- 2009/09/23 ふるさと
- 2008/06/11 楽しいときは楽しく
- 2007/11/11 昭和シチュエーション
- 2007/06/17 わびさびわさび
- 2006/10/31 かぼちゃぼっくりん
2009/09/23 Wed 04:07:05 » E d i t
» ふるさと
「2009年は秋にもゴールデンウィークが来るらしい!」
なんて、昨年末の“来年の手帳”のキャッチフレーズには「Yeah!めっちゃホリデー!!」とかでかでかと書かれていた記憶がある。
その秋のゴールデンウィークがまさに今だ。“シルバーウィーク”なんていまいちパッとしない名前をもらってしまった今回の連休。
たまたまハッピーマンデーで9月15日から移動して来た「敬老の日」と、秋分の日が平日をサンドイッチして「祝日にサンドイッチされた日は国民の休日にしちゃいます!」という素晴らしい法律のおかげで土曜日が休みの人たちは5連休という状態になっているのですね。
へぇ。
・・・って言うか、良いのか?
不景気だの、金がねぇだの言う割には使うよねぇ・・・お金。使う機会にばかり恵まれてるよねぇ・・・。
不景気って言えば、昔に比べりゃただ単に人口に対して店が増えすぎたから一件当たりの売上が減ってて、総合的な不景気感が拭いきれないって現状ってあるよなぁ。俺ら子供の頃にはそもそも、行く場所なんて決まってたんだから。
バスで町のまんなかにある大きなデパートに連れてってもらって、おもちゃ売場見て、たまに何か買ってもらって、食堂でラーメンでも食って帰ってくれば、それで十分にハッピーだった。
団地の公園行って、友達と遊んでて天気雨に降られたあとに虹を見つけて自転車で虹を追いかけて、それだけで楽しかった。
今から比べりゃそりゃもう「ちっぽけな幸せ」だったんだろうけど、それは確かに「幸せ」だった実感がある。
町のまんなかのデパートは名前が変わって大きくなって駐車スペースがたくさん取れる郊外に移転したけど、今は食品売り場も併設してるから結構頻繁に車で出かけるもんだから、あんまりスペシャルでも無くなっちゃった。
あの頃の俺たちよりも大きくなった子供を持つ年頃になって、久しぶりに帰郷してきた幼馴染とともにあの団地の公園に立った。
毎日のように同い年の4人+兄弟でつるんで、夕暮れ時にカレーの匂いやら魚を焼く匂いが漂って来て、誰かの母ちゃんが呼びに来るまでずっと遊んでいたこの公園。
随分と周囲が開発されて、あの頃ここから見えた、子供の頃に彼の家で見た恐竜図鑑に載っていたブラキオサウルスが横たわったような小さな丘は均され、季節になれば団地全体を大合唱で包んだカエル沼も埋め立てられて建物が立ち、バックネットも取り外されて「資材庫」みたいな無機質なプレハブが俺たちのホームベース上に置かれてはいたが、何度かペンキを塗りなおされた滑り台とその下り口の砂場、それに、たったふたつぽっちの小さな小さなブランコはあの頃と全く同じ場所に同じように設置されていた。
変わったもの、変わらないもの。
プレハブに背をもたれて、当時は「外野」だった方を見てみるとその狭さに驚く。
まだ幼稚園に入るか入らないかくらいだった当時は、その名の通りの「広場」だったものが、今となっては「キャッチボールで肩慣らしする程度のスペース」だ。この広場で団地の盆踊りだとか、花火大会とかいろんな催事があったっけな。
俺たちの頃は、毎日毎日暗くなるまで子供たちがはしゃぎ回っていたもんだけど、まだ晩飯の支度の匂いも漂って来ない日暮れ前にも関わらず、俺と幼馴染の彼とふたりぽっちの公園。
30年。
俺たちはいつでもそこに立てば、タイムマシーンに乗って30年前の俺たちに会う事が出来る。あの頃の俺たちが今の俺たちよりも輝いていたとは俺は思っていない。今のオヤジになった俺たちだって相当イケてる。けれども、「特別な輝きがあの時代にはあった」と誰もが口をそろえて言うのには何となく頷ける。あの頃はまだ、幸せに向かう途中だったのだから。
「手に入れる途中の感覚」と、「手にした感覚」、「手にしたものがこぼれ落ちて行く感覚」、「手にしたものを維持、管理して行く感覚」は絶対違う。
俺たちの今の時代へのこの言葉に成り切らない不満は、自分たちが望んで手に入れたワケでもないものの維持や管理を、無理や矛盾が生じてからどうしようもなくなって手渡されたことに起因している。
「あの頃に戻りたいとは思わないけど、あの頃は良かった」とは思う。
じゃあ、思いきって捨てちまえば良いのか?と言ったところで、捨てるにも金が掛かる。
30年。
俺たちが生きて来た時間の流れの中で起きた出来事が、もうすでに教科書に「近代史」として載せられる。自分の中では簡単にスイッチできる時間でも、数字に直せば途方もない時間だ。
どうしようもなく変わってしまう「ふるさと」だけど、自分の根源から何が湧きだしているかを思うとき、変わってしまった自分を嘆いたり、そんな自分を笑って許して肯定したりするために、ただただそこにあるだけでいい。
たくさんの人たちが特段の意図も持たないままで、それでもなお形作られてきたその姿のままで「ふるさと」は「ふるさと」であって欲しい。
30年前の俺たちをプレイバックするような自分の子供たちに、今のこの時代の「ふるさと」は何を残して行けるだろうか。いや、彼らが何かを掴み取るような力を育んであげられるだろうか。
とか、ふと考えた。他愛のない話のなかで。
自分たちはそれを自分たちの力で獲得して来たように思いこんでたけど、それは親たちをはじめとして、そこに暮らすたくさんの人々や動物、虫、植物、そして四季折々や歴史、そういう風土が全て渾然一体に溶け合って、差し伸べられていたものなのかもね。ふるさとって。
随分変わってしまったけれど、30年前の面影のまま笑い合った。
俺がカエル沼に長靴を片方飲み込まれて泣きながらの帰り道、一生懸命に笑わそうとしてくれたあの頃の彼のままだった。
俺は、自転車ごとスッ転んでどぶ川に落っこちたオマエを何とか助け起こしたあの頃の俺のままだったかな?
互いの都合でたった1時間弱。でも、こうしていろいろ湧き出して来る思いが、俺を先に進めてくれる。互いにとって、互いが「ふるさと」になっているんだな。
そういう「ふるさと」のにおいがする男でありたい。
例え、この町で生まれ育った人ではなくとも、会ったことがなくても「ふるさとのような人」と思われるようなね。
なんて、昨年末の“来年の手帳”のキャッチフレーズには「Yeah!めっちゃホリデー!!」とかでかでかと書かれていた記憶がある。
その秋のゴールデンウィークがまさに今だ。“シルバーウィーク”なんていまいちパッとしない名前をもらってしまった今回の連休。
たまたまハッピーマンデーで9月15日から移動して来た「敬老の日」と、秋分の日が平日をサンドイッチして「祝日にサンドイッチされた日は国民の休日にしちゃいます!」という素晴らしい法律のおかげで土曜日が休みの人たちは5連休という状態になっているのですね。
へぇ。
・・・って言うか、良いのか?
不景気だの、金がねぇだの言う割には使うよねぇ・・・お金。使う機会にばかり恵まれてるよねぇ・・・。
不景気って言えば、昔に比べりゃただ単に人口に対して店が増えすぎたから一件当たりの売上が減ってて、総合的な不景気感が拭いきれないって現状ってあるよなぁ。俺ら子供の頃にはそもそも、行く場所なんて決まってたんだから。
バスで町のまんなかにある大きなデパートに連れてってもらって、おもちゃ売場見て、たまに何か買ってもらって、食堂でラーメンでも食って帰ってくれば、それで十分にハッピーだった。
団地の公園行って、友達と遊んでて天気雨に降られたあとに虹を見つけて自転車で虹を追いかけて、それだけで楽しかった。
今から比べりゃそりゃもう「ちっぽけな幸せ」だったんだろうけど、それは確かに「幸せ」だった実感がある。
町のまんなかのデパートは名前が変わって大きくなって駐車スペースがたくさん取れる郊外に移転したけど、今は食品売り場も併設してるから結構頻繁に車で出かけるもんだから、あんまりスペシャルでも無くなっちゃった。
あの頃の俺たちよりも大きくなった子供を持つ年頃になって、久しぶりに帰郷してきた幼馴染とともにあの団地の公園に立った。
毎日のように同い年の4人+兄弟でつるんで、夕暮れ時にカレーの匂いやら魚を焼く匂いが漂って来て、誰かの母ちゃんが呼びに来るまでずっと遊んでいたこの公園。
随分と周囲が開発されて、あの頃ここから見えた、子供の頃に彼の家で見た恐竜図鑑に載っていたブラキオサウルスが横たわったような小さな丘は均され、季節になれば団地全体を大合唱で包んだカエル沼も埋め立てられて建物が立ち、バックネットも取り外されて「資材庫」みたいな無機質なプレハブが俺たちのホームベース上に置かれてはいたが、何度かペンキを塗りなおされた滑り台とその下り口の砂場、それに、たったふたつぽっちの小さな小さなブランコはあの頃と全く同じ場所に同じように設置されていた。
変わったもの、変わらないもの。
プレハブに背をもたれて、当時は「外野」だった方を見てみるとその狭さに驚く。
まだ幼稚園に入るか入らないかくらいだった当時は、その名の通りの「広場」だったものが、今となっては「キャッチボールで肩慣らしする程度のスペース」だ。この広場で団地の盆踊りだとか、花火大会とかいろんな催事があったっけな。
俺たちの頃は、毎日毎日暗くなるまで子供たちがはしゃぎ回っていたもんだけど、まだ晩飯の支度の匂いも漂って来ない日暮れ前にも関わらず、俺と幼馴染の彼とふたりぽっちの公園。
30年。
俺たちはいつでもそこに立てば、タイムマシーンに乗って30年前の俺たちに会う事が出来る。あの頃の俺たちが今の俺たちよりも輝いていたとは俺は思っていない。今のオヤジになった俺たちだって相当イケてる。けれども、「特別な輝きがあの時代にはあった」と誰もが口をそろえて言うのには何となく頷ける。あの頃はまだ、幸せに向かう途中だったのだから。
「手に入れる途中の感覚」と、「手にした感覚」、「手にしたものがこぼれ落ちて行く感覚」、「手にしたものを維持、管理して行く感覚」は絶対違う。
俺たちの今の時代へのこの言葉に成り切らない不満は、自分たちが望んで手に入れたワケでもないものの維持や管理を、無理や矛盾が生じてからどうしようもなくなって手渡されたことに起因している。
「あの頃に戻りたいとは思わないけど、あの頃は良かった」とは思う。
じゃあ、思いきって捨てちまえば良いのか?と言ったところで、捨てるにも金が掛かる。
30年。
俺たちが生きて来た時間の流れの中で起きた出来事が、もうすでに教科書に「近代史」として載せられる。自分の中では簡単にスイッチできる時間でも、数字に直せば途方もない時間だ。
どうしようもなく変わってしまう「ふるさと」だけど、自分の根源から何が湧きだしているかを思うとき、変わってしまった自分を嘆いたり、そんな自分を笑って許して肯定したりするために、ただただそこにあるだけでいい。
たくさんの人たちが特段の意図も持たないままで、それでもなお形作られてきたその姿のままで「ふるさと」は「ふるさと」であって欲しい。
30年前の俺たちをプレイバックするような自分の子供たちに、今のこの時代の「ふるさと」は何を残して行けるだろうか。いや、彼らが何かを掴み取るような力を育んであげられるだろうか。
とか、ふと考えた。他愛のない話のなかで。
自分たちはそれを自分たちの力で獲得して来たように思いこんでたけど、それは親たちをはじめとして、そこに暮らすたくさんの人々や動物、虫、植物、そして四季折々や歴史、そういう風土が全て渾然一体に溶け合って、差し伸べられていたものなのかもね。ふるさとって。
随分変わってしまったけれど、30年前の面影のまま笑い合った。
俺がカエル沼に長靴を片方飲み込まれて泣きながらの帰り道、一生懸命に笑わそうとしてくれたあの頃の彼のままだった。
俺は、自転車ごとスッ転んでどぶ川に落っこちたオマエを何とか助け起こしたあの頃の俺のままだったかな?
互いの都合でたった1時間弱。でも、こうしていろいろ湧き出して来る思いが、俺を先に進めてくれる。互いにとって、互いが「ふるさと」になっているんだな。
そういう「ふるさと」のにおいがする男でありたい。
例え、この町で生まれ育った人ではなくとも、会ったことがなくても「ふるさとのような人」と思われるようなね。
2008/06/11 Wed 07:56:16 » E d i t
わっしょい。
我が町はお祭りだ。
今年、生まれて初めてお神輿担ぎに参加している。
今までは、参加方法も分からなかった。
たまたま昨年、担ぎ手に知り合いを見つけて紹介してもらった。
大きな・・・とは言えないが、結構小奇麗なその神輿、本来ならば最低25人で担ぎ上げるのだそうだ。平日の日中、集まったのは・・・17人。中には若いのもいるけれど、ほぼ45歳以上。
これがわが町の現実だ。
町のお祭りで会社が休みになっても、人口に対して少ない割合の若者は出店には集まるが行事には無関心で、大概は札幌あたりに羽を伸ばしに行ってしまう。その気持ちは私も分かる。学生にしても社会人にしても平日に休める日なんて滅多に無いから、やりたいことをできるんだったら、それをやりゃあ良い。
私だって32歳になった今頃になって初めて神輿担いでるんだから、何にも言えないよ。
担ぎ手のオッサンたちが休憩時間にルーキーの私に、アルコールと踏ん張りで紅潮した顔で半分泣きそうな顔をわざと作ってみせながらこう言う。
「時代の流れなのかねぇ?・・・祭りがいらないみたいな空気になってるよな。昔だら活気あったんだわ。みんな仕事休んでさ、やってたんだわ。今は不景気だし、会社休みになってもこったら重テェだけで銭コにもならねぇモン、やりに来ねぇやね。もっと、増えないかな?」
冷静に考えて問題点はふたつ。
どうやって参加すりゃ良いのか分かりにくい。 ホントは飛び入りもOK!
衣装の取り決めとかややこしそうに見えてしまう。 今回、私は全くの私服。
・・・
私は、私のために子供達を愛したい。未来を愛したい。
子供達がいつかこの町を出る日が来ても胸を張って誇れるような町にしたい。
そのためには自分がまずきちんとこの町に溶け込んで、今のこの町の現状を知らねば。
現状は、こんなもんだ。
なに、悲観することはねぇぜオッサン。だって、少なかろうがなんだろうが神輿は上がってる。
町の現状だって同じだ。過疎化が進んでガタガタになってるけど、それでも何とかなってる。
これからなんとでもして行ける。
確かに25人で分担する計算で作られたモノを17人で担ぐんだから、一人あたりの負荷は何割増しかになるけれど、ちゃんと上がってるし。担げてるし。ほら俺ら、潰れてねぇじゃん。
必死でやりゃ良いじゃん。
右肩の骨にめり込むような圧力、ヒザも腰も押し潰されるような重量感。
噴き出す汗。
喉も枯れんばかりに腹の底から声を出す。
わっしょい!
どこまで行く?
いつまで歩く?
きっと17人はみんなどっかでそう思ってる。
それでもそれが楽しいから来てるんだろ?
誰かに伝えたいからやってるんだろ?
それが自分のためだからやってるんだろ?
わっしょい!
デッカイ声出して、歯ぁ食いしばって、それでも笑って担いでやるさ。
これは俺が担ぎたいから担いでる神輿なんだから。
わっしょい!
その声が響き渡って、この汗が誰かに伝われば、必ず共鳴してくれる奴らが出て来るから。
俺らは「今」を担いでる。「今」は「未来」に向かってる。
わっしょい!
わっしょい!
わっしょい!
目一杯、必死にやってりゃ、楽しいさ。
本当の楽しさって、伝わるもんだぜ。だから、見せてやろうぜ。「今」の素晴らしさを!そして、作ってやろうぜスゲェ「未来」を!
我が町はお祭りだ。
今年、生まれて初めてお神輿担ぎに参加している。
今までは、参加方法も分からなかった。
たまたま昨年、担ぎ手に知り合いを見つけて紹介してもらった。
大きな・・・とは言えないが、結構小奇麗なその神輿、本来ならば最低25人で担ぎ上げるのだそうだ。平日の日中、集まったのは・・・17人。中には若いのもいるけれど、ほぼ45歳以上。
これがわが町の現実だ。
町のお祭りで会社が休みになっても、人口に対して少ない割合の若者は出店には集まるが行事には無関心で、大概は札幌あたりに羽を伸ばしに行ってしまう。その気持ちは私も分かる。学生にしても社会人にしても平日に休める日なんて滅多に無いから、やりたいことをできるんだったら、それをやりゃあ良い。
私だって32歳になった今頃になって初めて神輿担いでるんだから、何にも言えないよ。
担ぎ手のオッサンたちが休憩時間にルーキーの私に、アルコールと踏ん張りで紅潮した顔で半分泣きそうな顔をわざと作ってみせながらこう言う。
「時代の流れなのかねぇ?・・・祭りがいらないみたいな空気になってるよな。昔だら活気あったんだわ。みんな仕事休んでさ、やってたんだわ。今は不景気だし、会社休みになってもこったら重テェだけで銭コにもならねぇモン、やりに来ねぇやね。もっと、増えないかな?」
冷静に考えて問題点はふたつ。
どうやって参加すりゃ良いのか分かりにくい。 ホントは飛び入りもOK!
衣装の取り決めとかややこしそうに見えてしまう。 今回、私は全くの私服。
・・・
私は、私のために子供達を愛したい。未来を愛したい。
子供達がいつかこの町を出る日が来ても胸を張って誇れるような町にしたい。
そのためには自分がまずきちんとこの町に溶け込んで、今のこの町の現状を知らねば。
現状は、こんなもんだ。
なに、悲観することはねぇぜオッサン。だって、少なかろうがなんだろうが神輿は上がってる。
町の現状だって同じだ。過疎化が進んでガタガタになってるけど、それでも何とかなってる。
これからなんとでもして行ける。
確かに25人で分担する計算で作られたモノを17人で担ぐんだから、一人あたりの負荷は何割増しかになるけれど、ちゃんと上がってるし。担げてるし。ほら俺ら、潰れてねぇじゃん。
必死でやりゃ良いじゃん。
右肩の骨にめり込むような圧力、ヒザも腰も押し潰されるような重量感。
噴き出す汗。
喉も枯れんばかりに腹の底から声を出す。
わっしょい!
どこまで行く?
いつまで歩く?
きっと17人はみんなどっかでそう思ってる。
それでもそれが楽しいから来てるんだろ?
誰かに伝えたいからやってるんだろ?
それが自分のためだからやってるんだろ?
わっしょい!
デッカイ声出して、歯ぁ食いしばって、それでも笑って担いでやるさ。
これは俺が担ぎたいから担いでる神輿なんだから。
わっしょい!
その声が響き渡って、この汗が誰かに伝われば、必ず共鳴してくれる奴らが出て来るから。
俺らは「今」を担いでる。「今」は「未来」に向かってる。
わっしょい!
わっしょい!
わっしょい!
目一杯、必死にやってりゃ、楽しいさ。
本当の楽しさって、伝わるもんだぜ。だから、見せてやろうぜ。「今」の素晴らしさを!そして、作ってやろうぜスゲェ「未来」を!
2007/11/11 Sun 06:17:52 » E d i t
2007/06/17 Sun 05:49:16 » E d i t
» わびさびわさび
先日、隣町の大正浪漫の風情漂うイカした石蔵ソバ屋に行きました。
「隣町なのに『ソバや』とはこれいかに!」
いかに!とかって言われても、イカとカニが連結したような生物を空想するのは私の特権だと思い込んでおりますが、他にもこのような方がいらっしゃいましタラバ、どうぞお申し付け下さいませ。
つかみはOK。
ザルそば頼んだんですね。
おしながきには「せいろそば」って書かれてて、こんなの現代人には通用しないと思うのですが、私には通用します。・・・んぉほん・・・通用しますが、事のついでなので調べてみます。
せいろ→(変換)→征路
・・・ほらね。これじゃラッパのマークじゃん。
せいろは 蒸籠 だそうです。私も今知りました。
なに?ソバを蒸すのか??
出て来た せいろソバ は ザルに入ってきたけど。
え?ソバを乗せる そばセイロ という せいろ があるの??
なるほど。蒸すわけじゃないのね。乗せるモノが そばセイロ だと。・・・「ざるソバ」で良いじゃん。
非常においしいソバ&つゆでした。
ソバの麺の方はたまに美味い店に当たりますが、本人の好みの問題とは言え つゆ の方はなかなか心に響くことが無いのですけど、このソバやの つゆ はベースとなる ダシ の味がしっかりしていながら角が立たず、味つけのしょうゆも・・・まあ良いや。
美味いんですよ。とにかく!
セイロについて学んだところで、本題に入ります。
ゆったりとした雰囲気を楽しむ大人ムード満点のその店で一品料理の「とりわさ」を頼むと わさび は 根わさび と おろし器 が出され、「好きなだけすりおろして使って頂戴」と言わんばかり。

こりゃまた面倒くさい 粋なことをしてくれる! とか思いながら、おろし器で「の」の字を書くようにゴリゴリゴリゴリわさびをおろす・・・おろす・・・おろす・・・
いや~面倒くせぇ!!
手は動かしながら私の心の中で対話マイセルフ。
そもそもが、なんですりおろさなきゃならないんだ?
「そのまま食べたら辛さも風味もない」って誰か言ってたぞ??
本当にそれ信じられるのか?
鵜呑みにして良いのか? ・・・って言うか、面倒くさ・・・
葛藤半ばにしてわさびをむんずと掴むや喰らいかかる私!!
ガリッ!!その時であった!!
♪知らなかったよ~空がこんなにあお~いと~は~
私がヘタクソにすりおろしたわさびよりも、そのまま喰った方が
よっぽど辛くてツンと来るつんく♂。鼻に突き抜けるこの清涼感溢れるカラみ・・・これがが日本なんじゃ~ぁぁぁぁ!!!日本の未来はぁぁぁぁぁ~!!!うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!世界が羨むぅぅぅぅぅ~!!!!!・・・んんローラァァァァァ!!
すっかりクセになってガリガリガリガリ食ってたら、大正モダンガール(モガ)みたいな店員さんに訝しげに見られました。
結論:わさび はそのまま喰っても辛い。いやむしろわさび好きなら下手におろすくらいならそのまま喰った方が良い。
追記: 辛いからあまり咀嚼できないので、大量に摂取すると後から胃がカラくなるので、要注意。でも、唐辛子のように持続する熱さとかは無いようで、どうやら一過性のカラさなのでそこは辛抱のし甲斐があります。
さあみんな!その右手に持った「うまい棒」を捨て、わさびにチャレンジだ!!
「隣町なのに『ソバや』とはこれいかに!」
いかに!とかって言われても、イカとカニが連結したような生物を空想するのは私の特権だと思い込んでおりますが、他にもこのような方がいらっしゃいましタラバ、どうぞお申し付け下さいませ。
つかみはOK。
ザルそば頼んだんですね。
おしながきには「せいろそば」って書かれてて、こんなの現代人には通用しないと思うのですが、私には通用します。・・・んぉほん・・・通用しますが、事のついでなので調べてみます。
せいろ→(変換)→征路
・・・ほらね。これじゃラッパのマークじゃん。
せいろは 蒸籠 だそうです。私も今知りました。
なに?ソバを蒸すのか??
出て来た せいろソバ は ザルに入ってきたけど。
え?ソバを乗せる そばセイロ という せいろ があるの??
なるほど。蒸すわけじゃないのね。乗せるモノが そばセイロ だと。・・・「ざるソバ」で良いじゃん。
非常においしいソバ&つゆでした。
ソバの麺の方はたまに美味い店に当たりますが、本人の好みの問題とは言え つゆ の方はなかなか心に響くことが無いのですけど、このソバやの つゆ はベースとなる ダシ の味がしっかりしていながら角が立たず、味つけのしょうゆも・・・まあ良いや。
美味いんですよ。とにかく!
セイロについて学んだところで、本題に入ります。
ゆったりとした雰囲気を楽しむ大人ムード満点のその店で一品料理の「とりわさ」を頼むと わさび は 根わさび と おろし器 が出され、「好きなだけすりおろして使って頂戴」と言わんばかり。

こりゃまた
いや~面倒くせぇ!!
手は動かしながら私の心の中で対話マイセルフ。
そもそもが、なんですりおろさなきゃならないんだ?
「そのまま食べたら辛さも風味もない」って誰か言ってたぞ??
本当にそれ信じられるのか?
鵜呑みにして良いのか? ・・・って言うか、面倒くさ・・・
葛藤半ばにしてわさびをむんずと掴むや喰らいかかる私!!
ガリッ!!その時であった!!
♪知らなかったよ~空がこんなにあお~いと~は~
私がヘタクソにすりおろしたわさびよりも、そのまま喰った方が
よっぽど辛くてツンと来るつんく♂。鼻に突き抜けるこの清涼感溢れるカラみ・・・これがが日本なんじゃ~ぁぁぁぁ!!!日本の未来はぁぁぁぁぁ~!!!うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!世界が羨むぅぅぅぅぅ~!!!!!・・・んんローラァァァァァ!!
すっかりクセになってガリガリガリガリ食ってたら、大正モダンガール(モガ)みたいな店員さんに訝しげに見られました。
結論:わさび はそのまま喰っても辛い。いやむしろわさび好きなら下手におろすくらいならそのまま喰った方が良い。
追記: 辛いからあまり咀嚼できないので、大量に摂取すると後から胃がカラくなるので、要注意。でも、唐辛子のように持続する熱さとかは無いようで、どうやら一過性のカラさなのでそこは辛抱のし甲斐があります。
さあみんな!その右手に持った「うまい棒」を捨て、わさびにチャレンジだ!!
2006/10/31 Tue 05:21:37 » E d i t
季節のイベントは大切です。
なぜなら、その季節を楽しもうという先人達の心意気の継承だからです。
宗教も何も関係ありません。儀式だけオイシく楽しませてもらえれば良いのです。クリスマスとかバレンタインみたいに。
もともと八百万ごちゃまぜの神の国なのですから。後から来たものでも先にあるものと上手い具合に調和させるのは日本人の得意技ですから。
ハロウィンです。
ハロウィン。知ってますか?ハロウィン。
私は良く知りませんよ。
一応こういうことらしいです→ハロウィーン通信
えっと、古代ケルト民族のォォぉ・・・
・・・ま、いいや。
あ、ハロウィンと言えばカボチャですね。南瓜。
私の住んでいるところは夏はスイカ、秋にはカボチャが収穫される御土地柄なので、カボチャは大量に、そりゃあもう大量に頂いたりします。ここでこっそりと感謝の念を述べさせて頂きます。ありがとうございます。
例年はその半端じゃない量のカボチャたちを、そりゃあもうEverydayパンプキンクッキングしていろんな意味で秋の夕日に照る山紅葉なのですが、今年はちょっとヤル気を出してアメリカ式ハロウィンのアレに挑戦してみました。
カボチャのランタン「ジャックオランタン」です。
あのアメリカ式のオレンジ色のカボチャ(通称:おばけカボチャ)は飼料用のカボチャなので中身は美味くないらしいです。
今回は我が家で頂いた“雪化粧”という風流な品種名を頂いた西洋カボチャでアタックしてみました。ランタンも出来た上で、中身も食べられるという「一粒で二度オイシイ」状態を狙ってのことです。
では、CTスキャンもMRIも撮影せずにいきなり術式を開始する。
頭頂部、切開。 メス。

数年前に〈私の中の〉サバイバルブームの折に「ホームセンターラッキー」で買ったアーミーナイフがこんなところで初仕事を仰せつかるとは、なんたる名誉!?シュワルツェネッガーの次くらいにアーミーナイフの似合うこのスーパードクター丸に掛かればこんなのは晩飯前だ!
種の摘出、および果肉の除去。


スプーンでは到底太刀打ち不可能ッ!
ユリ・ゲラー並にグイグイ曲がっちゃいます。カボチャの果肉の圧力と、スーパードクター丸の腕力にスプーンのか細い首はメリ折れるのである。貧弱貧弱ゥゥゥ!!
そんなスプーンを使っていてもいつまでたっても進まぬ恋の道なので、台所から我が家でそういう用途に対しては最強と思われる小型オタマを持って来て、えぐる、エグル、抉るゥゥゥゥゥ。
種の部分は捨てて、果肉を取り出して、
本日の晩御飯は「カボチャのニョッキスープ」でごじゃいま~す。
これがまた、美味い!美味いのだよ。

その人のセンスと器具の強度と腕力とスタミナによるのでしょうけれども、ジャックオランタン一基あたり約30~40分でできますよ。ハイ。意外と楽勝!
でも、普段使わない筋肉を使うらしく、翌日に肩こりが残ったりするのは三十路を過ぎた人間なら仕方の無いことだと諦めましょうかオンリーロンリー。
ジャック(上)とヘンリー(下)というアメリカ式の名前を私がつけてあげたにもかかわらず、 ぴっこ(娘・4歳) が彼らにつけた名前は「かぼちゃぼっくりん」・・・なんてイケてるネーミングセンスだ!!
ちなみに、どちらも「かぼちゃぼっくりん」らしいです。
お出かけ先から颯爽と帰宅した まるもい(息子・2歳) が食卓テーブルに上がっていた「かぼちゃぼっくりん」を見た瞬間に恐怖のあまり大泣きしたのは、想定の範囲外でしたが、それはそれでスーパードクター冥利に尽きるのです。
そんな季節ですね。
白い季節の風に吹かれ寒い冬がやってきそうなこの季節、体調管理に気をつけましょうね。
なぜなら、その季節を楽しもうという先人達の心意気の継承だからです。
宗教も何も関係ありません。儀式だけオイシく楽しませてもらえれば良いのです。クリスマスとかバレンタインみたいに。
もともと八百万ごちゃまぜの神の国なのですから。後から来たものでも先にあるものと上手い具合に調和させるのは日本人の得意技ですから。
ハロウィンです。
ハロウィン。知ってますか?ハロウィン。
私は良く知りませんよ。
一応こういうことらしいです→ハロウィーン通信
えっと、古代ケルト民族のォォぉ・・・
・・・ま、いいや。
あ、ハロウィンと言えばカボチャですね。南瓜。
私の住んでいるところは夏はスイカ、秋にはカボチャが収穫される御土地柄なので、カボチャは大量に、そりゃあもう大量に頂いたりします。ここでこっそりと感謝の念を述べさせて頂きます。ありがとうございます。
例年はその半端じゃない量のカボチャたちを、そりゃあもうEverydayパンプキンクッキングしていろんな意味で秋の夕日に照る山紅葉なのですが、今年はちょっとヤル気を出してアメリカ式ハロウィンのアレに挑戦してみました。
カボチャのランタン「ジャックオランタン」です。
あのアメリカ式のオレンジ色のカボチャ(通称:おばけカボチャ)は飼料用のカボチャなので中身は美味くないらしいです。
今回は我が家で頂いた“雪化粧”という風流な品種名を頂いた西洋カボチャでアタックしてみました。ランタンも出来た上で、中身も食べられるという「一粒で二度オイシイ」状態を狙ってのことです。
では、CTスキャンもMRIも撮影せずにいきなり術式を開始する。
頭頂部、切開。 メス。

数年前に〈私の中の〉サバイバルブームの折に「ホームセンターラッキー」で買ったアーミーナイフがこんなところで初仕事を仰せつかるとは、なんたる名誉!?シュワルツェネッガーの次くらいにアーミーナイフの似合うこのスーパードクター丸に掛かればこんなのは晩飯前だ!
種の摘出、および果肉の除去。


スプーンでは到底太刀打ち不可能ッ!
ユリ・ゲラー並にグイグイ曲がっちゃいます。カボチャの果肉の圧力と、スーパードクター丸の腕力にスプーンのか細い首はメリ折れるのである。貧弱貧弱ゥゥゥ!!
そんなスプーンを使っていてもいつまでたっても進まぬ恋の道なので、台所から我が家でそういう用途に対しては最強と思われる小型オタマを持って来て、えぐる、エグル、抉るゥゥゥゥゥ。
種の部分は捨てて、果肉を取り出して、
本日の晩御飯は「カボチャのニョッキスープ」でごじゃいま~す。
これがまた、美味い!美味いのだよ。

その人のセンスと器具の強度と腕力とスタミナによるのでしょうけれども、ジャックオランタン一基あたり約30~40分でできますよ。ハイ。意外と楽勝!
でも、普段使わない筋肉を使うらしく、翌日に肩こりが残ったりするのは三十路を過ぎた人間なら仕方の無いことだと諦めましょうかオンリーロンリー。
ジャック(上)とヘンリー(下)というアメリカ式の名前を私がつけてあげたにもかかわらず、 ぴっこ(娘・4歳) が彼らにつけた名前は「かぼちゃぼっくりん」・・・なんてイケてるネーミングセンスだ!!
ちなみに、どちらも「かぼちゃぼっくりん」らしいです。
お出かけ先から颯爽と帰宅した まるもい(息子・2歳) が食卓テーブルに上がっていた「かぼちゃぼっくりん」を見た瞬間に恐怖のあまり大泣きしたのは、想定の範囲外でしたが、それはそれでスーパードクター冥利に尽きるのです。
そんな季節ですね。
白い季節の風に吹かれ寒い冬がやってきそうなこの季節、体調管理に気をつけましょうね。








