フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/10/04 Thu  15:04:38» E d i t
 » 黄金の覚悟 
 否応なしに変化して行くもの

 否応なしに変化させざるを得ないこと

 分岐点に立つと

 過去の思い出が急に輝いて見えて

 そこには二度と戻れないこと知ってるのに

 戻りたくてすがりつきたくて

 離したらまた捕まえるまでどのくらいかかるだろうか

 捕まえておいたって力尽きるまでどれくらいなんだろうか

 なんだかなぁ・・・

 10月の分かれ道

 
 BUMP OF CHICKEN 「firefly
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2012/02/22 Wed  02:40:27» E d i t
 » ひとつ 
さて、「サブリナ」に続いてもう一曲。

長渕剛の「ひとつ」だ。この曲はラジオ局側のパワープレイではなく、リスナーからのリクエストで掛かる割合が非常に多い。ラジオ好きな人なら分かって頂けるであろうが、リクエスト曲は自分の思い出が籠もった昔のヒット曲やあまり一般的に知られていないようなマニアックな歌、あるいは流行りのドラマの主題歌なんかが多く、曲そのものの良さでリスナー側からのプッシュで数多く流れる曲は、今の時代じゃ珍しいように思う。こう、聴き手の芯に染み入る歌、感情移入しやすい歌というのは、ラジオでプッシュされると「時の歌」になりやすい。

「吾亦紅」がそうだったし、遡れば「愛は勝つ」もラジオでつないでテレビでホームランした典型例だ。


長渕の魂のボーカルだの、心の声だのとややこしいことは抜きにして、すごく優しくて大きな歌だと感じる。
 ただこの歌だけを単独で聞いてもそう感じるだろうし・・・「とんぼ」しか知らない人には何だか分からない話だろうけど・・・これまで彷徨い続けた長渕ソングがここに流れ着いたのだという、大河ドラマを見いだすことができる。


私が好んで聴いていた頃の長渕ソングを文字通り「ひとつ」に集約したような歌詞と、聞き取りやすいスローテンポのメロディーとが沁みてきて、聞いていると自分の中に流れ込むようで、その流れ込んで来るものが自分の中で滞っていた色々な物を涙腺に運んで来る。車を運転中に流れて来ると、危ない(笑)。



口ずさんだ歌詞に「順子」の歌い出しがあることに気づく。悲しみを抱きしめて共に生きるというのは、私が聴いていた頃の長渕ソングの根底に流れる深い優しさを思い出させてくれる。 腰を下ろしてふさぎ込んでも見つけられなかったあの日の答えは、今でもやっぱり見つからないけど「悲しみを抱いて君と一緒に共に生きる」と決めた自分がここにいる。サクラ舞い散るあの橋のたもとに「君」を探したけれど、会えなくて、ずっと探して、流したキラキラ光る溢れる涙はきっと「君」に届くだろう。永遠の幸せを探しても見つけられない姿には、私が好きなあの頃の「幸せはなるものじゃなく感じるものだ」という、答えは自分の中にしか無くて、自分で決める以外に方法はないのだという姿に“至る前”の逡巡していた季節が重なる。


長い長い時間を、青春の暗い闇を、長渕と過ごした私たちへのアンサーソングと、東日本大震災の先にある新たな時代への高らかな宣言。

 そう感じるのだ。


これから一緒に育つ歌、一緒に歩いてきた歌、これからも一緒だと歌う歌。


つーけまつーけ♪と楽しそうに歌うのも歌なら、鼻歌うたいながら泣きそうになるのもまた、歌。
 見た目のパフォーマンスも、味わいながら聞くのもそれはそれで大切なのだろうけれど、やっぱり歌は口ずさんで、歌ってこそ歌だというのが私の考え。

 なんだか、久しぶりにそういう歌がラジオから聞こえて来て嬉しくなった今日この頃。


 
2012/02/22 Wed  02:05:36» E d i t
 » サブリナ  
 ここ最近、ラジオを聴いているとほぼ毎日耳に入って来る曲がある。

 「サブリナ」と「ひとつ」だ。


 「サブリナ」の方は私が良く聞くラジオ局のパワープレイで流れているのだが、最近の歌手にしては珍しく耳に残る曲だ。耳に残ると言えば「つけまつける」という曲が我が家の子供たちが歌うパワープレイになっているのだが、アレはアレで曲として上手くできてるもんだと感心する。しかし、きゃりーぱみゅぱみゅサンがどうしてもイロモノ的な扱いなのに対してサブリナを歌う家入レオさんは久しぶりに登場した荒削りパワーのある本格ボーカリストという扱いのような気がする。

 四六時中どこかのテレビ局に出て来るAKB48とジャニーズは別格として、たくさんの人たちが「この時代」を共有できるような歌というものが少なくなった気がする。その理由はテレビがバラエティー全盛で音楽番組が減ったことや、そもそもテレビさえも誰かと見るでもなくケータイワンセグで一人で見たり、音楽はCDセールスよりもダウンロードランキングを集計した方が人気度合いが分かりやすかったり、ダウンロードした音楽は携帯音楽プレーヤーなんかでひとりで聞く場面が多くなったからなのだろう。
 

 きゃりーサンは積極的にYoutubeでPV動画を配信したりしてるし、まぁなんか時代が変わっちゃったってことなんですよ。これは。

 松山千春がデビュー前に足寄から毎週新曲を携えてSTVラジオに通って、プロデューサーの方と曲作りをしながら、ラジオ番組とリスナーと一緒に松山千春というアーティストが育って行って全国区の大人気を博したなんていう時代はとっくのとうに過ぎちまったワケで。

 
 「一緒に育つ」というのは、日本人の好きなことなのかも知れない。けれど、宇多田ヒカル以降(なのか・・・)ボーカリストは完成品の状態で世の中に登場することが多くなった気がする。椎名林檎もaikoも大塚愛もmisiaも絢香もアンジェラ・アキも、ほとんどがデビューの段階で音楽性が確立された状態で登場して来て、それを良い意味で裏切らず、悪い意味では壊さずにいる場合が多い。椎名林檎は敢えて虚像を壊しに掛かるけど、自らの才能はそれを上回っていて破壊しようとすればするほどに椎名林檎が膨らんで行く感じかな。
 
 逆にモーニング娘。やAKB48などのアイドルグループは、荒削りどころかそこら辺の石を拾って来て磨いて磨いて光らせるというパターンが受け入れられるらしい。見ている側がハラハラしてしまうほどに素人丸出しのヘタクソで、「一緒に育つ」の典型例だ。結局、モーニング娘。の今のメンバーはテレビに出ていない分、リスナーやオーディエンスと一緒に育って行く機会が少ない。ドリームモーニング娘。で再結成した初期のメンバーは泣き笑いをテレビ番組で逐一放送されて、視聴者がそれと一緒に成長したのだった。
 AKBに至っては、秋葉原に行けば成長して行く本人たちに会うことだってできちゃうんだから秋元康さんはスゲーことを考えるもんだと感心する。
 
 
 成長型ボーカリストの代表と言えば安室奈美恵になるだろうか。とにかく「平坦な感動に興味は無い」とばかりにステージ上の彼女の変貌過程と成長ぶりからうかがえる精神的なタフネスと情熱と努力と才能は、彼女が十代の頃から見続けている人から見れば、常に憧憬の対象であり続けるだろう。
 同じ時代に出て来てくれてありがとうと素直に言える存在だ。あ、そういえば中島美嘉も成長型かな。

 
 さて、家入レオである。
 家入レオは完成品なのか、「一緒に育つボーカル」なのか。

 勝手な予想ではあるが、レオさんは後者だと思う。
 声なんだよな~。良い声。キレイな声でないんだけど、味がある声。音域が広いとかとてつもない高音域が出るとかそういうことじゃない。真似したくなるパッパッパパパ~♪自分の作詞作曲の域を越えて、たくさんの作詞家さんや作曲家さんから愛されるようなボーカリストを目指して欲しいと切に願う。

 それも、ある程度「家入レオ」を確立してからということになるのだろうけど。

 どんな風に成長して行くのかワクワクするようなアーティスト、こちらに力が伝わる「サブリナ」。
 たくさんの人が口ずさむことができる歌詞やメロディーというのは歌や曲として結構重要なことだと思う。どんなに伝えたいことがあっても、どんなに魅力のある歌声でもそれが難しければそれはやはり世間にはなかなか沁みて来ない。

 
 デビュー曲にして、CD発売前からいろんなところで話題になってすでに耳に残っている曲って、改めて言われなきゃ気付かないけれども、凄いことだ。



 長くなったので冒頭に書いた「ひとつ」については別記事にて。

2011/09/28 Wed  05:30:03» E d i t
 » 星のラブレター 
 それは高校生の頃。

 テスト期間中で部活も休みだってのに、小雨の中をわざわざいつもの地獄坂のランニングコースを二人で走ってた。

 やりきれないモヤモヤは、走り出さずにいられない。

 走ることで何かが変わるとも思えない、でもやり場のない思いは俺にも十分なほどに伝わって来て何だかその場に黙っている事もできないほどに痛くて苦しくて、走り出さずにはいられない。

 

 その日は友人が初めて好きな女の子に告白して、フラれた記念日。



 誰かに話さずにはいられない性格のアイツと、なぜだかその話を聞いてしまう場所にいた俺とのモヤモヤは走ることで何かが変わるとは思えないけれども、走り出さずにはいられなかった。なんでアイツの気持ちと俺の気持ちがこんなにシンクロするのか分からないけれども、とにかく走ったんだ。小雨の中を、いつも部活で走る地獄坂のランニングコースを。


 
 我ながらアホだなと、今の私からはそう思う。
 今なら、酒を飲みに行って話を聞いて・・・そんな感じになるんだろう。


 

 気の合う仲間みんなで集まった夜に、アイツが持って来たCDのお気に入りの一曲をただひたすらリピートして聞いていた。それがBOOMの「星のラブレター」。
 夜通しくだらないことを話しあって、笑って、しょげかえって、誰かが持って来たギターで騒いで、朝日がキレイだという海岸線なのにどんより曇り空の中をぶらぶら歩いて帰って・・・


 
 仲間のひとりがケータイの着メロで「星のラブレター」入れてたのを聞いて、なんか涙が出て来た。




 ・・・ちょうどあの日、俺も別の高校に行ってた好きだった女の子に彼ができたらしいって聞いたんだった。
 


 でもきっと、ひとりじゃ走らなかった。
 何だかわからないけど、めったくそにペース配分無視して二人で走ったっけ。


 どうしようもないものに涙なんて出ないから、だからしょうがないからやり場のない思いを吐き出したかったんだよな。そんなずぶ濡れ青春1ページ。
 
2011/08/24 Wed  02:15:57» E d i t
 » 道標 
 福山雅治がイイッ!

 良いのですよ、とても! 皆さん。


 考えても見て下さいよ皆さん。

 福山さんは私が高校生だった頃に「ちー兄ちゃん」だったワケですよ。その後、小雪(のりピー)と血が繋がっていないことが発覚したりして「アンちゃん」こと江口さんに思いを寄せていた小雪(のりピー)さんと結婚したりしちゃったりなんかするワケじゃねぇですか!羨・・・いや、その当時はのりピーだってまだ~・・・


 ちー兄ちゃんが、モデルで歌手で俳優で売れっ子ラジオパーソナリティーで・・・ってことは芸能情報に疎かった高校当時の私でも分かりましたよ。でもね、あまりにも色々あり過ぎだろ?才能??才能がオーバードライブしちゃってるでしょッ!震えるぞハートッ!刻むぞ波紋のビートッッッ!!山吹色のオーバードライブでしょうがッ!!こんちくしょう!!

 ぶっちゃけ、意味も無いジェラシーを感じるワケですよ。

 分かりますよね?このジェラシー。むーねに嵐あはんは~ん、お・と・こ と お・ん・な はす~れっちが~い~で有名なあのジェラシーですよ。


 そんな「強敵」を素直に受け入れられるほど当時の私は器の大きな男ではなかったので「俺には俺の道がある」とでも言わんばかりに福山さんを回避しつつ、チャゲアスに熱狂して行くことになるのであった。(つづく)


 

 ・・・じゃなくて(笑)



 福山さんが歌手として頭角を現してきた1990年代初頭はハード面としてのカラオケの普及と共にソフトとしてのJ-POPが花盛りの頃で、流行の最先端という感じの歌では無かったんですよ。どちらかと言えば古臭い感じがどこかに残っているミディアムなテンポというか、沢田研二が歌う歌のようなそんな印象だったんですよ。

 で、秀樹派の私としては何かイマイチ福山さんの曲にチューニングが合わせ切れないままで約20年を過ごしてきたのですが、幾年月を共に過ごし彼も私も変化を続けた結果、「リ~ンリンラ~ンランと走り続けることだけが熱い人生ではなかろうよ」と壁際に寝返りをうつことを覚えてからのこの数年間は、完全に「兄貴」としての福山さんにぞっこん惚れこんじょりますです。
 私の青春期に常に福山雅治の曲はそばにいてくれたワケですよ。意図せずともその楽曲は私の耳に届く場所に常にあり続けて来たのです。ラジオでもテレビでも。だからよくよく考えてみたら20年間、そういう位置に居続けることができるようなポジションで福山さんは活躍を続けられて来たということですよね。
 
 才能だけじゃないんですよ。やっぱり。
 努力とかモチベーションもハンパねぇんですよ。

 5歳ほど年上のちー兄ちゃんが、私の人生のちょっと手前を突き進んで導いてくれているみたいですごく頼もしくて嬉しい。そういう存在になって来たんですよ。私にとって。

 ハイ。惚れこんで以前の曲たちも聞き直してみたならば、沢田研二が歌う歌のようなあの頃のメロデーも今から振り返れば「一本筋が通った楽曲作り」というか何と言うかそういう印象に捉え直すことができるんですよね。
 フォークソング魂というか。


 「道標」(みちしるべ)という曲がすごく好きです。


 
 どっしり落ち着いた一本気なフォーク魂なのだけれども、福山さんが演るからスタイリッシュに心に沁みる。この年代になって色々と世の中で立場が変わる中で改めて気付かされる事や思い知る事ばかりで、その度に「否応なしに時間の流れとしての年を取って行く自分」と「それなりに良い塩梅で世間の中に居場所を作って年を取って行けている自分」とがクロスして感慨深いような、なんだかちょっと切ないような気持ちになることが多いのですが、そんな気分と福山さんの歌声とメロデーとが・・・


 
 もうなんて言うか「需要曲線と供給曲線が高いポジションで重なり合う、まさに理想的な市場価格ッ!」みたいな感じです。



 今、まさにこの世代の自分と一緒に歩んでくれる「道標」のような曲に出会えたこの幸運。


 絶対零度のクールに徹した男のように見えていたが、炭火のように炎を上げずに熱く長く燃え続ける男が哀愁漂う大人の色気を身に纏い・・・これじゃもはやッ・・・ジェラシーではない!
 この思いはシンパシー。風に吹かれ迷いゆれて歩くこの道、あなたの笑顔それが道標。

   
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