フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/09/11 Tue  14:40:03» E d i t
 » ○つけ 
 もうあっという間に時間が過ぎるので、我が家では日曜、祝日関係無しに小学生になった子どもたちに百マス計算なるものを日課として課している。

 →百マス計算


 ・・・まー、小学生時代の俺ならまず絶対にやらないな。うん、やらん。

 
 そして、毎日分が溜まりに溜まって親に叱られて、それでなくとも面倒くさくてヤル気が出ない勉強を、涙溜めながらムリヤリやって、さらに嫌いになって行くという黄金パターンに突入だな。


 ・・・と、自分を省みましてですな。


 どうやったら、嫌々ながらでも毎日続けられるのかな? と考えたワケですよ。
 押し付けたってやらないだろうし、どう考えてもこれが楽しく思えるようになるまでは相当な時間が必要になるでしょう。


 だから、考えたのですよ。


 毎日、子どもたちが回答した分をせめて私が○つけをしてあげることにしよう!
 間違ったところでわざわざそれを嫌味たっぷりに指摘したりせずに、スポーツ感覚で毎日の頭の体操くらいの心構えでやって行ってみよう!


 するとどうだろう。


 まぁー、ホント初めてから何週間かでこれがまた見る見る間に早くなってく。
 早ければ正答率が下がるかと思いきや、これまたお見事に正答率も上がる。


 そして、今度はこっちが毎日の○つけが追いつかなくなる。


 大人の方が決まった時間を取るのが難しいということに今さらながら改めて気付く。



 あぁぁぁぁ、くそぉ、子どもたちに「やれ」と言っておきながら、手元に溜まって行くこの○のつけられていない答案の山よ・・・


 ガンバレ!お父さん!!

 
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2012/08/08 Wed  08:44:22» E d i t
 » 風は吹かせられる 
 テレビを見る度に♪風が吹~いている~ と聞える昨今ですが、オリンピック代表になれなかった、あるいは敢えてならなかった「寝不足JAPAN」の皆様、おはようございます。

 こちら、ちょっと前の30℃オーバーの日々から一転、急に夜中の最低気温15℃から昼間の最高気温22℃くらいまで下がってしまって、涼しいを通り越して寒ささえ感じてしまう夏なのか秋なのかもうすでに分からない状態の北海道です。
 ・・・立秋すぎたんで秋でしょう。

 ビアガーデン的な地域イベントも真夏に合わせて開催したはずが、完全に夏休み最終週的な気候のおかげで、盛り上りはするものの、主戦力であるビールの売れ行きがはかばかしくなくて実入りの少ない状態になったりするありさまです。
 とりあえず井上陽水の「少年時代」でも聞いときますか。
 夏が過ぎ風あざみ。 



 田舎町でもさらにローカルな域内で、みんなが自分たちの仕事を持っている中で、それとは全く別なイベントを運営しようというのだから、たくさんの人たちに対して営利目的でやっている大きなイベントと同列に語ることができるわけがないのです。

 それでも車に乗ってわざわざ出かけて行って、なけなしの金と小さな満足感を交換してわざわざ車で戻ってくるのに慣れてしまっている中で、自分を含めて周囲の人たちが楽しめるようなイベントを自分たちでやって行こうとする動きが出て来たのはとても素晴らしいことだと思うのです。



 私がブログを書き始めた20代の終盤には、私自身、出身地に住んでいながら地域社会との繋がりが実に希薄でした。ブログを熱心に更新し続けたのは自分という存在の危うさに危機感を覚えていたからという部分は偽らざる本音です。
 同じような寂寥感や孤独感、迷いながらも夢を追いかけて同じ時代を共に生きて行く仲間たちとブログを通じてお互いに偽名同士で交流する中で、私はこの時代に自分の本音をアジャストメント(適化)させて行く方法論を学んで行きました。

 つまり、フクフク丸というネット上の存在が、現実の「私」を成長させ、その「私」をデフォルメしたフクフク丸をネットという空間に解き放つことによって、また新しい仲間や知恵や知識を得るという「二面性の蜜月」的な流れの中で自分の世界を広げることができています。

 ひとえに、皆様のおかげで成長させていただいております。

 そして、おかげさまで実生活に於いても私の前後10歳圏内の仲間が増えました。

 
 上にも下にも、年齢順で物事を考える事はあまり好きではないのですが、前後10歳圏内(もっと絞れば自分±5歳)の人たちというのは、だいたい人生における大きな出来事が似通った時期に訪れるんですよね。

 だから、10歳年上の人たちの話を聞けば自分の道を誤る確率が減り、10歳年下の人たちの話を聞けば自分が歩んだ後から来る人たちのためにもあまり情けない真似はできないと気が引き締まります。そういう、一緒に歳を取って行く「ひとカタマリ」ができると、今度はそのさらに25~30年ほど年下にまたひとカタマリができるんですね。

 そう、子どもたち世代です。


 そう考えると、たくさんのカタマリの中で自分が生きていて、生かされているということが実感できるワケです。自分ひとりでは到底できなかったこと、やろうとさえ思わなかったことが、カタマリになるとできるようになる、やるようになるという発見は、私の中では革命的な出来事でした。


 そんな「普通のできごと」の中に、改めて「自分の中の小さな革命」を見出すことができる能力というのは、間違いなくフクフク丸を継続するために磨いた観察眼や、ネタ化のチカラです。そしてそれは、ごくごく「当たり前の集まり」を「特別なカタマリ」に変化させるチカラになり得ることを実感しております。

 
 そう。私たちはこの閉塞の時代に一塵の風を吹かせることができる。


 おかげさまで、さまざまな行事に楽しみながら参加し、かなり失敗しながら、たまに上手く行きながらみんなで笑いながら生きてます。これからも、風を吹かせて行きましょう!

 
 

 ※現実側にいる仲間たちには新たに「フクフク丸」にリンクしようとは思いわないのですが、フクフク丸側にいる皆さんにも仲間として「現実の私」にリンクしていただけるような何かが無いものかと考えておりましたが、今年の春に友人に誘われてfacebookを始めました。

 当初は実名登録での交流に戸惑うこともありましたが、なんだ始めてみれば結構、偽名登録あるじゃんか(笑)。まぁ、それはそれで、登録して繋がっておけば私の更新する記事も見られますのでそちらも是非。
 みんな「繋がり」を求めていて、そして繋がる事でつまらないと思っていたそれまでの日常が少しでもきらめくのであれば、それが良いのだろうと思います。
 私は、さらにその繋がりで何をできるのかを模索しているところです。

 よろしければ、facebookでも交流しませんか?
 鍵コメでも頂ければ、速攻で友達申請しちゃいますので(笑)。
 
 
2012/05/30 Wed  18:05:46» E d i t
 » あっという間 
 長女(9)が、赤ちゃんの時から知っていてこの前3歳になった小さな子が話をできるようになったのを聞いていてしみじみと言った。


 「あっという間なんだね。お父さん。」


 それを聞いて、私の胸に去来した思いもまた「あっという間なんだな。早いな。成長するのは。」だった。  
 あっという間だ。本当に、オマエが言うとおりだ。


 過ぎた時間は「あっという間」だ。



 今、積み重ねようとしている時間は「あっという間」には過ぎない。


 自分が嫌だな~と思っている事ともなればなおの事「あっという間」には過ぎない。
 
 そういう「あっという間には過ぎない時間」を積み重ね、積み重ねて辿り着いた現在から振り返れば、何もかもが「あっという間」に思えてしまう。




 でも、昨日生まれたばかりの人間の赤ちゃんが、今日もう歩き回って話をしていることなんて有り得ない。
 
 ずーっと、ずーっと、泣き続けて、眠り続けて、たまに笑って、病気して、心配掛けて、周囲を幸せな気分にさせたり、困らせたりしながら「あっと言う間には過ぎない時間」を積み重ねて現在はできているんだよ。

 それでも人は、過ぎた時間を「あっという間」に感じてしまうものだ。

 あっという間に過ぎてしまった時間は、取り戻せないから愛おしい。
 あっという間に過ぎてしまった時間は、戻れないから狂おしい。


 だから「あっという間には過ぎない現在」を大切にして欲しい。
 


 そう伝えた。伝えてみた。



 何となく、分かったような分からないような顔して、彼女は日記を書くために机に向かった。

 

 何となく、分かったような分からないような自分にそれで良いと言い聞かせた。
  
2012/04/30 Mon  09:35:45» E d i t
 » かくれんぼ その4 
 今や国民的人気漫画となった「ワンピース」。

 主人公ルフィの「兄」エースが“別れ際”にこう言う。
 「(こんな俺を)愛してくれて・・・・・・・・ありがとう!!!」


 話の内容を端折ってただセリフだけ抜き出すと何の感動も伝わらなくて申し訳ないのだが、その辺はワンピースを読んで頂きたい。
 漫画はある程度読んで来た方だとは思うけれども、おそらく(どのような場面設定であったとしても)素直に「ありがとう」を言った少年漫画のキャラクターはそんなに多くないはず。照れ臭いから言わない。セリフとして使わないワードだったんじゃないだろうか。「サンキュー」「グラッツェ」「どーも」とかなら何度か見たことあるけど「ありがとう」は滅多にない(はず)。


 

 
 
 この「ありがとう」という言葉、伝えそびれたことがあまりにも多いことにふと、気付く。


 自分は自分だけで生きていると勘違いするのは、それは恐らく前を向くことで精一杯だから。
 運の良いことに、私は自分自身を見失った時にも、そうでない時にも必ず、自分の傍に“仲間”がいてくれる。そして“仲間”は、私にとって指針であり、エールであり、時に壁であり、そして宝である。

 
 この“仲間”と共に過ごす時間や経験=人生こそが「ひとつなぎの財宝」なのではないだろうか。




 子供の頃に出会った仲間、小学生の頃、中学生の頃、高校の頃、大学の頃、社会に出てから、つい最近・・・自分が生きて来た時間の中でたくさんの仲間ができる。
 
 先日、私は「大人になってから仲良くなった友人」宅でエキサイティングな体験をした。


 酒飲んで互いの来歴を語り合って、共通の趣味の話題で盛り上がって・・・というのは良くある風景だが、その友人とは「説明不可能な共通項」が多過ぎるという不思議な感覚がある。

 たまたま思いついた一言が、二人の中の「小学5年生の自分」を焚きつけてしまった。

 もともとは共通の知人に贈るためにスケッチブックに二人で描いた合作の「マッスルドッキング」のイラストがキッカケだった。

(マッスルドッキングとはキン肉マンに出て来る、キン肉マンのオリジナルホールド、「キン肉バスター」と「キン肉ドライバー」の合体技であり、キン肉マンとキン肉マングレートが協力して相手タッグに仕掛けるマッスルブラザーズのフィニッシュホールドである。 民明書房刊「ああ、麗しの昭和ジャンプ」)

 友人が私の似顔絵でステカセキングにキン肉ドライバーを、私が彼の似顔絵でサンシャインにキン肉バスターを仕掛けた絵を描き、合作を仕上げる。・・・彼は全く下書きというものをせず、いきなりサインペンでさらさらとそれを仕上げ、私もそれに続く。

 

 ・・・友達と、絵を合作したことはありますか?

 ・・・ある ならば、それはいつですか?

 ・・・小学校5~6年生頃じゃなかったですか?


 「このスケッチブックに、漫画を描こーよ。お互いに1ページずつ、描いている間は見ないようにして、そのページが完成したら、そのページにストーリーが続くように代わり順番で描く。どう?」と、無責任な提案をする私。



 ♪不思議なものだ 子供の頃は 大人になんてなれないの~に
 大人になれば ときめくだけで いつでも大人になれる~♪ 福山雅治「生きてる生きてく
 


 「えへへ。それ、いいねー。やってみようか。」と、ノリで受ける友人。


 そして、二人の大人が“酒を飲める小学5年生”と化して、ワクワクしながら漫画を描き始める。なんてファンタスティックなんだろう。起承転結という概念は皆無、起・転・転・転・転という“作品”が走り始める。

 漫画家になりたかった「あの頃の自分」は「漫画家になる方法」に出会っていたんだ。

 漫画家になる方法は「漫画を描くこと」だった。方法論だとか売れっ子になるための道筋だとか、そういうことは「プロの漫画家」への道のりであって、その遠き道のりと、揃えなければならなそうな道具の種類と・・・そしていつしか描くこと自体をしなくなっていた。

 描かなければ漫画家にはなれない。描けば、もしかしたらなれるかもしれない可能性が生まれる。
 「ただそれだけ」のことだった。


 自分がノートに描いた「作品」を、クラスのみんなに見せる。何らかの反応が得られる。また次の「作品」を創作する・・・ちゃんと、自分は素直にそうしていたでしょう?

 「うまいね」って言われたらうれしかったでしょう?そうじゃない反応は辛かったけど、どうしたらもっと楽しませることができるか考えたり、君には僕の作品は分からないんだよって思ったりしたでしょう?

 
 一番、大切なのはそれなんじゃないかな。
 銭、金に結びつくかつかないかよりも、やりたい事をやってるかどうか、それを世間に問いかけてるかどうかってことなんじゃないかな。


 奇しくも、彼の奥さんが「なんかすごい二人ともイキイキしてるよ」と言っていた。


 
 私は「自分の中でかくれんぼしていた自分」をハッキリと見つけたんですよ。その時に。そして、同時に「彼の中にかくれんぼしていた彼」も見つけた。それを続けられるかどうかは分からない。でも、確かにそこに二人の少年が目を輝かせていた体験は「黄金の経験」である。


 今、これまでもこうしてブログで思いを発信して、発信し続けて、誰かが共振してくれる事によって、私は見つけ続けてきたのだと確信する。探して、見つけて、また発信する。それに誰かがまた共振してくれて、その誰かが新しい発信を繋げて行く。

 
 それっぽく名づけるならば 「自分流」。

 
 


 それは別に世界が変わるような発見でも変化でもないけれども、私がこれから変わって行くには十分な発見であり、変化につながるものだと直感した。この変化はいずれ、世界を変えることに繋がるかも知れない。繋がらないかもしれない。でも、可能性はゼロじゃなくなったってことだ。


 
 そして、これまで自分を作って来たすべての出会い、出来事がどうやって今の自分を作って来たのかを遡って思ってみた。


 「ありがとう」を伝えられず来たことの、なんと多いことか。

 だから、冒頭のエースの言葉に激しく胸を揺さぶられたんだ。

  
2012/04/26 Thu  03:33:26» E d i t
 » かくれんぼ その3 
 期せずして始まった「かくれんぼ」。

 隠れているのが小学5年生の自分だとしたら、その自分は世の中を歩んで行くにはあまりにも弱くて簡単に騙されて、折られて潰されちゃうくらいだろう。

 「素」にあるものがどれだけ面白くても、生きていけないくらいの純粋と世間知らずは同義。生活に余裕のある人が認めてくれるほどの才能があるんだったら飯を食うに事欠かないくらいにはなれるかもしれないが、自分が思うような未来を獲得して行けるくらいの常識や通念を覚えることと、社会と折り合いをつけるくらいの調整力をつけることは必要なことだ。いやむしろ、それらを学ぶために実践しながら失敗しながら今を生きていると言っても過言ではないような気さえする。 


 だから一旦、自分が身につけた背伸びや虚飾や抜け殻みたいなものでかくれんぼするのは実は正解なのかも知れない。弱い者は自分よりも弱い者を見つけるのが得意で、見つけたら必ずいじめるようにできている。ピュアな自分を守るための最善の手段はもしかしたら、背伸びや虚飾でガードすることなのかもしれない。

 
 「誰かに評価されるための努力」「何かに合格するための勉強」そんなものに意味は無いと、大人になってから出会う書物にはそんなことがよく書かれていて、若い頃には妙にそれに納得したりもする。しかし、飯を食って行くためにはそんなキレイゴトは通用しない。努力は目に見える結果を伴って始めて評価を受けるし、勉強は実を結んでこそ意味を為す。
 どんなに努力しててもそれが自分を含め周囲の誰にも安らぎや富をもたらさない物事は好評価は得難い。そして好評価というものは期待値すなわち応援されやすさを表すから、生きて行くためにという理由から努力には必然的に優先順位がつけられる。


 いわゆる「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」ってヤツだ。

 
 「やらなきゃいけないこと」の中に実は「やりたいこと」がかくれんぼしている場合もある。だけど基本的に「やらなきゃいけないこと」は自分にとっては縛りに感じてしまうから、本来的には優先すべき事柄なのに面倒臭がってやらないから「やりたいこと」にまで辿り着かない。


 本質的に「自分を伸ばして行くもの」と「窮屈に締めつけるもの」とは相反するように見えながらも混在していて、窮屈な締めつけの中で自由を求めて足掻きもがくから自分が大きく育って行けるという真理はあるはずだ。 
 

 「他人にどう見られているか?」「他人からの評価はどうか?」というのを必要以上に怖れる必要は、実はない。ないんだけれども、自分の価値判断の尺度や達成度として「他人の満足」というものが含まれている事実も否定できないものだから臆病になる。

 他人の顔色をうかがうようになる。



 「もっと自信を持て」と良く言われる年頃になると、ますます自分が何をして良いのか分からなくなる。自分がやりたいことをやれば良いと言うが、まずもって「自分がやりたい事」が何なのか分からない。 


 自意識という、凄く高くて立派な割には比較的脆くてすぐにヒビが入る壁の中に閉じ込めてしまった自分がやりたかったことは、壁を作る作業に夢中になっているうちに忘れてしまうから。もう一度、あの日の自分に出会えるかどうか・・・というのは、運によるのかもしれないし運命なのかもしれない。


 「もういいよ」が聞えたら、耳を澄ませて。

 


 
 
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