フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2013/12/19 Thu  05:10:27» E d i t
 » 渡れッ! 
「石橋を叩いて渡る」とは、慎重に物事を進める様子を表現した慣用句だ。

石橋の渡り方を他人に聞き、渡るための本を読み漁り、渡るための知識ばかりはいっぱしで、渡ろうとするどころか、叩いてみようとさえしない人たちがいる。


大きな力に守られ慣れて、言われたことだけやってれば飯を食うことはできて、知識は豊富、言ってることは難しいごたくならべて大層ご立派だ。


ぐだぐだ言うのも良いけど、渡ってみなよ。

それ、朽ち木でもなんでもなくて、石橋だからさ。

もし落っこちたら岸まで泳げば良いだけでしょ。
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2013/12/05 Thu  10:28:34» E d i t
 2005年にブログを始めた頃には狭く、小さかった自分の世界。
 一歩ずつ、時にぬかるみにはまりながら、時に歩みを止めて立ち止り、迷って戻りながらも歩み続けて、随分と広がった2013年、37歳現在の自分の世界。

 輝ける大人とは何かを模索して始めたブログの世界。

 そして、もう「若い」という言葉で甘く見てもらえるような年代ではなくなり、自分の後に続く者たちさえもが広がった自分の世界に登場して来て、リスクを背負って次の一歩を踏み出せば、新しい世界が広がることを体験から学んできた自分。

 
 子どものような好奇心行動力で、
 「何もしないのが大人」だと決め込んでいるつまらない世界で
 楽しく生きて、生きて、生きて、時が来たら笑いながら死んで行こう。

 
 さ、踏み出すぞ。
 新しいこの一歩を。
 
2013/07/08 Mon  09:06:09» E d i t
 » 行事終わって引き締め直し 
 身の回りの各種大きなイベントが終了。

 初夏を彩るさまざまな出来事が集中して、その準備と段取りと実行に夢中になっている間は良いのだが、どうしてもひとつ終わり、ふたつ終わりすると、気が緩み、さらに疲労感に打ちのめされて、また集中力に欠けてくる。

 イベントも出来事も自分が好きで盛り上げるためにやっているはずが、いつの間にやら義務感やら責任感やらがくっついて来て「本来ならばやらなくても良かったものを、一回やって好評を頂いたばかりに止まれなくなる状態」になると「喜んでやっていた」ことが「やらされている」感じになり、どうしても「やりたくない自分」が出て来る。

 
 誰のために、何のために、
 自分は何者なのか。


 仲間が働いている中、集中しきれずにぼんやりしていたらイベントの先輩にガッツリ叱られた。

 
 言ってもらえて良かったと思う。


 最近、仕事でいろいろと面白い話があって、それが儲けにつながるのかどうか分からないけれども、今までとは違った試みで、取引先の相手もいわゆる役職組が増えて来て、そういう中に紛れているとどうしても自分が大きくなったように感じてしまう。

 また、無意識のうちにそういう振る舞いをするようになるし、他人を見下すような言動をしていないとも限らない。

 今回は、イベントで集まったボランティアメンバーの中でボケーッとしていたのを「みんなの士気が下がるような真似するんじゃねぇ!」と叱り飛ばされたのだが、全てにおいて自分を引き締め直す良い機会となった。


 大感謝。

 
 思い上がって、舞い上がった自分の足を地につけてくれる人が、俺の周りにはいてくれる。

 うん。

 今日もまた、歩いて行こう。

2013/07/01 Mon  16:21:37» E d i t
 » エナジー 
 基本的に「頑張る」「努力」という言葉を使うことを極力避けながら生きている私が

 「はい!頑張りますッ」という言葉を使うときは、

 ①嬉しくて、いくらでもやれちゃうってテンションの時

 ②カラ返事

 のどちらかなんだけど、昨日、久しぶりに①が自然に溢れ出てきた。



 ただそれだけで、自分エネルギーの利用効率が異常に上がったような感覚でさえあります!
 
 何かに成功したとき、思わぬヒントを手にした時。
 誰かのタイミングの良いたった一言で、上がりもすれば下がりもする気分。

 いずれにしても、試行錯誤の継続からしか辿り着けないのは間違いないな。
 
2013/06/02 Sun  10:15:00» E d i t
 » 解除 
乗用車に乗り込んで出発。
 数分後、妙に動きが悪く、ブレーキの効きがやたらと良いことに気付く。
 サイドブレーキを掛けたまま発進していた(汗)。
 
 乗用車を運転していてそんな経験、ありませんか?
 俺は一年に一度くらいやらかします(笑)。

 合気道のカラダの使い方について「普段のチカラを発揮する屈筋(もりもりマッチョ筋)ではなく、あまり意識しない伸筋(高い所に物を持ち上げる時とかに使う、よっこいしょ筋)を使う。使い慣れない身体技法(身体の使い方)を習得する時、今まで使い慣れた屈筋での運動はもしかしたら邪魔になってしまうものかもしれない」
 
 「サイドブレーキをかけながら車を走らせようとする感じ」

 という表現が先輩から飛び出し、その言葉が「ああ、なるほど」と妙にしっくりと腑に落ちたのは前述の体験を経ていたからなのだろう。
 
 そしてワタクシは「乗用車と同じくサイドブレーキは構造として有していても別段、問題なく、それを解除する方法あるいはドリフト走行のようにプラスに作用する方法を自分なりに見つけること」を自分に課してみた。

 そしてその体験と言葉を得てからというもの、いろんな「サイドブレーキ」を発見できるようになった。
 「誰かが前に進もうとする時に、それをその場所に引き止めるように働いている何かのチカラ。」

 言葉にはならないレベルで気がついていて、そこにフタをしたまま見ないふりをして自分に都合の良い理屈や言葉を縁(よすが)にして前に進もうとする。

 でも必ず心理的にブレーキが掛かる。
 どこまで行っても、進んでいないような錯覚に陥る。
 または、進めない感覚に襲われる。
 あるいは、進んできた道のりが間違いだったとさえ思い込んでしまったりもする。

 不安。というヤツだ。
 なぜ、不安になるのか。何が自分のサイドブレーキを引いているのか、どうしたらそれを解除できるのか。
 きっと、その「色々な方法」を持ち寄って、みんなで人生を前に進めて行こうとする集団が「仲間」なのかな・・・とか、ふと、思う。

 厄介な事に、そのサイドブレーキは自分でさえ隠して触れたくなくて目を逸らしているものだから、他人が触れようとしようものなら全力で守っちゃったりするものですが。
 でも、きっとそうやって他人に触れられそうになって必死に抵抗した部分を後で自分で再確認したら、ほら。

 サイドブレーキが掛かってる。

 ま、なんかそういうのをみんなで少しずつでも解除して行けたら良いな。 
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