フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2012/04/21 Sat  06:25:13» E d i t
 » はるかぜ 
 かくれんぼの途中ですが緊急速報です。

 あぁ、もうすでに緊急でも速報でもありませんでした。


 遅報です。


 日曜日の午後、ぽかぽかの陽気に誘われうたたねなんぞをしていたら



 
 40℃まで発熱しました!




 翌日、病院で検査受けましたらばインフルBですって。・・・この冬は風邪さえひかずに乗り切ったッッッ!とか思っていた矢先の大どんでん返しです。表現が微妙に古いのは熱のせい・・・
 


 久しぶりにぶっ倒れました。そして水曜日まで横たわりました。

 ご飯食べるのもままならず薬漬け。


 家族に感染するのを避けるために、隔離政策を自ら実行しつつ。




 結果、開始すること自体が目標と化してはや幾星霜となっておりましたダイエットの目標として掲げる予定だった数値を遥かに超えるスリムアップに成功




 ズボンのウエストがきつくて困っていたのが、何とっ!ベルトきつめに締めなきゃズボンが落ちて来てしまうほどに!!






 超絶ッ!インフルBダイエット!!




 40℃にあえぎ、朦朧となりながら寝てるだけ!




 
 ・・・じゃ、ねーだろ。




 週末になり、私は回復しましたが。







 家族全員に感染しました。




 早期対処できましたので、高熱にはならないし長引かないとのことですが、さりとて相手はインフルB。




 みなさん、気をつけましょう。
 
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2012/03/24 Sat  03:40:43» E d i t
 » 歴史 
 フクフク丸のあずましいblog を始めたのが2005年3月24日。


 今日はこのブログの誕生日。


 例年、この日は自分で自分を褒めるような内容の記事を面白おかしく書いて来たのだが、去年は東日本大震災があり、全然こんなことを自分自身で祝う気になんてなれなかった。ならなかった。塵も積もり積もったり7年分。ここには私と私を導いて下さる皆様との思索と雑談の「歴史」がある。


 「十年ひと昔」と言われるが、最近では世の中の移り変わりが早くて「三年ひと昔」とも「去年は遠くなりにけり」とも聞いたりする。「三年ひと昔」だとするならば、すでにふた昔ちょいも前のコミュニケーションツールを大切に使い続けていることになり、ブログというコミュニケーション手段は実にしっくりと私の性格と生活に馴染んでいるのだろうと我ながら思う。

 
 例えば、道を進んで来た自分は道を歩み始めた頃の自分と比較して「優れている」だろうか?と自問する。よく「成長」「進歩」という言葉が使われるが、確かに文章を書き込む速度くらいは明らかに進歩していると言えるが、それ以外は変わった部分もあれば、変わらない部分もある。

 だから比較などできないというのが答えになる。
 
 確かに写真を撮影してみたりもしてその部分は例外として、自分のブログを読み返していて思うが、少なくともブログを書くことそれ自体の「成長」や「進歩」を私は目指していないのだと思う。だから、これを読む皆様にとってすぐに役立つような情報なんてほとんどないだろうし、目新しさを追い掛けない分とくに話題になるような記事もあまりないはずだ。


 何度も推敲するでもなく記事をアップ、ただひたすらに現在の自分を見つめ、現在の思いを自分の言葉で書き綴っていることで何度か焼き直しのように似たような文章もあれば、同じようなテーマでも時間の経過とともに微妙に別な意見が出て来たりしている。人間として、男として「成長」できているかどうかは別として、自分という存在と歩みの形跡を刻んできている事には違いない。

  
 悪くない。


 出発の時点で何かに専門化することを放棄、気を抜いたり入れたりしながら自分の興味のある事を更新して行くと宣言しているが、その宣言とおりになっていると思う。


 
 今日はこのブログの誕生日。
 とても特別な日で、とても普通の一日。


 私がこれまでに書いてきたたくさんの記事と、時間を超えて交差するのであろうたくさんの人たちに心から感謝します。過去の記事にアクセスされました際も、コメントを下されば現在のフクフク丸は必ずコメントをお返しします。


 では、今後とも気を抜いたり入れたりしながら更新して参りますのでよろしくお願いいたします。



  
2012/03/15 Thu  09:54:41» E d i t
 » 丸とおっさん達の秘密の会話 
 おっさんばっかりで集まった会議の中の一幕。
 アレとは何なのか、皆さんもご一緒にお考えください。




 丸     :「いやぁ、そういえば時流に乗ると言えばアレ、ホントにスゴイ人気ですよ」


 おっさんA :「あぁ、オレも気になって調べたんだわ。したら、なんと日本だけじゃないって?」


 おっさんB :「なんでアレが人気あるのか、どうしてアレに対して金と時間を浪費するのか分からんよ。」


 
 
 丸     :「誰でも誰かを“育てたい”っていう潜在意識みたいのあるんスかね?」


 おっさんA :「だけど、当初こんなになるとは誰も思ってなかったべね。」


 おっさんB :「コンサート?会場に人を集めて??どうやって???」




 丸     :「しかも、香港とか台湾とか同時中継とか言ってましたよ。」


 おっさんA :「えー。そんなに人気あるの?どこに儲かるチャンス転がってるんだか分かんねぇな」

 
 おっさんB :「うそー。金出して、何を観に行くんだか理解できないや」



 おっさんB :「アレ、そう言えば札幌出身なんですってね」


 おっさんA :「おお、何か観光大使だとか新聞に書いてたな」


 おっさんB :「若いヤツらがアレに萌え続ける限り、少子化に歯止めは掛かりませんよね~」


 おっさんA :「そーいう問題まで発展しちゃう?」


 おっさんB :「発展しちゃうでしょう?」





 丸     :「こんなに騒いでるのって、もしかして北海道民だけなんですかね?」


 おっさんB :「同郷のよしみ?ってヤツかい?(笑)」


 おっさんA :「でも、コンサートに何万人だか動員したんだべ?」





 丸    :「存在しないのに、完全に存在している。好きな人には神さまみたいな感じじゃないですか。」


 おっさんB:「そうなっちゃう?」


 おっさんA:「そもそも、どうやってコンサートやったの?」




 丸   :「3Dの立体画像で映し出したらしいんですよ。(曖昧な記憶)」


 おっさんA:「えー!?DVDとかプログラムを映像で流したワケじゃないのか??」


 おっさんB:「立体画像の技術がスゴイらしいですよ。初音ミク、恐るべしですね。」


 おっさんA:「なんであんなに人気でたんだべ?」



 丸  :「ボーカロイドっていうパソコンのソフトで、言葉とか音程を打ち込んで歌を歌わせるらしいんです。

     そして、同時期にyoutubeとかニコニコ動画みたいな動画共有サイトが伸びて、自分が育てたミクを
 
     たくさんの人たちに見てもらえる環境が一気に整備されて、それに乗っかったみたいで。」



 おっさんB:「うへー。計算された以上の広がりもあったってことだ。」


 おっさんA:「やっぱり、みんなの思い入れみたいなもんがこの現象を生み出したんだろうな。」


 丸  :「まさかまさかで、ジャンジャンお金を稼いでますからね。優秀なタレントですよ。」






 三人  : 「初音ミク、すげー。」




2012/03/14 Wed  01:24:05» E d i t
 » 君ニ 未来ヲ 夢見タ。 
 基本的に自分の限界とかだらしなさを自認、自覚し、受け止めながら生きている私は、他人にも多くを期待していないタイプだと思っている。思っていた。


 ところがヤツは有り余る才能を持て余すかの如く私の前に登場。親の事情によって大金持ちからドラマのような大転落を経験し、普通であればしなくても良いような苦労をしながら、それでもたくさんの経験と失敗と、屈辱の中からたくさんの得難い成果を積み上げて来た。
 私よりも10歳も若いその青年のそのたくましさに、私は間違いなく未来を夢見たのだ。期待したのだ。


 彼は私にこう言った。
 「世の中、勝ちパターンがあるんですよ。ルール(法律)を知って、自分の立ち位置を知って、様々な角度から考えて、粘って粘ってやり抜けば、絶対に勝てるんですよ。」


 また、こうも言った。
 「丸さん。俺、普通の大人になりたいんですよ。ちゃんと家庭持って、ちゃんと子供育てて。当たり前の大人になりたい。丸さんみたいに。」


 概ね、彼の「問わず語り」に微笑みながら相槌を打つのが私と彼の関係性だった。
  


 
 10年前の自分と、今の彼が出会ったとしたら絶対に打ち解けることは不可能だっただろう。私は「思い」だけが一丁前の、世の中と戦う手段を持たないただの若造会社員だった。常に周囲からは期待をかけられ、期待される割には何の結果も残せず、結果を残せない自分の存在価値など無いに等しいとさえ思っていた。そう思いこんだが最後、やる前から負けるタイプ。負けるからやらない。やらないからできない。そのまま。
 「結果が出ないのはやり方が良くないから」「では、どんなやり方なら良い結果に繋がるのか?」そんな考え方をできる余裕など無かったし。
 
 あぁ、若い人がこれ読んでくれてるなら、私なんて偉そうなこといろいろ書いててもそんなもんですから。
 
 
 彼は10年前の私が欲しがっていた「成功や失敗のたくさんの経験」をすでに持っていてそれがしっかりとした土台を作り上げているように見えたし、実際に私よりも世の中の辛酸をなめて来た分、多くの事を知っていたし、それに起因するのか気持ちの弱さや常につきまとう諦めのようなものが垣間見えたりもした。
 この先、実は私は彼を人生のライバル、親友としながら一緒に過ごして行く時間を思い、この出会いにとても感謝した。感謝していたのだ。


 
 彼が「当たり前の大人」と表現してくれた私になることができたのは、それは恐らく他人からの期待に応えられない自分を自覚し、それに応えようとしない自分になったからなのだろうと思う。

 頭で考えることは大切なことだと思うが、学校で習って来たことや学歴だとか出身校とかがそのまま世の中のためになることなどない。要するにそれは道具で、道具は使い方を知らなかったり、使えるだけの能力が自分に備わってなければただのゴミ同然。
 大切な「道具」を一旦「ゴミ」だと割り切るのに、ちょっとした覚悟は必要だ。身軽になった自分にとって、おそらく最高の道具となるのは「無知の認識」だ。「分からないことは分からない。知らないことは勉強させてください」と素直に言えることだ。 

「期待されても一足飛びにアナタ方が立っているそのステージには立てませんよ、僕は僕の回り道を行ってみますのでよろしければ待っていてくださいね。」という感じで、10年前の私に絶対的に不足していた「成功や失敗のたくさんの経験」を得るために世の中に飛び込んで「何が欲しくて、何がいらないのか」「何を手に入れる事が出来て、何が今は無理なのか」「欲しいものを手にするためにはどうするか」ということを考えて、よしんばその時に手に入らなくても次に向かって行くために仕掛けを作れるような自分になって来たから「当たり前の大人」に見えるようになったのだろうと。

 まぁ、単純に腹がポッコリ出て来て貫禄がついたのもあるんだろうけど。


 そうするうちに、あの時一旦「ゴミ」としてそこに置いてきたいろいろな「道具」を使いこなせる体力がついていたり、道具を使ううちに思ってもみなかった場所に辿り着いてみたり。いろいろ。ホント、いろいろ経験して。


 
 そんなことで、10年経た私と彼は巡り合ったのだった。


 彼の大胆な発想は私の自由な考え方と大いにマッチしたし、それでいて繊細な計画立案は息を飲むほどのものだった。しかし、物事が計画通りに進まない時に別の選択肢を用意しない彼には、逃げ道が無くなるという致命的な弱点もあった。結局のところ、自分の思うがままにならない部分を埋め合わせるために平気で嘘や誇張で周囲を困惑させるし、都合が良くないことに出くわすとまずは自己防衛を優先し、仲間にさえ牙を剥いた。その態度は自然と仲間が遠ざかって行くものだった。


 「俺の力を使って、みんなで良くして行きましょう。」
 「これ、良い考えでしょ?これで上手く行く。」
 
 「一生懸命にやっているのに、どうしてみんな分かってくれないんだ?」
 「こんなに完璧な計画なのに、なぜ上手く行かないんだ?」

 「お前がちゃんとやらないからだろ?」
 「どうせみんな俺の計画なんてヤル気ないんだろ?」

 「上手く行かないならやめちまおう」 

 
 彼の言う事には一理ある。一理どころか、私から見れば全くごもっともな計画であり、全く真っ当な意見にさえ感じられる。しかし、実行実現のための方法論は間違っている。
 考えを誰かに伝えるということが実は一番難しいことなのだ。
 その難関を上手く越えられたとしても、その誰かから協力を得ると言う事はさらに難しい。

 私は愚鈍な自分も今なお持ち合わせているために、彼の言動も分かるが彼についていけない、…ついていかなくなる多くの人間の感情もよく分かる。 
 
 
 「時間を掛けて何度も何度も繰り返す。何度衝突しても目的地は変えない。ただ、ルートは変えても良い。」
 
 おそらく彼が私を指して「当たり前の大人」と評したのはそういう、今の彼が持ち合わせていないのであろう「方法論」のことを言っていたのであろう。 
 

 
 やがて、彼は何かに追い詰められるかのように私たちから離れて行ってしまう。


 そして、“知らせ”は届いた。
 彼がどうやら“法を犯した”のだと。

 彼はその才覚を良い方向に生かすこともしていたが、多くの人にとって好ましくない方向にも活用していたらしい。彼は、自分の計画が正しいものであることを証明し、みんなに自分の才覚を正当に評価してもらいたかった。彼にとっては、みんなの成功という目的よりも「自分が評価される事」が重要なことだったのかもしれない。

 だから、きっと。

 自分を評価してくれる人たちのために、きっと一生懸命にその才能や知識や経験を発揮してしまったのだろう。その人たちが、彼を利用しているという感覚すら持たないままに…。



 私よりも10歳も若いその青年のそのたくましさに、間違いなく未来を夢見た、期待した私は、だからなおのこと、彼が彼自身を見つめ直して、他人や自分を甘やかすことではなく、許すと言うことを見つけて欲しい。
 結局、ずっと遠回りになったとしても、彼との再会に期待を抱き続け、そして私は私の道を歩み続けて行く。


 オマエ、頑張れよ。
 俺も、頑張るから。
2012/01/05 Thu  17:26:41» E d i t
 » 別に新しくならない自分 
 年末年始が過ぎました。



 年末に誕生日がある私は正月とダブルで心機一転となるのですが、どうやって心機一転すりゃ良いものか分からないほど色々とこっぴどい2011年でしたよ。年齢がひとつ増えたから、新しい年になったからと言ってその区切りの前の過去に全てを置き去りにすることができるわけじゃありませんからね。良くも悪くも過去を引きずって、それを「どうにかしながら」生きて行くことしかできない。人間、誰しもそういうものだと思います。



 そんな「別に新しくならない自分」に幻滅することも無いし、絶望する必要なんてさらさら無いと感じる今日この頃なのですよ。そんなね、ボタンをポチッと押したらまばゆい光に包まれて正義のヒーローに変身できるなんて、今のところ私の肉体にはそんな機能は発見されてません。いつかもしかしたらそうなれるかもしれない姿を想像しながら、今を生きる。
 なれるかもしれない、なれないかもしれない。でも、やらなければ絶対になれない。やってればなれるかもしれない可能性はある。だからちょっとずつでもやってみる。できる事をちょっとずつ積み重ねる。そんなところですね。


 もちろん、積み重ねた結果が自分の思う通りになっていることなんてほとんど無いもんだから、自分の才能の無さに無力感、脱力感を覚えることも多々ありますよ。でもね、脱力の果てに到達する答えはいつも同じです。
 「え、だって、もともとそんな才能なんてないでしょ。俺。だからできる事を積み重ねてるんじゃないの?」ついでに他の人たちにする言い訳も同じです。「え、時代が俺に追いついてねーんだから、しょーがねーべや」。

 積み重ねを続けて行くと自信が生まれます。自信は良いです。自分をぐいぐい前に進ませてくれます。そして、それは知らず知らずのうちに過信という名の油断に変貌します。一丁前ですよね~、どんなに気をつけててもそこだけは容赦なく変身する。そして、油断が判断を鈍らせ、積み重ねたもののバランスが崩れるんでしょうね。
 


 そんな繰り返しで生きてます。
 「こんな自分はスーパーヒーローじゃない」と思うところが、スーパースターへの第一歩ですよ。結果として、なれたのかなれなかったのかとかは実はあんまり関係ない。そこに向かったのか、向かわなかったのかが私にとっては問題なのですね。で、たま~に思うとおりにいったら浮かれてる。


 そう。それが良い。それがベスト。