フクフク丸のあずましいblog
あずましい=快適、すごしやすい  アナタの「心の元気」を引き出す   「漢方薬」に私はなりたい。
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2013/07/01 Mon  16:23:38» E d i t
 » made in ×× 
 久々にピッタリサイズが一発で見つかって大満足だった某・量販店で買った作業着ズボン。

 鼻歌でも歌いたい気分だァァァ♪・・・った。

 だがしかァァァしッッ!

 一度洗濯して干した・・・たったそれだけの、一昼夜ほどの短期間に・・・

 一体俺の太ももがどれだけ太く逞しくなったというのだァァァーッ!?
 パッツンパッツンじゃねーか!

 いくら安物とは言え、一回使い捨て用には高いべやァァァあんまりだぁぁぁぁー(泣)。
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2013/06/17 Mon  10:04:26» E d i t
 » ホルダー 
最近アレですね。

ジュース、内容量で価格調整すんのは良いけど、わざわざペットボトルの形も奇抜なデザインにするから、車のジュースホルダーから外れなくなるものも多いですね。

運転中じゃなくて、ホルダーから取り出すタイミングでジュースがまかれちまうって、なまら腹立つ(笑)。

え?

そもそもペットボトルをホールドしない?するでしょ?するよ、フツー。
2013/06/12 Wed  10:05:07» E d i t
赤信号で運転席でボーッとしてたら、向こう側にやたらとスポーティーな格好した松葉杖の人が立っていた。

ケガをしても散歩に出る人もいるんだな・・・とか思って、青になって動き出したら・・・

あれがノルディクウォーキングってやつか!

松葉杖じゃなくてストックだった。テレビの宣伝では見たことあったけど・・・余市にもいるんですね、愛好者が。

何かレアなもの見て無駄にテンション上がった水曜日の朝。

2013/06/10 Mon  10:07:22» E d i t
 » 巨漢meets巨漢 
 ニュージーランドから「合気道やりたい!」って来た(いや、ホントに。わざわざ来たんですよ。マジで)巨漢と取っ組みあって来た(笑)。
 190センチ、110キロ・・・サイズが違う。サイズが。
 北海道でラグビーやってると、俺らレベルでもごくごくたまーに外国人が出て来るけど、完全にあのレベルよ??
 でも「ミーは周りの人たちに比べたらそーでもないほーよ。(ちゃんとそこは英語で言ってる。要約です。要約w)」・・・なんなんだよNZ。ハンセンとかブロディの名産地ですか??

 自分でも良く分からない合気道のコツを、あって無きがごとしの英語力で伝える。そりゃあそりゃあもう、懇切丁寧、かつ大胆にッ!!
 「エッジ、スライス、ノースクイーズ!」
 「ユア、ヒップ、バックマッスル オンザ ハンド アウトサイドエッジ!」
 「セナーカ、コーシ、ウインウイン~ハンドエッジ!ライク ジャパニーズソードエッジ!」
 「アイラブ ユーラブ バスクリーン!」
 「ファンタスティック、アーン、ミラコォ~パワー!ヤ」

 (英単語を書くのが面倒なので、カタカナでお送りしています。いや。発音が悪いからとか、そういうことじゃないです。ええ。ええ。もうだって、俺スピードラーニングやってましたから。・・・5日間くらいでやめたけどw)

 うーん。やっぱ、コミュニケーションはボディ・トゥ・ボディね。
 無駄に分かり合った上に、俺ができないことを彼ができるようになっちゃったよ(笑)。

 「OH!You good instruct!ありがとござまーす」
 いえいえ。こちらこそありがとうございます。

 で、一ヶ月の修行を経て、彼は近日中にNZに帰っちゃうらしい
2013/01/09 Wed  11:05:06» E d i t
 » あの日、あの時、そして今 
 年末の選挙も終わり、これからいろいろと動き出すという年始早々、突然の株価持ち直しとか突然の円安だとかちょっと突然過ぎて対応に四苦八苦な日々です。この辺り、政権交代以外何の根拠もない持ち直しなので揺り戻しがすぐに来て、それと同時にくだらない支持率とやらは急落するのがお決まりのパターンなのに、相変わらず浮かれたムードの選挙後の我が国がとても愛おしいです。

 
 今冬の北海道は特に冷え込みが強く、灯油を使う時期に円安になられると石油が値上がりするのでかなり生活が圧迫され、ひじょーにキビシーッ!といったところです。

 
 キビシー厳しいと言いながらも、普通の生活ができることに感謝する日々です。
 あの日以降、フクフク丸の心はどこかうつろに漂いながらも、しっかりと「自分の人生」を生きることに対して真剣に取り組むようになりました。

 2011年3月11日、東北・関東方面を襲った大地震と大津波、その後の東京電力福島原子力発電所事故について、今頃になってようやく気持ちがまとまって来たので記しておこうと思います。ようやくです。まとまってきたというだけで、何の解決策も対応策も見い出せていませんが。

 これまでも何度か挑戦してその都度言葉が不足しているのか、溢れ出てくる思いの方が強すぎるのか、とにかく想いが言葉として結実しないという口惜しい経験をしました。そういう時にもアウトプットをし続ける方法もあれば、さまざまな人々の意見を取り込む契機にしてしまうという方法もあります。

 私は後者を選びました。

 どんなに打ちひしがれていようが、浮ついていようがこちらにはこちらの生活があるのですからそれをしっかりと踏み固めつつ、遠回りにはなるでしょうけれども東北地方の沿岸部の方々に自分のできることの延長にある物に想いを込めて手を伸ばして行く事を選択したのです。

 伸ばしたところで届かないのかもしれません。けれども、精一杯伸ばします。
 それは自己満足以外のなにものでもありませんし、ボランティアでもありません。
 今できること。それは、そこに住む人々に私の思いを届けられるように成長することだと位置づけたのです。

 以降、たくさんの人たちに出会い、昔の友達に連絡し新しい友人達に恵まれ、さまざまな本を読み漁り、地域行事にも積極的に参加し、フェイスブックという新しい通信手段を始め・・・輪が「和」となり、その和の中で互いが支え合えるような仕組みづくりというのを意識して、焦らず、丁寧に練り上げているところです。


 まずもって、東日本大震災と東電福島第一原発事故は切り離して考えることにしています。

 
 私は当ブログでも多少は書き続けてきたつもりですが、自然の力というものに畏怖の念を持っていたつもりでした。
 大地震が巻き起こす惨状については阪神淡路大震災の映像記憶、奥尻島の大津波の惨状を伝えるVTRなどで見て来たのですが、東日本大震災に於いては映像技術、報道態勢の整備とさらに「昼間に起きた」ことにより、あの惨状が臨場感を持った生中継でお茶の間に届けられ、その映像が繰り返し報道されたことにより完全にそこに居合わせていないのに居合わせた感覚になって、散々打ちひしがれました。

 実はその日その時、私は本州に出張中で新潟と長野の県境の山の中、ローカル線の電車内にいました。
 ローカル線の放送では「只今、強い揺れを感じましたので運転を停止いたしました」。

 が、それから数時間。「線路の点検作業が終わるまでお待ちください」と、車内に閉じ込められたまま。

 世間では通信パニック状態でメールが繋がりにくい状況、それ以前にそもそも山の中で電波が極めて弱い状況。

 全く、リアルタイムで何が起こったのか分からぬまま、それらの障壁を潜り抜けて時折入って来る家族からの心配メールが、尋常ではない事態が起きていることを徐々に伝えて来ます。「大津波だって、海から離れて」私が、山越えをしている予定を知っているはずなのにそんなメールが届き、北海道はとりあえず大丈夫らしいとひとまず安堵。

 一緒に車内に閉じ込められた少ない乗客もざわめき始めたり「大きな地震があったらしいぞ」とか囁くのが聞えたりしました。
 
 ようやくおそるおそる動き出したローカル線が、だましだまし運転しながら次の駅に到着したのが予定より4時間遅れ。奇跡的に電話が繋がった取引先の方が、乗用車にてその山中の駅まで迎えに来て下さってその車中で、取引先の方が興奮しながら語ったこと、車内テレビで初めてあの惨劇を目撃したこと、どうにか長野市に辿り着いて、さらに新幹線、在来線全てが運休となり身動き不能となった人々がごった返す中で滑り込みセーフで宿泊先を確保できたこと。それらは多分、一生忘れない記憶になるでしょう。

 ホテルではどこのチャンネルでも惨状を映し出し、不快感を喚起させるような警報音と共に「地震速報」や「緊急地震警報」などが立て続けに現れました。
 

 翌早朝、なにせ早朝の仕事なものだからすでに起きてはいたが、携帯電話が聞いたことのない音を出して鳴ります。「緊急エリアメール」という見たことのない文字を確認するとほぼ同時に、なかなか激しい揺れに揺さぶられる。震度5強だか6弱だかの揺れでした。長野県の県北では雪崩が発生し、家屋の崩壊もあったほど激しい揺れだったのです。

 それなりの高層ホテルだったが、このくらいの揺れなら学生時代に体験したことがあったので昨晩の恐怖の大津波映像を思い出しながらも、ここは海の無い長野県であるということを思い出し、不安と安堵が相半ばする不思議な感覚を経験したのです。

 
 その後、そんな非日常の中で予定通りに出張をこなして行きました。
 なぜかと言うと、焦って帰ろうにも、北海道に帰る手段がなかったからで、相手先に伺うと「こんな状態で荷物も来ないし、仕事もできないからゆっくりして行ってよ」と微妙な歓迎を受けたものです。
 
 
 その間も、東北地方・関東地方の人たちは停電が続き、情報をほとんど入手できなかったでしょう。
 これだけ情報の渦の中にある者が、災害に見舞われる中で情報を遮断されてしまうということがどれほどの不安、どれほどの恐怖であるか想像を絶します。

 翌12日は土曜日で仕事も早く終わり、長野県松本市のホテルで最新の情報を伝えるテレビを見ていると今度は東京電力福島第一原子力発電所がタダならぬ状況にあるということ。
 午後になって水蒸気爆発だとされたものは、水素爆発だったということ。

 「直ちに人体に影響は無い」
 「シーベルト」
 「ベクレル」

 耳慣れない言葉が矢継ぎ早に出て来て、枝野官房長官(当時)の会見が繰り返され、何が起きたのか・・・そんなもん容易に想像がつきましたよ。

 
 
 そして、もう二年が経とうとしています。

 
 経過する時間の中で「絆」という言葉も使い古されてしまいそうですが、大震災以降のさまざまな出来事の中でこの言葉が私のやろうとしていたことを数年間分加速させたのは間違いありません。時間経過の中で次から次へと情報が溢れ出てくると、あれやこれやの全てを考えることのできない私たちは混乱と混沌の中で「情報に流されてしまうこと」をやむを得ないことだとしてしまいがちです。

 本来、しっかりと自分の心に礎石として残しておかなければならないような重大な出来事や、思いや言葉さえもその上に積み重なっていく新しいあれやこれやに埋もれて見えなくなってしまいがちです。

 
 私は、あの日、あの時に感じた事の上に今、立っています。


 そうして故郷を、家族を、仲間たちを、自分たちを思う時、被災地の人たちの目線を考えます。レベル7という最悪の段階である東京電力福島第一原子力発電所事故の地区の人々の思いを考えます。

 考えるけれど、私は被災者でも原発事故で故郷を放棄することを余儀なくされた方々でもありません。


 私は、私のできることを私なりの方法でやって行く。


 フクフク丸を成長させてください。
 御無沙汰しているみなさん、もし、いつかこの記事を読んだら、もう一丁お付き合いください。
 

 今後ともよろしくお願い致します。
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