあ走ろうぜ

 あの頃みたいにさ

 俺も
 誰かがうすら笑ってる幻想に怯えたことがあるよ
 でもさ
 それも含めて俺なんだよな

 そこから逃げることなんてできねんだよな
 越えれるさ
 ちょびっとずつだけど
 越えてきたんだから

 行こうぜ 行こうぜ
 あいかわらずな俺たちで
 

テーマ: - ジャンル:心と身体

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