フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2013/12/13 Fri  03:33:23» E d i t
 » 人生いろいろ 
「こまかいところまで気がつく人」 と 「こまかいところにしか気がつかない人」は似ているようだけれども、まったく逆。

 どちらも普通の人には盲点なところを突いて来るから誤解しちゃうけれども、前者は普通の人が気づかない事を気づかれないようにやり終えているから、後から気付いた人によって評価される人たちのこと。

 後者は誰かの揚げ足を取ったり重箱の隅をつついて得意満面、普通の人が気づいていないことを指摘して一躍注目を浴びたとしても、結果的に他の人の気分を害する以外の役割を特に果たしているとも思えない人たちのこと。

 人生いろいろ。
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2011/10/06 Thu  17:57:36» E d i t
 先日遊びに来た友人と話している時に、彼がポツリと言った一言。


 「せめて、よしんばこの職場を辞めたとしても、次の職場に行った時に恥ずかしい思いをしない程度の心構えくらいは若いバイトにも教えておきたいんだわ」


 
 自分が抱え込んだ仕事を後輩に分け与えて行く事は、実はそんなに簡単なことではない。


 怠けていて手が回らないのではなくて、自分では手が回らないほど次から次へと仕事が回って来るような現在に至るまでに、自分がどれだけの思いでどんな道のりを歩んで来たのかを思い出してみれば分かる。

 そんなに好きでもなかったはずの仕事なのに、実は自分がそんなに頑張っててもあまり世の中の方は変わるワケでもないのに、いつの間にか周囲からの「ある程度の期待感、ある程度の必要性」を伴って、自分の立場というものが形成されて行く。そして、そこに現在立っているのは後輩ではなくて、自分なんだから。

 それでも自分が次のステップに進んで行くために、今現在やっている仕事を継続しながら時間なり密度なりを増す事によって自分のキャパを越えるほどに抱え込んで「自分の潜在的な成長力、爆発力」ってヤツに期待するか、あるいは誰かに委任して自分の身を軽くする工夫が必要になって来る。前者は最終的にスーパーサイヤ人にでもなれれば全て片付くだろうけれども、爆発しすぎてると心身ともにボロボロになるので、後者の能力が必要になる。


 いわゆる、教育、人を育てる、組織づくりというヤツだ。流行りの言葉で言えば「マネジメント」とかいうものの一部になるヤツだ。「もしドラ」は読んでないけどドラッガーの言ってる事くらいはちょっと知ってる。自分も友人も、もうすでにそういう立場の世代になっているということだ。



 ぶっちゃけ、俺ら以前の世代の人たちはいざ知らず、俺らを含むそれより若い世代は「教えてもらって当たり前」くらいに思っている。何でも。それも、丁寧に教えてもらってもなお、分からなくて、できないのは教え方が悪いとばかりに文句を言うことが当然くらいに思い込んでる場合が多い。「世の中をナメている」という言葉が実にしっくり来る。別に自分をこんな風にしてしまった学校教育に今さら責任転嫁もしないけど、低姿勢で謙虚に学ぶ姿勢というものを改めて身につけるまでには、それまで積み重ねて来た勘違いプライドがギッタンギッタンのボロボロに打ちのめされる経験が必要になる。あぁ何という遠回り。

 №1にならなくても良い、もともと特別なオンリーワン。でも、そのオンリーワンだって周りと比較しなきゃ、何がオンリーワンなのか良く分からない。良く分からないのに世の中に通用しない自分をおかしく正当化してしまえばお山の大将どころか、住人がたった一人の自分の世界の王様になってオンリーワンだとふんぞり返ることになってしまう。オンリーワンになりたいなら、№1を目指して競争してみて自分が何者かを知る必要がある。ああ、この矛盾。

 
 謙虚に学ぶ姿勢、できなかったことをできるようにするために誰かに教えを請うということが少ないような気がする。「教えを請う」ことに金銭が発生している場合など、「お金を払ったらそれでできるようになって当然」くらいな勘違いなんだろう。だからこの前も書いたけど、努力と根性が絶滅危惧種になっちゃう。師匠や先生と呼べる人たちに出会える人たちは誠に幸運なこの時代だ。


 自分を省みてもそんな塩梅なんだから、今の自分が自分自身に何かを教えてやろうと思えるだろうか?と考えてみれば良く分かる。

 教えたくないよ。そんなヤツに。
 面倒臭ぇ。

 それでも教えて、育てて行かなきゃならない。だって、そうしないと自分が行き詰ることが大体目に見えてるんだから。俺たちはスーパーサイヤ人ではない。おおよそ365に分割された地球の公転軌道に名付けられた「1日」を、さらに24分割された「時間」という制約の中で営まれている社会の中で自分の役割を見つけ出して請け負っているからには、他の人たちとの時間と自分の時間を交差させる必要があるのだから。好き勝手に暴れ回って、好き勝手にぶっ倒れて、好き勝手に寝て起きれば強くなってるなんて、それは相当の実力が周囲から認められている場合以外は不可能。

 だから、教えて、育てていかなきゃならない。つまりは、相手が謙虚に学ぶ姿勢を持っている場合は別として、そうじゃない場合には相手の持ってる間違ったプライドをギッタンギッタンのボロッボロに打ち砕く側に立たなきゃいけないんだ。

 そんなに強いのか?俺??
 そんなに偉いのか?俺???


 強くなくても、偉くなくても、別にそんなの関係ないんだよ。
 「この世界(業界)で飯食って行きたいなら、このくらいのことできるようになれよ」って、ただそういう事を伝えるのが教育なんだから。言い方としては「ギッタンギッタンのボロッボロ」という乱暴な言葉になるかもしれないけれども、実際にやっていることは、相手のその勘違いという重い荷物を外すのを手伝って、新しいスタートを切る事ができるフラットな状態に持って行くということから始めなきゃならん。

 それが面倒臭ぇ。

 当然、思うように相手は動きはしないだろう。だって、俺はアイツじゃないんだから、どうやって教えられたら動くようになるかなんて分からん。だから、もう、しつこく徹底的に毎日毎日同じことをくり返しくり返し指導して行くしかない。

 なぜそれをすることが必要なのか相手がそれを悟るだけの器量がないのであれば、そいつをしつこく言い続けてやるしかないでしょ。煙たがられても、嫌がられても、別にそんなの関係ないんだよ。

 性格の合う合わないとか、相性だってあるんだから、途中で相手は逃げ出すかもしれないけど、それでもさぁ、自分が指導した事に間違いがなければさ、絶対に将来のどこかで相手は気付くんだよ。

 「あぁ、あの時あの人、このこと言ってたのか」って。


 人を育てるのは面倒臭ぇけれども、その面倒臭さは、自分でいろいろと抱え込んで耐えきれなくなった自分が病気になったり手が回らなくなって立ち行かなくなることで予想される被害と、その解決のための労力の面倒臭さに比べれば、恐らくずっと楽だろう。


 「いやー、バイトさ、入って来ても、すぐ辞めるんだわ。この前なんて親が出て来たからね・・・ウチの子の残業時間がどう・・・とかって、時間ちょっきりに迎えに来るのさ。仕事なんてさ、段取りと片付け含めてのもんだろ?そいつが自分でそれをできてないだけだってのにさ。二十歳過ぎて、親が迎えに来るんだぜ?そんなヤツら相手にしなきゃならないんだよ??」




 ・・・


 あぁ、なんじゃこの世の中は・・・


 あー、面倒クセぇ・・・(泣)   
 
2011/10/05 Wed  15:02:10» E d i t
 » 努力と根性 
 夢や希望について先日遊びに来た友人と語っていて、気がついた事がある。



 「努力」や「根性」という言葉が絶滅危惧種になりつつある。とかく上手くやる事だけが成功へのカギであるかのように言われるようになって久しい。確かによく考える事は大切なことではあるが、よく考えた末に動こうとするとその時にはすでにタイミングを逸しているということがあったり、考えた割にはカラダ(組織)が思うように動かなかったりという不具合が発生したりする。


 何かを得たいと思うならば、とにかくやってみること。そして他人からの評価が芳しくないものであっても続けてみること。その場の思いつきだけでやってダメなら諦めるのではなくて、ダメという評価が出たならどうすればダメじゃなくなるのか考えて、もう一回やってみること、何度もちょっとずつ工夫しながら変えながらやってみること、続けることが大切なことだ。

 自分が自信を持っているアイデアがそのまま世の中に受け入れられることなど、まず無い。その程度のアイデアで一攫千金できるならもう、ほとんど誰もがミリオネアでしょ。みんなの夢が問題なく叶えられるでしょ。どんなに自信があっても、その時代、その世の中で必要とされてない物は誰も見向きもしない。
 誰かに振り向いてもらいたいなら、振り向かれる工夫が必要。そして、振り向いたは良いけどそっぽ向かれるなら、今度は目を離せなくさせる努力が必要。目を引いたらつかまえる努力、つかまえたら放さない努力・・・努力は延々と続く「今すべきこと」の積み重ねの事を言う。



 歯牙にも掛けられず何度も無視され、視界に入れば潰されて、叩かれて、叩かれて、それでも続けるから強くなる。強くなったと思っても一歩踏み出せばまた折られて、挫けてそれでももう一丁立ち向かう。立ち向かう人間には不思議と応援する人たちが増えて行く。その声が自分の気持ちを強くしてくれる。だから昔だったら潰れてただろう心の痛みも耐え忍ぶことができるようになってる。
 そんなタフさが俺たちの個性だよって笑い合った。



 「そんなやりかたじゃ続けても無駄だよ」って誰かが言ってくれるなら、その誰かはもうすでに半分以上自分の味方になっている。だって、それは自分のやっていることを見てくれているからその言葉が出るんだから。そして、おそらくその言葉をくれた人は以前、その道を同じように通ったことがあるからそうアドバイスしてくれてる。

 だったらどうすれば無駄にならないのかを今度は考えれば良い。


 しつこく続けて行くうちに、粘って粘って粘りとおした先にちょこっとだけぼんやりと見えるのが「夢」や「希望」の後姿。

  

 今は、最初に「夢」や「希望」ありきで、そこからの逆算で叶える手立てを考えるやり方が流行っている。で、自分なりに順序付けしてひとつずつクリアしていく予定が、どっかで狂ってしまうととたんに目標を見失ってしまって、立ち直れなかったり。メソッドとしてはやりやすいように思えるが、実現に向けての根性というか執念について語られることは少ない。
 誰かに笑われたり、誰かが批判的な言葉を投げかけたりした時に、その都度それに足を取られ、ともすれば心を折られる。それは誰も同じだ。当初イメージした場所に自分としては辿りついたはずなのにそこにあるはずだった「地位」「名誉」「満足感」が無い。どこだどこだとあちこち探す。そして気付く。
「あれ?何か、遠のいてない??」
「夢」や「希望」なんて、どこまで行ってもつかまえることなんてできないはずなんだ。だって、成長するんだから。自分も。だからそれにつられて自分が目指してる地点も先に移動してしまう。

 どんなに歩いても歩いても辿り着けない。けれども、倒れされても、転んでも立ち上がって歩いているうちに、ふと振り返ってみたら最初に思い描いていた「夢」や「希望」のほとんどはもう通過しちゃってたりする。だって「夢」や「希望」に実体は無いのだから。実現した瞬間にもうそれらは無くなってる。そういうものだし、それで良い。



 だから、続けるんだ。続けることができるんだ。



 「夢」とか「希望」ってものは自分が見えない“目指すべき場所”から、絶えず自分を励まして、絶えず自分に「こっちに来い」と呼び掛けてる。その声はいつでも自分を呼んでいるのに、最初はその方向を向いているのに、自分を否定する誰かの声に足引っ張られて、自分の自信を打ち砕かれて、誰かと比べてスマートにできなくてカッコ悪く思える自分に嫌気がさして耳ふさいでしまう。
 
 誰も最初からスマートになんてできてないのに。カッコ悪くもがいてもがいて、失敗に失敗を重ねた末に手にしたものを大切に磨き続けているってだけの話で、誰かが手にしている物はさもそも簡単に手にしたように見える。羨ましいなら、「自分だけの自分」を手にするしかないっしょ。

 努力と根性。
 継続は力なり。


 その場しのぎの無手勝流のことじゃなく、継続する意志とやがて立ち直るタフネス。
 
 
 俺たちが本気で取り戻すべきは、それだ。
2009/09/18 Fri  05:46:45» E d i t
 » ツキシマさんと星の砂 
 「ツキシマさん!」

 「ツキシマさーん!!!」


 大声で叫びながら砂浜の砂に顔を埋めている軍服姿の私がいた。


 砂浜の砂を握りしめ、口の中がざらつきながらも「ツキシマさん」を呼び続けている。



 

 ・・・目が覚めた。

 あぁ夢か。でも、確かに何かを握ってて口の中に何かが入ってる
 ナンダヨコレ・・・

 この心地悪さッッッ!!!

 もう、気持ち悪くて寝ぼけもせずにすぐに目覚める。
 
 枕カバーが外れて、枕の中身のストローの切れっぱしみたいなヤツが頭の周囲を取り囲んで、それを握りしめたり、それが口の中に入ったりしていたらしい。ウェェェ


 えーい、ちくしょぉ。
 子供たちが枕投げしてその勢いでチャックが開いたトコから出てきやがったなぁ・・

 夜中にひとり シャラシャラ と枕の中身のストローの切れっぱしみたいなヤツを枕の中に戻す男。
 時計はまだ1時半。ナンダヨコレ。



 ・・・それにしても「ツキシマさん」は誰だ?


 ビルマの竪琴か?
 いや、あれは水島か。


 

 


 
2009/09/06 Sun  00:00:00» E d i t
 » それぞれの鍵④ 
 俺の手も相当シワ枯れたが、アイツの頭にも白髪が混じり始めた頃。

 特に意識はしていなかったが「開かない扉に立ち向かい続けること自体が美しい」などと、その扉が開かないことを前提とした考え方で美化されて、アイツと俺が神や救世主のような扱いを受けていた日々は遠く過ぎ、たくさんの月日と共にたくさんの人たちがこの場所に辿り着き、通り過ぎ、それでもなおここに残ったたくさんの「その扉が開く日を待つ人たち」の誰もがもう、諦めかけた頃。






 よちよち歩きのこどもが、ふらふらと頼りなく扉に触れた。


 
 

 それまでの努力が報われたのか、そのこどもが起こした奇跡と見るか。




 
 扉はギシギシ音を立てながら、埃を巻き上げながら開いて行った。
 当初俺たちの背丈ほどだった扉は、いつの間にやら果てしなく大きく重たい扉と化していた。
 




 そう、勝手に自分たちが作ったイメージの中でアイツと俺と、そしてたくさんの人たちは逡巡していたんだ。
 そのこどもは無邪気に笑っていた。
 おそらく、そのこどもから見たこの扉は鍵なんて掛かっていない小さな軽い扉だったに違いない。


 扉の向こうに母親の声でも聴いたかのように、いともたやすくそしてほほ笑みながらその扉を開けて見せた。



 俺も、おそらくその場の誰もかれもが埃の向こうの「輝かしい未来」を胸に描いた一瞬だった。
 





 
 舞い上がった埃がやがて落ち着いて来て、その先に見えたものは「光に満ちた輝かしい未来」でも、おそらくアイツが最初に思っていた風景でも何でもなかっただろう。





 ただ、この世界と同じ風景が、ただ、この世界と同じ色で継続していた。





 
 茫然と立ち尽くすたくさんの人たち
 
 
 
 
 白髪混じりになったアイツはこどもの頭をひとなですると、こどもは扉の向こうによちよちと歩いて行った。
 おどけた顔を見合わせて、アイツは俺に握手を求めて来た。
 お互い、見事なまでにボロボロな手になったもんだ。
 
 「ありがとう。ついに開いたよ。」

 「あぁ。行くのか?ここと何も変わらないようにみえるが?」

 「そんなことはないさ。ついさっきまで僕たちが見ていたのは開かない扉だった。あたかも壁の連続であるかのような、扉だかそうじゃないんだか分からないモノだった。それが少なくとも扉だったことが分かった。たったそれだけのことで世界は変わるんだ。少なくとも僕の世界は変わった。だからこの先を見に行くさ」

 
 ・・・


 相変わらず意味は分からなかったが、あの頃の俺と違ってなるほどアイツの言うことを感じ取ることくらいはできるようになっていた。



 アイツはみんなの方を振り返り薄く微笑みながら軽く頭を下げて扉の向こうへ踏み出した。

 
 「君は・・・」


 「あぁ、俺か。ここにさ、でっかい旗立てて、世界のどこからでも見えるような旗立てて、いつか、いつの日かオマエが挫けて振り返る時、どこかでオマエの見たかった風景を見つけた時に、帰って来れるようにしておくさ。ここが、“俺たち”のスタートだろ?なら、ゴールにもなれるさ」

 「“僕たち”のスタート・・・か。」

 「そう。そして、最終的に帰るべきゴール」

 「ありがとう」

 「・・・オマエ、出会った時からそればっかりだな。俺も言わせてもらうよ。ありがとう。それだけ鍵があれば、この先も結構イケるだろ?・・・じゃあな」









 

 アイツについて行った者。
 ここに残ることを選んだ者。



 たくさんの鍵も、長い間叩き続けた堅牢な扉が開いた喜びも達成感も手に入れた。
 だが、この場所で手にした最高の宝は自分自身が生きている実感。

 扉の向こうに踏み出す生き方があれば、ここに残って新しい明日を創る生き方もある。
 アイツのゴールになるような生き方が俺にはしっくり来る。




 光が煌々と差しているわけでもない、ただこの風景の続きのような扉の向こうにアイツの夢の続きがあるならば、俺の夢の続きはここで創る。








 いつか、笑顔でまた会おう。友よ。

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