フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2013/05/11 Sat  14:27:11» E d i t
 » 小橋建太、引退。 
 本日、平成25年5月11日土曜日。
 プロレスラー・小橋建太、引退の日。

 一時代を築いたプロレスラーがきちんとした形で引退試合ができるというのは、ほとんど奇跡だ。
 
 現役時代の強さのイメージを人びとに残したままで、引退できた日本人レスラーはこれまでいなかった。
 一時代を築いた人気選手というのは、どうしてもそこの団体の看板を背負うことになり、そのレスラーを中心とした対戦カードによって観客動員が左右されることになる。

 それは、いくら若い世代のレスラーが台頭して来ても変わらない。
 なぜならば、思い出の中の試合はどこまでも美化され、それを共有した人々が語り継ぎ、伝説が伝説を生みだして行くから。そして、人びとは「伝説に登場するヒーロー」をいつまでも手放したくはないから。


 小橋の偉大さは、総合格闘技の大波がプロレス界を襲った時代にまさに命を削ったプロレスを展開してプロレスという競技の存在価値を守るどころか高めて行ったという点にある。

 いや、それは小橋だけでは到底為し得ることではなく、その同時代にたくさんの大きな壁となる存在や団体内外のライバル、仲間たちに恵まれたこと。そして、そのひとつひとつをバカ正直に丁寧に向き合って、乗り越えて来たことでついてきたファンを裏切らなかったことによって成り立っている。

 つまり、小橋はもはや 「小橋建太という名の時代」 でさえあるのだ。

 同じコーナーに立って、小橋に背中を見せ続けた偉大なる緑の彗星・三沢光晴はリング上で命を落とした。
 対面コーナーに立って、小橋を叩き続けた川田は実業家となったようだし、田上は三沢の跡を継ぎ、NOAHの社長になったが、レスラーとしてはリングに上がらない日が多くなったみたいだ。

 翻ってみれば、ジャイアント馬場は生涯現役と結果的に言われるが、病没。
 ジャンボ鶴田だって肝臓の病気と戦いの志半ばで、手術中死亡。

 そう指折り数えてみると、引退撤回して復帰したレスラーを勘定に入れなければ衆人環視の中でプロレスラー人生に幕を下ろすことができる日本人トップレスラーは、アントニオ猪木以来だろう。

 
 小橋はマイクアピールもせず、プロレス以外のテレビ番組に出演したり、その他目立った活動をほとんどせずにトップレスラーになっても新人レスラー以上の練習量をこなしていたのだから、プロレスファンにとって、まさに歯がゆいほどの正直者である。

 小橋が一声発してくれれば、プロレスはもっともっと世間に届くだろうに!と、少なくとも私はずっと思い続けて来たが、ついに小橋はそれをしなかった。小橋の表現方法はプロレスだった。

 
 腎臓ガンと戦い、そして克服した時、小橋建太は世間に通じた。
 しかし、歴戦の傷痕が次々に大きな怪我を呼び、欠場が続く日々。世間に通じても、小橋の名前で観客が来ても、そこに小橋がいなければ・・・歯がゆい。

 小橋は目標に到達するために努力するタイプの人間ではなく、努力を積み上げて行くことでどこまで行けるのかというプロレス道邁進タイプのレスラーである。到達点が無いから、どこまでも強くなる。

 が、それは同時に独尊でもある。
 他人の評価よりも自分の信念を優先させる人間は、自分が置かれている立場に無頓着であるという気質を併せ持つ。ファンを大切にする男ではあるが、きっとプロレスラー小橋は、それだった。

 自分を必要以上に大きく、実際以上に強く見せることがプロレスラーの気質である日本において、実に珍しい。
 大きく「見せる」必要が無いのだ。だって、大きけりゃ良いんだから。
 強く「見せる」必要が無いのだ。だって、強けりゃ良いんだから。
 
 だから余分なアピールをしない。
 そこにプロレスファンはシビれたが、だから世間に伝わらなかったという部分も同時にある。
 

 満身創痍の中、遂に小橋建太のプロレスをできなくなったという理由で、引退を決意。


 今日の武道館は、涙雨で良い。
 笑顔の花道で有る必要なんてまったくない。
 涙のプロレスが伝説になったって、良い。




  
 
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2012/06/06 Wed  18:22:01» E d i t
 プロレス界には、ある程度アマチュアスポーツで結果を残してからプロレス入りする選手がいる。
 最近の有名どころでは柔道の小川直也なんかがそれに当たるのだろうが、オリンピックとかでも結構強い選手がいるのにあんまり世間的に目立たないのは男子のレスリング日本代表。
 裾野の広さは柔道ほどではないだろうが、たくさんの選手たちの中でしのぎを削り合って好成績を残すまでに20代半ば以降までレスリングに打ち込んでからプロレス入りした選手が最近では多い。
 が、目立った活躍ができる確率は半々くらいだろうと思う。

 そういう入門時期が遅かったアマレス選手の中でもNOAHの杉浦貴、全日本の諏訪魔なんかは活躍しているレスラーの典型例。
 しかし「アマレスでは本当に強かった」と言われ続ける本田多聞は伸び悩み組の筆頭で、NOAHの青木篤志や谷口周平もどちらかと言えば本田寄りの評価だった。


 ジュニアヘビー級の青木は周囲に同年代でありながらプロレス歴が長い選手たちがいて、ライバル関係には事欠かない中、必然的に自らの立ち位置のようなものを見つけ出さざるを得ない状況で、今は“ある程度以上”のところまで上がって来ている。
 一方、谷口は恐らくは生来の物なのだろう「引っ込み思案」がリング上の戦いでも垣間見えてしまうのと、ヘビー級で谷口と張り合うような年代の潮崎はヘビー級のチャンピオンを経験して「格」が上がってしまい、他の選手たちはキャリアが違い過ぎて、観客の認知度でも技の浸透度やインパクトでも「泣かず飛ばず感」が板についてしまっていた。


 体つきや来歴を見る限り、観客には“期待以上の爆発力”を求められる。
 先輩レスラーたちには“喰らいついて来る感情”を求められる。
 本人は目に見える“勝利という結果”を求めている。


 しかし、谷口が谷口である限り、バックボーンであるアマレスのスタイルを拭い去ることはできないし、むしろそれを前面に押し出すことが谷口のレスラーとしてのポジションが作られて来ていた。

 「強そうなんだけど、地味」
 「肝心なところで、爆発しない」
 「見ていて、面白くない」
 
 
 谷口の哀しみは、表情が少ないということに尽きる。
 もともとの顔つきというものを補って余りあるだけの無愛想感、感情表現が下手くそ。


 ヘビー級のトップ戦線に食い込んで欲しいという周囲の期待に応えられない日々。

 ならばいっそ、いっそ、感情表現という表現手段を一切消し去ってしまうというのはどうだろう?
 
 と、考えたのは現在、反体制派「NO MERCY ノーマーシー」を引きいるKENTA。
 そして誕生したのが


 マイバッハ谷口


 テキトーに作った感たっぷりのお面と、馴染みのないカタカナ語。

 プロレス雑誌の中で、他団体の選手たちがインタビューで悪ふざけして、うだつの上がらない選手には「マイバッハ」を名乗らせよう!と嘲笑の対象にされるどころか、プロレスファンの間でも失笑の企画モノ扱いでした。・・・でした。すでに過去形です。


 
 マイバッハに変身した谷口は、苦手だった感情表現をする必要が無くなったのです。そして、観衆の前では言葉さえ発しません。マスクと、存在と、動きで自らのプロレスを表現するという、特殊な立ち位置に立つことになったのです。


 そしてマイバッハは、これまでの良い子ちゃんレスリングなファイトスタイルを180度転換。

 凶器は使い放題、場外で暴れ放題、そしてパワーで相手を投げ飛ばし放題のヒールへと変貌。観客も当初は戸惑いました。だって、マイバッハのキャラになっても谷口が丸見えなんですから。マイバッハのマスク、鼻から上の、しかも顔の前面しか隠れないという仮面舞踏会みたいなマスクで、それ自体がすでに中途半端感を感じさせましたし、「谷口のことだ。やがて中途半端感が出てしまうんだろ」的な見方が大勢を占めていても何ら不思議はないことです。


 ところがどっこい。


 1990年代に馬場さんの全日本プロレスが標榜していた「明るく、楽しく、激しいプロレス」をそのまま引き継いだ三沢NOAHの不文律「正々堂々で不透明結着の無い分かりやすいプロレス」をマイバッハ谷口は試合の度に激しく暴れた末の反則負けを続けることによってぶち壊したのです。


 また、そんな試合を続けながらも、シングルマッチで勝つべき相手には強引にでも勝つような試合をした。

 
 そして、いきなりの王座挑戦。
 だが、結果は返り討ち。

 しかしどうだろう、プロレス雑誌の異様な光景。
 王者の森嶋を応援する「モリシメガホン」か「マイバッハお面」という即席応援グッズが配られたらしく、厚紙でこしらえたマイバッハお面を被った大勢の観客が楽しそうに映っている。

 それ、私にもくれませんか(笑)?

 
 窮屈な時代の中で、私たちはガス抜きをする場所を探しているんですよね。
 プロレスはファンにとってはかけがえのないその場所なんですが、いつの頃からか決められた枠内での満足感を押し付けられていたのかも知れません。知らぬ間に。団体毎のカラーがあるんだからそれはそういうものなんでしょう。

 しかし、マイバッハ谷口は予定調和の団体と観客の関係性にも一石を投じた。


 そして、マイバッハの背中に自分の現状や苛立ちを重ね合わせて、ぶっ壊したい衝動を代弁してもらっている人たちが増えて来ている!!


 突き抜けて、ぶっ壊せるのか?マイバッハ!!
 中途半端な立ち位置に戻ってしまうのか?谷口??


 プロレスは、相変わらず面白いなぁ。
2011/11/24 Thu  18:00:25» E d i t
 » やさしすぎた大男 
 私は小さな頃から同年次の仲間たちよりも身長も体重も大きく、時には一緒に遊んでいても兄弟に間違われるほどだった。だからと言って上級生と互角の力を発揮できたわけでもなければ特段、優れた運動神経を持っているワケでも無かった。


 同程度の運動神経の仲間と相撲を取った場合には身長と体重の分、ちょっと有利かな程度のところが関の山なのだ。そういう子供がジャイアンのように育つ場合もあるが、基本的には体格差を利用してケンカなどをした結果、相手の攻撃がからっきし効かない上に予想以上に相手を打ちのめしてしまったりして、その現実に自分で自分のサイドブレーキを引くような出来事がどこかで起こる。自分で気づいてどうしようもない感情が溢れて来てその場に立ち尽くして、打ちのめされて泣いている相手と一緒に泣くことによって自ら気付くのか、あるいはその状況を目撃した大人や他の友達にこっぴどく叱られたり諭されたり、時には集団で逆襲されたりして、仲良くやって行くには「この力は隠しておこう」ということになる。


 
 だから、小さい頃にヤンチャだった子供がクラスでも身体が大きかった方だということは滅多にないはずだ。
 基本的に、何かに向かって行くタイプというのは小さい子に多いと思う。判官びいきとは良く言ったもので、小さいものが大きいものに立ち向かって行く時、自然と小さいものの方に声援は集まるようになっている。たとえ大きい物のほうが言っている事が道理に叶っていたとしても、小さいヤツがガムシャラやってる方が声援は集めやすい。

 私の場合、大きな身体は力の発散場所が運良く見つかりもせずに持て余され、「この力は隠しておこう」という頑丈な心の鍵のおかげでその能力を引きのばす機会にも恵まれず、果ては「宝の持ち腐れ」だの「ウドの大木」だのと散々な言われようをした。
 そんな心無い言葉が耳に届くたびに「じゃあ、どうしたら良いんだよ?」という葛藤に苛まれることになる。


 好き勝手やれば良いのに、悪者にされる事がイヤだから、いつも他人の目を伺いながらおっかなびっくり生きている。そんな感じ。それでもそういう物からはかなり解放されて来たとも思うけれども、やっぱりどこかであの時に掛けた鍵を言い訳にして、本気出したらこんなもんじゃないとか思ってる自分がいるのは事実だ。


 三つ子の魂百までとは言うが、子供の頃に培われた性格の素地というものは大人になっても結局は続く物だと思う。


  
 私はプロレスが好きで、つい先週もNOAHの「グローバルリーグ戦2011」を札幌に見に行って来たばかりなのだが、そのリングで戦っていた大型外国人レスラー、バイソン・スミスが昨日、プエルトリコにて急性心不全で亡くなった。 


 バイソンはつい最近、小川良成に必殺技・バイソンテニエルで不慮の怪我を負わせてしまい、その影響もあったかどうか戦績もいま一つと言った感じでリーグ戦最終戦のKENTA戦を迎えていた。


 KENTAは軽量級(ジュニアヘビー級、83㎏!)の体でありながらNOAHという団体の改革の先頭に立ち、重量級(ヘビー級100㎏以上)の選手たちに混ざってリーグ戦に参加、スピードとテクニックを活かしつつもヘビー級に対してパワーで真っ向勝負もするタイプの選手で、優勝争いに最後まで絡む大活躍を見せていた。


 バイソンは試合開始のゴングと同時に、必殺技の猛ラッシュを仕掛けKENTAを潰しに掛かる。

 それはそれはもう、壮絶なパワー技のラッシュ。
 アイアンクロースラムからのパワーボム、さらにバイソンテニエルと、次から次へと自らのフィニッシュホールドでKENTAを放り投げ、叩きつける。


 しかしKENTAはギリギリで3カウントを許さない。

 何度叩きつけただろうKENTAはグッタリしつつも3カウント寸前で返し続けて、ボロ雑巾のように場外に転がり落ちる。



 バイソンはそれを追いかけ・・・ることなく、当惑した顔で客席を見まわしていた。

 「ここでKENTAを潰して良いのかな?お客さんはKENTAが勝って決勝に行くことを望んでるのに、俺がここで勝っても良いのかな?お客さんはどんな反応してるかな?あぁ、やっぱりKENTA応援してるよ。俺が大技ラッシュしたのに引いちゃってるよ・・・やっちまったかなぁ・・・」
 
 気持ちがやさしいのか、鈍臭いのか・・・バイソンは「怖いガイジンレスラー」になれなかったレスラーなのである。思えば、何度もこの手の「間の置き方と表情」でチャンスを逃して来た。観客にその微妙な仕草とか表情からレスラーの「本音」が伝わってしまうと、観客の方もバツが悪くなってしまう。本当ならばそのままの勢いで行けば“獲れた”試合、奪えたはずのチャンスもその優しさゆえに他人からもぎ取る事ができない。
 「もぎ取っちゃったら、僕にはブーイングが飛んじゃうだろうな」という、悪者になりたくない、なりきれない感情が、巨躯を小さく委縮させる。

 気付けばバイソンはNOAHの常連外国人レスラーでトップレスラーという位置づけにありながら、全くと言って良いほどプロレス以外、いや、NOAH以外のプロレスファンにも顔も名前も売れていないという状態に陥っていた。個性が売りのプロレス界において、良識派が滲み出ている物悲しさは私が感情移入するには十分すぎるキャラクターなのだ。


 人の良さのにじみ出た、鈍臭い感じが何とも言えず私自身の置かれた状況にオーバーラップする。

 

 気付けばバイソンを応援している自分がいた。
 けれども案の定、KENTAを仕留めるためにアイアンクローに入ろうとしたところを変形腕固めを決められてGAMEOVER。大逆転のギブアップ負けを喫して、悲しげにリングを後にした。


 私は、このバイソンスミスがいつか自分の殻を破って「怪物」になることを期待していた。誰の攻撃も寄せ付けない、片手で相手を弾き飛ばして放り投げてしまう、相手への声援や自分へのブーイングも全て自分の力に変えてただひたすら己の力量をまざまざと見せつける。そんな「怪物」になることを期待していた。

 それだけの可能性とパワーと瞬発力とテクニックは持っていたし、何よりも真面目に日本のプロレスに取り組んでいた。そんなバイソンが能力を使いきれていないように見えて同情さえ感じた。まァ最も、出しきれない能力を含めてその人の実力なのだが。


 個性が激しくぶつかり合うリングの上ではやさしすぎて、鈍臭くて、哀愁が漂っていて目立たなかった大男、バイソン。観客の期待値と、本人が勝手に解釈していた観客からの期待値と、本人がやりたいプロレスが、見事なほどにバラバラだったレスラー、バイソン。
 当惑し、立ち尽くす姿が印象的だった珍しいレスラー、バイソン。


 心からご冥福をお祈り申し上げます。

 
2011/03/30 Wed  14:58:33» E d i t
 » 希望 
 希望は高い場所にあって見上げなければ見えないものなのか、あるいは心の深いところで自分に見つかるのをそっと隠れて待っているものなのか。


 悲しみにくれる人たちの視線の位置は、どこだろう。
 上を向いている人たちはいるだろうか。

 
 「がんばっべ。」
 


 って、声掛け合って、励まし合って、
 頑張って頑張って、頑張って、気張って、気張って、ようやく視線をフラットに持って行ってると思います。



 私は掛ける言葉が見当たらないのです。
 何を言っても、何を伝えようとしても、今はムリだと。



 励ましや同情の言葉よりも、少しでも多くの生活支援物資を少しでも多くの人たちに届けられることの方が最優先だと、私も、そう考えていました。



 
 昨年、プロレス大賞でMVPに選ばれたNOAHの現GHCチャンピオンである杉浦の「プロレスで励ますなんて自己満足。本当に必要なのは水と食料」だという発言が週刊プロレスの記事になったのだそうです。・・・こちら、配送遅延でその記事はまだ読んでいませんが。



 それに対して次期挑戦者として杉浦が対戦アピール中の鈴木みのるが、3人タッグマッチで杉浦を圧倒した上で吠えました。


 「お前は(昨年のプロレス大賞の)MVPじゃねえのか? チャンピオンじゃねえのか? お前に『頑張れ、立て、杉浦!』って応援してくれた東北のファンを誰が救うんだよ!」nikkan sports.com

 




 「雑誌とかで(指名後に)続けてお前が言った言葉を聞いて、俺は心底がっかりした。『今、プロレスで(被災地に)元気を与えるとか言っても、それは自己満足。必要なのは物資』ってお前は言ったな!? 確かに水や食いもんは必要だよ! でもそれはな、ほかのみんなが一生懸命届けようとしてるんだよ! お前、MVPなんだろ? お前、チャンピオンなんだろ? どうしたんだよ!? 杉浦。お前がプロレスの力を信じなくて、誰がプロレスの力を信じるんだよ!? 東北にだってプロレスファンはいっぱいいるんだ。そいつらにお前が与えられるのは、水じゃねーんだ、食いもんじゃねーんだ。プロレスだろ!? 俺は悲しいよ! 俺はマジで言ってるんだぞ!」 



 

 
 プロレスのリングは、屋外にも設置できます。

 昼間なら、電気もほとんど使わずに興業を打てる可能性があります。


 そしてそうした場合には、すべてのお客さんがリングを見上げる形になります。

 杉浦は小さな体で大きな相手に真っ向勝負することで「希望」を表現し続けて来たからこそ、プロレス大賞のMVPを獲得することができたのだと思います。
 今、心が痛むのは日本人として当たり前です。
 苦しい思いを背負って立ち上がらなきゃ。歩き出さなきゃ。

 「お前と俺がやらないで誰がやるんだよ!」鈴木みのるの言葉の真意は、おそらく・・・。
 
 私は、思います。
 たくさんの思いを背負って戦える。杉浦ならば。独りで戦ってるんじゃないんだよ。

 


 希望というものは、私は、絶望や失望や諦めで埋め尽くされてしまった心の奥底で、自分にみつけてもらうのをじっと待っているものだと感じています。
 でもね、それを覆い隠している絶望や失望や諦めを、ひとつずつ丁寧に数えてしまってうつむいた時に、ふと、無理やりにでも自分の視線を上げてくれるものって絶対に必要だと思うんです。


 視線を上げたとき、心を覆い尽くしていた暗い雲に少しの光が射して、小さな希望という種が芽吹くという経験を、おそらく、みんな持っているはずなんですよ。



 
 私はプロレスファンですから、レスラーが何度も絶対ムリだと思う状況から立ち上がり、ボロボロになりながらもなお相手に立ち向かう姿勢に勇気づけられて、その背中に自分の状況をオーバーラップさせて、立ち止まろうとする自分を奮い立たせてきました。
 腹の底から声が枯れるまで応援するレスラーの名前と共に、自分にエールを送っている。

 最終的に自分を奮い立たせて、次の一歩を歩ませるのは、間違いなく自分です。自分たちです。


 けど、自分が辛い時や立ち止まろうとする時に励まし、勇気づけて、前を向かせてくれるのは・・・



 やっぱ、励ましだったり、同情だったり、優しさだったり、誰かが何かに立ち向かって行く姿だったりするんですよね。誰かに力いっぱい送るエールは、それと同時に自分が自分に送るエールにもなっている。

   
 だから、励まし合って行きましょう。
 がんばろう。


 希望は、きっと、みんながちょっとだけ上を向いてくれる時をずっと心の中で待っているから。
 少しでも、少しでもそこに光が届くように祈ってます。
 
 
2011/02/07 Mon  06:38:43» E d i t
 » 相撲は無くならないよ 
 八百長問題でやたらとマスコミに騒ぎたてられている大相撲ですが、今年の春場所を中止するのだそうです。


 「膿を出し切って再出発」なんて言いますけれど、例えばその「膿」ってヤツが「八百長」だとしたら、そんなもん全部出し切れるワケありませんよ。「禁止薬物」だとか「禁止賭博」辺りならどうにかなるかもしれませんけれども、土俵上で行われる行為に関してはムリ。正々堂々やりたいなら、学生相撲とか世界の相撲愛好会みたいな純粋な気持ちで相撲に取り組んでいる人たちにも土俵をオープンにして相撲をやってみたら良い。


 まあ恐らく、そんなことしてもプロとアマには絶対的な差があると誰もが思うのでしょうけれども、そんなもん、やってみなけりゃ分からない。プロの動きは研究素材が山ほどあるけど、アマについてはデータが少ない分、何をしでかすか分からない。舞の海みたいにデータ研究して来られたら思った以上にアマ軍団に白星が着く可能性だってある。

 
 それはさて置き。
 私は思いますけどね。
 「そんなもん(八百長)、気付かれないようにやるのがプロだろ?」って。


 証拠が出て来たとか、見たらすぐ分かるとか、そんなもんプロじゃないですから。

 プロとしての自覚が足りないヤツは辞めさせた方が良い。
 
 
 八百長問題は世間にたいして騒ぐネタが無い時にはいくらでも繰り返し使えてしまう「黄金カード」ですから、本当ならば「膿を出し切る」なんてそんなことされたら一番困るのはマスコミなんですよね。これまでのマスコミはちゃんと「曖昧さ」という落とし所を心得て、大切に温存して来たから未だに「八百長問題」でこれだけ騒ぐことができる。

 
 日本相撲協会は、相変わらず春場所をやらないだのあーでもないこーでもないと反省してる風なポーズを取っています。
 それならいっそ財団法人とかじゃなくて、利潤を追求する株式会社にしてみたら良い。


 株式会社 大相撲 として、興行して回ってみたらぐーたらな力士だって少しは本気になるでしょう。自分たちが貰っているお金は一体どこから来てるのか?って、真剣に考えたら、八百長するにしたってもっとマシな方法を考えるでしょうよ。人気が無けりゃ食えなくなるんですから。
 やってみて、相撲が求められているなら「客入り」によってそれが評価されるでしょうし、逆なら大相撲という組織が分裂なり消滅なり増殖なりするという、それだけのことで。



 大相撲がなくなったって、相撲は無くならないですよ。
 ちゃんと、少なくなったって全国に愛好者の皆さんがいるんですから。
 守るに値しないモノを伝統だの格式だのって守ってるからバカバカしい話が繰り返される。
 

 私は力士たちが相撲を取るのを見て、楽しみたい。


 単純に、そういうことなんですがね。
 
 
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