- 2011/11/24 やさしすぎた大男
2011/11/24 Thu 18:00:25 » E d i t
» やさしすぎた大男
私は小さな頃から同年次の仲間たちよりも身長も体重も大きく、時には一緒に遊んでいても兄弟に間違われるほどだった。だからと言って上級生と互角の力を発揮できたわけでもなければ特段、優れた運動神経を持っているワケでも無かった。
同程度の運動神経の仲間と相撲を取った場合には身長と体重の分、ちょっと有利かな程度のところが関の山なのだ。そういう子供がジャイアンのように育つ場合もあるが、基本的には体格差を利用してケンカなどをした結果、相手の攻撃がからっきし効かない上に予想以上に相手を打ちのめしてしまったりして、その現実に自分で自分のサイドブレーキを引くような出来事がどこかで起こる。自分で気づいてどうしようもない感情が溢れて来てその場に立ち尽くして、打ちのめされて泣いている相手と一緒に泣くことによって自ら気付くのか、あるいはその状況を目撃した大人や他の友達にこっぴどく叱られたり諭されたり、時には集団で逆襲されたりして、仲良くやって行くには「この力は隠しておこう」ということになる。
だから、小さい頃にヤンチャだった子供がクラスでも身体が大きかった方だということは滅多にないはずだ。
基本的に、何かに向かって行くタイプというのは小さい子に多いと思う。判官びいきとは良く言ったもので、小さいものが大きいものに立ち向かって行く時、自然と小さいものの方に声援は集まるようになっている。たとえ大きい物のほうが言っている事が道理に叶っていたとしても、小さいヤツがガムシャラやってる方が声援は集めやすい。
私の場合、大きな身体は力の発散場所が運良く見つかりもせずに持て余され、「この力は隠しておこう」という頑丈な心の鍵のおかげでその能力を引きのばす機会にも恵まれず、果ては「宝の持ち腐れ」だの「ウドの大木」だのと散々な言われようをした。
そんな心無い言葉が耳に届くたびに「じゃあ、どうしたら良いんだよ?」という葛藤に苛まれることになる。
好き勝手やれば良いのに、悪者にされる事がイヤだから、いつも他人の目を伺いながらおっかなびっくり生きている。そんな感じ。それでもそういう物からはかなり解放されて来たとも思うけれども、やっぱりどこかであの時に掛けた鍵を言い訳にして、本気出したらこんなもんじゃないとか思ってる自分がいるのは事実だ。
三つ子の魂百までとは言うが、子供の頃に培われた性格の素地というものは大人になっても結局は続く物だと思う。
私はプロレスが好きで、つい先週もNOAHの「グローバルリーグ戦2011」を札幌に見に行って来たばかりなのだが、そのリングで戦っていた大型外国人レスラー、バイソン・スミスが昨日、プエルトリコにて急性心不全で亡くなった。
バイソンはつい最近、小川良成に必殺技・バイソンテニエルで不慮の怪我を負わせてしまい、その影響もあったかどうか戦績もいま一つと言った感じでリーグ戦最終戦のKENTA戦を迎えていた。
KENTAは軽量級(ジュニアヘビー級、83㎏!)の体でありながらNOAHという団体の改革の先頭に立ち、重量級(ヘビー級100㎏以上)の選手たちに混ざってリーグ戦に参加、スピードとテクニックを活かしつつもヘビー級に対してパワーで真っ向勝負もするタイプの選手で、優勝争いに最後まで絡む大活躍を見せていた。
バイソンは試合開始のゴングと同時に、必殺技の猛ラッシュを仕掛けKENTAを潰しに掛かる。
それはそれはもう、壮絶なパワー技のラッシュ。
アイアンクロースラムからのパワーボム、さらにバイソンテニエルと、次から次へと自らのフィニッシュホールドでKENTAを放り投げ、叩きつける。
しかしKENTAはギリギリで3カウントを許さない。
何度叩きつけただろうKENTAはグッタリしつつも3カウント寸前で返し続けて、ボロ雑巾のように場外に転がり落ちる。
バイソンはそれを追いかけ・・・ることなく、当惑した顔で客席を見まわしていた。
「ここでKENTAを潰して良いのかな?お客さんはKENTAが勝って決勝に行くことを望んでるのに、俺がここで勝っても良いのかな?お客さんはどんな反応してるかな?あぁ、やっぱりKENTA応援してるよ。俺が大技ラッシュしたのに引いちゃってるよ・・・やっちまったかなぁ・・・」
気持ちがやさしいのか、鈍臭いのか・・・バイソンは「怖いガイジンレスラー」になれなかったレスラーなのである。思えば、何度もこの手の「間の置き方と表情」でチャンスを逃して来た。観客にその微妙な仕草とか表情からレスラーの「本音」が伝わってしまうと、観客の方もバツが悪くなってしまう。本当ならばそのままの勢いで行けば“獲れた”試合、奪えたはずのチャンスもその優しさゆえに他人からもぎ取る事ができない。
「もぎ取っちゃったら、僕にはブーイングが飛んじゃうだろうな」という、悪者になりたくない、なりきれない感情が、巨躯を小さく委縮させる。
気付けばバイソンはNOAHの常連外国人レスラーでトップレスラーという位置づけにありながら、全くと言って良いほどプロレス以外、いや、NOAH以外のプロレスファンにも顔も名前も売れていないという状態に陥っていた。個性が売りのプロレス界において、良識派が滲み出ている物悲しさは私が感情移入するには十分すぎるキャラクターなのだ。
人の良さのにじみ出た、鈍臭い感じが何とも言えず私自身の置かれた状況にオーバーラップする。
気付けばバイソンを応援している自分がいた。
けれども案の定、KENTAを仕留めるためにアイアンクローに入ろうとしたところを変形腕固めを決められてGAMEOVER。大逆転のギブアップ負けを喫して、悲しげにリングを後にした。
私は、このバイソンスミスがいつか自分の殻を破って「怪物」になることを期待していた。誰の攻撃も寄せ付けない、片手で相手を弾き飛ばして放り投げてしまう、相手への声援や自分へのブーイングも全て自分の力に変えてただひたすら己の力量をまざまざと見せつける。そんな「怪物」になることを期待していた。
それだけの可能性とパワーと瞬発力とテクニックは持っていたし、何よりも真面目に日本のプロレスに取り組んでいた。そんなバイソンが能力を使いきれていないように見えて同情さえ感じた。まァ最も、出しきれない能力を含めてその人の実力なのだが。
個性が激しくぶつかり合うリングの上ではやさしすぎて、鈍臭くて、哀愁が漂っていて目立たなかった大男、バイソン。観客の期待値と、本人が勝手に解釈していた観客からの期待値と、本人がやりたいプロレスが、見事なほどにバラバラだったレスラー、バイソン。
当惑し、立ち尽くす姿が印象的だった珍しいレスラー、バイソン。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
同程度の運動神経の仲間と相撲を取った場合には身長と体重の分、ちょっと有利かな程度のところが関の山なのだ。そういう子供がジャイアンのように育つ場合もあるが、基本的には体格差を利用してケンカなどをした結果、相手の攻撃がからっきし効かない上に予想以上に相手を打ちのめしてしまったりして、その現実に自分で自分のサイドブレーキを引くような出来事がどこかで起こる。自分で気づいてどうしようもない感情が溢れて来てその場に立ち尽くして、打ちのめされて泣いている相手と一緒に泣くことによって自ら気付くのか、あるいはその状況を目撃した大人や他の友達にこっぴどく叱られたり諭されたり、時には集団で逆襲されたりして、仲良くやって行くには「この力は隠しておこう」ということになる。
だから、小さい頃にヤンチャだった子供がクラスでも身体が大きかった方だということは滅多にないはずだ。
基本的に、何かに向かって行くタイプというのは小さい子に多いと思う。判官びいきとは良く言ったもので、小さいものが大きいものに立ち向かって行く時、自然と小さいものの方に声援は集まるようになっている。たとえ大きい物のほうが言っている事が道理に叶っていたとしても、小さいヤツがガムシャラやってる方が声援は集めやすい。
私の場合、大きな身体は力の発散場所が運良く見つかりもせずに持て余され、「この力は隠しておこう」という頑丈な心の鍵のおかげでその能力を引きのばす機会にも恵まれず、果ては「宝の持ち腐れ」だの「ウドの大木」だのと散々な言われようをした。
そんな心無い言葉が耳に届くたびに「じゃあ、どうしたら良いんだよ?」という葛藤に苛まれることになる。
好き勝手やれば良いのに、悪者にされる事がイヤだから、いつも他人の目を伺いながらおっかなびっくり生きている。そんな感じ。それでもそういう物からはかなり解放されて来たとも思うけれども、やっぱりどこかであの時に掛けた鍵を言い訳にして、本気出したらこんなもんじゃないとか思ってる自分がいるのは事実だ。
三つ子の魂百までとは言うが、子供の頃に培われた性格の素地というものは大人になっても結局は続く物だと思う。
私はプロレスが好きで、つい先週もNOAHの「グローバルリーグ戦2011」を札幌に見に行って来たばかりなのだが、そのリングで戦っていた大型外国人レスラー、バイソン・スミスが昨日、プエルトリコにて急性心不全で亡くなった。
バイソンはつい最近、小川良成に必殺技・バイソンテニエルで不慮の怪我を負わせてしまい、その影響もあったかどうか戦績もいま一つと言った感じでリーグ戦最終戦のKENTA戦を迎えていた。
KENTAは軽量級(ジュニアヘビー級、83㎏!)の体でありながらNOAHという団体の改革の先頭に立ち、重量級(ヘビー級100㎏以上)の選手たちに混ざってリーグ戦に参加、スピードとテクニックを活かしつつもヘビー級に対してパワーで真っ向勝負もするタイプの選手で、優勝争いに最後まで絡む大活躍を見せていた。
バイソンは試合開始のゴングと同時に、必殺技の猛ラッシュを仕掛けKENTAを潰しに掛かる。
それはそれはもう、壮絶なパワー技のラッシュ。
アイアンクロースラムからのパワーボム、さらにバイソンテニエルと、次から次へと自らのフィニッシュホールドでKENTAを放り投げ、叩きつける。
しかしKENTAはギリギリで3カウントを許さない。
何度叩きつけただろうKENTAはグッタリしつつも3カウント寸前で返し続けて、ボロ雑巾のように場外に転がり落ちる。
バイソンはそれを追いかけ・・・ることなく、当惑した顔で客席を見まわしていた。
「ここでKENTAを潰して良いのかな?お客さんはKENTAが勝って決勝に行くことを望んでるのに、俺がここで勝っても良いのかな?お客さんはどんな反応してるかな?あぁ、やっぱりKENTA応援してるよ。俺が大技ラッシュしたのに引いちゃってるよ・・・やっちまったかなぁ・・・」
気持ちがやさしいのか、鈍臭いのか・・・バイソンは「怖いガイジンレスラー」になれなかったレスラーなのである。思えば、何度もこの手の「間の置き方と表情」でチャンスを逃して来た。観客にその微妙な仕草とか表情からレスラーの「本音」が伝わってしまうと、観客の方もバツが悪くなってしまう。本当ならばそのままの勢いで行けば“獲れた”試合、奪えたはずのチャンスもその優しさゆえに他人からもぎ取る事ができない。
「もぎ取っちゃったら、僕にはブーイングが飛んじゃうだろうな」という、悪者になりたくない、なりきれない感情が、巨躯を小さく委縮させる。
気付けばバイソンはNOAHの常連外国人レスラーでトップレスラーという位置づけにありながら、全くと言って良いほどプロレス以外、いや、NOAH以外のプロレスファンにも顔も名前も売れていないという状態に陥っていた。個性が売りのプロレス界において、良識派が滲み出ている物悲しさは私が感情移入するには十分すぎるキャラクターなのだ。
人の良さのにじみ出た、鈍臭い感じが何とも言えず私自身の置かれた状況にオーバーラップする。
気付けばバイソンを応援している自分がいた。
けれども案の定、KENTAを仕留めるためにアイアンクローに入ろうとしたところを変形腕固めを決められてGAMEOVER。大逆転のギブアップ負けを喫して、悲しげにリングを後にした。
私は、このバイソンスミスがいつか自分の殻を破って「怪物」になることを期待していた。誰の攻撃も寄せ付けない、片手で相手を弾き飛ばして放り投げてしまう、相手への声援や自分へのブーイングも全て自分の力に変えてただひたすら己の力量をまざまざと見せつける。そんな「怪物」になることを期待していた。
それだけの可能性とパワーと瞬発力とテクニックは持っていたし、何よりも真面目に日本のプロレスに取り組んでいた。そんなバイソンが能力を使いきれていないように見えて同情さえ感じた。まァ最も、出しきれない能力を含めてその人の実力なのだが。
個性が激しくぶつかり合うリングの上ではやさしすぎて、鈍臭くて、哀愁が漂っていて目立たなかった大男、バイソン。観客の期待値と、本人が勝手に解釈していた観客からの期待値と、本人がやりたいプロレスが、見事なほどにバラバラだったレスラー、バイソン。
当惑し、立ち尽くす姿が印象的だった珍しいレスラー、バイソン。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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この記事へのコメント
テツ師匠、おひさしぶりです!
コメントを何度送信しても「不正な投稿です」とシャットアウトされてしまうので、記事いっぽん丸ごと返信ということでよろしくお願いします!
コメントを何度送信しても「不正な投稿です」とシャットアウトされてしまうので、記事いっぽん丸ごと返信ということでよろしくお願いします!
2011/12/14 Wed 18:42:14
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit
URL | フクフク丸:to テツ師匠 様 #oKAhFFW. Edit
相変わらずの文章力と1レスラーに対する洞察力と思い込みの激しさに(笑)一気に読ませていただきました。
普通なら、立ち尽くすバイソンを見ても、
「あ~、どんくさい奴だなぁ!」
位にしか人は思わないんでしょうが…わかる!わかりますよ~!
私も現在177センチ、87キロとレスラーとしては小兵ではありますが、子供の頃は大きい方だったので、丸さんの解釈はよく理解出来ます。
大きくて優しいレスラーと言えばG馬場氏をすぐ思い浮かべます。
馬場が相手にラッシュをかけている際に観客席から
「馬場さん、やめて~!」
などと声が掛かると、攻撃の手を休めたと言うのは有名な話です。
バイソンの悲しいところは非情なヒールにも、馬場の様な善人キャラにもなりきれなかったところですね…。
ところで、暴力・戦闘能力が問われる世界と違い、我々一般人の社会では、益々もってウドの大木呼ばわりされる日々ではありますが、歳を重ねるにつけ、れはそれで、まあいいんじゃないの?と思える様になりました。
みてくれだけ…と揶揄する連中は少なくとも見た目は評価している訳ですし、内在するポテンシャルの高さに憧憬と僻みを合わせ持っているのだと思います。
隠した刃を使う機会が来てしまう事の方が問題な訳で、最後まで抜かずに済めば、それに越した事はありません。
山のフドウも出来ればラオウとの死闘などせず、気のいいおっちゃんでいたかったのだと思いますし(笑)。
普通なら、立ち尽くすバイソンを見ても、
「あ~、どんくさい奴だなぁ!」
位にしか人は思わないんでしょうが…わかる!わかりますよ~!
私も現在177センチ、87キロとレスラーとしては小兵ではありますが、子供の頃は大きい方だったので、丸さんの解釈はよく理解出来ます。
大きくて優しいレスラーと言えばG馬場氏をすぐ思い浮かべます。
馬場が相手にラッシュをかけている際に観客席から
「馬場さん、やめて~!」
などと声が掛かると、攻撃の手を休めたと言うのは有名な話です。
バイソンの悲しいところは非情なヒールにも、馬場の様な善人キャラにもなりきれなかったところですね…。
ところで、暴力・戦闘能力が問われる世界と違い、我々一般人の社会では、益々もってウドの大木呼ばわりされる日々ではありますが、歳を重ねるにつけ、れはそれで、まあいいんじゃないの?と思える様になりました。
みてくれだけ…と揶揄する連中は少なくとも見た目は評価している訳ですし、内在するポテンシャルの高さに憧憬と僻みを合わせ持っているのだと思います。
隠した刃を使う機会が来てしまう事の方が問題な訳で、最後まで抜かずに済めば、それに越した事はありません。
山のフドウも出来ればラオウとの死闘などせず、気のいいおっちゃんでいたかったのだと思いますし(笑)。
2011/12/09 Fri 15:34:13
URL | テツ(肉体改造家) #- Edit
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